2015年4月4日土曜日

新しい言葉の誕生を言祝ぐ

生徒に習った言葉で、「壁ドン」という言葉と「ガチ勢」という言葉あります。この言葉の由来を聞いて、僕は感嘆と感動を憶えました。


「壁ドン」というのは、壁、という普通名詞に、ドン、という音の擬態語が合成してできた新生名詞です。「ガチ勢」というのは、「真剣な輩」という意味でして、昔の言葉で表わしますと、「熱心党」、すなわちfanaticな姿勢であるものを追い続ける人の事を指して使う言葉です。


どちらもネットを通じて、誰が使い出したか分からない言葉です。若者を中心とする言語文化の中から新しい日本語が誕生していることは、言祝ぐべき事であって、これを妄りに「日本語の乱れは怪しからん。」などと言って切って捨てる事は短見だと僕は考えています。


大和飛鳥の古来より、若者の「乱れ・崩れ」の類いは古い「大人」によって嘆き悲しまれて居た訳ですし、何も今に始まったことではない、そういう新しい時代や文化が到来したことによる嘆き悲しみは古今ずっと継続的に発せられるボヤッキーなのです。


新しい感性で新しい言葉が生み出され、紡がれることを、僕は素晴らしい事だと思っています。それは人間が生きて活き活きと躍動している証拠に他ならないからです。身体に起こっている細胞分裂の連続の延長線上に、新語の誕生があるとすれば、これは本当に喜ばしい事であって、決して揶揄されたり、誹謗される類いの事ではありません。


たとえば僕の子ども時代を思い返しますと、「本気と書いてマジと読む」とか、「意味深発言:本来は意味深長という四字熟語」とか、「マジで:真面目に、の意味」とか、いう言葉が代表格で、そういう言葉を使うと、先生や親から、みっともないからそういう汚い言葉を使うな、と言われたことを憶えています。


「壁ドン」「顎グイ」の話に戻りますと、これは壁や顎という普通名詞に、擬態語である、ドン、グイ、という音がくっ付いて、抽象名詞を形成しているという高度な言語技術だと僕は思っています。壁ドン、というものや人が存在するのではなく、自分が行為を寄せる男性から壁際で腕を壁にどんといきなり押し当てられ、壁とその男性との間に自分が挟まれて、どうしよう、と胸や頬を仄かに紅く染める萌えシチュエーションを言い表した言葉なのです。


「ヤバい」という言葉を世間一般でよく使いますが、これは「厄場(やば)」という江戸時代の看守を指す名詞を囚人や罪人の間で使っていた事から、危ない状況のことをヤバいと言っていたのが、意味が転換し、危ない状況以外でも、胸が高揚したり、期待が高まったりする状態になり、自分の身の制御が付かなくなること=危ない=ヤバい、という良い意味に転じて使われているのでは、と考えられます。


壁ドンのご先祖様の言葉として僕が思い浮かべたのは、「ぬらりひょん」という妖怪の名前です。顔がぬらりとしている、という意味は、さしたる特長も無いどこにでも居る様なノッペリとした顔をしている様子を表わした言葉で、ひょん、というのは「ひょいと」という神出鬼没にひょっこり現れるものを言い表した言葉だと考えられます。表情にさして特長も無い様な顔のおじさんが突拍子も為しにひょっこり表れる、そんな妖怪がぬらりひょんなのです。僕がこの妖怪の名前を最初に知ったのは、水木しげる先生の「ゲゲゲの鬼太郎」の漫画の中で、子供心に、この名前の響きに心を奪われたのを憶えています。一体どんな妖怪なんだろう、って。見てみると、なんのことはない、強そうでも無い普通のひょろひょろしたおじいちゃんの様な妖怪で、子どもの頃、自民党の金丸信さんがしょっちゅうテレビに出ていましたので、その人のイメージと重ねて見えていました。一見すると何ら強さを持ち合わせていない様な人でも、裏では相当の悪党だ、という事が大人の世界にはあるんだな、と子供心に思い、人は見かけに寄らないよ、と曾祖母が煙管で煙草を喫みながら、僕に気怠そうに話していた事などを思い出します。


言葉が次々と生まれては消えて行くことは、人類にとって、とても好い事だと思っています。僕は若い人が使う言葉を聞くのがとても好きです。新しい言葉をどんどん歓迎したい。使っていて利便性や汎用性の高い言葉は歴史の審判に耐えうる力を持ち得ます。ですから、どんどん新しい造語や新語が出てくれば良い、と僕は思っています。


同時に、古い時代にあった美しい語彙も、積極的に使って行きたい。後世の残すべき言葉を、日常の文章や会話の中で、若い人たちと交換しながら楽しんで言葉に遊んで行きたいのです。


言葉尻を執る、なんていう言葉がありますが、言葉の尻だけではなく、足も腹も頭も執りたい。欲張りなんです、僕。いや、ほんとに笑。


オノマトペを使った日本語の名詞や造語に注目し続けたいと思っています。昔の言葉には身体に関する表現が沢山在りました。虫の居所が悪い、虫の知らせ、腑に落ちる、五臓六腑、八面六臂、鼻にかける、口が滑る、足が出る、挙げれば切りがありません。


言葉に良いも悪いもない。使う人がいれば残るし、いくら批判されようが、誹謗されようが、それが人の生活の中で佳しとされれば、必ず言葉は生き延びて行くんです。


古典を勉強する際に、現在使われている意味とは全く異なる意味で使われている語彙を見つけ、その語がいかようにして現在の意味に落ち着いたのか、という事に思いを馳せる事も、立派な古典学習のモチベーションなのではないでしょうか。


これ以上書くとお説教くさくなる気がしてきました笑。



ではまた^^

もっとも大いなるもの

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