2015年4月16日木曜日

英語授業論:受験指導の悪法を憂う

生徒達と英語の授業の中で、英語を話したり書いたりする活動を毎回入れています。英語をとにかく「話して」、「書く」のです。内容は毎回僕が指示を出します。


大学入試には英作文が出題されるところが多いので、英作文の対策を生徒に行なわなければならないし、リスニングはセンター試験のみならず、二次試験にも課せられる大学も増えて来ているので、リスニング対策もしないといけない。


毎回このテーマの授業をする時に、なんとも言えぬ虚しさを憶えるんです。それは、教えても教えても生徒は書ける様にならないし、英語が聞ける様にならないからです。


何故なんだろう、と自答し続けて、出た答えは、生徒に力がないからでも、僕に教える力量が足りないからでもない、というものでした。


普段から書くこと、聞く事をしていない人が、試験の為だけに書いたり聞いたりするトレーニングをしても、それはスキルや自分のコマンドとして手元に残って行きにくいのではないか、と僕は考えました。


英作文を書く際のテクニックは、僕も生徒に教えますし、プリントを拵えて、生徒達に持たせます。でも、それでも心の負荷がいくぶん下がるというだけで、根本の作文力の力や、リスニング力の力にはつながっていってないのではないか、と僕は虚しさを拭いきれないでいたのです。


毎日の授業の中で、書く活動、聞く活動が日常的に行なわれていれば、生徒はそれに慣れ、その上で研鑽のドリルを行なう事で、力を補強して行く、という流れになって行かないと、力はつかないのではないか、僕はそう考えました。


メタ認知の高い高校生を教えていれば、もののテクニックの様なものは立ち所に自分のものにしますが、運用していく力を鍛えて行くには、どうしても書く作業と聞く作業が、日常的に繰り返される必要があります。


聞く力を伸ばすには、英語を聞くしかない。書く力を伸ばすには、英語を書くしかない。遠回りに聞こえるかも知れないけれど、これは本当にそうなのです。


僕が今授業で行なっているアプローチは、美術に喩えると、模写やデッサンのような作業です。ある英文を読み、そこに出てくる人物描写を毎回行ないます。英文があっているかどうかのチェックも生徒同士にさせる。


生徒同士で英文をチェックさせる目的は、生徒の文法スキルを運用レベルにまで高める狙いがあるからです。生徒同士にお互いのミスをチェックさせ、人の間違いを添削する行為を通して、自分が文法を使いこなすときの審美眼を培います。則ち、ミスに対して敏感になる目を養う狙いがあるのです。


ある人物の描写を、全て主語を統一して、Heで始まる文章を7つ作りなさい、と指示を出し、英文を辞書を引かずに読みながら、そこに登場する人物の描写をします。


次のステップでは、その文章を関係代名詞や接続詞を使ってつなぐ活動を入れます。ここに来るまでに生徒は、一文単位の英文を相当数書く事になりますから、その英文同士をつなげる練習を実際に自分が作った英文で行なうのです。これは今思いついたアイディアなのですが、この英文同士をつなぐ作業、友達が書いて来た英文で行なうのも手かもしれません。


さて、文をつなぐ練習をある程度行なったら、今度はこの人物についての描写を段落単位で行なってみよう。その際、経歴を書かせる時には時系列を意識させ、時制に対する意識を上げさせます。


この2つの活動の合間にも、友達同士の英文チェックの作業を挟みます。ここまでできるようになったら、実際にその人物に関するエッセイを二パラグラフ12文〜16文くらいで行なわせます。


この様な活動をたっぷりとやり込み、実際にあらゆる場面を想定しながら英語を書いて行く作業、書いたものを元に、それを友達と英語でトークする作業を繰り返し、繰り返し行ない、英語の運用能力を上げて行くのが僕の授業の狙いです。


通常、英作文を教える、という話になると、和文英訳を思い浮かべたり、自由英作文を思い浮かべたりすると思います。僕もつい最近までそういう発想で生徒に指導していました。


しかし、現場で感じた事は、このままこのアプローチを取っていても、生徒はいつまで経っても、英語を英語のままで発信できるようにはならないのではないか、という不安でした。


入試問題の対策としては、このアプローチは間違いはないと思われます。でも、このアプローチはあくまでも入試問題に対するアプローチであって、この方法で延々勉強を続けていても、将来的に英語を使って発信できるようにはならないのではないか、と僕は感じたのです。


英語を使って色々な表現をする場合、あらゆる場面を想定しながら英語を作る必要があると思います。入試英作文の和文英訳は、ごくわずかに切り取られた一場面を英語で表現するとどうなるか、という技量を問う問題です。


そうすると、日本語を解析する技術を上げる必要がありますし、日本語の解析力が上がった所で、その平易な日本語に言い換えた表現を英語で何というかを知らなければ、その問題に答えられない事になります。


僕は入試に出される様なややこしい日本語を、平易な日本語に置き換えるスキルは確かに必要だと思います。でも、これは入試の為の勉強に終始せざるを得ず、残念ながら、将来的な視野で俯瞰して、グローバル教育への橋渡しにはならないのではないか、と結論付けてみて、今の授業メソッドに辿り着いたんです。


色々な方法はあっていいと思いますし、生徒達への愛情があれば、どんな授業形態でも上手くいくと思うんです。でも、今ここで展開している話は、そういう事ではなく、命題として「英語を英語のまま理解し、英語で実際に発信する力を生徒に付ける為に、教師が取りうる授業形態を模索するとどうなるか」ということであって、そこはきっちりとわけて考えないといけない、と僕は思っているんです。


入試で高得点が取れる授業は大事な授業だと思っています。でも、それだと、生徒の将来を保証する事として、あまりにも心もとない気がするのです。入試が終われば忘れ去られてしまう様なスキルを、躍起になって生徒に教え込むより、入試が終わった後でも、将来的にずっと使える技術を身につけさせる事の方が、僕は大事なのではないか、と思っています。


その意味で、自分の授業を考えた時、生徒達にもっともっと英語を使わせる活動を行わせ、その延長線上に、入試問題すらも軽く超えて行ける様なスキルを構築できないか、と仮説を立てて、日々実践を重ねているのです。


元来、英語を書く、英語を聞く、英語を読む、英語で話す、という4つの技能は、個別に指導されるものとして考えられて来た。でも、その方法で生徒に力がつかない。ではアプローチを変えて、これら全ての技能を盛り込み、授業で全ての技能をフルに活用しながら生徒達を鍛えて行く方法論は取れないか、と思い、今の授業形態を続けています。


そうは言っても、僕だって当然、生徒に入試向けのスキルやテクニックを教える事もあります。また、英語のロジックや、長文の基本フォーム、旗印表現(discourse marker)などを教える時には、ガイダンスとして日本語で解説する授業をしています。


その中で、必ず毎時、僕が生徒達に英語で語りかけ、生徒は英語を聞き、僕や友達と英語で話し、話した内容を英語で書く、という作業をし、さらに参考資料を辞書を引かずに英語で読み、意味のわからない単語や表現、文章の内容などを友達と話しながら、理解へと結びつけていく、という活動を入れる様にしているんです。


僕が今取っているアプローチは、膨大な時間が掛かります。やっている活動の成果の出方は、まるで農作物を育てる作業と似ています。すなわち即効性が期待出来る様なメソッドではありません。


過去の自分の授業の反省を鑑み、一度今までの授業方法を全て打ち捨て、生徒に揺るぎない英語力を付けさせる為の授業とは何かを問い続けた結果、この方法が、一見時間は掛かりそうだけれども、将来的に盤石なスキルと力を保証しうるのではないか、と僕は考えたのです。




そういう意味で、たとえばありがちな入試演習授業みたいなことは今年は忌避したい。問題を配り、生徒に解かせて解説をし、彼らが退屈しない様に教師が取って附けた様な面白おかしい話をして、なんとなく授業が盛り上がっている様な、そういう茶番はやりたくないな、と僕は思ったんです。


生徒達に入試問題に触れさせる時、そこで語られているトピックについて、生徒が「知りたい!読みたい!」と思う様な知的好奇心をくすぐられる様なアプローチもあっていいんだと僕は思っています。その意味で、今の僕の授業形態はもしかすると、新たな可能性を十分にも十二分にも含んでいるかも知れない、と僕は信じて疑わないのです。


どんなに良い単語帳があっても、単語そのものを運用出来なければ意味がありません。その意味で、単語帳を用いるのは、語彙を体系的に意識する為には有効であっても、ある単語帳だけにすがれば、すべての語彙力は万全だと考えるのは、短見だと僕は思います。そんなわけない。言葉は生きているのであって、有機的な作業を持ってしてしか、認識語彙は運用語彙へとは昇華し得ない。自分のボキャビル学習を振り返ってみても、単語帳だけで上手くいったということはなくて、たとえば時事英語の単語帳があるのですが、それで一応体系的に語彙を攫っておいて、その後は、実際に北米ニュースや政治討論番組、トークショーなどをみながら、実際にその語彙が使われている場面に数多く接する作業がなければ、残念ながら単語は自分の運用語彙にはなり得ず、意味を知っている、というレベルの枠からは抜け出す事はできません。それを実感を伴って分かっているので、生徒を指導する時に、無味乾燥な学習指導はもう捨てても良いのではないか、と僕は自分に言い聞かせたのです。


僕はそんなに大した英語力はありませんし、留学もしてないし、ハイパーな学歴を持っている訳でもありません。でも、一つだけ言えるのは12年間、自分の身体を使って徹底的に英語のトレーニングをしてきて、曲がりなりにも、どういう風な過程を経れば英語力が身に付いて行くか、ということは、ある程度は分かっているつもりです。その意味に於いて、どうして自分がやっているトレーニングと、自分がやっている授業は、こうもずれが大きいのか、と12年間自問自答してきました。その結果、ここに述べた様な結論に達した、というわけです。


長くなって申し訳ないですが、英作文の秘訣とか、リスニングのテクニックとかの話を聞くよりも、先ずは英語を実際に使う事、たくさんの英語に触れる事を授業で数多くしかけて生徒を揺さぶりたい、今はそう思っています。その意味で、権威的なものや、悪しき受験テクニックみたいなものは、陳腐で吹けば飛ぶようなものだと僕は思っています。そんなものに加担したくもないですし、生徒達には本物の力をつけさせたい。そう思って、毎日授業改善を行っている最中です。


ではまた^^


















2015年4月15日水曜日

指導案と授業反省日誌より抜粋

毎日授業の指導案と反省日誌をつけることにしました。これは新任の頃の気持ちを思いだして、もう一度一から丁寧に授業をしてみよう、という気持ちがあったのと、去年まで18年間作って来た授業や方針を全て打っちゃって、全て新たに作ることを決めたからです。

過去の自分は死んでいるな、と考えると、今何がしたいか、ということ、今やったほうが良いと思うことを先行させ、それをきちんと丁寧に設計して実行することが大事なことだと思い立ちました。

授業で活動をやっていると、ここをこうしたらもっとこうなる、というアイディアが次々と浮かんできます。それをこれまでとは違い、一つ一つ丁寧に書き留め、記録に残しながら新たなアイディアを継ぎ足すという、いわば「うなぎ屋さんの秘伝のタレ継ぎ足し法」のようなことをやってみようと思ったのです。

僕のモットーは「好きなことを、好きなときに、好きなだけ、する」なので、好きなことをしています。かなりわがままに(笑)。

この授業の指導案も、反省日誌も、自分がやりたいからやっていることで、これを何かの役に立てようとか、そういうことは思ってなくて、面白そうだから、記録つけてみっか、って思ってやってるだけ(笑)。

思いやりもへったくれもない(笑)。なーんも考えてません(笑)。自分がオモロイからやる、つまんないからしない、ってことだけを決めて、思いつくことをどんどんやる(笑)。

子どもです、ホントに(笑)。全然大人げないです(笑)。

授業の反省日誌をつけてて思いついたアイディア、実際に授業でやったことの備忘録を書いたので、それを採録します。思いつくままに書いてるので、体系的ではないけれど、お暇でしたら。

★高木君の例に倣って、日本語で解説をすることを悪しきことをせず、まずはきちんと生徒達にガイダンスを行いながら、1コマ全てを英語で終える活動をにらみ、解説は日本語+活動は英語で、の流れを混ぜることが大事だと感じた。その際、以下の流れを汲むと授業が活況になる。

■生徒に会話活動をさせる時の仕掛け
教師とある生徒との会話:他の生徒、聞く
 ↓
②ペアで同じ会話をやってみる
 ↓言いたいことが言えなくてもどかしい…。
③言いたかったことを調べてみる。(友だちと話しながら、英語でなんて言うか調べる)
 ↓
④教師に質問できる時間を取る(これは英語でなんていいますか?)
 ↓教師、答は教えず、調べ方を教えて生徒に調べさせる
⑤再び生徒、自分で調べる時間
 ↓
⑥ペアを変えて再び会話
 ↓
⑦会話した感想を英語で書かせてみても良いし、言いたかったことを英語で書かせても良い。
 →課題に落とし込み,次回の授業でcorrection timeを設けて、友だちのものをtouch upする。

correction timeの留意点」をhand outに作り、生徒に配って解説する。作業を行うときはそのシートを見ながら作業を行うことを確認する。

■目的:1友だちのペーパーをtouch upすることで自分の文法力を上げる。
    2人に自分の書いたものを見てもらう、という意識づけをし、writing時の意識を上げる。
    3単純に「英語を読む」という言語活動を行うことができる。

■文法チェックをするときの注意点
 ①まずその文そのものの意味が分かるかどうか。
→意味が分からない文には「?」をつけ、何故意味が分からないのかを書いて上げる。


 ②動詞の活用について。
  →三単現s/esは抜けていないか。
  →助動詞の後は原形になっているか。
 →助動詞の後、動詞はきちんとあるか。
 →過去のことを言っている文に、きちんと-edがついているか。
 →完了形にミスはないか。
 →仮定法の時制は正しいか。
 →関係詞の文が適切に使えているか。

■文の感想と改善点をコメントで書いてあげる活動

①まずは日本語でコメントを書く癖をつけさせる。
 →(褒める+どうすればもっと良くなるか)を1パッケージにして書く。
 
②数回それを繰り返しながら、生徒がある程度output活動を英語で行えだしたら、英語でコメントを
書かせるようにする。この際の指導には段階が必要。

③この作業を繰り返し、2,3ヶ月で力がついてきたら、教師が添削する日を週1か隔週で設ける。ある程度書けるようになってからで良い。

■未知語の指導法:意味の分からない単語を文中に発見した時の指導方
→未知語を英語で導入し、ペアで話し合いをさせ、最後に意味を教える。

①長文を読みながら、生徒にとって未知語である語の意味を前後の文章から類推させて、ペアで検討させる。

②その後、教師はペアに答えをどんどん言わせる。
 →授業に飽きが来ないように、黒板に書かせる時があっても良い。(word-mapping方式を取って)

■完成度よりも、させてみせる、が大事。
①生徒達に実際に会話させる、書かせる、をさせないと、ガイドを聞くばかりでは力にならない。
→「作文」のみに焦点を絞った指導には限界がある。生徒達はやり方を聞いた後、実践を積まなければ力がつかないが、実践を積ませる方法はできるだけ身体感覚と近いことをさせる方が、スキルは血肉化しやすいのではないか。

→一つ一つの技能をバラバラに切り離して指導すると、英語には別々の作業が存在しているような認識を与えてしまうので、日本語で解説する場面と、英語で活動を行う場面が両方存在する授業構築をし、少しずつ生徒の「英語を使う」ことのハードルを下げながら、最終的には全て英語で活動を行えるように持って行くことが大事。

教師と生徒との会話:「聞く」+「話す」=「英語を理解する」力+「英語を作る」力
生徒同士の会話:「聞く」+「話す」=「受発信の力」+「英語を作る」力
英文を読む:「読む」+「考える」+「知る」=受信の力
シェアする:「聞く」+「話す」=受発信の力


②実際にしてみたことの実感を伴って教師の解説を聞くと、解説がスキルに変わる。




2015年4月13日月曜日

アクション、起こしてますか?

今日はクラスの子供達にゲキを飛ばしてきました。弱気な性根に対して、勇気を出して、行動しなさい、と言いたかったのです。

受け身の姿勢で何事も済んでしまう当今、大人も子供も、自分から動かなくても、快適に過ごせてしまうから、いつの間にか、自分から進んで行動を起こす芽を摘まれてしまっているんです。

その事に気付かずにいると、いつの間にやら自分のやる気の牙は折れ、前に進む気持ちが削がれてしまいます。これはいけません。

自分から行動を起こす事ができないのは、なにも子供に限った事はありません。大人だって同じ事です。

なんとなく毎日を過ごしていても、当今の日本、サービスが十分すぎるほどに過剰で、痒い所に手が届くどころか、誰もがなんの心配もしなくても、苦労なくあらゆるサービスが受けられる態勢が整いまくっています。

そのこと自体は悪い事ではないのですが、そこに乗っかって生活していると、自分の主体性や自主性が怠けてしまわないか、と僕は危惧する次第なのです。

僕は「思い立ったが吉日」といつも思って、後先を考えずに行動することにしています。

慎重さや冷静さは確かに必要ですが、僕の仕事の場合、策や計画ばかりを弄くり回し、リスクヘッヂにばかり神経を尖らせていると、目の前の子供達はどんどん成長して大人になってしまいます。鉄は熱いうちに打て、とはこういう時に言う言葉だと僕は思っていて、今考えて思った事をすぐに行動に移せなければ、どんどん時間は過ぎて行ってしまう、と不安なのです。

失敗したらどうするか、とか、リスクはどうなっているか、というのは、人命が損なわれたり、大きな損失を出してしまう場合には十分にも十二分にも、十五分にも勘定して、しっかりと計算して緻密に作業しなければいけない。

でも、中高生や大学生が置かれている状況や、特殊な業務をなさって居られる社会人の方を除いては、心に危惧を抱いたり、徒に不安になるくらいなら、思っている事、考えている事をすぐに行動に移す方が良いに決まっています。結果は後から付いて来るんです。

前置きが長くなりましたが、今日はそんな話を帰りの会の時にクラスの子達にしました。

これを読んでくださった方が、今日から何かを始めよう、と思ってくださり、行動に移してくだされば、これほどうれしい事はありません。

Facebookに「いいね」を押したり、コメントをしたからと言って、世の中は何も変わりません。

良いエントリー記事を読んだら、パソコンやスマホを閉じて、直ぐに何かを実行に移すべきです。本当にそう思っています。

では、どうぞ^^

『壮語快談』第四号 4/14火曜日

きみは本当に
アクションを起こしているか?

 昨日2月期の模試の結果が返ってきました。模試の結果を見るときに、以下の点に注意をしなければいけません。
1.各教科の点数が何割くらい取れていたかを把握する。

2.裏面の上部を見て、あと何点あれば志望校の合格圏内に到達するかを蛍光ペンでマーキングする。

3.裏面の下部を見て、各教科でどの単元が一番点数を落としているかを見て、あとどれくらい頑張れば点数がアップするかを計算する。

4.ドッキング判定で、D判定は現時点では十分可能性あり、と認識すること。

5.ドッキング判定で、E判定の場合、なぜE判定なのかを考える。→どの教科でどれくらい点数が足りていないのか、細かく見る。

これらの5点の作業を終えた後、模試の付録についてくる、解答解説を見ながら、「模試やり直しノート」に丁寧に学習を進めていきます。これが大切です。闇雲に「勉強に身が入らない」とか、「どこから手をつけたらよいかが分からない」と頭を抱えるのではなく、具体的にやれるところから手をつけていきましょう。

 例えば英語が苦手な人の場合。解決方法として2つ考えられますが、1つは「俺は基礎ができてないから基礎からやり直そう」と言って、書店で簡単な文法問題集などをやり直すパターン。

 もう一つのパターンは、これまで学校で受けた考査、実力テスト、模試、の全てのやり直しからスタートする、という方法。

 これら2つの方法にはメリット・デメリットが存在します。ですから注意が必要です。
①「1からやり直し」パターン
☆メリット:簡単な所から満遍なく理解を深めていく方法で、系統立てて学習が可能。易しめの問題からトライできるので、心のハードルが下がる。

★デメリット:今学習している内容のレベルに到達するまでにかなり時間が掛かるため、伸びの実感を感じるまでにかなりの忍耐を強いられる。

②「現状のテストや模試から復習」パターン
☆メリット:今習っていることの復習のような形で学習を進めていくことができるので、理解できた箇所が増えると、現状の授業やテストで、伸びの実感を感じやすい。


★デメリット:つまみ食い的な学習法である感は否めず、単元ごとの紋切り理解に終始するため、体系的かつ俯瞰的な理解をするためにはどうしても①のパターンを踏襲しなければならない。
 今、みなさんの現状を考えた場合、①のパターンで学習を始めることがまず第一のように思えるのですが、僕は②のやり方を是非おすすめしたいのです。
 なぜならば、今学習に何らかの悩みを抱えている場合、できるだけ勉強の成果が実感できる形で毎日を過ごした方が、学習継続の意欲とモチベーションを維持し続けることが可能になるからです。

 第一号で「私たちは生身の人間であることを忘れて、予定、計画、目標を達成することはできない」というお話を書きました。

 今のみなさんの現状にあった形でアプローチを取るためには、是非②の方法、すなわち、今までの考査、実力テスト、模試の復習から入ってはどうでしょうか。

 この方法ですと、今学校で先生方から受けている授業にそのまま直結してる単元も多く、毎日の授業への理解度が変わってきます。そうすると勉強への気持ちが前のめりになって、やる気を維持することに繋がります。

 テストの復習、お(さら)い、是非やってみましょう^^

自分から進んで
具体的なアクションを起こそう!
 昨日きみたちにかなり厳しい(げき)を飛ばしましたが、僕は怒っている訳でも感情的になっている訳でもない。きみらの心にcommitしたいと思っているんです。

 眠くなる、と書いている人は、Googleで「眠気防止 方法」と検索をかけて、具体的に眠気を防止する方法を自分で試しましょう。苦手教科の勉強法をググって調べ、それを一つでも実践しましょう。読みの難しい漢字や表現は一々ググって調べましょう。

 ググるのは「検索をかける」か「コピペする」だけで、簡単に調べ物ができます。分からないことは積極的にスマホで調べましょう。その労を惜しんで欲しくない、と僕は思っています。
 今すぐ調べる、今すぐできることからやる、この2つです。
 簡単ですよ^^ 一緒にやりましょうよ^^

2015年4月11日土曜日

英語を楽しむ感覚を取り戻すために

昨日、システムやら何やらに対して怒りを打つけたブログを書いたら、アクセス数が770件もあり、初めて教えた教え子から鋭いツッコミは入るは、で書いた僕の方がビックリしています笑。


反響がある、というのは、「英語教育そのもの」に対してそれだけ関心がある、ということなので、これはこれでよろしいかと思います。


書きっぱなしでは行けないので、今日は土曜日だし、軽めに具体的な英語を好きになる様な取っ付きの方法をいくつかご紹介しようかと思っています。


これはまぁ、手前味噌なことだし、僕自身が自分の個人的な経験だけで、こういう風にしてきた、という方法なので、普遍性があるかどうかはわかりません。また、これらの方法を試したからといって、万人に対して万能なのかどうかも不確かなことです。


僕は模範を押し付けたくないんです。人それぞれに合った方法がその人にとって一番良い方法なわけだし、俺が言ってるんだから、間違いないぞ、みたいなことをいうのはどうかと思ってるんですよね。いや、ほんとに。


大事なのは、選ぶ人の選択幅を狭めないこと。その人にとって一番よい方法が見つかれば、それが最良の方法なわけで、一番よい英語の勉強法なんて、人の数だけあるに決まっていますしね。


いくつかご紹介しますね。これは、と思うものがあれば、好きなときに、好きなだけやってみてください。^^ ここに紹介する方法は、お金を掛けずとも、スマホ、ネットが繋がっている環境があれば、どなたでも今日から始められる方法です。


高い授業料も要らなければ、本屋さんに行く必要もありません。まずは英語を好きになってもらいたいと僕は思っています。英語を好きになるキッカケ作りのお役に立てたら、幸いです。


では、どうぞ。
【1】英語の歌を使った学習法
 youtubeで好きな洋楽の曲を調べるとその歌が聴けるばかりか、動画を見る事ができます。動画をみながら、そのアーティストがどんな風に口を動かして発音しているかを繰り返し繰り返し見て真似るんです。僕はマイケルジャクソンのBeat it Thrillerがどうしてマイケルと同じ様な音で歌いたくて、中2から中3にかけて、マイケルのアルバムの曲の歌詞を全部憶え、CDで繰り返し繰り返し聞いて真似をしました。また、歌詞も辞書で全て和訳しました。これが僕の就職活動の第一歩だったのかもしれません笑。

 検索をかける時に、「好きなアーティストの名前 lyrics」と打ってyoutubeで検索すると、有名な曲であれば、歌と同時に歌詞が流れる動画が出てきます。たとえば、マイケルジャクソンのHuman natureという曲を歌詞を見ながら歌いたければ、youtubeの検索バーに、human nature lyricsと打ち込めば、歌詞付きの動画が出てきます。その歌詞を見ながら、歌を何度も何度も歌って発音練習をします。
 自分が読める音は聞く事ができますが、残念ながら、自分が読めない音は耳が音を弾いて中々スムーズに聞ける様になるのは困難なんです。また、読める音が増えると、自分が知らない単語の読みまでスラスラとできます。これは不思議なのですが、脳に音と文字を一致させる機能があって、それがある一定の訓練を経ると、別の単語でも同じ様な音を出すんだ、と認識して音を出せる様になるのではないか、と僕は考えています。脳科学者の先生とお酒を飲む機会があったら聞いてみよっと。あるのか知らん、そういう機会笑。




【2】大好きな映画を使った聞き取り練習法
 映画を字幕なしで見る、という夢は日本人なら誰もが一度は抱いた事があるのではないでしょうか。これって、やれないことはないんです。まず、自分の一番好きな映画のDVDを借りてくる(繰り返し見る事になるので本当は購入をオススメ)。そのDVDを以下の要領で見て行きます。


①一回目は日本語字幕をしっかりと見ながら、内容と台詞を日本語で憶えるつもりで見る。
②二回目は字幕を消して、英語の音だけを聞きながら、内容がきちんと頭の中に入って来ているかを確認する。
③三回目は日本語字幕を見ながら、①②の内容がきちんと入っているか、もう一度確認。
④四回目は、字幕を英語に切り替えてみる。
⑤五回目以降は、英語の字幕と、俳優の台詞がきちんと一致するまで何度も見る。
慣れて来たら、字幕なしで見る、分からなかったら字幕を付ける、その後また字幕を外す、という流れの繰り返し。大体10〜12回映画を見たら、字幕なしでも英語が入ってくるようになります。


 ただし、これには付帯条件が付きます。ある程度、英単語と英文法が分かる事です。英単語は中高生レベルの単語で構いません。分からない表現が出て来たら、字幕が画面に出ているままポーズして、メモに表現を書き留め、その都度スマホで調べます。単語の意味はアルクという会社のHPに行けば、英辞郎という辞書検索エンジンが出てきますので、スマホ片手に分からない表現を調べてノートに書き留めつつ、先に進みます。


 また、映画のレベルについてですが、僕はサスペンスやアクションはあまりお勧めしません。また、法廷ものやホラーやシリアスドラマも込み入った話なので、当然英語の表現も多少ハードルが上がります。
 英語が苦手だったり、好きになれない人は、ディズニーの映画が一番オススメです。ディズニーの映画は子供も大人も楽しめる設定になっていますし、英語も極端なスラングや、難解な語彙が出て来る訳ではありません。まずはディズニーの映画の中で自分の好きなアニメーションのものを選んで、上記の方法を試みてみてください。僕はメリーポピンズとサウンドオブミュージック、そしてラストエンペラーという映画でこれを試みて、見事成功しました。これら三作品は、恐らく今までに500回以上は見ていると思います。ラストエンペラーはあまりにも作品が好きで、サントラも買い、台本も手に入れて、台本を頭からお尻まで全部憶えました。まぁ、そこまでする必要はないので笑、まずは軽い気持ちで①〜④までを繰り返してみて、軽く英語が身体に入ってくる感覚を味わって欲しいと思っています。あれ、なんとなく分かるぞ、という感覚を体感すると、もっとやりたい、という気持ちが芽生えます。そうして少しのめり込んで来てから、ある程度行くと、これだけをやっていても英語が身に付かないことを実感してくると思うので、その時に、じゃあ、単語憶えようかな、文法をさらってみようかな、としてみるのが一番良いのです。


【3】活字から英語に入る方法。
英語をたくさん読んで英語の意味がわかるようになる方法もあります。たとえば、日本語で読んで意味が分かる内容のものって、みなさんにとって何があるかと考えると、高校生だと漫画やアニメ、あるいは音楽とか、そういうサブカルチャーの情報って、日本人が思っている以上に海外に広まっていて、ローマ字で検索をかければ、わんさかと英語のサイトが出てきます。


検索をかけたは良いけれど、どこから手をつけていいか分からないと思いますので、まずは自分の好きな漫画やアニメをWikipediaで検索して、その内容を読みましょう。辞書は引かなくて構いません。どんどん読む。分からないところはどんどん飛ばして読みましょう。


これは「ある程度意味がわかるけれども、細部に関しては意味が分からない語彙を、数多く英文に触れる事によって身体を慣らして、身体で憶えて行きましょう」というメソッドです。


このメソッドのモデルは、子供が語彙や文法機能を獲得していることに範を得ていると思います。でもこれ、英語以外の言語を学習する時にもかなり有効なんですよね。ラテン語の例はこれまでに何度もここで書いていますから、割愛しますけれども、ある程度大量に読んだり触れたりした後で、少しずつ調べて、身につけて、ってする方が本当は一番語彙は脳に刺さるんですよね。


ただ、そうは言っても、中高生にとっては、時間は限られています。ですから、学校でも単語帳をしたり、文法を学ぶ事によって、できるだけ時間を短縮する事ができるように、英語教育は制度設計されているんです。


昨日あれだけ吠えておいてなんなのですけれども、これはどうしようもないこと。語学を一定期間で習得しようと思ったら、詰め込みも是なんです。絶対に仕方がないこと。それをやらないと先に進めません。最低限の語彙と文法はどうしても必要。だから、訳読も大事だし、文法演習も大切なんです。


さて、僕はWikipediaでいつも、日本の古典の名著、たとえば源氏物語とか、奥の細道とか、枕草子って、外国人の人にとってはどういう風に理解されているんだろう、と思い、Wikipediaで調べてそれを乱読する様にしています。すぐ調べる。気になったらすぐにスマホかPCで調べてその場で読みます。後から、って思ってるとやらないので、思い立ったらすぐに調べます。


分からない単語がある場合は、読み飛ばします。数回でてくる語彙だけ、アルクの頁で調べる様にするんです。そうすると心の負担も軽いですしね。


みなさんでしたら、たとえば日本の都市名、漫画、カラオケってどんな風に紹介されてるの、あるいは岡本太郎ってどういう紹介のされ方をしてるんだろう、あ、そうそう、村上春樹は、なんていう方法で良いと思います。


今日のブログのエントリーは、そのとっかかりでつまづいている人に、先ずは気持ちを落ち着けて、心が「快」の状態になった上で、英語学習をやり直すというのはいかがですか、という方法のご紹介でした。


折に触れて、何回も紹介しますので、今夜から是非^^



ではまた^^

2015年4月10日金曜日

こんな子供に誰がした。

卒業生で浪人生活に入った子が、今日の夕方訪ねて来ました。何でも、基礎からやり直したいのだそうで、英語の易しめの問題集と小難しい文法用語が連なる分厚い参考書を持って、5文型が分からないから一から教えて欲しいとのご所望。職員会議が終わるまで職員室の前で舞ってくれていたので、彼のノートにメモを書き留めながら丁寧に教えました。


彼曰く、「先生の説明は分かるんです。でも、問題集で、次の文はどの文と同じか。用法が同じ文を記号で選びなさい、っていう問題でいつもつまづくんです。僕、どうすればいいか分からなくて。もっと参考書を細かく読み込んでから問題を解いた方が良いですか。」と質問を、眉間に皺を寄せながら、すっかり悩み果てた様子で僕に訴えるのです。


僕、彼を抱きしめたかった。ごめんね、こんな風に考える様になってしまったのは、僕ら大人のせいなんだよね、と胸が苦しくなりました。


文法事項を細かく教え込みすぎると、子供達は文法事項の細かい用語を知らないと英語がわかった事にならない、と思い込んでる。目的格補語と主格補語の違いは何か、とか、形容詞の叙述用法と限定用法の違いは、とか。枚挙に遑がない。


英語教師である僕がこんなことを言うのは身も蓋もないかも知れないですが、正直申し上げて、微に入り仔細に穿って文法事項を網羅した参考書を読み込んだ所で、英語が使いこなせる様にはならないと思うし、そんな必要はないのではないかと思っています。


文法というのは、その言語の筋道を理解するのに必要最低限で十分だし、実際日本語を使っている僕らだって、副助詞の用法がどうだ、とか、音便の違い、音節の切れ目などを、会話や読み書きの都度、一々思い返したりせず、間髪入れずに脳で判断して立派に使いこなしています。それで十分ではないでしょうか。


大学入試に英語が問われているのは、文法事項の蘊蓄を詳しく勉強して来なさい、という意図ではなく、英語で読み書き、会話、聞き取りが正確に行なえるか、という技能を問うているわけで、細かい文法事項は英語そのものを研究したり、生業にしている人がある程度知っていれば良い事柄だと思っています。


英語を生業にしない大多数の人にとって、微細な文法事項は語学習得の邪魔にしかなりません。たとえば用法にしたって、世の参考書に切り取られて載っている英文のコンテンツから考えて、これは不定詞の副詞的用法だ、としても、英文の使われる状況から判断すれば、形容詞的用法にも副詞的用法にも取れる英文だって存在します。そういう曖昧な含意を言葉は常に含んだ上で放たれているわけで、それを全て書物や学問の中に封じ込めてしまい、その中身を全て攫おうと試みるのは徒労以外のなにものでもないのではないでしょうか。


英語が苦手な子は、得意な子や先生達はその微細な文法事項を、まるで魔法使いの様に自在に操り、英文を理解できていると思い込んでいると思いますが、これは文法教育の弊害以外のなにものでもないと僕は考えています。教える方も教わる方も双方悪気はないんです。でも悲劇は後を絶たない。そういう思い込みに苦しんでいる子供達を楽にしてあげたい、僕は本気でそう思います。


最低限の文法事項と最低限の語彙を学んだら、どんどん英語に触れて、辞書も引かずに片っ端からどんどん読む、どんどん聞く、間違えてもいいからどんどん話す、どんどん書きながら友達同士で少しずつミスを修正して行く、という形を取る方が、英語を習得する一番の近道です。

沢山の英語に触れているうちに、文法理解が曖昧だと、それ以上先に進めないという壁に必ず突き当たるんです。その時に初めて、じゃあ参考書で調べてみましょう、という話でも遅くはないと僕は思う。

中高6年間である程度の文献まで読みこなせる英語力を身につける為に俯瞰的に学習内容をカリキュラムに乗せると、どうしてもこの流れを逆行せざるを得なかった、という理屈は僕も重々理解しているつもりだし、明治以降の翻訳文化を鑑みて、この方式で英語を習得して来た国民としては、オイソレとその学習メソッドを放り出す事も間々ならないことも承知しているつもりです。


でも、そのお陰で、英語ができない子供達や、できないとは言わないまでも、英語が好きではない子供達の、英語に親しみ、英語を学ぶ事により異文化との違いや、新しい価値観を学ぶチャンスを、そのことの所為で削いでいる気がして、眉毛ぴくぴく、唇ワナワナ、憤懣遣る方ないのです。


卑近な例で申し訳ないですが、僕はラテン語をやっている時に、学習メソッドとして、訳読解釈法で学習を進めています。ガリア戦記と新約聖書を毎日やっているんですけど、これは原文をノートに写し、三行開けて、三行目には訳本に載っている和訳を書き出し(聖書は羅英聖書を用いているから英文で訳を書いているますけど)、一語一語の意味を辞書で調べ、丁寧に意味を青ペンで書き込み、その語の活用を書いて、次に進む、という遅遅としたやり方をとっています。


ラテン語の音声教材は世にほとんど流通していないし、聞き取りなんて今の僕の文法理解や語彙力だととてもじゃないけれどできない。そこで僕は取り敢えず多くのラテン語に触れながら、その都度単語と活用を何度も反復して憶えつつ、過去にやったノートの頁を読み返し、また前に進む、という方式をとっているんです。止むを得ず、というか、ね。


そのうち、埒があかなくなって来て、ああ、これはそろそろ文法を丁寧に攫った方がいいな、という態に落ち着いて、今日からラテン語基礎文法という本を勉強し始めたんです。そうすると、今まで闇雲に触れていたラテン語の用法や活用がじんわりと身体にしみ込んで行くんです。なるほど、一昨日出て来たあの単語はこういう用法のこの格のことだったんだ、とか、語順に関する事を学んで動詞や名詞の活用をきちんと憶えないといつまでたっても意味が取れる様にはならないということなどを理解する事ができてくる。


それは畢竟、ある一定のラテン語に触れて来たからこそ納得が行く、という話で、いきなり文法書から勉強していたら、とてもじゃない、名詞や形容詞にまで活用変化がある言語なんて、勉強していられない、と直ぐに放り出していたに違いない、と僕は感じました。やはり、頓馬で非効率なように見えても、沢山のラテン語に触れながら、折に触れて、分からない事を調べ、その都度少しずつ文法事項を習得して行き、ある程度分かる様になって来てから、体系的に文法を学ぶ方が良いのではないか、と僕は考えました。


さて、さっきほどの生徒の話に戻る。僕はそんな確信を得ていたので、彼に分厚い参考書は一端本棚に戻して、簡単な文法問題集を繰り返し解き直す事、あとは実地訓練で、長文がいいなら長文をやりつつ、分からないところが出て来たらそれをノートに写して解釈して、意味も調べなさい、と伝えました。分かる内容は何度も音読したり、筆写した方が余程身に付きます。これは実際にやった人で無いと分からないことです。


海外在住経験や留学経験がある人ならいざ知らず、日本にいながらに英語を身につけようと思えば、その方法が一番遠回りなようでいて、一等効率の良いやり方なのです。先ずはたくさんの英文に触れる事、問題集や参考書の英語に毛嫌いの質があるなら、歌や映画で構わない。あるいは自分の好きなものをネットで調べ、Wikipediaの記事を読む事から初めても良いではないですか。なぜわざわざ自分の興味関心が死んでしまうような学習法を継続してまで我慢を続けなければいけないのでしょうか。悲しい事です。語学は楽しいもののはずなのに。


英語そのものにアレルギーや苦手意識を持っている人が、さらにそのアレルギー体質を助長するようなもので一生懸命に英語を分かろうとしている、こんなマゾヒスティックな学習法で何を身につけようとしているのか、僕にはさっぱり意味が分かりません。勧めようとも思わないし、こんな苦痛を伴う学習法。


勉強は本来、楽しいものです。知らない事が分かる様になる事、世の中は広く、自分の知らない素敵なものに満ちあふれていることを知る事は、人として生まれ生きるものとして、無情の喜悦を感じずにはいられない心持ちのはずです。


勉強が嫌いになる方法を生徒に紹介したくありませんし、苦しいけれど頑張る、と歯を食いしばる生徒の姿を見るくらいなら、先生、もう楽しくて、気がついたらぜんぜん寝てなくて、あー、もうどうしよう、勉強楽しい!ってなっているうれしそうな生徒の顔を見る方が僕は好きなのです。どんな先生でもそう思って教壇に立って居られるはずです。僕はそう思っています。


生徒達に勉強好きになって欲しい。勉強が楽しいということに気がついて欲しい。小学校の理科の時間に、先生が初めて川に連れて行ってくださった事、実験を初めてした事、国語の時間に題材を使って劇をしたり、発表をしたりしたこと、そのときの胸のときめきをもう一度思い出して欲しいんです。あの頃、本気で「楽しい!」「面白い!」という気持ちをどんな子供でも持っていたはずなんです。


小学校を卒業してからも、勉強そのものの楽しさは本来変わらないはずなのに、多くの子供は勉強の楽しさや学ぶ喜びを知らないまま大学生になったり、社会に出て行ったりしてしまう、そんな現状がもどかしくて仕方がないのです。取り敢えず試験に出る所だけを勉強して、最低限の努力で学習を終える、なんて、本当に悲しい事です。授業で聞いた先生方のお話の他にも、その教科の楽しさや面白さは沢山あるはずなのに、その楽しみに行き着く前に心を閉じてしまう子供達が当今の日本には多い気がします。


レバレッジ(てこ)を利かせて、効率よく学習し、最低限の努力で最大の効果を出す、という哲学が跋扈し始めておかしくなった気がします。勉強は最低限の努力などでするものではなく、本来、学習の第一の目的は「知らないことがわかる」ことなのではないか、と僕は思っているです。


「効率よく最低限の力で最大限の成果を上げる」のは金儲けの話であって、そんなことを勉強に持ち込んだら、勉強の醍醐味や学ぶ楽しさは全て削がれてしまう。僕はそのことが惜しいですし、子供達が学ぶ機会を自ら削ぐ様に、私たち大人が、あるいは社会風潮が後押しするべきではない、と思っているんです。




今年受け持ったクラスの子供達のアンケートを見ますと、英語が苦手と書いている子も結構いました。恐らく件の彼のような悩みを真面目に実直に抱えてる生徒もいると思いましたので、罪滅ぼしの念も込めてブログを書きました。


どこに打つけて良いやら分からない怒りに任せて書いたら、こんな長文になってしまいました。どうもすみません。


ではまた。


2015年4月9日木曜日

學自諸方指南始

今日、クラスの帰りの会で話した内容を、忘れないうちに、と学級だよりに封じ込めました笑。話した内容ってある程度は心に刺さると思うんですけれど、書面で視覚的に見て留めるという方法を用いると、記憶に訴える確率が随分と高まるんです。押し売りですけど、明日生徒達に読んでもらえたらな、と思って書きました。

明日はアンケートの内容を仔細に分析し、それに対する僕なりの分析と解決策について書きたいと思います。いやぁ、これ、週に一度ペースではなくなるな笑。とほほ。


壮語(そうご)快談(かいだん)』 
第三号 学級だより 発行:田中 十督2015/04/10

 クラスで皆さんにお伝えしたことを、備忘録的にまとめてみました。今後の学習の指針なり、参考となれば幸いです。
 
 加えて、皆さんのアンケートの結果を受けて、それに応答する形で加筆しておきます。

【毎日勉強をするコツ】
1「教科切り替え法」で集中力の持続を図る
やる気が続かないときは、やる教科を変えて、はい次、はい次、と言う風に、細かい集中持続時間を連続して作りながら、「集中力の持続」を鍛えていくと良い。最長で40分くらい続けられる様になってきたら、45分、50分と5分刻みで時間を延長していくと良い。

2 苦手=接する時間が足りない+よく知らない
苦手意識がある教科は、その教科に接する時間が少なすぎることと、内容がいまいち把握できていないことが一番の原因。接する時間を増やす、と言っても闇雲に問題集を解いたりしてもますます嫌いになったりはしないだろうか。まずはその教科の資料集、教科書の内容を目で見て、視覚的にその教科への関心を高めていくこと。用語集や問題演習はその教科に慣れ親しんだ後でないと成績が上がらない。また、興味のある項目をGoogleで調べ、画像や動画を中心にその教科への関心を高め、問題演習をしていくこと。ビジュアルでその教科を捉えると、あんなに無味乾燥に思えていた教科が、自分の目の前に色鮮やかに輝き出し、苦手意識よりも、好奇心が湧いてくる。教科に対する愛着や好奇心を取り戻して、学習へと繋げよう。
3 英語が分からない
高校一年生が使うような「簡単でやさしい英文法の問題集(総復習的なもの)」を書店で買い、それを2度ほど繰り返すとある程度の文法事項が飲み込めるようになる。

単語の意味だけを先に覚える。綴りまでは後回し。取りあえずユメタン1の「動詞」と「名詞」だけをUnit1~Uni10まで完璧に覚えてしまう。

意味が分からなくても良いから、自分の好きな漫画やアニメなどをGoogleで検索し、英語のページが出てきたら、その英文をプリントアウトして、片っ端から読んでいく。辞書は引かない。あらすじを読むのが一番良い。
リスニングは聴きまくることしかないので、まずは耳が慣れることが先決。自分の好きな洋楽アーティストの曲を歌詞を見ながら何度も聞き、何故その音になっているのか、その歌手と同じ発音になるまで歌詞を見ながら歌って真似して練習する。自分の発音が良くなると、耳が音を弾かなくなるので、自然と英語の聞き取りが苦痛ではなくなる。英語の教材から始めると、無味乾燥で中々学習の持続がうまくいかない。

英語が得意な人は、ネットやスマホのアプリでTEDと検索すれば、英語スピーチのページが出てくる。そこで字幕をみながら英語を聴く。1回目は字幕だけを追い、意味の把握をする。2回目以降は字幕を見ずに、分からなくても良いから英語そのものだけを聞き、何を言っているのか内容を把握するにとどめる。ここでも、辞書を引いたり一切しない。とにかく、聴いて意味把握、の流れを作ること。

4 古典、漢文が苦手
→★2でも述べたが、古典漢文も、苦手、苦手と言う割には、かなりの人が作品に直に触れていない。古典や漢文は、とても面白く、奥が深い。というのも、日本語のルーツは古典漢文に全て起源があるからだ。古典漢文に慣れ親しみ、多く触れる機会を持てば、苦手意識は吹き飛ぶ。まずは図書館に行き、口語訳がきちんとついている古典や漢文の本を借りてきて、★3で紹介した英語学習法と同じく、辞書を引かずにどんどん読もう。古典や漢文の持つ文章のリズムに身体の感覚がぴたっと一致するまでは一定の時間が掛かる。これは英語でも同じこと。個人差はあるが、毎日接していて1ヶ月半くらい掛かるだろうか。量は多くなくて良いので、英語、古典、漢文は、必ず毎日接するようにしよう。辞書は引かない。訳を読んでから原文を音読する、の繰り返し。授業では先生方の言われる文法事項や作品の背景をしっかりと押さえていく。図書館で借りてくる古典や漢文の本は、現在授業で使用していない題材が望ましい。というのも、古典に慣れ親しむ作品は、授業のそれとは分けておかないと、身体慣らしの教材と力をつけていく教材は別個に考えないと、学習の両輪とはなり得ないからである。ここで紹介しているのはあくまでも自学の話。注意されたい。

5 試験前しか勉強に集中できない。
これはもう何とも言いようがないけれども、3日間必ず机につく練習をすれば、1週間続けられる。1週間続けられれば10日間、10日続けられれば2週間、2週続けば18日、18日続けば21日、アラ、3週間できるじゃん!ということになる。この頃になってくると、逆にサボった日の罪悪感や気持ち悪さを身体が訴えてくる。そこに持って行くまでは挫折しながらも兎に角毎日机に向かい続けるしかない。みんなが机に向かうのは苦痛じゃなく、習慣を作る為なのだから。

6 運動のススメ(運動部にも、そうでない人にも)
脳は身体を動かすと同時に活性化することが脳科学の本に書いてあります。眠くなったり、やる気が続かないときは、思い切って外を散歩することはお薦め。往復10分くらいのウォーキングで十分脳はリフレッシュします。勉強は生身の身体がしているので、生身の身体が貧弱だと、気力も根気も続きにくいのは当たり前。
 また、運動部の子で眠たい子が大半だと思うけれど、難関大を突破した先輩の傾向として、①授業中に絶対寝ない、②課題、予習、復習は必ずして授業に出る、の2点だけを死守していた。家庭学習の時間確保は引退後でないと難しいとは思うけれど、授業を大切にするだけで結果に結びつく、は部活動生の受験黄金律である。心されたい。     

(学習法の指南は次号に続く)

はい、ではまた^^


2015年4月7日火曜日

無理なく毎日勉強を続けるときの心構えについて^^

どこの学校でもいよいよ新学期が始まっていることと思います。どの教育機関に属する人々も、子ども達も先生達も、この時を心待ちにしていたと思います。


素敵な出会い、素敵な春を感じて、クラスに入って行きたいですよね。さて、どこのクラスでも友達と仲良くすること、協力すること、積極的に動くことなど、何でも良いのですが、先生方から薫陶を受けると思います。その中で、勉強について多くの事が話されると思いますので、先生方のお話を良く聞いて、先生方のおっしゃる事にしっかりと耳を傾けて欲しいと思っています。


僕は自分のクラスで明日、こんな話をしようと思い、今日、学級だよりを二枚書きました。皆さんのお役に立てるかどうかは分かりませんが、今日のブログはその採録に加筆を施したものです。これから一年間の皆さんの勉強のお役に立てれば幸いです。


まさか、明日から僕のクラスの生徒になる諸君は、このブログを読んではいないと思いますので、安心して掲載します笑。もし読んじゃった場合は、予習だと思って読んでみてくださいね^^


↓以下、学級だより「壮語快談(学級だよりの名前です)」


【受験生を教える】
 「去年は理系の担任をしていました。今回で高三の担任は3回目ということになります。クラスのみならず、他クラス、他学年を含め、たくさんの受験生を見てきました。その時に得た経験や知識で1番大事なことは、「無理なく毎日続けること」と「サボってしまったときに自分を責めてはいけないこと」の2つです。
「無理なく継続して勉強する」為に必要なこと    
 私たちは生身の身体で生きています。ですが、頭を使って効率よく生活していこうとするあまり、色々な計算にそのことを勘定することを忘れてしまいます。これが失敗の元です。

 生身の身体は衣食住をしなければなりません。勉強は知的生産行為ですから、その次に来ることになります。ものの成功本とか、勉強法の本には様々なメソッドが紹介されていますが、それらはしばし、生身の身体を持つ人間を無視し、理論先行で書かれているように僕には思えます。

 人間は弱い生き物です。頭では分かっていることを観念と言いますが、観念は常に私たちに命令をし、これをすべきだ、あれをしろと言って僕らを小突き回します。ところが人間は観念と同時に「欲求と情念」に動かされもいます。

 この2つが言うことを聞かない。そうすると、観念は情念や欲求に負けてしまい、負けてしまったことを責めてしまい、自己嫌悪に陥って、ますます自分を責めてやらなくなってしまうのです。
 
 「やる気が出ない」と人が嘆くことの構造はこういう風になっている、と僕は理解しています。

 例えば、卑近な例で見ますと、理想に燃えたってダイエットや肉体改造を高らかに宣言する人を見ますが、それらで成功例を見ることができるのは、ごく僅かです。
 
 その仕組みが分からないために、私たちは屡々、「あの人は意志が強かったから」とか、「運が良かったから」とかいう、論も証拠もない結論づけをし、自分がやる気がないことを自己正当化しようとします。

 僕は24ヶ月筋トレを続けています。またテニスは11ヶ月続いてます。続けてきた経験則で話をさせていただくと、僕は筋トレに行きたくない日は思い切って休んでいますし、テニスも気が乗らない時はレッスンを振り替えてもらっています。また、その時も決して自分を責めたりせず、今日はゆっくりして、また次回に頑張ろう、と自分を甘やかすことを躊躇しませんでした。

 その結果、次回の練習やトレーニングの際、やりたい!という気持ちがふつふつとわき起こって、どんどんトレーニングがやれるようになったのです。

 その際注意したのは、「張り切りすぎないで、できる範囲で汗をかく程度にしておこう」という気持ちです。無理をしてしまうと、次回にやる気が出ないことを身体と頭がきちんと理解できていたからです。

 まとめます。皆さん、勉強は少しずつで構いません。大きな目標や計画を立てたところで、その通りにならないことは皆さんもよく分かっているはずです。

 毎日無理なく勉強を続けることができるように、一日の配分を「もう少しやりたいんだけどな」という範囲にとどめ、まずは45月に「毎日必ず勉強をする」という習慣を身につけることに意識を集中させましょう。

 ノート1ページ、単語5個、数学の問題1題でも良いではありませんか。自分を責め、叱るのはやめましょう。

 ここまで読むと、自分を甘やかしても良いのか、という疑問が湧いてくるかも知れませんね。では、その疑問に次の項で応えましょう。

好きこそ物の上手なれ”What you like, youll do the best.
僕は誰から頼まれもしないのに、今年31日から、古典、漢文、英文、ラテン語をノートに筆写し、辞書を引いて解釈し、という行為を毎朝、毎晩やっています。これらは勉強ではなく、純然たる趣味です。なんでそんなことをやっているか、自分でも分かりません。褒められも評価されもしない。それをやったからといってご褒美にお休みが貰えたり、お給料が上がったりするわけでもない。何にもならない。全くの役立たず。だけど、毎日、やりたくて、やりたくてたまらない。ラテン語の勉強をしている時、芭蕉の文章を筆写しているとき、世阿弥の言葉を読んで音読しながらノートに書き写す時間、論語の節を白文で書き、書き下し文を書き出して、音読するとき、たまらなく胸がときめくのです。誰にも邪魔されたくない。僕らの邪魔をしないで欲しい、という、恋の桃色に似た心持ちで毎日楽しくやっています。

 何故勉強が続いているかを冷静に考えるとそれは簡単で、「好きだから」です。それ以上でも以下でもない。好きになることに理由はありませんよね?好きだから好き、それ以上のことは分からないけど夢中になる、そういうものって、誰から言われなくても長続きするんです。

 僕は中高生を教えていて、何故子どもは勉強しないのか、ということをよく考えますが、上記の実体験と照らし合わせてみて今思うのは、「子ども達は勉強が面白いことを知らないのではないか。ということです。何らかの理由で途中で嫌いになってる。これは大人としても耳の痛い話でして、本当に反省すべき事です。

 僕ら大人は、子どもの学力を高めようと熱り立つことはあっても、子どもが勉強を好きになることを脇に置き過ぎているのではないか、と自分が勉強をしていてつくづく反省することがあります。いや、本当に。申し訳ありません。

 今みなさんが教わっていることは全ての基礎教養の土台みたいな項目ばかりですから、楽しくないと思うのは事実です。僕もそうでしたもん。

 でも、勉強ってすげー楽しい!って思うようになるためには、ある一定の時間、我慢をして、基礎基本を徹底して身体に入れないといけません。
 
 その作業を差し引いていては、残念ながら楽しさがやってこないのです。

 ある程度我慢をして勉強を続けていると、個人差はありますが、リズムができてきて、勉強をするという行為そのものが心地よく感じられることがあります。

 その状態に突入して、初めて、この教科が好きとか、この単元って面白そうという知的好奇心は起動するわけで、勉強のリズムに心地よさを感じないのに、勉強や教科のことを好きになったりはしません。

 ですから、まずはこの4月、5月で、勉強するという行為そのものが心地よく感じられるリズムを整える必要があります。

 脳は「快」な気持ちになることを続けたいと願うように構造化されているそうです。これは何も僕が行ったわけではない、脳科学者の池谷裕二さんや、茂木健一郎さんの本を読めば良く分かります。麻薬で捕まった人が何度も再逮捕されるニュース、聴いたことありますよね?あれって、脳が「気持ちいい!」という気持ちを覚えているから、何度でも繰り返してしまうんだそうです。あ、やっちゃダメだよ?絶対ね?

 話を勉強に戻しますと、勉強のことを脳が「嫌い!」って思っていると、自然とやる気はでなくなります。ですから、勉強そのものが嫌いであったり、不快であるうちは、学習活動がなかなか思うように運びません。

 脳に言い聞かせるように、まずは好きな教科から勉強しましょう。何時間やっても構いません。好きな教科の好きな項目から、徹底的に勉強しましょう。そして、脳に、「ほら、勉強って楽しいんだよ。」と語りかけるつもりで勉強して欲しいんです。

 脳が勉強することを気持ちが良いことだ、と認識してくれさえすれば、好きではない教科を勉強するときに、気持ちのハードルがぐんと下がります。

 闇雲に根性論や気合い論、あるいは合理的な仕組み作りだけで、受験勉強を捉えて指導していた時代が、僕は恥ずかしく思えます。私たちの脳の仕組み、生身の身体感覚をきちんと理解して、学習を制度設計すること、この2点が「無理なく楽しく勉強を継続する唯一の方法」なのです。どうか自分を可愛がって下さい。もっと甘やかして下さい。自分はかわいい人。自分を可愛がって、労り、大切に思って欲しい、と僕は思っています。無理なく続けられる毎日の勉強スタイルを、自分なりに作って欲しいと思っています。「好きなときに、好きなことを、好きなだけする」をテーマにやってください。まずは苦手な事とか、嫌な科目は脇に置いて、自分が好きな科目、好きな単元から夢中になってやってみてください。」


ここまでが学級だよりです。できるだけ毎週学級だよりを出して、生徒達を励まして行きたいと思っていますが、今年はブログも始めたので、週に二度も三度も発行するかも知れません。ごめんなさいね、生徒達笑。


生徒達に力強く心やさしい大きな人になって欲しいと本気で思っているんです。ですから、僕はやりたいですし、やります^^ では、また^^

もっとも大いなるもの

単語の綴りを一生懸命練習するけれど、何度も、何度も間違える子がいる。 でも、授業中、何度もうなづきながら説明を聞き、話に耳を傾け、大きな声で歌を歌う。フォニックスの発音を、口を縦横いっぱいに開けて発音する。 oshienと単語テストに書いてきた。oc...