2015年7月7日火曜日

ゼロから1へ、そのかなたへ。


ゼロを1にするのと、1を2にするのと、がある。

数値はどちらも1つしか動いていないけれど、ここには大きな差がある。

ゼロを1にするのは、無のものを有にすること。
1を2にするのは、有のものを有+にすること。

僕は多分、ゼロを1にすることをしてるんじゃないか、と思っている。

贋作がどんなに上手くなっても、それはfakeであり、phonyなのだと思う。
田舎の雑貨屋で売られている趣味で書かれた様な絵であっても、
誰かの模倣から脱却し、自ら描き出した絵はauthenticなのだと思う。

僕はゼロを1にすることしか能がない。



でも、1を2にする人とともに働いて、
お互いに持つものを、
4にも7にも11にもしたい。

ゼロは生み出される1のためだけにあるのではなく、その先の17や29の為にあると信じてる。
1は継ぎ足される2のためだけのあるのではなく、もっと向こうの25や48の為にあると信じている。

そして、それらは互いに「素数である」という共通点を忘れ、啀み合うこともあることを忘れない。
「素数だね、結局、俺ら。」という原点に立ち返ることも忘れない。

虚数が素数を侮ることは許されないように、素数が虚数を蔑むことも許されない。
互いに補完関係にあることをいつしか忘れ、数字は啀み合う。

0の宇宙に点在する数字よ、共生せよ。
0の彼方にある未来へ、結合せよ。

もっとも大いなるもの

単語の綴りを一生懸命練習するけれど、何度も、何度も間違える子がいる。 でも、授業中、何度もうなづきながら説明を聞き、話に耳を傾け、大きな声で歌を歌う。フォニックスの発音を、口を縦横いっぱいに開けて発音する。 oshienと単語テストに書いてきた。oc...