2015年10月22日木曜日

毎日英語を話したり書いたりすることができる喜び

この「脱線グリッシュ」ブログの更新が滞っていることがとても心苦しい。日々の充実が高まるにつれ、脱線の更新がどんどん後回しになってしまっています。

理由は2つ。「日々の英語トレーニングの充実」と「それに伴う膨大の英語トレーニング」です。

毎日、英語の番組を3、4時間聴く日々が続いています。その合間に、The Japan Newsの記事の中から、面白そうなものを片っ端から読み、Oxford の英英辞典で語義を引き、それを自分のトレーニングノートに書き、どんどん英語を埋めて行く日々をひたすら繰り返しています。

ノートの書き取りも、北米ニュースを使ったトレーニングものらくらしてストップしたり、やったりの繰り返しだったので、気持ちを入れ替えて、ここ一ヶ月くらい、かつてのペースと量を取り戻してひたすら勉強しています。

暁の会on the webでホストを務めていますので、その為に仕込みをしている関係でもありませんが、自然とかつての英語トレーニングの流れが復活してしまい、やり始めると、生活が英語トレーニングを中心に回り始めるので、日常生活そのものがsimplifyされます。

どんどんムダな時間や、ムダな行動が削ぎ落とされ、英語のトレーニングに意識が集中していくんです。何故だか分かりませんが。

ここ14年間、米国のニュースメディアを用いて英語のトレーニングをしています。主にニュース、政治討論番組、政治番組、社説、経済ニュース、政治ニュースが中心です。

途中、数年間、BBCを使ったトレーニングをしていた時もありましたが、基本的には、どんな寄り道をしても米国ニュースに戻ってしまいます。

この14年間のトレーニング生活を通して、改めて思いましたが、僕は本当に、心底、米国のメディア、ジャーナリズム、政治経済の話題が大好きなんだな、と思いました。

大統領選挙がある時は、討論会のソースは舐め尽くし、しゃぶり尽くすように、隅々まで全部聞きます。

自分でも、頭がおかしいんじゃないか、と思うくらい、米国の大統領選挙に異常な執着があることも、最近自覚し始めました。

誰が大統領になるとかではなく、人々がこれほどまでに、リーダーシップを目指して熱狂的に自己顕示や自己実現を果たして行こうとする姿勢、政治的な修辞を考慮してもなお、人々にできうる限りの情理を尽くして、国家の方向性を説いて説得しようとする姿勢に、心が躍るからだと思っています。

毎日、英語のトレーニングを再開して、日々の生活が規則正しくなり、外にもほぼ出歩かなくなりました。基本的に家にずっといて、家事をし、自炊をして、日々淡々と、Henry David Thoreauのような生活を繰り返しています。

英語と日本語のロジックの違いを、「もののあはれ、と、哀れなモノ」というタイトルで書きたい、とずっと思っていますが、意識の集中が間々ならないので、冬休みに回そうと思っています。

ではまた^^


もっとも大いなるもの

単語の綴りを一生懸命練習するけれど、何度も、何度も間違える子がいる。 でも、授業中、何度もうなづきながら説明を聞き、話に耳を傾け、大きな声で歌を歌う。フォニックスの発音を、口を縦横いっぱいに開けて発音する。 oshienと単語テストに書いてきた。oc...