2015年7月21日火曜日

実り多き一学期を振り返って

実り多き一学期を振り返る。今学期は19年勤めた中でも特に良い学期となった。
備忘の為にここに録することにした。

・新しい授業形態を生み出すことができたこと。
・新しい勉強会を立ち上げたこと。
・今までのやり方を一度全て捨てて、新たな方法論で授業に臨んだこと。
・積極的に新しい勉強会や学会に行き、知見を深めたこと。
・家族や親友たちと交わりを深めたこと。
・生徒達と一緒に最高の学校生活を作り上げたこと。

授業形態を新しくしたことと勉強会を立ち上げたこと、今までの方針を全て捨てて新しい授業のカタチを創ろうとしたことはとても良かった。

二年前に全て英語で授業を行った2Jクラスでの反省点を活かして、できるだけ英語でアプローチする方法と、日本語で授業をする方法のバランスの取り方が良くわかっていたので、今年の生徒達には深く考え、自分の考えや想いを深める活動を授業で積極的にしてもらうことが出来た。また、坂本先生(福岡女学院中高の先生)との再会により、多読やライティング、スピーキングのセッションに関して、見えて来ない新しい視座を数多く与えられた。

英語で全て授業をするのは準備も勇気もいる。勇気の方が大きいのかもしれない。また、無策でこれらの形態に突入すると、生徒達はハンバーガーショップのやり取り程度の英語しか話すことはできない。

良質なインプットが生徒に供給され続けないと良質なアウトプットに繋がって行かないのは事実で、このバランスを取って行くことと、生徒達に提示する教材の質を高めることが指導者には常に問われる。この授業形態を行なう時に一番苦労をしたのはそういうところだった。ただやれば良い、というものではない。

「全て英語で授業」とか、「アウトプット活動を大切に」とか、いう言葉は斬新に響くところがあり、どうしても言葉が一人歩きしてしまうので、「知識が乏しい生徒がそんなことが出来る訳がない」とか「十分にインプットで鍛えて実力を付けさせないと、授業でそんなことをしていても飯事に終わる」とかいう批判を受けがちなんだけれど、それはこちらも百も承知で、授業でこれだけをやっていても不十分なのは当たり前のことである。

従来の授業方式(訳読・文法ドリル・音読トレーニング・暗唱・ディクテーション)のメソッドとブレンドしながら、これらの新しい形態の授業をして行かなければいけない。どちらの要素も21世紀の英語教育にとっては欠けてはいけないもの。

問題なのは、どちらか一方に偏った指導のみを是とし、真っ向から全否定するような指導や信念のみを盲信すること。これは一番良くない。なにより、生徒達が一番不利益を被る。

入試制度は今後大幅に改訂されることが発表されている。僕ら英語教師が今までの指導通りの事を繰り返していると、教えている生徒達が入試に直面した時に対応できなくなってしまう。入試の先の英語力を付けさせたいと標榜して授業の改革を精力的に行ってはいるけれども、入試というフィルターを通過しないと、その先がないことも承知なわけで、その上で、日々、繰り返し繰り返し、旧来の授業方式に新しい視点を加え続けてブレンディングを繰り返している。それでしか前には進めない。それしかない。



さて、生徒達が話す英語は少しずつ少しずつBaby Stepで進めてかなければ行けない。こちらにも相当の忍耐力も要る。さらに、母語による補足説明、母語による演習、トレーニングが不十分であると、生徒達の活動が本当に陳腐で安っぽいものになる。それは本当にそうで、二年前にこの部分と必死に闘ったので、今はどうすればこのピットフォールを回避できるか、分かっている。


今年の生徒達に行なったアプローチはそこを脱し、all in Englishで授業をするときと、日本語による授業によって生徒達のインプットの質を高めて行く活動のバランスを上手く取ることができた。これは暁の会で先生方に常々申し上げていることと同じで、全部英語で授業を、と考えて猛進してしまうと、生徒達に十分な力がつかなくなってしまう。日本語と英語の両方を上手く使いながら、そのバランスを取りつつ、英語で授業をするときと、日本語でのアプローチをするときのバランスが必要になる。


二年前に全部英語で授業をした時には、これが理解出来ずに随分と苦労をしたが、それは当たり前で、日本語で深く思考したり考えたりすることができないまま、不十分で未熟な文法力と語彙力で自分の意見を英語で述べたり書いたりすることは出来ない。その点を埋めて行く作業がどうしても必要になる。そのアプローチをきちんとやらないと、教師が英語で授業をした、という自己満足に陥ってしまう。これは良くない。


また、逆も真で、英語での授業アプローチをしないと、いつまで経っても伸びやかなアウトプットや、ミスを恐れずに英語を書いたり話したりすること、さらにはそうやって自分で実際に英語を話したり書いたりする経験を通した上で、読む、聴く、という活動の意義が自発的に理解されて行く、というカタルシスを生徒が味わうことはない。インプット中心の活動を何度繰り返しても、それはインプットなのであり、英作文と一言で言っても、書いてある日本語を翻訳することだけでは、英語をアウトプットした、とは言えない。


アウトプットのアプローチは様々な方法があってよいと思う。それぞれが必要なアプローチを用いて自分のアウトプット力を高めて行けば良いのだと思う。大切なのは、万能な唯一の方法など、何一つ存在し得ないのだ、ということを指導者が自覚すること。これはアウトプットのメソッドのみながら、インプットの方法論にも同じことが言えるのだと僕は思っている。「これさえやっておけば大丈夫」という妄念に一度入り込んでしまうと、新しい指導法や新しいやり方に自分が付いて行けない時に、自己正当化に感けて、自分の幅を広げる道を自ら断ってしまうことになってしまう。これは良くない。何しろ目の前にいる生徒達の学習に広がりが出なくなる。


かく言う僕も、過去に同じ様なピットフォールに何度も何度も陥り苦戦した。過去の生徒達には申し訳なかったな、と思っている。たとえば7、8年前は、トレーニング一辺倒の授業をやっていて、アウトプット活動に関して何等注意を払っては居なかった。とにかくトレーニングで生徒達をヘトヘトにして、徹底してインプットを叩き込めば、英語力が付くものだと思い、徹底して鍛えた。それはそれで良い面も沢山含んでいるけれど、今考えると、随分とバランスの悪い指導形態だな、と思う。今の僕が当時の僕にアドバイスをするとするならば、アウトプット活動とインプット活動を半々にしてはどうか、ということと、生徒達をヘトヘトにさせることをゴールにするのではなく、生徒達が活き活きとすることをゴールにしてはどうか、とアドバイスをすると思う。絶対に当時の僕は納得しないだろうけれど笑。


また、二年前に全て英語で授業をしていた頃の自分に、今の僕がアドバイスをするとすれば、日本語による指導を通してインプットを高めて行く指導をバランス良く取り入れてはどうか、ということと、生徒達の力が伸びやかに付いて行く様に、教材の選定や、教材の使い方を工夫してはどうか、ということをアドバイスすると思う。インプットがどれくらいできているか、アウトプットがどれくらいバランス良く仕組まれているか、その辺のバランス感覚を取って行くことこそ、一番大事でしかも難しい作業であり、これをやろうと思うと、指導者の準備の負担がとても掛かるので、あまりやりたがる人は居ない。でも、やらなければ、生徒はいつまで経っても、日本語のまま英語を理解する頭から英語を英語のまま理解する頭へスイッチしていく環境が与えられないことになる。


習得の速度やインプット量のことばかりを気にしていると、生徒達が授業の中で英語を使って考えたり、思ったことを表現する時間が奪われてしまう。そこはバランスなんだよね、とこの二年、嫌という程学ばされた。


生徒達に考えさせる。生徒達が思った事、感じたことに耳を傾ける、そういうことを通じて、英語の授業の中で何ができるのか、生徒をどのように伸ばして行けば良いのか,を模索し続ける日々だけれど、新しい可能性を過去にやってきたことを結びつけ、その中から新しい視点を得て前に進むことを繰り返し、繰り返しやっている。のんべんだらり、とはしてなかったな、とこの一学期を振り返って思う。

次は教室に文学作品を持ち込みたい。教室に詩や文学を持って行き、生徒達に触れさせたい。彼らの使う英語は訓練されていない為、稚拙で幼稚かもしれない。しかし、彼らの感性に敬意を払い、彼らに出来うる限りのチャンスを与えたいと思っている。

入試の成績ばかりを意識して、生徒をタコ部屋に押し込むような指導だけに感けて、猛烈に鍛えて詰め込み教育を繰り返す指導ばかりしていた自分が恥ずかしい。得られたものも多かったかもしれないが、失われ、削がれたことも数多くあったことも、教師として反省せねばならぬところだろう。

生徒に英語の力をつけさせることは大切なことだけれど、生徒が英語を嫌いになったり、英語は大量に繰り返し暗記をすればいいんだと思い込んでしまうことはとても良くないことだと僕は考えている。外国語を学ぶことの意味はなんなのか、稚拙ながらも英語を自分で発する時に見えてくる母国語へのアプローチの大切さ、自学の意義、これらのことを英語の授業や自学を通して自分自身で感じて行くこと、それこそが外国語を学ぶ第一義なのではなかろうか。

これらのことは受動的に教師から一方的な指導を受けていても決して起動しない。言葉を実際に自分で使ってみて、友達と工夫しながらやってみて、肌感覚で実感されることである。

ベストの指導法みたいなものがあればいいんだろうけれど、残念ながらそんなものはないし、だけど、バランス感覚を欠いて、これこそがベストだ、という指導法を喧伝流布すると、その方法論にみんな飛びついて、価値観が偏ってしまう。

そういうのは、危ないんじゃないか、とぼんやり反省をしつつ、バランスの取れた指導法を模索して行かなくちゃね、とポールギャリコの猫語の教科書をめくりながら考えました。

ではまた^^

2015年7月16日木曜日

暁の会on the web第三回、無事に終了しました^^

昨日は「暁の会on the web 第三回」を開催しました。
↑今回の勉強会に臨む前に作った指導案


3週間前からこの活動を始め、「話す」「書く」という二つの活動を参加者の方とやっていて見えてきたことがあります。それは、日常的に英語を実際に使う機会を持っておく、という新たな視座でした。13年間英語のトレーニングをやっていますが、これまでの自分のトレーニングはどれも「インプット(知識の獲得)」に重点が置かれており、実際にそれらを運用し、活用する「アウトプット(思考の発信)」を鍛えていく、という方法へは中々結びついていませんでした。

実際にやってみて、「英語を読む、聴く」という行為は一人でもできるのですが、「英語を話す、書く」という活動は相手があることですので、他者と関わりを持たないとどうしてもできない。暁の会でこういう活動を始めたことは、その意味で、とても意義のあることだと改めて思いました。

トレーニングではインプット活動を存分にやり、自分の知らない英単語や、使ったことのない表現の獲得に勤しみ、数多くの文献資料やメディアソースに触れながら、英語力を高めて行くことができます。認識語彙や認識できる言葉の数が増えていくのです。

一方で、これらを自分の言葉として組み合わせて運用していくためには,それらを実際に用いる場面に身を置かなければならない。これはたとえば、英語でものを書いたり、日常的に外国人の方と英語でやりとりをする、でも良いのですけれど、このどちらか一方でも良いので、日常的に持つことにより、英語の運用力を維持向上していくことが可能となります。

たとえば僕は一人で車に乗っているときや、家に居るときに、独り言のように、「誰かにある事柄について意見を求められたこと」を想定して、英語で自分の意見を喋る練習を日常的に行っています。しかし、これではその英語がきちんと通じているのか、正しく発話されているのか、判断ができないのです。

ここに他者が加わることにより、自分の英語がきちんと人に届く、言葉は人に届くことを目的に発せられているので、他者を交えてこの作業を繰り返していくことが、自分の英語運用力を上げていくことに繋がっていきます。新たな取り組みによって、こういう行為を日常的にできるようになったことはとても恵まれている、と改めて思わされました。

さて、今回は前回までの反省を踏まえ、新たに指導案を作り直し、パートナーの西山先生と綿密に打ち合わせをして臨みました。

毎晩、西山先生とSkypeにてスタッフミーティングをしながら、お互いにノートにメモを取り、アイディアを具現化しつつ、反省点にプラスの要素を2、3加えて、新たな視座を求める、というメソッドで勉強を続けています。

大学の頃にゼミをやっていたときを思い出します。お互いに仕事をしながら勉強を続けているので、厳密にはゼミとも違うのですが、趣味や遊びでこういうことをしている訳ではないんだな、と自分のノートを見つつ、感じています。インプットとアウトプットの可能性を、自分たちの身体を使いながら実験していく取り組みは、とても有意義なものです。できうる限りのことをどんどん考えて即実践しながら、可能性を探って行きたいと思っています。

スタッフミーティングでは
どの段階でどのような活動をするのがより効果的かを毎晩話し合っています。


インプットとアウトプットは切り離して学習すべきなのか、同時に並行して行うべきなのか、を西山君と毎晩Skypeで議論しています。どういう形で生徒達に教えていくのがもっとも効果的なのか、正解はないとは思いますが、あらゆる可能性を排除せず、フラットな視線で毎晩考えることを自分たちに課しています。

暁の会で開催している土日の勉強会以外の活動の中で、これらの可能性について仮説を立て、実験をし、検証して、次に繋げていく、ということを繰り返していると、授業や指導に関して新しい視座が得られるのではないか、と僕らは睨んでいて、その点に於いて、できるだけ丁寧に洗っていきたいと考えています。

あらゆる可能性は一切排除せず、過去にやったこと、今からやろうとすること、現時点での様々な解決すべき諸問題、対峙すべき課題をすべて考慮に入れ、子ども達に提示できる学習法、新たな授業の展開例、取り組みの策定に活用できることは何かを探っていきたいのです。

最後に、次回の「暁の会@博多」へ参加してくださる先生方からメールを頂戴しています。

今まで都合がつかずご参加頂けなかった様な先生方や、旧知の仲間から、是非参加させて欲しい、という、嬉しいメールを多数戴いています。夏の補習や公務でお忙しい中、ある方は飛行機をわざわざ取って参加してくださるとのこと。会が有意義で実りのある勉強会になるよう、ギリギリまで西山君と勉強を猛烈に進めて行きます。

次回の「暁の会on the web」は7/23(木)22:00より、90分程度の予定です。

内容は、英文を用いた発音トレーニング、解釈を英語でディスカッション、解釈を英語でライティング、まとめでは自分で書いたものをみんなの前でプレゼンするという活動で閉じる予定です。

また、今回ネットを使った学習会をやってみて、色々な可能性を探っていきたいと考えています。社会人向けに、個人的なご希望があれば、週に1回だけではなく、週にもう一度くらい勉強会を開催しても良いと考えています。たとえば世界がグローバルに抱える問題解決法を皆で考えて、英語でディスカッションし、自分の考えを他者とシェアしながら、意見をプレゼンしていくような勉強会です。これは60分~90分程度で、いきなりトークから入る、という形式で良いかな、と思っています。西山君とミーティングで協議し、うまくいけば近いうちに開催を目論んでみようかと思っています。


ではまた^^

2015年7月13日月曜日

7月30日(木)暁の会@博多を開催致します^^

暁の会for teachers@博多の日程、場所が決定しましたので、お知らせ致します。
小中高大の先生方、塾講師の方、英語教育に携わる方、教育実習などをお考えの学生さんなどが対象の勉強会です。どうぞよろしくお願い致します。

参加ご希望の方は、僕にフェイスブックにてDMをくださるか、メールにてお申し込みください。よろしくお願いします。

mailto: dassenglish73@gmail.com

日時:7/30木 16:30~19:30(終了予定は19時です。)

場所:西南学院大学 合宿研修所内 研修室
http://www.seinan-gu.ac.jp/campusmap.html
地図の一番右端の所をご覧下さい。
地下鉄西新駅より、徒歩5分です。

費用:無料です。

携行品:ノート・筆記具
内容:
1.「おもしろみのない教材をおもしろく変える工夫をシェアする」
  →一見、教師にとっても生徒にとってもおもしろみのない教材を工夫次第で面白く
   変える展開を、みなで共有したいと思います。
2.「英語トレーニング」シャドーイング、発音、暗唱をトレーニングする。
  →新教材にて行います。ジョブズやマララではありません。
   お楽しみに。
3.「生徒に英語を話させる+英語を書かせる授業」の体験と実践発表
  →フリートークの活動の紹介、実践例、通常授業への導入工夫例
4.絵本を使った授業実践例
  →読み聞かせ+朗読練習(生徒の活動)+解釈+フリートーク、の活動例紹介
   絵本の実践は新教材にて行います。The Giving Treeではありません。
   お楽しみに。

多数のご来場、お待ち致しております。

2015年7月10日金曜日

暁の会on the webが英語で話すAll in Englishの会になっちゃった^^

昨晩、Skypeを使った勉強会、「暁の会on the web 第二回目」を開催しました。参加者は僕を含めて6名。熱いメンバーが集まりました。


元々、発音が上手くなるような勉強会できたらいいよね、と西山くんと二人で始めた勉強会(というか、雑談の延長?)なのですけれど、前回、正式な形でやってみたら、物凄く盛り上がったので、じゃあ、定期的に、ということで、今回二回目をやりました。


発音矯正を目指していたのに、いつの間にかall in English になり、90分全て、参加者全員がall in Englishで勉強会をしました。発音の練習も、題材の読み合わせも、中身に関する解釈の議論も全部英語。英語で質問したり、英語で意見を言ったりの繰り返し。


これがもう、本当に楽しくてたまらなかった。


こんな風になるんだったら、初めから「英語でディスカッション」っていうセッションにしておいて、その中で、発音指導とか、語彙とかフレーズもその都度共有して指導します、って形にしておけば良かった、と思いました笑。


なんでも、やってみるものです笑。


次回は、来週の水曜日、21:30から行ないます。受講資格とかはありません。どなたでも参加出来ます。レベルなどもまったく問いません。英語で話をしながら、発音の練習をし、ある題材についてどんどん英語を喋る勉強会です。間違えても、言葉が足りなくても、その場でどんどん他のメンバーとアイディアを共有しながら英語力を高めて行く会です。


ご希望の方は、僕の方まで、SkypeIDをメールか、FacebookDMにて、送信してくださいね^^

dassenglish73@gmail.com


なんか、4月から、学校でもミラクルが起きまくって毎日とてつもなく充実してて、暁の会の方も、とんでもない奇跡の連続で、自分の頭が追いついていかないです笑。びっくり、どきどき、ワクワク、興奮、感動、の連続で。

こんなに幸せで、いいのでしょうか笑。

参加者の方々の声を掲載します。
「今回もありがとうございました。
フェイスブックがないのでこちらになってしまい、申し訳ありません。
絵本で見たことがありますが、なかなか英語では言いたいことが表現できず、お恥ずかしながら苦労しました。まだまだ精進が必要です。教えるばっかりやってると、忘れがちなこのディスカッション、自分の意見を持っていても道具の使い方が悪いと伝えられないこの自分の中の言語能力の差を埋めないといけないと思います。
今回は、何が特に苦手な発音なのかを意識して見つけようというテーマで受講させていただきました。単語や文の真ん中にあるTh.サウンドをいかにごまかしていたかを痛いほどやられました。前の音からthサウンドの口の形に持っていくスピードが遅く、中途半端なthサウンドのまま次の音へと行ってしまいます。焦るので余計に口が硬くなるようです。それでごまかしてしまうようです。練習です。
次回もよろしくお願いします。」


What's the purpose of leaning English?

2
回連続で暁の会に参加しました。僕の感想を一言でまとめると上に書いた通り?今回は「The Giving Tree」という絵本を用いたトレーニング。絵本と言っても意見を述べたり、意見をじっくり聞いたりできて大満足!
どの英語になっても口の周りが硬くならないよう意識して何度も声に出して読みました。何度も「th」「dの柔らかさ」「take off-soft landing」に関してアドバイスをしていただけて、自分のトレーニングにもいかせて大満足。この学習者とファシリテーターの距離が近いのが暁の会は僕にとって魅力。また、十督先生が席を外しても、皆さんが声に出してトレーニングし続ける熱い想いがSkype越しにビンビン伝わる。
普段は指導者だけども、感想を求められたりした時にささっとレスポンスできないのは、忙しくても英語のインプット&アウトプットはせねばと前向きに反省!
それにしても2回とも勉強会が終わった瞬間から次が楽しみで、ワクワクしながら自分の学びに喝!
さあ〜いわき組も東京、京都、福岡には負けじと起きるぞ!


「今夜の発音矯正講座がたった今終了!福島、東京、そして博多の同志とみっちり2時間、学び合いました。扱った教材はShel SilversteinThe Giving Tree
まずは全員で読み合わせと発音確認、そして個人練習。しかし、今夜は発音指導だけではなく、英語でGiving Treeの内容を議論しました。このセッションには人の英語を笑ったり、自分の英語を卑下したりする文化なんて存在しないので、終始誰も臆することなく、スピーキング!
発音矯正、内容の掘り下げ、そして英語でのデイスカッションとプチ暁の会勉強会へと発展していたところに、この講座の可能性を感じます。

宿題のアナウンスもあり、次週の開講日時も決まり、笑顔で解散。今夜も実り多い時間となりました!

2015年7月7日火曜日

ゼロから1へ、そのかなたへ。


ゼロを1にするのと、1を2にするのと、がある。

数値はどちらも1つしか動いていないけれど、ここには大きな差がある。

ゼロを1にするのは、無のものを有にすること。
1を2にするのは、有のものを有+にすること。

僕は多分、ゼロを1にすることをしてるんじゃないか、と思っている。

贋作がどんなに上手くなっても、それはfakeであり、phonyなのだと思う。
田舎の雑貨屋で売られている趣味で書かれた様な絵であっても、
誰かの模倣から脱却し、自ら描き出した絵はauthenticなのだと思う。

僕はゼロを1にすることしか能がない。



でも、1を2にする人とともに働いて、
お互いに持つものを、
4にも7にも11にもしたい。

ゼロは生み出される1のためだけにあるのではなく、その先の17や29の為にあると信じてる。
1は継ぎ足される2のためだけのあるのではなく、もっと向こうの25や48の為にあると信じている。

そして、それらは互いに「素数である」という共通点を忘れ、啀み合うこともあることを忘れない。
「素数だね、結局、俺ら。」という原点に立ち返ることも忘れない。

虚数が素数を侮ることは許されないように、素数が虚数を蔑むことも許されない。
互いに補完関係にあることをいつしか忘れ、数字は啀み合う。

0の宇宙に点在する数字よ、共生せよ。
0の彼方にある未来へ、結合せよ。

2015年7月4日土曜日

暁の会on the web、無事に終了^^ (インターネットのビデオ電話で発音の勉強会をしました)

Skypeを使って「暁の会on the web(インターネットを使ったビデオ通話による発音練習講座)」をやってみました。初めての試みで、最初の小一時間は機械トラブルと奮闘しましたが、なんとか無事に行うことができました。正味1時間半くらいだったでしょうか。


福島県、福岡県、京都府の3つの拠点を結んで、計6名、僕を含めて7名の勉強会でした。子どもの頃に、小学校の社会科の授業で、オーストラリアではテレビ電話などを使って遠隔授業が行われているというのを習ったことがあったのを思い出しました。


今の時代、ネットを上手く利用すれば、日本全国のどこにいても、簡単に勉強会を開催することができるんだな、と改めて実感しました。


生身の人間同士で出会って、呼吸を感じてふれ合う時間もとても大切なので、実際に面と向かって会うことも大事ですが、昨日のようなweb上でのやりとりを通した勉強会は、リアルに会うことを前提とした補完作業として、重要な意味を持つ、と僕は実感しました。


距離、金銭面などの諸条件を勘案すると、頻繁に直接会うことは難しく、志はあっても、実際に勉強会を行うことは難しいことが多いのが現実です。しかし、実際に直接会うことが年に数度しかかなわなくても、ネットを利用して週に1度くらいのペースで勉強を続けながら、直接会ったときによりパワーアップした形で勉強会を開くことができることは、素晴らしいことだと思いました。


昨日は機械やアプリのトラブルで、画面に顔が映らないというトラブルも経験しましたが、これも何回か勉強会を重ねれば解消されていくことですし、音声だけで勉強会に参加すること自体が、十二分にも参加される方の力になることは、音声のみで参加された先生のメモ書きを見ただけでも明らかでした。


大事なのは、「よし、参加して勉強しよう。」というモチベーションと行動力なのだと思いました。他人の目などは関係ない、自分が力を伸ばしたい、自分がもっと勉強したいという気持ちさえあれば、いくらでも勉強できる環境は整っているものです。参加者のそんな熱いやる気を感じ、僕もフルパワーで指導をしました。「上手くなりたい。」と思って参加しておられるのに、練習しても上手くならない、では話になりません。何度も何度も、繰り返し繰り返し、一人一人の発音を聞いて、微に入り細に穿って逐一指摘し、練習を重ね、最終的に英語の音声に近づけていく作業を繰り返しました。



特に日本人が弱い音、語尾のly/lや、vの音のごまかしについて、thの音の微妙な変化について、rを弱にする際の注意点、リエゾンにも色々ある話、離陸→上空→着陸の観点による抑揚矯正について、fの音は本当に下唇を噛むのか、という話、など、細かく細かくお伝えしました。更に、各語の語尾の発音が強くなる方には、力を抜いて、一文が一つのなめらかな流れになるように力を抜いて発声することをお伝えしました。


次週は木曜日の2230分から2330分までの1時間程度を予定しています。ただ、前回の流れから行くと、恐らく午前0時を過ぎるかもしれません。ただし、そこは参加者の熱意に応えようと思っています。近所迷惑にならないように、音量設定に十分気をつけながら、暁の会on the web、来週もしっかり、参加者の皆さんと勉強していこうと思っています。


では、また^^ 

もっとも大いなるもの

単語の綴りを一生懸命練習するけれど、何度も、何度も間違える子がいる。 でも、授業中、何度もうなづきながら説明を聞き、話に耳を傾け、大きな声で歌を歌う。フォニックスの発音を、口を縦横いっぱいに開けて発音する。 oshienと単語テストに書いてきた。oc...