2016年10月3日月曜日

なに、もっと自由になったらいいじゃない?😀


北陸に住む大学院生とメールのやり取りをしていて、彼の悩みを聞いていました。

いろんなことをやり取りしていましたが、「自分がどういうことについて悩んでいて、それをどんな方に、どんな風に聞いて欲しいのか、自分でもわからないのです。」という一節に深い興味を覚えました。

自分でもわからない、という反応は、とても正しいんだと僕は思っています。人はしばしば、物事の事の起こりと成り行きに決着をつけたがる。そうじゃないと、心が疲れてしまうからです。

白黒はっきりつけやがれ!というのは、心の揺らぎを回避するために、どちらか一方の解釈を採択することにより、安寧を得るために人がする、生きる術なのだと僕は考えています。

人って心に浮かんでくることが変わるだけで、目の前にある出来事は変わらないんですよね。

目の前に起こることを、problemと取るか、what happenedと取るかで、全く解釈が異なる。ただそれだけ。それだけなんです。英語で解釈すると、分かり易くなりますね。日本語で解釈してしまうと、言葉とともに感情とか、心象とかも同期してるから、めんどくさいんですね、感情的に。だから、日本語で考えることを回避しちゃう。いやになっちゃうんです、もろに心が見えてしまうから。向き合うのはしんどい、と解釈してますからね、通常は。

目の前に起こることを、困ったことだと思うと、心はそれを「悩み」と認識するから、悩む。

目の前に起こることを、迷うと、心はそれを「揺らぎ」と思って、気持ちがブレてしまう。

目の前に起こることを、経験したことがない、と取ると、それに対して適応しようとするか、それを拒絶してしまうか(見なかったことにする、っていう手も採用してしまうけど)、になってしまう。

人間は事象に対して、心の解釈によって、ああでもない、こうでもない、と悩んでしまうんですよね。

でも、実際に起こっている事実は、誰の目にとっても正しく起こっているというだけの話で。

例えば、他人の葬式を見て悲しくならないのは、それが自分に関係がないからであり、自分の身内の葬式を他人が見て、他人はそういうつもりはないのに笑顔だったりすると、なんだかばかにされているような心持ちがして腹が立つのは、それが自分の目の前に起こる出来事に対して、自分がきちんとcommitしてるからなんです。

日常に起こることは、事実として変わらない。でも、それをどう解釈するかによって、心は揺らぐ。その揺らぎに耐えうる設計が脳と心に施してあるところに、神の業の心憎さがあります。どうしろって言うんだよぉ、本当によぉ、と身悶えが日常に日々瞬間瞬間で準備されているんです。

一喜一憂は止めること、他人に気に入られることを止めること、自分が本当にやりたいこと、なりたい自分、自分の心のヴォイスに従うこと、評判や批評や、他人の冷たい目や、中傷や冷笑、陰口を無視すること、大事なことですね。人からどう思われているか、なんて気にしていたらいけません。人は人、何を言われようが、どのように見られようが、命まで取られるわけではありません。意外と何とか飄々と生きていけるもんです。ですから、人の目を気にして、傷ついたり、悲しくなったりする自分は、自分自身に酔っているのだと思いましょう。自分に酔うのはよくありません。自分大好きなら良いと思います。酔うと吐きますし、二日酔いします。長引くわけです。やめましょう。誰も幸せになりません。

他人に気に入られることをやめるのは、コミュニケーションのコントロールの権限を手放すことです。人は変えられない。自分が何を思っても、人の気持ちや心を変えることはできないのです。それは受信者が決めることだからです。(受信者の感度の精度については、ここでは言及しません。これ一本でブログがあふれてしまいますので。受信者がツッコミを入れる社会態勢なのが今の日本社会なのだと思います。ただし、誰も受信者の感度やセンシティビティについては何も言及しません。受け手がバカな場合はどうなるのか、という問いを立てません。お客さんを怒らせるようなバカな真似、誰もできないからです、いや、本当に。)

自分の内なるヴォイスに素直になりましょう。自分のやりたいこと、なりたい自分は、今の自分には理解できていない、ということが人生には往々にしてあります。人の目を気にしてると、自分が不幸になるばかりで、何もいいことは自分の人生に起きません。悲しい気持ちや閉塞感ばかりに苛まれて、いいことは一つもありません。そういう不毛な生き方を捨てましょう。

自分がやりたいこと、やりたかったこと、これからやろうと思うことを、心の情念の赴くまま、今すぐやりましょう。自分が幸せになると、周囲にいる人にも同じ思いを伝えたくなる、笑顔をお裾分けしたくなる、そうやって幸せや笑顔の連鎖は生まれます。

バカげた自己陶酔はやめましょう。
寂しがりやの人はペットかぬいぐるみを買いましょう。
悩みの多い人は、ジムで体を動かしてみましょう。
マンネリに陥っている人は、いつもやらないことをやりましょう。違うルートの帰り道で帰るとか、家では薄着で過ごすとか、辛いものを食べるとか、本棚の本を全部捨てるとか、なんでもいいんです。自分が「え?マジで?それやっていいの?」と思うことを大胆に断行しましょう。

歳をとってジムに行く人を「若作り」とバカにする人を無視しましょう。体を動かしましょう。下らない本を読むくらいなら、筋トレを1時間した方が、よほど人生は豊かになります。頭でっかちになっていると人生によいことは起きないばかりか、お腹ばかり出て、筋肉は衰えるので、普段の生活に支障を来します。筋トレしましょう。体を動かすと、連動して、脳の働きも活発になります。

体の働きと頭の働きを整理すると、脳も心もスッキリ。
見えてくる世界もシーンも違えます。

くよくよしている人に元気になっていただきたいと心から願っています。

43歳になりました。僕ももっともっと過激にパンクな生き方を選択し続けます😀

久しぶりに脱線グリッシュを更新して、なんだか、嬉しい気持ちです笑。

10月〜12月まで、勉強会が目白押しなので、ぜひ遊びに来られてください。こちらから、チェックできます😀
https://www.facebook.com/Akatsuki.English4/


もっとも大いなるもの

単語の綴りを一生懸命練習するけれど、何度も、何度も間違える子がいる。 でも、授業中、何度もうなづきながら説明を聞き、話に耳を傾け、大きな声で歌を歌う。フォニックスの発音を、口を縦横いっぱいに開けて発音する。 oshienと単語テストに書いてきた。oc...