2018年12月13日木曜日

暁の会を解散します^^


暁の会解散のお知らせ

 皆さんこんにちは、暁の会リーダーの田中十督と西山哲郎です。
 この度、暁の会は3年9ヶ月の活動を閉じて、解散する運びとなりました。

 2015年4月に発足し、英語教育の発展、先生方との交流、オンライン講座の開設、ワークショップ展開、ケーススタディなど、様々な活動を通じて、多くの皆様と交流させて頂き、学びを深めさせて頂きました。大変感謝いたしております。長い間、本当にお世話になりました。有り難うございました。

 英語、という教科の中で、第二言語習得における教授法の可能性や、指導メソッドの研究はこれからも様々な場所で行われていくことと思います。 
  一方で、少子高齢化、人口減少、社会変革などの流れを視野に入れながら21世紀の教育を見つめる時、英語、という一つの教科の枠組みの中で教育を捉えていくこと同時に、教科の枠組みを越えた授業デザインやシステムの設計により大きな魅力を感じ、さらなる飛躍に向けて勤務校で実践を継続していこうと決意を新たにさせられています。
 
 発足当初の予定といたしましては、5年間の有効期限を持って解散とする、と決めていましたが、現在の段階で、今後私たちが進んでいくべきフェイズへ、私たち自身のマインドセットが移行していきつつある中、今このタイミングで解散をすることがベストの選択である、と私たちは判断致しました。

 長きに亘り、皆様と有形無形のご指導ご鞭撻を賜り、深いご賛同とご支援を頂きながら、様々な学びと挑戦を皆様とともに創って参りました。これまでの皆様と伴った時間に思いを馳せますと、微力ながら、願わくば、私たちのこれまでの活動が、皆様の考えるきっかけや学びのヒントへの一助になり得ていれば幸いに存じます。

 皆様、大変お世話になりました。誠に有り難うございました。感謝の気持ちを持ちまして、解散のご挨拶と代えさせて頂きます。

 尚、今後はまた別の形で、教育活動を行なっていく所存です。引き続き、ご指導ご鞭撻の程、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

 重ねまして、誠に有り難うございました。

 暁の会 
 田中 十督 西山 哲郎

2018年10月12日金曜日

弔辞。 曽原義太朗くんへ。

曽原義太朗くんへの弔辞を全文掲載させて頂く。

皆さんと彼を共有したい。

義太朗、ずっと義太朗のことばっかり考えてるよ。

義太朗へ

本当に急なことで、
なんと言ったら良いか。

お母さんから日曜の朝、
連絡を受けたとき、
僕は福井県に居ました。

金沢での仕事を終えて、
永平寺を観に
行っていたのです。


僕はクリスチャンですから、
普段は
神社仏閣では
お参りはしないのですが、
自然と
仏様に
手を合わせていました。
ただただ自然と、
そうしていました。

8月に
お前が帰って来ていた時には、どんな卒業生にも
そうしているように、
今度ご飯行こうな、またな、
と義太朗にも
軽くあしらっていました。

それは悪気ではなく、
どうせきっとまた会えると
思っているからでした。

どうせきっと会える、、、。

義太朗、
人はね、
そうやって
思うもんなんだよ。
誰も何かが起こるなんて、
これっぽっちも
思ってなんかいやしません。

だから、
どんな人も
久しぶりに会っても、
おう、またな、
今度飲み行こうや、
でその場を過ごしてしまう。

あのとき、
ご飯に行けばよかった。

お前の夢や将来を
聞きたかった。

そして、
もっともっと、
こんな
弔辞なんかじゃなくて、

結婚のスピーチや、
なにかの表彰の
お祝いのスピーチを
したかった。
そう思います。

お母さんから
お前の話を聞きました。

先生、義太朗はね、
十督先生に
認めて欲しかったんです、
先生にたくさん
褒めて欲しかったんです、って。

僕は義太朗の事を
けなした事は
ないつもりですし、
お前が、
先生、
面談で親になに言うんですか、
色々言うんですか、
って不安がってた時も、

お父さん、お母さん、
この人ほど人に愛され
慕われている
優しい人はいません、




だから、
弱い人、困っている人の
立場に立って、
その人たちの

味方になるような働きを
して欲しいと思っています、

ひとを繋ぐ仕事をして欲しいと願っています、
って
僕は話しました。
義太朗、
それを覚えていますか?

ねえ、義太朗。

もし神様が
お前を天国に
連れて行ったとしたら、
お前の死は
僕らにとって
一体どんな意味があるのか
と考えました。

若い魂を天国に連れて行った
神様のご意思って、

一体なんだったんだろう
って思います。

僕らには
その壮大なスケールの
神様のご計画は
理解し兼ねますが、

でも、
お前の命や魂を
僕らの身体にインストールして、
お前の意思を継ぐように、
お前を纏って生きるように、と、
神様は僕らに
そう思し召して
遊ばすのだと
信じています。

もし私たち人間が、
この世のものを
見たり聞いたりする為に
生まれてきたとしたら、



私たちは
何か特別なものに
なれなくても、
生きる意味があるんだと
僕は思っています。

義太朗、
お前の訃報をきいてから、
毎日、
元気が出ません。

本当に、
元気が出ません。

僕は教え子を失うのは
初めてですが、
教師をしていて、
教え子を失う事が、
これほど苦しくて、
激しい苦痛を味わうのかと、
身をもって
体現させられています。

毎日苦しくて
悲しくて、
さみしくて、
切ないです。

馬鹿野郎、
本当に、
馬鹿野郎。

なんで。
どうして。

もう一度
会いたいです。
みんな、
同じ気持ちです。



最後に、
お前の
お父さん、お母さんの為に、
谷川俊太郎さんの詩を
朗読したいと思います。

これは、子供を
不慮の事故、
災害、病気、で
失ってしまった
ご両親の為に
書かれた詩です。


さようなら   谷川俊太郎

ぼくもう 
いかなきゃなんない
すぐいかなきゃなんない

どこへいくのか
わからないけど
さくらなみきの
したをとおって

おおどおりを
しんごうで
わたって
いつもながめてるやまを
めじるしに

ひとりで
いかなきゃなんない

どうしてなのか
しらないけど
おかあさんごめんなさい
おとうさんに
やさしくしてあげて

ぼくすききらいいわず
なんでもたべる

ほんもいまよりたくさん
よむとおもう

よるになれば
ほしをみる

ひるは
いろんなひとと
はなしをする

そしてきっと
いちばんすきなものを
みつける

みつけたら
たいせつにして
しぬまでいきる

だからとおくにいても
さみしくないよ

ぼくもう
いかなきゃなんない




2018年10月8日月曜日

みんなと共に愛するあなたへ〜曽原義太朗くんへ

※写真と本名掲載は、ご両親の許可を得て、改めて追加し、文章も加筆訂正させて頂きました。
曽原義太朗くん。僕の右に居る男子です。
スポフェスで3Hが優勝した時の記念撮影写真。
今でも昨日のことのように覚えています。
最愛の友であり、仲間である一人の青年が天に召されていった。
今でも信じられないし、悲しいやら、悔しいやら、寂しいやらで、遣る瀬無い気持ちでいる。

彼に言えなかったこと、彼に直接話したかったことを文章にしようと思ったのは、お母様やお父様と彼との思い出を共有したかったこと、そして、彼と同い年の仲間たちと、彼と伴った時間を忘れることなく、彼の魂や思いを各々にインストールして、彼を纏って生きていきたいと仲間同胞全体に願うからだ。

彼にもう会えない、彼はもうこの世にいない、と思いながら、金沢駅から福井県を抜ける列車の車窓で涙が止まらなかった。

以下、彼と僕との関係の中での文章である。人と共感できる部分はないかも知れないが、その時は、これは彼の生きた一つの証と思って、彼を振り返る縁として欲しい。

✝️✝️✝️✝️✝️✝️✝️✝️✝️✝️✝️✝️✝️✝️✝️✝️✝️✝️✝️✝️✝️✝️✝️✝️✝️✝️✝️✝️✝️
義太朗。

義太朗が天に召されたこと、本当に信じられないし、お前のことを思い出すと涙が止まらなくなってしまう。悲しいし、さみしい。

酒を飲もう、飲もう、と約束したっきり、ついに約束を果たせないまま、この世では会えなくなってしまった。
去年成人式の時、義太朗と撮ったショット。
出会って8年しか経っていない。お前が東京から帰ってきてるときは、どうせまた会えるしね、とまた今度ね、と言いながら、食事に行くのを先延ばしにしてしまったことを悔やんでいるよ。

ツイッターにも、東京きてるんですか???とリプをくれたこともあったよね?会っておけば良かった。どうせまた会えるし、というなんの根拠もない思い切りで、いつも帰って来たどんな生徒にもそうしているように、義太朗と会うチャンスを先送りにしていたんだよ。

会える・会えない、という範疇で捉えると、もうお前と俺らは会えないわけでさ。でも、いつか会えるし、と思いながら、生きてると今日みたいな日が来てしまう。

俺はお前にまた会えるから、と根拠のない思い切りで、お前に会わずにいた。

馬鹿か、お前は、と自分を叱り飛ばしたいよ。馬鹿だよ、俺は。

義太朗が俺に将来のことを聞くことがあったよね?
先生から見て、僕はどんな大人になると思いますか、って。

お前は本当に優しい人で、たくさんの人から慕われていたから、人と人をつなぐ仕事をして欲しい、ってお願いしたと思っています。ご両親の前で4者面談をした時のことです。

また、面談の時、お前は俺から叱られたり、貶されるとばかり思っていたでしょう?俺は、みんなと同じく、お前のこと大好きだから、貶すどころか、お前に自分の思いやら願いを、仲間を代表して伝えたの。お前は本当にたくさんの人から愛され、たくさんの人に慕われていました。

みんなも俺も、お前のこと大好きなんだよ。
どうしてなのかはわからない。
でも、それは、お前がお前だからだ、としか言いようがないんだよ。

高校最後の年に担任を持てたことはとても嬉しかった。また、サッカー部で一緒だったことも幸せな思い出でした。高三最後のスポフェスで優勝した時、お前、泣いてたよね?みんなで、カワイイよねー、って笑ったの、覚えてる?

一瞬、一瞬を一生懸命に、まっすぐに生きてたからこそ、あの時、お前は泣いてたんだよね。卒業式のあと、春日公園でテニスをしたことも忘れられない思い出です。

もう会えないと思うと本当にさみしいけれど、俺はみんなと一緒に、お前が生きたかった未来を、お前を纏ってみんなで精一杯生きます。

お前が成し遂げたかったこと、やりたかったこと、
いっぱい話をしたかった。
東京のうまい焼き鳥屋にも連れて行ってやりたかった。
悲しくてたまらないです。

卒業してから、また今度な、なんて言ってごめんな。
もっとちょっとでもいいから、ご飯行くべきでした。
お前の熱い思い、聞かせて欲しかった。

俺は一人暮らしなので、いつでも枕元に立って声かけてください。会えるなら、待ってます。ぜひ出て来て欲しい。
会いたいです。さよならくらい、言わせて欲しい。

叶わぬことだとは思っていますが、今はそんな気持ちでやり切れません。

悲しいけれど、絶対落ち込まない。
お前の果たせなかった時間の為に、
俺らは俺らの精一杯を生きるよ。

お前に出会えて本当に良かった。

教え子が亡くなるのはこれが初めてです。
自分の教え子が亡くなることが、これほどまでに胸が苦しくなることなのか、初めての苦しみを味わっています。

本当に、本当に悲しいです。

お前のこと、絶対に忘れません。
写真、じゅんから貰います。
お母さんにはたまに会いにいきます。

またお前に会いたいよ。
本当に悲しいです。
みんなも同じ気持ちです。

2018年8月7日火曜日

松本道弘先生のこと

道弘先生との出会いは、去年の9月、ICEEの大会に、西山哲郎が出ようよと誘ってくれたことが切っ掛けです。道弘先生のことはそれまで、正直存じ上げませんでした。

しかし、お会いしたら、どうも初めて会った気が全くしなかった。

あ!思い出した!
父の本棚の中に、道弘先生の本があった!

そんな遡りの出会いでした。

それ以来、道弘先生とは密に連絡を取り合い、先生からの薫陶を受け、友達たちと道弘先生に師事し、教えを乞うて学び深めている最中です。

道弘先生は同時通訳者であり、日本にディベートを紹介された方であり、僕らの guru であり、英語道のマスターであり、私たちの世代が知らないことを知っている生き証人でもあります。

道弘先生と共に過ごす時間こそが、僕らの学びを深め、師の一挙手一投足の中に、先生の歩んでこられた道程、巨人の歩みを垣間見、畏敬に震え、慄くのです。

道弘先生のお話は、その宇宙観(コスモロジー)が途方もなく広く深く大きい為に、聞いている人によっては、何の話をしているのか、訳がわからない気持ちになることがあります。初めて道弘先生と喫茶店で二人でお茶した時に、先生の話を聞いていると、そんな気持ちになりました。

「この人は一体、何の話をしているんだ。」と。

この気持ちは、"Seven Blind Mice"のお話に出てくる目の見えないネズミのそれにとてもよく似ていて、segmentalに道弘先生の話を聞いていても、全体の大きな図画の中の1つとしてそのトピックや話のアイテムを掴んで行かないと、話の筋目が見えてこない。だから先生の話を聞けば聞くほど、深い森に迷い込み、帰れなくなってしまうヘンゼルとグレーテルのような気持ちになり、途方に暮れてしまう。

道弘先生のコスモロジーはどんな風に展開されているのか、ということを常に傍にいて感じておくこと、その上で先生の話を読み解くことがとても大事だと思います。

先生の話は、宗教、哲学、人類学、経済、政治的力学、英語学、比較文化論、武道、スポーツ、様々な分野に及びます。それらを行き交う先生のお話が縦横無尽に目の前に広がり、聞く人の反応を刺激し続ける。

それが英語、日本語の両方を介して拓いていくのです。

道弘先生のこの本を読み、自分の英語力の不味さを再確認しています。
自分が生まれて間もない時分に、道弘先生はすでにこの境地で英語を操っておられた。畏敬以外の感情が湧く訳がありません。
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道弘先生は、日本にディベートを広めた方ですが、深い研究と研鑽の果てに、六角ディベートという、日本人に合った形のディベートフォーミュラを提唱され、普及にご尽力しておられます。
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英語教師として、授業メソッドの研究、カリキュラム研究に加え、英語学習全般について、仲間と共に議論やディスカッションを深めながら学びを深めてきました。

英語教師としていろんなことを考えながら指導改善や授業研究を続けて行くと、どうしても行き詰まってしまうポイントにぶち当たってしまう。

それは、自分の英語力が低すぎることと、自分の教養がなさすぎること、です。

この2点が退職のその日まで、もっと言えば、死に至るその日まで、止まず弛まず、続いて行くことでしか、教師としての完成はありえない、と僕は強く感じています。

道弘先生が、御歳78歳にして、未だ理解に完成を許さず、言葉を楽しんでおられる姿を真横で見、私の教師としての学びの究極の姿を先人がこのように生きている、未来の自分の収まるべき姿を先生の姿にtraceし、益々学びの姿勢が研ぎ澄まされて行くのを身いっぱいに感じています。

これからの日本とは、など。

東京日和。4泊5日の東京旅行。4日間はミュージカルのワークショップに出て、残り2日は1日は卒業生と共に早稲田でお茶をして、その後早稲田大学構内を散策、夕方は、仲間の塾で発音指導、その後、松本道弘先生と会食、という愉快な毎日。夜は3日間オンラインでの講座やディスカッションが入っていましたので、とても毎日が充実していました☺️

さて。卒業生とお茶をした話を書きます。

外資系企業に勤める卒業生と一緒に、スタバでお茶しながらいろんな話をしました。笑えない話がいっぱいあるんだけれど、ウェブで出てくる話というのは、本当に本当に実際に起こっている事で、それを実感できずに、対岸の摩天楼の話だ、くらいな認識しかなかなか湧かないのが現状なんじゃないかな、と思ったりしています。でも、マジな話、笑えない状況があります。

例えばの話。

とある優秀な卒業生が、某有名私学トップ大学を卒業し、中東に留学して、結構面白い視野や視点を身につけ、スキルもそれなりにあり、アイディアも持っているにも関わらず、その才能がかけらも活用されないのが日本の商社、トップ企業なんだ、という話を聞いて、お互いにため息をつく早稲田での午後。

上司は50代60代の人で、上が言うことを忠実に守って行うのが仕事内容。主な仕事内容は、資料のコピー、上司のお祝い事の飲み会の設定、上司の出張の帯同、帯同の主な仕事内容はそばにいて上司がスムーズに仕事が行えるように雑用を全てカバーする事、だそうです。

本気で悩んだ彼は転職を考えて色々と調べていくけれど、勝者でもらっている年収が高すぎて、転職後は給与が半分から3分の2にまで落ち込んでしまう、という現実を突きつけられ、愕然としてしまう。

会社に戻れば、また、ひたすら上のいうことを聞き、忠実に上からの指示を実行する生活が待っている。どうすることもできない、というマインドセットに捉えらえて、動けないまま、悶々としている、という話でした。

日本の有名私学を卒業し、外国に留学し、高収入が得られるトップ商社に入社した挙句、与えられている仕事が、自分の才能や能力を一切使うことを許されず、ひたすら上意下達の姿勢を強要され続けることにより、その会社で出世できるまで我慢を続け、その先に、ほんのごくわずかな決定権を許され、自分の上司が自分にし続けてきたことを繰り返して退職を迎えてしまう、という最後を辿るのだ、という絵が見えた時、そんな将来に対して、彼はどんなことを考えるんだろうか、という話になりました。

教育の結果は罪深い。一人の人間の生き方をこんな風に決定づけてしまう。しかし、私たちは、学校を予備校化を止めようとしない。トップ競争を勝ち抜いた人のその後の人生に、誰も興味を抱かない。どうなっていったのか。

大学を出て、仕事をして、そのまま、仕事に喜びもやりがいも感じないまま退職を迎えてしまう人生を量産している日本の教育システムそのものに無力感を覚えるし、大人が大学で学び直すこと、大人が再就職や、キャリアアップをしやすい社会になっていかないと、このままだとますます希望が持ちにくい社会にアンル

こういうご指摘があります。
https://www.mof.go.jp/pri/research/conference/fy2017/inv2017_04_02.pdf

日本はどうなっていくんだろう、と思いながら本当に心が痛い毎日なのですが、それでも、動いていかないと、このまま日本は沈没してしまう、と思い、その場その場で動き続けることと、気づいた人が結束していくことでしか、問題の解決の糸口はいつまで経ってもほぐれていかない、と思っています。

2018年7月30日月曜日

和訳に向き合い日本語と出会う


クリントン大統領のスピーチとノームチョムスキーの講演を、自分のトレーニング(以下、TR)用に使っていて、その翻訳を自分でやったり、細部まで発音に拘ったり、意味を丁寧に取って行ったりする勉強を繰り返しています。

翻訳をしていると、自分の言葉が詰まってしまう。良い言葉が出てこない。どうすればこの日本語がすっきりするだろうか、といつも考えてシャーペンが止まってしまう。

和訳をする際に、人の翻訳の仕事や人が翻訳をする日本語を聞いたり見たりすることにしばし思いを馳せてみました。言葉の柔らかさとか、全体で見ていくときの流れみたいなものをバッサリと切ってしまう行為は、日本語の柔らかなる細やかさを無視しているんだな、とと思ったりします。

また、訳出の時に、漢語や漢字を多用する人は、読み手のことよりも、その訳の本意を伝えることのみに意識が集中されていて、訳出された日本語が読み手へ届けられることにまで思いが至っていないのだと僕は思っています。やっぱり、訳ってのは、出た瞬間から、ただの変換語なのではなくて、読む人に届ける贈り物であるべきだし、そのために明治時代の巨人たちはとてつもない叡智を我々に残してくれていると思うんです。

だから、訳出はやっぱり丁寧にやりたいし、時間がかかるんですけれども、もうあの訳出に悩む時間そのものこそが、明治の先達たちの真似事みたいなことだけれども、翻って、あそこにこそ、我々の知性の拓きが約束されていることを体が強く感知してるんですね。だから時間がかかっても唸るわけです。

だからやるし、ねー、ねー、こんなの無駄な時間だからさー、ぱっぱとグーグル翻訳でやって、早くシャドーしようよー、なんてことに思考がなっていかないんだと思います。
言葉の柔らかさに向き合っていく時、人は古典、詩歌、文学、愛、人生、死、別離、生命、偽善、裏切り、神、などの概念に必ず行き着く。そう思います。その意味で、英語を追求し続けて、同時に教養を高めていくことがとても大事なのではないか、と僕は思います。同時通訳者であり、我々の師である松本道弘先生と話をさせていただくと、先生の知見の弘さ、物事を深く見据える洞察力が凄まじく、その上で、先生が話される英語があの英語になっているんだな、と深い畏敬を憶えます。そのことを見ないと、彼の偉大さはわからないと僕は思っています。
ここ最近、自分で勉強をしているときに、原点から全くぶれていないことを強く感じます。

3年4ヶ月前に親友の西山哲郎と暁の会を発足させた時に二人で話していたことをそのまま実直に実践してるだけ、な自分たちに気づきます。

私たちの英語力の低さ、教養の軽さは本当にまずいです。それくらい危機感を持って取り組まないといけないことだと思っています。
議論や目新しい視点だけでは人は動かない。力がついていかないので、痩せ細って、また新たなアイディアはないか、と探すことを繰り返すノマドのような姿勢が助長されていくばかりです。それは本当によくない事だと思いますし、未来の子供達への知性への敬意が払われていないと僕は思います。それはよくない事です。

まず僕らは自分たちの稽古や勉学を怠ってはいけないし、私たちの中心概念として、自彊未だ止まず、という気持ちを常に持っていなければいけないんだ、と強く確信しています。

問いがあって、

「海の深さと青さについて説明しなさい。」


と言われたら、どうしますか。

「わかりません。」
「できるわけないじゃないか。」「まずお前がやってみろ。」
というのが、残念ながら現代日本思想の中核をなす意見だと思います。物凄く悲しいことだけれど、それが真実ではないでしょうか。

ネットの社会にはそういう我々の下品さや下賤な愚劣さが表出します。普段、リアルの世界では面と向かって言えない分、私たちの心の汚いところが全部出てる。本当に悲しい事です。

私たちは、この小さな群の中からでも、海の深さと青さについて、知ろうとし続ける、考え続ける、調べ続ける、そして思考を深めあう(いつもみんなでディスカッションしてることがそれに当たります)をやっていく集団でありたい。そう思っています。


暁の会は、これからも松下村塾のような心持ちで学び続けていくつもりですし、今一度、再び暁の会の発会の原点に立ち返る為、この夏、福翁自伝を読み返すつもりでいます。

今こそ、学問、勉学に立ち返る時です。



もっとも大いなるもの

単語の綴りを一生懸命練習するけれど、何度も、何度も間違える子がいる。 でも、授業中、何度もうなづきながら説明を聞き、話に耳を傾け、大きな声で歌を歌う。フォニックスの発音を、口を縦横いっぱいに開けて発音する。 oshienと単語テストに書いてきた。oc...