2015年11月13日金曜日

日本の英語について想う


受験英語に振り回されてるうちは、ダメなんですよね。
それがきちんと理解できないうちは、語学学習が理解出来てないんだな、と僕は思っていますね。でも、誰もそれを指摘も疑いもしないし、疑問も抱いているんだろうけれど、絶対に何かアクションを起こそうとはしない。
「これさえやれば受験はバッチリ!」って逆を返せば、「受験はバッチリでも、これしかできない。」ってことですから。そのロジックのカラクリを誰も暴こうとも、語ろうともしない。面倒だし、直ぐに結果が出ない様に思えて仕方が無いから。
馬鹿げたことだと思いますが、日本の世の中の99%を支配している思想は「受験派英語」。点数さえ取れれば良い、テクニックさえ分かれば良い、というメソッドだらけ。
何を訴えても、何を議論しても、もう何も変わらないから、そういう風に思う同志と一緒に勉強を続けて、少なくとも自分たちが教えている範囲の生徒達には、そういうインチキとか、バッタもんを摑ませたくないな、と必死に動き続けています。
実際に自分がフットワーク軽く動き続けて思うのは、「教師も生徒も、英語を使う時は間違っちゃ行けないんだ」という思考パターンから逃れられないでいる、という循環矛盾なんだと僕はつくづく思います。

先生は、生徒の英文を添削する立場にあるから、生徒も教師も、そこにミスが起こる可能性を許しません。受験で減点もされるし。だから、先生は「生徒の前ではミスをしてはいけない。」と心底思い込んでるので、ますます「生徒の前で英語を話すなんて」という思い込みをいつまで経っても捨てられないし、たとえば教室で話すclassroom Englishのような簡単な英会話のようなところでも、絶対にミスがないように準備をしようとする。そんなこと、毎日忙しいのに、毎日毎日しようと思ってもなかなか出来ない。そういう形骸化はみんな頭良いのですぐに想像がついてしまい、ますます生徒の前で英語を話そうとしなくなる。生徒が先生の前で「ミスをしないように解答しよう」と思っているメンタリティとまったく同じ事を、英語教師自身が、まるで強迫観念のように信じ切っている。対面やプライドを絶対に捨てる流れにはならない。だから自分より英語ができる人(と本人が自己認定した人)に対しては、「いやぁ、私なんてまだまだ。」という言葉でお茶を濁して逃げるし、自分よりも英語ができない人(と、これまた本人が勝手に査定している人)に対しては、「まぁ、私なんてこの程度なんだけれどもね。」という謙遜にも似た自負心を持ち続けて、当面はその人たちに自分のミスや弱点を見抜かれない様にやり過ごしても、なんとか折り合いと対面はつけられる、というポジショニングで安住する事が可能になる。そういう曖昧な自分のメンタリティを許容して仕事を続ければ、波風も立たないし、生徒にも自分にも不利益は被る状況は発生しない、だからそこに安住し続けて、いつの間にか時間だけが恐ろしいスピードで過ぎてしまう、という状態に身を置いてしまう。クールかつスマートに、今の英語教育界の現状を分析すると、そういうことになるのだと思います。幾分乱暴ですが、これが大筋の日本の英語教育界の現状だと僕は分析しています。これは何も中高や小学校に限った事ではない、大学の先生の中に、「俺は大丈夫だな、ははは。」と高い位置(と自分が思い込んでいる)ところから考えている人などは、益々危ない。そして、そういう人が、得てしてすごく良い提言をなさってあったりするから、益々怖い、という。見たくない現実を見ない様にしてるから、こういうことを日常的に考えないだけで、嫌な事に目を向けると、実はこういうことが無意識に毎日起こっているのが現状なのではないか、と僕は思っています。

でも、受験で減点をされることと、語学が上達して行くプロセスやアティテュードって、全く矛盾しているんです。ミスをしながら、少しずつ自分のミスを修正して行く過程で言語習得は高みを目指す様な手順が絶対に必要なのに、受験はその逆。ミスを赦さないから、誰もがミスを怖がる。ミスをしてはいけない、と思い込んでしまっている。だから、いつまで経っても、ムダな議論や討論が止まない。何故日本人は英語が出来る様にならないか、と。構造上、もはや破綻の誹りを免れ得ないのに、そこは変わらないけれど、延々、手前の小手先を弄くり回してる気がする。この10年、目立った成果は、行政からの圧力と、一部の大学側からの提言と、こういう七面倒くさいことを毎日考えて奔走しているごくごく少数で一部の現場の先生方の努力のみなのではないか、と思っています。

世に多数のセミナーや勉強会が跋扈していますけれど、受験や資格試験で点数が取れるというものは活況だと聞きますけれど、英語力そのものを高めよう、というものにはなかなか人が集まらなかったりすることも、自分自身で色々動いてみて実感しました。
このままでは絶対に日本人の英語力は上がらない。なのに、誰もそのことに対して、何かをコミットしようとはしない。
マズいんじゃないか、と思い、とにかく少しでもやる気のある人をその気にさせて、一緒に勉強して行く様にしています。学歴とか資格とかキャリアとか、まったく関係ない。
だって、変わらないから。動かないと何も変わらない。SNSのページにいいねしたり、記事を読んで唸っても、自分の人生も世の中も何も変わらない。
それが分かっているのに、誰も動きたがらないし、動こうともしない。
どうしてなんだろう。
そういう意味では、夢も希望も、もはや抱くこともなくなりました。
動けるごく少数の人をとにかくcaptureし続けて、共に動き続けるしかないです。
まぁ、連日のようにこういうことができるのは、テクノロジーの発達のお陰と、自分が毎晩暇なんだ、という事実があるからなんですよね。
かなしー。いいけどね。

もっとも大いなるもの

単語の綴りを一生懸命練習するけれど、何度も、何度も間違える子がいる。 でも、授業中、何度もうなづきながら説明を聞き、話に耳を傾け、大きな声で歌を歌う。フォニックスの発音を、口を縦横いっぱいに開けて発音する。 oshienと単語テストに書いてきた。oc...