2015年6月2日火曜日

大人こそ、戦闘モードは「ガンガンいこうぜ」で。


大人こそ日々を淡々と過ごしていると、あっという間に歳を取ってしまうんじゃないか、とおっさんになってから、思ったりしています。あ、別にagingに恐れを為しているとかじゃないんですけど。


いろんな制約とかがあると思いますけれど、一番制約になっているのは、自分が勝手に「これはやっちゃいけないんじゃないか。」と心にブレーキをかけていることなんじゃないか、と僕は思ったりしています。


若い頃を振り返ると、僕はグチが多かった気がします。教科書がこの教材だから、自分の想い通りの授業ができない、とか、生徒がこれこれこういう風だから、授業が活況にならないとか。あるいは、すごい人にであったりすると、あの人は特別だから、とか。同僚が反対するだろうから、自分の思っている事を実現できない、とか。


そういうの、関係ないんだな、って歳を取ってみて理解ができるようになりました。ああ、自分が若い頃、臆病だっただけなんだな、って思える様になれました。


自分も含めて、おじさん、おばさん、ってもっと自由で良いと思ったりします。
自分の想いをそのまま子供にぶつけていくっていうか、そういう流れにならないと、子供も萎縮しちゃうだろうし、良い変化とかは中々起きないんじゃないか、と思ったりしてて。


どんどん色んな事を、いろんな人が面白くやっていけば良いんだと思っています。


ビートたけしさんのインタビューを聞いていて励まされたことがあるんです。

「おいらはコント55号とドリフをすごいと思ってたんだけどさ、あの先輩たちをなんとかして引き摺り下ろして、おいらたちの現場を作って行かないと、先はねぇな、って思ったんだよね。だからひょうきん族の時は徹底して叩かれたけど、世間で品のいい良い人の笑いみたいなのが受けてても、絶対その真逆を行ってやろう、って思ってたのよ。良い人ばっかりになっちゃうと、ダメになっちゃう気がしてさ。」

先輩に敬意を払いつつ、その先の未来を見据えて行動することってとても大事なことだと思っています。


それはケンカをすることとか、腐すこととは違っていて、自分がやりたいと思っている事を、物凄い制約の中で実行して行くことでしか、示せないことだと思っているんです。


示す相手は、未来の大人である子供達に対してだと思っているんです。


大人がチャレンジできなかった、次の世代の大人も必ずチャレンジしないような気がしています。
だから、大人が「ガンガン行こうぜ」モードになっていって、
どんどんアイディアを具現化して、面白い現場がそこら中で生まれたら良いと思っています。
どんな職業でも、関係なく、です。


お金が100円でも発生している以上、社会人としては皆さんプロフェッショナルってことになりますから、そこには責任が生まれます。


その責任に愚直に応える、という意味は、与えられた事を一生懸命にこなすことと同時に、与えられた物を与えられたままで終えない、という新しいエッセンスの付け加えがセットになっているんじゃないかな、と僕はいつも考えています。


自分が恐れているのは、先輩に逆らうことなんじゃなくて、自分が思った通りのことをした時に起きた結果に対して責任をどうとるのか、という自分自身に対してなんじゃないのか、と自分の反省も含めて考えたりしています。


大人が過激にいろんな才能をまき散らして行く社会って、楽しいじゃないですか^^
もっとそんな人が、どんどん増えて行けば子供達の笑顔が増えるんじゃないかな、って僕は考えているんです。



ではまた^^

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