2017年7月18日火曜日

英作文ってなんの力を測ってるのか、辛子味噌つき紫キャベツを頬張りながら不思議に思いました。


日本の英語教育の中で、「英作文」と言うと、大抵は、和文英訳のことを指し、ライティングと言うと、自由にエッセイを書いたり、描写をしたり、大意要約をしたりすること、と言うイメージを前提に話が進むように感じます。
入試問題演習のような文法ドリルみたいなもので、英作文の問題、と言うと、大抵は、和文英訳、で、これを徹底的に練習させられて、自由英作文は、直前にちょろっと書かされるか、コミュの授業でグループワークをやったりした時にだけ、ちょろっと書かされるのが精一杯、あとは、日本語1文(多くても4、5文)を英語に翻訳する問題が課せられます。すなわち、日本語を英語に通訳する問題、と言い換えても良いと思います。 問題の趣旨は、日本語で考えていること、思っていること、読んだもの、聞き知った知識を外国語で表現できるかどうか、その精緻なレベルはいかほどか、を問うているのだと思いますが、「うーむ。」と疑問に思うこともあります。 それは、和文英訳、の、和文、はコンテクスト(文脈)を持ったコンテンツ(内容)であり、流れの解釈の仕様によっては、書き用は複数存在することになるからです。その文章をどう捉えたかによって、言い方が違ってくる、当然ですよね。読んだ人によって解釈が変わって当然なんですよね。 A:「洗濯物取っておいて、って頼んだでしょ?」B:「すぐに、って意味だったの。君が帰ってくるまででいいや、と思ってたんだ。」A:「台無しじゃないの。もう。」B:「言ってくれればよかったのに。」A:「普通、それくらいわかってくれてもいいじゃない。」 と言う夫婦の会話があるとしますね。これを英作文にしなさい、と言う問題が、仮にあるとします。(こんなこじれためんどくさい夫婦の会話、出すとか、ありえないけれど、その昔、冷え切った夫婦の静かな沈黙の冬のテーブルごし描写を読解で出した某有名私大の例があるので、もしかしたらあるかもしれないと言うことで、ここはご了解頂いて、と。) この場合、AさんとBさんの関係が、男女なのか、男性同士なのか、女性同士なのか、家族なのか、共同生活をしている友達なのか、共同生活はしているけれど友達ではなく他人なのか、そこもはっきりしないので、いかようにも解釈が可能ですね。 すなわち、喜怒哀楽の設定も、気持ちの忖度も受け手側によってどうとでも解釈ができるので、これ一つが正解、って言えないんじゃないか、って状況になってしまう。 次に時制ですね。頼んだ、のは過去、意味だった、と解釈したのは、いつ?台無し、なのはAが今洗濯物の様子を見てそう思ったのか、それともそうなってしまった、と言う完了状態を憂えているのか、さらに、普通、と言う言葉、とかね。つっこみどころはいくらでもありますよね。もう少し性格悪く細かく見ていくと、Bの「すぐに、って意味だったの。、、、」はマル、で文章が終わっているので、これは疑問文なのか、肯定文なのか、厳密に言えば、わからないですよね。相手の声の抑揚や、表情、会話の間にある間合いが、この字面からは一切伝わってこないので、このコンテンツを英訳しなさい、と言われれば、とりあえず多面的に捉えることが可能なコンテクストを、自分が持ち合わせている英語のコマンドを使って、採点者に伝える努力をするしかない。それしかないですよね。 これって、もはや、英語力を問う問題なんじゃなくて、場の空気をいかに高度に読み取ることができるか、って言う能力がどれくらい長けているかによって、解答に差は出やしないのかしら、と僕はふと思ったんです。 会話の状況を英語に直して、文法の能力を見るんだったら、わざわざこんな問題にしなくても良いだろうし、じゃあ、一体この問題形式って何のためにあるのか、もはや「入試問題の入試問題による入試問題のため」にだけ存在しうる、稀有な脆くも儚いゆらぎの存在なのではないか、何という存在の悲しさ。嗚呼、和文英訳さん、、、。
上記のことを踏まえてると、無数に解答が可能な問題の精度を高めていくんだったら、むしろ、エッセイライティングを大量にやっていきながら、エッセイの条件設定、文章の幅が出てくるような付帯条件を細かく設定する、などの工夫をして、どんどん書いていきながら、ミスが出てきた場合に、効果的にそれを拾いつつ、ミスのalternativeになりうるsubstitutesを都度学んでいく方が、言語のアウトプット能力の育成だけを考えた時には、効果が高いのではないだろうか、と考えたんです。話す技術もこれと同じプロセスを経る方が確実に上手くなります。お題について英語で話す、ヒントを学ぶ、練習する、再度お題について英語で話す、の流れですね。 これまで高校生の受験指導をしていて、幾度となく疑問に思いながら、実感を伴わないまま、頭の中での結論で疑問を封印していたのですが、日、月、と福島県いわき市、宮城県仙台市でセミナーをやらせていただき、授業実践法、教科教授法をシェアしている時に、自分で整理できたことがこれでした。なるほどね、ウンウン、と心で何度も頷きながら、話をさせていただきました。僕の方が得した気分ですね。得してすみません、ごめんなさい。 詳しいお話はまたセミナーで実際に体験して頂きながら、お伝えしますね。 西山哲郎くんと一緒に追求しているオーガニックアプローチ、毎日の積み重ねによって、生徒たちの力を伸ばしていく手筈がどんどん精度を高めていっています。 考え方や理論体系、パラダイムシフトを経験しまくると、めまぐるしく展開や状況が変わってしまいますね。また新境地にきてしまった気分です。 ではまた(´ω`)

もっとも大いなるもの

単語の綴りを一生懸命練習するけれど、何度も、何度も間違える子がいる。 でも、授業中、何度もうなづきながら説明を聞き、話に耳を傾け、大きな声で歌を歌う。フォニックスの発音を、口を縦横いっぱいに開けて発音する。 oshienと単語テストに書いてきた。oc...