2015年5月29日金曜日

生徒達がフリートークでどんどん英語で意見を言う流れを授業で作る。


生徒に英語で自分の考えや意見を言うトレーニングを繰り返していますが、ここに来て新境地へと突入し、いよいよ生徒達がフリートークをできるようになってきています。

この流れを作るまで、本当にそんなことができるんだろうか、と不安で一杯で、僕は内心、びびりまくっていました。だから、一昨年にall in Englishで授業をしたときも、失敗したらどうしよう、と怯え、この流れを作るところまでは行ったけれど、ついに発展させることはできずに挫折していたことを記憶しています。

今年受け持っている学年は高三、僕は飛び込みで入った学年ですから、彼らの過去はほぼ知りませんし、全く関わってもいません。彼らがどれくらい、英語で意見を言えるか、またその前に、そもそも英語力がどれくらいあるかも、細かく分析していませんでした。

授業の中で生徒達の様子を見ながら、ここまでできる、これから先は少し勉強がいる、という部分は肌で感じないと授業に活かせないことが分かっているからです。

さて、前回のブログで、”Design for whom?”というレッスンを授業で扱っていたお話はしていました。私たちが使うものは、世界の人口の10%に当たる富裕層向けに設計されている。では、残りの90%の貧困層の人たちも使えるようにするために、どのように品物を設計することが良いことなのか、という問いかけが行われるお話でした。

このお話から膨らませて、”the Giving Tree”という絵本を用いた活動へと発展し、生徒達に英語で意見を言わせる授業を行っているところまでが前回の授業までの内容でした。

昨日行った授業、この内容の発展で、会話の中で自分の意見を、ある話し方のフォームに則って行い、34名パートナーを変えて練習して、その後、何も見ないでフリーで会話をする、という流れに持って行くことにしました。

つまり、プリントを見たり、黒板に板書してあるモデル会話例を見ながらのトークは、会話をするためのトレーニングとして位置づけ、その後、何も見ないでパートナーと会話をすることで、初めて生徒は自分の意見を英語で話す、という形に持って行くように仕向けたのです。

生徒達、フリーのトークで活発に話をし始めました。教室の中で日本語を使っている生徒は誰もいなくなりました。英語で積極的に話をしました。正直申し上げて、ここまでこの活動が盛り上がると予測できていませんでした。というのも、生徒達にそんな英語を話せる力なんてあるのだろうか、という僅かながらの猜疑心が僕の中にあったからだと思います。生徒達に謝りたい気持ちで一杯になりました。

従来の英語の授業では、英語の情報を頭に入れる、というインプット活動が主でした。生徒に英語の知識を教え、生徒はそれを習得することにより、それが生徒の英語力アップに繋がるだろう、という教育的な仮説を持って授業が展開されていく形です。

今求められている英語力、生徒達が卒業後に期待される英語力は、学校で教わる英語の知識を駆使して、「英語で意見を言う・書く=アウトプット活動」というところまで、自分の英語力を昇華させること、だと言われています。

「英語で意見を書く」能力を生徒に身につけさせるには、「英語で意見を書かせる」ことをトレーニングさせないと駄目なのですが、僕は自分が英語のトレーニングを13年続けていて、この結びつきの中に独自の観点を見いだすようになりました。

すなわち、「英語で意見を書く」ことがしたければ、書く練習も確かに大事なのですが、より「書くこと」という行為そのものをスムーズにするために、まずは「英語を書くフォーム(英語のロジック)で、英語を話すこと」をトレーニングした方が良いのではないか、ということです。

たとえば、第二外国語を勉強されてある方はご経験がおありだと思いますが、大学で単位修得の為に二外を履修する場合、「ペーパーではできるけれども、からっきしその言語を話せない」という体験をなさった方は少なからずいらっしゃると思うんです。それって、「言語知識を習得するのは簡単なんだけれど、言語の運用力を上げることは難しい」、ということなのではないか、と僕は考えたからなんです。

僕はここに、生徒のアウトプット力を伸ばすヒントがあるのではないか、とここ5年くらい睨んでいました。それは自分が高校で、英作文を教えていてずっと感じていたこととも繋がっています。英作文の指導を何度やっても生徒は上手く書けるようになるのが困難ですし、なんどインプットのトレーニングを徹底させても、言葉が出てこない。これは何故なんだろう、とずっと考えていました。その時に自分の中に問いが立ったのですが、それは「トレーニングだけをやらせていても、生徒はいつまで経っても英語の運用能力を上げることはできないのではないか」というものでした。自分の言葉や自分の思いがあって、初めてそれが言葉に乗っていく、というのが、人が言葉を話すときに生ずる自然な流れであり、その流れを授業の中で擬似的に何度も繰り返し作り出すことによって、生徒は教材の中により深くテーマや意義を見いだし、言外に伏流する筆者の意図をくみ取る力をつけることができるのではないか、と仮説を立てることができるようになったのです。

前置きが長くなりました。

さて、今回の授業では、擬似的に何度も自分の意見を言う練習をし、最終的にはモデル会話例を離れ、自分の言葉で英語を話すことをやってもらいました。

モデル会話例は毎回板書し、生徒とコーラスリーディングで練習を繰り返し、ある程度しっかりと言えるようにしておきます。次にS+Vと書いてあるところには、自分で文を作って入れてみてね、と言います。

しかし、これだけでは英語が苦手な子ができない可能性がありますので、予めお話に出てくる登場人物の主語を与えて置いて、こちらが文章を作っておき、穴埋め的に、空所に単語やフレーズを入れることによって生徒が英文を言えるようにしておきました。

パートナーを3回替えて、モデル会話例を練習させ、最後にフリーで2名の人と会話をしてもらう様にしました。フリーとは、原稿やモデル会話を見ずに、間違えても良いから、自分の言葉で英語をどんどん話なさい、という指示を与えてのものでした。

このときに一工夫あります。このままでは発信者が詰まったときに英語が出てこない。

そこで聞き手は、発信者が詰まったときに、”You mean (日本語でもOK)?”と言って、「あなたの言いたいことって、こういうことなのかな?」と促してあげてね、と指示を付け加えました。

また、ちょっと意地悪な仕掛けもしておきます。発信者の意見が短すぎて、良く意味が分からないときは、こう言ってもう一回会話を続けてね、と指示します。

“So?  So what? “ これを聞いて、生徒達は笑っていました。

さらに、聞き手は” More information, please.”と言ってあげたり、”English please.”のようにできるだけ頑張って英語で言えるように励ましてあげてね,と指示を付け加えました。

聞き手とのキャッチボールの形でなければ、発信者も聞き手も育たないと僕は考えていて、一方的な意見の垂れ流しに終わるのではなく、聞き手は上手な聞き手として、発話者からできるだけ多くの情報を引き出すことも大事だよ、と話をしました。

ここで、聞き手の態度が問われることになります。発話者の英語がたとえ拙くても、絶対に馬鹿にしてはいけないし、上から目線したり、笑ったりしてはいけないよ、と真剣に生徒に話をしました。

日本人は人の話を聴くときに、上から目線なところがあります。だから誰かが話をしようとすると、薄ら笑いを浮かべたり、小馬鹿にしたような態度で聞こうとする姿勢がある。これはよくない。これでは発話者はミスを恐れ、誹謗中傷から身を守ろうとし、保身的な意見しか言わなくなります。

また、発話者の姿勢も然りです。日本には「てへぺろ」文化があります。発話者がはなからミスをすることを織り込み済みで、薄ら笑いを浮かべながら「もし自分がミスをしても多めに見てね」と甘えの姿勢を示すことが許容されている嫌いがあると僕は思ったのです。これは良くありません。

ここから日本人が持つ悪しき習慣が浮き彫りになるのですが、聞き手も発話者もそれぞれに上記のような構造を持って「意見を言う」という形が身体化されていますので、英語で意見を言おうとするときにも同じ現象が起きます。これではいつまで経っても英語で活発に話をしたり、議論をしたりする流れは組織的に生まれてこない。

ここにその例が書いてありますので、興味のある方は併せてお読み下さい。これは良い記事です。何故日本人が英語が話せないのか、鋭い視点で書いてあります。秀逸なブログだと思います。

さて、生徒に上記の話を短くして、セッションを再開しましたが、生徒達のフリートークは、こちらの想像を遙かに超えた、素晴らしい会話になりました。聞いている僕がビックリするような英語をどんどん使っていたり、豊かなボディランゲージや顔の表情を使って、パートナーに一生懸命英語で意見を言おうとしている生徒の姿を見るのは本当に幸せでした。

そこにあるのは、成績の善し悪しではなく、伝えたいという気持ちと思い、英語を使って会話を楽しみたい、という生徒達の心意気でした。

英語で意見を言うセッションは今月始まったばかりです。こんなに早い段階でフリートークが成立するとは考えていませんでしたので、僕の方がビックリしています。生徒の力って、本当に素晴らしいですね。こちらはペーパーでしか生徒の力を見ようとしませんが、生徒達の今日の活動の様子を見ていると、こちらが引き出していない生徒の潜在能力はとんでもなく高いんだな、と改めて反省しました。

来月、校内でも研究授業をやりたいと思っていますが、これは早い段階でプレゼンやグループセッションに持ち込む可能性が見えてきました。また、生徒達に教材を深く読ませるためのヒントももらった気がしています。

明日5/30(土)に、福大附属若葉高校(福岡市中央区)にて、16時~1830分まで、暁の会for teachersという先生方向けの実践発表勉強会を行います。

前半はSteve Jobsのスピーチを使ったトレーニング授業実践をお話しし、後半は、all in English授業の実践発表、授業の運び方指南、指導案の共有、計画の立て方などのお話をさせていただこうと思っております。

どうなるか心配しておりましたが、おかげさまを持ちまして10名の先生方のご参加をいただいております。先生方と良い学びの時間となるよう、全力投球したいと思っております。

また、暁の会は毎月、博多と京都で定例勉強会を行っていますので、興味がおありの方は暁の会のフェイスブックページをご覧いただき、是非ご参加下さい。心より先生方のご参加、お待ちしております。

更に、暁の会では、これとは別に、英語学習を頑張っている方の為の学習支援の会、暁の会for English Learnersという勉強会も開催しています。第1回目は919日(土)に東京の新宿で予定しています。ご期待下さい。多数の方のご来場、スタッフ一同、心よりお待ち致しております。

尚、暁の会の勉強会の様子は、随時、動画や共有ファイルにて、公開していく予定です。フェイスブックのページをご覧下さい。

ではまた^^

もっとも大いなるもの

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