2015年2月27日金曜日

毎晩の楽しみ

何かに夢中になっているときに、ついつい夜更かししてしまう癖を何とかしないといけないな、と思いながら、なかなかその癖を直せないでいる。癖、というよりは、興奮して寝付けないのかもしれない。クセじゃないな、体質なのかもね^^;


自学を再開して数日になるけれど、久しぶりに勉強することの楽しさを味わっていて、毎晩興奮している。こんなに胸が火照ることばあってよいのだろうか、と思うくらい、ノートに向かう度に胸がときめくのだ。


何故なのかは分からないし、何の為に勉強をしているのかも、自分でもよく分かっていない。でも、ノートを開いて、コーヒーを飲みながら、毎晩机に向かう時の喜びは何ともくらべることもできないし、何にも代えられない。


勉強をすることがこんなに楽しいことだったのか、と子どもの頃の気持ちを思い出して、毎晩喜びで満たされている。


子どもの頃、やらされる宿題や課題が嫌でたまらなかった。そんなとき、学校の図書館で借りてきたウォルトディズニー、ベイブルース、福沢諭吉、ニュートン、ファーブルなどの偉人伝を読んで、山積する問題から逃げていた。偉人の伝記を読むとなぜだか分からないのだけれど、意味の分からない多幸感に包まれた。理由は今でもよく分からないが、彼らのサクセスストーリーの中に、子どもの自分が心の中でだけ背伸びを許されているような気持ちになったから、なのかもしれない。


福沢諭吉は、神社の祠に大人がお参りをしているのを見て、なんの有り難みがあってそんなことをしているのだろう、と不思議に思ったらしい。彼は聡い子どもだったので、ある日悪知恵を思いつき、大人がいないときに、そっと祠の扉を開けて、ご神体を伺った。


すると、そこには、道ばたに落ちているような、何の変哲もない石ころが一つ、ころんと鎮座在すだけだったという。諭吉は、大人が毎日ありがたがっているものは、ただの石ころだったのか、と思い、ご神体の石ころを、道に転がる石と取り替えたら、翌朝からも、諭吉の周囲の大人たちは、毎日欠かさず祈りを捧げ続けたらしい。諭吉にとって、その姿は非常に滑稽に見えたそうだ。


この話を読んだとき、諭吉少年の悪魔的天才性に畏敬の念を抱くと同時に、なるほどね、どんなことでも、大人が言っているから、とか、偉い人がそう言っているから、とか、昔からそう決まっているから、という理由で、なんの疑いもなく鵜呑みにしてはいけないんだな、と子ども心に初めて大人を疑う「事始め」の指南を受けた気持ちでいっぱいだった。


そんな刺激に満ちた話が載っている偉人伝が大好きだった。偉い人はみんな、初めは失敗したり、うまくいかなかったり、人とはやり方が違うので、批判を受けたりと、決して社会から受け入れられていたり、適合できていたわけではないんだな、ということを、子どもながらに教わっていた気がする。


自学帳を再開し、僕は何気なく自分が好きな「時事英語」の分野に手を伸ばした。経済や政治の英語を読んだり聞いたり、番組を見たりすることが大好きで、夢中でやっていた時を思い出すと懐かしい。


ふと、時事英語のキーワードを一つ一つ丁寧に紐解いていくうちに、globalizationprotectionism, free tradeというキーワードに目が留まった。普段思考するときに、何気なく使っているこれらのキーワードに関して、真面目に受け止め、歴史を学び、理解に努めようとしたことはなかったので、じゃあ、これを勉強してみよう、ということで、とりあえずは、手っ取り早く、wikipediaglobalizationを引き、この資料を元にして、自学帳にノートまとめをしていこうかな、と思った次第。


勉強の仕方はいたってシンプル。女子高生が世界史の史料と教科書を見ながら、ノートにまとめていく作業をするのを、英語の資料でやっている、という、ただそれだけのこと笑。




音読しながら、その場で自分なりに英語で言ってみる、疑問に思うことを、wikipediaくんに質問する気持ちでその場で喋ってみる。しばらく考えて、資料を読み返す。そしてその都度疑問に思ったことを書き出し、また文献に戻って資料をまとめていく、という作業。だいたい1日2ページと決めているので、それ以上はやらない。




無理は絶対にダメ。無理なく、自分が楽しんでやれる範囲をキープしている。一番大切なことは毎日続けることなので、毎日続けることだけを目標にしている。


英語圏に留学した経験がないので、僕は自分の英語力に自信もないし、自分が英語がぜんぜんできないことを、自分が一番良く知っている。




だから、こういうことをしていると、まるで自分が英語圏の大学の講義を受けている様な気持ちになれて、とてもウキウキとしてくる。




勘違いは人を成長させもするし、人をだめにもする。勘違いすることによってだめになっていく大人もたくさん見てきた。




でも、自分は今、留学しているかのような錯覚と勘違いによって、毎晩しあわせを感じることができる。こんなに素敵な時間があっていいことか、と毎晩にやけがとまらない。




勉強すること、本を読むことがこんなにも楽しいと感じるなんて、41歳もなかなか捨てたもんじゃないな、と、20代の頃の生意気だった自分に説教してやりたい気持ちでいっぱいなのです。




ではまた。


もっとも大いなるもの

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