2015年9月13日日曜日

学校教育TODAYを憂う(先生、頑張れ)

こういう記事を読んだ。
http://dot.asahi.com/wa/2015091000086.html

これは「良い教育モデル」という意味の記事ではなくて、
こういう元気なお母さんもいて良いですね、という意味で良い記事な気がする。

先日、とある東大合格率がかなり高い学校の特集がテレビで話題になっているという記事を読んで、調べてみてみたけれど、番組からは、教養のかけらも感じなかった。あれは教育ではなく、ビジネスでしょう。

それはそれとして。それよりもびっくりしたのは、その学校の成功モデルが本になっていて、その本を読んで感動した、とか、素晴らしい、と絶賛している学校教員が、かなりの数居たことが驚かされた。びっくりした。

その学校の行なっていることと言えば、なんのことはない、世間で良いと思われる様なメソッドを全て投入し、物凄い負担を教師に強いて、生徒達との関係性は数字でしか測れない様な教育活動を行い、管理職の指示や指導通りにできない教師の首を次々と新しくすげ替えて、運営をしているような学校。羨ましいともなんとも思いません。生徒達がかわいそう。

学校は結果を出す所ではなく、結果がついてくるところなのではないでしょうか。僕はそう思う。

知らず知らずのうちに、そういう「熱病」に冒されている人が多い気がする。さらに驚くのは、一般の人ならまだしも、学校の先生の中にそういう人が多いので、とてもびっくりする。教育ってなんなのだろう、と考えたりしないんだろうか。それがとても不思議です。学校の先生がそれでどうするんだ、と思いました。

この国の教育はもはや教育ではなく、我々教員のマインドセットそのものが、ビジネス中心に日々を編む様に再構築されてしまったのだ、と理解して愕然とした。現場の先生がそんなことでどうするんだろう。

なんちゃらメソッドとか、数字をあげれば良い、みたいな安易で安直な思考で日々教壇に立っているなら、それは教育ではなく「営利行為」と変わらない。ビジネスでしょう、それは。

それでいいのかな。僕はそれは絶対違うと思うけれど。

先生、恥ずかしくないのかな、そんなので。

もっとも大いなるもの

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