2017年3月17日金曜日
一年最後の授業にて
今日、今年度最後の授業が3コマありました。
最後の授業だったので、久しぶりに歌を2曲歌い、子供達に読み聞かせをして、進級へのメッセージを伝えて終わりました。
お時間がある方は、動画を見ていただければ、と思います。
https://www.youtube.com/watch?v=uSTbLZqGGSc
この本はハッピーエンドで終わる本ではないのですが、敢えてこの本を選んで読みました。
この本は、ある学校に転入生の女の子が来るのですが、その子に辛く当たったり、仲間外しをしたりして、何一つ優しく接してあげられなかった主人公の女の子が、後悔の念を深く胸に抱く、というお話です。
これから子供達はクラスを解散し、色々なコースに分かれてしまいます。バラバラになっていきます。
また新たな出会いと新しいクラスで、新しい人間関係が始まると思います。
そんな局面にあって、今敢えてこの本を一緒に味わいながら、これからの自分の進路について、またその先にある生活について、しばし考えてもらう時間にして欲しい、僕はそう思っていました。
今年一年、子供達と一緒に学んだことは、グループ活動を通じて、グループの人たちと協力し、協働を通じて、他者と交わることを通じて、自分を見つめ直し、人格を深めていく、と言うことでした。
色々な人格がぶつかり合う中で、決してうまくいくことばかりではありませんでした。
自分とは合わない人、接していてイライラしてしまう人がどうしても出てきてしまう。
でも、決してグループをばらしたり、特別な対策を講じたりしませんでした。
それは、「人は一人では生きられないんだ」ということを教えるために、どうしても必要なことだと僕が思ったからです。
「電車の中で小さな子供を連れたお母さんたちに対して、悲しいんだけど、冷たい言葉を投げかけるような話を、耳にするようになって、悲しい気持ちがするんだよね。」と僕はあるクラスで語りかけました。
「そんな赤ん坊やお母さんに対して、迷惑だ、という人だって、幼い頃があったはずなんだよね。また、おじいさんやおばあさんに対して冷たく接したりするのを見聞きしたりすると、とても胸が苦しくなるんだよね。自分だって、おじいさん、おばあさんにいずれなるのにね。
障害を持っている人をバカにする人がいるけれど、自分だって、事故や病気などの不可抗力で、障害を持ってしまったり、あるいは家族が将来、障害を持って生活をすることを強いられるような可能性が僕ら一人一人にはあるんだよね。
子供は過去の自分、老人は未来の自分の姿、障害や不都合を強いられている人は、将来自分がそうなる可能性を先に生きてくれている人なんだよね。
どの人を否定しても、それは自分を否定することに繋がってしまうよね。
僕はみんなに、どんな人も決して粗末にせずに、まるで自分のことのように大切に愛おしく思って接して欲しいと思って、一年間授業をしてきたよ。
英語を通じて、みんなが頑張ったことによって、みんながそんなことを考えるきっかけになってくれたら、嬉しいと思っています。
一年間ありがとう。Thank you so much. 」
と言って、授業を閉じました。
人は一人では生きられない、そんなことを、様々な教材を使い、英語を話し、読み、聞き、書くことによって、体全体で考えた一年だったと思います。
英語の力が伸びたことはとても喜ばしいことです。
ですが、もっと嬉しいこと、それは、この授業の時に、子供達が真剣な眼差しで、読み聞かせを聞きながら、最後に僕の話にしっかりと耳を傾けてくれたことでした。
これこそが、子供達の人格の成長を物語っている瞬間だ、と僕は感じました。
実りの多い一年間でした。
子供達、一年間どうもありがとう。
2017年3月13日月曜日
「分かり合えやしない、ってことだけを、分かりあうのさ。」
何かの議論をしていて虚しくなる時に、その理由を考えるんだけど、なかなかわからない時もあって、なんだか、納得がいかない、という時がある。生きていると何度も。
でも、そんな時は、若い頃にあったエピソードを思い出しながら、それと重ね合わせるようにして、今教えている子供たちとのやりとりを思い出して、少しにやけて、早くそういうモヤモヤを忘却の彼方に追い遣るようにしている。
ものの見方や物差しが個人個人で違うし、擦れを解消しようと思っても、日々の生活の基盤が違えば、当然各々のパラダイムがどうしても一致しないのは致し方がないことなので、怒ったり悲しんだり、歯噛みしたりしても、結局は何一つ変えることはできないんだ、とあとでわかるだけで、何も良いことはない。
だから、そんな時は、無垢で無辜なものを思い浮かべて、一人でにやけてヘラヘラして、どうでも良いじゃんね、そんなの、と思うようにしている。
僕らはお互いに「分かり合えるはずだ」と信じてしがみ付いているから、どうしても相手と意見が合わなかったり、自分が納得がいかない時は感情を揺さぶられてしまう。どこかで、相手と分かり合いたいという自分の願望が勝ってしまって、なんでなんだよ!どうしてなんだ!と心が揺れてしまう。
でも、血が繋がっている家族ですら、何を考えているのかわからないのに、ましてや毎日接している他人と、何かを分かり合えることなんて、難しいどころか、あるわけがない、というのが自然な理路のはずだということを、僕らはいつも忘れてしまう。
だから、心象の揺らぎは、自分勝手な感情の悲劇性に依拠することが多い、、、と僕は思う。
人との繋がりにあって、人はなぜ優しくなれたり、相手を赦したりできるのかを考えた時に、どこかで「分かり合えるはずなんて、あるはずがないんだ。」と思っている諦観が、人を温かく優しくしてるのではないか、と僕は思うことがある。
分かり合えるはずなんてないからこそ、相手を知ろうとする。自分が相手のことをどこまでいっても知り尽くすことができないからこそ、相手に対する理解や許容が足りていない気づきと自覚が、初めて深く内在化される。
そう思うと、自分が感情を揺さぶられているのは、相手に対して甘えているからではないか、と恥ずかしい気持ちになってしまう。
23歳の頃、新任教師で、正義感と情熱だけが支えで、未熟だった自分が、今覚えば若気の至と片付けてしまう出来事に感情を奪われ、心と頭が爆発しそうになるのを抑えながら職員室にいた時、2人の女子生徒が、先生、タンポポあげる、と言って、手の汗と熱でクタクタになりかけそうなタンポポをくれたことを思い出す。彼女たちの笑顔と差し出されたタンポポを見ると、自分は何のせいで我を忘れてしまっていたのか、分からなくなってしまった。
感情を揺さぶられることは避けられない。人は一人では生きられないから、気が緩んでいたり、ふとした隙間に、つい、分かり合えるはずのない他人に甘えてしまい、気分を簡単に壊してしまう。
今日子供達が、授業の中で、グループワークをしている姿に思いを馳せた。普段は仲が良いわけでもなく、かと言って素っ気なくしているつもりでもないメンバー同士が、1つの目的に向かって活発に議論をし、真剣に英文を読み、ああではない、こうでもない、と話をしている姿に、感情の揺らぎの強さと脆さを憶え、恥ずかしくなった。
人は一人では生きられない。子供の無辜で無垢な姿が、人の世の真理を体現している瞬間に自分を立ち会わせしめた。
だからこそ人は、愛について考えることに意味を見出すのだろう。
2017年3月12日日曜日
"Good listeners are those who take thoughtful listens to each one they're with."
先週からセミナー続きで、週末は家にいない日々でした。
⭐️3/4土アクティブラーニング研修会、70名参加満員御礼にて大成功。
先週土曜日は70名の参加者が集い、敬愛する溝畑保之先生の4時間半ものロングワークショップ、素晴らしい会でした。
参加してくださった先生方、本当に有り難うございました。
第二弾も企画したいと思っています。
溝畑先生、長時間に渡るセミナー、本当に有り難うございました。感謝してもしきれません。九州を始め、全国の仲間たちと共に、先生から学んだことを実践に活かし、新しく前に進んで行きたいと思っています。
⭐️その夜、飛行機に乗り、東京へ。
日曜日は午前中、別件の仕事で本郷へ。その後、仲良くさせていただいている方から東大を案内していただくことに。素晴らしいキャンパスに吸い込まれて、散策、午後は楽しく仲間とランチ、そしてCLIL型授業のワークショップを30名の関東地区の先生方と。
CLIL型授業実践、去年暮れのネタはJoe O'dannel、今年2月末から今日の新潟まではSteve Jobs、次回は4月1日(土)の東京が新年度1発目です。別のネタを1から作って行きます。
⭐️良き傾聴者たち
そして今週末は、人生初の信越地方訪問!新潟県長岡市に行って来ました。
去年から親しくさせていただいている荒木美恵子ちゃんに呼応する形で、新潟に行かせていただける機会を頂けたこと、本当に感謝の気持ちで一杯です。
美恵子ちゃんを始め、高橋先生、前田先生、小林先生、スマイルプロジェクトの先生方、大変お世話になりました。感謝の気持ちでいっぱいです。有り難うございました。
最初のセッションは高橋先生の"You had a bad day" by Daniel Powterの曲を使った授業でした。
https://www.youtube.com/watch?v=gH476CxJxfg
この曲の持つDramaturgieをきちんと細かく生徒にわかりやすいように砕いてタスクを設計し、スピーキングとブレストを繰り返しながら、曲の魅力について、lyricsの内容について理解を深め、曲に寄り添うようにemotionを揺さぶりながら最後に参加者全員でこの曲を大きな声で歌う、という授業は、歌を用いた英語の授業で、4技能タスクを十分に使いながら行う素晴らしい時間でした。
僕のワークショップはJobsのCLIL型授業の集大成、もうこれでJobsを使ったネタは終了です。新潟で一番いい形で終わることができたのは、何よりも参加者の先生方の傾聴のご姿勢が素晴らしかったからだと思います。
授業をしていて感じる先生方の聴く姿勢は、これまでに僕が経験したことがない温かさ、深い他者理解のための傾聴姿勢、そして何よりも、わからないことをきちんと理解しようとする学びの姿勢そのものでした。素晴らしいaudienceでした。
今回は交流のスタートですが、東北地方の先生方と同じく、今後、信越地方の先生方とも活発に交流が始まるかと思うと、胸が高鳴ります。取り分け、先生方のそのご姿勢が、授業者をも育ててくださるという、まさに「学び合い」の空気感が、何度もこの場所を訪れたい、という気持ちに駆り立てるのです。
ランチを経て、幾島先生のスリランカ訪問のプレゼンテーションでした。新任の先生なのに、先生のプレゼンテーションはとても感動的で、ご自身のご経験を通して生徒(我々です)に語りかけてくる言葉の柔らかさ、先生の温かい視線、深い他者への慈愛を底流に敷いた問いかけに、タスクの中身は自ずと深い問いかけとなり、1時間があっという間に過ぎて行き、受講後、全体の心が倍音が共鳴するように震えていたのを肌で感じ、鳥肌が立ちました。
ファイナリストは京都から西山哲郎君。CLIL型授業で、アクティブラーニングのタスクをふんだんに取り入れ、4技能を縦横無尽に行き来しながら参加者のパフォーマンスを上げていく素晴らしい2時間でした。彼のこれまでのどの発表よりも洗練され、オリジナルで、誰も真似できない素敵な授業でした。
今回は、読解、文法の両面で、いかにタスクを自然に取り入れ、生徒に提示していくか、という示唆に富んだプレゼンが為され、明日からすぐにでも使えるメソッドとアクティビティが満載でした。
さらに、今回は、彼の視点の面白さ、高次元スキルベースのタスクを作成する際に陥りがちな自家中毒を難なくすり抜けていく巧妙かつ狡猾な鋭い彼の視点を通した教材研究法の提示をやってのけ、友達ながら、憎たらしいほど涼しくこれをやってのける彼の優れた授業者としての視点に、深い驚嘆を覚えました。
今回の新潟の現場は、授業者である自分にとっても、参加者の皆様にとっても、互いに深く学び合い、視点を掘り下げていくことができた、という点で、収穫がとても高い1日となりました。また明日からの授業が楽しみで仕方がありません。
新潟の先生方が持つ傾聴の姿勢、その奥に底流する深い慈愛と他者理解の愛、まさにlove supremeを、体全体で感じ、これからの教育活動に深みと広がりを与えてくださった先生方お一人お一人に本当に感謝しても仕切れません。
有り難うございました。また会いましょう。本当に有り難うございました。
深い慈愛に包まれた日曜日の夜更けです。
2017年3月9日木曜日
蛹から成虫へ
サナギが成虫になる、って、英語でどういうんだろう、と思い、wikipediaで調べたら以下のような簡潔な説明文が表示された。
A pupa (Latin pupa for doll, plural: pupae or pupas) is the life stage of some insects undergoing transformation. The pupal stage is found only in holometabolous insects, those that undergo a complete metamorphosis, going through four life stages: embryo, larva, pupa and imago.
The pupae of different groups of insects have different names such as chrysalis for the pupae of butterflies and tumbler for those of the mosquito family. Pupae may further be enclosed in other structures such as cocoons, nests or shells.[1]
今日は3つの”Three pupas have undergone its each transformation.”な出来事があった。
1つ目。
英作文の添削指導を頼まれて、指導学年外の生徒の添削をしながら共に1ヶ月。彼が今日学校を訪ねて来て、一橋、ダメでした、申し訳ありませんでした、と男泣きに泣いていたこと。
彼は、自身の不甲斐なさや、至らなさを涙に乗せて吐き出していたんだと思う。でも、彼のこれまでの学園生活を知っていると余計にその涙に、意義を見出さずにはいられなかった。
彼は、自身の不甲斐なさや、至らなさを涙に乗せて吐き出していたんだと思う。でも、彼のこれまでの学園生活を知っていると余計にその涙に、意義を見出さずにはいられなかった。
傲慢に振る舞い、世界は自分を中心で回っている、というピットフォールに陥りそうになっていた彼と話をして、君は一人では生きられないんだよ、と背中を押し、受験を迎え、毎日英作文の添削という作業を通じて、互いに向き合う時間を与えられた。
彼は自分の作文を僕にぶつけながら、様々な想いを語ってくれた。その中で、僕が彼に伝えられることを正直に全て話した。人は一人では生きられないこと、人は誰かのために仕事をする、ということ、人は、他者のために働くことによって初めて生かされること、など。
彼はこの1ヶ月で、神様に導かれるように換えられていった。その姿を間近に見ることが許された僕は、本当に幸せだったと思う。
彼は自分の作文を僕にぶつけながら、様々な想いを語ってくれた。その中で、僕が彼に伝えられることを正直に全て話した。人は一人では生きられないこと、人は誰かのために仕事をする、ということ、人は、他者のために働くことによって初めて生かされること、など。
彼はこの1ヶ月で、神様に導かれるように換えられていった。その姿を間近に見ることが許された僕は、本当に幸せだったと思う。
先生、ご期待に添えなくて、こんなにお世話になったのに、申し訳ありませんでした、と彼の口から漏れ聞こえたその言葉こそが、彼の成長の全てを物語っていると思った。
立派になった。彼が思春期のガラスの天井を打ち破った果ての、一絞りの言葉だと思った。
よく頑張ったよ、本当によく頑張った、と彼に声を掛けた。
2つ目。
去年担任を持っていた2名の子らが、後輩中学生のために講演をしに、わざわざ忙しい中、学校に馳せ参じてくれた。彼らが過ごした6年間を、中学生に存分に語ってくれた。その言葉の端々に、彼らが在学中には決して味わうことのなかった、深い自己内在を感じ、心が震えた。
新たな場にあって、彼らの身に何かしらの変化が起こり、今日この場に立って、中学生に話をする、という形態を通じた自己回顧を経て、さらなる成長を遂げようとする彼らの明るい未来に、大きな夢や希望を抱いた。素晴らしい時間だった。
3つ目。
一昨年クラスを持っていて、一番手のかかった子が、今日訪ねて来てくれた。
先生、今まで迷惑をかけて本当に申し訳なかった。守ってくれてたのに、あんな態度をして、本当にごめんなさい、と男泣きに泣いた。蛹が成虫へ変わる瞬間に立ち会えるのは、この仕事をしていて、何ものにも代えがたい、大いなる慶び。
甘えもあったろう。苦悩も自虐もあったろう。人に無自覚に頼っていた、という自省と自責もあったろう。心細かったろう。そして、それでもなお、人に向き合える幸せに、胸よりも先に体が震えただろう。誰から頼まれるでもなく、涙は静かに瞳の膜を覆って、溢れるのを待てずにいただろう。そんな彼の姿がとても美しく、頼もしく、未来を感じた。
今日一日、いつもと変わらぬ一日。
神様がいろんな角度から、人の成長とは何かを教えてくださった。
神の御業は時にかなって美しい。
旧約聖書に書き記してある文言は、今ここにあって尚、正しく美しい。
S.D.G.
3つ目。
一昨年クラスを持っていて、一番手のかかった子が、今日訪ねて来てくれた。
先生、今まで迷惑をかけて本当に申し訳なかった。守ってくれてたのに、あんな態度をして、本当にごめんなさい、と男泣きに泣いた。蛹が成虫へ変わる瞬間に立ち会えるのは、この仕事をしていて、何ものにも代えがたい、大いなる慶び。
甘えもあったろう。苦悩も自虐もあったろう。人に無自覚に頼っていた、という自省と自責もあったろう。心細かったろう。そして、それでもなお、人に向き合える幸せに、胸よりも先に体が震えただろう。誰から頼まれるでもなく、涙は静かに瞳の膜を覆って、溢れるのを待てずにいただろう。そんな彼の姿がとても美しく、頼もしく、未来を感じた。
今日一日、いつもと変わらぬ一日。
神様がいろんな角度から、人の成長とは何かを教えてくださった。
神の御業は時にかなって美しい。
旧約聖書に書き記してある文言は、今ここにあって尚、正しく美しい。
S.D.G.
2017年2月28日火曜日
大人のいない国の言論について
批判を恐れたらいけない。でも、覆面はもっといけない。批判をするなら自分の名前を晒さないと。2ちゃんねるに一定の効果を認めることに僕はどうしても同意しかねる。
覆面言いたい放題は社会の改善に貢献し得ない。論や発言に無責任だから。覆面の言論の自由は、表現の自由のギリギリ最低ラインだと認識していないと、言い分がどんなに正しかろうと、説得力を欠く。
それを棚に上げてはいけないのではないか。大人ならば。この社会の足の引っ張り合いが止まないのは、それを理解できないのではなく、理解しようとする姿勢が欠けたままに言論の自由をがなりたてる幼稚な人が声高になんでも言うからではないか。子供に示しがついたものではない。情けない。
この頃、身近でそう言う発言を目にしたり耳にしたりする機会が増えた。
世も末だ、と嘆くのは簡単だが、そう言う気持ちで切って捨てる気にどうしてもなれない。
ことは子供の未来に関わる教育について、である。
喧嘩両成敗とか、三方一両損の法とか、昔はよくしたもので、まぁまぁ、そう青筋を立てなさんな、と言う府落ちが社会に共有されていたからこそ、穏便に、と言う構えが文化に根付いていた。(と、昔の話を聞く限りは思われる。少なくとも今みたいにハイパーにギスギスしたりしていなかったと思う。)
なのに、自分を攻撃された、ないしは、自分が攻撃を加えた、と言う2者は、互いの齟齬を噛み砕くことなく、一方の主張を捲し立てるのに忙しく、相手の意見など、聞いていないばかりか、毛頭聞く気もない。議論が聞いてあきれる。
相手に正対して、呼吸をしっかりと保ちながら、相手にものを言う、と言う姿勢が失われて久しい。反省一入なのは、僕もご多聞に漏れず。
批判が改善に促されるのは、互いに、物事を放題を許さず、善意に取り続ける、と言う構えが共有されていて、初めて成立しうることであって、そうでなければ、ただのがなり合いである。身もふたもない。ただの悪口の言い合い。子供の喧嘩だって、もっとマシだと僕は思う。
いい歳をした大人(ほんとに大人なのかな、しかし。)が、自分の主張をがなり立て、相手を言い負かす事が「論破」であると信じて疑わずに、互いにそれが議論だと思い込んで言い合いを続けている様を子供が見て、果たしてなんと思うだろうか。
それを見た子供は、ああ、やっぱり声がでかくて、金と権力を持ってて、一定の力があるやつに巻かれとかないと、色々とめんどくさいよね、と思うに決まっている。
その姿勢を大人が子供の前に晒していると言う自覚なくして、子供に一体何を教えるのか。馬鹿馬鹿しいと言う自省がまるでない。情けない世の中だと僕は思う。子供に本当に申し訳ない。
言動に責任を持つからこそ、言論の自由には一定の意義が認められる。それに人類が同意し得たからこそ、西洋の憲法には王の封殺を許さない、と言う一言が書き加えられたはずではないか。
当今、世の東西を見渡して見て、その心構えを持たぬまま、好き勝手に言い散らかして、声の大きい方が優勢、と言う落とし所を世が受け入れている様相が情けない。子供は良い。当の大人が、それを利用して、ますますの醜悪さを子供の前に晒し続けているその姿が醜い。
自分が馬鹿なことに気づけないほど、人間が野蛮化している。そのことに気づいていないことではない。気づけない感覚を失っていることの危機感を持たず、持論の正しさをひたすら主張しづけるおじさんおばさんが世に跋扈していて、それを次世代を担うはずの子供達が静かに見守っている、と言う恐ろしい構図に気づけない大人の責任である。
困った時代になったものだ、と思う。
覆面言いたい放題は社会の改善に貢献し得ない。論や発言に無責任だから。覆面の言論の自由は、表現の自由のギリギリ最低ラインだと認識していないと、言い分がどんなに正しかろうと、説得力を欠く。
それを棚に上げてはいけないのではないか。大人ならば。この社会の足の引っ張り合いが止まないのは、それを理解できないのではなく、理解しようとする姿勢が欠けたままに言論の自由をがなりたてる幼稚な人が声高になんでも言うからではないか。子供に示しがついたものではない。情けない。
この頃、身近でそう言う発言を目にしたり耳にしたりする機会が増えた。
世も末だ、と嘆くのは簡単だが、そう言う気持ちで切って捨てる気にどうしてもなれない。
ことは子供の未来に関わる教育について、である。
喧嘩両成敗とか、三方一両損の法とか、昔はよくしたもので、まぁまぁ、そう青筋を立てなさんな、と言う府落ちが社会に共有されていたからこそ、穏便に、と言う構えが文化に根付いていた。(と、昔の話を聞く限りは思われる。少なくとも今みたいにハイパーにギスギスしたりしていなかったと思う。)
なのに、自分を攻撃された、ないしは、自分が攻撃を加えた、と言う2者は、互いの齟齬を噛み砕くことなく、一方の主張を捲し立てるのに忙しく、相手の意見など、聞いていないばかりか、毛頭聞く気もない。議論が聞いてあきれる。
相手に正対して、呼吸をしっかりと保ちながら、相手にものを言う、と言う姿勢が失われて久しい。反省一入なのは、僕もご多聞に漏れず。
批判が改善に促されるのは、互いに、物事を放題を許さず、善意に取り続ける、と言う構えが共有されていて、初めて成立しうることであって、そうでなければ、ただのがなり合いである。身もふたもない。ただの悪口の言い合い。子供の喧嘩だって、もっとマシだと僕は思う。
いい歳をした大人(ほんとに大人なのかな、しかし。)が、自分の主張をがなり立て、相手を言い負かす事が「論破」であると信じて疑わずに、互いにそれが議論だと思い込んで言い合いを続けている様を子供が見て、果たしてなんと思うだろうか。
それを見た子供は、ああ、やっぱり声がでかくて、金と権力を持ってて、一定の力があるやつに巻かれとかないと、色々とめんどくさいよね、と思うに決まっている。
その姿勢を大人が子供の前に晒していると言う自覚なくして、子供に一体何を教えるのか。馬鹿馬鹿しいと言う自省がまるでない。情けない世の中だと僕は思う。子供に本当に申し訳ない。
言動に責任を持つからこそ、言論の自由には一定の意義が認められる。それに人類が同意し得たからこそ、西洋の憲法には王の封殺を許さない、と言う一言が書き加えられたはずではないか。
当今、世の東西を見渡して見て、その心構えを持たぬまま、好き勝手に言い散らかして、声の大きい方が優勢、と言う落とし所を世が受け入れている様相が情けない。子供は良い。当の大人が、それを利用して、ますますの醜悪さを子供の前に晒し続けているその姿が醜い。
自分が馬鹿なことに気づけないほど、人間が野蛮化している。そのことに気づいていないことではない。気づけない感覚を失っていることの危機感を持たず、持論の正しさをひたすら主張しづけるおじさんおばさんが世に跋扈していて、それを次世代を担うはずの子供達が静かに見守っている、と言う恐ろしい構図に気づけない大人の責任である。
困った時代になったものだ、と思う。
2017年2月26日日曜日
英語教育ルネサンス
岡山の津山と大阪でのCLILワークショップを終えて、今帰宅しました。充実した週末だったと思います。
*4技能をあらゆる角度から〜新しい時代の幕開け
8年越しに関わっている"Steve Jobs' Commencement Speech"を題材にした授業も、CLILのフォームにまで昇華して、スピーキングとライティングを伸ばしつつ、文法、語彙を自然な形で使って伸ばしていき、さらに添削を経て表現力をより正確な方向へと導きつつ、さらにauthenticな素材に大量に触れることにより、1つの教材から出発して、幾通りにも切り口を変えながら、多くの視点を学びつつ、確かな英語力を身につけていく、という授業スタイルを、仲間と共に構築していく流れが確実にできていきつつあります。
CLIL(統合型言語学習)に関しては、この本が一等優れています。この本、早く買ったほうがいいと思います。絶版になる前に。
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%81%A8CLIL%E3%81%AE%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E6%8E%88%E6%A5%AD-%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%AF%E9%81%B8%E6%9B%B8-%E5%92%8C%E6%B3%89-%E4%BC%B8%E4%B8%80/dp/4757428057
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%81%A8CLIL%E3%81%AE%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E6%8E%88%E6%A5%AD-%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%AF%E9%81%B8%E6%9B%B8-%E5%92%8C%E6%B3%89-%E4%BC%B8%E4%B8%80/dp/4757428057
この2年、仲間と一緒に模索してきた授業のスタイルや形態、指導法も、手探りの部分もかなりあり、悩んだり、産みの苦しみを味わってきたのですが、和泉先生の本を読み、今まで悩み苦しみながら、時には生徒たちから元気をたくさん戴いてやってきた授業は、こういう風な系統、ないしは携帯を辿っていたのか、ということを、第三者から懇切丁寧に教えていただいた、そんな感慨を読後に抱きました。
また、自分たちがやっていることは、こういうスタイルなんだな、ということも、和泉先生のご示唆からうかがい知ることができ、先生の研究により、自分たちが見えなかった課題や、今後取り組むべきチャレンジもご教授いただけた次第です。
和泉先生にはまだお会いしたことはありませんが、もしお会いすることがあれば、新しい英語教育の幕開けに大きな旗振りを率先してくださってあることに、最大の敬意と謝意を表したいと思っています。
また、自分たちがやっていることは、こういうスタイルなんだな、ということも、和泉先生のご示唆からうかがい知ることができ、先生の研究により、自分たちが見えなかった課題や、今後取り組むべきチャレンジもご教授いただけた次第です。
和泉先生にはまだお会いしたことはありませんが、もしお会いすることがあれば、新しい英語教育の幕開けに大きな旗振りを率先してくださってあることに、最大の敬意と謝意を表したいと思っています。
*旧知の方達からの相談や来訪、自彊不息時候。
ここ1年くらいは、全国各地にお招きいただいて、ワークショップをし、多くの先生方と情報シェアを繰り返し、交流を深め、ネットでのやり取りを通じて学びを深め合う関係性が構築され続けています。
特に、東北、近畿圏、中国地方、そして、何よりも、これまでなかなか交流の深まらなかった地元九州での活発な交流が著しいものになっています。
ワークショップやセミナーでお招きいただく度に驚くのは、10年来の旧知の知り合いや、過去に一緒にいろんな勉強をしていた仲間に次々と出会うことです。
僕は自分で「暁の会」という勉強会を、親友の西山くんと主催していて、京都を中心に(博多もたまに)ワークショップをこじんまりと行なっています。また、毎週水曜日に、スカイプで
僕は自分で「暁の会」という勉強会を、親友の西山くんと主催していて、京都を中心に(博多もたまに)ワークショップをこじんまりと行なっています。また、毎週水曜日に、スカイプで
英語でディスカッションする会を60分〜90分の範囲で行っています。その他も、外部の団体からお招きいただいて、ワークショップをさせていただく機会が増えました。
今は、以前に自分がやっていたこととは全く違うことをやっていますし、標榜するベクトルも全く違う方向を向いています。
子供達にauthenticな素材を大量に提供し続け、より多くのsense of Englishに直に触れてもらい、それを軸にしながら、旧来から得てきた授業メソッドやスキルに改良を加えつつ、新しい指導法を模索している、というのが現状です。
今は、以前に自分がやっていたこととは全く違うことをやっていますし、標榜するベクトルも全く違う方向を向いています。
子供達にauthenticな素材を大量に提供し続け、より多くのsense of Englishに直に触れてもらい、それを軸にしながら、旧来から得てきた授業メソッドやスキルに改良を加えつつ、新しい指導法を模索している、というのが現状です。
多くの旧知の仲間が、僕や今行動を共にしている多くの仲間の主催するワークショップやセミナーに数多く出没するようになった、という事実に、1年前は戸惑いを覚えていましたが、このところ、その数がますます増え続ける一方で、実際にはお会いしていないけれど、メールなどで、指導改善で悩んでいる、というご相談を受けることも増え続けています。
これはとても驚くべきことだと思います。
暁の会を始めて2年が経ち、かなりマニアックに英語教育論をああでもない、こうでもないと、自由奔放に論じ合いながら、子供達にとって何が最良かを模索し続けていますが、その流れにあって、これまでは旧来型の指導にこだわってきていたはずの旧知の知り合いが、かなり同じような志向を模索するセミナーやワークショップに参加するようになってきた、という事実。
一つ言えることは、4技能を重視した入試制度の変化に対し、社会の流れを汲み、危機感を抱く先生方が増え続けていることを意味しているのではないか、と仲間で日々議論を重ねています。
今後も、この趨勢が勢いを加速させることはあっても、尻すぼみになったり、減少傾向になることはまずないだろうと僕らは睨んでいます。
ますます今やっている実践の検証と新たな研究を確実で確かなものにしていかなければならないと思っています。
同時に、新局面に向き合う旧知の仲間たちを、より良い方向へと導くべく、日々の研鑽に磨きをかけないといけないと思っています。
ますますのんべんだらりとしている暇はなくなりつつあります。
ますますのんべんだらりとしている暇はなくなりつつあります。
*根拠のあるデータと経験の集積に基づいた判断
親友からこの本を紹介してもらいました。思い込みの強い意見から自由になるために、今読まれるべき1冊だと思います。
https://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E5%AD%A6%E5%8A%9B%E3%80%8D%E3%81%AE%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6-%E4%B8%AD%E5%AE%A4-%E7%89%A7%E5%AD%90/dp/4799316850
当今の英語教育に於いては、データや数値、ないしは、生徒が実際に書いたもの、あるいはスピーキングした中身などをきちんと根拠にした上で、どんな学習指導に未来が明るいかを精査しないと、乱暴で声が大きく、大人数が集まるような考え方やメソッドに蒙昧的に追従してしまい、大きく時代の流れを見誤ることになってしまいます。
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当今の英語教育に於いては、データや数値、ないしは、生徒が実際に書いたもの、あるいはスピーキングした中身などをきちんと根拠にした上で、どんな学習指導に未来が明るいかを精査しないと、乱暴で声が大きく、大人数が集まるような考え方やメソッドに蒙昧的に追従してしまい、大きく時代の流れを見誤ることになってしまいます。
旧知の知り合い達がどんどん多読、4技能にShiftしていっています。
旧態依然とした指導法からの離脱の趨勢が雪崩を打ち、新しい学習指導への注目と高まりは、最高潮に達しつつあります。
色んな批判や批評が聴こえて来ても、この趨勢を覆す根拠にならず、益々旧タイプ指導からの離反が加速するばかりな今日この頃なのです。
2017年2月23日木曜日
新しい時代の幕開け
80名突破! 超満員御礼!凄まじい!
新時代の幕開けです。
古い時代は終わりました。
先生方で、アクティブラーニングに関心を持っておられる方、多読に興味を持っておられる方が急激に増えております。凄まじい勢いです。
旧来型の指導法に限界を感じたsilent majorityの先生方が潜在的にとんでもない数存在していらっしゃる、と言うことを、お申し込みのコメントや、メールでのお申し出で伺い知ることができます。
個人情報の観点から、詳細にはここでお書きすることができませんが、去年1年でいただいたメールの数、実に57件、今やっている指導法で、このまま将来の入試制度や、新たな指導に対応できるか、不安で仕方がない、と言うご相談を頂いています。
なんで僕にメールが来るのか、よくわかりませんが、それは一旦、端に置くとして。
この数の増え方は異常だと僕は思います。
それくらい、現状に危機感を持っておられるsilent majorityの先生方が多数存在している、と言うことだと実感しています。
すごいことですね。まだまだ受付を致しております。
多数のご来場、心よりお待ちいたしております。
【アクティブラーニング授業実践研修会のお知らせ】
3月4日(土)午後13時30分より行われるアクティブラーニングの研修会なのですが、本日付にて、参加者人数が80名を突破致しました。
とんでもないことです。恐ろしくなりました。こんなことがあるんですね、、、。凄まじい勢いです。
10日前に迫って来ましたが、もしかしたら、急遽、一挙に100名超えなんてのもありそうな気がして来ました。ものすごい数です。
今日本で一番ホットかつ、アカデミックな裏付けと緻密な計画と、真摯なご実践と、同僚とともにチームで動く同僚性を体現しておられる稀有な先生です。
手前味噌ですが、本校の同僚は英語科のみならず、体育科、国語科、社会科の先生方もご出席くださるとのこと、素晴らしいことだと思い、胸を熱くしております。
お申し込みがまだの先生方、あるいは教育関係の学部生、大学生、塾で教えてらっしゃる学生さん、大学の先生方、初等教育で英語に関わってらっしゃる先生方、ぜひお出かけください。
お申し込みフォームはこちらです。http://form.os7.biz/f/57ccfe7e/
溝畑先生のご実践に関しては、こちらのページの'Class Report'をご覧ください。https://www.eiken.or.jp/eiken/group/pdf/se2016_autumn.pdf
*日時:2017年3月4日土曜日
13時受付開始
13時30分開始ー終了予定時刻17時30分
場所:福岡県 学校法人西南学院中学校・高等学校構内
(視聴覚教室)
参加費:2000円
内容:
『今から誰でも自信を持って始めるアクティブラーニング』「すでに英語ではペアワークをやっているから大丈夫」、「アクティブラーニングで21世紀型高次元スキルの獲得なんて無理」という両極端の反応があちこちで見られます。活動だけありきで「学び」が起こらないではだめです。工夫をすれば、英語授業に今までに行われていなかった観点に基づく学びの場を提供できます。
1)普通高校で4技能統合型の授業をチームとしてどう作るか
2)どうすれば授業をコミュニケーションの場にできるか
3)CanーDo Statementsを無理なく活かすには
4)ジグソー法の効果的な実践方法は
5)予習や復習はどう指導すれば良いか
6)定期考査やパフォーマンステストはどうするか
以上の点について考えて見ましょう。生徒も教員も無理なくできることを、できるところから始めて見ましょう。
そして、生徒の未来のための授業に挑戦してみませんか。
お申し込みフォームはこちらです。http://form.os7.biz/f/57ccfe7e/
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