2017年2月10日金曜日

似もせず非なるもの

*多読授業の金曜日
今日は週の2回目の多読デー。(1回目は水曜日の放課後。)
ORTだけを出して読んでもらっています。生徒たちの読んでいるレベルは5〜8くらい。読み方の工夫を伝えて、ORTチャートを見ながら、読んでないもの、話の内容がうろ覚えの物なんかを丁寧に攫ってみようね、と伝えつつ、読んで貰っています。
↓ORT(Oxford Reading Tree)とは?
https://www.oupjapan.co.jp/ja/gradedreaders/ort/index.shtml

多読授業の約束事は以下の通りです。
・居眠り&内職は厳禁。
・レベル調整は都度相談。
・キリン読みの子達への声掛けと一緒に本探し
・やさし目のものに戻ってパンダ読み


↓パンダ読みとは?
http://www.aragoras.com/%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E5%A4%9A%E8%AA%AD%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6/%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%80%E8%AA%AD%E3%81%BF%E3%80%81%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%83%B3%E8%AA%AD%E3%81%BF%E3%81%A8%E3%81%AF%EF%BC%9F/


生徒がレベルにあったものを読んでいるかは、机間巡視しながら都度確認です。ぼーっとしていると時間の充実が台無しになってしまいますので、生徒たちの読んでいる本を見ながら声掛けしつつ、でも、できるだけ邪魔しないように、と配慮をしながら1時間を過ごします。



生徒達に指導を入れつつ、折にふれてぼくもレベル8を読書。「たかが絵本だろう。易しいし幼稚だ。」と言うご指摘は当たらない事は、実際にORTのレベル6以降の英文を見ていただければよくお判り頂けるかと思います。高校英文法バリバリです。情け容赦なく、繰り返し繰り返し出て来ます。


生徒達に指導を入れつつ、折にふれて僕もレベル8を読書。「たかが絵本だろう。易しいし幼稚だ。」と言うご指摘は当たらない事は、画像の英文を見ていただければよくお判り頂けるかと思います。高校英文法バリバリです。情け容赦なく、繰り返し繰り返し出て来ます。

このレベルになってくると、易しいレベルと高いレベルを行きつ戻りつした方がbetterですね。
多読をこれから考えておられる先生方に於かれましては、ぜひ実際に読んで頂き、中身を見て頂けると良いなと思っています。

実際に英文を読んでいただくと、ORTのレベル設計が、無理なく英語を理解できるように、丁寧かつ緻密に設計されていることがよくわかると思います。

まず読者を絵で惹きつけ、次にわかりやすさで門戸を広く開き、繰り返しによって瞬時の理解を促し、さらに内容の深さで虜にし、物語の連続性によって、読者の心を鷲掴みにする、このすべての要素を兼ね備えているのがORTの醍醐味です。

すごいシリーズです。レベル8まで読んでみて、改めてこの本の凄まじい威力と魔力を思い知らされています。


*受験演習=多読?まさかね。
毎年、センター試験が終わった頃から、高校三年生が、英作文の添削をしてください、と訪ねてきます。

僕が受け持っている学年ではない子たちは、どうして僕に相談に来るのかわかりませんが、まぁいいや、ってんで、面倒をみることにしています。

その子たちといろんな話をするんですが、先日、「先生、一年生は随分と早い段階から多読をさせてるって聞いたんですけど、すごいですね!受験に向けての準備が早いですね!」と言うので、一瞬頭が真っ白になり、「え?多読って、絵本読んでるんだけどさ。」って言うと、「あら?入試問題演習をさせてるんじゃないんですか?」とびっくりした顔で聞き返して来るので、やれやれ、と思いながらこんな説明をしました。

「あのね、「受験問題を大量に解くこと=多読」って言うのはさ、認識の誤謬だから。これはね、ドリルなの。多読じゃないの。

多読っていうのは「読書」なの。受験問題を大量に解かせるなんて高一からやったら、みんな英語大嫌いになっちゃうよ。」

受験問題を大量に解かせることは、演習であり、ドリルです。僕も高三の生徒にはドリルいっぱいやってもらいます。

*「暗唱ばかり+単語の鸚鵡返しのみの語彙習得=完全な理解(確かな英語力)」というトンチンカンな誤解
僕や仲間がやっている多読っていうのは、読書という崇高なプロセスであり、学校指導の中ではバラバラに教えられがちなスキルや総合力を、包括的に高めていくメソッドなんですね。

外国人の留学生に、漢字ドリルと国語の読解問題を大量に解かせたり、大量の日本語リスニング問題を解かせれば、日本語ができるようになるか、という仮説を考えてみるとわかると思います。

高三生にこういう説明を懇切丁寧にすると、僕も先生の授業、高一から受けたかったです、と言うので、生まれ変わったらまたその時ね、ということにしています。

しかし、一番びっくりしているのは、世の中は大入試改革に向けて、現場は様々に変化を求められているはずなのに、生徒がそういう認識に囚われている、ということと、さらにその生徒も何某かの情報によって、「多読=受験演習」と捉えていることです。

愕然を通り越して、呆れ返ってしまいました。

大人の責任なんだよな、とその子を不憫に思いつつも、そういう浅知恵みたいなもので、チャチな指導をして、生徒の英語力が上がると信じきっていた自分の30代の指導を振り返り、卒業生に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

思えば、鍛える、と称して、僕もそういうことを生徒にやらせていました。今となっては思い出したくない、恥ずかしい黒歴史です。

大量の単語テスト、大量のリスニング問題、大量の読解演習。受験の力はついたかもしれませんが、今だったら、そういう指導、絶対しないけどな、と僕は思います。大学受験には対応できても、痩せた英語力しか身につかない、そんな方法で生徒を指導してはいけないよね、と自戒を込めて、今現場で指導に取り組んでいるところです。

同時通訳トレーニングを導入して10年、その頃は今たどり着いたメソッドがわかりませんでしたので、リスニング問題を解かせておけば、力がつくんだ、と思い込んでいました。しかし、それは間違いだった、と今ははっきりと分かります。

同時通訳トレーニングをしっかりと取り組みながら、英英辞典とキクタンリーディングを使って包括的ドリル学習を行いつつ、基礎の姿勢作りをすることが、リスニング問題攻略のみならず、発音の向上、ロジカルな聞き取りフォーム、頭から英語を理解していく回路、音を弾かない耳を、無理のないやり方で身につけることができることもわかってきました。

*多読は読み流し、という悪意のある誤解
多読により、読解に対する姿勢、集中力、読みの速さ、文法指導の際に教えたことの再読、再認識、さらには自然な運用へ触れること、などが可能になり、英語力がかなり高い生徒のみならず、英語力がとても低い生徒や中間層の生徒たちに、盤石かつ完全なる英語力が身につくことも実感しています。

多読はただ文章を読み流して、単語も覚えなくてもいい楽な勉強法だ、と理解しているのは、悪意ある誤解です。それは多読ではありません。注意しましょう。

本物の英語力を身につけたければ、ヤクザな勉強法はやめるべきだよね、と僕は心から思います。

受験が終わった後も自分に残る英語力、それこそが本物で揺るぎない英語力なのだと僕は経験と生徒たちの伸びを見ていて深く実感しています。

ではまた。

もっとも大いなるもの

単語の綴りを一生懸命練習するけれど、何度も、何度も間違える子がいる。 でも、授業中、何度もうなづきながら説明を聞き、話に耳を傾け、大きな声で歌を歌う。フォニックスの発音を、口を縦横いっぱいに開けて発音する。 oshienと単語テストに書いてきた。oc...