2017年11月28日火曜日

3つの驚いたこと


今授業で取り組んでいるのは、生徒が英語をロジカル思考を持って話すことです。これを西山くんととにかく一生懸命に取り組んでいます。

日本語PREPと言う活動を通じて、生徒たちに、母語で論理的に話をする訓練を楽しんでやってもらっています。お題に関しては全英連新潟大会でヒントを頂いたので、それを受けて毎日変えています。

さらに、構文と表現を効果的に混ぜていき、定着を図っていく活動を編み出し、それを毎回の授業で実行できるようになりました。有機的に文法・構文・表現を訓練しながら、speakingを軸に据え、自然な形で英語が身についていくJorden Methodです。これは、敬愛する米原先生のご著書で知った素晴らしい語学習得メソッドです。学校英文法とか入試対策みたいなことが頭を過ぎると、どうしても悩ましく感じるのが、オーガニックアプローチの中に、どのようにしてdrillのような要素を混ぜていくかということ。youtubeにあるJorden Methodの動画を何度も見ながら、米国人がいかにして日本語を身につけていくか、と言う過程の中に大きなヒントを見いだしつつ、今のスタイルに落ち着いている、と言ったところです。
授業で初めてやったのは、aufheben, アウフヘーベン系ロジックのスピーキングドリルです。これまでは、PREPで、point, reason, evidence/example, point の流れで生徒にロジカルに話をするように、と活動を行なっていました。

このaufheben, アウフヘーベンは、Aだ、という主張、そして、それと真っ向から対立する、Bだ、と言う主張の両者の善悪両面を鑑みて、良い面、悪い面をそれぞれ取捨選択しながら、より良い最良の第3案、Cだ、Dだ、Jだ、を編み出していくロジックの1つです。

これを、最初はプライマリーディベートのような手法でスピーキング活動を行なったのちに、構文や単語、表現などのframesを生徒に与えながら、ロジカル面を引き上げていくのです。

持論を展開していくだけではなく、相手の意見を傾聴しながら、自分のそれを融合し、より良き新たなアイディアへと昇華していくコミュニケーションを目指していく、と言う形を授業の活動の中で行うことができました。これは今まで20年の自分のキャリアの中で、初めて生徒に教えたことです。素晴らしい活動になったと思っています。明日も同じクラスで別のトピックで練習していこうと思っています。

最後はびっくりしたこと。
進研総合学力記述模試の結果が返ってきて、データを見ると、過年度比較で、今教えている生徒たちが平均偏差で5ポイント以上も上回っていました。4技能型授業、同時通訳トレーニング、音読トレーニングノートの記録活動、多読、アクティブラーニングを授業の軸に据え、詰め込み教育を一切廃し、授業を楽しく、脳みそをフル回転させ、authenticな教材をフル活用して1年半授業を行ってきた結果が、きちんとした数値として現れたこと、全国の同志や仲間に勇気を届けることができる、と胸が熱くなったのと同時に、若い人たちに、このやり方で結果が確実に出るから、大丈夫だ、と背中を押してやれるな、と嬉しく思いました。


暁の会で、さらにオーガニックアプローチを追求し続けて、authenticな語学学習を子供達のために模索し続けていきたいと思っています。

2017年11月20日月曜日

大収穫の秋、時代は益々変わりつつある今日この頃。

オックスフォード多読セミナー@東京の様子。100名近くの参加があったそうです。
⭐️土日にかけて東京でセミナーを行ってきました。
土曜日は東京の駒込学園中高の視聴覚室をお借りし、暁の会@東京セミナーを行いました。4時間半の長丁場でしたが、普段僕が行っている授業を体験していただき、一つ一つ理論の説明などをしながら、丁寧に細かく理解を深めていただく会の進行を心がけました。今回は、カラー刷りの資料もお配りし、細かくメモをするポイント、特に、SNSなどの投稿や、本を読んだだけではわからない点、例えば生徒は何秒くらいスピーキングに耐えて次の段階に進めるか、などの指導の留意点も都度細かくお伝えできたと思います。

参加者の先生方、みなさん熱い方ばかりで、熱心に真摯に参加され、細かくメモを取りながら、熱心に活動にご参加いただきました。

活動では、段階的にスピーキングのレベルを引き上げていき、最終的には3分間のスピーチを原稿なしで行い、さらにその内容をパッションを込めて行えるようになるまでの指導法を体験していただくこと、教科書の使い方、CLILでの教材提示の仕方、方向性、指導案の作り方(実際に僕が毎回作っている指導案の一部を印刷して資料添付)、プレゼンの作り方、字幕なしでリスニングする法など、多方面に及びました。

英英辞典の活動、同時通訳トレーニング、音読TRノートに関するご質問やご所望が相次ぎましたので、3月のいずれかの土日に、駒込付近に会場をお借りして、またセミナーを開催する予定です。ぜひお運びいただければ、と思っております。

🌟日曜日はオックスフォード多読セミナー@文京学院中高
今日はオックスフォード大学出版局主催の多読セミナーが東京の文京学院中高さんで開催されました。100名近くのご参加があったそうで、しかもご参加された先生方の学校は、雑誌やメディアに載るような名だたる有名私学の先生方も多数、東北や関西からのご参加もあったそうで、会場は熱気ムンムンでした。思えば、2年前は35名の参加からスタートしたこのセミナーも、今では100名超えが当たり前になってきて、しかも、毎回毎回、中高の先生方のご参加が増え続けている状況、日本の学校でも、多読をすることが当たり前の状況になることが僕らの目標の一つでもありますが、これはもはや実現が射程内に入ってきた、と見なしても良いのではなかろうか、と思えてきました。素晴らしいことです。

⭐️ついに!あのグッズデビュー!
ずっと欲しいと思っていたあのグッズ、ついにボーナス一括で購入し、今回の東京行きから使い始めました。

キャリーバッグです。キャスター付きがあれば、たくさんの教材や教具を持って、全国どこにでも行けるのに、と思っていましたが、めんどくさくて買いに行ってませんでした。

今回の東京いき、土日両日ともセミナーをする、ということで、これはもう、一念発起してバッグを買って、普段使ってるものから何から、全部持って行って現物を使って授業をしよう、生徒たちの作品や様子も見てもらおう、ということで、これに詰めていきました。おそらく40kg近くは重さがあったと思います。普段筋トレをしていることが、こんな時に役立つとは思いませんで、階段を持ち運びするのも楽に感じました。

これは便利です。全部持っていけます。実際に使っている道具や教材は、口で説明したり、スライドを見せたりするのも一つですが、百聞は一見に如かずでして、見ていただくのが一番説得力があったりするものです。ですから、今回からバッグに全て詰めていくことにして本当によかったと思います。

これからは多読用の本も大量に詰めて行けるので、多読体験もどんどんしていただけます。

これからも益々精力的に、暁の会の活動を継続して、有機的な活動やつながりを大切にした授業展開のご紹介や伝道活動を行っていきたいと思っています。お楽しみに。

次回は、3月の土日に、東京の駒込駅付近に会場をお借りして、同時通訳トレーニング&音読TRノート、そして、CLIL授業体験型、さらに多読体験型の3本立てでワークショップを開催させていただきます。

おそらく、土曜日の午後、そして、日曜日、という流れになろうかと思います。会場は2会場で行う予定です。ぜひご参加くださいね。

⭐️僕たち暁の会の思い

暁の会立ち上げは、本当に子供達の未来のために自分たちが頑張らないと、子供達に申し訳がない、という済まなさから興っています。僕らは子供達の未来への責任を担う義務がある、と西山くんと思っています。

自分のキャリアのことだけを考えて、逃げ切ろうという気持ちはありません。事なかれ主義でやり過ごそうという気も更々ありません。

子供達が英語を身につけ、高い教養を身につけ、広く寛容な心を持ち、社会の弱者の隣人たる人格形成をし、日本国の明日を担うべく世界で活躍して行けるよう、備えてあげるのが僕らの使命です。

子供達の未来への思いを抱く時、僕らは教育の力を信じたい、そのためにまずは自分ができることからやろう、自分がやれることからどんどんやろう、そんな風に思って、毎日行動しています。

誰のどんな目も気にしていません。子供達の未来のことを考えるばかりです。

このまま何もしないで、行動も起こさず日々をやり過ごせば、日本は諸外国に立ち遅れ、世界の舞台から後退し、大きく遅れを取ってしまい、未来が暗くなります。

諸外国の発展発達は目覚ましい、それは日本のメディア上にはほとんど上がってこない情報です。日本はもう駄目です。このままいけば確実に崖を転げ落ちていきます。

今、教育に熱く燃えたって行動していかなければ、人口減少が続き、経済も縮小しづけ、国の借金は増え続けて、日本は斜陽な国家に成ります。すでにそうなっている、という指摘もありますが。

だから、今、私たち大人が行動しなければいけない、そういう強い危機感を持って、毎日行動しています。

ためらう気持ちや、悩み恐る時間が無駄だと僕は思っていて、焦りばかりが募ります。時間がない、もう残された時間が少なすぎる、そんな風に思って危機感を募らせています。

今教えている子供達が老後を迎えた時、彼らが明るい未来を迎えていられるよう、私たちが今、子供達の未来にコミットし続けなければいけない、と考えています。

子供っぽい、熱い、青臭い文章に読めるかもしれません。
でも、僕らは本気です。

また色々仕掛けて、色々展開していきます。
ぜひ、ご参加ください。ぜひ、共に歩みましょう。

喧嘩や議論や、足の引っ張り合いなど、している暇はありません。分断は協働にとって、邪魔であり、非生産的で無意味です。
集結し、団結して、子供の未来に共にコミットしていこうではありませんか。


2017年10月26日木曜日

子供の潜在能力について

今日の5時間目、西南学院大学法学部の教授の先生方5名がお見えになり、授業見学をしてくださいました。大学の英語の授業デザインについて、模索してあるとのことでした。授業は、グループワーク形式で、読解、要約、スピーキングで発表、ジグソーでスピーチ、までを行い、with a script, on the desk, without a script, natural speechまでの流れをみていただくことができました。

生徒が原稿なしで、表情豊かに教科書の内容をグループで語りかけていく様子を見て、驚嘆してくださり、生徒たちを褒めてくださいました。

とても良い授業になったと思っています。

明日以降の授業では、CLILのタスクで、テクノロジーをデザインする活動を行い、ブレストを繰り返し、ノートPCでググりながら、自分のプレゼンを作り上げていき、英語での発表に磨きをかけ、さらに質問でエッセンスを掘り下げていく活動へと移行していきます。

レッスン終了の仕上げの〆は、TEDの視聴、ブレスト、英語でディスカッションとQ&A、のちにライティング、再度のスピーチ発表、の流れを組みます。

大学の先生方へ説明をしながら生徒の活動を引いた目で見ていると、こんなにスラスラと表情豊かに英語が話せるようになっていて、なおかつ筋道を見失わずに、適切に相手に伝える技能が育っていることに嬉しくなりました。

生徒たちがとても成長していました。こんなに立派になったのか、と思うと、彼らの過去を振り返って、過去に高次元思考型の活動や、協同学習、アクティブラーニング、4技能型の英語授業の実施を恐れていた自分のことがとても恥ずかしくなりました。

できなかったのは生徒ではなく、勇気を出して一歩を踏み出せなかった過去の自分だったんだ、と思い、生徒の潜在能力の高さをますます驚嘆すると共に、どんなことも、やってみれば、生徒はきっとできるんだ、と確信を深めました。

生徒の能力は無限だと思います。
いつでも、何度でも、どこまでも、生徒は伸びていける。

そんなことを思った1日でした。

2017年10月15日日曜日

勝つための条件:ボール競技で試合に勝つってどういうことなのかをぐずぐずと雨模様的に考えてみる。

良い選手が集まり、指揮官の優れた戦術があればチームが勝つほど、ボール競技というのは甘くはない。

ボール競技の試合で勝つには、化学反応が起こらなければいけない。人はそれを、気合いや根性、と言ったり、科学的な分析や微細な相手の情報分析と呼んだり。選手のスカウトが大事だったり、とか。

あるいは、勝つための条件を羅列して、特に優れて突出している要素が際立って見えるから、それを勝つための方程式と言って人が語ることがある。

その良い話に引き摺られて、それを聞いた人がそのメソドロジーを擬えても、同じ結果が得られないという悲しい結果を喰う羽目になることも枚挙に暇がない。

勝敗は白黒がはっきりとしているが、その原因や理由については、これはもう、全てがその原因や理由になりうると言っても過言ではないくらい、複数項目に及んでしまう。

勝つための準備は、考え付く限り、全てやらなければいけないけれど、勝算が期待通りに当たるというのは、素人が行うスポーツ競技においては、なかなか言い当てるのが難しい。

例えば、長時間練習をしたとしても、勝てる保証はどこにもない。けれども一方で、ある程度の練習量をこなさなければ、体力やプレーの感覚や技術が身につかないから、一定の練習量が確保されなければ確実に負けてしまう。(この一文目の「長時間練習」を、技術力の高い選手、とか、監督のカリスマ性、とか、考え付く限り色々なキーワードに当てはめることができる。)

全てにおいて共通する条件としては、「選手はできるだけその競技が上手であることに越したことはない」ということ、「チームの内部にいる人ができるだけそのスポーツに精通しておいた方が良い」ということ、さらに、「チームが、監督、選手、関わるスタッフ全てにおいて、ファミリー化していて、意思疎通の妨げがない人間関係が保たれていることが望ましい」ということ、この3つで、その他の勝算の勘定に入れなければいけない条件は、それこそ選択肢の数だけいくらでも無数に存在しうることになるのだ。

先輩たちは自分たちよりもものすごく上手でうまかったのに勝てなかったけど、自分たちの代は、それほど際立ったエースのような選手もいないし、特にこれと言った特別感がチームにあるわけではないのに、結果がで続けている、ということは、これはもう、本当によくあることなのである。

チームが高校サッカー選手権大会の1回戦を突破し、福岡県でベスト16に勝ち進んだ。とても誇らしい気持ちがする。

勝った勝因は何か。それは勝ったから勝ったのだ、としか言えない。勝つために何をしたか、と言えば、うちのチームが勝ったという事実を裏付けそうな全ての努力や計算を、チーム全体がしていた、、、かもしれない、としか答えようがない。

今日1日を振り返って一つだけはっきりと分かっていることがある。

それは、このチームの勝利によって、僕は今とても興奮して気分が良い、ということである。

2017年10月13日金曜日

Where do we go from here?

生徒が多読をして、随分と色々な本が読めるようになってきたり、授業でスピーチをさせたり、プレゼンを発表させたり、主体的にいろんなことに取り組む仕掛けを作りながら、生徒の様子を見ています。

一方で、ぼんやりと、こんな風に考えたりすることもあるんです。

そもそも、今やっている授業は、生徒の英語のスキルを上げるためにやっているのか、あるいは、英語を使いながら生徒の思考力そのものを磨き上げて高めて行っているのか、どちらなんだろう、あるいは両方なのかしら、と思うんですね。おそらくどっちもなのだと思います。でも、僕も初めて体験することなので、この感覚がとても不思議で、なかなか実感として体で理解できるレベルに至っていないのが正直なところです。

生徒たちは、僕が想像している以上にかなり色々なことが英語でできるようになりました。

語彙、文法や、フレーム(構文)の定着のさせ方が異なっているだけで、fluencyを軸にした活動を授業に据えながら、accuracyを追求していく、という方法論で授業展開をしているだけで、まだまだ道半ばなので結論めいたことを言うのは時期尚早の感を免れませんけれども、そうか、一定方向に負荷を掛けながら集中的に活動を行っていき、不足分が認識された時に、時期と頃合いを見計らって、逆にまた集中的に負荷を掛けたトレーニングを行わせる、と言う活動を仕掛けていくことにこそ、生徒の英語力と思考力を同時に高次元へと導く解があるのだ、と言うことが実感を伴って理解できるようになってきました。

今やっている授業形態の中で補えなかったintensiveなTRは12月から集中的に行いたいと目論んでいて、生徒たちが1年前にやっていた音読TR、同時通訳TRの中の、特に、サイトラ、日本語戻し、英語戻し、を徹底して集中的に取り組ませ、理解のフォームを脳に再構築させてあげたい、と思っています。

どこに向かっていこうとしているのか、僕にもこの先がどうなっていくのか、はっきりとはわからないのですが、一つ、確実に言えることは、今後、生徒たちはいかなる形態の学びのカタチにも柔軟かつ大胆に対応していく姿勢の基盤はすでにできたな、と言うことです。

20年勤めましたけれど、これは初めてのことでして、いやはや、生徒たちがこんな風に英語を話したり書いたり、英語で発表したりできるようになっていて、さらには英語もどんどん読めるようになっている、なおかつ、模試とGTECの成績も伸びていて、詰め込み教育のようなこともほぼやっていない、となると、何だかワクワクしてきます。

面白くなってきたよね、と親友と電話で話しつつ、11月以降の授業展開と生徒の動きも楽しみになってきました。

これから僕らはどこに向かおうとしているんでしょうか。

2017年10月12日木曜日

あなたの声が聴きたい

この写真は、昨日の夜、オンライン英語ディスカッションをしている時の様子を西山くんがスクリーンショットで撮ったものです。

この顔の表情を見てください。

心からの笑顔。素敵な微笑み。

参加者の皆さんの笑顔が自然に溢れる素晴らしい2時間でした。
毎週水曜日の夜は、本当にとても心が温かくなる時間をすごさせていただいています。

暁の会という英語の勉強会を立ち上げて2年と7ヶ月。
オンラインの英語ディスカッションを初めて2年と3ヶ月が過ぎます。

毎週水曜日の夜、21時30分より、1時間〜90分の予定で、フル英語でディスカッションをやっているんです。

このディスカッションを立ち上げた目的は、毎週あそこに行けば、必ず英語で話せる場がある、と言う英語学習のプラットフォームを無料で提供できないか、という思いからでした。

忙しい英語の先生、ビジネスパーソンの方、仕事をしてはいないけれど英語をもっと勉強したい、と思ってある方、さらには学生さん、そういう方々を対象に、英語を話せる場を持ちたいんだよね、と西山くんに持ちかけて始まったのが事の発端でした。

毎週、水曜日の21時半、パソコンの前で一人待ちます。
どなたもお越しにならないことも過去何度もあり、何か自分の不徳の致すところがあるのかもしれない、と一人反省をしながら、でも、どなたかが来るかもしれないと一人でぽつねんと毎週、毎週、待ち続ける日々。

僕は英語を使って、関わる方をハッピーにしたいという人生のミッションがあるので、お節介を焼きたくてこの会をしてるんだ、と思っています。

1年前のある晩、誰もいらっしゃらなくて、ああ、今日は坊主だな、と思いながら、一人で部屋でため息をつきつつ、ビールでも飲むかな、と思って冷蔵庫に向かい、缶を取り出して、グッと一口飲み干しました。

その次の瞬間、参加の通知がなされ、ある女性の方が、先生、遅れて申し訳ございません、今からでも大丈夫ですか、と仰られ、いえいえ、お待ちしておりました、と慌てて準備をし直し、一緒に英語で話し、読み聞かせをし合い、英英辞典を引き合って、会を閉じたこともあります。

その会が終わった後、ぼんやりと、ああ、教育って、こういうことなのかもしれないな、と感じつつ、敬愛する内田樹先生が繰り返しブログやご著書で仰ってある教育の本質は、まさにこういう事の繰り返しなんだよな、と深い実感を伴って、理解が身体化されたことを記憶しています。

教えたい、というお節介があり、習いたいという生徒さんの欲求とその思いが合致し、初めて教育は成立しうる、そんな教育の真髄を、ある日のセッションのやり取りから僕は学びました。

今現在やっているセッションは、全て英語で進めていますので、参加される方も僕も西山くんも、全員が英語で話します。

参加される方の職業や、それぞれの境遇は様々ですので、英語力のレベルはバラバラです。ですから、英語力が一番低くて自信がない方のサポートをする、という設計で、会は進行していきます。

暁の会英語オンラインディスカッションは無料で、どなたでも参加できますが、大切な約束が4つあります。

1 ごめんなさい、Sorryを言わない。
2 PREPで、簡潔に意見を述べる。
3 スピーカーに積極的にヒントを上げる。
4 話している途中でも、カットインして、どんどん意見を言ったり質問をしたりを積極的にする。

謝るのは本当にダメで、謝ることによって、自分はできなくても謝ってるから許してください、という前提ができてしまい、発展性がなくなってしまうんですね。もっとお互いに知り合いたい、関係を作っていきたい、という気持ちを前提にすると、謝ること自体が、その新しい出会いのチャンスを奪ってしまう。謝ると、謝った人が下で、謝られた人が許す上の人、という関係性を黙認してしまうことになるのではないかしら、僕はそんな風に考えて、お互いにごめんなさい、すいません、自分は英語ができません、話せません、自分なってちっぽけなんです、って言い合うことをやめましょうよ、とみなさんと約束することにしたんですね。

PREPで簡潔に、というのは、自分の言いたいことをズバッと言って(Point)、その理由を述べて(Reason)、具体的にそれはどういうことかを自分の身近なことと併せて説明する、という話型を取ることにより、相手に伝わりやすいコニュニケーションをお互いに洗練していきましょうね、という約束事です。話を長くするのは誰でもできるんですけれど、言いたいことを短く切って言うのは、日本人って苦手なんですよね。それをここでは重点的に練習することにより、自分の話をクリアカットにする練習をすることにしています。何を言いたいか、ではなくて、何を言わないか、と言う「間引き」の視点に重点を置く、と言う約束です。

暁の会の英語ディスカッションでは、英検5級レベル(中学1年生から2年生程度の英語)から参加することが可能だ、と僕はお伝えしています。

英語力の高低に関係なく、話に詰まった人、言いたいことが出てこない人を、その場にいる人全員がサポートして、あなたが言いたいことはこう言うことなのかな、あ、言いたい単語はこれ?、うんうん、あなたが言おうとしている意味って、このお話と似てるのかな、なんて言いながらヒントをどんどん出していき、話している人が話をspecifyするお手伝いをすることにより、聞き手としてのスキル、相手の話を高める手助けをすることにより、より高度な情報を共有し、さらには自分のアイディアや考えをさらに発展させる、そのために相手を助ける、これがヒントをあげることの醍醐味です。困っている人を助けてあげるのではないのです。話し手がもどかしい思いをしていることを皆で支えることにより、場のトピックのコンテクストをより高いレベルに引き上げ、より質の高いコミュニケーションを作り上げることを目指すために、この約束は存在しています。

最後の約束はカットインです。相手が話している時にも、どんどん疑問点を聞いたり、自分の意見を相手の意見に付け足したりして、コミュニケーションの質を高めていく手法ですね。これも前述の「ヒントをあげる」に似ている観点ですが、相手の話の質が高まると自分のアイディアや考えがその意見に刺激を受け、より高いレベルへと昇華していく、その効果を最大限引き出すために、思ったことを我慢しないで、どんどん付け足していくことをやっていくんですね。待たない、その場でどんどん付け足していく、それは決して図々しさや厚かましさと言ったレッテルを貼って忌避されるリスニングの姿勢ではなく、相手の意見に付与されていく意見と共にその場のコミュニケーションがより高次元へと高められていくことを目的としているんですね。

この4つの約束の元、個別にペアを組み、トリオ(3人組)になり、時にはクアトロ(4人組)に分かれて、6分間のチャットを英語で行います。その後、また全体の場に戻ってきて、再度組み分け、再び6分間の練習、この流れを3回ほど繰り返し、自分のスピーチを磨く、聞く姿勢を磨く、より良いコミュニケーションを高め合う、と言う3つの観点からトレーニングを行って、全体の場で発表をし、さらにQ&Aのセッションを持って場を終えます。

僭越ながら、最後に、僕が全体へのアドバイスと、次週へ向けたトレーニングのヒント、そして今後の課題をみなさんとシェアしながら、一人ずつの感想をシェアしあって、会を閉じます。

今、過去かつてないほどに会の雰囲気は盛り上がりを見せています。また、職種や英語力レベルのばらけ方が多種多様なのも過去最高かもしれません。

だからこそ、写真の笑顔が自然と醸し出されるのかもしれないね、と西山くんと話しています。

毎週水曜日の夜、英語のディスカッションをオンラインで行っています。無料で参加でき、英語力は英検5級レベルから参加可能です。

詳細に関しては、こちらのページに毎週情報を投稿していますので、ぜひご覧ください。
https://www.facebook.com/Akatsuki.English4/?ref=bookmarks

みなさんのご参加、是非是非お待ちしています☺️

2017年10月5日木曜日

毎週水曜日の夜は「英語でディスカッション」!熱帯夜!


毎週水曜日の夜21時30分から60分から90分程度、無料で英語ディスカッションの会を、オンラインで運営しています。もう2年と3ヶ月くらいになります。

通常は、毎回6名くらいのこじんまりした形でやっているのですが、今日はなんと14名の参加者が集まり、激しく胸が高鳴りました。熱気ムンムン!すんごい楽しかったー!☺️

参加者のみなさんの温かさ、誰も恥をかかないし、誰も何も気にしないで、英語を話せる喜びに満ち溢れてる、そんな時間でしたねー。素晴らしい時間でした。

また来週です。次週はテーマが変わるのかな?楽しみですね。
暁の会の「水曜日オンライン英語ディスカッション」の3つの約束があります。
それは、
1「ごめんなさい」を言うのは禁止
2 スピーカーが詰まったらヒントをあげてサポート
3 話は短く切り上げる。PREPで簡潔に。

この3つの約束があることで、英語力にばらつきがあっても、お互いにサポートしながら、楽しく英語のトークを楽しむことができます。

ここにあるのは、協働。真の意味での友情です。セリヌンティウスとメロスのように、対等の友達関係でありながら、人間の弱さ、脆さを相互に補完しあう学び合いの場なのです。

今日、動画をアップしたのは、会の様子をぜひ見て欲しかったから。
この表情を見てください。生き生きしてる。みんなの姿を本当に見て欲しい。

暁の会は敷居が高いですもんね、
私の英語力はまだまだだから、とても参加できるレベルじゃないです、
僕はもっと勉強してから参加したいと思います。
この3つをよく言われます。

でも、今日来られた参加者の方は、みなさん、英語が苦手、日本語でも整理ができなくて、なんて言えば良いかわからないですよ、と仰りながら、でも来たら誰かと英語話せるかな、少しでも英語使うかな、って思いながら恐る恐るURLをクリックなさったメンバーなんだと思います。

暁の会には会員制度の類のメンバーシップはありません。
その都度、参加したい人が参加するシステムです。
真実は、継続を続けている仲間が確実に力を伸ばして来ている。まさに継続は力を体現する力強い仲間たちですね。

毎週水曜日、21時30分から1時間の予定でやっていますが、いつも終わるのは23時、今日なんて、終了したのは23時40分でした。

2年で、水曜日の夜がこんな群れに成長できたことを誇りに思います。来週も楽しみですね。
みなさま、ぜひお出かけくださいね。
詳しくは、暁の会のFBのページをご覧ください。
https://www.facebook.com/Akatsuki.English4/

2017年9月30日土曜日

魂解放授業

2分間英語を話し続けるというのは、大人にとってみてもなかなか負荷が高いことだと思うんだけれど、一度経験してしまうと、すんなり、ま、そんなもんかと体が慣れてしまうから、人間は度し難い。

5月にマーブルズという英語劇を指導するワークショップに参加して、小口真澄先生という素晴らしい方から直接指導をしていただき、感情を劇にぶつけること、自分のパッションを解放すること、魂のヴォイスに従うことなどを学んだ。ハテ、これを授業にどう活かせばいいのだろうか、と考えていた。そうか、これだよ、と閃いたのがスピーチの授業。

生徒たちは作ってきたスピーチを発表するばかりで、棒読みになってしまうし、語りかけが不自然で、観ていると、授業のためだけにスピーチをやってて、形だけです、って感じに終始しちゃってる。こういうのじゃなくて、もっとこう、子供達が心から、自分の言葉で、自分の英語で友達に語りかけていく現場、作れないかなー、と思っていたら、真澄先生の声が耳元に蘇ってきた。

こんなことをやってみました。
【スピーチに入る前の練習の段階で】
1ペアになった人と、両手で握手。
2ペアになった人(同性同士)ギューっとハグする。

この二つを入れて、いつもの3ステップでスピーチ練習から、その後の本番の流れ。

生徒の声が倍以上にでかくなった。生徒の表情が豊かになった。生徒のスピーチはもはや「朗読」ではなくて、語りかけに変わった。伝えたい気持ち、聞いている人たちへの愛。情熱と愛のスピーチへと変わっていく瞬間。

そうだ、これだよ、待ってたのは!と胸が熱くなる。
僕の視点は英語教育論という枠を超えて、生徒の魂の解放に立ち会う喜びで満たされていく。子供達はもはや、教科、とか勉強とか、授業、とかいう枠すらも意識していない。伝えたい、自分はこんなこと考えたんだけど、どうかな、と一生懸命に聴衆にぶつけていく。たまたま使用言語が英語だった、というだけの話。

かつて、授業はドラマだ、と言った人がいた。僕が若い頃に読んだ英語教育の本に書いてあった。ドラマの主役は誰か、という話。生徒たちは発表の時、誰よりも輝いている。素晴らしい現場だった。

こういう授業をずっとやりたい、やりたい、と願っていた。

生徒たちがグループで教科書を読む、グループで題材を元にプレゼンをする、グループで発表する、グループで記事を読む、ディスカッションをする、スピーチを作る、パッションを持って自分の発表をする、そして、友達と質疑を楽しむ、という流れ。

これが今やってる授業。

こういう授業をしていると、例えば科学者がTEDでスピーチをするような素材を授業で扱っても、30分近くあるスピーチを誰も眠ったりせずに、熱心にメモを取って聞く。そしてその内容について、友達と熱く議論をする。議論は「スピーチの中身はこうだった」というチャチな確認作業ではなく、スピーチを聞いて、揺さぶられたこと、現実に即して考えた時に実用性はあるんだろうか、ということ、自分ならどうするか、という視点を持って聞くこと、などを指示として出しているので、ワイワイガヤガヤとディスカッションが盛り上がってしまう。とても50分では足りないなといつも思いながら、教室を後にする。

CLILも板についているので、授業のタスクを作るのにも慣れてきた。生徒も、自分の意見を英語で発信したり、さらにそれを高度なものに高めるためのフレーム、すなわち文法や語彙のネタをきちんと学習することの大切さも同時に学んでいる。模試の成績やGTECの結果も向上している。言うことはない。

生徒が魂解放の末に、次はどこに向かっていくのか。もっと心を開いて、もっと自由に、もっと想像力の交流をし合いながら、英語で話し、英語で聞き、英語で書き、質の高い英文を読み、脳みそフル回転で心情、感情、知性、論理、倫理、道徳、などの項目全てに刺激ックスな現場を続けていきたい。

追伸:マインドマップの書き方を生徒に教えて、その後、世界にある素敵なマインドマップをカラーコピーして、黒板に貼って、ギャラリーウォークするとマインドマップをどんどん描けるようになります。100均でカラーペンセットが売ってるので、それを複数個買って教室に持ち込めば、どんどん色も使えるようになります。10セットで1000円くらい。ペンを片付けるケース入れたら1100円。もう少しペンを増やしてもいいかなーと思っています。25セットくらいあれば、ペアで1セットできるから、もっと絵が豊かになる気がしています。右脳を鍛えるって、学力向上の観点からとても大事なんですよ。お絵描きなんて思ってると、全然違うんですね、この活動は。

2017年9月27日水曜日

プレゼン&スピーチの授業〜未来のテクノロジーをデザインする生徒たち


原稿なしで英語を言う、って言うプロセスに持ち込む時には、活動に段階があります。暁の会の勉強会で、そのプロセスについて、練習も兼ねて参加者に体験してもらうようにしています。
今日はプレゼン前のスピーチ大会。各々自分が作ってきたプレゼンをグループ内で発表する活動。テーマは"Biomimicry"です。教科書のレッスンがとても良い題材を扱ってくれているので、アクティブラーニング型のタスクを入れやすいですね。とても良い。

やり方と条件は以下の通り。

前提条件
★グループはこちらで指定。
★3人1組にしておいた方が回転率は良くなる。
→グループ制作の時は4、5人が稼働率が上がる。
★英文は、見る→チラ見→自然な英語→情熱英語、の順序が吉。
★準備不足は徹底して檄を飛ばす。

手順
1作ってきたプレゼン内容を2分間立って自主練。
2グループ内でスピーチセッション。以下の手順で。
①with the script
②on the desk
③without the script
④natural speech
⑤passionate speech
これはスクリプトを見ながら練習するもっとも初期の段階です。

作ってきたプレゼン資料を元にスピーキング。これも初期の段階ですね。まだスクリプトを見てますね。聞いてる方が真剣ですね。


































スクリプトは自作で、授業内+予習、で作ってくる。作り込んできたスクリプトを見ながら自主トレで体慣らし。身振り手振りまで入れられたら御の字。大抵は英語を言うことで精一杯。

その後、①のセッション。手に原稿を持っても良いことにする。一人持ち時間は1分。

その後、再度自主トレ2分。今度はon the deskルール。原稿は机の上に置いてチラ見はOK、でも、基本は見ない。練習後、再度グループ内でプレゼン。

さらに自主トレアゲイン。今度は一切原稿を見ない。忘れたり不安になったりしても、とにかくオーディエンスの目を見て一生懸命に訴える、伝える、を重視。

その後、自主トレにて練習。
ラストはナチュラルなトークスタイルでグループ内発表。ここまでが今日の授業でした。最後のセッションでは、必ず一つずつ質問するセクションを設けました。たくさん質問づくりをする時とは違い、スピーチを集中して聞いて、内容について突っ込んだ質問をしなさい、と指示を出しました。日本語交じりでOK,考えを深めるプロセスですね。

次回はパッションを持って、スピリット燃え燃えでスピーチ、良いものをグループで投票、得票率一番のスピーチをグループのテーマにして、グループでのプレゼン作成、その後、グループ発表、の流れで行います。




マインドマップの描き方のレクチャーを動画で見て、実際に美しいマインドマップやダビンチのノートを見せて、描いてもらいました。ペンは100均で僕が買ってきて、グループでシェアしてもらいました。

原稿を作るワークシートです。1学期からPREPの練習はしてるので、英語でかなり書けるようになりました。また、考えの深め方もわかってきているので、オーセンティックマテリアル(生の英語記事素材)を読ませても、どこを読めばいいか、どう言うポイントで読めばいいか、わかってきているみたいです。

クリエイティブな流れとともに、speaking frame やwriting frame は生徒にシェアしながら随時使用させて、英語の質を高めます。また、教科書の内容を都度振り返り。和訳読み+音読+シャドーイング、の流れは変わりません。

全体でプレゼンが終わった後に、レッスンを用いて同時通訳トレーニングに入ります。日本語戻しから入って、その後英語戻し。一つのレッスンでこだわってやっておくと、他に応用が効くので、それを。

こう言う授業形態が普通になってくると、生徒も、英語はある程度読めて当たり前、単語は覚えておくのが当然、表現で使えそうなやつはどんどん仕込む、自分が作ったスピーチやプレゼンに対して責任を持って発表する、と言う姿勢が自然に身につく。同時にグループで動くことが日常的に当たり前になってくるので、他者との交わりを大事にしないと事が先に進まないと言うことも学ぶ。

英語はまずできて当たり前、で、その先は?って話のベースで生徒は戦っていることになるわけです。

すごいなぁ。こんな事ができるようになったんだもんなぁ。生徒の成長の末恐ろしさたるや。いやはや、もうなんと申し上げたらよろしいやら。

授業がとにかく楽しい。生徒たちのクリエイティビティが凄まじい。こう言う授業がやりたかった。とにかく脳みそフル回転な瞬間の連続で、生徒たちはとても忙しい様子です。

★毎週水曜日の夜、英語のディスカッション、やってます(無料です!)毎週水曜日の21時30分から、無料で、英語でのオンラインディスカッションをやっています。

この頃、聴く姿勢、相手を思いやる気持ち、相手を引き出す英語力を皆で意識して活動していますが、これがとても功を奏してか、参加者の英語力向上が凄まじいことになっています。

初めての方も、ぜひご参加くださいね。無料ですし、英語力レベルは一切問いません。

参加者全員のパフォーマンス向上、が会の趣旨です。皆で楽しんで英語を使いましょうね。

今日はこの辺で一つ。

追伸:ブログ更新を再開したら、メールをたくさん頂戴するようになりました。待っていました!先生、続けてくださいね!と温かい声も頂戴し、とても光栄に存じております。昔の脱線グリッシュのように、好き放題に思い切り書きます。脱線しまくりな内容なのですが、それでも元気と情熱は溢れんばかりにみなさんにお届けします。一つ、良しなに、よろしくどうぞー。
石川さん、粟村くん、松木くん、睦美さん、いつもありがとう。

2017年9月26日火曜日

雨にずぶ濡れになりながら、泣きながら電車に乗って、馬鹿野郎、馬鹿野郎、って言いながら泣きながら大雨の中を歩いて帰る

自分らしく生きていくことっていうのは、どういう意味に捉えられているんだろうか、と考えることがあって、それって、自分が誰かの顔を思い浮かべることなく、思い切り自分の心の声に耳を傾けることなんじゃないか、と思うことがますます多くなってきてる。

43歳だから、例えば80歳くらいまで生きられると仮定して(酒とタバコに身を焦がしてる癖にずいぶん厚かましい計算だけども)もう半分も切ってるわけで、これからの人生を思い直した時に、自分が思った通りに生きていかないと、死ぬ時に、ああ、これをやっとけばよかった、あれをやっとけばよかった、と後悔することになるんじゃないか、と怖くて仕方がないのです。

好きなことをやるっていうのは、仕事を自分のやりたい方向性でできるだけ自分の考えたこと、思ったことを実現できる形でやっていく、っていうことで、それは勇気がいるとか、協調性を持つとか、そういうことではなくて、自分がやりたいこと、やりたいからこうしようと思うこと、そして、その仕事を通して、誰かが報われたり救われたりするかもしれないという大いなる勘違いが愛へと昇華され得るんだ、と信じて自分を励ましながら進んでいく、っていうそういう原動力ですよね、それこそが大事だったりするんじゃないかしら、と僕は思ってるんですよね。

誰かのせいにして自分を押し殺してるのって、なんだか身勝手すぎるじゃないですか。自分がやりたいならやれば良いんです。できない、じゃなくて、できるところから動けば良い。動けない理由を自分以外にしてるところが、すでにモラトリアム的だと僕は思うし、人の意見に屈した自分はその人の為になってるんだ、って思うことほど、その他人に対して愛がないことはないんじゃないかと僕は思ったりしています。死ぬ間際に後悔しても遅いと思うんです。

友達と色々話してると、本当にそういう遠回りというか、人の目を気にすることがいかに自分の人生を削り去ってしまうか、ということとか、他人に依存してしまうことによって、自分の人生の後悔やら失敗やらを、誰それさんのせいで自分は、、、なんて少しばかりでも思ってしまって、それはなんだろう、不健康なのではないかしら、と友達と言い合っていて。好きに自由にやるってのは、かといって、わがまま勝手というわけでもなくて、一定の節度というかそれはもうある程度、大人ですから守っていくわけですけれども、そういうことじゃなくて。

世の中がどうすれば幸せになるんだろう、っていう自分なりのセルバンテスが擡げるというか、大いなる勘違い、僕は必要だと思うんですね。人生の合理性を優先するじゃないですか、現代人って。でも、僕は人生の合理性よりも、人生の文学性に掛けたいんです。

合理的に生きても、人生に感動は起きないと僕は思います。

雨にずぶ濡れになりながら、泣きながら電車に乗って、馬鹿野郎、馬鹿野郎、って言いながら泣きながら大雨の中を歩いて帰る、そういう納得のいかなさみたいなものと争う時間、どれくらい人生で持ってるか、で全然違うと思うんですね、感性の磨かれ方とか。

だから、みんな、もっと人目を気にしないで、自分自身に対して賢しらに振る舞うんじゃなくて、もっとこう、なんていうか、熱くグッとくる近藤マッチ的なというか、吉川晃司的な何かがいる気がしてるんですよね、僕は。

そういう泥臭い蒙昧主義的でレトロスペクティブな情熱論が、何かをモビライズしていくんじゃないのかな、と僕は思ってるんです。

スマートな生き方が良い、なんて、僕、全然思えません。
毒持ちましょう、大胆に生きましょう、聞き分けいい人やめましょう。

そう思いながら、若い人からきたメールを読んで考えていました。今日の午後の話です。

2017年9月25日月曜日

The dogs may bark, but the caravan goes on.

日曜日、オックスフォード大学出版局主催の多読セミナーがあり、講師をさせていただく。綺麗な西南学院大学図書館にて。

一夜明けて、今日は朝から待ちに待った生徒たちのプレゼン発表。朝早くからPCとプロジェクターを準備して、バタバタ。生徒たちにも緊張が走る。

概ね、素晴らしい発表だったので、ひとまずホッとして安堵。やっぱり、勇気を出して色々やってるぽく思われるところもあるかもしれないんだけれど、幾つになっても、新しいことをやる時には、それはドキドキしてしまうものです。

生徒のプレゼンを見ながら、全体的に良くできていると思いつつ、どうも自分自身で得心がいかない。こんなもんじゃないのに、という思いが過る。まぁ、初めてやるしね、彼ら、次回がもっといいものになる、って言う、プレゼンづくりの視点が学べたら御の字かなー、と思いながら、焦るな十督、と思いつつ。

プレゼンづくりの授業は以下の通りの設計。番号が13ってなってるけど、だいたい2週間、7コマか8コマくらいでやれます。
初期の頃は、毎回、教科書の音読などは帯活動でやる。
1ジグソーにて内容把握。
2スピーキングで要約内容を発表。原稿なしでできるまで。
3TEDトークを見ながらリスニングとメモ取り。
4マインドマップを書いて、デザインを設計。
5グループにて討議、その後、テーマ決め。
6パソコンでネット検索しながら、発表内容を作り込み。自宅での作業も含める。
7リハーサル。修正。リハーサル。
8本番←イマココ
9リトリートとシャープニング目的でリーディング
10批評的読みとその先。
11グループでのプレゼン内容を修正
12一人で3分の持ち時間でグループのプレゼンをスタンドアップスピーチ
13ライティング

生徒は自分の頭で考える時間と、グループで共同作業しなければいけない時間が長いので、根気が要るのと、ギャラリーウォークで他グループの見学を可能にしてるので、修正のシャープニングの時の視点を磨くことができるんです。

やり始めはなかなか動かないんだけど、期限を切って、いつまでの完成、リハ、仕上げ、と段階を提示すると、俄然やる気が出るみたいで、一生懸命やっていました。

ただ、最終形として、TEDの高校生版みたいな形まで持っていきたいなー、と思ったりしているので、まだまだ英語の中身とプレゼン資料の幼さに関して、僕も我慢してあげて、さらに彼らの活躍を期待したいな、と思っているところです。

脳がフル稼働する状態を作って、英語の授業で頭を使う行為を繰り返すことが大事だと思っています。同時に、マインドマップの書き方も教えて、色を使い、絵を描いて、脳を積極的に解放するように仕向けています。

これが終わったら、中間考査。その後、多読と次のプレゼンに向けた準備です。

英語もプレゼンの時のアティチュードも、まだまだこれから。初めてのプレゼンがこれだった、と言うことで、道半ばですが、十月のプレゼン、十一月のプレゼンが楽しみです。

生徒が音読してる時間は極力、同時通訳をやるようにしていて、僕も生徒たちに負けないようにTRに熱が入っています。

あ、そうか、テストが終わったら、日本語戻しと英語戻しのアクティビティ入れよう。生徒に教えよう。すぐできるだろうし。

2017年9月22日金曜日

追憶の脱線グリッシュrevisited


 そして、またブログを再開するのです。より自由でいる為に。

Facebookもある程度にして、告知とか、写真で近況とかはいいと思う。生きてるよー!的な。でも、毎日毎日更新してた自分を振り返ると、やっぱり滑稽だし、馬鹿げた生活スタイルだよね、と思い直して、思い切って、一日に1回くらいちらっと見て閉じるスタイルに変えてみようと思ってそれを継続してやってます。

あ、ブログあるじゃん、ってそこで思い直して。それでブログ書くことにして。

ブログを久しぶりに再開してみようと思ったのは、SNS依存を治すために、とりあえずインタラクションを避けてみようと思ったからで、SNSをこれ以上続けていても、自分にとって時間の浪費ばかりでいかん、と思い立ったから。

また、文章を自由に書きたい、もっと自由に表現したい、と思ったから。

なぜ色々なことに気を遣って文章を書いたり、いろんな方々とやり取りをしなければ行けないんだろう、と思い立ったのは、SNSは他者との関わりが主たる目的なので(ソーシャルにネットワークを構築するわけですからね)、他者を慮ることが前提で、自分の自由な発想や意見を表現することは許されない。やってもいいけど、それだと怒ったり傷ついたりする人が出てきたり、ってことになっちゃう。だから、500名くらいと繋がると、どうしても当たり障りのないコミュニケーションになってしまう。

それでは自分が自由に意見を言ったり、思ったことを書いたりできないじゃん、って思うのと同時に、そんなやり取りだったら、飲み会とかご飯とか行った時に、ああ、そうですね、あれ面白かったですよ、って言えば、それで十分じゃんね、と思い直して。

ブロゴスフィアの良いところは、ユニラテラルな表現がある一定程度許される所にあり、また、誰が読んでて、どう言う反応をしてくるか、なんて一切気にしなくても良いので(本人が平常心を保っていられるのなら、だけど)「取り扱い不注意」で良い。そこが魅力。読み手もコラムを選ぶ権利があるわけだから、好きな文章だったら購読すれば良いし、気に入らなければ読まなければ良いだけの話だしね。

「いいね」ボタンをデザインしたザッカーバーグはここが強かで、誰でも簡単に評論家気分になったり、一丁前に意見を述べたりしてそれなりにスノッブに振舞っていても誰からも叩かれないし、自分のプライドも満たされるし、その意見にいいねがつけばママに褒められたような気持ちになって承認欲求もそれなりに満たされるから、誰でもやりたくなる。特にリアルな生活で鬱屈気味になっていたりすると、余計ネット依存が強まったりする。僕がそうだったから、これは本当にそうだと思う。

また、表向き、面と向かって人に言えないような過激できな臭い意見でも、ネットは文章化することにより、それなりの正当性を持ちうるからこれまた厄介。うーむ、そんなこと言ったり書いたりしちゃって大丈夫なの、と思うことを、一般的にそれなりの地位や名誉にあったりするような人が臆面もなくどんどん書いたり言ったりするような世の中になってしまった。

それはfreedomではないのだけれど、自由ではあるわけです。それが曲者ね。

競争で勝つ為には常に一番になり続けることが大事なんだけれど、競争に勝つ為の一番の早道は、ルールを作る側に回り続けることなので、こう言うめんど臭さとか、厄介さに打ち勝つ方法は一つ、関わらないことか、自分が胴元に治ることしかない。そうでないと、ルールを作った人に隷属し続けなければいけなくなる。

あー、だから、SNSはROM(読むだけ)が一番健康的だよねー、と僕は思うし、意見を言いたい時は、いいねもコメントもできないブログが一番だな、と思う。めんどくさいことを言ってくる人にいちいち苛立たないし、反応もしなくていいし。どうしても反論なり、感激なりをした人は、メールを送ってきてくださる。それでいいんだと思う。12年前もそうやってたし、また昔に戻ればいいんだな、と思う。僕はそうやって西山哲郎と親友にまでなれたし。何一つ不自由は感じない。

もっと気楽に、気軽にSNSも使えたらそれでいいんだと思う。それこそインスタみたいに、写真だけ載せといて、今こんなですー、って感じで、お互いにコメントもしない、いいねも押さない、それでいいんだと思う。いいね、と思ったら、今度それ、自分とやらないか、って連絡して、リアルでやればいいと思う。

自分が輝いている様子を人に見せることと、他人が輝いている様子を見ることは、同じ行為なんじゃないか、と僕は思っていて、自分はこんなにいけてる人生歩んでますよ、と人に喧伝してくことで、充実してる自分、と言う像を満たしてるだけだし、また、人のリア充にいいねをしたところで、いいなー、羨ましいなー、って羨望するだけで、それは妬みに変わりますもんね、いつか。だから、やっぱりスッキリ、さっぱりがいいような気がするなぁ、と思います。

あー、IECCの大会に出て、東京で過ごして、嵯峨さんと原田くんと飲んで、長いこと関東で過ごしてることが多いですね。大阪も好きなので大阪に帰りたい。明日はゴリラが泊まりにきます。鱧鍋作る予定。
和泉先生の授業受けてから、自分で指導案を毎回作ることにして、授業デザインの醍醐味を楽しむ日々。生徒に読ませる&聞かせる生素材の選定も楽しい。
★近況報告的なアレ★

授業:ジグソーで読解&3ステップリーディング。その後、動画見て内容把握しつつ、自分のアイディア作り、グループディスカッション、発表、一番良いアイディアを選ぶ、それをグループでプレゼンづくり、全体発表みたいな流れで授業してます。クリティカルシンキングまで含めたタスクを模索しつつ、行きつ戻りつ、で。GTECと模試の成績は伸びてたので、宿題出さない、小テストを頻繁にしない、一斉型指導をしない、で相当生徒が変わりました。生徒すごいよなぁ、と思う。こんな風になるんだな、と驚嘆。胸キュン。あるクラスではプレゼンの前に、追い込み、揺さぶりの入れ方がわかってきたので、生徒を揺さぶりながら、より良いプレゼンになるように促していって一定の成功。月曜日の発表が楽しみ。

英語TR:松本道弘先生主催のICEE大会に参加してきた。午前中突破して、午後の六角ディベートで負けちゃいました。その後、松本先生に声をかけていただき、英語を鍛えていただくことになりそう。CNNのアンダーソンクーパーの番組をとにかく毎日欠かさず聴いてるのと、生徒の教科書CROWN2のレッスンを同時通訳してるくらい。英語戻しの教材を探してます。幼ちい日本語からやらないとね。あ、そうか、日本昔ばなしやってみようかな。

本:フォトリーディングでサクサク本をリーディング。読む速度、10年前に比べるとすごく早くて、2、3日に1冊くらいのペースで読む日々。上智大学出版のCLIL三部作とアルクから出てるCLIL本はすごい良かった。英語授業改善を考えてる方、おすすめ。新書は「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか」っていう山口周さんの本が秀逸。良書。図解モチベーション大百科はトイレの暇つぶしと行動再確認のために。Q思考はまだ読み終わってないけど、酔っ払いそうな翻訳と共に。でも中身はとても良いね。松香洋子先生の本をいただいたのでそれも。松香フォニックスの創始者の方。素晴らしい良書。良い本をいただいた。古典は日本永代蔵をぺらぺらと。つか、高橋一也さんとか、石川一郎先生の本とか、読んでないとダメだからね。そんなもん、雑誌のインタビューくらいでしか知らないなんて、ダメよ。

まとめたら色々書いてしまいましたが、12年前にやってた脱線はこんな感じだったので、これからできる限りこっちに書くことにする。
銀座の歩行者天国にて。高級寿司を食べ放題した後に、陽の当たる大通りを散歩してた。楽しく最高の休日。

七月からこっち、心が小気味いい。すごく愉快な人生。

2017年7月20日木曜日

若い英語の先生たちへ:生徒の為に英語を勉強しよう




とある勉強会で、発表を頼まれた時のこと。5年くらい前の話。

「英語の授業で生徒に同時通訳トレーニングをさせることになんの意味があるのか。入試に関係ないことをさせて、生徒を不幸にしているのではないか。」と別の学校の英語の先生に言われ、そういう下らないことをして、自分の趣味に生徒を付き合わせるのはダメなことだ。受験指導をもっと勉強して、趣味に逃げるような仕事の姿勢を早急に変えろ、とアドバイス(だったのかな、どうなんだろう。)を受けたことがあるんです。

この言葉を聞いて、表現を失うほどのショックを受けたと同時に、もうこの勉強会にいても、生徒の為にならないな、という思いが強まったことを思い出します。その後、ほどなくして、その勉強会には二度と行かなくなりました。

英語力を高めて生徒たちの前に立ち続けること。
英語教師として、一番大事なこと。
専門家として、守るべき学びの姿勢。
毎日の英語の勉強、トレーニングを絶対に疎かにしないこと、
教材研究は業務であり、授業の予習は仕事なので、英語の勉強にカウントせず、自ら、英語の勉強に毎日コミットし続けること、この1点こそが、まず生徒の知性に対して敬意を払う最重要事項なのではないか、と僕は思っています。

若い頃の自分は、「生徒にこれを教えても、できないし、わからないから、これはやめておこう。代わりに、簡単にできて、わかりやすいこれにしておこう。」と思って授業を作っていた時代があります。

でも、ある日、他県の先生の素晴らしい授業実践に触れ、僕も自分の生徒たちに素敵な英語体験をさせたい、英語に触れる喜び、外国語を学ぶ喜び、外国語学習を通してみる祖国の文化、祖国の様子を見せたい、そんな風に強く思い立ち、生徒たちに本当の英語力をつけさせる為にどうすれば良いのか、英語教材ではなく、ネイティブが日常触れている英語に生徒も触れさせ、その上で、英語の力をつけて行きながら、英語を通して世界をみる視野を培わせたい、そう信じ始め、「生徒は、これはまだ難しすぎるのでは。」と思う発想を全て捨てました。

代わりに、「できないかもしれない。でもきっと喜んでくれると思う。ただしこの活動だけでは生徒の英語力が全て上がるわけではないから、補完、補強できるように責任を持って鍛えよう、よし、こういう授業をやってみよう。」と勇気を奮い立たせて、生徒に少しでも良いと思う活動や実践を全て授業にぶつけていくことに決めて、毎日実行し続けました。

人の目なんて、評価なんて、評判なんて、全く気になりませんでした。そんなの、後回し、とにかく生徒が身を乗り出してやり続ける活動、継続して力をつけていける方法論を模索し続けました。

同時通訳トレーニング、和訳先渡し、スピーキング活動、グループワーク、ライティング活動、多読、歌の活動、どれもやり始めた当時、全く理解を得られないばかりか、冷ややかな視線を向けられたり、冷笑され、こんなことをしても無意味だ、絶対に失敗する、考え方が甘い、現実を見ていない、生徒は受験さえ突破できればいいんだ、なぜ自分の評価が下がるような授業実践をするんだ、ともう四方八方から総攻撃を受け続けました。

でも、泣きませんでした。
でも、転びませんでした。
でも、後ろを見ませんでした。

代わりに、英語が苦手だったり、コミュニケーションが苦手だったり、悪さをして目をつけられたりする子供達の顔、表情、授業中の様子、学年でどんな風に過ごしていくか、自分の英語の授業が子供達に何かコミットできないか、そこに目を向け続けて教壇に立ち続けることにしました。

文法の説明が不味かったり、問題演習が下手だったり。
生徒が居眠りしたり、授業中に授業がうまくいかなくて崩壊したり。

ありとあらゆることも経験しましたが、その度に、
俺の英語力が低いから、生徒たちに満足のいく授業ができないんだ、と思い、勉強に打ち込みました。

僕には留学経験がありません。ですから、留学をしている人にはとても負い目を感じています。

僕も願わくば、留学したかった。米国で大学の学位を取り、流暢な英語を話して帰国し、立派な先生として歩みたかった。

でも、それはできない。どうしよう。

本屋さんで必死になって解決策を見出そうと本を探した。
出会った本が、KHシステム。そしてアルクのEnglish Journalでした。貪るようにトレーニングに打ち込みました。
食い入るように、EJに書いてあることを全て馬鹿正直に実行しました。

今思えば、29歳の時から本格的に燃えて始めた英語のトレーニング、この14年がなければ、今の自分はありません。

その前に、英語の先生は英語を勉強しなければいけない、と教えてくれた、英語教師達人セミナーで出会った、谷口先生、千田先生、中嶋洋一先生の言葉が今でも忘れられません。

日曜日、月曜日、と、福島県いわき市、宮城県仙台市で、英語の先生方向けのセミナーを行いました。各会場ともに25名ずつのご参加を頂きました。去年に比べ、若い先生方が増えていました。

会は充実の内容で、2日間とも、とても良いセミナーになりました。また来てください、先生、勉強させてください、若い人、困っている先生方からかけていただいた言葉が忘れられない。

セミナーから帰って来て2日目に、なお持って熱い思いでいることは、自分の中でかなり異例のことで、驚いています。

この胸の情熱に火を灯してくれた若い人たち、そして東北のみなさんの為に、今日はブログを書こうと決心して、このタイトルにしました。

どうか英語の勉強を必死にやってください。それが生徒の知性に
敬意を表することです。

自分が教えている生徒が、自分の英語力の高さ低さを見抜けないとしても、英語の勉強を続けてください。

生徒に自分の英語力の無さがバレなくてもいいや、と思えば、仕事は楽になります。

でも、それは生徒の「英語を勉強したい。」という気持ちに対する侮辱を含んでいます。お前はそんな高みほどには英語を勉強する必要もない、だからここら辺でいいんだよ、と言うに等しいことだと思います。

生徒に不要か必要かは無関係です。生徒たちの学び姿勢に敬意を表する時、私たち英語教師は、英語を勉強し続けることを決してやめてはいけない、僕はそう頑なに信じています。

若い先生方、困っている先生方、生徒たちを愛する全ての先生方に対して、これからもますます、多角的に協力ができないかを模索しつつ、勉強会、オンラインディスカッション、セミナーをやり続けていきたいと思っています。

子供を愛する人たち、未来を創る人たちのお手伝いがしたい。
そう強く、ますます思うようになりました。

多くの人がなかなか集まらないですが、この頃肌で感じることは、去年に比べ、少人数だけれども、半数以上がリピーターであり、また毎回、モチベーションを最大限に高めて来られてあるな、ということです。

鉄は熱いうちに打て。

今、この機の高まりを決して逃さぬよう、今後も教育活動を熱烈かつ、情熱的に行っていくつもりです。

日本にいる全ての子供達に、学びの夜明けを。
心から願っています。

では、また( ´ ▽ ` )

2017年7月18日火曜日

英作文ってなんの力を測ってるのか、辛子味噌つき紫キャベツを頬張りながら不思議に思いました。


日本の英語教育の中で、「英作文」と言うと、大抵は、和文英訳のことを指し、ライティングと言うと、自由にエッセイを書いたり、描写をしたり、大意要約をしたりすること、と言うイメージを前提に話が進むように感じます。
入試問題演習のような文法ドリルみたいなもので、英作文の問題、と言うと、大抵は、和文英訳、で、これを徹底的に練習させられて、自由英作文は、直前にちょろっと書かされるか、コミュの授業でグループワークをやったりした時にだけ、ちょろっと書かされるのが精一杯、あとは、日本語1文(多くても4、5文)を英語に翻訳する問題が課せられます。すなわち、日本語を英語に通訳する問題、と言い換えても良いと思います。 問題の趣旨は、日本語で考えていること、思っていること、読んだもの、聞き知った知識を外国語で表現できるかどうか、その精緻なレベルはいかほどか、を問うているのだと思いますが、「うーむ。」と疑問に思うこともあります。 それは、和文英訳、の、和文、はコンテクスト(文脈)を持ったコンテンツ(内容)であり、流れの解釈の仕様によっては、書き用は複数存在することになるからです。その文章をどう捉えたかによって、言い方が違ってくる、当然ですよね。読んだ人によって解釈が変わって当然なんですよね。 A:「洗濯物取っておいて、って頼んだでしょ?」B:「すぐに、って意味だったの。君が帰ってくるまででいいや、と思ってたんだ。」A:「台無しじゃないの。もう。」B:「言ってくれればよかったのに。」A:「普通、それくらいわかってくれてもいいじゃない。」 と言う夫婦の会話があるとしますね。これを英作文にしなさい、と言う問題が、仮にあるとします。(こんなこじれためんどくさい夫婦の会話、出すとか、ありえないけれど、その昔、冷え切った夫婦の静かな沈黙の冬のテーブルごし描写を読解で出した某有名私大の例があるので、もしかしたらあるかもしれないと言うことで、ここはご了解頂いて、と。) この場合、AさんとBさんの関係が、男女なのか、男性同士なのか、女性同士なのか、家族なのか、共同生活をしている友達なのか、共同生活はしているけれど友達ではなく他人なのか、そこもはっきりしないので、いかようにも解釈が可能ですね。 すなわち、喜怒哀楽の設定も、気持ちの忖度も受け手側によってどうとでも解釈ができるので、これ一つが正解、って言えないんじゃないか、って状況になってしまう。 次に時制ですね。頼んだ、のは過去、意味だった、と解釈したのは、いつ?台無し、なのはAが今洗濯物の様子を見てそう思ったのか、それともそうなってしまった、と言う完了状態を憂えているのか、さらに、普通、と言う言葉、とかね。つっこみどころはいくらでもありますよね。もう少し性格悪く細かく見ていくと、Bの「すぐに、って意味だったの。、、、」はマル、で文章が終わっているので、これは疑問文なのか、肯定文なのか、厳密に言えば、わからないですよね。相手の声の抑揚や、表情、会話の間にある間合いが、この字面からは一切伝わってこないので、このコンテンツを英訳しなさい、と言われれば、とりあえず多面的に捉えることが可能なコンテクストを、自分が持ち合わせている英語のコマンドを使って、採点者に伝える努力をするしかない。それしかないですよね。 これって、もはや、英語力を問う問題なんじゃなくて、場の空気をいかに高度に読み取ることができるか、って言う能力がどれくらい長けているかによって、解答に差は出やしないのかしら、と僕はふと思ったんです。 会話の状況を英語に直して、文法の能力を見るんだったら、わざわざこんな問題にしなくても良いだろうし、じゃあ、一体この問題形式って何のためにあるのか、もはや「入試問題の入試問題による入試問題のため」にだけ存在しうる、稀有な脆くも儚いゆらぎの存在なのではないか、何という存在の悲しさ。嗚呼、和文英訳さん、、、。
上記のことを踏まえてると、無数に解答が可能な問題の精度を高めていくんだったら、むしろ、エッセイライティングを大量にやっていきながら、エッセイの条件設定、文章の幅が出てくるような付帯条件を細かく設定する、などの工夫をして、どんどん書いていきながら、ミスが出てきた場合に、効果的にそれを拾いつつ、ミスのalternativeになりうるsubstitutesを都度学んでいく方が、言語のアウトプット能力の育成だけを考えた時には、効果が高いのではないだろうか、と考えたんです。話す技術もこれと同じプロセスを経る方が確実に上手くなります。お題について英語で話す、ヒントを学ぶ、練習する、再度お題について英語で話す、の流れですね。 これまで高校生の受験指導をしていて、幾度となく疑問に思いながら、実感を伴わないまま、頭の中での結論で疑問を封印していたのですが、日、月、と福島県いわき市、宮城県仙台市でセミナーをやらせていただき、授業実践法、教科教授法をシェアしている時に、自分で整理できたことがこれでした。なるほどね、ウンウン、と心で何度も頷きながら、話をさせていただきました。僕の方が得した気分ですね。得してすみません、ごめんなさい。 詳しいお話はまたセミナーで実際に体験して頂きながら、お伝えしますね。 西山哲郎くんと一緒に追求しているオーガニックアプローチ、毎日の積み重ねによって、生徒たちの力を伸ばしていく手筈がどんどん精度を高めていっています。 考え方や理論体系、パラダイムシフトを経験しまくると、めまぐるしく展開や状況が変わってしまいますね。また新境地にきてしまった気分です。 ではまた(´ω`)

2017年6月1日木曜日

"Sparkling"体験、してきましたよ( ◠‿◠ )


素晴らしい2日間でした。平田オリザさんのご著書「下り坂をそろそろと下る」を読んでから、演劇に参加したいとずっと思っていました。劇そのもののパフォーマンスに関しては、ずっとやりたかったことの一つです。 僕の子供の頃の夢は、コメディアンでした。今でもコメディアンに憧れている気持ちはとても強く、コメディアンとしてステージに立ちたい、と思うことは強いです。ですから、スタンダップコメディ、シチュエーションコメディ、スキットコメディ、コメディに関してはとても大好きで、参加して自分でやりたいと思いながら、モンティパイソンとフォールティタワーズの台本を買って、20代の頃、空で言えるまで何度もセリフを読んだ思い出があります。 また、落語家に憧れていた時期もあり、30代中期には、古今亭志ん生師匠のCDを100枚くらい買って、とにかく片っ端から落語をシャドーイングしました。その頃、並行してKHシステムのトレーニングと、フォールティタワーズのDVDを見ることに没頭している毎日でしたので、志ん生師匠の落語と、ジョンクリーズのセリフと、KHシステムのシャドーイングを行ったり来たり。物凄く充実した濃いトレーニングライフが送れていた記憶があります。 今回のワークショップ参加の目筋は、すでにこの頃、いや、子供の頃から、培われてきたもの、僕の内なるヴォイスだという確信が強まりました。すなわち、今回のマーブルズへの参加は、僕の人生の中で、必然であり、起こるべくして迎えた運命の道すがらだったと言えると思っています。 大仰に言い過ぎなのかしら、これ。 今回の英語DEドラマ、本当に素晴らしいエクスペリエンスでした。 真澄先生から"Why do you feel that way, why?"を問われ続ける時間、gleeのレイチェルが、ウーピーゴールドバーグから問われる時間を追体験できた気持ちでした。どうしよう、どう答えればいいんだろう、そういうドキドキが突きつけられる、そんなsparklingな時間の連続で、気がつけば夜の21時半、あっという間の1日目終了。 僕も西山君も純ジャパで、留学経験も全くないし、"Wicked"なんて純アメなドラマ、演じたり歌ったり、それはもう、想像を絶するタフネスだろうと思っていたんですけれど、、、。 僕は今回、改めて思ったことがありまして。 哲郎君と僕は、キャラがもう生まれつき、感動体質、喜び体質、トキメキ体質なんですね。だから、体が火照るやら、胸が熱くなるやら、歌の時のパートナーの女性と見つめ合う時に、ワォ!な気持ちになるやらで、心がテンヤワンヤだったわけです。 そんな生まれながらの天性の感動体質を持った二人が、こんな素敵なグループのワークショップに来てしまったもんですから、マァ、朝から晩まで、お腹のそこから笑い転げ、喜び、楽しみ、心をみなさんと重ね合わせて、夜を迎えた、というわけです。 長い一日が終わり、お互いに普段から語り足りていないのか(というか、毎日LINEのやりとりを恋人か!ってくらいしてるから、あまり疎遠感がないのですけれど)、近くの焼肉屋さんで語り合いました。その時間もとても大事な時間だった。 「俺ら、こんなにオイシイ思いさせてもらって、いいんだろうか。なんか、罪悪感がやばいよね。すごい体験させてもらってるんだよね。すごい立場に置いていただいてるよね。」という話に終始していて、改めて、この2年間でお世話になって来た先生方、諸先輩方に、頭を垂れる夜となりました。 二日目はあっという間にゲネプロ(ランスルー)、そして本番、修了式になり、皆さんの想いを聴きながら会場を後にしました。
今朝は珍しく寝坊をしてしまいました。そして疲労感に襲われた一日でした。夕方帰って来てテニスに行くと、テニスは絶好調でした。真澄エフェクト恐るべし、生活に異変を起こす!マーブルズ恐るべしです! 真澄先生、出会いに感謝いたします。マーブルズの皆さん、本当にお世話になりました。参加者の皆さん、愛をいっぱいもらいました。皆さん、ありがとうございました。2日間、幸せでいっぱいでした。また来ます。今度は仲間も連れて来ます。 暁の会でも、ドラマをやるワークショップを来年以降に開設しようと思っています。勉強しないとね。一生懸命勉強します。 英英辞典、スピーキング、多読、ライティング指導、4技能。
わかる、わかる。大事だよね、うんうん。 でも、それが授業でできるようになって、物足りなくなった。 なんか違う。生徒たちの顔、まだこんなじゃない。 もっと生き生きする。もっと生徒は自分を表現できる。 そう思いを募らせている時に、ヘレンから言われた。真澄先生に会わせる、二人を真澄先生に会わせたい。そうして今回、うちら二人は初めて真澄先生の愛を全身で受けた。素晴らしい体験だった。 日本でいちばん幸せな中高英語教師の二人だと、僕らは勝手に思っています。本当に幸せだった。 こんな現場を作りたい。子供達の心を解放したい。子供達の心の声を、胸の震えと体の鼓動を。 退職まで、後20年しか時間がないです。ますます急がなければ、と思っています。 最後に、時間を伴った皆さま、本当にお世話になりました。僕も西山も、またマーブルズに帰って来ます。今度は友達も連れて来ます。ありがとうございました。 生きてると、良いことがたくさんありますね。
素晴らしい。 生きる、って、いいですね( ◠‿◠ ) お詫び:
ブログの更新がなかなかなされなくて寂しい、と言っていただくことがこの頃あり、とても嬉しく思っています。いつも読んでくださり、ありがとうございます。諸事情があり、どうしてもブログに掲載できない情報やご報告もあり、フェイスブックの方に掲載させていただいております。

また、近日中に、暁の会のHPが立ち上がります。そちらの方から、いろんなコンテンツにアクセスできるようになりますので、ご期待くださいね。 土曜日、日曜日と、2日間、マーブルズ英語芸術学校主催の「大人向け英語DEドラマ in 大阪」に参加させていただきました。僕と哲郎君が敬愛し、師と仰ぐヘレン先生のご紹介を受けて、小口真澄先生のご指導を直接受ける恩恵に浴することができたのです。



2017年4月27日木曜日

CLIL授業実践のDVDが出ます。


5月1日に、ジャパンライム、と言う会社さんから、授業のDVDが出ます。

これは去年の10月に、英語教育達人セミナーを名古屋で行いまして、その時の様子を収録した動画に加え、どのような意図を持って授業をしたか、などの解説ビデオを加えてセットでまとめたものです。谷口先生のお計らいで実現した企画です。谷口先生、本当に感謝しています。ありがとうございます。

これは自分のDVDでは2本目です。

前回のビデオは、恥ずかしかったのと、完成度の点から、あまりおすすめしたり、ブログに書いたりはしませんでしたが、今回のDVDはよろしければぜひ見ていただければ、と思っています。

CLIL授業に関する情報に関しては、こちらのHPをご参照いただければ、と思います。

教師が生徒に英語を語りかけながら授業をする際の新たなアプローチ、教科を超えた統合的なアプローチ、それがCLIL授業です。

http://primary.cliljapan.org/what-is-clil/

今年は、暁の会で、また新しいことができないか、と共同代表の西山くんと忙しく毎日詰めて話をしていまして、12月までに、いろんな動きとコラボがあると思います。計画のテーブルに色々載ってて、実現に向けて、色々詰めているところです。

とりあえずは、本DVD、そして、6月18日(日)のハーバード大学ケーススタディ@京都、さらに、7月29日京都暁ジョイント、ゲストは、アクティブラーニングのアントレプレナーです。
お楽しみに。

暁の会は、ウェブでの英語ディスカッションの番組運営もしています。毎週水曜日、夜21時30分からです。

今年は活動の幅がますます広がっていく予感がしています。楽しみですね。休む暇がないです。こまったー(^◇^;)
嬉しい悲鳴の連続です。

DVD、どうぞよろしくお願いいたします。今年はこう言うコンテンツ関連で、皆様に見ていただけるもの、読んでいただけるものを西山くんと色々できないか、考えています。

お役に立てるかわかりませんが、どうぞよろしくお願いいたします。

授業のご報告もしたいです。素敵な感じになってきています。
こちらの方は、後日、脱線でご報告いたしますね。
今、英文法の授業と読解の授業で新しいことを始めましたので。

お楽しみに😉


2017年3月23日木曜日

僕の通知表

今年1年教えてきたある女子生徒から手紙をもらいました。とても心が温まりました。

それと同時に、子供達のこういう言葉が、僕の成績表みたいなものなんだな、と改めて思いました。


私は中学3年間、英語が全く出来ないし、苦手だし、嫌いでした。

英語の本読むなんて、絶対出来ないし、したくないと思ってました。でも今年、ORT読んだりOED引いたり、英文考えたりするようになって、自分でも全く出来ないことは無いって事に気づきました。一年前の自分では想像もつかないぐらい英語に触れることが出来てます。今じゃBruno Mars好きでよく歌ってます笑スピーキングもまだまだ皆には追い付けないけど、自分の中では出来るようになったと思えます。この一年で英語が「嫌い」から「好き」になれたのは、自分にとって本当に大きな事で、進路とかの見方も変わりました。十督先生のお陰です。本当にありがとうございました。 」

自分の英語教師としての仕事は、点数や進学率にコミットすることではなく、生徒の心と気持ちと習慣にコミットすることなんだな、と決意を新たにしています。


英語が嫌い、英語が苦手、英語はちょっと、という生徒を笑顔にし、元気になってもらい、英語に対するハードルを下げ、英語を授業で使い、たくさんの英語に触れて、もっと英語が知りたい!もっと英語に触れたい!と自然に思ってもらえることが僕の授業のテーマであり、目的なので、こういうメールをいただくと、今年一年は実りある一年だったな、とホット胸を撫で下ろします。

そして何よりも、この子が英語をこんなに好きになって、英語に対してワクワクドキドキな気持ちになってくれたこと、これが一番の慶びであり、誉れです。


過去にもこれと同じようなメールをもらったことがあります。こちらは男の子です。


「6年間本当にありがとうございました(´つヮ⊂)
突然なんですけど、俺、英語自体は好きなんです
たしかに勉強は全然できないし、嫌いだけど笑
でも英語で喋ったり、英語で映画見たり、音楽聞いたりってのはすごい好きで
そういうのって、この学校に来てなかったら絶対なってなかったし、先生に出会ってなかったら絶対なってなかったと思ったんです。
実際グラマーよりリーダーの方が好きで、黙々と問題解くより、音読したり、皆で英語の音楽歌ったり、そういう方が僕には楽しくって、記憶に残ってるんです。
先生は以前、僕たちに俺のせいで英語を嫌いにさせたかもしれないって言ってくださったことありましたよね?
でも俺、先生に出会ってなかったら英語の楽しさなんて1ミリも知らなかったと思うし、嫌いだったと思うんです。
きっと、こう思ってるのは自分だけじゃないと思います!
それに、先生は僕たちに本気でぶつかってくれて、俺は本当に先生の事が好きです!笑
結局何が言いたいんだよみたいになっちゃいましたけど、
偉そうになっちゃいますけど、先生の英語の教え方に間違いはないと思います!
そして、俺は英語が好きです!笑

これからも英語の楽しさを教えて下さい。

自分の英語教師としての仕事って、なんなんだろうな、と改めて考え直しました。

生徒の点数を伸ばしてあげたい、志望校に合格させたい、という気持ちは、どんな先生にも負けないくらい、強く抱いています。

その前提として、生徒が英語に大量に触れていくこと、生徒が英語を大好きでい続けること、この2つがどうしても前提条件になります。

同時通訳トレーニング、英英辞典の活用、多読、スピーキング活動、アクティブラーニング、ライティングエッセイ、全てにおいて、子供達に有効な手立てであったと思っています。

ベネッセの模試の成績も良かった。子供達の満足度もある一定のレベルにおいて、広く支持を得られることができた。

次年度はさらなるディープな英語の世界へと突入していきたいと思っています。

4技能を効果的に用いたCLIL型授業、アクティブラーニングはもはや当たり前すぎて、その言葉を使うのも耳タコなくらい定着浸透してきていると思います。

親しくさせていただいている姫路の国語の先生が先鋭的なことをしておられます。
4月に京都で勉強会があるので、そちらに参加させていただき、しっかりと勉強してきたいと思っています。

メールをくれた人、本当にどうもありがとう。
心から嬉しかった。また頑張ります。
共に次の 'giant step'を踏み出そうね。

2017年3月20日月曜日

小学生から学んだこと

息子たちと旅行に行き、有意義な2日間を過ごすことができました。

色々な会話をする中で、興味深いことを次男が言って、びっくりしました。

「お父さん、勉強の中で一番学べる行為は何と思う?」

僕は、うーん、考える、かな、話す、かな、と色々答えましたが、息子が、全部違う、と言いました。

どんな答えが返ってくるか、と静かにしていたら、こんな風に言いました。

「お父さん、それはね、教える、っていうことよ。人に教えるのはね、自分で知っとかないかんし、勉強しとかないかんやろ?

そしてね、また、それだけじゃダメで、友達に説明する時に、わかりやすく言わないかんやろ。やけん、色んな工夫がいるとよ。

やけんね、人に教える、っていう行為がね、勉強の中で、一番学べる行為とよ。知っとった?」

僕は、この言葉を聞いて、これが小学校4年生がいう言葉か、と驚嘆してしまいました。

その後続けて、
「へぇ、じゃあ、授業の中で学び合いとか、話し合いとか、富士くん(次男の名前)が先生役になったりすることがあると?」

と聞くと、理科の専科の先生がとても素敵な先生らしく、次男はその先生が授業中にしていることを全て話してくれて、さらにその先生が語ってくださるお話の内容も教えてくれました。

その先生、めっちゃ良い先生でね、でもちょっと変わっとうっちゃけど、好きっちゃん。めっちゃ勉強になるとよ、と付け添えて話してくれました。

自分が授業でアクティブラーニングをしていることを息子たちは全く知らないはずです。でも、このお話を聞くと、とても嬉しい気持ちになりました。

小学校の現場では、どんどん子供達の知性にコミットする教育実践が行われている、ということ、さらにそれを受けた生徒が、自分が感じた教育効果を実感して深く内在化できているということ、さらに、仲間と一緒に勉強したり工夫したりしている授業の形態は、全国的に広がりを見せ、各現場でかなりの部分で浸透してきている、という事実を知ることができたからです。

年度末に息子たちと旅行に行き、今年の総括を子供の口から聞かされる、ワーズワースの詩を思い出して、胸が熱くなりました。

今年一年、本当に充実していました。
たくさんの成長と、たくさんの素敵な時間と、たくさんの発見と。また一つ、良い歳の取り方ができました。

息子たちに感謝したいと思います。

My Heart Leaps Up- William Wordsworth 訳:壺齋散人


My heart leaps up when I behold
A rainbow in the sky
So was it when my life began;
So is it now I am a man;
So be it when I grow old,
Or let me die!
The Child is father of the Man;
And I could wish my days to be
Bound each to each by natural piety.

空にかかった虹を見ると
私の心は高鳴るのだ
少年の頃もそうだった
大人となったいまもそうだ
年老いてもそうありたい
でなければ死をたまえ!
少年が長じて大人となる
だから私は少年の頃の
敬虔な気持を持ち続けたい



2017年3月19日日曜日

ぼくもういかなきゃなんない〜高校三年生へ贈る言葉


卒業していく高校三年生のサッカー部壮行会にお招きいただき、参加してきました。素晴らしい会でした。

スピーチを頼まれましたので、いつも卒業生に話すことを話しました。記憶している限り再録すると、こんなスピーチだったと思います。記憶が曖昧なところは脚色で誤魔化してるので、そこは行間を各自で埋めていただくとよろしいかと思われます。

「大学や予備校へ旅立つ前に、畳の部屋に両親に来てもらい、そこで正座をして、深々と頭を垂れ、今までお世話になりました、ありがとうございました、これからもう少し迷惑をかけますが、どうぞよろしくお願いします、と言いなさい。必ず言いなさい。

卒業は君らのためだけのものではなく、親も教師も成長させる大切な節目の行事なんです。君らが小さい幼子だったイメージで君らのご両親は君たちを大切に可愛い子供として育ててこられた。

君らが大人に成長するのは嬉しくもあり、その可愛い子供が、自分の前からいなくなる寂しさがある。

そして何より、自分は親ではなく、老年を迎える、という覚悟の始まりでもあるんだよね。

だからその節目に、君らがご両親に挨拶をすることはとても大事な意味を持つんです。

親として、そして一人の男として、女として、ご両親は君らの卒業に際して、成長を、老いを、寂しさを、嬉しさを、そんな想いを全て受け止めながら、君らにバトンを継ぐ、そんな大切な節目が卒業なんです。

前の世代の人からしっかりとバトンを受け継いだよ、という意味で、必ずご両親に感謝をしなさい。

卒業おめでとう。」

谷川俊太郎さんの、さようなら、という詩を添えて贈ります。

僕からも卒業おめでとう。立派になったね。本当に立派になった。成長した。嬉しいよ。

さようなら   谷川俊太郎

ぼくもういかなきゃなんない
すぐいかなきゃなんない
どこへいくのかわからないけど
さくらなみきのしたをとおって
おおどおりをしんごうでわたって
いつもながめてるやまをめじるしに
ひとりでいかなきゃなんない
どうしてなのかしらないけど
おかあさんごめんなさい
おとうさんにやさしくしてあげて
ぼくすききらいいわずになんでもたべる
ほんもいまよりたくさんよむとおもう
よるになったらほしをみる
ひるはいろんなひととはなしをする
そしてきっといちばんすきなものをみつける
みつけたらたいせつにしてしぬまでいきる
だからとおくにいてもさびしくないよ
ぼくもういかなきゃなんない

http://www.nicovideo.jp/watch/sm211195

2017年3月17日金曜日

一年最後の授業にて


今日、今年度最後の授業が3コマありました。
最後の授業だったので、久しぶりに歌を2曲歌い、子供達に読み聞かせをして、進級へのメッセージを伝えて終わりました。

お時間がある方は、動画を見ていただければ、と思います。
https://www.youtube.com/watch?v=uSTbLZqGGSc

この本はハッピーエンドで終わる本ではないのですが、敢えてこの本を選んで読みました。

この本は、ある学校に転入生の女の子が来るのですが、その子に辛く当たったり、仲間外しをしたりして、何一つ優しく接してあげられなかった主人公の女の子が、後悔の念を深く胸に抱く、というお話です。

これから子供達はクラスを解散し、色々なコースに分かれてしまいます。バラバラになっていきます。

また新たな出会いと新しいクラスで、新しい人間関係が始まると思います。

そんな局面にあって、今敢えてこの本を一緒に味わいながら、これからの自分の進路について、またその先にある生活について、しばし考えてもらう時間にして欲しい、僕はそう思っていました。

今年一年、子供達と一緒に学んだことは、グループ活動を通じて、グループの人たちと協力し、協働を通じて、他者と交わることを通じて、自分を見つめ直し、人格を深めていく、と言うことでした。

色々な人格がぶつかり合う中で、決してうまくいくことばかりではありませんでした。

自分とは合わない人、接していてイライラしてしまう人がどうしても出てきてしまう。

でも、決してグループをばらしたり、特別な対策を講じたりしませんでした。

それは、「人は一人では生きられないんだ」ということを教えるために、どうしても必要なことだと僕が思ったからです。

「電車の中で小さな子供を連れたお母さんたちに対して、悲しいんだけど、冷たい言葉を投げかけるような話を、耳にするようになって、悲しい気持ちがするんだよね。」と僕はあるクラスで語りかけました。

「そんな赤ん坊やお母さんに対して、迷惑だ、という人だって、幼い頃があったはずなんだよね。また、おじいさんやおばあさんに対して冷たく接したりするのを見聞きしたりすると、とても胸が苦しくなるんだよね。自分だって、おじいさん、おばあさんにいずれなるのにね。

障害を持っている人をバカにする人がいるけれど、自分だって、事故や病気などの不可抗力で、障害を持ってしまったり、あるいは家族が将来、障害を持って生活をすることを強いられるような可能性が僕ら一人一人にはあるんだよね。

子供は過去の自分、老人は未来の自分の姿、障害や不都合を強いられている人は、将来自分がそうなる可能性を先に生きてくれている人なんだよね。

どの人を否定しても、それは自分を否定することに繋がってしまうよね。

僕はみんなに、どんな人も決して粗末にせずに、まるで自分のことのように大切に愛おしく思って接して欲しいと思って、一年間授業をしてきたよ。

英語を通じて、みんなが頑張ったことによって、みんながそんなことを考えるきっかけになってくれたら、嬉しいと思っています。

一年間ありがとう。Thank you so much. 」

と言って、授業を閉じました。

人は一人では生きられない、そんなことを、様々な教材を使い、英語を話し、読み、聞き、書くことによって、体全体で考えた一年だったと思います。

英語の力が伸びたことはとても喜ばしいことです。

ですが、もっと嬉しいこと、それは、この授業の時に、子供達が真剣な眼差しで、読み聞かせを聞きながら、最後に僕の話にしっかりと耳を傾けてくれたことでした。

これこそが、子供達の人格の成長を物語っている瞬間だ、と僕は感じました。

実りの多い一年間でした。

子供達、一年間どうもありがとう。


もっとも大いなるもの

単語の綴りを一生懸命練習するけれど、何度も、何度も間違える子がいる。 でも、授業中、何度もうなづきながら説明を聞き、話に耳を傾け、大きな声で歌を歌う。フォニックスの発音を、口を縦横いっぱいに開けて発音する。 oshienと単語テストに書いてきた。oc...