2015年3月8日日曜日

成長する群れとは何かを考える。

群れについて、考える事がある。人が集まり、何かを活動する場にあって、何が大事なのか、ということだ。


リーダーシップを持った人が率先して人を引っ張って行く図は理想的に見えるのだろうが、それは群れが良い形に成長する事にはならないのではないか、と僕は自分の経験から考えたりする。


部活動を持ち始めてしばらくは、生徒たちに舐められまい、と一生懸命に自分を強くみせようとしていた気がする。生徒たちを喧しく叱責し、厳しいルールを課し、がんじがらめに管理をしていた事が思い出され、胸が痛い。何が目的であんなことをしていたんだろうと思う。世阿弥が、初舞台での惨めさを憂い、あんなみっともない真似をするくらいなら、もっと稽古に励んでおけば良かった、あの初めて抱いた恥ずかしさを二度と忘れずに一層稽古に精進するぞ、と「初心忘れすべからず」という言葉を風姿花伝に書き綴った想いと重なる。


自分に自信がなかったり、相手の事を信頼出来ずに不安で居る時、人は相手を縛り、相手の心をコントロールしようとする。でも、そんなことをすると、人はますます離れて行くし、自分の目の前では面従腹背を演じるばかりで、陰では全く違う事をしていたり、悪口を言われたりするのが関の山なのだ。


僕はその事にある日気づき、コントロールの権限を手放す事にしてみた。一切相手に求めない。期待もしない。相手に対しても自分に対しても自由で居る。自分が居なくても部活動が生徒たちだけできちんと運営出来るようにすることができれば、部はもっと成長し、子どもたちは自分たちの力で強くなるのではないか、と仮説を立て、それを実行したのである。


部活動につけないとき、生徒が真面目に練習をしているか、と会議室から生徒を監視する様な真似を一切止めた。生徒たちから受ける報告を全て鵜呑みにして、信じる事にした。生徒たちが考えている事、思っている事をありのままに受け入れる事にした。自分が思っている事も、上からでも下からでもなく、そのまま生徒に素直に伝えるようにした。


俺は練習を監視したりしない、もうそういうのは止める、君らを信じる、君らの言うことに騙されたりするかもしれない、でも、俺は君らの言うことを信じる、君らは絶対に嘘をついたりする訳がないと思っているから、騙されても良い、君らが言うんだったら、それでいい、俺はそう思う事にした、とミーティングで話した。


生徒たちに檄を飛ばすのは気を引き締める時だけに留め、決して叱責や罵りに使う事はしなくなった。初めは半信半疑だったようだが、そのうち僕のそんな在り方に少しずつ慣れて行ってくれたことを憶えている。


ある年の最後の大会前の出来事。その代は僕の短い部活キャリアの中で最も強かった代だ。キャプテンがとても良く出来た子で、その代の生徒たちはとても真面目で立派な人たちだった(それ以外の代の子達も、みな真面目で立派でした。彼らの名誉の為に、一応。)。その日は雨が降っており、荒れ模様だった。僕はいつものように生徒たちにメニューを配って説明をして、練習を頑張るように伝えていた。生徒には、「俺はサッカー素人だし、よくわかんないところもあるから、キャプテンがその場で判断して、今自分たちに足りない事をやっていいから。いつでも変更してやりなさい。いいね?」と伝えた。生徒は「分かりました、頑張ります。」と応えた。「先生、今日、部活来れますか?」「会議が終われば行けるけど、何時に終わるか分からん。でも、終わったら会おう。多目的ホール前に集合しておいてくれ。必ず降りて行くから。」


会議中、雨が窓を打つ音が止まない。あいつら、練習をやめて帰ってくれてると良いがな、風邪でも引きはしまいか、と僕は心配になり、自分の禁を破って窓から生徒たちの姿を覗いた。


彼らは僕が渡したメニューを寸分違わず、土砂降りの中、夢中でボールを追いかけ、激しくプレーを続けていた。僕は彼らの信頼に対して、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。彼らは僕のことを信じ、忠実に僕の作ったメニューに従ったのに、僕は何故彼らのことを信じて、練習を見ずにいることが出来なかったのか。自分の事がとても恥ずかしくなった。僕は子どもの事を全く信頼仕切れていない、と情けない気持ちでいっぱいになった。


会議がほどなく終わり、僕は彼らに会った。「練習頑張ったか?」「はい、盛り上がりました。」「メニュー、変えたか?(僕は上から覗いた事を黙っている)」「いえ、変えてません。」「なんで、変えなかったんだ?自分たちに最適な練習で良かったんだ。僕の作ったメニューをそのままするな、って言ったろう。」「先生のメニューで良いです。試合の分析通りのメニューだったし。先生は僕らにウソついてるんですか?」「いや、そんなことないけど。こないだ出来てなかったとこをメニューにしとったんよ。」「じゃあ良いじゃないですか。なに言ってんすか。明日も頑張りましょう。おつかれさまでした。」


僕はそのときに彼らを抱きしめて泣きたかった。そして、生徒との信頼関係を作るというのはこういうことなのだな、と彼らに教わった気持ちでいっぱいだった。彼らは僕の事を心から信頼してくれている。だから僕の伝えた事を信頼し、忠実にそれを実行したのだ。そうか、生徒が先生を信頼するってこう言う事なのか、なるほど、先生が生徒を信頼するというのは、こう言う事なんだな、と言うことが分かった。本当の意味での人と人との信頼関係はこう言う事なんだな、と分かった。


自分が居なくても、群れが立派に燃え立ち、活動を頑張る事ができること、それこそが群れの成長なのではないか。


強いリーダーは要らないと思った。群れを育てるときには互いに燃え立ち、互いに信頼し合い、互いに自由に成長を促し合うことを認め合う事が必要だ、と思った。無用な謙遜や鼓舞なんか要らない。余計な上下関係も不要。要るのは相手へのリスペクトと愛情のみ。


誰かが居ないと成長できない群れには未来はないし、限界がある。群れに属する全ての人がコミット出来る関係作りに、僕らは注視すべきなのではないか。僕はそう考えている。


森田、密山、お前らのことを思い出して書いたよ^^


元気かな。酒飲みに行こうな^^



では、また^^

もっとも大いなるもの

単語の綴りを一生懸命練習するけれど、何度も、何度も間違える子がいる。 でも、授業中、何度もうなづきながら説明を聞き、話に耳を傾け、大きな声で歌を歌う。フォニックスの発音を、口を縦横いっぱいに開けて発音する。 oshienと単語テストに書いてきた。oc...