朝から長崎へ。亀山社中をどうしても訪問したくなったのである。
亀山社中については、以下のWikipediaを参照してくださいね^^
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E6%8F%B4%E9%9A%8A
先日から、夏目漱石、谷崎潤一郎と平行して読んでいて、幕末の事、明治の事がどうしても気になり出したからかもしれない。何故それが坂本龍馬と結びつくのかは自分でもよくわからなかったのだが、明治が始まった時の様子や、幕末のこと、さらには異国からの文化や技術、政治的な思想などの名残を戴く場所で、手近なところは長崎だったから、という自分の直感に従った由なのだろうか。分からない。
神戸や横浜に行きたい。行けば何かが摑めるかもしれない。神戸や横浜へは数度足を運んでは居るが、史跡をゆっくりと巡る時間はいつもないままになっていた。
先ずは近場で、という浅はかな直感が導くまま、長崎の地へ向かった。
亀山社中を訪ねるにあたり、どうしても気になっていたのは原爆の影響だ。原爆の被害を免れ得ることがあるのだろうか。それが気に掛かって仕方がなかった。
記念館の方にその事を尋ねる。爆心地より山を隔てた所にある亀山の地は、風速40mほどの被害は受けたが、万事無事だったそうである。しかし、当の亀山社中そのものが現存していた訳ではなく、ここに亀山社中が恐らく在ったであろう、という地に復元されたものらしい。
それが贋物か本物かの真偽はどうでもよろしい。その地のその付近で、幕末の士が世の中を変える、日本を動かす、という気鋭で立ち働いた場所に身を置く、という心持ちが、精神を鼓舞し、心根を暖めるのだ。
亀山社中記念館に這入る。中は龍馬や妻お龍の遺品、亀山社中設立時の文章の複製、海援隊結成時決起文の複製、龍馬の書簡の複製などが残されていた。
日本はこのままではダメになってしまうかもしれない、日本は世界の中で遅れている、このままではダメだ、と憶っていた人は、何も今に始まった訳ではなく、およそ200年も前から居た訳である。(こういうと、「日本はこのままではダメだ」論は幕末に起こった、という誤解を招くかもしれない。件の論は、何も今に始まった訳ではなく、律令政治その時代から既に多くの日本知識人に危惧されていた事である。日本人は、基本的に「このままではダメだ」という気持ちを持ちながら毎日仕事をしたり、生きることが身体化されているのかもしれない。島国に生きる民のDNA内の、生命維持装置としてのサバイバルテクニックか?よう知らんけど。)
龍馬のどのへんに何かを抱くかは個人それぞれの趣向や思想に依って様々であろう。大事なのは、これらの偉業を成し遂げたその人を戴き、自分の中にある同じ様な熱く燻る何かを結実化せしめんと希求する精神なのではないか。そう、ふと憶ったりした。
「日本を今一度せんたくいたし申し候(龍馬書簡)」
元気の出る言葉ではないか。吉田松陰に端を発した日本立国の指針は、勝海舟らに依るその後の奔走、龍馬らによる諸活動により、明治の立国に結実し、その後の我が国の繁栄を齎した事は記憶に留めて猶有り余る偉業である。
日本の為に働いた人を憶えば、自分の日々の何がしかの生きようも又、同じベクトルを向いているはずなのかもしれない、と淡い期待を抱いた。
来年、いっぱい頑張ろ^^
ではまた^^
2015年3月7日土曜日
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