2016年2月19日金曜日

Like someone once said, 'YOU SHALL LOVE YOUR NEIGHBOR AS YOURSELF.'

僕は出会いの運命論を信じるほど、人生に奇跡を信じていないし、偶然論みたいなのも、ある程度生きてみて、必然性を個人が引っ張るもんだと思っていますけれど、それを以って尚、去年暮れの暁の会のロング勉強会以降、参加者の方々の温かい交流に胸を掴まれることが多くなりました。squeezing my heartってこういう時に使うといいのでしょうか。とても良い。
毎週ウェブ講座に来ている仲間から欠席のメールが届く。とても温かく丁寧なやり取りがしばし続く。そしてこう思う。その人にその夜会えないのはとても残念だけれど、その人が休んでいる時間、誰かと大事な時間を過ごし、人生の幸せを、生きる喜びをその人がせいいっぱい満たしているのだと思うと、温かい気持ちになり、胸が熱くなる。
何かを捨て、多くの犠牲を払ってまでする価値のある自己実現など、この世にひとつも存在しない。僕はそう思っている。
自分のそばにいる人、それは例えば家族であっても、兄弟であっても、親友であっても、ご近所仲間でも、趣味のサークルの仲間でも良いのだけれど、大切な人たちとの大切な時間を過ごすことと、仕事や自己実現の犠牲を払うことは全く違う話だと僕は思っている。
だから、無理や無茶を押してまで、英語の勉強をしたり、自己実現をしたりする必要はないと思っている。夢なんか実現しなくていい。目標なんて達成できなくたって、ちっとも構わない。充実した日々を送る中で、生きる喜びに満たされている時に再開し、自分が力をつけ、その力をまた他の人にシェアすれば、それで良い、僕は強くそう思っています。
出会う人たちが、何かを異にしていても、それぞれの場にあって幸せでいて欲しい、と心から正直に願うことができれば、自分が生まれて生きる価値があった、と思えることこそ、superbでsublimeなlifeではないのだろうか。
毎週二回、ネットを通じて勉強会をしていて、そんなことを思ったりしています。
ともに生きる喜びをシェアできることって、素晴らしいことですね。

もっとも大いなるもの

単語の綴りを一生懸命練習するけれど、何度も、何度も間違える子がいる。 でも、授業中、何度もうなづきながら説明を聞き、話に耳を傾け、大きな声で歌を歌う。フォニックスの発音を、口を縦横いっぱいに開けて発音する。 oshienと単語テストに書いてきた。oc...