2015年3月28日土曜日

「草枕」読了。

南区にある「坂井歯科」は僕がずっとお世話になっている歯医者さんで、僕の歯の事を誰よりも好く分かってくださってある先生。懇意に通わせて頂いている。十年来の通院でしょうか。


僕はサボリ癖があるもんだから、坂井先生、携帯にお電話を下さって、休むな、早く歯医者に来なさい、と矢の催促。逃げ回ってン数年、とうとう観念しまして笑、去年の下半期中頃から真面目に通院しています。


博多弁丸出しで、余計な事を仰らないとても素敵な先生。笑顔が素敵で、様々に造詣が深く、治療の合間の含嗽の折に、面白い話をしてくださいます。


今日は、大塚ムネトさんという俳優さんが運営なさってある「ギンギラ太陽'S」という劇団の事を教えてくださいました。ト申しますのも、僕が博多座公演「めんたいぴりり」を観に行って、非常に好かった、と興奮気味に語ったのがキッカケでした。


先生と奥様のお二人が僕の治療を仕手くださるのですが、今日は演劇話と博多弁について、話が咲きました。先生の寛い見識に頭が下がる想いがしました。


今日は歯の取り付けを仕手くださるとのことで、前回の治療時に、次回は1時間くらい掛かるから、との旨、告げられていましたので、自宅から「草枕」と「福翁自伝」の二冊を持参していました。


「草枕」は佳境に入っていましたので、治療のト中で、読了しました。読了後の判然としなさ加減は、狐につままれたようなものでしたが、巻末の解説を読み、これが漱石による文壇への批評の念を以て編まれた文である事が分かり、得心しました。なるほどね。


実は三日前に、ジュンク堂にて、漱石の「文学論」という分厚い本を上下二冊購入していました。中には数式の様なものと英文と難しい日本語がビッシリ書いてあり、活字慣れしていない人ですと、頭くらくら、胸がむかむか、としてくるような代物なのですが笑、その内容をパラパラと捲って、何が書いてあるんだろう、と思って少しだけ齧り読んで居たのです。


そこには、小説という藝術はいかなるものなのか、という事が明晰な分析と、知的な論理展開により、複雑且つ詳らかに、漱石流に解析されていました。うわー、なんか、俺、すごいもの、家に連れて来ちゃったなー、と苦笑いしてしまいましたが、致し方あるまい笑。まぁ、もう貰って来たのだから、メンドウをみてやらないと行けない、という訳で、元々、僕は世話焼きだろうし、マァ、何とかなるだろう、と思い、デスクの脇に、ぽんと置きました。


「草枕」の解説の中に、漱石が明治の文壇では「余裕派」と呼ばれており、その当時は一般に大変な人気を博していた所為か、彼の書いた小説は文学的な評価をきちんと受けてはいなかったと書いてありました。アラァ、そうだったんだ、と、僕はそんなことを知らなかったので、驚きました。僕は芭蕉が大変な著名人で、江戸の人気者だった、ということと重ねて、これだけ普く読まれているわけだし、お札の顔にもなるぐらいだから、吃と漱石も其れ相応な評価を受けてしかるべき、と受け止めていたのです。そうではなかったんですね。


その当時の小説家達がフランス文壇の「写実主義」の熱病に冒されて、濛昧的にスタイルや様式を敷いて、模倣以上の何かを作ろうと心血を注いだことに対するアンチテーゼの様な書き方で、漱石は「草枕」を筆した、と解説者の柄谷行人先生は書いて居られます。


その実、「草枕」発表の後、自己弁護的に、この小説の意義と位置づけ、並びに明治の文壇の主流を為す理念や論理風潮を痛烈に批判する意味で、この小説を書いたことが、同解説にて詳らかにされていました。


漱石が東大で行なった講義を「文学論」として文章に纏めたかったのも、彼の作家気質というよりは、日本の文学に根を下ろすものを、西洋の其れに感けて辱めてはいけない、という、学者であり教師であり、古典漢文の素養を全身で表現した表現者である漱石の面目如実と云ったところなのでしょう。うーむ、なんだか難しくなってきた笑。


僕はただの読者なので、あまり小難しいことを考えながら、意義を見いだす為に小説を読む事はバカバカしいな、と思っています。だから、筋を追って、中身に感嘆すればそれでよろしいと思っていますが、漱石は草枕の中で、小説というのは、そういうものなのだよ、と書いてくれていて、僕はとても気持ちが温かくなりました。なんだ、気楽な気持ちで読んで良いんじゃん、って笑。


那美さん、という女性が出て来て、主人公の絵描きと会話をする場面があります。そこで、絵描きの青年男性が小説をチラ読みしているんです。そこで、なんの話を読んでいるのか、と那美さんは尋ねますが、ただ読んでいるだけで、筋なんかどうでも良いんだ、と青年は言い放ちます。小説なんて、所詮そんなもんなんだよ、って。どこから読もうが、良いんだ、って書いています。


じゃあ筋はなくても良いのか、って話に成りますが、それはそうではなくて、その後の漱石の作品が全て草枕的なのか、と云えば、そうではありません。全て緻密に計算された筋で以て話が進行していくものばかりです。


さて、土曜日の朝から読む様な内容ではありませんので、この辺で閉じますが笑、子どもの頃に夢中になって読んだ「坊ちゃん」や「我が輩は猫である」「それから」「こころ」「三四郎」などをもう一度読み返してみたい、と思いました。


子どもの頃に「草枕を読め」だの、「虞美人草が良いから読みなさい」と云われていたら、漱石の本が嫌いになっていたと思います笑。


さて、草枕が終わりましたので、存分に福翁自伝に感けることが出来ます。楽しいです。


皆さん、良い週末を^^


ではまた^^

もっとも大いなるもの

単語の綴りを一生懸命練習するけれど、何度も、何度も間違える子がいる。 でも、授業中、何度もうなづきながら説明を聞き、話に耳を傾け、大きな声で歌を歌う。フォニックスの発音を、口を縦横いっぱいに開けて発音する。 oshienと単語テストに書いてきた。oc...