2017年9月27日水曜日

プレゼン&スピーチの授業〜未来のテクノロジーをデザインする生徒たち


原稿なしで英語を言う、って言うプロセスに持ち込む時には、活動に段階があります。暁の会の勉強会で、そのプロセスについて、練習も兼ねて参加者に体験してもらうようにしています。
今日はプレゼン前のスピーチ大会。各々自分が作ってきたプレゼンをグループ内で発表する活動。テーマは"Biomimicry"です。教科書のレッスンがとても良い題材を扱ってくれているので、アクティブラーニング型のタスクを入れやすいですね。とても良い。

やり方と条件は以下の通り。

前提条件
★グループはこちらで指定。
★3人1組にしておいた方が回転率は良くなる。
→グループ制作の時は4、5人が稼働率が上がる。
★英文は、見る→チラ見→自然な英語→情熱英語、の順序が吉。
★準備不足は徹底して檄を飛ばす。

手順
1作ってきたプレゼン内容を2分間立って自主練。
2グループ内でスピーチセッション。以下の手順で。
①with the script
②on the desk
③without the script
④natural speech
⑤passionate speech
これはスクリプトを見ながら練習するもっとも初期の段階です。

作ってきたプレゼン資料を元にスピーキング。これも初期の段階ですね。まだスクリプトを見てますね。聞いてる方が真剣ですね。


































スクリプトは自作で、授業内+予習、で作ってくる。作り込んできたスクリプトを見ながら自主トレで体慣らし。身振り手振りまで入れられたら御の字。大抵は英語を言うことで精一杯。

その後、①のセッション。手に原稿を持っても良いことにする。一人持ち時間は1分。

その後、再度自主トレ2分。今度はon the deskルール。原稿は机の上に置いてチラ見はOK、でも、基本は見ない。練習後、再度グループ内でプレゼン。

さらに自主トレアゲイン。今度は一切原稿を見ない。忘れたり不安になったりしても、とにかくオーディエンスの目を見て一生懸命に訴える、伝える、を重視。

その後、自主トレにて練習。
ラストはナチュラルなトークスタイルでグループ内発表。ここまでが今日の授業でした。最後のセッションでは、必ず一つずつ質問するセクションを設けました。たくさん質問づくりをする時とは違い、スピーチを集中して聞いて、内容について突っ込んだ質問をしなさい、と指示を出しました。日本語交じりでOK,考えを深めるプロセスですね。

次回はパッションを持って、スピリット燃え燃えでスピーチ、良いものをグループで投票、得票率一番のスピーチをグループのテーマにして、グループでのプレゼン作成、その後、グループ発表、の流れで行います。




マインドマップの描き方のレクチャーを動画で見て、実際に美しいマインドマップやダビンチのノートを見せて、描いてもらいました。ペンは100均で僕が買ってきて、グループでシェアしてもらいました。

原稿を作るワークシートです。1学期からPREPの練習はしてるので、英語でかなり書けるようになりました。また、考えの深め方もわかってきているので、オーセンティックマテリアル(生の英語記事素材)を読ませても、どこを読めばいいか、どう言うポイントで読めばいいか、わかってきているみたいです。

クリエイティブな流れとともに、speaking frame やwriting frame は生徒にシェアしながら随時使用させて、英語の質を高めます。また、教科書の内容を都度振り返り。和訳読み+音読+シャドーイング、の流れは変わりません。

全体でプレゼンが終わった後に、レッスンを用いて同時通訳トレーニングに入ります。日本語戻しから入って、その後英語戻し。一つのレッスンでこだわってやっておくと、他に応用が効くので、それを。

こう言う授業形態が普通になってくると、生徒も、英語はある程度読めて当たり前、単語は覚えておくのが当然、表現で使えそうなやつはどんどん仕込む、自分が作ったスピーチやプレゼンに対して責任を持って発表する、と言う姿勢が自然に身につく。同時にグループで動くことが日常的に当たり前になってくるので、他者との交わりを大事にしないと事が先に進まないと言うことも学ぶ。

英語はまずできて当たり前、で、その先は?って話のベースで生徒は戦っていることになるわけです。

すごいなぁ。こんな事ができるようになったんだもんなぁ。生徒の成長の末恐ろしさたるや。いやはや、もうなんと申し上げたらよろしいやら。

授業がとにかく楽しい。生徒たちのクリエイティビティが凄まじい。こう言う授業がやりたかった。とにかく脳みそフル回転な瞬間の連続で、生徒たちはとても忙しい様子です。

★毎週水曜日の夜、英語のディスカッション、やってます(無料です!)毎週水曜日の21時30分から、無料で、英語でのオンラインディスカッションをやっています。

この頃、聴く姿勢、相手を思いやる気持ち、相手を引き出す英語力を皆で意識して活動していますが、これがとても功を奏してか、参加者の英語力向上が凄まじいことになっています。

初めての方も、ぜひご参加くださいね。無料ですし、英語力レベルは一切問いません。

参加者全員のパフォーマンス向上、が会の趣旨です。皆で楽しんで英語を使いましょうね。

今日はこの辺で一つ。

追伸:ブログ更新を再開したら、メールをたくさん頂戴するようになりました。待っていました!先生、続けてくださいね!と温かい声も頂戴し、とても光栄に存じております。昔の脱線グリッシュのように、好き放題に思い切り書きます。脱線しまくりな内容なのですが、それでも元気と情熱は溢れんばかりにみなさんにお届けします。一つ、良しなに、よろしくどうぞー。
石川さん、粟村くん、松木くん、睦美さん、いつもありがとう。

2017年9月26日火曜日

雨にずぶ濡れになりながら、泣きながら電車に乗って、馬鹿野郎、馬鹿野郎、って言いながら泣きながら大雨の中を歩いて帰る

自分らしく生きていくことっていうのは、どういう意味に捉えられているんだろうか、と考えることがあって、それって、自分が誰かの顔を思い浮かべることなく、思い切り自分の心の声に耳を傾けることなんじゃないか、と思うことがますます多くなってきてる。

43歳だから、例えば80歳くらいまで生きられると仮定して(酒とタバコに身を焦がしてる癖にずいぶん厚かましい計算だけども)もう半分も切ってるわけで、これからの人生を思い直した時に、自分が思った通りに生きていかないと、死ぬ時に、ああ、これをやっとけばよかった、あれをやっとけばよかった、と後悔することになるんじゃないか、と怖くて仕方がないのです。

好きなことをやるっていうのは、仕事を自分のやりたい方向性でできるだけ自分の考えたこと、思ったことを実現できる形でやっていく、っていうことで、それは勇気がいるとか、協調性を持つとか、そういうことではなくて、自分がやりたいこと、やりたいからこうしようと思うこと、そして、その仕事を通して、誰かが報われたり救われたりするかもしれないという大いなる勘違いが愛へと昇華され得るんだ、と信じて自分を励ましながら進んでいく、っていうそういう原動力ですよね、それこそが大事だったりするんじゃないかしら、と僕は思ってるんですよね。

誰かのせいにして自分を押し殺してるのって、なんだか身勝手すぎるじゃないですか。自分がやりたいならやれば良いんです。できない、じゃなくて、できるところから動けば良い。動けない理由を自分以外にしてるところが、すでにモラトリアム的だと僕は思うし、人の意見に屈した自分はその人の為になってるんだ、って思うことほど、その他人に対して愛がないことはないんじゃないかと僕は思ったりしています。死ぬ間際に後悔しても遅いと思うんです。

友達と色々話してると、本当にそういう遠回りというか、人の目を気にすることがいかに自分の人生を削り去ってしまうか、ということとか、他人に依存してしまうことによって、自分の人生の後悔やら失敗やらを、誰それさんのせいで自分は、、、なんて少しばかりでも思ってしまって、それはなんだろう、不健康なのではないかしら、と友達と言い合っていて。好きに自由にやるってのは、かといって、わがまま勝手というわけでもなくて、一定の節度というかそれはもうある程度、大人ですから守っていくわけですけれども、そういうことじゃなくて。

世の中がどうすれば幸せになるんだろう、っていう自分なりのセルバンテスが擡げるというか、大いなる勘違い、僕は必要だと思うんですね。人生の合理性を優先するじゃないですか、現代人って。でも、僕は人生の合理性よりも、人生の文学性に掛けたいんです。

合理的に生きても、人生に感動は起きないと僕は思います。

雨にずぶ濡れになりながら、泣きながら電車に乗って、馬鹿野郎、馬鹿野郎、って言いながら泣きながら大雨の中を歩いて帰る、そういう納得のいかなさみたいなものと争う時間、どれくらい人生で持ってるか、で全然違うと思うんですね、感性の磨かれ方とか。

だから、みんな、もっと人目を気にしないで、自分自身に対して賢しらに振る舞うんじゃなくて、もっとこう、なんていうか、熱くグッとくる近藤マッチ的なというか、吉川晃司的な何かがいる気がしてるんですよね、僕は。

そういう泥臭い蒙昧主義的でレトロスペクティブな情熱論が、何かをモビライズしていくんじゃないのかな、と僕は思ってるんです。

スマートな生き方が良い、なんて、僕、全然思えません。
毒持ちましょう、大胆に生きましょう、聞き分けいい人やめましょう。

そう思いながら、若い人からきたメールを読んで考えていました。今日の午後の話です。

2017年9月25日月曜日

The dogs may bark, but the caravan goes on.

日曜日、オックスフォード大学出版局主催の多読セミナーがあり、講師をさせていただく。綺麗な西南学院大学図書館にて。

一夜明けて、今日は朝から待ちに待った生徒たちのプレゼン発表。朝早くからPCとプロジェクターを準備して、バタバタ。生徒たちにも緊張が走る。

概ね、素晴らしい発表だったので、ひとまずホッとして安堵。やっぱり、勇気を出して色々やってるぽく思われるところもあるかもしれないんだけれど、幾つになっても、新しいことをやる時には、それはドキドキしてしまうものです。

生徒のプレゼンを見ながら、全体的に良くできていると思いつつ、どうも自分自身で得心がいかない。こんなもんじゃないのに、という思いが過る。まぁ、初めてやるしね、彼ら、次回がもっといいものになる、って言う、プレゼンづくりの視点が学べたら御の字かなー、と思いながら、焦るな十督、と思いつつ。

プレゼンづくりの授業は以下の通りの設計。番号が13ってなってるけど、だいたい2週間、7コマか8コマくらいでやれます。
初期の頃は、毎回、教科書の音読などは帯活動でやる。
1ジグソーにて内容把握。
2スピーキングで要約内容を発表。原稿なしでできるまで。
3TEDトークを見ながらリスニングとメモ取り。
4マインドマップを書いて、デザインを設計。
5グループにて討議、その後、テーマ決め。
6パソコンでネット検索しながら、発表内容を作り込み。自宅での作業も含める。
7リハーサル。修正。リハーサル。
8本番←イマココ
9リトリートとシャープニング目的でリーディング
10批評的読みとその先。
11グループでのプレゼン内容を修正
12一人で3分の持ち時間でグループのプレゼンをスタンドアップスピーチ
13ライティング

生徒は自分の頭で考える時間と、グループで共同作業しなければいけない時間が長いので、根気が要るのと、ギャラリーウォークで他グループの見学を可能にしてるので、修正のシャープニングの時の視点を磨くことができるんです。

やり始めはなかなか動かないんだけど、期限を切って、いつまでの完成、リハ、仕上げ、と段階を提示すると、俄然やる気が出るみたいで、一生懸命やっていました。

ただ、最終形として、TEDの高校生版みたいな形まで持っていきたいなー、と思ったりしているので、まだまだ英語の中身とプレゼン資料の幼さに関して、僕も我慢してあげて、さらに彼らの活躍を期待したいな、と思っているところです。

脳がフル稼働する状態を作って、英語の授業で頭を使う行為を繰り返すことが大事だと思っています。同時に、マインドマップの書き方も教えて、色を使い、絵を描いて、脳を積極的に解放するように仕向けています。

これが終わったら、中間考査。その後、多読と次のプレゼンに向けた準備です。

英語もプレゼンの時のアティチュードも、まだまだこれから。初めてのプレゼンがこれだった、と言うことで、道半ばですが、十月のプレゼン、十一月のプレゼンが楽しみです。

生徒が音読してる時間は極力、同時通訳をやるようにしていて、僕も生徒たちに負けないようにTRに熱が入っています。

あ、そうか、テストが終わったら、日本語戻しと英語戻しのアクティビティ入れよう。生徒に教えよう。すぐできるだろうし。

2017年9月22日金曜日

追憶の脱線グリッシュrevisited


 そして、またブログを再開するのです。より自由でいる為に。

Facebookもある程度にして、告知とか、写真で近況とかはいいと思う。生きてるよー!的な。でも、毎日毎日更新してた自分を振り返ると、やっぱり滑稽だし、馬鹿げた生活スタイルだよね、と思い直して、思い切って、一日に1回くらいちらっと見て閉じるスタイルに変えてみようと思ってそれを継続してやってます。

あ、ブログあるじゃん、ってそこで思い直して。それでブログ書くことにして。

ブログを久しぶりに再開してみようと思ったのは、SNS依存を治すために、とりあえずインタラクションを避けてみようと思ったからで、SNSをこれ以上続けていても、自分にとって時間の浪費ばかりでいかん、と思い立ったから。

また、文章を自由に書きたい、もっと自由に表現したい、と思ったから。

なぜ色々なことに気を遣って文章を書いたり、いろんな方々とやり取りをしなければ行けないんだろう、と思い立ったのは、SNSは他者との関わりが主たる目的なので(ソーシャルにネットワークを構築するわけですからね)、他者を慮ることが前提で、自分の自由な発想や意見を表現することは許されない。やってもいいけど、それだと怒ったり傷ついたりする人が出てきたり、ってことになっちゃう。だから、500名くらいと繋がると、どうしても当たり障りのないコミュニケーションになってしまう。

それでは自分が自由に意見を言ったり、思ったことを書いたりできないじゃん、って思うのと同時に、そんなやり取りだったら、飲み会とかご飯とか行った時に、ああ、そうですね、あれ面白かったですよ、って言えば、それで十分じゃんね、と思い直して。

ブロゴスフィアの良いところは、ユニラテラルな表現がある一定程度許される所にあり、また、誰が読んでて、どう言う反応をしてくるか、なんて一切気にしなくても良いので(本人が平常心を保っていられるのなら、だけど)「取り扱い不注意」で良い。そこが魅力。読み手もコラムを選ぶ権利があるわけだから、好きな文章だったら購読すれば良いし、気に入らなければ読まなければ良いだけの話だしね。

「いいね」ボタンをデザインしたザッカーバーグはここが強かで、誰でも簡単に評論家気分になったり、一丁前に意見を述べたりしてそれなりにスノッブに振舞っていても誰からも叩かれないし、自分のプライドも満たされるし、その意見にいいねがつけばママに褒められたような気持ちになって承認欲求もそれなりに満たされるから、誰でもやりたくなる。特にリアルな生活で鬱屈気味になっていたりすると、余計ネット依存が強まったりする。僕がそうだったから、これは本当にそうだと思う。

また、表向き、面と向かって人に言えないような過激できな臭い意見でも、ネットは文章化することにより、それなりの正当性を持ちうるからこれまた厄介。うーむ、そんなこと言ったり書いたりしちゃって大丈夫なの、と思うことを、一般的にそれなりの地位や名誉にあったりするような人が臆面もなくどんどん書いたり言ったりするような世の中になってしまった。

それはfreedomではないのだけれど、自由ではあるわけです。それが曲者ね。

競争で勝つ為には常に一番になり続けることが大事なんだけれど、競争に勝つ為の一番の早道は、ルールを作る側に回り続けることなので、こう言うめんど臭さとか、厄介さに打ち勝つ方法は一つ、関わらないことか、自分が胴元に治ることしかない。そうでないと、ルールを作った人に隷属し続けなければいけなくなる。

あー、だから、SNSはROM(読むだけ)が一番健康的だよねー、と僕は思うし、意見を言いたい時は、いいねもコメントもできないブログが一番だな、と思う。めんどくさいことを言ってくる人にいちいち苛立たないし、反応もしなくていいし。どうしても反論なり、感激なりをした人は、メールを送ってきてくださる。それでいいんだと思う。12年前もそうやってたし、また昔に戻ればいいんだな、と思う。僕はそうやって西山哲郎と親友にまでなれたし。何一つ不自由は感じない。

もっと気楽に、気軽にSNSも使えたらそれでいいんだと思う。それこそインスタみたいに、写真だけ載せといて、今こんなですー、って感じで、お互いにコメントもしない、いいねも押さない、それでいいんだと思う。いいね、と思ったら、今度それ、自分とやらないか、って連絡して、リアルでやればいいと思う。

自分が輝いている様子を人に見せることと、他人が輝いている様子を見ることは、同じ行為なんじゃないか、と僕は思っていて、自分はこんなにいけてる人生歩んでますよ、と人に喧伝してくことで、充実してる自分、と言う像を満たしてるだけだし、また、人のリア充にいいねをしたところで、いいなー、羨ましいなー、って羨望するだけで、それは妬みに変わりますもんね、いつか。だから、やっぱりスッキリ、さっぱりがいいような気がするなぁ、と思います。

あー、IECCの大会に出て、東京で過ごして、嵯峨さんと原田くんと飲んで、長いこと関東で過ごしてることが多いですね。大阪も好きなので大阪に帰りたい。明日はゴリラが泊まりにきます。鱧鍋作る予定。
和泉先生の授業受けてから、自分で指導案を毎回作ることにして、授業デザインの醍醐味を楽しむ日々。生徒に読ませる&聞かせる生素材の選定も楽しい。
★近況報告的なアレ★

授業:ジグソーで読解&3ステップリーディング。その後、動画見て内容把握しつつ、自分のアイディア作り、グループディスカッション、発表、一番良いアイディアを選ぶ、それをグループでプレゼンづくり、全体発表みたいな流れで授業してます。クリティカルシンキングまで含めたタスクを模索しつつ、行きつ戻りつ、で。GTECと模試の成績は伸びてたので、宿題出さない、小テストを頻繁にしない、一斉型指導をしない、で相当生徒が変わりました。生徒すごいよなぁ、と思う。こんな風になるんだな、と驚嘆。胸キュン。あるクラスではプレゼンの前に、追い込み、揺さぶりの入れ方がわかってきたので、生徒を揺さぶりながら、より良いプレゼンになるように促していって一定の成功。月曜日の発表が楽しみ。

英語TR:松本道弘先生主催のICEE大会に参加してきた。午前中突破して、午後の六角ディベートで負けちゃいました。その後、松本先生に声をかけていただき、英語を鍛えていただくことになりそう。CNNのアンダーソンクーパーの番組をとにかく毎日欠かさず聴いてるのと、生徒の教科書CROWN2のレッスンを同時通訳してるくらい。英語戻しの教材を探してます。幼ちい日本語からやらないとね。あ、そうか、日本昔ばなしやってみようかな。

本:フォトリーディングでサクサク本をリーディング。読む速度、10年前に比べるとすごく早くて、2、3日に1冊くらいのペースで読む日々。上智大学出版のCLIL三部作とアルクから出てるCLIL本はすごい良かった。英語授業改善を考えてる方、おすすめ。新書は「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか」っていう山口周さんの本が秀逸。良書。図解モチベーション大百科はトイレの暇つぶしと行動再確認のために。Q思考はまだ読み終わってないけど、酔っ払いそうな翻訳と共に。でも中身はとても良いね。松香洋子先生の本をいただいたのでそれも。松香フォニックスの創始者の方。素晴らしい良書。良い本をいただいた。古典は日本永代蔵をぺらぺらと。つか、高橋一也さんとか、石川一郎先生の本とか、読んでないとダメだからね。そんなもん、雑誌のインタビューくらいでしか知らないなんて、ダメよ。

まとめたら色々書いてしまいましたが、12年前にやってた脱線はこんな感じだったので、これからできる限りこっちに書くことにする。
銀座の歩行者天国にて。高級寿司を食べ放題した後に、陽の当たる大通りを散歩してた。楽しく最高の休日。

七月からこっち、心が小気味いい。すごく愉快な人生。

2017年7月20日木曜日

若い英語の先生たちへ:生徒の為に英語を勉強しよう




とある勉強会で、発表を頼まれた時のこと。5年くらい前の話。

「英語の授業で生徒に同時通訳トレーニングをさせることになんの意味があるのか。入試に関係ないことをさせて、生徒を不幸にしているのではないか。」と別の学校の英語の先生に言われ、そういう下らないことをして、自分の趣味に生徒を付き合わせるのはダメなことだ。受験指導をもっと勉強して、趣味に逃げるような仕事の姿勢を早急に変えろ、とアドバイス(だったのかな、どうなんだろう。)を受けたことがあるんです。

この言葉を聞いて、表現を失うほどのショックを受けたと同時に、もうこの勉強会にいても、生徒の為にならないな、という思いが強まったことを思い出します。その後、ほどなくして、その勉強会には二度と行かなくなりました。

英語力を高めて生徒たちの前に立ち続けること。
英語教師として、一番大事なこと。
専門家として、守るべき学びの姿勢。
毎日の英語の勉強、トレーニングを絶対に疎かにしないこと、
教材研究は業務であり、授業の予習は仕事なので、英語の勉強にカウントせず、自ら、英語の勉強に毎日コミットし続けること、この1点こそが、まず生徒の知性に対して敬意を払う最重要事項なのではないか、と僕は思っています。

若い頃の自分は、「生徒にこれを教えても、できないし、わからないから、これはやめておこう。代わりに、簡単にできて、わかりやすいこれにしておこう。」と思って授業を作っていた時代があります。

でも、ある日、他県の先生の素晴らしい授業実践に触れ、僕も自分の生徒たちに素敵な英語体験をさせたい、英語に触れる喜び、外国語を学ぶ喜び、外国語学習を通してみる祖国の文化、祖国の様子を見せたい、そんな風に強く思い立ち、生徒たちに本当の英語力をつけさせる為にどうすれば良いのか、英語教材ではなく、ネイティブが日常触れている英語に生徒も触れさせ、その上で、英語の力をつけて行きながら、英語を通して世界をみる視野を培わせたい、そう信じ始め、「生徒は、これはまだ難しすぎるのでは。」と思う発想を全て捨てました。

代わりに、「できないかもしれない。でもきっと喜んでくれると思う。ただしこの活動だけでは生徒の英語力が全て上がるわけではないから、補完、補強できるように責任を持って鍛えよう、よし、こういう授業をやってみよう。」と勇気を奮い立たせて、生徒に少しでも良いと思う活動や実践を全て授業にぶつけていくことに決めて、毎日実行し続けました。

人の目なんて、評価なんて、評判なんて、全く気になりませんでした。そんなの、後回し、とにかく生徒が身を乗り出してやり続ける活動、継続して力をつけていける方法論を模索し続けました。

同時通訳トレーニング、和訳先渡し、スピーキング活動、グループワーク、ライティング活動、多読、歌の活動、どれもやり始めた当時、全く理解を得られないばかりか、冷ややかな視線を向けられたり、冷笑され、こんなことをしても無意味だ、絶対に失敗する、考え方が甘い、現実を見ていない、生徒は受験さえ突破できればいいんだ、なぜ自分の評価が下がるような授業実践をするんだ、ともう四方八方から総攻撃を受け続けました。

でも、泣きませんでした。
でも、転びませんでした。
でも、後ろを見ませんでした。

代わりに、英語が苦手だったり、コミュニケーションが苦手だったり、悪さをして目をつけられたりする子供達の顔、表情、授業中の様子、学年でどんな風に過ごしていくか、自分の英語の授業が子供達に何かコミットできないか、そこに目を向け続けて教壇に立ち続けることにしました。

文法の説明が不味かったり、問題演習が下手だったり。
生徒が居眠りしたり、授業中に授業がうまくいかなくて崩壊したり。

ありとあらゆることも経験しましたが、その度に、
俺の英語力が低いから、生徒たちに満足のいく授業ができないんだ、と思い、勉強に打ち込みました。

僕には留学経験がありません。ですから、留学をしている人にはとても負い目を感じています。

僕も願わくば、留学したかった。米国で大学の学位を取り、流暢な英語を話して帰国し、立派な先生として歩みたかった。

でも、それはできない。どうしよう。

本屋さんで必死になって解決策を見出そうと本を探した。
出会った本が、KHシステム。そしてアルクのEnglish Journalでした。貪るようにトレーニングに打ち込みました。
食い入るように、EJに書いてあることを全て馬鹿正直に実行しました。

今思えば、29歳の時から本格的に燃えて始めた英語のトレーニング、この14年がなければ、今の自分はありません。

その前に、英語の先生は英語を勉強しなければいけない、と教えてくれた、英語教師達人セミナーで出会った、谷口先生、千田先生、中嶋洋一先生の言葉が今でも忘れられません。

日曜日、月曜日、と、福島県いわき市、宮城県仙台市で、英語の先生方向けのセミナーを行いました。各会場ともに25名ずつのご参加を頂きました。去年に比べ、若い先生方が増えていました。

会は充実の内容で、2日間とも、とても良いセミナーになりました。また来てください、先生、勉強させてください、若い人、困っている先生方からかけていただいた言葉が忘れられない。

セミナーから帰って来て2日目に、なお持って熱い思いでいることは、自分の中でかなり異例のことで、驚いています。

この胸の情熱に火を灯してくれた若い人たち、そして東北のみなさんの為に、今日はブログを書こうと決心して、このタイトルにしました。

どうか英語の勉強を必死にやってください。それが生徒の知性に
敬意を表することです。

自分が教えている生徒が、自分の英語力の高さ低さを見抜けないとしても、英語の勉強を続けてください。

生徒に自分の英語力の無さがバレなくてもいいや、と思えば、仕事は楽になります。

でも、それは生徒の「英語を勉強したい。」という気持ちに対する侮辱を含んでいます。お前はそんな高みほどには英語を勉強する必要もない、だからここら辺でいいんだよ、と言うに等しいことだと思います。

生徒に不要か必要かは無関係です。生徒たちの学び姿勢に敬意を表する時、私たち英語教師は、英語を勉強し続けることを決してやめてはいけない、僕はそう頑なに信じています。

若い先生方、困っている先生方、生徒たちを愛する全ての先生方に対して、これからもますます、多角的に協力ができないかを模索しつつ、勉強会、オンラインディスカッション、セミナーをやり続けていきたいと思っています。

子供を愛する人たち、未来を創る人たちのお手伝いがしたい。
そう強く、ますます思うようになりました。

多くの人がなかなか集まらないですが、この頃肌で感じることは、去年に比べ、少人数だけれども、半数以上がリピーターであり、また毎回、モチベーションを最大限に高めて来られてあるな、ということです。

鉄は熱いうちに打て。

今、この機の高まりを決して逃さぬよう、今後も教育活動を熱烈かつ、情熱的に行っていくつもりです。

日本にいる全ての子供達に、学びの夜明けを。
心から願っています。

では、また( ´ ▽ ` )

2017年7月18日火曜日

英作文ってなんの力を測ってるのか、辛子味噌つき紫キャベツを頬張りながら不思議に思いました。


日本の英語教育の中で、「英作文」と言うと、大抵は、和文英訳のことを指し、ライティングと言うと、自由にエッセイを書いたり、描写をしたり、大意要約をしたりすること、と言うイメージを前提に話が進むように感じます。
入試問題演習のような文法ドリルみたいなもので、英作文の問題、と言うと、大抵は、和文英訳、で、これを徹底的に練習させられて、自由英作文は、直前にちょろっと書かされるか、コミュの授業でグループワークをやったりした時にだけ、ちょろっと書かされるのが精一杯、あとは、日本語1文(多くても4、5文)を英語に翻訳する問題が課せられます。すなわち、日本語を英語に通訳する問題、と言い換えても良いと思います。 問題の趣旨は、日本語で考えていること、思っていること、読んだもの、聞き知った知識を外国語で表現できるかどうか、その精緻なレベルはいかほどか、を問うているのだと思いますが、「うーむ。」と疑問に思うこともあります。 それは、和文英訳、の、和文、はコンテクスト(文脈)を持ったコンテンツ(内容)であり、流れの解釈の仕様によっては、書き用は複数存在することになるからです。その文章をどう捉えたかによって、言い方が違ってくる、当然ですよね。読んだ人によって解釈が変わって当然なんですよね。 A:「洗濯物取っておいて、って頼んだでしょ?」B:「すぐに、って意味だったの。君が帰ってくるまででいいや、と思ってたんだ。」A:「台無しじゃないの。もう。」B:「言ってくれればよかったのに。」A:「普通、それくらいわかってくれてもいいじゃない。」 と言う夫婦の会話があるとしますね。これを英作文にしなさい、と言う問題が、仮にあるとします。(こんなこじれためんどくさい夫婦の会話、出すとか、ありえないけれど、その昔、冷え切った夫婦の静かな沈黙の冬のテーブルごし描写を読解で出した某有名私大の例があるので、もしかしたらあるかもしれないと言うことで、ここはご了解頂いて、と。) この場合、AさんとBさんの関係が、男女なのか、男性同士なのか、女性同士なのか、家族なのか、共同生活をしている友達なのか、共同生活はしているけれど友達ではなく他人なのか、そこもはっきりしないので、いかようにも解釈が可能ですね。 すなわち、喜怒哀楽の設定も、気持ちの忖度も受け手側によってどうとでも解釈ができるので、これ一つが正解、って言えないんじゃないか、って状況になってしまう。 次に時制ですね。頼んだ、のは過去、意味だった、と解釈したのは、いつ?台無し、なのはAが今洗濯物の様子を見てそう思ったのか、それともそうなってしまった、と言う完了状態を憂えているのか、さらに、普通、と言う言葉、とかね。つっこみどころはいくらでもありますよね。もう少し性格悪く細かく見ていくと、Bの「すぐに、って意味だったの。、、、」はマル、で文章が終わっているので、これは疑問文なのか、肯定文なのか、厳密に言えば、わからないですよね。相手の声の抑揚や、表情、会話の間にある間合いが、この字面からは一切伝わってこないので、このコンテンツを英訳しなさい、と言われれば、とりあえず多面的に捉えることが可能なコンテクストを、自分が持ち合わせている英語のコマンドを使って、採点者に伝える努力をするしかない。それしかないですよね。 これって、もはや、英語力を問う問題なんじゃなくて、場の空気をいかに高度に読み取ることができるか、って言う能力がどれくらい長けているかによって、解答に差は出やしないのかしら、と僕はふと思ったんです。 会話の状況を英語に直して、文法の能力を見るんだったら、わざわざこんな問題にしなくても良いだろうし、じゃあ、一体この問題形式って何のためにあるのか、もはや「入試問題の入試問題による入試問題のため」にだけ存在しうる、稀有な脆くも儚いゆらぎの存在なのではないか、何という存在の悲しさ。嗚呼、和文英訳さん、、、。
上記のことを踏まえてると、無数に解答が可能な問題の精度を高めていくんだったら、むしろ、エッセイライティングを大量にやっていきながら、エッセイの条件設定、文章の幅が出てくるような付帯条件を細かく設定する、などの工夫をして、どんどん書いていきながら、ミスが出てきた場合に、効果的にそれを拾いつつ、ミスのalternativeになりうるsubstitutesを都度学んでいく方が、言語のアウトプット能力の育成だけを考えた時には、効果が高いのではないだろうか、と考えたんです。話す技術もこれと同じプロセスを経る方が確実に上手くなります。お題について英語で話す、ヒントを学ぶ、練習する、再度お題について英語で話す、の流れですね。 これまで高校生の受験指導をしていて、幾度となく疑問に思いながら、実感を伴わないまま、頭の中での結論で疑問を封印していたのですが、日、月、と福島県いわき市、宮城県仙台市でセミナーをやらせていただき、授業実践法、教科教授法をシェアしている時に、自分で整理できたことがこれでした。なるほどね、ウンウン、と心で何度も頷きながら、話をさせていただきました。僕の方が得した気分ですね。得してすみません、ごめんなさい。 詳しいお話はまたセミナーで実際に体験して頂きながら、お伝えしますね。 西山哲郎くんと一緒に追求しているオーガニックアプローチ、毎日の積み重ねによって、生徒たちの力を伸ばしていく手筈がどんどん精度を高めていっています。 考え方や理論体系、パラダイムシフトを経験しまくると、めまぐるしく展開や状況が変わってしまいますね。また新境地にきてしまった気分です。 ではまた(´ω`)

2017年6月1日木曜日

"Sparkling"体験、してきましたよ( ◠‿◠ )


素晴らしい2日間でした。平田オリザさんのご著書「下り坂をそろそろと下る」を読んでから、演劇に参加したいとずっと思っていました。劇そのもののパフォーマンスに関しては、ずっとやりたかったことの一つです。 僕の子供の頃の夢は、コメディアンでした。今でもコメディアンに憧れている気持ちはとても強く、コメディアンとしてステージに立ちたい、と思うことは強いです。ですから、スタンダップコメディ、シチュエーションコメディ、スキットコメディ、コメディに関してはとても大好きで、参加して自分でやりたいと思いながら、モンティパイソンとフォールティタワーズの台本を買って、20代の頃、空で言えるまで何度もセリフを読んだ思い出があります。 また、落語家に憧れていた時期もあり、30代中期には、古今亭志ん生師匠のCDを100枚くらい買って、とにかく片っ端から落語をシャドーイングしました。その頃、並行してKHシステムのトレーニングと、フォールティタワーズのDVDを見ることに没頭している毎日でしたので、志ん生師匠の落語と、ジョンクリーズのセリフと、KHシステムのシャドーイングを行ったり来たり。物凄く充実した濃いトレーニングライフが送れていた記憶があります。 今回のワークショップ参加の目筋は、すでにこの頃、いや、子供の頃から、培われてきたもの、僕の内なるヴォイスだという確信が強まりました。すなわち、今回のマーブルズへの参加は、僕の人生の中で、必然であり、起こるべくして迎えた運命の道すがらだったと言えると思っています。 大仰に言い過ぎなのかしら、これ。 今回の英語DEドラマ、本当に素晴らしいエクスペリエンスでした。 真澄先生から"Why do you feel that way, why?"を問われ続ける時間、gleeのレイチェルが、ウーピーゴールドバーグから問われる時間を追体験できた気持ちでした。どうしよう、どう答えればいいんだろう、そういうドキドキが突きつけられる、そんなsparklingな時間の連続で、気がつけば夜の21時半、あっという間の1日目終了。 僕も西山君も純ジャパで、留学経験も全くないし、"Wicked"なんて純アメなドラマ、演じたり歌ったり、それはもう、想像を絶するタフネスだろうと思っていたんですけれど、、、。 僕は今回、改めて思ったことがありまして。 哲郎君と僕は、キャラがもう生まれつき、感動体質、喜び体質、トキメキ体質なんですね。だから、体が火照るやら、胸が熱くなるやら、歌の時のパートナーの女性と見つめ合う時に、ワォ!な気持ちになるやらで、心がテンヤワンヤだったわけです。 そんな生まれながらの天性の感動体質を持った二人が、こんな素敵なグループのワークショップに来てしまったもんですから、マァ、朝から晩まで、お腹のそこから笑い転げ、喜び、楽しみ、心をみなさんと重ね合わせて、夜を迎えた、というわけです。 長い一日が終わり、お互いに普段から語り足りていないのか(というか、毎日LINEのやりとりを恋人か!ってくらいしてるから、あまり疎遠感がないのですけれど)、近くの焼肉屋さんで語り合いました。その時間もとても大事な時間だった。 「俺ら、こんなにオイシイ思いさせてもらって、いいんだろうか。なんか、罪悪感がやばいよね。すごい体験させてもらってるんだよね。すごい立場に置いていただいてるよね。」という話に終始していて、改めて、この2年間でお世話になって来た先生方、諸先輩方に、頭を垂れる夜となりました。 二日目はあっという間にゲネプロ(ランスルー)、そして本番、修了式になり、皆さんの想いを聴きながら会場を後にしました。
今朝は珍しく寝坊をしてしまいました。そして疲労感に襲われた一日でした。夕方帰って来てテニスに行くと、テニスは絶好調でした。真澄エフェクト恐るべし、生活に異変を起こす!マーブルズ恐るべしです! 真澄先生、出会いに感謝いたします。マーブルズの皆さん、本当にお世話になりました。参加者の皆さん、愛をいっぱいもらいました。皆さん、ありがとうございました。2日間、幸せでいっぱいでした。また来ます。今度は仲間も連れて来ます。 暁の会でも、ドラマをやるワークショップを来年以降に開設しようと思っています。勉強しないとね。一生懸命勉強します。 英英辞典、スピーキング、多読、ライティング指導、4技能。
わかる、わかる。大事だよね、うんうん。 でも、それが授業でできるようになって、物足りなくなった。 なんか違う。生徒たちの顔、まだこんなじゃない。 もっと生き生きする。もっと生徒は自分を表現できる。 そう思いを募らせている時に、ヘレンから言われた。真澄先生に会わせる、二人を真澄先生に会わせたい。そうして今回、うちら二人は初めて真澄先生の愛を全身で受けた。素晴らしい体験だった。 日本でいちばん幸せな中高英語教師の二人だと、僕らは勝手に思っています。本当に幸せだった。 こんな現場を作りたい。子供達の心を解放したい。子供達の心の声を、胸の震えと体の鼓動を。 退職まで、後20年しか時間がないです。ますます急がなければ、と思っています。 最後に、時間を伴った皆さま、本当にお世話になりました。僕も西山も、またマーブルズに帰って来ます。今度は友達も連れて来ます。ありがとうございました。 生きてると、良いことがたくさんありますね。
素晴らしい。 生きる、って、いいですね( ◠‿◠ ) お詫び:
ブログの更新がなかなかなされなくて寂しい、と言っていただくことがこの頃あり、とても嬉しく思っています。いつも読んでくださり、ありがとうございます。諸事情があり、どうしてもブログに掲載できない情報やご報告もあり、フェイスブックの方に掲載させていただいております。

また、近日中に、暁の会のHPが立ち上がります。そちらの方から、いろんなコンテンツにアクセスできるようになりますので、ご期待くださいね。 土曜日、日曜日と、2日間、マーブルズ英語芸術学校主催の「大人向け英語DEドラマ in 大阪」に参加させていただきました。僕と哲郎君が敬愛し、師と仰ぐヘレン先生のご紹介を受けて、小口真澄先生のご指導を直接受ける恩恵に浴することができたのです。



もっとも大いなるもの

単語の綴りを一生懸命練習するけれど、何度も、何度も間違える子がいる。 でも、授業中、何度もうなづきながら説明を聞き、話に耳を傾け、大きな声で歌を歌う。フォニックスの発音を、口を縦横いっぱいに開けて発音する。 oshienと単語テストに書いてきた。oc...