2016年2月23日火曜日

読書百花

内田樹先生の「困難な成熟」読了。なんだか叱られている気分。「しっかりやりなさい。」と背中を押されたので、しっかりやります。手始めに内田先生の推薦書を読もうかと思い、久しぶりにアマゾンでポチる。
「断腸亭日乗」永井荷風
「夢酔独言」勝小吉
「氷川清話」勝海舟
「痩我慢の説」福沢諭吉
「兆民先生」幸徳秋水
「父・こんなこと」幸田文
「戦艦大和ノ最期」吉田満
明治、大正の本はどうして心揺さぶるようなものが多いのだろう。読む前からドキドキする。僕は本を読むときには、「黙って人の話を聞く」気持ちで読むようにしていて、寺子屋で先生が講釈してくださってあることをじっと聴く気持ちで読み進めるようにしている。 読み終わったら、フォトリーディングの要領で、最初のページから印をつけるように折り目をつけ、何度も読み返すようにする。
本はざっと読むのもいいけれど、僕は好きな箇所を何度も読み返すのが好きなので、そのようにしている。大事にしていることは1つだけ。自分が良い、と思った本は、心で正座してお話を聞く気持ちで読む、ということだ。
人の話は黙って聞く、批判や批評を挟みながら聴くのは駄目だと思っている。それは例えば講演やセミナーや研修でもなんでもいいのだけれど、お話してくださる方は自分の知らないことを教えてくれる先生なのだから、自分がその人に対して意見したり物申すなんて、学ぶ、という観点からすればナンセンスな話。
僕はお店にご飯を食べに行ったり、酒を飲みに行ったりするのが好きだが、同席する人はかなり選ぶ。どんな人と食事をしても良いのだけれど一点だけ決めているのは、「お店の人に対して講釈を垂れる人とは絶対に食事に行かない」ということだ。
例えばワインのソムリエの方に対して、このワインはどうだ、こうだ、みたいな話を始める人とは絶対に食事をしない。そういう人は往々にして、食事をする前から匂いでわかる。だからこちらからお誘いすることもなければ、先方から迂闊にお誘いの来ないように雰囲気を消す。
ワインのソムリエの方よりも自分がワインのことが分かっている、なんてことがあるはずがない。本人がどれほど自負しようと、例えばご自身がお店をなさってあったり、ワインについての商売をなさってあるなら話は別として、一素人がソムリエの方に対して蘊蓄を垂れるなどという行為は、僕には信じられないし、絶対にあってはならない無礼千万なる行為だと思って疑わない。
お金が発生する、というのは、社会的な責任を負っている、ということであって、社会的な責任を担ってワインをお客に提供する方のご意見が、素人よりも間違っているなんてことがあって良いはずがない。だから、素人の浅知恵で持ってワインをどうのこうのと語り始めるようなことは僕にとってはとても粗暴で野蛮な行為のように思えてならない。そういう人とご飯を一緒に食べて、美味しいものが喉を通ろうはずもない。
本を読む時もこれに似ている。例えば新書やベストセラーに並ぶような本は別として、古典や巨匠たちの本に向き合う時、人類の叡智に対峙する際に、こちらの意見や御託など、とてもじゃないが太刀打ちなどできようはずもない。静かに黙って耳を傾ける。教わる立場なのだから。それができて初めて、先生からほんの僅かに極意の一味を味わわせていただくことが可能となるのであって、自分の意見や審美眼の拙さを棚に上げ、一丁前に講釈を垂れるなんてことが許されて良いはずがない。僕はそんな風に読書を捉えている。もっと言うなら、芸術に対しても同じことを思う。
誰が始めた風潮か知らないが(おそらくバブル期くらいからそういう「上から目線」文化みたいなものがこの社会に根を下ろし始めたんじゃないかしら、と僕は疑っているんだけれど)、「一億総ツッコミ社会」では、誰もが手軽にどんなものに対してもツッコミを入れることができるようになったし、また、その行為そのものを楽しんで身体化しているような風潮があるように思う。例えば巷間話題を浚う西野カナさんの歌などは、その風潮を逆手にとるような形でその人気を欲しいままにしていると言っても過言ではないのではないか、と僕は思っていて、それはそれでなかなか強かに宜しかろうと思うのだけれど。つっこまれることを敢えて理解した上で、ツッコミを誘発するような歌詞や音楽を持ってくるというのは、賢しらな人にしかできない芸当だと僕は思う。あれは純粋無垢な少女には無理筋な話です。
静かに人の話に耳を傾ける、黙って人の話を真面目に聞く、という行為を通してしか、人は自分を理解してもらえる機会を与えられることはない。僕はそう思っている。長いこと教職員をしていると、いつしか自分の話は黙っていても聞いてもらえると思ってしまう。反省しなければ、と思う。静かに本を読むことを通して、人の話に耳を傾ける、という行為のあらましを今一度身体化していこうと襟を正す思いで、届く本を待とうと思っている。

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