2015年11月19日木曜日

英語力を高めることについての考察

英語のトレーニングを毎日やっていて、実際に学校で教えている時と一致するところと一致しない所がある。

英語のトレーニングは自主的に行なっているものだから、制約や規制は、自主的に掛けない限り、一切ない。

だが、学校は中学で3年、高校で3年という制約や期限が存在しているので、どうしてもやらなければ行けない事を選り分けて考えないといけない。その辺が厄介で面倒だったりする。

今まではその折り合いをどうつけて行こうかと随分悩んだが、バランスを取りながら、両者を上手くブレンドしていく方法が、学校で英語を学ぶ際に一番無理なく、歪みなくいけるのではないか、と僕は考えている。もどかしいので、少し立ち止まって、今日は深く考えてみた。

たとえば僕は多読と多聴を自分用のトレーニングに課しているが、学校では、多読はやっても、多聴はなかなか難しいと思っている。多読教材(オックスフォードなどの)のCD付きの場合は、本を読みながらその音声を聞き、多聴状態を作る事ができるので良いが、多読教材が図書館や学校になかったり、本はあってもCDが附属でない場合はなかなかリスニングを同時に鍛えて行く事が難しい。

そういう場合、リスニングを鍛えて行く方法は、通訳TRによる方法が一番効率的で時間と手間が省ける。

音の出し方、意味の仕込み、聞き取りのフォーム作り、チャンクごとのシャドーイング、合いの手を入れながらのシャドーイング、サイトトランスレーション(スラッシュで区切りながら読む法)、日本語戻し、英語戻し、和訳見シャドー、大和言葉落とし、などの方法を使い、英語の音の仕組みを短期間で学び、その上で自分の発音を矯正しつつ、英語音声に自分の音を肉薄していく方法である。これは学校でもできるし、記録を付けながら、日課としてやっていくことが可能。

多読に関しては、語彙や文法事項が不十分な場合には、ある程度の語彙指導と文法指導をやり込みすぎずに生徒にガイドし、その後、多読によって、細切れ理解になっている情報をどんどんつなげて行き、理解できていない所を埋めて行く様な作業を繰り返す。まさにclose the gapの学習法。

多読のメソッドは、世の中で誤解を受ける事が多い事を、多読研究会で学んだ。たとえば世に言う「多読」と言うと、恐らく一般のイメージでは、「受験長文を大量に読む事」と認識する人と、「オックスフォードリーディングツリーなどの原書をたくさん読むこと」と理解している人の2種類出てくると考えられる。

僕は自分のTRに課しているのはthe latterであり、the formerではない。the latterの多読の良い所は、それぞれの英語レベルにあった教材を個人で選んで取り組む事ができること、また、同レベルで異なった内容を扱った教材に多く触れる事ができる点である。前者の多読の場合は、ひたすら受験の長文を読む事を指すが、受験の長文は、レベル別にカテゴライズされてあるものを読むと効率が良いと思う。ただし、前者と後者の「多読」の決定的な違いは、受験長文の多読は読んでいて面白かったり、感銘を受けたりする刺激が薄いのに対し、洋書や生素材の多読は、好奇心をかき立てられたり、自分のペースで誰にも邪魔されずに、おのおのの読解力をspontaneouslyに引き上げて行くことが可能な点だ。

僕はまだ学校の中で多読学習を取り入れている訳ではないが、「多読」を自分の授業に取り入れる場合、「短期間で成果を出す」という姿勢では絶対に取り組まないと思う。それでは上手く行かないからだ。

毎週一時間、多読の時間を取り、生徒達に自分たちのレベルに会った本を選ばせ、読ませる。記録もつける。生徒が読んでいる間、個人個人のところを回りながら、つまづきや、本の内容についての理解が上手く行っているか、生徒と対話をしながら話して行く。

当然、固定化されたやり方ではマンネリズムに陥るので、生徒同士でペア読み聞かせをさせたり、ブックレビューを班ごとにさせたり、定期的に教師が生徒に読み聞かせをしたり、動画を見せたり、といった活動とブレンドしながら、長い時間を掛けて生徒の読解力と英語を英語のまま理解する脳の回路を育成していくことになると思う。

高校二年生の後半や高校三年生の学年でやる場合でも、全てを多読に回す事は愚かな行為で、馬鹿げている。なぜなら、この時期の生徒は、ゆっくりした時間が残されて居らず(受験があるため)、そればかりに感けている訳にはいかないからだ。その場合は、基礎をしっかりと固めながら、時折、読み聞かせをしたり、フリートークのセッションをしながらスピーキング力を鍛え、ディスカッションをしながらブレインストーミングをして、気付きや発見を得、その内容をライティングして、アウトプット力を上げて行く事が大切だ。

翻って見ると、学校の中で多読の活動をしようと思えば、少なくとも2年、できれば3年の時間は欲しいところ。これは有機栽培にとてもよく似ている。大は小を兼ねるが、小は大を兼ねない。洋書を使った多読の取り組みは大きな懐で学習者を少しずつゆっくりと育てて行く手法に似て居り、受験長文の多読は、ピンポイントで精読して行く方法だと僕は理解している。どちらの方法でも最終的には目的は共通しているが、僕は時間が取れる場合には、大は小を兼ねる方法を取りたいと思っている。それは自分が実際にトレーニングをやっていて実感している事であり、受験指導や学校英文法だけにこだわっていた時代には、理解ができなかったことだ。

実際に自分で毎日、北米のニュースを80分強聞き、毎日北米新聞の記事を読み、週に一度英語でディスカッションをし、自分が各ノートを全て英語で埋め尽くすようなトレーニングを2ヶ月続けているが(というか13年前からスタートしていて、2年間はリスニングのみをやっていただけだったので、徹底TRを再開したのが9月から、という意味で)、英語力を上げる方法を若い頃から身を以て色々と試して来て、今実感を伴って理解できることが沢山ある。これらの理解は、恐らく20代の自分では不可能だったと思っている。

学校の中で教えている英語だけに触れていると、俯瞰して英語力を高めて行くにはどうすれば良いか、という観点に到達できない。それはたとえば資格試験を受ければ良いのか、とか、文法を詳しく突っ込んで知っているから、とか、英語を読んで行く時のテクニックがよくわかる、ということとも違う。実際に自分自身のレベルにあったトレーニングをしていると、これはダメだな、とか、この方法がbetterだなということが実感を伴って理解出来る様になる。

自分のトレーニングを持っている人と、そうでない人は、全くパラダイムが異なるので、同じ内容のことを考える場合でも、観点や理解の深みに差があり、その溝は埋まる事はない。

議論をしても始まらないのは、こういうパラダイムの違いに起因しているので、これを理解してもらおうとすると、大変骨が折れるし、膨大な時間を費やしても、理解してもらえない事が通例だったりする。

accuracyを追求していき、その先にfluencyを求めて行こうとする学習メソッドと、fluencyによって大量の素材に触れながら、accuracyに到達して行こうとする学習メソッドはconceptが全く異なっているから、上記のような齟齬は埋まらない。仕方のない事。

どちらの学習メソッドにも一長一短あるとは思うけれど、最終的には指導者が自分の身体を使ってやってみて実感した事を教えて行く事が、生徒達に対して一番説得力があることなのではないか、と僕は考えているので、今はfluency first, accuracy nextだと考えている。ただし、それは、学校の英語教育で行なわれている事を一切やらないとか、捨て去るとか、全否定するとか、そういう事ではない。(これを書いておかないと、無用な誤解がたくさん生まれて、説明とかが面倒なので、一応書いておく。)

学校で教えながら、毎日英語のトレーニングを突っ込んでやっていて思うのは、生徒達にできるだけ生の英語素材に触れさせてやりたいということと、受験の先にある英語の世界を意識して勉強して欲しいと思っている事だ。

生徒達は受験があるから、受験で点数が取れる様にしてやりたい。ただし、スキルやテクニックだけを教えても、たとえば自由英作文を書いたり、長文を早く読んだりする事はできないので、オーガニックな方法を取り入れながら、受験指導を強化して、生徒達に力を付けてあげたいな、と思って毎日指導をしている。

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英語を学習して行く際のプロセスというか、過程を、自分なりに整理しておきたいので、備忘的に書き記すことにした。

英語の伸びを考えた場合、初級、初中級、中級、中上級、上級、上上級、くらいのカテゴライズで考えると良いと思ってる。もう少し細かく分類することもできるが、際限がないので。

初級から初中級の段階で一番大事なのは英語にたくさん触れる事と、英語を嫌いにならないこと。ここではドリルをたくさんやったり、ある程度スピード感を持ってやる方が向いている人もいるkれど、英語に触れたばかりの人で、特に語学が苦手な人は、極度に無理をさせすぎると英語嫌いになり、英語アレルギーになってしまう。この段階でも結果を急がず、時間を掛けて、本人が分かるレベルでゆっくりと少しずつ、たくさんのものに触れて、できるだけ長い時間を掛けながら、理解を深めて行く事が有効。

基礎を作る段階、たとえば英語初級レベルで、全く英語に触れた事がない人は、英語に数多く触れながら、日本語による解説や、和訳を参照することも大事。主軸を「英語を浴びる」に置きながら、不安になったり、どうしてもこれは知っておきたい、という箇所で日本語による解説に頼りつつ、先に進む方が良い。

中級から中上級の段階になると、触れているものの意味や、やっていることの意義付けをある程度はっきりspecifyしていくことが大事。初級から培って来たオーガニックな語彙やフレーズなどの意味を、日本語の辞書で確認しても良いし、英英辞典を引きながら、語義をノートに書き、何度も使って行くうちにフレーズを憶えて行く事が有効。この段階でも結果を急がない。文法事項も、英英辞典や、たくさんの英文に触れていると、ごく自然な形でどんどん出て来るので、その都度日本語で理解を少しずつ深めながら、たくさんの生きた英文法に触れて行くと、より自然な形で、細かい文法事項の複雑な理解を経なくても何なく英語が分かる様になってくる。

上級のレベルになってきたら、基軸の教材(毎日やるドリル的な素材)+生の素材(ネイティブが日常的に触れているような英語素材)に触れながら、難易度の高いもの、たとえば北米や英国、豪州などのメディアソースに触れたり、TIMEやEconomistなどの雑誌をcover to coverで読みながら、too English な表現を浴びて、日本人が思いも寄らない表現や英文に驚嘆しつつ、それをノートに認めたり、英英辞典を引いて難易度の高い語彙を増やして行く方法が良い。

上上級になれば、基軸のトレーニングは集中的に取り組み、生素材を中心に、アウトプットをどんどん増やして行く方法が良い。アウトプットを増やして行く方法は、中級以上ならばどんどんやるべきで、たとえばトークをしたり、英文をどんどん書いて行きながら、少しずつミスを修正して行く方法が良い。
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と、ここまで書いて、細かく突っ込んで、通訳TRで僕が教わった細かいメソッドやら、ロジックの話やら、読解の速度を上げる「超文法」の話とか、それらを短期間で強化して行く方法についても書かないといけないよね、と思ったけれど、膨大な量になるし、今から家事をしなければいけないので、やめる事にした。

「超文法」の話は授業でもしているし(「超文法」という言葉は一切使ってないが)、ロジックの話も、十分している。速度を上げて行く方法は、とにかく読めば良い、という話でもないし、これはこれで科学する部分はその都度生徒には教えているので。

こうすれば英語が伸びる、の「英語」が、どのレベルの何をさしているのかをきちんとspecifyしていくことが大切なんだな、と僕は毎日指導しながら考えたりする。

受験だろうが、生だろうが、英語は英語だし、速かろうがゆっくりだろうが、英語は英語なので。

You dig what I'm sayin'?

ではまた^^

もっとも大いなるもの

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