2015年7月25日土曜日

俺はいじめをぜったいに許さない。

この記事を読んで、強くこう思いました。

俺はぜったいにいじめを許さない、と。

記事はこれです。↓
http://bylines.news.yahoo.co.jp/ryouchida/20150718-00047655/

ゼロ数値を目標にするのはビジネスの世界の考え方なのだろう。
遅刻ゼロ、不登校ゼロ、いじめゼロ、そんな数値目標になんの意味があるのだろう。ゼロになれば平和なのだろうか。

子供達が安心して生活出来る環境を整える為には、いろいろな価値観を大人が、たとえそれが理解できないような類いの物でも、子供と一緒に考えて理解に努めようとする姿勢にこそ、答えがあるのではないか。


残念ながら大人の世界には子供が思っている以上に、シビアで狂ったいじめの世界がある。


平気で人を無視したり、仲間はずれにしたり、陰で悪口を言ったりする大人は、悲しいことだけれど、現実に普通に存在している。右にも左にも真ん中にも斜めにもいる。

自分よりも弱い立場の人を、組織的に作り出し、みんなで寄って集って小馬鹿にして小突き回す様な人たちがpopularityを形成していたり、自己の価値観の意味に正しさを見いだして、それとは異なる考え方や、その考え方が出来ない人を徹底的にいじめる。

それでもいじめに立ち向かって行きたい。人間の世界からいじめをなくしたい。

いじめをなくす一番の方法は、自分とは違う人のことを知ろうと努力を怠らず、自分には理解のできないことの判断や評価を勝手にせず、自分とは異なる人たちを、できうる限り無視せずに愛して、わかろうとする姿勢にこそあるのではないか。

大人の中に、それが出来ない人が数多く存在する限り、いじめの問題は狭い価値観によって矮小化され、いじめをしたやつを追い出せ、と言った様な短見な同語反復が繰り返し喧伝され、犯人探しが続き、誰かがスケープゴートにされて、問題が終わったことになる、という現象が繰り返されるだけなのではないか。

いじめを絶対に許してはいけない。子供も大人も関係ない。
いじめは絶対にいけない。

俺はいじめを絶対に許さない。

もっとも大いなるもの

単語の綴りを一生懸命練習するけれど、何度も、何度も間違える子がいる。 でも、授業中、何度もうなづきながら説明を聞き、話に耳を傾け、大きな声で歌を歌う。フォニックスの発音を、口を縦横いっぱいに開けて発音する。 oshienと単語テストに書いてきた。oc...