2015年5月3日日曜日

自問と自省と自戒と

自分で勉強会を主催する様になり、スタートを切ってから色んな事を考える。何の為にこんなことをやってるんだろうか、と呆れてしまう事もある。自分のことも間々ならないのに、いろんな人を巻き込んで、何をしてるんだ、と思うのも事実。
自分は本を書いているわけでもないし、セミナーの講師をしたり、世に顔が売れている訳でもない。特段、何の取り柄もないし、英語を教えているけれど、英語もそんなにできない。
子供達の未来の為、と紋切り型にしてしまうと、なんだか分かった様な感じで行けない。何の為に動いているんだろう。毎日毎日、いろんなアイディアに挑戦しながら、「自分がやったことがないこと、自分が経験したことがないこと」を生徒と一緒にやりたい、と思っているだで、その気持ちだけが自分を動かしている気がしてならない。それ以外は特別になにも考えていない。

自分には守るものがない。これをしなければマズいとか、こうしなければいけない、という課題も命題も何一つ与えられていない。情念が赴くまま、一体どうすれば、授業中に子供達の目が輝くか、とそればかり考えている。

過去6年間、生徒達の力を伸ばそう、伸ばそうと考え、受験に役立ちそうないろんなシステムを敷き、子供達にたくさん勉強を強いた。無我夢中で子供達に勉強をさせた。その結果、多くの生徒達の基礎学力は保証されたが、一方で英語嫌いを生んでしまった事実にも目を背けられなくなった。僕は一体、何の為に子供達の前に立ち、授業をしているんだろう、そんな想いばかりにとらわれ、去年の秋口、恐ろしいほどの罪悪感に捕われた。自分のせいで、どれほどの子供達が英語を嫌いになってしまったんだろうと思うと、胸が痛み、悲しい気持ちになった。

自分は何の為に授業をしてるんだろう、生徒の成績を伸ばせばそれで終わりなのか、と。生徒達の成績を伸ばす事は仕事の一つではあっても、それが全てになってしまうのはおかしいのではないか、と何度も自問自答した。

若い頃、中嶋洋一先生の本を食い入る様に読んだ。大事な所に付箋を貼り、蛍光ペンでチェックを入れ、自分の勉強ノートに先生の本を要約し、毎日指導案を作り、授業の反省日誌を書いて20代を過ごした。

英語の授業を通して、子供達の目を輝かせ、学力を保証する事はもちろんのこと、その先に、子供達の将来の為、英語の授業を通して、人生を、社会を、個性の形成を、他者との交わりを、全身を使って教えてあった中嶋先生のメソッドの虜になった。

自分は30代に入り、いつしかそんなことを忘れていた。どうすれば生徒の成績が一点でも上がるか、そんな事ばかりを考えて教壇に立っていた。それはそれで、間違っていなかったと思う。いや、そう思いたい。でも、今の自分はそんな風に考える事がどうしてもできないし、それが正しいんだ、と胸を張って言えない。

6年間教えて来た子供達のことを誇りに思っている。だけど、自分が彼らに施して来た指導が、本当に正しかったのか、今でも悩むし、あれで本当に良かったんだろうか、と何度も何度も自答して、今の授業があるのかも知れない。

英語が苦手な生徒から、先生、先生の授業大好きだったよ、と言われるとき、自分はこの子に何もしてあげられなかったのに、と罪悪感でいっぱいになる。英語が苦手な生徒達から、たくさんの笑顔や優しさをもらった。先生、先生のこと、大好きだよ、と言われるたびに、自分はこの子達に何一つしてあげていないのに、本当に申し訳ない、今までこの子達に何をしてあげられたんだろうと胸が苦しくなる。

恐らく、退職するまでこんなことを何度も何度も、繰り返し、繰り返し考えながら、仕事を終えていくんだろうと僕は思う。それはどんな先生であってもそうだろうし、仕事には完成がない、という立脚点に立ってみれば、仕方がないのかも知れない。

けれども、それはそれで仕方ないんだから、あきらめるしかないんだよ、と割り切っていくことも自分にはできない。それはそうかも知れないけれど、精一杯、その子達に尽くして、誠意を持って一生懸命に誠実に向き合いたい、そう考えてしまう。そう思ってしまう。

今、現場で子供達に読み聞かせをしたり、俳句を英語で暗誦したり、多読の取り組みを始めたり、歌や教科書のレッスンで過去にも増して発音指導をしたり、ネットの英語スピーチをどんどん聞く様に奨励したりしている。毎回授業に行く度に、子供達の目が輝く姿を見るのが楽しみで仕方がない。

この取り組みを繰り返し、繰り返し行なって行きながら、生徒達が自ら燃え立って勉強に向かう気持ちを育てたい。今はその気持ちで毎回の授業を一生懸命全力投球している。
自分から、勉強したい!という気持ちで前のめりになる姿勢を育てたい。テクニックやメソッドを教えるのは簡単なんだけれど、子供のやる気のスイッチを入れるのは難しい。心に灯を点し、ハートに火をつける事は本当に大変なこと。

僕は、関わる全ての生徒が、僕の手を離れ、卒業をした後でも、英語に向き合おうとする気持ちを自分の中に持って卒業してくれる事を切望している。学ぶ気持ち、学ぶ事によって、より深く他者への理解を深める事を望んでいる。それは僕が何故先生をしているか、ということに大きく関係しているのかもしれない。わからないけれど。

英語を教えるだけだったら、僕は先生なんかしない方が良い。英語なんか、できないんだから。そうじゃない。英語の先に何があるか、授業の先に何があるか、教室で教える時間の向こう側に、子供達の何があるか、それを考えなければ僕は教壇に立ち続ける意味を失ってしまう。そう思っている。強く。

そういう考えを深めて行くと、誰かと話がしたくなった。だから勉強会を立ち上げた。一人の先生の前には200名の生徒達がいる。全国に何万と子供がいる。自分が今こんな風に考えたり思ったりしている気持ちを、同じ様に抱いている先生方もいらっしゃるに違いない、そんな先生達と話がしたい、そしてお互いに燃え立って前に進みたい、そんな風に考えた。

スキルやメソッドを垂れ流したり、トレーニングで埋め尽くされる様な授業を、僕はしたくない。子供達の心に何かが残る授業がしたい。僕らにとってはただの週の一コマかもしれないけれど、子供達にとってはそれが人生の一ページだと信じたいし、そう思って教壇に立ち続けたい。だから、その為に、何倍も努力をして、何倍も勉強をし、何倍もアイディアを温め、人の何倍も大胆に、勇気と智慧と力を持って、子供達に全力でぶつかって行きたい。そんな風に、今、泰然自若と自分に向き直っている。

僕はもうブレないし、何にも動じないと思う。恫喝や脅迫めいたことを誰かが僕に言ったとしても、絶対にそんなものには屈しないし、それで方針を変えたり、子供達に対する姿勢を曲げたりは、絶対にしない。むしろそんなことを慈しみ、憐れんで、祈りに憶えると思う。

そんな風に昨日、静かに考え、その結果をここに書いた。

The Acts of the Apostles 新約聖書:使徒言行録9章4節〜7節
{9:4} Et cadens in terram audivit vocem dicentem sibi: Saule, Saule, quid me persequeris?
{9:4} And falling to the ground, he heard a voice saying to him, “Saul, Saul, why are you persecuting me?”

{9:5} Qui dixit: Quis es Domine? Et ille: Ego sum Iesus, quem tu persequeris. Durum est tibi contra stimulum calcitrare.
{9:5} And he said, “Who are you, Lord?” And he: “I am Jesus, whom you are persecuting. It is hard for you to kick against the goad.”

{9:6} Et tremens, ac stupens dixit: Domine, quid me vis facere?
{9:6} And he, trembling and astonished, said, “Lord, what do you want me to do?”

{9:7} Et Dominus ad eum: Surge, et ingredere civitatem, et ibi dicetur tibi quid te oporteat facere. Viri autem illi, qui comitabantur cum eo, stabant stupefacti, audientes quidem vocem, neminem autem videntes.
{9:7} And the Lord said to him, “Rise up and go into the city, and there you will be told what you ought to do.” Now the men who were accompanying him were standing stupefied, hearing indeed a voice, but seeing no one.

9:4 サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。
9:5 「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
9:6 起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」
9:7 同行していた人たちは、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた。

2015年5月1日金曜日

俳句を英語で読み聞かせる授業

生徒達と図書館で授業をしています。できる限りall in Englishの流れを取りながら、図書館で絵本の読み聞かせからスタートし、子ども達に多読をさせ、その後、授業で使う教科書のトレーニングを行っています。


授業の概略や、指導の狙いなどについて整理をしてみました。


《授業の流れ》
1Greetings + 教師からの語りかけ(英語)

2.  絵本の読み聞かせ
①絵本の中身について、あらすじを簡単な英語で言い換え、概略を生徒に説明します。

②生徒が英語でお話の筋を理解できているか、生徒達の表情を見渡しながら確認。

③読み聞かせ(教師が絵本を、キャラクターになりきり、読み進める)

④生徒達同士で役を替え、交互に読み合う。

⑤お話の内容を友だちと日本語でシェア

⑥教師が、メタファーやプロットの背景について英語で説明。

⑦時間があるときは、⑥の後、全体でコーラス読み


3.多読タイム…書架から好きなpaperback1冊取ってきて読む。時間は10分。毎回10分の読書タイムを設け、週で3040分、英語の本を読む時間を設ける。本はどんな本でも良いのですが、選ぶ際に条件付けを与えています。

☆できるだけ早く読み終わる本を、まず選ぶこと
(分厚いものにチャレンジするのは後で良い)

☆辞書を引かず、だいたいこんな感じかな、という気持ちでどんどんページをめくる。

☆読み始めたら、できるだけ最後まで本を変えない。

☆話しの筋を追うことを一等大事にし、細かい未知語や文法にこだわらずに文字を追うこと。

☆後で友だちとシェアできるように、筋をある程度追いながら読むこと。

4.教科書の音読・発音指導・話のコンテクストへの理解

教科書レッスンの和訳読み、音読、教師とのコーラス
(この際にチャンク読み、発音指導、固まり毎音読法、固まり毎意味取り法、などを随時断続的に指導を行っていきます。)

指導をする際の注意点は以下の通りです。

《指導の留意点》
☆未知語があり、類義語を用いて簡単に言い換えて説明すると、何度も頷く。その後、再び未知語を繰り返し、繰り返し、語りかけの中で使いながら話しをすると、生徒達は身を乗り出して話しを聞きます。その行為を繰り返すことにより、生徒にとって、未知語はいつしか既出語に変わっていきます。それを粘り強く何度も何度も繰り返します。


☆分からない単語が出てきたときは、その単語を言った後に、日本語の単語をそのまま言ってあげると、合点がいくようです。また、それだけで終わると未知語が定着しないので、何度も繰り返しその語を使って語りかけます。それにより、生徒達は分からない未知語を少しずつ認識語彙に変えていきます。


☆絵本の読み聞かせは受験問題からくらべると、稚拙に思えますが、寓話や絵本の中には、必ず教訓や垂訓が含まれているのが常で、その言わんとする所は何なのか、生徒に考えさせる、話し合わせる、その後、この絵本のお話の背景には何があるのか、を知る、という活動を通して、物語を読むときの洞察を深めていこう、とするのが狙いです。


☆お話の中に出てくるフレーズで、生徒が「あっ!」と思う表現に出くわしたとき、彼らの表情が変わります。その際、その場ですぐにそのフレーズを音読指導し、生徒と共に短いフレーズを暗唱するようにします。こうすることにより、未知語が身体に染み込むこと、英語を味わいながら読むことの醍醐味を全身で感じてもらうのが狙いです。


今日は、EJキーツさんの、「春の日や 庭に雀の砂あひて~A day of spring: In the garden, sparrows bathing in the sand.~」という、俳句絵本を使って、読み聞かせを行いました。図書館は教室と違い、広いスペースがありますので、生徒達をそこに車座に腰掛けさせ、絵本を読み聞かせしながら、俳句の解説を簡単な英語でし、その後、生徒と共に、日本語の俳句の音読、英語の俳句の音読を繰り返しました。


良い俳句があれば、それをその場で何度も音読し、その場で暗唱します。今日憶えた句はこんな句です。

“A flash of lightening, the sound of dew, dropping down the bamboos.”という句です。

子ども達は俳句を味わいながら、英語で描写される句の風景を思い描きます。英語で簡単に句の解説を入れます。子ども達、食い入るように英語を聴きます。5-7-5の魔力ってすごいね、英語で読むと素っ気ない感じになっちゃうんだけど、日本語は、句の中に、音と意味の両方を封じ込めて、短くまとめてるよね、と英語で話しました。


言葉そのものが持つ響きや、英語そのものが表現しうることのできる範囲を生徒達と味わい、このセッションを終え、多読のセッションへと移りました。


図書館で生徒達に英語の本を読ませながら、当たりを見渡すと、図書館は本当に宝物殿で、宝物が溢れていました。海外で出版されている日本芸術の写真集、美しい建築物の写真集(英語解説)、歴史的建造物の写真集などがあり、今後の授業のトピックや話題に事欠かないな、と僕は思いました。


また、長文読解に入った際、分からないトピックが出てきたときには、その場ですぐに生徒と一緒にそのトピックについて調べることもできます。図書館で授業を行うことにより、授業の可能性は縦横無尽に広がっていくことを、書架に納められている膨大な書物を見ながら全身で感じました。


 次回は教室に戻りクラスで授業ですが、他の2クラスは図書館で授業をします。図書館で授業を行いながら、読み聞かせ、素読暗唱、語彙学習、読んだ内容を友だちとシェアしたり整理したりする活動を継続しながら、少しずつ少しずつ、生徒達に英語を読む下地を作っていきたいと思っています。
 
長文を読むテクニックやロジックばかりを教えていても、小説の筋を追ったり、話の流れをつかむメタ認知力は上がりません。絵本を使うことには、以下の2つの明確な狙いがあります。

①お話の筋を追うプロット追跡力を身につけさせること。

②お話の裏にある、筆者のメタファーや伝えたいことは何なのかを探るメタ認知力を上げること。

過去に読解の授業を担当していて痛感したことは、たとえばトピックとして扱われていることが社会的な問題であったり、何らかの論理が展開されていても、「問題を解いている」という枠組みから一旦出てしまわないと、どうしてもその枠組みに囚われ、思考や発想が封じ込められ、死んでしまう、ということでした。

 絵本を用いる事により、簡単なお話の裏に秘められている狙いは何なのかを認識する力をつけるこことにより、生徒達の洞察力を高め、言葉を通した認識力アップ、プロットの把握力の向上を目論んでいる、というわけです。

今日の授業では、日本語の俳句を扱いましたが、折も折、ドナルドキーンさんの自叙伝的なストーリーがレッスンになっていましたので、とても良い内容だったと思っています。

今後の授業展開がとても楽しみになってきました^^

これが、彼らが直面していく入試問題演習に入った時、どのように昇華していくのか、楽しみで仕方がありません。

小手先のテクニックやメソッドばかりに囚われた指導をしていると、生徒の洞察力やメタ認知を育てる指導は生まれませんからね。入試演習を通して、生徒達に生きる力をつけさせるような授業を、これからもどんどんクリエイトしていきたいと思っているところです。

ではまた^^




2015年4月28日火曜日

今日から図書館で授業^^

多読の活動を生徒にさせたいと思い、Grade Readerというシリーズの本を注文したい、と思っていたのですが、なかなか上手い事を思い浮かばず、二の足を踏んでいました。

生徒達に英語の本をどんどん読ませて、自然と読解力が身に付いて行く流れの実践を作りたかったのです。

毎回の授業で、四、五十冊の本を教室に持って行くのは煩雑です。また、生徒達を多読セッションの時だけ図書館に移動させるのもどうかと思いました。

そこで、図書館の司書の先生に相談に行きました。折も折、校長先生が図書館で読書をして居られ、校長にも立ち会ってもらい、図書館で英語の授業をしても良いかと尋ねました。

司書の先生も校長先生も、異口同音にして「図書館で授業、是非やってください。図書館をもって利用して欲しい。」と背中を押して頂き、満を持して、ようし、では一丁やってみるか、というので、今日の6時間目は図書館で授業をしようと試み、生徒に教室移動の連絡をしていました。

図書館で授業をするとなると、本校の図書館、吹き抜けになっていまして、もしここで大きな音を出したり、音楽を掛けたりすると、全フロアに音が響く事と相成り、他の授業にご迷惑をおかけする事になります。
そこで、図書館で授業をするにあたり、音楽を掛けたりすることは止め、できるだけ英語の音も小さな音で流す事を決め、授業に臨む事にしました。

ここ一、二週間、生徒達に対して、「受験英語」という枠で授業を受けてもらうのではなく、「英語そのもの」にたくさん触れて行く中で、「英語って楽しんだね!」とか「英語で何かをする、って面白いね。もっと知りたい。」という気持ちにどうしてもなってもらいたくて、敢えて授業はできるかぎり英語で行なう様にし、生徒達がきちんと話にfollow upできるように、時折、語彙は日本語でそのまま言ったりしています。

そういう活動を続けて行く中で、受験の問題に触れた時、普段やっている活動から、受験問題を突破して行く時のヒントやアイディアを数多く得てくれるのでは、と睨んでの試みです。

英語が苦手、と書いている生徒達が多かったので、まずは自信を取り戻して欲しかったのです。英語って楽しい、英語を勉強するの、好き!ってまずなってもらい、その後、それを続けて行くと、壁に当たる。楽しいだけではこれ以上前に進まない、と思ってもらう。その上で、じゃあ、単語や文法、真剣に復習しないとね、って自分で気付いてくれる事、その上で、じゃあ勉強しなきゃだ、と必要性を自分自身で気付いてくれる事が、僕の狙いです。

時間は相当掛かりますが、僕はこれを4月、5月掛けてやりたい。カリキュラムの中にある教科書や問題集も当然用いますが、その前の準備運動や基礎学習トレーニングを経ないと、子供達の気持ちが英語に向いて行かないのでは、と僕は考えたんです。

ある男子生徒が昼休みに言ってくれたすごくうれしい事があるのですが、「4月の最初は先生の英語がぜんぜん理解できなくて、この人、なに言ってんだ、って思ってたんですけど、最近は先生の英語に慣れて、だんだん分かる様になって来ました。」とぼそっと伝えて呉れ、ああ、こういう取り組みを始めて良かったな、とうれしく思いました。

生徒達に課題を出す時には、外国人の人が日本で体験した事をブログに綴っているものをGoogleで探して来て、それを加工し、辞書を引かせないでどんどん読ませたり、Wikipediaで日本のアニメやイチローさんのような外国で活躍している人の解説などを読ませ、その人物描写を英語でさせるようなことをしています。

先週の課題は、美味しいラーメンの紹介ブログと、進撃の巨人の解説ページ、などでした。

決して英語が得意とは言えない生徒が、今日の休み時間に、「先生、俺さ、進撃の巨人、読んだ事ないけどさ、この課題やってて、漫画読んでみよう、って思ったんだよね。」と言ってくれて、少なからずこの取り組みが生徒達の心に気付きを与えて呉れているんだ、と思い、頑張って続けようと改めて思いました。

さて、今日の6時間目の授業の話に戻ります。そういう訳で、生徒達は教科書の世界をやりつつ、世界で使われている生の英語に触れる機会がある程度あり、取り組みに参加していますが、如何せん、語彙力がなかったり、文法が朧げだったりして、心もとない。感想を読むと、ほとんど意味が分からなかった、と書いてあるものも少なくなく、また授業中の多読タイムでは、生徒の読むスピードがとても遅い事に気付きました。

これは、とてもじゃないけれど、このままのレベルで活動を続けていると、生徒達は段々自信ややる気を失ってしまうな、と考えました。

そこで、一旦教材のレベルを下げる事にし、何が良いだろうと思って考えた時に、出た答えが、絵本、だったんです。

子供達は幼稚園や保育園、あるいは小学校の低学年の時に、かなりの読み聞かせをしてもらってるはずなんです。そこで、日本でもポピュラーな絵本を英語で読み聞かせ、その内容について友達と話し、絵本の英語を辞書を使って徹底的に調べ、その和訳を、絵本作家になったつもりで、小さな子供が読んで、ワクワクするような日本語で和訳させる取り組みはどうだろう、と思い立ちました。

生徒達の普段の表情を見ていますので、この取り組み、一定の効果が必ずあることを確信していました。

うちの学年では、木村達哉先生のユメタン1、2を採用し、生徒達と単語テストやトレーニングを行なっています。この本、本当に優れた単語帳で、単語選出のコーパスの力が物凄く、登場するどの単語も、決して外す事はできない必須語彙ばかり。

ところが、生徒、覚えることは覚えるんですが、うろ覚えだったり、トレーニングをさせても、ぜんぜん響いてないんです笑。

そこで、彼らに英語を話すとき、ユメタンに出てくる単語をできる限りたくさん使いながら、語彙に触れさせる事にしたのが先ず一点、それから、生の英語教材の中にも単語帳の単語がふんだんに出て来る事を感じて欲しいと思い、多読教材を選んでいます。結構これが、大変な作業だったりするんですけどね笑。

で、今日は「三匹のやぎのがらがらどん」という絵本を選び、その読み聞かせを行ないました。

英語のストーリーを探して来て、プリントをこしらえました。ただし、読み聞かせをするのと、彼らに頭で内容を想像して欲しいのもあり、絵は載せません。著作権の関係もありますしね。何れは英語バージョンを買って来て読み聞かせする予定ですが。

まずは、どんなお話なのかを簡単な英語で解説しました。絵本とはいえ、本の中はfantasy とillusionの世界、子供達が普段触れない様なオノマトペの様な単語や、例えばヤギの角とか、日常生活で使う道具の英語など、知らない語彙がわんさか出てきます。
ですから、できる限りユメタンや教科書に出てくる単語で置き換え、僕がまず英語で簡単に説明します。

次に、僕がやぎの兄弟と怪物トロルになりきり、生徒の前でパフォーマンス、生徒達、6時間目で眠たい子もいるだろうに、一生懸命食い入る様に聞いてくれました。

その後のセッションです。物語全てを話し合うと時間がとても足りないので、トロルと兄ヤギの決闘シーン、兄ヤギはどうやってトロルを倒したのだろうか、という発問を英語でし、日本語でディスカッションしなさい、と英語で指示を出し、話し合いをさせました。その後、いくつかのグループに日本語で発表させ、最後に僕がpunchlineの解説を行ないました。

児童文学の中には、一見すると単なるfantasyのように思えるおとぎ話でも、欧州の歴史上、決して忘れては行けない様な悲惨な出来事も含まれています。

たとえば、グリム童話に出てくるヘンゼルとグレーテル。親が子供を森に捨ててくる話なのですが、これは当時の欧州が不況で失業率も高く、低賃金労働に従事する労働者の家族の中で起こった悲劇を、ファンタジーというフィルターを通して世に残した作品なのだ、と僕は理解しています。同じ様なモティーフを持った作品には、マッチ売りの少女などもありますよね。

そういう話を子供達に英語で話しました。また、日本の卑近な例も出しました。柳田国男さんが編纂した日本の民間伝承の記録があり、その中には不可解な事件について、昔の日本人がそれを妖怪や幽霊に準えて語る話が多く残っている事も告げました。

神隠し、というのは、霊的なものの仕業の様に扱われて伝えられているけれども、その実、貧乏子だくさんの貧しい家庭の口減らしで、貧しいが故に子供を養う事がままならず、他人や家族にばれない様に、子供を殺害し、それがあたかも霊的なものの仕業の様に伝えられ、その悲惨さを人間の仕業として残さぬ様にし、残されたものの心の禍根を闇に消し去る意味があったのではないか、と僕は子供達に語りかけました。

みな、真剣に聞いてくれました。その後、欧州の児童労働が横行し、これは行けないと思ったブルジョワ資本家や政治家が、憲法で「子供に教育を受けさせる義務がある」と唱ったんだよ、とこれまたユメタンに出てくる単語をたくさん使って、話をしました。子供達は眉をひそめ、時折頷きながら、食い入る様に聞いてくれました。

話が暗い方向に行ったので、笑顔に戻し、じゃあ、多読をしてみようね、と良い、書架のpaperbuckコーナーに連れて行き、好きな本を持って来させて読ませました。子供達、静かに食い入る様に英語の本を読んでくれました。

あっという間の50分でしたが、本当に充実したひと時でした。僕にとって、キャリア初の試みでしたが、こんなに充実したひと時が与えられていいのか、と思うほど、心は満たされ、子供達の笑顔を持って授業を終えました。

これから暫く、図書館で授業をするが、どうだ、と子供達に問いますと、先生、やりたい!楽しかった!と笑顔で応えてくれました。歌はやれないけれど、良いか、と聞くと、良いよ、と笑顔で応えてくれました笑。

まだまだ荒削りで、思いつきをどんどん形にして行ってる段階ですが、今日の授業の手応えはすごかった。

今日の授業反省には、今後の課題として以下の事をしたためました。
☆生徒達に,英語のセンテンスのquick responseの練習をさせ、Q&Aに慣れさせ、どんどん英語で言える様なトレーニングを帯活動で行なうこと。

☆英語で言う際のヒントや、アドバイスをさりげなく英語で行ない、生徒達に英語で話す時に必要な事に気付かせること。

☆図書館で多読活動をせっかくやるのだから、授業後の休み時間に、図書館に置いてある日本語の本にもどんどん目を向けてもらうよう、英語で啓蒙しつづけること。

☆図書館で授業を行う事により、日本語の古典、漢文、論説文、新しいものの紹介本、美術書、百科事典などを英語で紹介でき、どんどん生徒が読んで行くような流れも作れる可能性が秘められていること。

☆他の先生方も図書館を利用した授業が行えるよう、研究授業を図書館で行なうこと。

☆黒板がないため、板書ができない。そこで、板書する内容を極力プリントに納め、その他の情報に関しては水性マーカーとスケッチブックを持って行き、その場で書いて生徒に提示すると良いこと。

☆セッションが楽しい遊びに終わらないよう、それに向けた準備や課題に積極的に取組むように促すこと。その際、課題は、生徒がやってみたくなるような題材をきちんと吟味すること。

☆英語で何かを訴えても、生徒にはきちんと伝わる事が分かったので、長文読解をさせる際、あらかじめ分かっているKey Topicについてのセッションを読解の前に持ち、その後、問題を解かせる、という流れの方が、生徒達の食いつきが違う、ということ。

☆答えを教えてあげる時と、気付かせるとき、友達と発見し合う時が授業中にspontaneousに起こることが最も効果的である、ということ。

いや、ほんとに生徒達に毎日元気をもらっています。素晴らしい時間を過ごす事ができました。単発で終わらない様にきちんと継続した活動にし、記録を残して行きたいと思います。

これを読んでくださっている全国の先生方にも、明日から始められる様にひな形のようなものを提示出来れば、と思っています。

ブログで紹介しますので、おお!と思って頂ければ、是非トライされてみてください^^

僕もやる前までは、正直、ビビってました笑。

ではまた^^

2015年4月23日木曜日

教室で紡ぐ詩

生徒と毎回授業で英語の会話を楽しみながら、活動や授業に入っています。新しい学期に入り、新しい学年に入ってから、心機一転、新しい自分で臨もう、と、今までやってきた授業法を全て打ち捨て、毎日指導案を書き、授業の反省日誌をつけて日々を過ごしています。


そうすると、反省日誌のお陰で、自分のボロが色々と見えてくる。ここが拙い、ここができてない、ここはダメだ、ここはもっとこうした方が良いんじゃないか、とか。


ではそれを改善する為に、と考えたとき、こういうプリントを作った方が良いんじゃないか、とか、こういうやり方がいいんじゃないか、と思案して行くうちに、やり方に工夫をこらす様になり、仕事がどんどん増えて行きます笑。


本当、僕、どうしたんだろう笑。人が変わった様に仕事に打ち込んでいます笑。自分じゃないみたい笑。物凄く仕事をしています笑。誰から頼まれたわけでもないのに笑。


バカです、はい笑。


そんな毎日を過ごしています。今は昼休みに高校生にテニスの練習についてもらい、打ち合いをしながら40分くらいテニスの練習、放課後は中学生と一時間半くらいテニスの練習、レッスンのある火曜木曜はこれにプラスして80分ずつ、週に二回の筋トレも欠かさずやっています。


ラテン語の勉強は相変わらず笑。仕事が増えた分、古典漢文は少しサボり気味です笑。土日にしっかりやりましょう笑。


今日はそんな充実しまくった毎日の一こまをご紹介します。早朝授業のとあるクラスでのできごと。


毎回、英語で話を始めて、生徒達と会話を楽しむのですが、急いで教室に駆け込んで来た男子生徒の髪が乱れていました。


十督:What happened with your hair?
男子:Oh, Teacher, bicycle, wind, hair.
十督:Sentence, please.
男子:Oh, wind damaged my hair.
ここで、クラスで笑いが起こる。


そこで、僕はこの男の子が言った文章を板書しました。


Wind damaged my hair.
他の生徒はからかう気持ちからなのか、ニヤニヤしています。
次の瞬間、僕の茶目っ気が出てしまい、その文章に続けて、こんな文を付け足しました。


Wind damaged my hair.
My hair, up in the air.
Oh, God, give back my hair.
My eyes fly through the air.


「○○くんの文章にこんなのを付け足したら、ポエムになったね!これ、せっかくだから、音読してみようよ!」と持ちかけ、生徒達に立ってもらい、朝からこの即興詩をみんなで音読しました。


その場で思いついたわりに、ちゃんと脚韻を踏んでいたので、hair air のところにオレンジのチョークで線を引き、


「これね、韻を踏んでるでしょ?韻を踏んでる英語ってね、読んでて気持ちがいいんだよね。歌とかにもいっぱい出て来るの。流行ってる曲って、日本語でも英語でも韻を踏んでいるものが多いんだよね。もう一回読もうか?ね?○○くんのお陰で、楽しいね^^」とにっこり微笑んで、もう一度クラスでコーラスリーディング。


さっきまでニヤニヤしていた生徒の顔が、いつのまにかニコニコした顔に変わっていました。生徒達は言葉遊びの面白さに感じ入り、言葉って面白い!と感じて、ニヤニヤが、いつしかニコニコの笑顔に変わったんだと思います。


ここまで、わずか八分くらいの出来事でしたが、とても良い心持ちがしました。言葉で遊ぶって楽しいね、言葉ってきれいだね、言葉が表現出来る可能性って無限なんだよね、ってそんな気持ちを生徒達と共有出来て、幸せな気持ちになれました。


教室に入り、生徒達と過ごすひと時を毎日与えられています。僕ら教師にとってみれば、その時間は週に何時間もある中の一こまかも知れないけれど、子供達にとってみれば、その一コマは人生の中の青春の一ページなんだな、と思うと、今日の出来事は僕にとって、仕事であって仕事でない、僕の人生にもとても意味のあるひと時になったな、と心が春で満たされました。


子供達にとって、授業が人生の想い出に残るひと時であって欲しい、と願いながら今日の出来事を振り返り、明日からの授業も生徒と一緒に、素敵な人生の一ページにしたい、と夢と希望で心が溢れました。


子供達と一緒にいるのが、本当に好きです。
この仕事を神様に与えられ、感謝しています。

Semper gaudete. Sine intermissione orate. In omnibus gratias agite: hæc est enim voluntas Dei in Christo Iesu in omnibus vobis.

Rejoice always. Pray without ceasing. Give thanks in everything. For this is the will of God in Christ Jesus for all of you.

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」
新約聖書 テサロニケ人への手紙 第一 5章16~18節>





2015年4月19日日曜日

さとしの為の第二外国語学習法について

古くからの付き合いでとても親しい友人であるさとしくんから、41歳から外国語を勉強する為のコツはないか、と問われ、真面目に考えてみようと思い、ブログに書く事にした。


彼は僕よりも聡明な人で、非常に優秀な人、僕なぞにそんなことを聞かなくても飄々と勉強して、直ぐに四カ国語くらいはマスターしてしまいそうな気がしているけれども、そこは彼もご謙遜なさるだろうし笑。


まぁ、いいや、取り敢えず、なんとなくこうなんじゃねーの?と思う所を雑記的に書いてみようと思う。


さとし、許してね笑。


  1. 取り敢えずは、意味が分からなくていいから慣れ親しむ。
    →歌でも映画でも、それこそ何でもいいんだけれど、まずはその言語に慣れ親しんで、和訳でも英訳でも良いから意味を取り、なるほどね、この単語はこういう意味で、こう言う使われ方をしてるのか、というのを何となくで良いから感じることが大事。
  2. 文法と単語を一先ずはざっとさらう。
    1の作業をある程度やってから、全体をザッと通すつもりで文法書をさらう。同時に単語もそれと併せてどんどん憶えて行く。まぁ、歳だから、気持ち、忘れてもいいや、くらいな感じでやると長続きしてよろしいかと思う。
  3. 毎日接する時間を持つ。
    →実はここが一番大事笑。毎日必ずその言語に10分でも15分でもいいから接する時間を作る。5分は短過ぎ。10分は欲しい。
  4. ノートを作って筆写、解釈、辞書引きをやる。
    webには諸外国語の英訳辞書がわんさかある。イギリス人が作っているコンテンツは外国語学習に関してはかなり良いので、この辞書を使いつつ、教材を何か決めて毎日ノートに一頁ずつでも良いから筆写して、訳を写し書きし、辞書で丁寧に一語一句ペンで書き留めて行く。まぁ、教材は万国共通だし、慣れ親しんでいるから、聖書が一番おすすめ。まさかフィリピン語を勉強しようとしても、フィリピン語のガリア戦記はないからね。
  5. リスニングは毎日積極的にやる方が良い。
    →youtube
    があるので、たとえばラテン語のような死語でない限り、かなり幅広く音声教材や動画教材はあることになる。どれを選べば良いかにもよるが、子供向けのアニメなどが一番よい。ディズニーのDVDを米国で買えば、他言語のキャプチャーやsubtitle、音声が一緒にくっついてくるので、これはオススメ。


この1〜5を基本的に繰り返して行けば良いんだと僕は思っていて、実際に会話をしたりなんたり、というのはこういう作業を半年くらい行なった後でもいいと思う。現実問題、文法も単語もままならないのに、スペイン語話せ、って言ったって、Ola!くらいなことしか出て来ないだろうし笑。それはバカバカしいでしょう笑。


大切なのは継続。これは筋トレを自分がやっているから思う事だけれど、つくづく、語学と筋トレと音楽の演奏は似ていると思う。継続をしないと絶対にできるようにはならないし、力はつかない。いや、ほんとに。うそじゃないんだから笑。


継続することだけを念頭に置くだけで、語学学習の半分は終わった事になるんじゃないか知らん、と僕は思う。継続しさえすれば、時間は掛かるが必ずできる様になる。


その際、上の4番の作業を必ず2、3日に一回でも良いから入れる方が良い。本当は毎日が良いんだろうけど、ビジネスマンは忙しいし、家でもお父さんだろうから、自分の勉強時間を確保するのが難しいと思うので。


大事なのは心の負担を作らない事とムリをしない事。したくない、と思ったら思い切って休む事も勇気。そうして罪悪感を生んでおいて、できる時にしっかりとやった方が、脳にとってとても効果的だと思う。


ラテン語を勉強している時はこんな風に考えながらやっています。大学生の頃はラテン語は週に一度しか授業がないし、難しかった事もあって、実にならなかった。当時は遊びも自分の好きな本を読んだり、好きな音楽や映画に忙しかったり、バイクに乗っていたり、バンドで録音をしていたりと好き放題で、学校の授業もこの他に、比較文化概論やら、コミュニケーション論やら、ビジネス英語購読やらあって、さらに部活も、と。さらに友達とも楽しくしていたので、とてもじゃないけれど、なかなかラテン語だけに集中できない自分が居ました。


今は、勉強と言っても趣味でやっていて、ラテン語の他にやっているのは大好きな古典と漢文なので、忙しいとか、時間がないとか言うこともなく、夜は基本的に暇だし、自分はテレビを付けない人なので、ラテン語だけに意識を集中することができている。だから、何となく分かる、という感覚が近づいたのも早かったのかも知れない。


あー、格変化は今でも手強いですよー笑。動詞、名詞、形容詞、全部に格変化があるんだから笑。これは頭が痛い笑。


さてと、さとしくんの心の準備くらいのお役には立てたのだろうか。なんにせよ、友達も勉強をしようかな、と思っているのがとてもうれしいし、共に学び合える喜びを神様から戴いたのはうれしい限りです。
さとし、勉強やり始めて行き詰まったら、またメッセ下さい笑。



ではまた^^

2015年4月16日木曜日

英語授業論:受験指導の悪法を憂う

生徒達と英語の授業の中で、英語を話したり書いたりする活動を毎回入れています。英語をとにかく「話して」、「書く」のです。内容は毎回僕が指示を出します。


大学入試には英作文が出題されるところが多いので、英作文の対策を生徒に行なわなければならないし、リスニングはセンター試験のみならず、二次試験にも課せられる大学も増えて来ているので、リスニング対策もしないといけない。


毎回このテーマの授業をする時に、なんとも言えぬ虚しさを憶えるんです。それは、教えても教えても生徒は書ける様にならないし、英語が聞ける様にならないからです。


何故なんだろう、と自答し続けて、出た答えは、生徒に力がないからでも、僕に教える力量が足りないからでもない、というものでした。


普段から書くこと、聞く事をしていない人が、試験の為だけに書いたり聞いたりするトレーニングをしても、それはスキルや自分のコマンドとして手元に残って行きにくいのではないか、と僕は考えました。


英作文を書く際のテクニックは、僕も生徒に教えますし、プリントを拵えて、生徒達に持たせます。でも、それでも心の負荷がいくぶん下がるというだけで、根本の作文力の力や、リスニング力の力にはつながっていってないのではないか、と僕は虚しさを拭いきれないでいたのです。


毎日の授業の中で、書く活動、聞く活動が日常的に行なわれていれば、生徒はそれに慣れ、その上で研鑽のドリルを行なう事で、力を補強して行く、という流れになって行かないと、力はつかないのではないか、僕はそう考えました。


メタ認知の高い高校生を教えていれば、もののテクニックの様なものは立ち所に自分のものにしますが、運用していく力を鍛えて行くには、どうしても書く作業と聞く作業が、日常的に繰り返される必要があります。


聞く力を伸ばすには、英語を聞くしかない。書く力を伸ばすには、英語を書くしかない。遠回りに聞こえるかも知れないけれど、これは本当にそうなのです。


僕が今授業で行なっているアプローチは、美術に喩えると、模写やデッサンのような作業です。ある英文を読み、そこに出てくる人物描写を毎回行ないます。英文があっているかどうかのチェックも生徒同士にさせる。


生徒同士で英文をチェックさせる目的は、生徒の文法スキルを運用レベルにまで高める狙いがあるからです。生徒同士にお互いのミスをチェックさせ、人の間違いを添削する行為を通して、自分が文法を使いこなすときの審美眼を培います。則ち、ミスに対して敏感になる目を養う狙いがあるのです。


ある人物の描写を、全て主語を統一して、Heで始まる文章を7つ作りなさい、と指示を出し、英文を辞書を引かずに読みながら、そこに登場する人物の描写をします。


次のステップでは、その文章を関係代名詞や接続詞を使ってつなぐ活動を入れます。ここに来るまでに生徒は、一文単位の英文を相当数書く事になりますから、その英文同士をつなげる練習を実際に自分が作った英文で行なうのです。これは今思いついたアイディアなのですが、この英文同士をつなぐ作業、友達が書いて来た英文で行なうのも手かもしれません。


さて、文をつなぐ練習をある程度行なったら、今度はこの人物についての描写を段落単位で行なってみよう。その際、経歴を書かせる時には時系列を意識させ、時制に対する意識を上げさせます。


この2つの活動の合間にも、友達同士の英文チェックの作業を挟みます。ここまでできるようになったら、実際にその人物に関するエッセイを二パラグラフ12文〜16文くらいで行なわせます。


この様な活動をたっぷりとやり込み、実際にあらゆる場面を想定しながら英語を書いて行く作業、書いたものを元に、それを友達と英語でトークする作業を繰り返し、繰り返し行ない、英語の運用能力を上げて行くのが僕の授業の狙いです。


通常、英作文を教える、という話になると、和文英訳を思い浮かべたり、自由英作文を思い浮かべたりすると思います。僕もつい最近までそういう発想で生徒に指導していました。


しかし、現場で感じた事は、このままこのアプローチを取っていても、生徒はいつまで経っても、英語を英語のままで発信できるようにはならないのではないか、という不安でした。


入試問題の対策としては、このアプローチは間違いはないと思われます。でも、このアプローチはあくまでも入試問題に対するアプローチであって、この方法で延々勉強を続けていても、将来的に英語を使って発信できるようにはならないのではないか、と僕は感じたのです。


英語を使って色々な表現をする場合、あらゆる場面を想定しながら英語を作る必要があると思います。入試英作文の和文英訳は、ごくわずかに切り取られた一場面を英語で表現するとどうなるか、という技量を問う問題です。


そうすると、日本語を解析する技術を上げる必要がありますし、日本語の解析力が上がった所で、その平易な日本語に言い換えた表現を英語で何というかを知らなければ、その問題に答えられない事になります。


僕は入試に出される様なややこしい日本語を、平易な日本語に置き換えるスキルは確かに必要だと思います。でも、これは入試の為の勉強に終始せざるを得ず、残念ながら、将来的な視野で俯瞰して、グローバル教育への橋渡しにはならないのではないか、と結論付けてみて、今の授業メソッドに辿り着いたんです。


色々な方法はあっていいと思いますし、生徒達への愛情があれば、どんな授業形態でも上手くいくと思うんです。でも、今ここで展開している話は、そういう事ではなく、命題として「英語を英語のまま理解し、英語で実際に発信する力を生徒に付ける為に、教師が取りうる授業形態を模索するとどうなるか」ということであって、そこはきっちりとわけて考えないといけない、と僕は思っているんです。


入試で高得点が取れる授業は大事な授業だと思っています。でも、それだと、生徒の将来を保証する事として、あまりにも心もとない気がするのです。入試が終われば忘れ去られてしまう様なスキルを、躍起になって生徒に教え込むより、入試が終わった後でも、将来的にずっと使える技術を身につけさせる事の方が、僕は大事なのではないか、と思っています。


その意味で、自分の授業を考えた時、生徒達にもっともっと英語を使わせる活動を行わせ、その延長線上に、入試問題すらも軽く超えて行ける様なスキルを構築できないか、と仮説を立てて、日々実践を重ねているのです。


元来、英語を書く、英語を聞く、英語を読む、英語で話す、という4つの技能は、個別に指導されるものとして考えられて来た。でも、その方法で生徒に力がつかない。ではアプローチを変えて、これら全ての技能を盛り込み、授業で全ての技能をフルに活用しながら生徒達を鍛えて行く方法論は取れないか、と思い、今の授業形態を続けています。


そうは言っても、僕だって当然、生徒に入試向けのスキルやテクニックを教える事もあります。また、英語のロジックや、長文の基本フォーム、旗印表現(discourse marker)などを教える時には、ガイダンスとして日本語で解説する授業をしています。


その中で、必ず毎時、僕が生徒達に英語で語りかけ、生徒は英語を聞き、僕や友達と英語で話し、話した内容を英語で書く、という作業をし、さらに参考資料を辞書を引かずに英語で読み、意味のわからない単語や表現、文章の内容などを友達と話しながら、理解へと結びつけていく、という活動を入れる様にしているんです。


僕が今取っているアプローチは、膨大な時間が掛かります。やっている活動の成果の出方は、まるで農作物を育てる作業と似ています。すなわち即効性が期待出来る様なメソッドではありません。


過去の自分の授業の反省を鑑み、一度今までの授業方法を全て打ち捨て、生徒に揺るぎない英語力を付けさせる為の授業とは何かを問い続けた結果、この方法が、一見時間は掛かりそうだけれども、将来的に盤石なスキルと力を保証しうるのではないか、と僕は考えたのです。




そういう意味で、たとえばありがちな入試演習授業みたいなことは今年は忌避したい。問題を配り、生徒に解かせて解説をし、彼らが退屈しない様に教師が取って附けた様な面白おかしい話をして、なんとなく授業が盛り上がっている様な、そういう茶番はやりたくないな、と僕は思ったんです。


生徒達に入試問題に触れさせる時、そこで語られているトピックについて、生徒が「知りたい!読みたい!」と思う様な知的好奇心をくすぐられる様なアプローチもあっていいんだと僕は思っています。その意味で、今の僕の授業形態はもしかすると、新たな可能性を十分にも十二分にも含んでいるかも知れない、と僕は信じて疑わないのです。


どんなに良い単語帳があっても、単語そのものを運用出来なければ意味がありません。その意味で、単語帳を用いるのは、語彙を体系的に意識する為には有効であっても、ある単語帳だけにすがれば、すべての語彙力は万全だと考えるのは、短見だと僕は思います。そんなわけない。言葉は生きているのであって、有機的な作業を持ってしてしか、認識語彙は運用語彙へとは昇華し得ない。自分のボキャビル学習を振り返ってみても、単語帳だけで上手くいったということはなくて、たとえば時事英語の単語帳があるのですが、それで一応体系的に語彙を攫っておいて、その後は、実際に北米ニュースや政治討論番組、トークショーなどをみながら、実際にその語彙が使われている場面に数多く接する作業がなければ、残念ながら単語は自分の運用語彙にはなり得ず、意味を知っている、というレベルの枠からは抜け出す事はできません。それを実感を伴って分かっているので、生徒を指導する時に、無味乾燥な学習指導はもう捨てても良いのではないか、と僕は自分に言い聞かせたのです。


僕はそんなに大した英語力はありませんし、留学もしてないし、ハイパーな学歴を持っている訳でもありません。でも、一つだけ言えるのは12年間、自分の身体を使って徹底的に英語のトレーニングをしてきて、曲がりなりにも、どういう風な過程を経れば英語力が身に付いて行くか、ということは、ある程度は分かっているつもりです。その意味に於いて、どうして自分がやっているトレーニングと、自分がやっている授業は、こうもずれが大きいのか、と12年間自問自答してきました。その結果、ここに述べた様な結論に達した、というわけです。


長くなって申し訳ないですが、英作文の秘訣とか、リスニングのテクニックとかの話を聞くよりも、先ずは英語を実際に使う事、たくさんの英語に触れる事を授業で数多くしかけて生徒を揺さぶりたい、今はそう思っています。その意味で、権威的なものや、悪しき受験テクニックみたいなものは、陳腐で吹けば飛ぶようなものだと僕は思っています。そんなものに加担したくもないですし、生徒達には本物の力をつけさせたい。そう思って、毎日授業改善を行っている最中です。


ではまた^^


















2015年4月15日水曜日

指導案と授業反省日誌より抜粋

毎日授業の指導案と反省日誌をつけることにしました。これは新任の頃の気持ちを思いだして、もう一度一から丁寧に授業をしてみよう、という気持ちがあったのと、去年まで18年間作って来た授業や方針を全て打っちゃって、全て新たに作ることを決めたからです。

過去の自分は死んでいるな、と考えると、今何がしたいか、ということ、今やったほうが良いと思うことを先行させ、それをきちんと丁寧に設計して実行することが大事なことだと思い立ちました。

授業で活動をやっていると、ここをこうしたらもっとこうなる、というアイディアが次々と浮かんできます。それをこれまでとは違い、一つ一つ丁寧に書き留め、記録に残しながら新たなアイディアを継ぎ足すという、いわば「うなぎ屋さんの秘伝のタレ継ぎ足し法」のようなことをやってみようと思ったのです。

僕のモットーは「好きなことを、好きなときに、好きなだけ、する」なので、好きなことをしています。かなりわがままに(笑)。

この授業の指導案も、反省日誌も、自分がやりたいからやっていることで、これを何かの役に立てようとか、そういうことは思ってなくて、面白そうだから、記録つけてみっか、って思ってやってるだけ(笑)。

思いやりもへったくれもない(笑)。なーんも考えてません(笑)。自分がオモロイからやる、つまんないからしない、ってことだけを決めて、思いつくことをどんどんやる(笑)。

子どもです、ホントに(笑)。全然大人げないです(笑)。

授業の反省日誌をつけてて思いついたアイディア、実際に授業でやったことの備忘録を書いたので、それを採録します。思いつくままに書いてるので、体系的ではないけれど、お暇でしたら。

★高木君の例に倣って、日本語で解説をすることを悪しきことをせず、まずはきちんと生徒達にガイダンスを行いながら、1コマ全てを英語で終える活動をにらみ、解説は日本語+活動は英語で、の流れを混ぜることが大事だと感じた。その際、以下の流れを汲むと授業が活況になる。

■生徒に会話活動をさせる時の仕掛け
教師とある生徒との会話:他の生徒、聞く
 ↓
②ペアで同じ会話をやってみる
 ↓言いたいことが言えなくてもどかしい…。
③言いたかったことを調べてみる。(友だちと話しながら、英語でなんて言うか調べる)
 ↓
④教師に質問できる時間を取る(これは英語でなんていいますか?)
 ↓教師、答は教えず、調べ方を教えて生徒に調べさせる
⑤再び生徒、自分で調べる時間
 ↓
⑥ペアを変えて再び会話
 ↓
⑦会話した感想を英語で書かせてみても良いし、言いたかったことを英語で書かせても良い。
 →課題に落とし込み,次回の授業でcorrection timeを設けて、友だちのものをtouch upする。

correction timeの留意点」をhand outに作り、生徒に配って解説する。作業を行うときはそのシートを見ながら作業を行うことを確認する。

■目的:1友だちのペーパーをtouch upすることで自分の文法力を上げる。
    2人に自分の書いたものを見てもらう、という意識づけをし、writing時の意識を上げる。
    3単純に「英語を読む」という言語活動を行うことができる。

■文法チェックをするときの注意点
 ①まずその文そのものの意味が分かるかどうか。
→意味が分からない文には「?」をつけ、何故意味が分からないのかを書いて上げる。


 ②動詞の活用について。
  →三単現s/esは抜けていないか。
  →助動詞の後は原形になっているか。
 →助動詞の後、動詞はきちんとあるか。
 →過去のことを言っている文に、きちんと-edがついているか。
 →完了形にミスはないか。
 →仮定法の時制は正しいか。
 →関係詞の文が適切に使えているか。

■文の感想と改善点をコメントで書いてあげる活動

①まずは日本語でコメントを書く癖をつけさせる。
 →(褒める+どうすればもっと良くなるか)を1パッケージにして書く。
 
②数回それを繰り返しながら、生徒がある程度output活動を英語で行えだしたら、英語でコメントを
書かせるようにする。この際の指導には段階が必要。

③この作業を繰り返し、2,3ヶ月で力がついてきたら、教師が添削する日を週1か隔週で設ける。ある程度書けるようになってからで良い。

■未知語の指導法:意味の分からない単語を文中に発見した時の指導方
→未知語を英語で導入し、ペアで話し合いをさせ、最後に意味を教える。

①長文を読みながら、生徒にとって未知語である語の意味を前後の文章から類推させて、ペアで検討させる。

②その後、教師はペアに答えをどんどん言わせる。
 →授業に飽きが来ないように、黒板に書かせる時があっても良い。(word-mapping方式を取って)

■完成度よりも、させてみせる、が大事。
①生徒達に実際に会話させる、書かせる、をさせないと、ガイドを聞くばかりでは力にならない。
→「作文」のみに焦点を絞った指導には限界がある。生徒達はやり方を聞いた後、実践を積まなければ力がつかないが、実践を積ませる方法はできるだけ身体感覚と近いことをさせる方が、スキルは血肉化しやすいのではないか。

→一つ一つの技能をバラバラに切り離して指導すると、英語には別々の作業が存在しているような認識を与えてしまうので、日本語で解説する場面と、英語で活動を行う場面が両方存在する授業構築をし、少しずつ生徒の「英語を使う」ことのハードルを下げながら、最終的には全て英語で活動を行えるように持って行くことが大事。

教師と生徒との会話:「聞く」+「話す」=「英語を理解する」力+「英語を作る」力
生徒同士の会話:「聞く」+「話す」=「受発信の力」+「英語を作る」力
英文を読む:「読む」+「考える」+「知る」=受信の力
シェアする:「聞く」+「話す」=受発信の力


②実際にしてみたことの実感を伴って教師の解説を聞くと、解説がスキルに変わる。




もっとも大いなるもの

単語の綴りを一生懸命練習するけれど、何度も、何度も間違える子がいる。 でも、授業中、何度もうなづきながら説明を聞き、話に耳を傾け、大きな声で歌を歌う。フォニックスの発音を、口を縦横いっぱいに開けて発音する。 oshienと単語テストに書いてきた。oc...