来年度の授業のことを考えると、色々に気が散って行けませんが、只唯一、心構えと云うか、これだけは守ろうと思っていることは、「英語を嫌いにさせないこと。」です。
英語に興味関心を持ち、外国語の学習を通して他文化の価値観や考え方を学び、自国文化との差異に奮え、新たな眼が啓かれるように生徒に教えたい。そのためには、生徒が英語を嫌いになってもらうと困るんです。好きでいて欲しい。
ものを教えることは洋の東西を問わず。人類の黎明以来、脈々と続いてきた生存行為であり、教えることの英知は人類共通の智慧の結晶です。どこの世界でも連綿脈々と、有史以来ずっとやってきたのが教育です。「教える」ことによって後世に生き延びる術を伝える、これが教育の根本単位であり、基本原則です。
その起源をどこに求めても、わかりませんし、これからもわかることはおそらくないでしょう。なぜなら、人類が生き延びる為には下の世代に兎に角生き延びてもらわないと行けない。簡単に死んでもらっては困る。それでは滅亡してしまう。だから死なないように、できるだけ長生きするように、食べ物の採り方や作物の育て方、狩猟の仕方、雨露のしのぎ方から、武具の作り方など、あらゆることを教えた。衣食住足ると、今度は生きる意義は何か、社会を形成するとは何か、などに発達し、今現在アカデミアが様々な学問が自然に形勢されていった。この流れが、人類に教育が興った軌跡なのではないか、と僕は想像に助を借ります。
誰が始めたか、分からないんですけど、先達から託されたメッセージや暗黙のルールだけが口伝てや書によって残された。だから今現在、学校教育が担っている仕事は、なぜそうなっているか分からないけれど、簡単に弄くり回したり、取り替えたりしてはいけないのではないか、と僕は考えています。だって、人類の英知に逆らうことになるから。
山本五十六の「やってみせて、言って聞かせて、やらせてみて、 ほめてやらねば人は動かじ。話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。」という言葉を引くまでもありません。
戦争をやらせたら山本の右に出る者はいない、と云われたほど、第二次大戦時に英雄視されていた山本ですら、若者を教えるときに、口やかましく怒鳴り散らしたり、ふんぞり返ったりしても、優秀な兵士は育たないのだ、という達観から、この言葉を残したのではないでしょうか。
また、山本の別の言葉に以下のようなものがあります。
「いまの若い者は」などと、口はばたきことを申すまじ。実年者は、今どきの若い者などということを絶対に言うな。なぜなら、われわれ実年者が若かった時に同じことを言われたはずだ。今どきの若者は全くしょうがない、年長者に対して礼儀を知らぬ、道で会っても挨拶もしない、いったい日本はどうなるのだ、などと言われたものだ。その若者が、こうして年を取ったまでだ。だから、実年者は若者が何をしたか、などと言うな。何ができるか、とその可能性を発見してやってくれ。」
僕はこの山本の言葉に、教育の真髄があるのではないか、と思っているんです。口やかましく生徒にがなり立てて教えていた20代の頃は、こんな山本の言葉も知りませんし、全く分かっていませんでした。しかし、生徒達が離れていく、自分からも英語からも離れてそっぽを向く状態が続いたことがあり、自分の教師としてのあり方を見つめ直したことがあります。その時にぼんやり、「俺の1番の仕事は、生徒が英語を好きになる、ことなんじゃないかな。」と朧気にじんわりと実感した記憶が今でも残っています。無力感で一杯でしたけれどもね、若くて未熟で。
あるいは大村はまさんの言葉でも別の言い方ですけれど、山本五十六が云っていることと同じことが語られている。
「しかし,劣等だとか,優等だとかいう世界の向こうの世界へ子どもを連れていくことはしなければならない。教室で座りながら,できない,つらいなどと思わせる,片っぽうは反対に得意になっているとか。これも人間を育てる世界らしからぬ世界で,そういうところに子どもを置いてはだめです。 ……ただ教室のなかで優劣の向こうへ生徒をもっていくことだけは,これはしなくてはいけないことでしょう。教室のなかで,それぞれ学習に打ち込んでいて,それぞれ成長していて,だれができ,どの子ができないなどと思っているすきまがないようにしなければならないと思います。 ……できるとかできないとかということを忘れて,全力をふるって,うちこんでやっていく。一生懸命やっていく,その向こうで,その気持ちのなかで,できる子ども,できない子があっても,そんなことに関係のない世界をつくっていくことができないか。……おもしろい授業を力いっぱいさせて,生徒に自分が劣っていることを忘れて打ち込ませるところまではもっていかなくてはと思っています。みんな一生懸命になっているとき,そんなことが気にならなくなってしまうのですね。」
大村はまさんは、焼け野原の東京で教鞭を執り始めました。新米教師で只でさえ不安なのに、紙も教科書も鉛筆もない。教室もない。学年もばらばらな大勢の子ども達が目の前にいる。大村さんは途方に暮れた。どうすれば良いんだろう、私はどんな授業をすれば良いんだろう、と。このときの大村さんの気持ちは、「二四の瞳」の大石先生と重なります。
大村さんは僅かに残る禿びた鉛筆と、広告の裏紙のような紙、更には教材として新聞紙を手に、子ども達の所に行った。子ども達には新聞と紙と鉛筆を持たせ、新聞を読んで自分が良いな、と思ったところを感想に書きなさい、と発問された。
焼け野原の教室。すし詰めに所狭しと肩を寄せ合う子ども達は、徐に学習道具を手に、夢中になって読み、夢中になって書き捲った。大村さんは授業が終わるとその紙を集め、職員室に帰って生徒達の書いたものを読みながら、涙が止まらなかった、と書いておられます。
子ども達の中には、家を焼け出された者、家族を失って孤児になったもの、今日喰うにも困窮している者など、様々だった、と云います。そんな悲惨な状況にあって尚、瑞々しく描き出された子ども達の感性に大村さんは心を揺さぶられたのです。
これだ、これなんだ、と。これこそがまさに教師の仕事なんだ、と。大村さんの著書にはそれが書かれてあり、胸を鷲掴みにされます。具体的な指導法や技術についてはほとんど書かれていない。なのに、大村はまさんの本を教師として何度も何度も読み返したくなり、折に触れて手に取ってしまう。
理由は分からないんです。でも気付くと必ずそうしている。それは自分も、教える、という仕事の本質はここにこそ有るのではないか、と無意識に勘づいているからであり、またその感覚が身体化されているからではないか、と思うんです。DNAに組み込まれている、と言えば良いのか。
シュタイナーやバートランドラッセルが云ってることも、あるいは斎藤喜博が言ってることも、根本的な教育の本質を突く、という意味では同質同根同意であり、ワーディングこそ違うけれども、言われているコンテンツの枠をけして出ることはない。同じなんです。学ぶとは何か、教えるとはなにか、その本質は、手を変え品を変えても、けして変わることはないのだよ、と僕らに何度も何度も語りかけてる。
先人達が突き詰めて考えて実践し、行き着いた教育の本質が皆同等同質である場合、世がいくら教育改革を呼号したところで、本質に敵うわけがないのです。ちゃちな頭で賢しらに聡く編まれた改革案などより、実践家である偉大な先達達の残した教育哲学に寄り添うことの方が、僕は教師の本懐なのではないか、そう思っているんです。
来年度はどの学年になるのか、分かりませんが、何を持っても先ず、「生徒が英語を嫌いにならないこと」「生徒が英語に夢中になること」を一等大事にし、授業をしていきたい、と僕は考えています。
ではまた^^