2015年5月31日日曜日

暁の会for Teachers@博多、第二回が無事に終了^^


昨日、暁の会for teachersの二回目を博多で開催させて頂きました。当初8名のご参加予定を戴いていましたが、14名の先生方のご参加を戴きました。また、驚いたのは、公立高校で教鞭をとっておられるネイティブスピーカーのカナダ人の先生も参加してくださったことです。これには、参加者全員驚きました。次回は懇親会も含めて参加するわ、と仰ってくださいました^^


初めの一時間は、スティーブジョブズのスピーチについてお話させて頂きました。
ジョブズのスピーチを何故生徒にさせたいと思ったのか、また教材をどのように作ったか、さらに実際の授業のような形をとりながら、生徒達へ声をかけて行く時のポイント、端折るところと、ピンポイントで指導する所、発音指導の仕方、立体構造トランスクリプトの作り方と効用について、大和言葉とは、などの話をしました。


ジョブズの授業に関しては、僕は二ヶ月半という時間を与えられていましたので、十分にも十二分にも指導をすることが許されていました。


色々な制約がおありな先生方もいらっしゃいますので、スピーチ全体を使う時の注意点や、ここだけを取り上げてやってみてはどうか、というお話もさせていただきました。


この発表で一番気をつけたことは、実際に授業を行う先生方が困ってしまう点は何かに気をつけて、自分が指導をしている時に生徒から出て来た疑問点や、指導の際の細かいポイントなどについてできるだけ丁寧にお話をさせて頂いたつもりです。


生徒が「?」となったときにどうするか、音読の指導の際、どのようなポイントに気をつければ生徒はよく読める様になるか、などの話です。


ジョブズの教材、改めて見返してみると、今考えると、中学三年生でも、トレーニングをやり込んだ後に、フリートークのセッションを何度も持っておけば良かったな、と思うほど、とても良い内容でした。

次のこの教材を使うとすれば、僕は必ずフリートークのセッションを入れて、どんどん生徒に話をさせると思います。読んで教師が感想をそれっぽく伝えて、はい、おしまい、としてしまうには余りにも贅沢すぎる教材でした。


休憩を挟み、次の一時間は、今高校三年生の授業で取り上げている内容を実際に授業形式で行ないました。絵本”The Giving Tree”の教材を何故使っているのか、絵本を用いることによって、生徒達にはどのような効果があるのか、というお話から始めました。



絵本の内容は英語を母語とする幼児に向けて書かれていますので、複雑で難しい英語は出てきません。この内容を要約したり、この題材について英語で話をすることはとても簡単なことなので、生徒達も取り組み易く、英語が出てき易いという仮説に基づいて授業を組み立てています。

実際に授業をやってみますと、その仮説は正しく、また教材そのものに教訓や道徳的な観点が含まれていることが多々あり、解釈を如何様にも拡げることが可能なので、生徒が英語で話をする時に、話が伸びやかになっていくからです。


実際に先生方と朗読をし、絵本の和訳の妙についてもお話をしました。それが終わってから、ペアを作って頂いて、パートナーと英語で意見を言い合うセッションをしていただきました。生徒達向けに行なっているセッションの「話の筋を要約して言う」活動は、時間の都合上割愛させて頂いて、いきなり、My point of view is that S+V~. の文から始めて頂くことにしました。


パートナーを変えるごとに英語がどんどん出てくるご経験をして頂いて、月曜日から即ご自身の授業の中でも簡単にセッションができるようになっていただきたかったからです。


さて、二時間半の予定が三時間になってしまい、会場を貸して戴いた若葉高校にご迷惑をおかけしました。申し訳ありませんでした。

会が終わり、懇親会へと場所を移して、次回の暁の会for Teachers@博多の段取りを打ち合わせ、若い先生方二名にお話をして頂くことにし、僕も一つ宿題を頂戴して、一ヶ月その課題に向けて現場で実践を重ね、その内容をシェアしていこう、というお話をしました。


また、次回の暁の会では、参加されてある先生方に、初めの5分程度、ご自身の今の学校でのご苦労や、ご経験、生徒とこんないいことがあった、こんな失敗をした、などのお話を全員の前でして頂いて、思った事をその場でどんどん言い合うというセッションも設けることにしました。
さらに、6月に京都で行なわれる暁の会へ九州からも一緒に行こう、というお話をさせて頂き、家路へと着きました。


会全体を通して僕が反省させられたことがあります。それは、「参加してくださる先生方が普段抱えて居られる問題にもっと注目して、その先生方が現場ですぐに使えたり、すぐに役立つ様なことをもっとシェアする」というものでした。


僕は特別なことをしているつもりもないし、自分みたいな留学もしてなければ、英語もできない教師がこれをやれるから、他の先生方にシェアをすれば、その先生方の現場でもっとすごいことが起きるに違いない、といつも思っています。これは本気でそう思っています。

ですが、僕が意識をしていなかったり、知らなかったりするだけで、実際にそんなことを思ってきみを見ている人はいないよ、と先輩に指摘を受け、びっくりしてしまったのです。


「きみの資料を見たり、発表を聞いたりすると、内容が濃くて凄まじすぎるから、あの人は特別だからこんなことができるんだ、って思っちゃうんだよ。だから、結局会に参加しても、あんな真似は自分にはできない、って参加された先生方が思っちゃうんじゃないか、と思って。だからさ、ああいうのはああいうのでいいからさ、もっとこう、なんていうか、先生方が、ああ、これなら明日からでもすぐやれそうだな、って思う様な内容とかを増やして行くと、参加してくださる先生方も会に来易いんじゃないかな。」と、先輩の先生方が仰って下さったんです。

これは本当に有り難い言葉でした。僕自身、今やっている実践や過去に取り組んだことに大して、本当に特別なことをしているつもりは毛頭なくて、生徒達を見ていて、その場その場で、あ、今生徒にこんなこと伝えたいな、これ生徒にやってみて欲しいな、って思う事を状況に応じてやっているだけなんです。

だから、たいそうなことをしているつもりもないですし、これ、他の現場でもやれそうですよ、と思いながら情報はシェアするようにしています。


でも、僕が思っていることと、他の方が僕を見ていてくださる観点にはズレがあるんだな、ということが昨日の先輩からのアドバイスで分かりました。ジョハリの窓の「盲点」について思い返していました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%81%AE%E7%AA%93





長くなりましたが、昨日ご参加頂いた先生方、本当に有り難う御座いました。来月は京都であります。京都ではお二人のゲストスピーカーをお招きして、それぞれ一時間ずつ実践発表をして頂きます。また、昼の12:30から夕方18:30までの長丁場ですので、色々なコンテンツを持って、様々な先生方に発表をしていただき、シェアを拡げて行こうと思っています。参加される先生方、どうぞお楽しみに。


暁の会でこういうことをやって欲しい、とか、こういう実践について聞きたい、というリクエストがありましたら、ご遠慮なく暁の会のFacebook ページにお書きいただければ幸いです。ぜひご意見、ご感想、お待ち致しております。よろしくお願い致します。


https://www.facebook.com/Akatsuki.English4?ref=aymt_homepage_panel






昨日の暁の会のレジュメはDropboxに入れて置きますので、詳細はそちらをご覧下さい。


https://www.dropbox.com/s/tm015bhxwolyw9j/%E6%9A%81%E3%81%AE%E4%BC%9Afor%20Teachers%202%E5%9B%9E%E7%9B%AE%E3%80%80%E8%B3%87%E6%96%99%E3%80%805%E6%9C%8830%E6%97%A5%EF%BC%A0%E5%8D%9A%E5%A4%9A.docx?dl=0




また、今回の勉強会はビデオを撮っていますので、撮影した内容について編集をし、暁の会のFacebookページで公開します。参加してくださった先生がビデオを編集してくださるそうなので、近日公開となります。そちらをご覧下さい。



ではまた^^

2015年5月29日金曜日

生徒達がフリートークでどんどん英語で意見を言う流れを授業で作る。


生徒に英語で自分の考えや意見を言うトレーニングを繰り返していますが、ここに来て新境地へと突入し、いよいよ生徒達がフリートークをできるようになってきています。

この流れを作るまで、本当にそんなことができるんだろうか、と不安で一杯で、僕は内心、びびりまくっていました。だから、一昨年にall in Englishで授業をしたときも、失敗したらどうしよう、と怯え、この流れを作るところまでは行ったけれど、ついに発展させることはできずに挫折していたことを記憶しています。

今年受け持っている学年は高三、僕は飛び込みで入った学年ですから、彼らの過去はほぼ知りませんし、全く関わってもいません。彼らがどれくらい、英語で意見を言えるか、またその前に、そもそも英語力がどれくらいあるかも、細かく分析していませんでした。

授業の中で生徒達の様子を見ながら、ここまでできる、これから先は少し勉強がいる、という部分は肌で感じないと授業に活かせないことが分かっているからです。

さて、前回のブログで、”Design for whom?”というレッスンを授業で扱っていたお話はしていました。私たちが使うものは、世界の人口の10%に当たる富裕層向けに設計されている。では、残りの90%の貧困層の人たちも使えるようにするために、どのように品物を設計することが良いことなのか、という問いかけが行われるお話でした。

このお話から膨らませて、”the Giving Tree”という絵本を用いた活動へと発展し、生徒達に英語で意見を言わせる授業を行っているところまでが前回の授業までの内容でした。

昨日行った授業、この内容の発展で、会話の中で自分の意見を、ある話し方のフォームに則って行い、34名パートナーを変えて練習して、その後、何も見ないでフリーで会話をする、という流れに持って行くことにしました。

つまり、プリントを見たり、黒板に板書してあるモデル会話例を見ながらのトークは、会話をするためのトレーニングとして位置づけ、その後、何も見ないでパートナーと会話をすることで、初めて生徒は自分の意見を英語で話す、という形に持って行くように仕向けたのです。

生徒達、フリーのトークで活発に話をし始めました。教室の中で日本語を使っている生徒は誰もいなくなりました。英語で積極的に話をしました。正直申し上げて、ここまでこの活動が盛り上がると予測できていませんでした。というのも、生徒達にそんな英語を話せる力なんてあるのだろうか、という僅かながらの猜疑心が僕の中にあったからだと思います。生徒達に謝りたい気持ちで一杯になりました。

従来の英語の授業では、英語の情報を頭に入れる、というインプット活動が主でした。生徒に英語の知識を教え、生徒はそれを習得することにより、それが生徒の英語力アップに繋がるだろう、という教育的な仮説を持って授業が展開されていく形です。

今求められている英語力、生徒達が卒業後に期待される英語力は、学校で教わる英語の知識を駆使して、「英語で意見を言う・書く=アウトプット活動」というところまで、自分の英語力を昇華させること、だと言われています。

「英語で意見を書く」能力を生徒に身につけさせるには、「英語で意見を書かせる」ことをトレーニングさせないと駄目なのですが、僕は自分が英語のトレーニングを13年続けていて、この結びつきの中に独自の観点を見いだすようになりました。

すなわち、「英語で意見を書く」ことがしたければ、書く練習も確かに大事なのですが、より「書くこと」という行為そのものをスムーズにするために、まずは「英語を書くフォーム(英語のロジック)で、英語を話すこと」をトレーニングした方が良いのではないか、ということです。

たとえば、第二外国語を勉強されてある方はご経験がおありだと思いますが、大学で単位修得の為に二外を履修する場合、「ペーパーではできるけれども、からっきしその言語を話せない」という体験をなさった方は少なからずいらっしゃると思うんです。それって、「言語知識を習得するのは簡単なんだけれど、言語の運用力を上げることは難しい」、ということなのではないか、と僕は考えたからなんです。

僕はここに、生徒のアウトプット力を伸ばすヒントがあるのではないか、とここ5年くらい睨んでいました。それは自分が高校で、英作文を教えていてずっと感じていたこととも繋がっています。英作文の指導を何度やっても生徒は上手く書けるようになるのが困難ですし、なんどインプットのトレーニングを徹底させても、言葉が出てこない。これは何故なんだろう、とずっと考えていました。その時に自分の中に問いが立ったのですが、それは「トレーニングだけをやらせていても、生徒はいつまで経っても英語の運用能力を上げることはできないのではないか」というものでした。自分の言葉や自分の思いがあって、初めてそれが言葉に乗っていく、というのが、人が言葉を話すときに生ずる自然な流れであり、その流れを授業の中で擬似的に何度も繰り返し作り出すことによって、生徒は教材の中により深くテーマや意義を見いだし、言外に伏流する筆者の意図をくみ取る力をつけることができるのではないか、と仮説を立てることができるようになったのです。

前置きが長くなりました。

さて、今回の授業では、擬似的に何度も自分の意見を言う練習をし、最終的にはモデル会話例を離れ、自分の言葉で英語を話すことをやってもらいました。

モデル会話例は毎回板書し、生徒とコーラスリーディングで練習を繰り返し、ある程度しっかりと言えるようにしておきます。次にS+Vと書いてあるところには、自分で文を作って入れてみてね、と言います。

しかし、これだけでは英語が苦手な子ができない可能性がありますので、予めお話に出てくる登場人物の主語を与えて置いて、こちらが文章を作っておき、穴埋め的に、空所に単語やフレーズを入れることによって生徒が英文を言えるようにしておきました。

パートナーを3回替えて、モデル会話例を練習させ、最後にフリーで2名の人と会話をしてもらう様にしました。フリーとは、原稿やモデル会話を見ずに、間違えても良いから、自分の言葉で英語をどんどん話なさい、という指示を与えてのものでした。

このときに一工夫あります。このままでは発信者が詰まったときに英語が出てこない。

そこで聞き手は、発信者が詰まったときに、”You mean (日本語でもOK)?”と言って、「あなたの言いたいことって、こういうことなのかな?」と促してあげてね、と指示を付け加えました。

また、ちょっと意地悪な仕掛けもしておきます。発信者の意見が短すぎて、良く意味が分からないときは、こう言ってもう一回会話を続けてね、と指示します。

“So?  So what? “ これを聞いて、生徒達は笑っていました。

さらに、聞き手は” More information, please.”と言ってあげたり、”English please.”のようにできるだけ頑張って英語で言えるように励ましてあげてね,と指示を付け加えました。

聞き手とのキャッチボールの形でなければ、発信者も聞き手も育たないと僕は考えていて、一方的な意見の垂れ流しに終わるのではなく、聞き手は上手な聞き手として、発話者からできるだけ多くの情報を引き出すことも大事だよ、と話をしました。

ここで、聞き手の態度が問われることになります。発話者の英語がたとえ拙くても、絶対に馬鹿にしてはいけないし、上から目線したり、笑ったりしてはいけないよ、と真剣に生徒に話をしました。

日本人は人の話を聴くときに、上から目線なところがあります。だから誰かが話をしようとすると、薄ら笑いを浮かべたり、小馬鹿にしたような態度で聞こうとする姿勢がある。これはよくない。これでは発話者はミスを恐れ、誹謗中傷から身を守ろうとし、保身的な意見しか言わなくなります。

また、発話者の姿勢も然りです。日本には「てへぺろ」文化があります。発話者がはなからミスをすることを織り込み済みで、薄ら笑いを浮かべながら「もし自分がミスをしても多めに見てね」と甘えの姿勢を示すことが許容されている嫌いがあると僕は思ったのです。これは良くありません。

ここから日本人が持つ悪しき習慣が浮き彫りになるのですが、聞き手も発話者もそれぞれに上記のような構造を持って「意見を言う」という形が身体化されていますので、英語で意見を言おうとするときにも同じ現象が起きます。これではいつまで経っても英語で活発に話をしたり、議論をしたりする流れは組織的に生まれてこない。

ここにその例が書いてありますので、興味のある方は併せてお読み下さい。これは良い記事です。何故日本人が英語が話せないのか、鋭い視点で書いてあります。秀逸なブログだと思います。

さて、生徒に上記の話を短くして、セッションを再開しましたが、生徒達のフリートークは、こちらの想像を遙かに超えた、素晴らしい会話になりました。聞いている僕がビックリするような英語をどんどん使っていたり、豊かなボディランゲージや顔の表情を使って、パートナーに一生懸命英語で意見を言おうとしている生徒の姿を見るのは本当に幸せでした。

そこにあるのは、成績の善し悪しではなく、伝えたいという気持ちと思い、英語を使って会話を楽しみたい、という生徒達の心意気でした。

英語で意見を言うセッションは今月始まったばかりです。こんなに早い段階でフリートークが成立するとは考えていませんでしたので、僕の方がビックリしています。生徒の力って、本当に素晴らしいですね。こちらはペーパーでしか生徒の力を見ようとしませんが、生徒達の今日の活動の様子を見ていると、こちらが引き出していない生徒の潜在能力はとんでもなく高いんだな、と改めて反省しました。

来月、校内でも研究授業をやりたいと思っていますが、これは早い段階でプレゼンやグループセッションに持ち込む可能性が見えてきました。また、生徒達に教材を深く読ませるためのヒントももらった気がしています。

明日5/30(土)に、福大附属若葉高校(福岡市中央区)にて、16時~1830分まで、暁の会for teachersという先生方向けの実践発表勉強会を行います。

前半はSteve Jobsのスピーチを使ったトレーニング授業実践をお話しし、後半は、all in English授業の実践発表、授業の運び方指南、指導案の共有、計画の立て方などのお話をさせていただこうと思っております。

どうなるか心配しておりましたが、おかげさまを持ちまして10名の先生方のご参加をいただいております。先生方と良い学びの時間となるよう、全力投球したいと思っております。

また、暁の会は毎月、博多と京都で定例勉強会を行っていますので、興味がおありの方は暁の会のフェイスブックページをご覧いただき、是非ご参加下さい。心より先生方のご参加、お待ちしております。

更に、暁の会では、これとは別に、英語学習を頑張っている方の為の学習支援の会、暁の会for English Learnersという勉強会も開催しています。第1回目は919日(土)に東京の新宿で予定しています。ご期待下さい。多数の方のご来場、スタッフ一同、心よりお待ち致しております。

尚、暁の会の勉強会の様子は、随時、動画や共有ファイルにて、公開していく予定です。フェイスブックのページをご覧下さい。

ではまた^^

2015年5月26日火曜日

教材の内容を膨らませて、子供達の心を揺さぶる。

教科書のLesson の中に、”Design for whom?”というレッスンがありました。これは中々捨て難い内容で、テストをして、はい、おしまい、としてしまうには、あまりにも勿体ないほど、気付きや深い含意を含んでいる、と僕は考えていました。




試験が終わり、子供達は中間考査の結果が気になる所だとは思いましたが、今日の授業では敢えて答案返却をせず、このLessonを通して、より深く学べることはないかを、身体で感じて欲しい、と思い立ち、授業をすることにしました。


先ずはReview(復習)と題打って授業を始め、レッスンを音読しながら、筆者の言いたいことは何だったのか、大切だ!と思う所に赤ペンでチェックを入れながら音読をするように指示を出しました。


次に、自分が音読をした内容を、日本語で友達とシェアします。「自分が思うに、著者が言いたかったことってこういうことなんじゃないか。」と友達同士で話をしてもらいました。




その後、今度は英語でその内容を言ってもらう様にしました。英語で言う際に、自由に言え、では無責任ですので、こういう風な言い方をして、SVのところは、教科書の英文をそのまま入れて言ってみると言い易いですよね、と促して活動を行いました。




生徒達はさすがは高校三年生、僕の板書の英文に自分なりの身振り手振りや、簡単な言葉を付け加えて楽しそうに英語を話していました。




その後、人に何かをしているときに、私たちは知らず知らずのうちに上から目線になっていることはないだろうか、という問いかけをしました。

ボランティアとひとくちに言っても、ボランティアをする相手を本当に一人の人間として尊重できているだろうか、僕らは上から目線で、つい「してあげている」という気持ちになっていることはないだろうか、と生徒に問いかけました。




その後、僕のエピソードを話しました。大学生の頃、部活に全盲の女の先輩がいたんです。その先輩と会話をしている時に、「あたし、こないだ、彼氏と映画を見に行ってさ。」と楽しそうにデートの話をしてくれる女の先輩に対して、「えっ?」と思う自分がいました。僕はその先輩の事を一人の部員として、先輩として自然に接しているつもりでいましたが、次の瞬間、あ、自分はこの人のことを下に見ている、と、上から目線になっている自分が恥ずかしくなりました。


目の見えない人に彼氏なんかできるわけじゃないか、という傲慢で勝手な思い込み。差別です。次に、目が見えない人が映画なんか見られるわけないじゃないか、という決めつけ。


自分のことが恥ずかしくなったんだよね、と生徒に語りかけました。たとえばホームレス支援をする際、ホームレスの方々に衣類などの提供をする際、自分が要らなくなったものをあげてはいないだろうか、と生徒に問いかけました。自分が人から使い古しの下着やシャツをもらった時、くれた人に対して、ありがとう、って心から言えるだろうか、まず心に思うのは、新品のシャツじゃないのか、っていう気持ちなんじゃないだろうか、と生徒に伝えました。




僕らは誰かに何かをしてあげるとき、知らず知らずのうちに、上から目線になっていやしないか。このlessonを通して、筆者はそんな人間の根源的な習性を諌める気持ちもあったのではないか、と生徒に問いかけ、持って行った教材を配り、生徒と一緒に群読しました。
https://www.youtube.com/watch?v=7U_MgwcVWoQ
Once there was a tree....
and she loved a little boy.
And everyday the boy would come
and he would gather her leaves
and make them into crowns
and play king of the forest.
He would climb up her trunk
and swing from her branches
and eat apples.
And they would play hide-and-go-seek.
And when he was tired,
he would sleep in her shade.
And the boy loved the tree....
very much.
And the tree was happy.
But time went by.
And the boy grew older.
And the tree was often alone.
Then one day the boy came to the tree
and the tree said, "Come, Boy, come and
climb up my trunk and swing from my
branches and eat apples and play in my
shade and be happy."
"I am too big to climb and play" said
the boy.
"I want to buy things and have fun.
I want some money?"
"I'm sorry," said the tree, "but I
have no money.
I have only leaves and apples.
Take my apples, Boy, and sell them in
the city. Then you will have money and
you will be happy."
And so the boy climbed up the
tree and gathered her apples
and carried them away.
And the tree was happy.
But the boy stayed away for a long time....
and the tree was sad.
And then one day the boy came back
and the tree shook with joy
and she said, "Come, Boy, climb up my trunk
and swing from my branches and be happy."
"I am too busy to climb trees," said the boy.
"I want a house to keep me warm," he said.
"I want a wife and I want children,
and so I need a house.
Can you give me a house ?"
" I have no house," said the tree.
"The forest is my house,
but you may cut off
my branches and build a
house. Then you will be happy."

And so the boy cut off her branches
and carried them away
to build his house.
And the tree was happy.
But the boy stayed away for a long time.
And when he came back,
the tree was so happy
she could hardly speak.
"Come, Boy," she whispered,
"come and play."
"I am too old and sad to play,"
said the boy.
"I want a boat that will
take me far away from here.
Can you give me a boat?"
"Cut down my trunk
and make a boat," said the tree.
"Then you can sail away...
and be happy."
And so the boy cut down her trunk
and made a boat and sailed away.
And the tree was happy
... but not really.

And after a long time
the boy came back again.
"I am sorry, Boy,"
said the tree," but I have nothing
left to give you -
My apples are gone."
"My teeth are too weak
for apples," said the boy.
"My branches are gone,"
said the tree. " You
cannot swing on them - "
"I am too old to swing
on branches," said the boy.
"My trunk is gone, " said the tree.
"You cannot climb - "
"I am too tired to climb" said the boy.
"I am sorry," sighed the tree.
"I wish that I could give you something....
but I have nothing left.
I am just an old stump.
I am sorry...."
"I don't need very much now," said the boy.
"just a quiet place to sit and rest.
I am very tired."
"Well," said the tree, straightening
herself up as much as she could,
"well, an old stump is good for sitting and resting
Come, Boy, sit down. Sit down and rest."
And the boy did.
And the tree was happy.



大きな木、というタイトルの絵本です。日本でも大変有名で、幼稚園、保育所、小学校になら、どこにでも置いています。この本はどんな解釈をすることもできます。生徒達にlessonを通して学んだことを、この絵本の英文を通して昇華して欲しかったのです。


誰かに無償の愛を注ぐことは意外にも難しい。でも、そのことを分かっている自分と分からないままの自分とでは、何かが大きく違うんだよね、と生徒と共に学びを深めました。


教科書のレッスンを使いながら、生徒達と共に、言外に語られることを洞察を持って見つめること、それこそが読解力を深める鍵を含んでいるのではないか、と僕は考えました。


通常であれば、教科書の解説をし、Q&Aなどをして、Exerciseを解いて、テストを受け、はい、おしまい、となるのが英語の授業なのでしょうが、それで終えてしまうには、あまりにも勿体なく、深いメッセージを読み取ることができる内容でした。


副教材的に絵本を取り入れるとき、どのタイミングでどんな内容のお話を持って来て、生徒達にどんな風に話をしてもらうか、が摑めて来ました。


また、英語でトークのセッションをしてもらうとき、生徒達の英語の会話が活発になるように、どんな投げかけをして、どのように導けばいいかのヒントも、今日の授業に数多く含まれていた気がしています。




今日の授業は心に残る授業でした。明日以降も、生徒達とこの本の解釈を巡り、英語で色々な議論を深めて行きたいと思っています。


良い授業を生徒と一緒に分かち合うことができました。幸せな一日でした。
ではまた^^




2015年5月24日日曜日

暁の会、事務局が精力的に動き出しました^^

教え子、藏谷知世さんが作ってくれた暁の会のロゴ。
おしゃれ過ぎて、鼻血ブーです^^


暁の会(英語教育を子供達の為に考える勉強会・フォーラム)を立ち上げて二ヶ月が過ぎようとしています。


試行錯誤しながら、孤軍奮闘していましたが、神様はいつも見ていてくださり、必要なこと、大切な事を備えて与えてくださいます。


一番最初に教えた教え子の藏谷知世さんという卒業生が、事務局代表の仕事をしてくださることになりました^^


僕は元々事務的な仕事があまり得意ではなく、ポカも多いのです。


情熱や強い信念だけでは仕事が上手く回りません。熱い想いを持って様々な勉強会を企画していましたが、熱い想いを持って動いていると、必ず神様は見ていてくださるもので、お前に必要なサポートを私が与えよう、と仰ってくださる様に、優秀なスタッフを会に与えてくださいました。


この会は非営利の団体なので、交通費や実費、人件費などは一切お支払いすることもできません。


僕が彼女に、もし良ければパートナーになってもらえないか、と頼んだ時に、彼女が言ってくれた言葉がとてもうれしくて。
先生の想い、しかと受け止めました!
もちろん!先生の描く未来、手伝わせてください^^
私も何の見返りも求めません。 ただ、素敵な未来を作るお手伝いがしたい。それだけです。
事務局代表なんて肩書きは大きすぎるので、事務局担当くらいにしてください(笑)」


僕は本当に人に恵まれました。先月から、暁の会に賛同してくれ、勉強会の盛会を祈って、貴重な時間や労力を割いてくださる先生方も少しずつ増え始めました。


僕一人でこんなことはなし得ませんでした。多くの人たちとの関わりを大切にしながら、日本の子供達の為に、自分たちができることを精力的に行って行く勉強会へと群れが成長するよう、関わる全ての方々と団結恊働し、誠心誠意、深い慈愛と愛情と情熱を持って、この会を運営して行こうと固く決意しました。


今後ともどうぞよろしくお願い致します。


暁の会の詳細につきましては、Facebookに暁の会のページが立ち上がっていますので、そちらをご覧下さい。

https://www.facebook.com/Akatsuki.English4?fref=photo


ご質問、お問い合わせに関しましては、

dassenglish73@gmail.com

までご連絡ください。

ではまた^^




2015年5月20日水曜日

暁の会開催の詳細に関するお知らせ。

暁の会(英語授業&トレーニング勉強会)の今後の日程で定まったものについて、告知させて頂きます。
興味がある方、是非お出掛けください。

お申し込みはメールにて、僕の方までご連絡ください。尚、今やっている勉強会には二種類ありますので、ご注意ください。

メールアドレスは dassenglish73@gmail.com です。

暁の会 for teachersは、先生方向けの勉強会です。

英語の先生方が対象ですが、ロングの会の時には、生徒指導実践のシェアや、学級作りのシェア、授業の指導案・授業反省などに関するシェアも行なう予定です。他教科の先生方、管理職の先生方など、英語の授業をされない先生方もお時間が御座いましたら是非ご参加ください。また、教職員を目指している大学生や大学院生、学校をご退職なさった元教職員の方のご参加も歓迎致します。是非お出掛けください。

暁の会 for English learnersは、大学生や、英語を勉強したい社会人向けの勉強会です。

フリースペースや居酒屋にて、久し振りに英語の授業を受け、英語学習のモチベーションアップにつなげたい人、スピーチ教材を使った学習法を学びたい人、きちんとした英語の発音を身につけたい人、聞き取りや話し方のフォームを身につけたい人などを対象に、トレーニングをする勉強会です。英語の勉強のキッカケ作りや、モチベーションアップを求めている人向けの勉強会です。基本的には、立場や性別、年齢やご職業など、一切問いません。どなたでもご参加頂けます。


1. 5/30土、博多と京都で暁の会for teachers同時開催

★「暁の会for teachers in 博多」(英語授業&トレーニング勉強会)
1.日時:5月30日(土曜)16時~18:時30分まで

2.場所:福大附属若葉高校 第二視聴覚教室にて 〒810-0062 福岡市中央区荒戸3-4-62
  ●福岡市市営地下鉄 「姪浜行き」に乗り、大濠公園、で下車。徒歩8分。

3.参加費:0円(無料です)

4.携行品:ノートと筆記用具をご持参下さい。

5.内容:スティーブジョブズのスピーチを使った授業実践、発音指導の実践、絵本を使った授業実践(高三向け)
受験長文読解問題を使った授業実践指導例、など。

6. 懇親会:勉強会終了後、19:00より会場近くの居酒屋で行います。

★「暁の会for teachers  in 京都」(英語授業&トレーニング勉強会)
1・日時 :5月30日(土)
      16:00~18:30
2.場所 :オフィスゴコマチ2階小会議室   〒600-8039京都府京都市下京区御幸町通り四条下ル大寿町402 四条TMビル
http://office-gocomachi.main.jp/access.html
•阪急京都線 河原町駅(10番出口)徒歩約2分   •京都市営バス 四条河原町 徒歩約5分
•京阪電鉄 祇園四条駅 徒歩約5分   •京都市営地下鉄烏丸線 四条駅 徒歩約7分
•阪急京都線 烏丸駅 徒歩約7分  •京都市営地下鉄 東西線市役所前駅 徒歩約13分
•地下道からは10番出口スグ

3.内容 :○マララ・ユスフザイさんのスピーチを使った授業展開
      ○日々の英語トレーニング方法
      ○日々の授業のシェア

4.懇親会:勉強会終了後、19:00より会場近くの居酒屋で行います。


2. 6/27土、京都にて、暁の会for teachers 開催

1・日時 :6月27日(土)
      12:30~18:30
2.場所 :京都市内の公共施設の会議室
     (決まり次第お知らせします)
3.内容 :○英語の発音矯正指導
      ○効果的なシャドーイングトレーニングのやり方指導
      ○スピーチ教材の作り方
      ○絵本を使った授業実践発表
      ○スモールトークによる授業実践発表
      ○二名の講師の先生による実践発表(授業実践発表)

4.懇親会:勉強会終了後、19:00より会場近くの居酒屋で行います。
 →通常の暁の会と違い、ロングバージョンでお届けします。
 →英語教師の為の英語学習法・多読に関して・発音矯正・ロジックなど
 →授業の指導改善のご提案やお互いのシェアの時間を持ち寄ります。

3. 7月は部活動の大会等お忙しい時期なので、ローカルでスモールな勉強会を平日にやります。

★暁の会 for teachers@博多は7/30木の夜18時〜21時を予定しています。
 →ここでは、毎回の発音矯正に加え、エリザベス女王のスピーチ教材を使った丁寧表現について勉強します。
 →リクエストがあった場合は、北米ニュースソースの勉強法についても、ご紹介させて頂きます。

★暁の会 for teachers@京都は、後日アップさせて頂きます。


★暁の会 for English learnersは、大学生の試験期間中を踏まえ、開催致しません。


4. 暁の会 for teachers@熱海 8/1,2の土日、熱海の宿舎にて、泊まり込み合宿勉強会
 →熱海で、暁の会for teachers の勉強合宿をやります。
 →授業研究、シェア、多読に関する話など。
 →英語教師の為の英語学習法の勉強会もやります。
 →絵本や歌を使いながら発音矯正や、トピックについて英語でディスカッションします。
 →夜は古典や漢文などを輪読したりします。
 →参加費などは掛かりません。飲食等の実費と交通費のみです。
5. 9/19土、暁の会for English learners@新宿開催

1. 日時:9月19日(土)19時開始〜21時半くらいまで

2. 場所:新宿の居酒屋の個室にて

3. 内容:
一限目:スティーブジョブズのスピーチの授業
   (発音+構文+音読+シャドーイング)

二限目:目的別シャドーイングの仕方+暗唱の仕方
    ロジックを意識した聞き取りフォームについて
    ロジックを意識した会話フォームについて
      
備考:筆記用具は二色ボールペン

6. 10/10~10/12、会津若松にて、暁の会、開催(詳細は後日アップ致します。)

7.  11/28~30まで、東京にて暁の会、開催(詳細は後日アップ致します。)

8. 12月に博多にて、暁の会の忘年会を計画。→勉強会後に行なう予定です。

2015年5月17日日曜日

毎日5cmだけズラすLIFE

教員仲間のエントリーを読んでいると、励まされる事が多く、また多くの有益な情報を含んでいたりすることばかりで、Facebookの記事を読んでいるだけでも、毎日の自分の仕事に大きな変化を与えてくれる示唆に富んでいて、本当に便利な世の中になりました。


さて、新しい試みや取り組みを読んだとき、自分でもやりたいけれど、どうしても周囲の環境や職場の制約が掛かってできないことも多々あると思います。


新しい取り組みをしようと考えていて、実際の仕事の環境や置かれている立場から、躊躇ったり、二の足を踏んだりすることがあるのが仕事。それは別に世界中どこに行ったって変わらない事だと思います。


たとえば、ネットで良い働きをしていたり、大きな変化を起こしている方の記事を読んだりすると、自分の心の中で「あの人は特別だから」という気持ちがどうしても先攻してしまい、結局、自分は何の変化も起こせない気持ちになって行動を起こせないことがありますよね。


でも、世の中で変化を起こしている人だって、スタートする時は、周囲の人から「無謀極まる。」「狂気の沙汰だ。」「絶対に成功しない。お前には無理だ。」「理想と現実は違う。」「不可能な夢を見る前に自分のやるべき事に集中するべきだ。」と言われ続けていたはずなんです。絶対にそう。


制約がまったくなく、自由な環境で思いっきり自分のやりたいことをやれる人なんて、世の中に5%も居れば良い方で、残りの95%の人が、ものすごい制約の中にいるはずなんです。その中で、燃え立って、一縷の光は見いだせないものか、とあらん限りに知恵を絞って考え抜き、恐れず勇気を持って行動を起こした人だけに、結果として良い変化が起きた、というだけの話だと僕は考えているんです。


だから、世の中が良くなる為には、先ずは自分の事をヒーローと同一視することを止め、上手く行っている人のモチベーションとか、気持ちの部分、笑顔とかをtraceして、結果の部分は自分とは違うわけだから、そこに力点を置かず、自分にできそうなことをノートに書き出して、そこからスタートすることを一人一人が認識して、行動に移すことなんじゃないか、と僕は思っているんです。


上手く行っている人が100m400mも進んでいる、と気後れしている時点で、自分のプライドに負けていると僕は考えています。自分のプライドなんて、安っぽいもの、捨ててしまえば良いんです。そんなもの、持っていたって、誰も褒めてくれませんしね。

自分が100mの変化を起こせなくても良いと僕は思っていて、昨日までの自分のLIFEよりも、5cmでもズレていれば、それだけで、今日生きた意味はあったと思いますし、5cmズラせた自分は、自分の人生の成功者なんだ、と考えています。


多くの人は多くを望み過ぎ、多くを求め過ぎて、結局なんの変化も起こせずに仕事を終える事も多いと僕は思っています。それはとても悲しいことです。これだけ多くの人が、それぞれに素晴らしいアイディアや、素晴らしい御姿勢をお持ちなのに、周囲の目を気にしたり、周囲と諍いを起こしたりして、結局なんの変化も起こせないまま、仕事終えてしまう事は、人類の進歩にとって、大いなる損失だ、と僕は考えています。


仕事で大きな変化を望むとき、僕は大掛かりな事はしませんで、同僚とできるだけ話を絶やさず、どんなことをやっているかを聞く事、また、殊更自分の授業の取り組みを話をしないように心がけています。自分の授業を変えよう、自分の指導スタイルを変えようと思う時、立派な変化を遂げた諸先輩方のアドバイスをしっかりと読み込み、自分にできる事は何かを考え、自分にできることから、毎日少しずつ変えて行けば良いんだと僕は思っています。

その時に大事なことは、「今日やろう。」と思ったことはすぐやることと、「同僚は自分の足を引っ張る人ではなく、自分と共に子供の成長を願う人と思うこと」、さらには、「小さな変化を喜べる自分であり続けること」だと僕は考えています。


明日やろう、は来週やろうになり、来週やろうは、来月やろう、になり、来月やろう、は来年やろう、になってしまい、結局何もやらなかったりします。明日やってみよう、と思うことはすぐにでもやってみることが大事ですね。これは経験則から言えます。自分の情熱の火を消さないことが大事だと思います。


同僚からの反対を恐れることは馬鹿げています。同僚は敵ではない。同僚は、自分と同じ様に生徒を愛し、生徒の成長を願い、生徒の将来を案じて、自分とは異なる意見を持っている人なだけです。それ以上でも以下でもない。自分の希望や望みやこだわりが強すぎると、同僚を敵視してしまう嫌いがあり、それではせっかく子供達の為に自分が抱いている想いは本末転倒してしまいます。同僚は仲間、戦友なのです。喧嘩や諍いを起こすべきではない。同僚に自分と同じことや自分ができることを押し付けたりするべきではない、と僕は強く考えています。


最後に、僕たちはつい大きな変化に心を奪われて、自分たちができる小さな変化を見落としがちです。たとえば、仕事の中で小さな変化を起こすことは簡単にできることです。プリントのフォントの字体を変えること、机の上の整理をすること、授業に行った時にクラスの掲示物を変えてみること、生徒と話す時に一日嫌ごとを一切言わないで過ごすこと、など、考えればできることはいくらでもあります。その小さな変化を夕方振り返り、今日は昨日と違い、こんなことができた、と喜ぶ気持ちを抱きしめることこそ、毎日の仕事にとってとても大切なことだと僕は思っています。


そういう行為の先に、結果として大きな変化がついてくるだけの話で、大きな変化をいきなり起こそうと思っても、それは叶わないことだと思います。


目標や夢を持つことはとても大切なことですが、世に語られる言説を見渡すと、ではそこにいきつくまでに、毎日何をすべきか、ということは、意外や意外、全くと言って良いほど語られることは少ない。。実は、結果の素晴らしさに喜ぶことよりも、自分ができる最小限に注目して、自分が動くことこそが、一等大事なのだ、と僕は考えています。

明日ズラせること、5cmで良いから昨日までの自分と違うことができたら、それだけで、大成功ですよね^^


できることから手をつけていくことを繰り返しながら、変化を楽しんで仕事をしていきたいですよね^^

ではまた^^






2015年5月15日金曜日

テニスについて

テニスを初めてちょうど一年目になる。親しい友人の勧めでテニスをするようになった。
僕が去年から一人暮らしをするようになったので、テニスでも始めたらどうか、という勧めだったと思う。

自分は何かを始めるとき、我流ですることが嫌いなので、先生を探すことから始める。
元々素直な性格なので、友人の勧めもあり、ラフテニススクールというテニススクールに通い始める様になった。

子供の頃から球技は苦手で、球技は本当に嫌でたまらなかった。自分が18年もサッカー部の顧問をしていたのも、子供が好きだから、子供の為にサッカーを教えていただけの話で、もともとサッカーそのものには残念ながら全く興味はない。今は好きになってしまったけれど。

テニスを始める動機はなんだったのか、自分でもよくわからない。憶えていないし、思い出せない。なのに、今は毎日テニスをしない日は一日たりともない。必ず毎日ラケットを握っている。何故だろう。どうしてこんなに一生懸命なのか、自分でもよくわからない。

なのに、毎日コートに立ち、毎日テニスをしている。

勝ちたいというモチベーションもなければ、どなたかを目標に、その人を打ち負かしたいという向上心もまるでない。
ただ、淡々と毎日コートに立ち、淡々と球を打ち、淡々と、今の球筋はどうだったか、ラケットの振り方はどうだったか、フットワークが悪かったのではないか、打点の位置はどうだったか、球に変化をつける事ができていたか、相手のどこにボールを打ち返そうとしていたのか、きちんと意図をもって球を打ち返していたか、など、そんなことばかり考えて毎日テニスをしている。

僕にとってのテニスって、なんなんだろう、と思う事もあるけれど、そんなことをゆっくり考えることもなく、次の日も、また次の日も、コートに立ち、テニスをやり続けている。

僕は苦手だった事にチャレンジしている。やってみて思った事は、意外となんとかなるかも知れないということだ。子供の頃、僕は球技が大の苦手で、球技から逃げ回っていた。自分はインドアガイで、スポーツやアウトドアは向いていないと決めつけていた。幼い頃から、周囲の友人や大人達から、お前は球技は向いていない、お前は球技が下手なんだから、と嘲笑され、馬鹿にされ、自分でも自嘲気味に、薄ら笑いを浮かべて自虐に身をやつしていたと思う。

でも、40歳になってテニスを始めて思ったのは、そんな思い込みや自分の苦手意識、周囲からの言葉によって、自分は球技が苦手なんだ、と決めつけていたんだ、ということ、そして、そんな思い込みを捨て、毎日何も考えずに無心に練習を続けていると、好きこそ物の上手なれで、プロや部活動生並み、とまではいかないけれども、ある程度のレベルに到達する事は可能なのだ、という事だ。

僕は自分自身で、周囲の影響や自分の弱さに感けて、自分は球技ができない、と思い込んでいた。確かに一般男性のレベルから考えると、とてもじゃないけれど、平均的な運動能力はかなり低い方だと思う。

たとえば筋トレは二年半続けているけれども、身体作りというものは、さして大きく患ったり、身体に制限が掛かっていない限り、誰でもやれるし、身体を整えたりすることは可能な事は、自分の身体を使ってみて実験して分かった。

でも、球技というのは違う、と思っていた。球技は才能が全てで、才能がない人はどれだけ練習をやってもダメなんだ、と思っていた。

テニスのプレーを始めてから、そんなことはバカバカしい思い込みだったんだ、と生まれて初めて実感した。40歳を超えても、上達するスポーツがあるんだな、ということが、頭だけではなく、身体感覚を伴って理解できたことが、本当にうれしかった。


いくつになっても、自分の苦手な事は克服できる。球技が苦手だった僕が言うんだから、間違いない。そこに、好き、っていう気持ちがあれば、練習をすること自体がとても楽しいし、自分のプレーが毎日磨かれて行くことが実感出来ると、また明日もテニスをしたい、と思う様になる。

また、プロの試合を真面目に観る様になった。スポーツが苦手だった子供の頃は、家族が野球の中継などを観る事が嫌で仕方がなかった。でも、今は違う。プロの試合を見ながら、どんな風なスイングをしているんだろう、足はどんな風に動かしているんだろう、相手のどこに球を打ち返しているんだろう、ポジショニングをどんな風にとって試合を進めているんだろう、そんなことが気になって仕方がない。そんなことばかり考えながら、Youtubeでプロの試合を何度も観る日々が続く。

学ぶ時に大事な事は、上手な人の真似をすること、そして、学んでいる事を好きで居続ける事、さらに毎日止めないで続ける事だ、とつくづく実感している。本当にそうだから、それ以上もそれ以下もない。

僕は40歳を超えて、学ぶ事の本質を身体感覚で実感出来て、本当に奇跡的に幸せだと思う。親しい友人の勧めがなければ、恐らく僕はテニスなぞ、絶対にすることはなかったと思うし、今でも球技を忌避し続けて、身体を鍛える事ばかりに腐心していたと思う。

人生、長く生きていると、何が起こるか分からないから、面白い。

教職員という仕事を授かり、今年で19年目を数える。学校が来年100周年を迎えるので、100周年にちょうど勤続20年を迎える事になる。
生徒達のことがかわいくて仕方がない。毎日学校に行くのが本当に楽しい。体調が悪くても余程の事がない限り、学校を休みたいと思う事はない。生徒達に会いたいし、たくさん話をしたり、授業をしたり、同僚の先生方と楽しい時間を過ごしたりすることが、なによりも楽しい。

僕はひとりぼっちになり、一人で仙人の様な生活をしているけれども、毎日こんなに充実している自分の幸せを、神様に本当に感謝している。

テニスを通して神様が教えてくださった事を子供達に還元したい。苦手や得意は人が決める事ではない、やろうとする自分が決めること。また、良い先生や、褒めてくれて伸ばしてくれる人が周囲にいると上達が早まる。僕にとってのテニスの先生は、スクールの戸田コーチであり、今昼休みに一緒に練習をしてくれている高校生諸君だ。彼らが僕に接してくれる姿勢の中に、僕が教師として立つ時の学びのヒントが数多く含まれている。そんな風に毎日考えながらコートに立っている。

テニスをするように背中を押してくれた友人に、心から感謝をしたい。本当にうれしく思っている。テニスはおそらく、死ぬまでやめることはないと思うし、これからも可能な限り毎日プレーを続けて行くと思う。

死ぬ時になったら、何故僕がこんなに一生懸命テニスをプレーしているのか、神様が答えをくれるかもしれない。でも、今はその意味がまだ分からない。

2015年5月13日水曜日

第二回暁の会、熱い会になりそう!^^

今夜はうれしい事がとても重なっています。胸が高鳴っています。今月末の勉強会、熱い会にしようと準備の手を休めず、努力を重ねて当日に望もうと帯を締め直しました。

その理由はこうです。5/30(土)の暁の会の勉強会、博多で二回目の勉強会をするのですが、いろんな先生方が来てくださるとのこと、本当にうれしくて仕方がないのです^^


こちらからDMの様な形でお誘いのメールを複数の先生方にお送りしていました。これは諸先輩方からの提言で、会を始めるのならば、広く多くの人に活動内容を知ってもらう必要があろう、それなのに、最初から排他的な姿勢で臨むのは宜しくない、もっと広く門戸を開いて、多くの先生方に勉強の機会を持って頂くような告知ができた方が宜しい、とご教授頂きました。


持つべきものは良き先輩でして、本当にこのアドバイスは若い自分たちには分からなかったことです。バランス感覚を失していたことを深く反省し、先輩のアドバイスを全面的に受け入れて、暁の会(英語の先生方の為の授業と英語トレーニングの勉強会)の方向性を大幅に転換しようと決意しました。


先輩方と接すると、自分たちの未熟さを思い知らされます。情けない。先輩方がいてくださって自分たちが動く事ができる。改めて、自分たちにご指導して下さる兄貴のような諸先輩方に感謝の言葉もありません。この場を借りまして。先輩の先生方、本当にいつもご指導有り難う御座います。先輩方のお陰で、自分たちは間違わずに軌道修正をしながら、会を良いものにしていける心持ちです。重ねまして、本当に感謝をしています。ありがとうございます。

さて、熱そうな先生にメールを送って、勉強会に来ませんか、とお誘いしたら、行こうかどうしようか迷っていた所にお誘いのメールが来ました!といううれしいメールが!


ジョブズのスピーチの構造表をdropboxに貼付けていたら、ちょうど高校生に教えようと思っていたから色々教えてください、というメールを戴き、本当に胸が熱くなったり。


ちょうど申し込みをしようかどうか迷っていたところに、十督先生からメールが!などのうれしい反応の連続で、本当に胸が高鳴りました。


生徒達の為に学びを深めたい、と感じていらっしゃる先生方が数多くいらっしゃるんだな、と思うと、5/30の勉強会、必ず良い物にしなければ、と身が引き締まりました。


同時に、6月に京都で行なわれる第三回の勉強会も濃い物にしたいと思っています。コンテンツ内容は今は明かせませんが、6月の京都の勉強会、かなり濃い内容になる予定。6時間近い長丁場ですが、各コンテンツ、かなり濃い内容で、先生方にお持ち帰り頂く資料も、これまた濃く熱い資料になりそうです。今三分の一の資料ができて来ていて、入念にリハーサルし、打ち合わせを重ねて、ご参加いただく先生方が次の日から生徒さんに発信できる内容の資料を数多く揃えたいと考えています。未発表の音源資料もご準備致します。お楽しみに。


神様に本当に感謝しています。神様に委ね、神様を信じ、神様に祈って今日まで来ました。まだまだ道半ばですが、これからが正念場。会に参加してくださった先生方が生徒さん達にしっかりと還元できるように、準備万端で臨みたいと考えて居ります。


暁の会は、5/30土、福岡と京都で開催です。
6月は28日の土曜日、濃い会を予定して居ります。
ふるってご参加ください。
参加ご希望の方はメールにてお知らせください。

尚、英語教員志望の学生さんにも広く門戸を開いています。
是非ふるってご参加ください。

メールアドレス:dassenglish73@gmail.com

ではまた^^





2015年5月11日月曜日

英国英語に学ぶ

具合悪くて、今日は早退させて頂きました。春風邪に罹患した後、免疫力が低下していた所に食あたりによる極度の下痢に見舞われた為です。病院に行きました。年に二度ほどしか具合は悪くならないのですが、上半期の一回目がこれに当たります。ご迷惑おかけし、申し訳ない気持ちです。

家ですることも特になく、夕方から、日曜日よりTRを始めたエリザベス女王のスピーチの音読とシャドーイングをやって、英文を分析していました。


簡単な不定詞、簡単な分詞構文、簡単な関係代名詞が多用され、誰が聞いても分かり易い英文がこれでもか、これでもか、と繰り返される良文の塊の様な素晴らしいスピーチでした。気品に満ち、自信に溢れ、国民への愛情が溢れる素晴らしいスピーチでした。いずれ構造表を拵えて、自分でTRする用にアレンジしたいと思い立ち、テキストをコピペして、構造表を作っています。生徒に是非聞かせたいし、是非TRさせたい英文です。こういう英文をどんどんトレーニング教材にすべきなのではないか、と思いました。


女王陛下が使う英語は、庶民が使う英語と違うと思っていましたが、極端な差異はなく、平易で分かり易い英語でした。whilstという単語が使われていたり(whileの古い言い方)、My Lords and Members of the House of Commons.という風に政治家に呼びかける以外は、平易な文法内容が多用されました。


例えば、冒頭で述べられる英文です。
To strengthen the economy and provide stability and security,
my ministers will continue to reduce the country’s deficit,
helping to ensure that mortgage and interest rates remain low.

我が国の経済を強化し、安定と安心をもたらす為、
諸大臣は財政赤字の削減に引き続き努め、
ローンの利率を低く保つことを保証するよう働きます。


不定詞の名詞的用法は中高生の基本事項です。continue to do は中学三年生程度であれば、教科書で習っていなくとも理解は容易ですし、
その後のコンマの後に導かれる、,helping ~も簡単な分詞構文です。


この他に特に見られる文法事項としては、助動詞+be + p.p.の形が多用されています。これは、女王陛下からのorderの様な形を取ると命令文が使われるのでしょうけれど、これは文法的には正しいかもしれませんが、聞き手にとっては耳障りの良くない言い口になりますので、女王陛下から暗に、「その結果については、政治家に委ねられているのです」という遠回しな言い方を取り、宴曲表現として相手に行動を促す形を取る為だと考えられます。



Legislation will be introduced to help make the United Kingdom the most attractive place to start, finance and grow a business.

法案が導入されるでしょう、という表現を敢えて用いることにより、誰がするのか、という責任の所在を暗に曖昧にしておきながら、一方でそれを聞いた人がそれに向かってcommitする様に巧妙に英文が編まれている。こんなことを数百年行なって来た英国政治の歴史を、この、助動詞+be+p.p.の形から読み取れずにはおれません。

僕が一等好きだった一節はこれです。

A key priority for my ministers will be to continue to build an economy that rewards those who work hard.

諸大臣の最優先課題は、経済を引き続き立て直す事、それにより、額に汗する人が報いを受ける事ができるようにすることです。

passage全体は、政治家が起草し、それを女王陛下が代表して読む形を取っていますので、細かい法案、例えば住宅ローンの利率を下げる事、賃金の引き上げに関すること、退職金の資金運用に関する事、年金の運用に関する話、教育の機会均等に関して、学校給食の無償化、人身売買の禁止、スコットランド独立機運への牽制、EU問題、ロシアとウクライナの問題、シリア、アフガン、イランの核問題、など、多岐に亘ります。


それらは全て、政治的用語で語られているのが通常なのですが、先に上げた一文は、それら政治的用語に挟まれた唯一の文学的用語だったからです。ここを間に挟む事により、聴衆の心を鷲掴みにし、国民世論を統一させる狙いがある。昔の日本の政治家にも、政治的用語を文学的用語に置き換えるのが上手な政治家が多くいましたが、残念ながら今の日本に、これが巧みにできる政治家は見当たらない様に僕には思えます。


米国の民主党の政治家には、特にこの技術に長けている人が多く見られます。基本的には、共和党も民主党も、スピーチの修辞法に長けていないと米国では政治家は務まりませんが、言論により立つ国民性の強さを、英国議会や米国議会の実際の中に垣間みる気がして、胸が躍りました。政治の妙を感じるのです。


さて、上記のようなことを鑑みると、コミュニケーション能力をもっと上げていくことだけに焦点を絞ると、関係詞、分詞構文、不定詞の大切さを改めて思い知らされたと共に、極端に難解な構文を高校生に教えるよりも、女王陛下のスピーチに出て来る様な平易な文法事項、文法構文を何度も繰り返しトレーニングによって身につけさせ、それを使えるように暗唱させる方が、余程大事なことではないか、と思いました。


難しい英文を理解するのは文献を読む為にはぜひとも必要なのですが、英語を使って話す、意見を言う、意見を書く、という時には、殊更難解な修辞法を多用する事よりも、平易できちんとした構文や関係詞、分詞構文をどんどん使える方が大事で、難解な修辞法の理解は、もっとたくさんの量を読む様になってからでも良いのではないか、と思いました。


その意味で、中学三年生年代から、高校二年生年代に掛けて、特に英語1の時間にやると良いと思いますが、関係詞、不定詞の構文、分詞構文を使った簡単な英作文の多用で、生徒の英語運用力を徹底的に鍛えた方が、最終的に英語でよいプレゼンテーション、良いディベートが行なえるのではないか、と認識を新たにしました。


また、同時に、中学1、2年段階では、毎回の授業で、簡単なQ&Aセッションを行ない、Yes/No QuestionやInformative Questionを相手に瞬時に言え、また聞き手として、それらの質問に瞬時に応えるTRが大量に必要である、と感じました。

その後、腹が痛み出したので、少し箸休めをしようと思い、英国国会の中継映像を見ていました。


デヴィッドキャメロン首相が、国会で議員の質問に応える形です。
英国の首相は、あらゆる議員の代表質問の質疑に立ち、きちんと応える形を取っていました。
時折原稿に目を落としてきちんと述べる面もありましたが、聴衆の目を見ながら、機知に富む発言をきちんと行ない、相手を説得する理由付け、具体例の提示、具体的な数字の提示をきちんと行なっていました。
我が国の国会の様相とは全く異なっていました。我が国の政治家とは全く異なって彼らが見えました。

https://www.youtube.com/watch?v=QF8pM4wiLaY

英国人の政治家のスピーチを真面目に聞き出したのはこれが初めてですが、10年間ほど米国政治家の討論番組を見たり、大統領選を追ったりしていて、英国人政治家の発言を初めて聴いて感じた感想は、米国人の政治家よりも、英国人の政治家の表現の方が、回りくどい言い方をしないな、ということでした。


米国では、様々な考えが交錯しており、一つの発言が意図とは別の視点で受け取られ、政治家はしばしば釈明に追われます。そういう場面が執拗に報道される様は、日本のそれと変わりがありません。



英国の政治を見るのはこれが初めての体験なので、断定的な表現は避けたいのですが、英国の世論や国民性について、揚げ足を取る事もするけれど、ジョークやユーモアで政治家を茶化したり、バカにしたりすることはあっても、討論や議論の現場では、言葉をきちんと選び、回りくどい言い方をせず、きちんと述べる、という行為が、質問をする側にも受ける側にもあらかじめ約束されている、という印象を受けました。


ここに、英国人の物の見方、考え方、議論や討論の進め方の妙を見る気がし、尊敬の念を抱きました。
先日の保守党の勝利もあり、英国政治もこれから注目が続きそうなので、暫く英国議会や政治の妙を楽しみながら、英語のトレーニングを続けて行こうと思いました。

ではまた^^

もっとも大いなるもの

単語の綴りを一生懸命練習するけれど、何度も、何度も間違える子がいる。 でも、授業中、何度もうなづきながら説明を聞き、話に耳を傾け、大きな声で歌を歌う。フォニックスの発音を、口を縦横いっぱいに開けて発音する。 oshienと単語テストに書いてきた。oc...