何気なく流れてくる情報記事に眼を通していて、記事に躍る日本語に目が留まった。
「この国は何かがおかしい。」と。また、ある記事には次の様にあった。「あなたはこの現状をどう思うか。」と。
また別の記事には「これは良い。」とか、「これはいけない。」とかの表現が続いた。
おかしい、というのは、ゼロの状態から斟酌して、マイナスかプラスかのどちらかに針が振れすぎている、という意味のことを言っているのだろうから、恐らくその言わんとするところは、ある視点の基準から考えていて、そのゼロ値からずれている、ということを意味しているんだろうと思う。
風邪薬で朦朧としながら、ふと考えた。個人主義がこれだけハイパーに進んだ社会にあって、もはや、なにがゼロ値であるのか分からないくらい、自分たちの身体感覚は麻痺させられているのではないか、と。
何が正しくて、何が間違っており、何が中庸なのかの判別ができなく無くなっている、そんな風に思った。ある主張が正しいのだとすれば、他方は間違っており、また他方が正当性を主張すれば、もう一方が、否、と言う。結局の所、私たち人間は、良いか悪いか、というどちらかの針に振れていなければ落ち着けないのか、となんだか暗い気持ちになった。
良いも悪いもない、どちらの要素もあり、更に三角な要素もペケの要素も、花丸の要素もあるのが自然なはずなのに、流れてくる情報の中には、ごく一部を除いて、すべてにシロクロがつけられている。どうしろというんだろう。
自分が考えていることが間違っていることだってあるし、自分が考えていることの正当性を主張する場合には、逆側の考え方をきちんとくみ取りつつ、相互の主張の拮抗するところを斟酌しながら、アウフヘーベン的に折りあいをつけていかなければいけないし、また、上手にやらなければいけないところと、上手にやってはいけないところと、のらりくらりいくところと、スピーディにやらなければいけないことと、拘泥しながらどこかに足を出す一歩を見つけながら前に進んで、はい、おしまい、となるのが人生なのでは無かろうか、そんな風に考えた。
「人生というのは4本足のテーブルに似ていて、こっちの足が長すぎるからと言ってノコでこっちを削り、すると今度はこっちが長すぎると言ってノコで別の足を削り、と、そうやっていくうちに、机ががたーんと倒れてしまう、それが人生というものではないでしょうか。」とは、三島由紀夫さんが生前のインタビューで言っていたことで、なかなか、上手いことを言うよね、と、24歳の時に感心したことがある。
あれから17年くらい経っているけれど、ああ、あのときに三島さんが言っていたことって、そういう意味なのかな、とぼんやり思ったりする。人生って、バランスが悪いものなのであって、バランスが悪いから整えようと必死なんだけれど、どれか一つの視点に偏ってバランスを取ろうとすると、全体のバランスが崩れてしまったりして、塩梅が悪くなったりするものなんだ、と思って理解しておかないといけないんだな、とこの頃つくづく思う。ルービックキューブって、ある面を揃えようとすると、別の面が揃わなかったりするじゃないですか?全部の面をきれいに揃えるのって、中々大変でね。それと同じことなのかな、って。
自分が間違っていて、自分のバランスが悪い可能性について、人間は愚かなので、ファナティックになると忘れてしまう。だから、自分の信念や主張が熱を帯びてきたときこそ、バランス悪いね、と自分を諫めて、別の視点や観点から自分を見てみると良いのかな、と思ったりしています。
ジョンレノンの歌を思い出すね。
“I read
the news today, oh boy.
About a
luck man who made the grade and though the news was rather sad, well, I just
had to laugh.
He blew his
mind out in a car. He didn’t notice that
the lights had changed.
A crowd
of people stood and stared. They’d seen
his face before.
Nobody
was really sure that he was from the House of Lords.
I saw a
film today, oh boy. The English Army had
just won the war.
A crowd
of people turned away. But I just had to look, Having
read the book. I'd love to turn you on. “