2015年5月9日土曜日

Quo vadis? あなたはどこへ行くのか。

風邪で先週から気分が優れず、喉の痛みが最高潮に達していて、話をする時に喉がぴりぴりと痛む。連休明けの授業は二日間しかなかったが、昨日の終礼の時に生徒に話をしている時には、声が渇いて焼けているような音が出ていた。木製管楽器もこれくらい渇くと、アンサンブルの時に音がくっ付いて良い音色がするのか知らん、と莫迦げたことを考えながら、ぼんやりとしていた。




机の上に投げ出してあった本が目に留まる。図書館から借りて来た、大学生向けの簡単なラテン語紹介の本。ぱらぱらと捲っていた。発音から、格変化に関する項を読み、例文集に目を通す。巻末には、ネットで時事ニュースをラテン語で聞けるサービスがある事を知り、驚嘆する。死語であるはずのラテン語なのに、欧州人達は何故ラテン語を捨て去ろうとせず、むしろ活かし続けようとするのか。理由など説明出来ないのだろう。




言葉は神であり、借り物である。言葉は民族の民話や神話を編み、宗教を束ね、アイデンティティを基礎付けるもの。死語であり、不使用言語だから、という短絡的な理由で、そうやすやすと捨て去ったりできない、それは彼らの歴史そのものであり、DNAの連続性を担保するものであり、彼らが現在話す欧州の各言語の祖であることを、彼らは身体で分かっている。


ラテン語を捨て去る事は、自分の先祖や、墓や、歴史を捨て去る事であり、自分たちの来た所、故郷、Homeを失う事なのだ、ということをしっかりと理解しているのではないか。だから彼らはラテン語を今の世にでも生きながらえさせ、受け継ごうとしているのだろう、と僕は胸を温めた。


例文集の中にはいくつかの例文が載っていて、目に留まったものを自学帳に書き連ねてみる。

Non Omani possumus omnes. 我々は皆、万能ではない。


Repetitio est mater studiorum. 繰り返しは学習の母である。


Festina lente! ゆっくり急げ。


Jacta alea est. 賽は投げられた。


Cultura animi philosophia est. 精神を耕すことが哲学である。


Quo vadis? あなたはどこへ行くのか。


Bonus esse volo. 私は善人でありたい。


Vivere cogitare est. 生きる事は考える事。


例文をつなぐと、今の自分の気持ちが全て言い表されてしまうくらい。掲載されている例文で、格言の様なものを選ぶとこうなった。人って、自分の都合のいい言葉を選び取っているんですねぇ。面白い。


数日間、僕の筆致が乱れていたのを高い感度で感知したたくさんの方々から、励ましや温かいお便りを戴いた。”Scratch my back and I'll scratch yours.”とはよく言ったものでして、こちらが何も言わなくても、気遣ってくださり、励ましてくださり、労ってくださった。


お便りを下さった方々は、何度もお会いした事があるわけではなく、また、今現在、特別な関係や交わりがある方々ではない。けれども、何度もメールをやり取りしていたり、SNSを通じて、ブログの感想を書いてくださったり、雑記に目を通してくださり、温かい愛のある言葉を返してくださる方々で、こういうやり取りを通してみて見ると、教師として、自分と同じ様に目の前の生徒達を愛して止まず、生徒達の為に愛情を無条件に注ごうと決意して、現場を奔走していらっしゃる先生方がこんなにもたくさんいらっしゃるんだと思い、胸が焦がれた。


「教師として、背中の向こう側に生徒の姿が見える人こそ、本物だよ。」と背中をさすって励ましてくれた言葉がとてもうれしかった。自分は生徒達の為に本当に愛情を注げているだろうか、と自問し、背筋が伸びた。


黙って多くを語らない人たちの中に、神の慈愛と憐れみを見る事が増えた。神様は人の中に現れ、私たちに問い続けているのだ、と思い、僕は人と関わり、もっと交わりを持って、多くの人と話をしたいと思った。


暁の会はもしかすると、その為に神様が備えてくださった群れなのかも知れない、と僕は考えている。だから続けなければ行けないと思うし、一人でも多くの人とともに、生徒を愛し、同僚を愛し、そこに関わる家族や友人達を愛し、燃え立って行かなければ行けないと、深く自己に基礎付けている。




心が乱れていたのを神様が諌め、深い慈しみを持って憐れんでくださり、恵みで満たし、祝福してくださった。人の子の顔に輝く神の栄光、と聖書に書いてあった事は、まことであった、と神への帰依の意と畏敬の念を重ねた。


今日は夕方から同志が勉強に来る。5月、6月の勉強会についての準備を行なう貴重な三日間となる。月末と来月の勉強会が、参加される多くの先生方との良き交わりの会となり、充実の内に終えるよう、周到に抜かりなく準備を行なって行きたいと考えている。


たくさんのメールやご連絡を下さった先生方、有り難う御座いました^^
引き続き、燃え立って前に進みます。共に歩みましょう。
子供達の為に頑張る群れで居続けましょう。


ではまた^^


{3:6} Ego plantavi, Apollo rigavit: sed Deus incrementum dedit.
{3:6} I planted, Apollo watered, but God provided the growth.

{3:7} Itaque neque qui plantat est aliquid, neque qui rigat: sed, qui incrementum dat, Deus.
{3:7} And so, neither he who plants, nor he who waters, is anything, but only God, who provides the growth.

{3:8} Qui autem plantat, et qui rigat, unum sunt. Unusquisque autem propriam mercedem accipiet secundum suum laborem.
{3:8} Now he who plants, and he who waters, are one. But each shall receive his proper reward, according to his labors.

{3:9} Dei enim sumus adiutores: Dei agricultura estis, Dei ædificatio estis.
{3:9} For we are God’s assistants. You are God’s cultivation; you are God’s construction.


3:6わたしは植え、アポロは水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です。
3:7
ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。
3:8
植える者と水を注ぐ者とは一つですが、それぞれが働きに応じて自分の報酬を受け取ることになります。
3:9
わたしたちは神のために力を合わせて働く者であり、あなたがたは神の畑、神の建物なのです。

もっとも大いなるもの

単語の綴りを一生懸命練習するけれど、何度も、何度も間違える子がいる。 でも、授業中、何度もうなづきながら説明を聞き、話に耳を傾け、大きな声で歌を歌う。フォニックスの発音を、口を縦横いっぱいに開けて発音する。 oshienと単語テストに書いてきた。oc...