2015年4月3日金曜日

外国語を学ぶ、ということ。

「二外考」
ラテン語の勉強をしています。とても楽しんで第二外国語の勉強ができている事は喜ぶべき事です。恵まれていますね。感謝しています。


ラテン語は古典イタリア語と呼ぶべきなのでしょうけれど、これでは説明不足なんです。ラテン語は、イタリア語の古語であるばかりでなく、フランス語、スペイン語、ポルトガル語などのラテン系言語の租でもありますし、ブリテン島にローマ人が支配した時代もありましたので、英語への流入も数多く見られます。


たとえば、一例を挙げますと、英語の単語で、prohibit, accept, omnibus, principal, round, villa, port, important, consequence, rose, dominate, minister, liberty, misery,inter~の付く語, possess, possible, image, video, divide, institution, language, different, humanity, long, merchant, approximately, continue, cause, virtu, com~の付く語, finish, obtain, initiate, flow, flu, persecute, extreme, originate, orient, ocean, mountain, noble, persuade, civil, citizen, urban, polis, politics, total, などは全てラテン語の時代からある言葉が、使われる場所や国などにより、語形変化したり、音が変わったりして、今でも使われている、と言った具合です。


ラテン語の汎用性が如何に高かったか、ということは、今でもその語が使うに足るからこそ、各国の言語に残っている訳で、畢竟、ローマ帝国の文明の文化の高さがこれだけでも窺い知る事ができます。


テルマエロマエという映画で、阿部寛が、日本にタイムスリップして、日本人の生活ぶりをローマ人の上から目線で観察するシーンが幾度も出てきますが、阿部寛は高慢ちきこの上ない様子で、日本のお風呂やトイレに驚嘆し、ローマ人のプライドの高さから日本の現代の文明に感動する、というのは、強ちあの漫画、誇張され過ぎてるわけでもないんだろうな、と僕はぼんやりと考えました。


ローマ人達の暮らしぶりは、江戸の人々がその時代を謳歌し楽しんだがごとく、豊かで活況だったことでしょう。言語のみならず、食べ物、議論されていること、娯楽など、一般庶民が人生を謳歌するのに十二分なものは全てそろっていたと僕は想像しています。


ガリア戦記を読んでいますと、これは戦争のクロニクルみたいなもので、どこそこの国が強かった、とか、なになに人は他の国の種族と比べてここがすごい、みたいなことが、ローマ人の目線で書かれている。ローマは当時最強ですから、これは全て勝者目線。淡々と書かれたその文は、ブッキラボウな印象を初めに与えつつも、自分たちの歴史をきちんと書き残す、という自負心や尊厳がなければ、できないことです。つまり、強くて豊かだったのね、ローマって。


ラテン語は今は使われてはいません。死語です。実際に今ラテン語を使っている所はバチカンの神父さん達ですとか、大学で研究に用いたりですとか、そういう類いで、話されている言葉としては、もうその役目を終えています。ですから、これを勉強したって、何にもなりません。何にもならない、というのは、福沢諭吉先生の仰るところの「実学ではない」という意味の「何にもならない」です。これをやったからと言ったって、ラテン語でコミュニケーションができたり、ハンバーガーが買えたり、昨日テニスをしました、とかいうやり取りができる訳ではない。あるいは、ラテン語ができるとプレゼンができたり、ディスカッションができたりするのでもない。何の役にも立たない。


けれども、僕はラテン語をもう一度勉強したくてたまらなくなったんです。頼まれもしないのに。何故なのか、今毎日勉強していても、僕にもよくわかりません。でも、やってる。やっているときは、もう多幸感この上ない至福の時間で、誰にも邪魔されたくない、二人きりにして欲しい、と願いながら、うれしくてうれしくてたまらないのです。


始めたばかりのころは何やらさっぱり分からない。とにかく例文や文章をノートに筆写し、その和訳を書いて、一つ一つの語の解釈を書き、活用が出てくれば、その都度青ペンで書き込んで行く、というそういう作業の繰り返しです。また、新出語彙が出てくれば、その都度ノートに書き写し、練習をして、発音をする、というその連続です。高校生が英語で和訳をやらされたりするのと何等変わりはない。全く同じやり方で勉強をしています。


読書百遍意自ト通ズ、という言葉ではありませんが、初めは意味が全く分からなくても、毎日、毎日、ラテン語をしていると、ああ、もしかしてこれってこういう意味なんじゃないの、あ!ほら、やっぱり!という分かる瞬間がでてくる。そうすると楽しくなって来て、そういえば二日前に出て来てた、あの意味が分からなかった語って、この語の活用の変形なのか知らん、ああ、やっぱり!という風に過去に分からなかった事が繋がって行くんですね。そうすると楽しくなって来て、益々先に進みたくなる。


そういう形で今、毎日ガリア戦記と新約聖書をラテン語で読み、その解釈を読んでノートに書き写し、語句の意味や活用をノートに写し、音読をし、ラテン語に楽しんでいます。


ラテン語を勉強していると、今僕らが使っている言葉、それは則ち現代国語(日本語)ですし、現代英語とかなのですが、それとは違った発想や、考え方、慣習みたいなものに出会います。それは今のものとは異なっているんですが、その異なっていることと出会った時に、自分たちの今の世界との違いが際立ち、自分の今話している言葉や使っている慣習とは、こういうものだったんだね、という理解が深まるんです。外国語を勉強する意味って、なにもプレゼンができたり、交渉能力に長けたりするためなんじゃなく、自分の住んでいる世界や文化について、気付きを得るためなんじゃないか、と僕は思っています。


確かに英語でプレゼンできたり、交渉できたりすることは大事です。それも大事。でも、それが外国語を学ぶ第一義で、一等大切にせねばならぬことだ、と云うのは、僕は違うと思っているんです。


英語ができる人は世にゴマンといます。TOEICのスコアが満点だったり、英検一級をほぼ満点で取得したりしている人も沢山いると思う。でも、その人が英語ができることと、英語を学んだ事によってその人の人格や人生にどのような影響があったかは別の話だと思っています。それは、英語ができても教養がなければ、話すコンテンツを高める事ができないからです。知識や知恵は、それを使う際に裏打ちとなる教養の幅や高さがあって、初めて豊かに活かされるものです。ですから、外国語ができたり、大学のテストでいい成績で良い格好で単位取得できたとしても、それは体力測定のデータくらいの意味しかないんじゃないのかな、と僕は考えます。それだけでは不十分なんです。


頭の良いことや、成績が良い事を自分の誇りの第一義にしてしまうと、その人には学びが起動しなくなる。なぜなら、学ぶ、ということは「私には分からない事がある。だから私はそれが知りたい。先生、教えてください。」という自己発起だからです。成績が良いことや、頭が良い事は、暫し人の心を曇らせる事があります。自分が見えなくなる。だから、良い成績を修めたり、頭が良かったりすると、「俺は何でも知ってるぜ、お前らバカだな。」という構えになり、学びが起動しなくなるんです。だって、分かってる、って思ってるんですから、知る必要がない、という自覚ができてしまって、学べなくなってしまうんです。


人は「私には分からない事があるから知りたい」と子どもの様な気持ちを持ち続ければ、誰にでも豊かに学びは起動します。何度でも。これは僕が実体験を伴って身体で理解していることです。


これから大学に入学する皆さんには、是非学びを起動し続けて欲しいと思っています。勉強は金や地位や名誉の為にするのではありません。楽しくて仕方が無い、自分には分からない事があるからもっと知りたい!という子どもの様な気持ちを失わず、勇気を持って色々な事を勉強して欲しいと思っています。


学術文庫を沢山読んでください。文学作品や古典を嗜んでください。第二外国語をしっかりと勉強し、日本語との違いは何なのかを感じて欲しい。その言語が持つ特有の美しさに酔いしれて欲しいのです。


教養があれば、チャチなプレゼン能力育成や、ディベート力みたいなものも自ずと身に付きます。小手先のテクニックを徒に紹介する様な薄っぺらい本を読むくらいなら、弁証法やソクラテスの弁明を読んだ方が余程良い。自分とは何かを説明しなければいけないなら、空っぽの自分の中に、沢山の教養を詰め込む事がまず先です。教え子達にはこの事をどうか分かって欲しい。個性というのは、偉大なる模倣の連続の先にあるものです。自分の素の姿なぞ、空っぽで何にもない。その空っぽの箱の中に、私たちの先達が心血を注いだ英知を一つでも多く入れてください。


ああ、ラテン語が楽しい、っていう話をしようと思ったら、また脱線しましたね笑。ごめん、ごめん笑。


大学入学の時期ですね。楽しんで学びを深めてくださいね^^



ではまた^^

もっとも大いなるもの

単語の綴りを一生懸命練習するけれど、何度も、何度も間違える子がいる。 でも、授業中、何度もうなづきながら説明を聞き、話に耳を傾け、大きな声で歌を歌う。フォニックスの発音を、口を縦横いっぱいに開けて発音する。 oshienと単語テストに書いてきた。oc...