素敵な出会い、素敵な春を感じて、クラスに入って行きたいですよね。さて、どこのクラスでも友達と仲良くすること、協力すること、積極的に動くことなど、何でも良いのですが、先生方から薫陶を受けると思います。その中で、勉強について多くの事が話されると思いますので、先生方のお話を良く聞いて、先生方のおっしゃる事にしっかりと耳を傾けて欲しいと思っています。
僕は自分のクラスで明日、こんな話をしようと思い、今日、学級だよりを二枚書きました。皆さんのお役に立てるかどうかは分かりませんが、今日のブログはその採録に加筆を施したものです。これから一年間の皆さんの勉強のお役に立てれば幸いです。
まさか、明日から僕のクラスの生徒になる諸君は、このブログを読んではいないと思いますので、安心して掲載します笑。もし読んじゃった場合は、予習だと思って読んでみてくださいね^^
↓以下、学級だより「壮語快談(学級だよりの名前です)」
【受験生を教える】
「去年は理系の担任をしていました。今回で高三の担任は3回目ということになります。クラスのみならず、他クラス、他学年を含め、たくさんの受験生を見てきました。その時に得た経験や知識で1番大事なことは、「無理なく毎日続けること」と「サボってしまったときに自分を責めてはいけないこと」の2つです。★「無理なく継続して勉強する」為に必要なこと
私たちは生身の身体で生きています。ですが、頭を使って効率よく生活していこうとするあまり、色々な計算にそのことを勘定することを忘れてしまいます。これが失敗の元です。
生身の身体は衣食住をしなければなりません。勉強は知的生産行為ですから、その次に来ることになります。ものの成功本とか、勉強法の本には様々なメソッドが紹介されていますが、それらはしばし、生身の身体を持つ人間を無視し、理論先行で書かれているように僕には思えます。
人間は弱い生き物です。頭では分かっていることを観念と言いますが、観念は常に私たちに命令をし、これをすべきだ、あれをしろと言って僕らを小突き回します。ところが人間は観念と同時に「欲求と情念」に動かされもいます。
この2つが言うことを聞かない。そうすると、観念は情念や欲求に負けてしまい、負けてしまったことを責めてしまい、自己嫌悪に陥って、ますます自分を責めてやらなくなってしまうのです。
「やる気が出ない」と人が嘆くことの構造はこういう風になっている、と僕は理解しています。
例えば、卑近な例で見ますと、理想に燃えたってダイエットや肉体改造を高らかに宣言する人を見ますが、それらで成功例を見ることができるのは、ごく僅かです。
その仕組みが分からないために、私たちは屡々、「あの人は意志が強かったから」とか、「運が良かったから」とかいう、論も証拠もない結論づけをし、自分がやる気がないことを自己正当化しようとします。
僕は2年4ヶ月筋トレを続けています。またテニスは11ヶ月続いてます。続けてきた経験則で話をさせていただくと、僕は筋トレに行きたくない日は思い切って休んでいますし、テニスも気が乗らない時はレッスンを振り替えてもらっています。また、その時も決して自分を責めたりせず、今日はゆっくりして、また次回に頑張ろう、と自分を甘やかすことを躊躇しませんでした。
その結果、次回の練習やトレーニングの際、やりたい!という気持ちがふつふつとわき起こって、どんどんトレーニングがやれるようになったのです。
その際注意したのは、「張り切りすぎないで、できる範囲で汗をかく程度にしておこう」という気持ちです。無理をしてしまうと、次回にやる気が出ないことを身体と頭がきちんと理解できていたからです。
まとめます。皆さん、勉強は少しずつで構いません。大きな目標や計画を立てたところで、その通りにならないことは皆さんもよく分かっているはずです。
毎日無理なく勉強を続けることができるように、一日の配分を「もう少しやりたいんだけどな」という範囲にとどめ、まずは4,5月に「毎日必ず勉強をする」という習慣を身につけることに意識を集中させましょう。
ノート1ページ、単語5個、数学の問題1題でも良いではありませんか。自分を責め、叱るのはやめましょう。
ここまで読むと、自分を甘やかしても良いのか、という疑問が湧いてくるかも知れませんね。では、その疑問に次の項で応えましょう。
僕は誰から頼まれもしないのに、今年3月1日から、古典、漢文、英文、ラテン語をノートに筆写し、辞書を引いて解釈し、という行為を毎朝、毎晩やっています。これらは勉強ではなく、純然たる趣味です。なんでそんなことをやっているか、自分でも分かりません。褒められも評価されもしない。それをやったからといってご褒美にお休みが貰えたり、お給料が上がったりするわけでもない。何にもならない。全くの役立たず。だけど、毎日、やりたくて、やりたくてたまらない。ラテン語の勉強をしている時、芭蕉の文章を筆写しているとき、世阿弥の言葉を読んで音読しながらノートに書き写す時間、論語の節を白文で書き、書き下し文を書き出して、音読するとき、たまらなく胸がときめくのです。誰にも邪魔されたくない。僕らの邪魔をしないで欲しい、という、恋の桃色に似た心持ちで毎日楽しくやっています。
何故勉強が続いているかを冷静に考えるとそれは簡単で、「好きだから」です。それ以上でも以下でもない。好きになることに理由はありませんよね?好きだから好き、それ以上のことは分からないけど夢中になる、そういうものって、誰から言われなくても長続きするんです。
僕は中高生を教えていて、何故子どもは勉強しないのか、ということをよく考えますが、上記の実体験と照らし合わせてみて今思うのは、「子ども達は勉強が面白いことを知らないのではないか。ということです。何らかの理由で途中で嫌いになってる。これは大人としても耳の痛い話でして、本当に反省すべき事です。
僕ら大人は、子どもの学力を高めようと熱り立つことはあっても、子どもが勉強を好きになることを脇に置き過ぎているのではないか、と自分が勉強をしていてつくづく反省することがあります。いや、本当に。申し訳ありません。
今みなさんが教わっていることは全ての基礎教養の土台みたいな項目ばかりですから、楽しくないと思うのは事実です。僕もそうでしたもん。
でも、勉強ってすげー楽しい!って思うようになるためには、ある一定の時間、我慢をして、基礎基本を徹底して身体に入れないといけません。
その作業を差し引いていては、残念ながら楽しさがやってこないのです。
ある程度我慢をして勉強を続けていると、個人差はありますが、リズムができてきて、勉強をするという行為そのものが心地よく感じられることがあります。
その状態に突入して、初めて、この教科が好きとか、この単元って面白そうという知的好奇心は起動するわけで、勉強のリズムに心地よさを感じないのに、勉強や教科のことを好きになったりはしません。
ですから、まずはこの4月、5月で、勉強するという行為そのものが心地よく感じられるリズムを整える必要があります。
脳は「快」な気持ちになることを続けたいと願うように構造化されているそうです。これは何も僕が行ったわけではない、脳科学者の池谷裕二さんや、茂木健一郎さんの本を読めば良く分かります。麻薬で捕まった人が何度も再逮捕されるニュース、聴いたことありますよね?あれって、脳が「気持ちいい!」という気持ちを覚えているから、何度でも繰り返してしまうんだそうです。あ、やっちゃダメだよ?絶対ね?
話を勉強に戻しますと、勉強のことを脳が「嫌い!」って思っていると、自然とやる気はでなくなります。ですから、勉強そのものが嫌いであったり、不快であるうちは、学習活動がなかなか思うように運びません。
脳に言い聞かせるように、まずは好きな教科から勉強しましょう。何時間やっても構いません。好きな教科の好きな項目から、徹底的に勉強しましょう。そして、脳に、「ほら、勉強って楽しいんだよ。」と語りかけるつもりで勉強して欲しいんです。
脳が勉強することを気持ちが良いことだ、と認識してくれさえすれば、好きではない教科を勉強するときに、気持ちのハードルがぐんと下がります。
闇雲に根性論や気合い論、あるいは合理的な仕組み作りだけで、受験勉強を捉えて指導していた時代が、僕は恥ずかしく思えます。私たちの脳の仕組み、生身の身体感覚をきちんと理解して、学習を制度設計すること、この2点が「無理なく楽しく勉強を継続する唯一の方法」なのです。どうか自分を可愛がって下さい。もっと甘やかして下さい。自分はかわいい人。自分を可愛がって、労り、大切に思って欲しい、と僕は思っています。無理なく続けられる毎日の勉強スタイルを、自分なりに作って欲しいと思っています。「好きなときに、好きなことを、好きなだけする」をテーマにやってください。まずは苦手な事とか、嫌な科目は脇に置いて、自分が好きな科目、好きな単元から夢中になってやってみてください。」
ここまでが学級だよりです。できるだけ毎週学級だよりを出して、生徒達を励まして行きたいと思っていますが、今年はブログも始めたので、週に二度も三度も発行するかも知れません。ごめんなさいね、生徒達笑。
生徒達に力強く心やさしい大きな人になって欲しいと本気で思っているんです。ですから、僕はやりたいですし、やります^^ では、また^^