2018年8月7日火曜日

松本道弘先生のこと

道弘先生との出会いは、去年の9月、ICEEの大会に、西山哲郎が出ようよと誘ってくれたことが切っ掛けです。道弘先生のことはそれまで、正直存じ上げませんでした。

しかし、お会いしたら、どうも初めて会った気が全くしなかった。

あ!思い出した!
父の本棚の中に、道弘先生の本があった!

そんな遡りの出会いでした。

それ以来、道弘先生とは密に連絡を取り合い、先生からの薫陶を受け、友達たちと道弘先生に師事し、教えを乞うて学び深めている最中です。

道弘先生は同時通訳者であり、日本にディベートを紹介された方であり、僕らの guru であり、英語道のマスターであり、私たちの世代が知らないことを知っている生き証人でもあります。

道弘先生と共に過ごす時間こそが、僕らの学びを深め、師の一挙手一投足の中に、先生の歩んでこられた道程、巨人の歩みを垣間見、畏敬に震え、慄くのです。

道弘先生のお話は、その宇宙観(コスモロジー)が途方もなく広く深く大きい為に、聞いている人によっては、何の話をしているのか、訳がわからない気持ちになることがあります。初めて道弘先生と喫茶店で二人でお茶した時に、先生の話を聞いていると、そんな気持ちになりました。

「この人は一体、何の話をしているんだ。」と。

この気持ちは、"Seven Blind Mice"のお話に出てくる目の見えないネズミのそれにとてもよく似ていて、segmentalに道弘先生の話を聞いていても、全体の大きな図画の中の1つとしてそのトピックや話のアイテムを掴んで行かないと、話の筋目が見えてこない。だから先生の話を聞けば聞くほど、深い森に迷い込み、帰れなくなってしまうヘンゼルとグレーテルのような気持ちになり、途方に暮れてしまう。

道弘先生のコスモロジーはどんな風に展開されているのか、ということを常に傍にいて感じておくこと、その上で先生の話を読み解くことがとても大事だと思います。

先生の話は、宗教、哲学、人類学、経済、政治的力学、英語学、比較文化論、武道、スポーツ、様々な分野に及びます。それらを行き交う先生のお話が縦横無尽に目の前に広がり、聞く人の反応を刺激し続ける。

それが英語、日本語の両方を介して拓いていくのです。

道弘先生のこの本を読み、自分の英語力の不味さを再確認しています。
自分が生まれて間もない時分に、道弘先生はすでにこの境地で英語を操っておられた。畏敬以外の感情が湧く訳がありません。
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道弘先生は、日本にディベートを広めた方ですが、深い研究と研鑽の果てに、六角ディベートという、日本人に合った形のディベートフォーミュラを提唱され、普及にご尽力しておられます。
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英語教師として、授業メソッドの研究、カリキュラム研究に加え、英語学習全般について、仲間と共に議論やディスカッションを深めながら学びを深めてきました。

英語教師としていろんなことを考えながら指導改善や授業研究を続けて行くと、どうしても行き詰まってしまうポイントにぶち当たってしまう。

それは、自分の英語力が低すぎることと、自分の教養がなさすぎること、です。

この2点が退職のその日まで、もっと言えば、死に至るその日まで、止まず弛まず、続いて行くことでしか、教師としての完成はありえない、と僕は強く感じています。

道弘先生が、御歳78歳にして、未だ理解に完成を許さず、言葉を楽しんでおられる姿を真横で見、私の教師としての学びの究極の姿を先人がこのように生きている、未来の自分の収まるべき姿を先生の姿にtraceし、益々学びの姿勢が研ぎ澄まされて行くのを身いっぱいに感じています。

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