2015年5月15日金曜日

テニスについて

テニスを初めてちょうど一年目になる。親しい友人の勧めでテニスをするようになった。
僕が去年から一人暮らしをするようになったので、テニスでも始めたらどうか、という勧めだったと思う。

自分は何かを始めるとき、我流ですることが嫌いなので、先生を探すことから始める。
元々素直な性格なので、友人の勧めもあり、ラフテニススクールというテニススクールに通い始める様になった。

子供の頃から球技は苦手で、球技は本当に嫌でたまらなかった。自分が18年もサッカー部の顧問をしていたのも、子供が好きだから、子供の為にサッカーを教えていただけの話で、もともとサッカーそのものには残念ながら全く興味はない。今は好きになってしまったけれど。

テニスを始める動機はなんだったのか、自分でもよくわからない。憶えていないし、思い出せない。なのに、今は毎日テニスをしない日は一日たりともない。必ず毎日ラケットを握っている。何故だろう。どうしてこんなに一生懸命なのか、自分でもよくわからない。

なのに、毎日コートに立ち、毎日テニスをしている。

勝ちたいというモチベーションもなければ、どなたかを目標に、その人を打ち負かしたいという向上心もまるでない。
ただ、淡々と毎日コートに立ち、淡々と球を打ち、淡々と、今の球筋はどうだったか、ラケットの振り方はどうだったか、フットワークが悪かったのではないか、打点の位置はどうだったか、球に変化をつける事ができていたか、相手のどこにボールを打ち返そうとしていたのか、きちんと意図をもって球を打ち返していたか、など、そんなことばかり考えて毎日テニスをしている。

僕にとってのテニスって、なんなんだろう、と思う事もあるけれど、そんなことをゆっくり考えることもなく、次の日も、また次の日も、コートに立ち、テニスをやり続けている。

僕は苦手だった事にチャレンジしている。やってみて思った事は、意外となんとかなるかも知れないということだ。子供の頃、僕は球技が大の苦手で、球技から逃げ回っていた。自分はインドアガイで、スポーツやアウトドアは向いていないと決めつけていた。幼い頃から、周囲の友人や大人達から、お前は球技は向いていない、お前は球技が下手なんだから、と嘲笑され、馬鹿にされ、自分でも自嘲気味に、薄ら笑いを浮かべて自虐に身をやつしていたと思う。

でも、40歳になってテニスを始めて思ったのは、そんな思い込みや自分の苦手意識、周囲からの言葉によって、自分は球技が苦手なんだ、と決めつけていたんだ、ということ、そして、そんな思い込みを捨て、毎日何も考えずに無心に練習を続けていると、好きこそ物の上手なれで、プロや部活動生並み、とまではいかないけれども、ある程度のレベルに到達する事は可能なのだ、という事だ。

僕は自分自身で、周囲の影響や自分の弱さに感けて、自分は球技ができない、と思い込んでいた。確かに一般男性のレベルから考えると、とてもじゃないけれど、平均的な運動能力はかなり低い方だと思う。

たとえば筋トレは二年半続けているけれども、身体作りというものは、さして大きく患ったり、身体に制限が掛かっていない限り、誰でもやれるし、身体を整えたりすることは可能な事は、自分の身体を使ってみて実験して分かった。

でも、球技というのは違う、と思っていた。球技は才能が全てで、才能がない人はどれだけ練習をやってもダメなんだ、と思っていた。

テニスのプレーを始めてから、そんなことはバカバカしい思い込みだったんだ、と生まれて初めて実感した。40歳を超えても、上達するスポーツがあるんだな、ということが、頭だけではなく、身体感覚を伴って理解できたことが、本当にうれしかった。


いくつになっても、自分の苦手な事は克服できる。球技が苦手だった僕が言うんだから、間違いない。そこに、好き、っていう気持ちがあれば、練習をすること自体がとても楽しいし、自分のプレーが毎日磨かれて行くことが実感出来ると、また明日もテニスをしたい、と思う様になる。

また、プロの試合を真面目に観る様になった。スポーツが苦手だった子供の頃は、家族が野球の中継などを観る事が嫌で仕方がなかった。でも、今は違う。プロの試合を見ながら、どんな風なスイングをしているんだろう、足はどんな風に動かしているんだろう、相手のどこに球を打ち返しているんだろう、ポジショニングをどんな風にとって試合を進めているんだろう、そんなことが気になって仕方がない。そんなことばかり考えながら、Youtubeでプロの試合を何度も観る日々が続く。

学ぶ時に大事な事は、上手な人の真似をすること、そして、学んでいる事を好きで居続ける事、さらに毎日止めないで続ける事だ、とつくづく実感している。本当にそうだから、それ以上もそれ以下もない。

僕は40歳を超えて、学ぶ事の本質を身体感覚で実感出来て、本当に奇跡的に幸せだと思う。親しい友人の勧めがなければ、恐らく僕はテニスなぞ、絶対にすることはなかったと思うし、今でも球技を忌避し続けて、身体を鍛える事ばかりに腐心していたと思う。

人生、長く生きていると、何が起こるか分からないから、面白い。

教職員という仕事を授かり、今年で19年目を数える。学校が来年100周年を迎えるので、100周年にちょうど勤続20年を迎える事になる。
生徒達のことがかわいくて仕方がない。毎日学校に行くのが本当に楽しい。体調が悪くても余程の事がない限り、学校を休みたいと思う事はない。生徒達に会いたいし、たくさん話をしたり、授業をしたり、同僚の先生方と楽しい時間を過ごしたりすることが、なによりも楽しい。

僕はひとりぼっちになり、一人で仙人の様な生活をしているけれども、毎日こんなに充実している自分の幸せを、神様に本当に感謝している。

テニスを通して神様が教えてくださった事を子供達に還元したい。苦手や得意は人が決める事ではない、やろうとする自分が決めること。また、良い先生や、褒めてくれて伸ばしてくれる人が周囲にいると上達が早まる。僕にとってのテニスの先生は、スクールの戸田コーチであり、今昼休みに一緒に練習をしてくれている高校生諸君だ。彼らが僕に接してくれる姿勢の中に、僕が教師として立つ時の学びのヒントが数多く含まれている。そんな風に毎日考えながらコートに立っている。

テニスをするように背中を押してくれた友人に、心から感謝をしたい。本当にうれしく思っている。テニスはおそらく、死ぬまでやめることはないと思うし、これからも可能な限り毎日プレーを続けて行くと思う。

死ぬ時になったら、何故僕がこんなに一生懸命テニスをプレーしているのか、神様が答えをくれるかもしれない。でも、今はその意味がまだ分からない。

もっとも大いなるもの

単語の綴りを一生懸命練習するけれど、何度も、何度も間違える子がいる。 でも、授業中、何度もうなづきながら説明を聞き、話に耳を傾け、大きな声で歌を歌う。フォニックスの発音を、口を縦横いっぱいに開けて発音する。 oshienと単語テストに書いてきた。oc...