2018年6月22日金曜日

ハミングが聴こえるよ。

同僚たちと積極的に授業のことについて話をする機会を意識的に増やしていこうと思い立って二年が過ぎました。

4技能型の英語授業、CLIL を通しての授業展開、そして、アクティブラーニングの研修会との出会い、色々な交流を通して、感じたり、考えたりすることが増えました。

この頃、深く身体実感を伴って噛み締めている感慨は、同僚との関係性、同僚への関心、同僚との連携、と言うことです。

何か難しく複雑なことをするわけではなく、同僚と他愛もない話をし続けることを継続して行く、と言う感じです。

他愛もない話を続けると、同僚は何に興味関心を持っていて、どんな考え方や思考をし、どのような行動パターンがあるのか、などがわかります。

逆に同僚が話してくれる僕自身のことについても、全く予想も検討もつかないようなことを鋭いキラーパス的角度で突いてきます。アラア、俺ってそんな風に見られてたんだ、と思うと、ジョハリの窓のことを思い出させられます。

お互い、一緒に働いていても、全然理解し合えているか、と言うと、必ずしもそうではないし、相手の好きなことを10個挙げてみる、と思って考えて見ても、3個くらいで詰まってしまう同僚と、17個も、22個も浮かんでくる同僚もいて、理解のバロメーターとしてコミュニケーションがどれくらい不足しているかを知るために、そう言うことを語り合うことはとても良いことだ、と僕は今強く思っています。

学校を子供達の為に、素晴らしい学び舎にしたい、その為に同僚とチームで協力して、新しいことをどんどん取り入れたり、今までやってきたことを研磨してより洗練された形で提供して行くことがとても大事だと僕は思っています。

その為に一番大事なのは、同僚といかに普段から密にコミュニケーションを取っているか、と言うことだと思います。

同僚と良いコミュニケーションが取れている状態にあるとき、どんなことをやろうとしても、良いアイディアがたくさん出され、良いものが子供達に提供されて行くことになります。

同僚と楽しいひと時を過ごす事をまめにしたい、と思います。食事や会話、学外でも交流を深めることはとても大事だと思わされます。

同僚の話に耳を傾けると、意見を普段聞くことがない同僚が、以外にもとても熱い想いを学校に対して抱いていたり、あるいは、授業について、情熱を燃やしていたりします。

同僚と語り合う時、僕は授業を変えよう、子供達に考える時間をあげよう、子供達に協力しながら学ぶ機会を与えてあげよう、と言う話を、繰り返し、繰り返し、伝えるようにしています。

そんな事を毎日繰り返しながら、学校に行っていますが、今教員生活21年目にして、もっとも達成感があり、もっともチームワークがよく、もっとも充実した学校生活を送れているのではないか、と強く感じます。

学校をこんな学校に改革したい、という気持ちは若い頃から浮かんでは消え、を繰り返していますが、自分の思い描いた通りに結果がついてこないときは、酷く落胆し、落ち込んだりしたことも過去にはありました。

今、20年の仕事生活を振り返って見て強く思うのは、
・自分が思い描いた通りの結果にならないのが教育。
・自分が思っていた通りにはならないけれど、自分が「こうあって欲しいな、こうなると良いな」と言う理想に限りなく近い形の結果は、動き続け、人を愛し続けて接している時にのみ、実現する。
と言うことです。

若い頃の僕は、結果を自分の思い通りにしたくて、心のどこかで同僚や生徒を欺いていたのかも知れません。

今の自分は、自分の思い通りの結果を求める事をやめ、人をコントロールしようとする権限を一切手放し、神様にお委ねし、結果を甘受しながらも、出てきた結果を受けて、新たな創造を行う、と言う形を取り続けるようにしています。

10年くらい前から上記のような哲学を心のセンターに置くようになり、生徒、同僚、保護者の方との関係が劇的に変わったように感じています。

今は特に同僚との関係性がこの上なく良く、互いに深い話もできるようになり、また、授業をどうしようか、今度こんな事をやって見たいんだけど、どうだろうか、と言う話を気軽にできるようになりました。

英語の授業を考える、と言う問いを自分達に向けて、暁の会と言う勉強会を立ち上げ4年目を迎えています。今、職場で僕が感じることは、英語授業の充実もさることながら、ここで書いてきた、同僚と共に作る良い教育環境のことです。

同僚と一緒にだったら、もっとより良い学校になるんじゃないか、もっと良いものが生まれるんじゃないか、今、そんな思いを深く胸に抱いています。

そんな事を感じて、ここ3週間くらいの学校生活を振り返りながら、信号待ちをしていると、何か新しく良きものがハミングをしながらこちらへやってくるのが聞こえてきた、、、、、、、、、、

ような、気がしました😊

素敵な職場で良かった。
毎日、とても気分が良いです😊

2018年6月12日火曜日

たくさんの「君」へ、"From me to you"

僕が君に最初に言いたいこと。

このテクストはイロジカルです。

君は頭がいいから、多分、苛々すると思う。
でも、同時に、多分、苛々しないと思う。

聖書に、愛が一番大事、って書いてあるし、頭がいい君はそのことが分かっているし、この場面でロジカルなことを求めていないだろうし、ただ何となく、文章を読んで、解釈なんて求めないで、文章の流れに身をまかせる、って体験も素敵じゃないですか。そんな気持ちになってくれたらいいです。

役に立つとか、将来のこととか、そんなことどうでもいいから、って。今日はそんな話。気分が乗らなかったら、この先は読まなくてもいいから。

君に、結論だけ先に書くね。

・君のことを僕も、そして僕の周りの人も、君に関わる全ての人も愛して止まず、大好きである、と言うこと。そしてそのことで、君が申し訳なさを感じたり、すまなさを感じる必要はない、と言うこと。

・愛は寛容で情深い、と聖書に書いてある通り、掛け値がない。受け取っても、取らなくてもいい。思うひと、受け取るひと、それぞれ思いも考えも違っていい。

・どんな未来や将来でも構わない。君が君でいてくれたら、僕らはそれでいい。どうだっていい。君と出会えたことが僕らの人生に与えた幸せを、君に感謝したい。ありがと😊

・君に会いたい、という気持ちと、君に会えない、という現実は種類が異なる概念なので、その狭間で、人は胸が苦しくなります。それを、悶える、と表現した人はすごいね。門の前で、会いたい、会いたい、と思っているのに、会いたい心は門前払い。
切ない思いが、悶える、と言うこと。

はい、こんなもんで、一つ。

さてさて。

人間が生きている時間ってのは、新陳代謝の速度、熱消費の速度、それぞれ関係してるんじゃないか、と僕は思っていて。例えば、朝一番に音楽を聞くと、夜聴いてる時と、ビートの速度が違って聞こえるんです。

朝はことさらゆっくりに聴こえる音楽が、夜にはひたすら速い。あれってなぜだろうと思って、34歳くらいの時に悩んだことがありました。早い英語とゆっくりな英語、って何だろう、って悩んだ時期だったと思います。とにかく、音と発話の速度について、ずっと考えてた。

人って、音に対して、速度を意識する時って、つまり、発信されてることを受け取れてないからじゃないですか。だから、え、は、何言ってんの、ってことで。

夜は、体が乗ってきて、一日過ごしてきて、ウェイウェイ、ってなってる状態で音を受け止めるから、速度が±0みたいな状態で聞こえてくるんですよ。だから音がスーッと入ってくるのね。音本来の速度で聞こえてくるの。

君が悩んでる時間って、君が生きてる人生の時間の流れの中で、誰もが経験するはずなんだけれど、たまたま「人生」って言う時間の流れを実感として体感してるか、否かで、人は時間の体感が変わるのね。だから、そう言うこと何も感じないまま大人になる人が世の中、大半なんだよね。

君はさ、今人生を生きてて、
え、なんでこんな時間の流れなの、え、どうして、そんなに時間がすっ飛んで流れていくわけ、え、どう言うこと?
え、どうして誰も質問しないの、って状態なんじゃないか、って僕は思ってるんだよ。

その時間は誰にでも訪れるんだ。誰にでも。
sooner or later, それは訪れるの。必ず。
考える葦は、必ず悩むんです。
無駄に死ぬ人生なんてない、って言った人がなぜ偉大か。
それはね、時間の概念を身体化した人は必ず精神を病むので、
それは特別なことだと思うじゃん?
でもね、それはね、実は、
人として生きてる人、必ずどこかで体験することなんだよ。
だから、人生って、ドラマなんだ。
哲学なんだよ。

うおーーーーーー!!!!
何で、自分は、生きてるんだーーーーーー!!!って。

それは全人類的な問いでしょ?

だからね、君も僕もね、生きてるんです。
え、何で?って思ってること自体、
生きてるんです。

だからね、今の君、とっても素敵なんです😊
すげー、かっこいいんです。
いいなー、って思う。

考えてみ?

悩もうが、悩まなかろうが、毎日、時間は過ぎて行くわけですよ。犬は吠えるがキャラバンは進む、わけですね。
アラビアのことわざらしい。オザケンが言ってたよ。

今、自分自身が生きる意味、それを問うているわけでしょ?
かっこいい、しかないじゃん、そんなの。

何も考えなくても、人は生きていけるの。support system がすでに出来上がってるわけ。

人はさ、考えなくても毎日をやっていけるシステムの中に生きてる。これは真実じゃなくて、事実なの。

でもさ、君はさ、考えたわけよ。
つまりね、このままでいいの、このままで、どうなるわけ、って。

問いを立てちゃったわけさ。それはさ、素晴らしいことなんだよ。

画一化された社会で生きて行く術として、人は無思考を選択せざるを得ない場面に直面するんだ。何度もあるよ。うんざりするほどね。

誰も疑問に思わないし、抗うと、ポジションが危うくなる、って思ってしまうから、成人後は、なかなか、人生に問いを立てることが難しくなるんだよ。

でもね、もう一度。

人は生きて死ぬ。

この哲学に抗える人生は何一つない。

これをもう一度、お互いに確認し合いたい。
そしてさ、ハグしよう。大事に思って、生きていこう。
そうしたいよ。
どんなカタチになるか、わからない。
でも、君のことをずっと考えてる。

君がどう言う人生を歩もうが、君のことを、考えることをやめないよ。

もっとも大いなるもの

単語の綴りを一生懸命練習するけれど、何度も、何度も間違える子がいる。 でも、授業中、何度もうなづきながら説明を聞き、話に耳を傾け、大きな声で歌を歌う。フォニックスの発音を、口を縦横いっぱいに開けて発音する。 oshienと単語テストに書いてきた。oc...