2015年3月3日火曜日

生徒達へのラブレター

卒業式があった。生徒たちが巣立って行く。卒業おめでとう。
6年間一緒だった生徒、3年間一緒だった生徒、本当にありがとう。
きみらと毎日一緒に過ごせて、本当にしあわせだった。
きみらと一緒にいると、いつも喜んでいることができた。
きみらからたくさんの元気とパワーをもらった。
ありがとう。

満足のいく指導を十分にしてあげられず、申し訳ない気持ちがしている。
駄目な自分をどうか許して欲しい。

きみたちがかつてこの学舎をくぐったときには、ここはきみらにとって、ただの建物でしかなかった。
今、卒業を迎え、その建物はきみたちの「我が家」になった。そして、僕らは家族になった。

これから色々な道に進むと思う。
いいこと、悪いこと、退屈な毎日、刺激的な毎日、様々に人生は展開すると思う。
もし「つかれた」時は帰っておいで。ここでしばらく休んだらいいと思う。
マタイによる福音書11章の言葉にあるとおりだ。
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(28節)。
              (マタイによる福音書11章28節)

きみらがここで学んだことはcooperationだと思っている。協調性、協働性。
これから、職場、学校、家庭、様々な場面で弱者の隣人であり続けて欲しい。
それを願っている。

感謝の気持ち。親御さん、お世話になった先生方、関わって下さった方に感謝の気持ちを忘れないで欲しい。イエス様が仰っている事に耳を傾けて。
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」
(テサロニケの信徒への手紙 5章16-18節)

人生に勝ち負けはない。
僕の祖母は、極貧の家庭に育ったため、満足な教育も受けられず、生涯自分の名前すら書けなかった。彼女は女中奉公をしながら、家計を支え、結婚し、僕の母を立派に育て上げ、僕ら兄弟にきちんと教育を受けさせ、最後まで自分のわがままや望みを一切口にせず、膵臓ガンで天に召されていった。
彼女の遺品を整理しているときに、壱万円札の入ったビニール袋と、広告の裏にカタカナで自分の名前を数回書いてあるメモ書きが見つかった。
祖母は字が書けないことを恥じ、金を決して銀行に預けようとはしなかった。僕と母は、祖母が練習したその文字を見て、涙が止まらなかった。
彼女は病床にて、死の2日前にクリスチャンになった。彼女の生き様を体現した聖書の箇所を、彼女が亡くなった後、母と何度も読んだ。
「わたしは、他人の金銀や衣服をむさぼったことはありません。ご存じのとおり、わたしはこの手で、わたし自身の生活のためにも、共にいた人々のためにも働いたのです。あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与えるほうが幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました。」
 (使徒言行録20章33~35節)

過去の教え子で、難関私大に進学し、有名私学に学んで、大手企業に就職が決まった教え子が尋ねてきたことがあり、その子が嬉々として「自分は勝ち組なんだ。」と言い放ったことが忘れられない。次の瞬間、僕はその子を見ながら笑顔で、「じゃあ、小学校にも満足に行けなくて、自分の名前も書けなかった僕の祖母は負け組ですね。」と伝えた。その子は何かまずいことを言ってしまった、という顔をして、黙って僕を見ていた。「僕らは学ばなければ行けないことがまだまだあるんだよね。」とその子に伝え、祖母の話をしたことを覚えている。人生に勝ち負けはない。お金なんかは少しで良いのだ。
「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる」
(マタイによる福音書11章29節)。

「もし人生がテレビに映し出される映画のようなものなら、ある人はそれをコメディーだと言い、別の人は悲しいお話だ、と言うかも知れない。自分の人生はよりよいものを自分で選べる。」
これは僕が同僚のマイケルに話した言葉。卒業の餞に。

昨晩、親しい戦友と遅くまで酒を飲んだ。何でも話せる大切な友人。卒業式の夜、その戦友の前ではたくさん涙が出た。
戦友が帰宅した後、僕は就寝しようと床についた。携帯に以下のメールが届いた。涙が止まらなかった。そして、これからもっともっと頑張って仕事をしようと思った。

「先生!!
6年間本当にありがとうございました(´つヮ⊂)
突然なんですけど、俺、英語自体は好きなんです
たしかに勉強は全然できないし、嫌いだけど笑
でも英語で喋ったり、英語で映画見たり、音楽聞いたりってのはすごい好きで
そういうのって、この学校に来てなかったら絶対なってなかったし、先生に出会ってなかったら絶対なってなかったと思ったんです。
実際グラマーよりリーダーの方が好きで、黙々と問題解くより、音読したり、皆で英語の音楽歌ったり、そういう方が僕には楽しくって、記憶に残ってるんです。
先生は以前、僕たちに俺のせいで英語を嫌いにさせたかもしれないって言ってくださったことありましたよね?
でも俺、先生に出会ってなかったら英語の楽しさなんて1ミリも知らなかったと思うし、嫌いだったと思うんです。
きっと、こう思ってるのは自分だけじゃないと思います!
それに、先生は僕たちに本気でぶつかってくれて、俺は本当に先生の事が好きです!笑
結局何が言いたいんだよみたいになっちゃいましたけど、
偉そうになっちゃいますけど、先生の英語の教え方に間違いはないと思います!
そして、俺は英語が好きです!笑

これからもよろしくお寝いします□」


卒業おめでとう。幸多き未来を^^


もっとも大いなるもの

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