2015年6月14日日曜日

長崎まで英語教育の学会に行ってきました^^

大学の後輩の長さんが、北九州市立大学で教鞭と執って居られるみたいで、長さんのお誘いもあり、この学会に勉強しに行ってきました。テーマは「「授業は英語で」を支える理論とその実践」でした。

今自分が現場でやっていることと、世の中で行なわれている最先端の英語授業の差異は何か、それを探る為でもありました。

http://www.j-let-ko.org/htdocs/index.php?key=jongt8gvh-65#_65

会に参加してみて、とても良かったと思いました。
それは、自分がやっていることと同じ事を、世の中でもなさってある方がたくさんいらっしゃることが分かったからです。

僕は、理論よりも実践、な人なので、現場人間です。基本的に授業を組み立てるときは、何かの本を読んで勉強したり、誰かの手法に新たな道を探る様な事をするのがとても苦手で、系統立てて勉強したりすることがなかなかできません。

なので、過去の経験を踏まえつつ、今教室に座っている子供達の様子とか、彼らの性格とか、彼らの力とかを考えながら、どうやったら力がつくのか、また、どうすれば生徒達が授業を達成感のあるものにできるか、を考えながら毎日を過ごす様にしています。

で、僕は留学経験もないし、そんなに英語ができる訳でもないし、シャレたことを知っている訳でもないので、頼りになるのは、生徒の反応、自分の直感、過去に自分がやって来た経験則、そして、生徒達を「こいつら、マジで、かわいー!」って自然に思える愛情だけを頼りに授業を毎日作っています。

頼れる物のなかで一番強いのは、生徒がかわいいと思える気持ちだけかもしれません笑。

どんな風に説明すれば適切なのかは分からないのですが、生徒達がかわいくて仕方がない。卒業して行った子達も、今教えている子達も本当にかわいい。

自分にはそういう愛情くらいしか、生徒達に誇れる物はないので、それを頼りに授業を作っている気持ちがしています。

さて、学会での発表を聴きながら、今の自分がやっていることとの差異を大きく感じなかったので、先生方の発表を聴きつつ、このような授業形態を標榜しながら、生徒達の英語力をどんな風に高めて行けば良いのか、ということに想いを馳せながら、ノートに書き込みをしていました。

これまでの英語教育はinputに重きを置いて進められて来ていて、inputを大量に行なえば、outputができるようになるだろう、という仮説に基づいた指導が重宝されて来た感があると思います。

それは入試一点のみに集中していたからだと、乱暴に言ってしまいますが、そう思っています。

僕はこの流れを、output活動を繰り返して行くうちに、生徒達が自然とinput活動の重要性に気付き、自学や自習の大切さ、トレーニングの重要性に自ら気付いて動ける様な流れを今後構築していけないか、と考え、暁の会を始めました。

僕が西山君とやろうとしていることは、output活動の重要性を広く世に問うて、多くの先生方とともに、生徒達の英語力を従来の英語教育のメソッドとは逆のベクトルから模索し、再構築していこうと標榜していることになります。

いろいろな勉強会や方法論に出会うこともありますが、内容はともかく、僕が一番、「ん?」と思う所は、どのようなメソッドであっても、極端で一方的な方法論にのみ依拠した理論を濛昧的かつ盲目的に押し進めて行こうとしている部分で、僕はこれはバランスが良くないのではないか、と思っています。

政府が押し進めるガイドラインや指導要領をそのまま信じ込んでひたすらそれを追いかけ続けていたり、またその逆で、それとは真っ向から反する理論を追求し続けていたりする流れに多く出くわすと、混乱してしまうのです。

一体、どうすればいいのよ、と途方に暮れてしまうのです。

そうではなく、いろいろな要素をバランスよく取り入れながら、一元的な物の見方のみで授業が構築されるのではなく、多様な価値観や要素を含みながら、それぞれの現場の実情にあった、その先生の力量や持ち味が最大限活かさせる理論実践が新たにどんどん作られて行くことが、今一番現場で大事なことなのではないか、と僕は強く感じて、会場の長崎大学を後にしました。

暁の会では、いろいろな価値観を参加される先生方とシェアしながら、それぞれの現場や先生方の持ち味の実情に沿って、最大限それぞれの力が、教師も生徒も活かされ、授業が生きたものになるような道筋を探って行きたいと考えています。

多くのお土産を頂いた学会でした。
主催してくださった先生方、本当に有り難う御座いました。
また、参加させてください。
何かお手伝いできることがありましたら、いつでもお声掛けいただければ、と思います。何でもやりますので。

こういう多くの取り組みが、どんどん世に出て、いろいろな人の眼に触れる事を僕は望んでいます。

多くの人の意見や、異なる価値観、多様な視点を共有しながら、昨日よりも若い視点で新たなアイディアを生み出し、そのアイディアを具現化し、検証し、さらに次のphaseへと共に進む人たちが一人でも多く増える事を、僕はいつも祈り、待ち望んでいます。

理論と実践の狭間にあって、僕らが忘れては行けないのは1つだけです。それは生徒への愛情です。

折も折、遠くに住む仲間の先生から、素敵な言葉が送られてきました。今日はそれをclosingにしたいと思っています。

「教師の仕事とは、
生徒全員を心から愛せるようになること。
お前はどこへ行っても大丈夫だ、とすべての生徒に胸を張って言えるように指導すること。
お前は俺の誇りだと、全ての生徒にためらいなく言えるようになること。
そのために何ができるかを考えること。
そのために自分を変える勇気を持つこと。
そのために生徒を信じ、待ち、許すことを学ぶこと。

そして、いつか自分も生徒も多くの笑顔と感動を共有できるようになること。
これがクラスを作るということであり、クラスと共に生きると言うことではないか。
また、そんな純粋な気持ちが感動のあるクラスを創り、心から愛せる生徒を育てていくのではないか。」



下の画像は、親友であり、僕の大切なメンターである石川さんと、ご同僚の林くんと^^ 楽しいひと時を過ごしました。








もっとも大いなるもの

単語の綴りを一生懸命練習するけれど、何度も、何度も間違える子がいる。 でも、授業中、何度もうなづきながら説明を聞き、話に耳を傾け、大きな声で歌を歌う。フォニックスの発音を、口を縦横いっぱいに開けて発音する。 oshienと単語テストに書いてきた。oc...