2017年2月6日月曜日

違うんですよ。そうじゃないんです。


*ORTセミナー@神戸、60数名参加にて満員御礼
オックスフォード大学出版より招聘を賜り、去年から数えて4回目の、Oxford University Press presents “Oxford Reading Tree Seminar”  が神戸で開催されました。当日は満員御礼で、教室に入りきれない参加者の方もおられ、OUPのスタッフの方が座席を増員するなどして対応なさっていました。

「多読を始めたいけれどどこからやれば良いのか分からないので参加をしました。」
「オーガニックで自然な語学指導に興味を持ち参加しました。」
「英語が苦手な生徒たちにどのように対応していくか悩んでいる時に同僚に勧められて参加しました。」などの声をアンケートに頂戴し、身が引き締まる思いがしました。

当日は武庫川女子大附属中高の安福先生、東大寺学園の西山哲郎先生、そして僕、がプレゼンターを務めさせていただきました。

参加された60数名の先生方、本当にどうもありがとうございました。販促の方が持ってこられてあった本の販売ブースでは、英英辞典とORTシリーズが飛ぶように売れていました。

スタッフの皆様、OUPの小林さん、安福先生、哲郎くん、本当にどうもありがとうございました。

*建設的知的生産:「批判」を恐れるのは人類の進化への拒絶
さて、セミナーの内容と反省点などに関して、僕は親友の西山哲郎くんとはかなりシビアに批判をし合うようにしています。毎回セミナーが終わると、西山くんとテレビ会議をして、お互いにどこが不味かったかを徹底的に洗い出し、批判し合います。お互いにイエスマンになってしまったら、自分達の成長が望めず、悲しいおじさんになってしまうよね、と二人で何度も確認し合い、お互いの成長を助け合える存在でい続けられるように、耳の痛いことをどんどんお互いにぶつけます。


日本人は「批判」と言う言葉に対して過敏に反応し、批判を受けることを忌避する傾向にあるように僕には思えるのですが、本来、「批判」と言うのは、「より良き改善を促す」ために行う知的生産行為であり、これを差し控えたり、避けたりしていては、知性の怠惰を許してしまうことになるのです。「非難」と「批判」と「中傷」はそれぞれ意味が違います。ですから、そこをきちんと認識した上で、お互いの改善を願ってシビアにassesment を出し合わないと、マンネリ化を自身に許してしまうことになる、と僕らはお互いに恐れているのです。

僕らが立てている宣誓の一つに、毎回同じネタをやらない、と言うのがあり、それは自分たち自身への自省と自戒の意味と、もう一つは、リピーターの方に対する僕らの敬意と謝意を忘れない、と言う想いから続いている心構えです。その意味で、必ず二人で反省会をやります。スカイプでやる時もありますし、会が終わってから、懇親会などの後に、2人で集まって必ずこの時間をとります。

今回のセミナーに関しては、お互いに満足のいく発表ができたのではないか、と思います。一方で、「どうすれば多読に踏み切れない先生方の背中を押すことができるか。」
「同僚との擦り合わせで悩んでらっしゃる先生方をどのように導くことができるか。」
「どうすれば、先生方が抱きがちになってしまう、お前のところは恵まれているから良いよね、と言うパラダイムからの脱却を促していただけるか。」
「どうすれば、多読なんて受験に役立たない、単語も覚えない、生徒が伸びない、と言う誤解を解いて差し上げることができるか。」

という4点に関して、議論が深まりました。特に多読に関するイメージの誤解を解いて差し上げる、という点に関して、また、受験には役立たない論に対する払拭をどのように行っていけば良いか、詳らかに意見を交わしました。

*「多読」の誤解を解く
多読の効能の一番優れている点は、類推力・描画アプローチによる右脳読解・補完力、の3つの能力の涵養と向上です。これらの能力は、実際に読書を続けていく中で身についていくスキルであり、コマンドでもあります。

字しか書かれていない英文を見た時に、その英文がどのような状況なのかを頭で思い描く能力が多読によって身につきます。絵本を読み、絵をじっくり見ながら文の内容を類推することを繰り返し、繰り返し行うことにより、左脳だけで処理していた文字情報に対して、右脳がイメージ喚起を促すようになります。そうすると、初見の英文を読んだ時に、全体でどんな話が進行しているか、という流れや絵が見えるようになるんです。

僕は安福先生のお話を聞いて、 form(文法・語彙)を軽視しては絶対にいけない、という点に改めて深く同意し、共感を強めました。絵本を見て、未知語の意味の類推ができるようになったり、日本語を介さなくても、英語のまま理解ができたりすることは可能です。ここで忘れてはならないのは、「語彙」という言葉はしばしば、私たちによって、「認識語彙」と「運用語彙」がごちゃ混ぜになって理解されている、という事実です。

多読で培われる語彙は、認識語彙が大半であり、獲得した認識語彙を運用語彙に昇華していく
反復が一定数で行われ、さらに、それらをどのような文脈で使うか、また、どのように組み合わせを変えるか、という試行錯誤を経ないと、獲得した語彙は運用できない、ということになります。多読万能論が危ういのは、この点において多くの誤解を生みやすい潜在性を孕んでいることに、無頓着になってしまうほど、読書という行為そのものが、楽しいし、英語が伸びてしまう点に在ります。その点に注意を払い、生徒たちに配慮をしなければ、多読によって生徒は伸びるのですが、爆発的な伸びが期待できない、ということになるのです。


*受験に対応できない?
以上のような脳の働きを踏まえると、多読が受験に役立たないのではなく、むしろ、一斉授業や完全な理解を求めるような指導を行っていても決して鍛えることのできない脳へのアプローチが可能になることがお分かりいただけると思います。

学力やメタ認知が高い位置にある生徒は、無意味に感じられる反復や、苦痛を伴うドリルに対して、嫌悪感があっても、難なくこなせてしまうため、そういう生徒たちに対して私たち教師は、しばしば、ドリルや受験演習に偏りがちになってしまいます。ですが、生徒たちはむしろ、それらの行為は自分一人でも行えるではないか、という疑念を抱き始めた時、授業に対する関心を急激に失ってしまうのです。

多読は、成績が上位の生徒に対しても、英語を苦手とする生徒に対しても、有効な学習手立てとなります。それは「本人の自由裁量が認められていること」と、「知識獲得だけではなく創造するという知的生産を許される」という2点にもっとも効果が表れている、と僕は考えています。

教師が指導をすることには、教師が考えて準備した1つのことしか生徒は学習項目を持ち得ませんが、生徒の想像を許可することにより、生徒が考え出すことは、無限に広がり、ある時は、これまでに獲得した知識や情報と、全く異なる組み合わせの妙を獲得したりすることが可能になったりするのです。

多読は、読む速さ(リーディングスピード)、読む行為に対する持久力(リーディングスタミナ)、アルファー波が出た状態を持続させることにより涵養させる集中力(集中力アップ)、の他に加えて、認識語彙の獲得、意味のある間を置いた反復により促される語彙記憶の強化と運用への応用、が促進される点で、大いに優れている学習形態であると言えます。

*終わりに代えて
これはこのブログでもフェイスブックでも、ツイッターでも何度も訴えていることですが、子供を抑え付けて指導しても、大学生になった後の学びの持続性と効果において、何らコミットしたことにはならないのです。生徒が大学生になった時、大人になった後、自分たちで進んで学びに向かいたいと考えるようになってくれる、そんな姿勢を涵養していきたい。多読や通訳トレーニング、語彙学習、スピーキング活動、協働学習はそんな遠くを見据えて設計されていると僕は考えています。個人の成績を伸ばし、その個人の力をグループによって、集団によって束ね、衆人の叡智にコミットする、という果てしなく途方もない大きな目標にコミットし続けなければ、社会が、教育が、個人が、良くなりません。分断は深まり、自分さえよければ良い、という姿勢が養生の幅を広げるだけで、肥大化した化け物のような自己承認欲求を追い求めて彷徨い続ける大人が増えるだけです。誰も幸せになりません。

点数や数字を伸ばしていくことは、アウターマッスルを鍛えていくことに例えることができると思います。考える力、疑問を持つ視点、批判的に物事を見つめる視点、分析力、類推力、描画力などは、普く拓かれた構えで世を捉える力を養わない限り涵養され得ず、知のインナーマッスルはいつまでたっても痩せたままです。

子供達の学力を伸ばす一番の指導法は、「教えないこと=子供が自分で考える力を日々つけさせること」だと僕は思っています。

「完全な理解」を子供達に求めて、がむしゃらに教師が頑張っても、子供達の受動的な姿勢がますます高まるばかりで、考える力や、疑問を持つ視点は育ちません。それは子供の成長を促したことにはならず、子供達を餌を待つ燕のように見て、餌を与え続けることに過ぎません。思考力にコミットする下地を作る準備を、あらゆる活動や指導を伴って促していくことが大切だと僕は思います。多読はその一つの手段であり、自己目的化してはいけないと強く警戒しています。

長くなりました。もう少しこまめにブログを更新することにします。
少し忙しすぎるのかも知れません。

今日はこの辺りで一つ。

追伸;(業務連絡)哲郎君、溝畑先生のセミナー、60名を超えて、今70名に届きそうな勢いで申し込みがすごいことになってるよ。OUPセミナーといい、すごいことだね。数がどんどん増えてる。関心の高まりが凄まじいですね。

もっとも大いなるもの

単語の綴りを一生懸命練習するけれど、何度も、何度も間違える子がいる。 でも、授業中、何度もうなづきながら説明を聞き、話に耳を傾け、大きな声で歌を歌う。フォニックスの発音を、口を縦横いっぱいに開けて発音する。 oshienと単語テストに書いてきた。oc...