2015年2月28日土曜日

草枕

たまっていた家事を朝から片付けててんやわんや。やれやれである。洗濯物を畳むのだけで小一時間も掛かっていては世話はない。溜め過ぎである。

新しい洗濯物を干し、ソファーに投げ出された衣類を片付け、部屋の換気をして、購入してきた夏目漱石の草枕を読む。


明治が生んだ日本の巨人のエッセイ風な小説なのだが、冒頭の1章を読むだけで、漱石がいかに天才だったかが伺える語彙と表現が、これでもか、これでもか、とグイグイ迫ってくる。


現代人が普く用いている日常語を数多く生み出した天才の文章は凄まじい。西洋から入ってきた外来語を日本語の概念に即して翻訳していった達人である。彼の書く文章には足下にも及ばない。


西周、中江兆民、夏目漱石、福沢諭吉、坪内逍遥、彼らが明治に成し遂げた偉業は礼賛し尽くせない。彼らは新しい日本語を創った。彼らは概念を身体化した。私たちが用いている現代語で、彼らの手に寄らない物は何一つない。彼らは言葉を生み出した。彼らは言葉によって人々の生活を変え、教養の階層を二段階も三段階も引き上げた。その功績は計り知れない。彼らは新しい文明を打ち立てたと言っても過言ではない。


言葉によって、私たちの生活は支配される。言葉によって私たちの文化風俗は創られ、言葉によって私たちは生かされ、殺されもする。


彼らが生み出した言葉により、ゼロの状態が1以上になった。幕末から明治の移行期に、日本が目覚ましく、列強に並ぶが如く発展を遂げたのは、まぎれもなく彼らの功績の一端に依るところが大きい。そのことはもっと声高に賞賛されてしかるべきだと僕は思っている。


文明の発達は暫し、技術革新やエネルギー革命に依る所が多であるとする通説に我々は依拠することがあるが、それでは片手落ちである。人々の営みは言葉に始まり言葉に終わる。技術を学ぶにしても、それは外国語を通してしか手段がなかった。多くの日本の青年たちは、国家発展の為に骨身削って筆舌に尽くし難い努力をした。彼らは建築、重工業技術、生活必需品の工業生産、芸術、文学、工芸、衣服、様々なことを学習吸収して、日本文化に馴染むように、学び取った物を具現化していった。その際、言葉によって説明できないもどかしさに身悶えしたはずである。


中江、夏目、福沢、西の諸子は、言葉を創出することにより、それらのモドカシさをクリアなものにすることに貢献した。言葉によって、世の中を変えたのである。

西周(にしあまね):http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%91%A8_%28%E5%95%93%E8%92%99%E5%AE%B6%29


中江兆民(なかえちょうみん):http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%B1%9F%E5%85%86%E6%B0%91

坪内逍遥:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%AA%E5%86%85%E9%80%8D%E9%81%A5

福沢諭吉:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E6%BE%A4%E8%AB%AD%E5%90%89


夏目漱石:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E6%BE%A4%E8%AB%AD%E5%90%89


草枕。冒頭から圧倒される文章が胸を突く。

「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい。住みにくさが高じると安い所へ引っ越したくなる。どこへ超しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画が出来る。人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。矢張り向う三軒両隣にちらちらする唯の人である。唯の人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりも猶住みにくかろう。越すことのならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑(のどか)にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。」


ロンドン留学、東大での教鞭、記者時代、小説家としての生き様、様々な場面で漱石が活躍し、日本文化を高度に押し上げた功績を堪能していきたいと思っている。


ひさびさの名文読書は胸が震える。大学生の頃のように胸がときめいている。
わくわく、どきどき。


2015年2月27日金曜日

毎晩の楽しみ

何かに夢中になっているときに、ついつい夜更かししてしまう癖を何とかしないといけないな、と思いながら、なかなかその癖を直せないでいる。癖、というよりは、興奮して寝付けないのかもしれない。クセじゃないな、体質なのかもね^^;


自学を再開して数日になるけれど、久しぶりに勉強することの楽しさを味わっていて、毎晩興奮している。こんなに胸が火照ることばあってよいのだろうか、と思うくらい、ノートに向かう度に胸がときめくのだ。


何故なのかは分からないし、何の為に勉強をしているのかも、自分でもよく分かっていない。でも、ノートを開いて、コーヒーを飲みながら、毎晩机に向かう時の喜びは何ともくらべることもできないし、何にも代えられない。


勉強をすることがこんなに楽しいことだったのか、と子どもの頃の気持ちを思い出して、毎晩喜びで満たされている。


子どもの頃、やらされる宿題や課題が嫌でたまらなかった。そんなとき、学校の図書館で借りてきたウォルトディズニー、ベイブルース、福沢諭吉、ニュートン、ファーブルなどの偉人伝を読んで、山積する問題から逃げていた。偉人の伝記を読むとなぜだか分からないのだけれど、意味の分からない多幸感に包まれた。理由は今でもよく分からないが、彼らのサクセスストーリーの中に、子どもの自分が心の中でだけ背伸びを許されているような気持ちになったから、なのかもしれない。


福沢諭吉は、神社の祠に大人がお参りをしているのを見て、なんの有り難みがあってそんなことをしているのだろう、と不思議に思ったらしい。彼は聡い子どもだったので、ある日悪知恵を思いつき、大人がいないときに、そっと祠の扉を開けて、ご神体を伺った。


すると、そこには、道ばたに落ちているような、何の変哲もない石ころが一つ、ころんと鎮座在すだけだったという。諭吉は、大人が毎日ありがたがっているものは、ただの石ころだったのか、と思い、ご神体の石ころを、道に転がる石と取り替えたら、翌朝からも、諭吉の周囲の大人たちは、毎日欠かさず祈りを捧げ続けたらしい。諭吉にとって、その姿は非常に滑稽に見えたそうだ。


この話を読んだとき、諭吉少年の悪魔的天才性に畏敬の念を抱くと同時に、なるほどね、どんなことでも、大人が言っているから、とか、偉い人がそう言っているから、とか、昔からそう決まっているから、という理由で、なんの疑いもなく鵜呑みにしてはいけないんだな、と子ども心に初めて大人を疑う「事始め」の指南を受けた気持ちでいっぱいだった。


そんな刺激に満ちた話が載っている偉人伝が大好きだった。偉い人はみんな、初めは失敗したり、うまくいかなかったり、人とはやり方が違うので、批判を受けたりと、決して社会から受け入れられていたり、適合できていたわけではないんだな、ということを、子どもながらに教わっていた気がする。


自学帳を再開し、僕は何気なく自分が好きな「時事英語」の分野に手を伸ばした。経済や政治の英語を読んだり聞いたり、番組を見たりすることが大好きで、夢中でやっていた時を思い出すと懐かしい。


ふと、時事英語のキーワードを一つ一つ丁寧に紐解いていくうちに、globalizationprotectionism, free tradeというキーワードに目が留まった。普段思考するときに、何気なく使っているこれらのキーワードに関して、真面目に受け止め、歴史を学び、理解に努めようとしたことはなかったので、じゃあ、これを勉強してみよう、ということで、とりあえずは、手っ取り早く、wikipediaglobalizationを引き、この資料を元にして、自学帳にノートまとめをしていこうかな、と思った次第。


勉強の仕方はいたってシンプル。女子高生が世界史の史料と教科書を見ながら、ノートにまとめていく作業をするのを、英語の資料でやっている、という、ただそれだけのこと笑。




音読しながら、その場で自分なりに英語で言ってみる、疑問に思うことを、wikipediaくんに質問する気持ちでその場で喋ってみる。しばらく考えて、資料を読み返す。そしてその都度疑問に思ったことを書き出し、また文献に戻って資料をまとめていく、という作業。だいたい1日2ページと決めているので、それ以上はやらない。




無理は絶対にダメ。無理なく、自分が楽しんでやれる範囲をキープしている。一番大切なことは毎日続けることなので、毎日続けることだけを目標にしている。


英語圏に留学した経験がないので、僕は自分の英語力に自信もないし、自分が英語がぜんぜんできないことを、自分が一番良く知っている。




だから、こういうことをしていると、まるで自分が英語圏の大学の講義を受けている様な気持ちになれて、とてもウキウキとしてくる。




勘違いは人を成長させもするし、人をだめにもする。勘違いすることによってだめになっていく大人もたくさん見てきた。




でも、自分は今、留学しているかのような錯覚と勘違いによって、毎晩しあわせを感じることができる。こんなに素敵な時間があっていいことか、と毎晩にやけがとまらない。




勉強すること、本を読むことがこんなにも楽しいと感じるなんて、41歳もなかなか捨てたもんじゃないな、と、20代の頃の生意気だった自分に説教してやりたい気持ちでいっぱいなのです。




ではまた。


2015年2月26日木曜日

「好きなときに、好きなことを、好きなだけする。」ということ。

僕の大好きな中田ヤスタカさんが仰っていた言葉、「好きなときに、好きなことを、好きなだけする。」というのがとても好きで、たまにひとり言でつぶやいたりする。


とても素敵な言葉だな、と僕は思っている。


好きなときに、好きなことを、好きなだけする、ってとても自由な状態じゃないですか。そうやって生きていくことが、一番しあわせなんじゃないか、と僕は考えているのです。


最近、好きな本を読んで、好きな勉強をして、大好きな筋トレをやって、これまた大好きなテニスをしている時が一番しあわせを感じる。


誰から頼まれるのでも、命じられるのでもない。自分でやりたい、と思っていることを思い切りやっているだけなんだけど、たまらなくしあわせなのです。


その時がいつくるのか、わからないじゃないですか(笑)。

だから、好きなことがいつでもできるように、準備というか、備えはしておきたいな、と僕は思っている。


たとえば、本はいつ読みたくなるか、わからないので、鞄、トイレ、デスクの上、あらゆるところにあらゆるジャンルの本を置いてる。今読んでいるやつとか、勉強してるやつはとりあえず毎日持ち歩くんだけど、トイレで読みたくなる時があるので、トイレにも本棚を置いている。


トイレで読む本は大体、江戸時代関連のもの、たとえば江戸の町民の暮らしぶりとかそういう類いのもの、それと飲み会などで街に出た時に、新書で「おっ。」っと軽く思って買ってきたやつと、つげ義春、水木しげるの漫画。そういえば、奥の細道は家中にあるかも知れない(笑)。僕、芭蕉の大ファンなので。


本棚には、学術書ばかり置いているわけではなくて、建築物の写真集とか、映画監督のインタビュー本とか、美術系とか、筋トレの本、音楽の本、詩集、思想書とか、そういうのを置いてる。


あ、そうだ。家にある名著は聖書です(笑)。名作と言えば、「進撃の巨人」も全巻ある(笑)。


小説はあまり読まないので、これと言ってない。谷崎潤一郎と三島由紀夫、夏目漱石くらい。村上春樹は読んだら人にあげてるので家にはない。



古典、落語関連の本、世界史の本とか、哲学とかもあるけれど、そういうのが部屋のあちこちに散らばってるのもなんだか野暮ったいので、今読んでるやつを近くに置いて、あとは書棚のうしろの方に置くようにしている。


本は人から強制されたり、難癖をつけられながら読んでも、ちっとも心に入って来ない。自分が「これは!」と思う本は自分を必ず呼ぶ。「俺を読んでみないか。」と誘ってくる。そして無意識にその本を手に取り、読むことになる。


課題とか、宿題で読まされる本や文献の中身って、ちっとも残らないじゃないですか(笑)。


あれって、そういうことだと思うんだよね。仕事や勉強、研究の為に読む本もある。だけど、そういう本は往々にして忘却の彼方へ押しやられる。


本が僕らを呼ぶ。書店や図書館に行くと、自分が探しているものとは全く関係のない本が目に留り、ついつい手に取って買ったり借りたりしてしまうことがある。自分が探すのではなく、本が僕らを呼んでいるのだ。


だから、僕は好きな本を読むことにしている。本に呼ばれるがまま、あー、はいはい、分かりました、僕を選んでくれてうれしいです、と逆に本の方へ謙譲の居で畏みて読ませていただく。


ところが、本は一旦読み始めると、夢中になり、その間、今読んでいる本がまるで恋人のようになってくる。四六時中、その本のことが気になって仕方がない。


「ねー、ねー、今なにしてるの。」「んー、そろそろ寝ようと思ってた。」「あ、俺眠くないけど。」「へーそうなんだ、で、どうなのよ。」「あ、どうなのよ、って何が。」みたいな会話、付き合ってる人とかとするでしょう?


熱中して本を読んでいる時って、僕にとっては、そんなやきもきしたような気持ちになって、身体的熱量が上がってくるので、火照ってくる。


そして、これまた四六時中、今読んでいる箇所の内容が頭から離れず、あー、もう、マジで好き過ぎてキレそう!と思ったりしてしまうのだ。


好きな本、気になる本を読んでいる時間はそんな仄かに胸がほんのりとトキメく時。そして、読んだことを、必ず誰かに伝えたくなるから不思議なものだ。


大好きで、大好きでたまらない、そんな気持ちがわずかに続く状態、それが本を読んでいる時の気持ちなのだと僕は思っている。


好きな本を、好きな時に、好きなだけ読む生活。いいですよ^^


雑記、はじめました。

親しい友人に請われて、止めていたブログを再開することにした。 特別に理由があって、というわけではないのだけれど、書いたものを読みたい、と言われたら断る理由もないので。


 たぶん、ブログを書き始めたのが 2005年ごろだったと思うので、かれこれ10年弱の時間が経っていることになる。すごいことですね、今考えると(笑)。恐ろしい。 


10年前、自分が思ったこと、言いたいことを発信したくてたま
らなかった。もう、なんの理由もない、恥も外聞もない。質より量、内容より見てくれ、これしかなかった。 若くて必死で、一生懸命だったのだと思う。 今考えると恥ずかしいことだけれど、当時はそんなこと一切気にならなかった。誰から頼まれもしないのに、一生懸命書いていた。


 今読み返すと恥ずかしい内容もあるかもしれない。きっとたくさんある。 でも、自分は過去のエントリーを読み返すことはしないことにしている。 過去の自分はもう終わった自分、死んでいる。二度と帰ってはこない。


 僕らが「今」という言葉を発した瞬間に、「今」は過去のものになり、そして次の瞬間にまた、新しい「今」が現れては足跡を残さずにどんどん先へ、先へ、と進んで行ってしまう。 そうこうしているうちに、僕らは終わりを迎えてしまうのだろう。 


「終わり」は「死」かも知れないし、「退職」なのかもしれないし、「別離」なのかもしれない。それは分からない。ただ、今から月日が経って、自分が「終わろう」と決めた時が、本当に「終わり」が来た時なのだ、と僕は思っている。 だから、僕はもう一度、ブログを再開することにした。 


長い休憩の暇は過ぎて、今は次の「春」を迎える気持ちでいっぱいだからだ。 さて、どこから手をつけようか、と思い立ち、昨日本をたくさん買い込んできた。 主に古典とか落語とか世界史の本。




もう一つ。自学帳を作って、毎日勉強をすることを再開した。理由は特にないが、今継続してやっていることが自分なりに上手くいっているので、次のことを始めたいと無意識に身体が動いたのかもしれない。

 


 去年、今までまったくやったことがない「テニス」のプレーを始めた。もう9ヶ月になる。自分でも不思議だが、良く続いているな、と思っている。筋トレは2年続いている。おかげさまで、足腰が弱ったり、疲れ易くなったりはせず、毎日元気に過ごさせて頂いてる。 


多くのことをいっぺんにできないので、自分が気の向くまま、自分の思った通り、鳥のように自由にいたい、と僕は思っている。 



どれだけ続くかわからないが、取り敢えず、大好きな友達の為に、糸井重里さんではないが、できるだけ「ほぼ日」でブログを更新したいな、と僕は思っている。


もっとも大いなるもの

単語の綴りを一生懸命練習するけれど、何度も、何度も間違える子がいる。 でも、授業中、何度もうなづきながら説明を聞き、話に耳を傾け、大きな声で歌を歌う。フォニックスの発音を、口を縦横いっぱいに開けて発音する。 oshienと単語テストに書いてきた。oc...