2016年7月15日金曜日

"Sense of English"を子ども達に


ミセスミヤコなう。今この本を読んでいます。

京先生は児童英語教育に長年ご尽力してこられた素晴らしい先生で
す。

普段、絵本を読んでいると感じることに京先生が丁寧に答えてくださってあり、京先生の本を読みながら、中嶋洋一先生の本を貪り読んだ20代前半の頃を思い出しました。
僕はこれら2冊の著書をボロボロになるまで読みました。ノートにメモを取りながら、毎日毎日、片時もこの2冊を手元から離したことはありませんでした。

何度も線を引き、蛍光ペンでチェックを入れ、先生が書かれてあることの横に、自分がわかったこと、思ったこと、アイディア、生徒たちとの関わりから得られたことと重なり合う部分をメモ書きしました。

この2冊の本がなければ、今の自分の授業はない、と言っても過言ではなく、中嶋先生の影響から、未だに逃れられないでいます。偉大な先生です。


京先生の本は、冒頭から、子供が英語を学ぶんで行くプロセスをご自身の体験と紐解きながら解説してくださってあり、まさに中嶋先生の本の中のそれと同じ世界が展開されていました。

「こうすれば英語の授業が上手くいく!」とか、「英語勉強法」といった類の本は、世に掃いて捨てるほどあり、どれが本物でどれがインチキなのか、判別を諦めてしまいたくなるほど多くありますが、この2冊と京先生の本は本物です。


本の中身に嘘偽りが一切感じられない。それはご自身のご経験を、生徒たちの様子を元に書かれてあるからです。

数字では表れてこない生徒の様子、理解のプロセス、生徒が伸びやかに成長していく姿が書かれてある本は本物です。京先生と中嶋先生の本には、お前の勉強の仕方をこのように変えよ、といった押し付けがましさや、肩書きや数字に頼る上から目線な本にある特有の排他性が一切感じられない。

目の前にいるご自身の生徒さんたちを愛しているのはもちろん、それらの著書を手に取っている読者への深い愛情が随所に感じられ、温かい気持ちに包まれ続けてページをめくっていく時間が過ぎていきます。

京先生の本の中には、子供達に、無理やり暗唱をさせたり、暗記を強いたり、ドリルや練習のみのトレーニングを闇雲にさせて、力をつけさせるのではなく、ネィティブの子供達が自然に英語のシャワーを浴びるように身につけていく、目に見えないセンス、英語のセンス、Sense of Englishを子供たちの中に育みましょう、そんな風に書いてあります。


中嶋先生の本の中にも、富山県の公立中学校の生徒たちが、生き生きと英語を学び、英語の授業を通して、マネージメント、他者との協調性、物を見る視点、考える力、表現力などをつけていく手法が、余すところなく、もったいぶらず全て著してあります。京先生の本の中にも、こんなに手の内を明かして、大丈夫なのだろうか、とこちらが心配になってしまうほど、これでもか、これでもか、と活動や、指導法の一々が全て網羅されているのです。

僕が20代後半の時に出会った同時通訳トレーニングであるKHシステムという本。著者の国井先生と橋本先生にはお世話になりっぱなしで、足を向けて寝られませんが、先生方は僕に、ご存じのことを余すところなく全て教えてくださり、質問をすれば何にでも答えて下さり、更に今後のアドバイスなどを丁寧に細かく指導してくださいました。

一流は出し惜しみをしません、というのは僕が敬愛するリアリーイングリッシュの石川さんの言葉であり、また、ハウルの動く城の中で、ソフィーがカルシファーに言う言葉ですが、本当にその通りです。

そして、引き出しの量がとてつもなく多く、新たな視座や視点、新しいアイディアに溢れ、いつ見返しても、何度も何度も新たな発見があるのです。


今年の3月に初めて出会い、以来仲良く交流をさせていただいている胡子美由紀先生の本もこれらの本の中に入る名著です。美由紀さんの本に興味がある方は、この本を読んでいただいて、その後、ぜひ美由紀さんのお話を聞いてほしい、と僕は思っています。素晴らしい先生です。




さて、京先生の本を読みながら、Sense of English、英語を英語のまま理解する力を授業の中で育てていくにはどうすればいいか、という問いについて、これまで4年間のAll in Englishやオーガニックな語学指導を振り返って考えていました。 例えば僕ら指導者が、教材を見ていく中で、生徒が知らない文法事項に出会った時、中高に勤めていると、どうしてもこんな風に考えてしまわないでしょうか?

「これはうちの生徒たちには難しすぎるね。」とか、「文法事項をどうやって定着させていこうか。」とか。はたまた「基礎ができてないから英語の本を読ませるなんて無理。」など。

子供向けの絵本の中には、容赦なく、関係詞、仮定法、過去完了、分詞構文などがバンバン出てきますし、生徒も、そして先生すらも見たことも聞いたこともないような不思議な語彙がどんどん登場します。


指導者が「仮定法、過去完了、分詞構文などは理解が難しい」という概念から先ず解き放たれないと、sense of English を育む指導はできないんだろうな、と改めて京先生に共感共鳴しました。子供達は大量に絵本や動画、歌や記事などの英語に触れていくうちに、これらの感覚を身につけていきます。僕は1学期に子ども達の様子を見ていて、その姿を嫌という程目の当たりにして驚嘆の連続を経験してきましたので、これは間違ってはいないんだと思っています。


「この単語を生徒は知らない、この文法事項はまだ既出ではない」という発想で英語指導を見ていると、いつまで経っても子供がsense of Englishを育む機会は訪れないですね。


あまりこういう言い方は差し控えたいのですが、センター試験や、私学の問題の中には、「未知語を類推せよ」とか「要約せよ」と言った問題も出てきますし、自由英作文の問題も出題されています。

近年の政府の施策によって、その瑕疵は別として、子供達は否が応にもそういう類の問題が増えて行く環境に直面して行くことが予想されています。


単語の意味を全て覚えておかなければ解けない英語力なのではなく、単語の意味でわからないものがあっても、全体を読みながら類推したり、論理構造を瞬時に見抜く力があればそういう問題に対する特別な対策は必要ないと僕は思っています。


指導者が、すぐに結果を求め、その数字にばかり教育効果の意義を見出すような気持ちを捨て去り、生徒たちが英語の感覚で文章や表現を理解できるプロセスは時間がかかるんだ、と腰を据えていくと、生徒との英語での関わりが無限に広がるんですよね。


それをまだ未体験な多くの英語の先生方にぜひ体験して頂きたいと、毎日毎日祈り願っています。


京先生の本、名著であり、僕のバイブルとなりました。素晴らしい本です。週末はオックスフォード社で多読の実践発表です。 30名近くの先生方にお集まり頂くそうで、とても身が引き締まりますね。良い時間にしたいと思っていますので、まだまだ資料を練り直しているところです。 ではまた😀

もっとも大いなるもの

単語の綴りを一生懸命練習するけれど、何度も、何度も間違える子がいる。 でも、授業中、何度もうなづきながら説明を聞き、話に耳を傾け、大きな声で歌を歌う。フォニックスの発音を、口を縦横いっぱいに開けて発音する。 oshienと単語テストに書いてきた。oc...