2015年3月15日日曜日

来年やりたい英語の授業

来年、どんな授業をしようか、と考えています。入試も変わろうとしている、自分が変わるんだ、という気持ちにシフトしてみたけれど、現状の指導法を縁とすれば、何も変わらないまま、のんべんだらりと一年が過ぎ去ってしまう様な気がして怖いんです。


ここ10年くらい思っていることなんですけれど、世に言う「英語の4技能を伸ばす」っていうのは、わけて考えるものではないのではないんじゃないでしょうか。


読み書きの基礎(単語と文法)はある程度きちっとしていないといけないけれど、運用語彙とか認知語彙とかっていうのは、使っていって自然に身に付くものだから、使う状況をできるだけ多く設定しないと、運用できるようにはならないんですよね。


たとえば英作文を指導していて思うんだけれど、生徒たちは当然書けないです。自分に置き換えて考えると、僕は英語を書く時は英語を喋る時の回路で書いている気がするんです。書いてる最中で、書き言葉だから、この単語よりも、こっちの単語を使った方がより状況には近いし、文章も軽くならなくていい、と思って単語を入れ替える作業を頭で秒速でやっている、というだけの話。


話す=書ける、っていうのは繋がっている。なので、speakingを鍛えると、自然に書けるようになるはずだ、と僕は仮説を立てているんです。


生徒に大量の「和文英訳」や「自由英作文」をやらせるけど、できるようになりません。中学生以下の英文を書いてくるなんてザラ。こちらは躍起になって指導奮闘するけれども、それでもこちらが思い描く様な理想には一向に近づく気配もないんです。果ては「生徒に力が無い」という押付けがましい虚無感みたいなもので落着させるのが日常なんだけど、こちらの指導法を変えてみる、というメソッドが残されていることを、忘れてしまうんですよね。


先生になって20年近く経つから、自分としてはここいらで指導法を変えてみても良いのかな、と思ったりもしているんです。入試改革も呼号されてるし。いい機会かな、と思って。


英語の授業の中で、生徒が英語を喋る時間をもっと増やして行くと良いのではないか、と。また教師が生徒に英語で話し続ける時間を増やせば良いのではないか、って。キザな意味じゃなくてね。


英語を喋れる人って、習得するのにそれなりの努力してるから、話している時に、自分は他人よりも英語が使える、っていう鼻持ちならない気持ちで上から目線しちゃうことがあって、気をつけなきゃ行けないんだけど、そうならないように英語を使わないのではなくて、生徒たちに普段から英語を使うことが自然なんだ、と思ってもらうことに、実はヒントが有るんじゃないか、と僕は思ってるんです。


今考えているのは、授業の開始時にペアでスモールトークをすること、その後歌を歌って楽しむこと、さらにトピックについて英語で書いてみて、それを友達と交換して添削しあうこと、さらに新しい発見を友達と話すこと、グループ討論をすること、っていうのを繰り返し、繰り返しやってみたいんですね。それを繰り返すと、ごく自然に英語を英語のまま使えたり、理解したりできるのでは、と思っているんです。


当然、試験もありますから、それに対する対策みたいなのもしないと行けないんだろうけれど、遠回りに見えるアプローチから、入試すらも超えうる英語力が身に付くことの方が大事なんじゃないか、と思っているんです。


もう一つ。


リスニングを鍛える、って話なんですけど、リスニングもね、同じ様な方法でやれないかな、と思ってるんです。ある程度の長さのものを、映像とともに聞く、っていう動作を繰り返し、繰り返しやる。一応スクリプトは与えるんだけど、意味なんかザッと分かればいい、ってことにしておいて、辞書引かない、調べない、ただ聞く、っていう作業を増やすと良いんじゃないか、と思ってるんです。


生徒のレベルも有るから、初めは簡単な短い映像からスタートして、何を言ってるのかを友達と英語でsmall talkして、その内容をノートに書き留めながら、再度聞く、また話す、また聞く、っていう動作を繰り返せないかな、と僕は考えています。


週の中で行くと、あるクラスの授業の週の1回目がトピックについて話したり書いたりする(読解・ライティング)、2回目はトピックに関連する映像をひたすら見て英語を聞きながら友達と話す、3回目はトピックについて各自で調べて来てそれを発表する、4回目にトピックの内容が書かれている入試問題なりを解いて、それに関する自分の意見なりをアウトプットする、っていう方法で授業をやれないか、と思っているんです。


初めは中々力が上がって行かなくてやきもきもするんだろうけれど、そういう自然な形で授業アプローチをとっていくことで、生徒たちの揺るぎない力がつくのではないか、と僕は考えているんです。


だから、英作文の対策、とか、リスニングの対策、とか、項目別に特化した指導ではなく、包括的に4技能を鍛えて行く、っていうか、レベルを上げて行くような授業ができるのではないか、と思っているんです。


時間は掛かるかもしれないんですけど、そういう方法を来年取りたい。どこの学年だろうがどこの所属だろうが、同じ様なことはできると思っていますので、教科書を使って、どんなことができるのかを月末くらいから考えることができたらいいな、と思っています。


今さっき述べた様なことを柱に考えますと、たとえば中学生になら、中学生に向けた4技能授業ができるはずですし、高校生になら高校生に向けた4技能授業ができるはずです。


そこから、現状打破の糸口が見つかりはしまいか、と僕は睨んでいます。


たとえば自答するんですけど、生徒に書かせた物の添削はどうするのか、って話があって、これも色々考えたんですけど、今考えているのは、まずは生徒たち同士に添削をさせあって、生徒たちの文法チェック能力を上げる、っていうのはどうだろうか、と思っているんです。予めガイダンスの必要はあります。「読んで意味が分からない時は、?、って書いてあげて。文法的に意味が分かんない、って所に線を引いてあげて、友達に返してください。」って伝えて、ひたすら生徒間で添削させる。そうすると、自分の文法チェック能力も上がりますし、書く時の注意点も学び合えますよね。


まとまったものを教師が添削するのは、そういう過程を経てからでも良いのではないか、と僕は思います。添削の手間も負担も、こういうことをした後だと、グッと減りますしね。


まとまったものが書けるようになってくると、今度は読解する時の構えや姿勢が変わってくる。実際に自分も書いてるから、筆者の言わんとするところを汲む装置とか回路ができて来て、ああ、なるほど、って、落としどころとか、ピナクルがどれか、ってことがより明確になるんじゃないか、と僕は考えているんです。だって、自分が読んでる時がそうだから。


今までは自分がやったトレーニングを生徒にさせて、同じ様な技術を習得させたい、と思っていました。確かにトレーニングも大事ね。これ、本当に。単語も文法も構文もとても大事。それが土台なので、できないと話にならないから。


でも、来年度は、運用、という話を第一に据えて、授業をしていきます。準備大変そうだけど、まぁいいや笑。面白そうだから是非やってみたい笑。


面白そうなこと、大好き笑。過激にやりたいですね。


ではまた^^




もっとも大いなるもの

単語の綴りを一生懸命練習するけれど、何度も、何度も間違える子がいる。 でも、授業中、何度もうなづきながら説明を聞き、話に耳を傾け、大きな声で歌を歌う。フォニックスの発音を、口を縦横いっぱいに開けて発音する。 oshienと単語テストに書いてきた。oc...