2015年3月14日土曜日

話が分かり難くてすみません。

話が分かり難くて、すみません。


昨日ブログに発信者の用いる言葉や話について批判的に書いたら、幼なじみに、解ろうとしても解らない人もいるんだ、とご指摘を賜りましたので、言い訳します。


分からない人には何度でも教えますし、何度も説得をする、というのが情理を尽くす、の本意で有あって、分かる人だけが分かれば良い、というのは、理解ができる、という能力のことを言っているのではないんです。全然違う。


分かる人というのは、分かろうとする人のことを指す。分からない人というのは分かろうとしない人のことを云っているのです。


受け手の話と発信側の話が交錯しているので解りづらいと思うのですけれど、そういうことなのだと僕は思っています。


能力の適否によって受け手を選別するのであれば、その言葉はかなり狭い範囲に限定されて発せられることになります。これはたとえば、同じ技術なり、学問なりをやっていたりとか、趣味の話をしている時がそれですね。


思想信条や政治の話、哲学の話をしている時もこれと同じなのかな、と思いますが、上の例とこの場合が違うのは、技術や学問はお互いに専門的な技術なり、用語なりを共有しないと話が前に進まないのに対して、後者は相手の心や考えに訴えかける文章なので、受け手側に読もうとする気持ちがないと、読まれないし、心に入らないんですよね。


受け手側が分かりたいと思っている時というのは、何度も聞き返したり、調べたり、という苦労を惜しまないと思うんです。分かりたい、という気持ちはどこから来るのか。それはその言葉に呼ばれた時であり、その言葉を発した人とアンテナの感度が一致した時なんだと思います。


たとえば、愛着であったり、親しみの感情を寄せている人から発せられる言葉は、自分に取って一番身近ですし、そういう人から発せられる言葉には、相手から「おい、俺の話を聞けよ、な。」って言われなくても、耳や身体が感知して、きちんとキャッチしようと心が起動するんです。本当に。


たとえば家族や身近な先生、これは趣味のサークルで教えてくれる人でも良いんですけど、あるいは友達とか親友とか、親しい知り合いとかが何かを言ったりする時って、別段努力をしなくても聴くじゃないですか。分かること=分かろうとすること、ってそれに近い感覚なのだと僕は思っているんです。


わざわざパソコンなり、スマホなりでブログを読もうと思ってくださる方は、恐らく、今までの話の筋で言うと、僕と親しい人か、僕の教え子か、家族か、友人か、だと思うんですね。


その方々に発するメッセージとして、僕はこの人たちに最大限の敬意を払いたいし、払わなくてはダメだ、と思っているんです。だって、そうじゃなければ、書く意味がないから。


その人たちに分かる様な形でだけ発信をしていると、その人たちに対して使う言い回しや、話の中身がいつも決まって来たりする。そうすると、そもそも同じ様なことを言うんだったら、会ったときにコタツでみかんでも食べながらやりなよ、って話になるんですよね。


ブログに自分の考えなり、思いなりをわざわざ書くんですから、コタツで話せる様なことはコタツで話すとして、読んでくださった方が辞書を引いたり、ググったりしながらでも、読むような内容のことを僕は書きたいんです。


労を惜しまない、ということは、こちらに対して愛情が向けられている、ということですから。逆に、めんどうだからいいや、という気持ちだったらわざわざそんなことしませんし。


愛情を向けて書く、というのは、逆を返せば、相手からの愛情も受けたい、だけども、そこに用いる言葉は特別なものにしたい、薄っぺらな言葉遣いや、ありきたりのことを言うのでは、もどかしい気持ちがある、っていう感情から自然にわき起こることなんじゃないかな、と僕は思っています。


ですから、分からないからもうちょっと詳しく教えて欲しい、と問われれば、時間を惜しまない。相手がきちんと理解してくれるまで、何度でも話しますし、そのときに納得がいかなければ、それこそ長い時間を掛けて伝え続けて行く。そういう行為を通してしか、思いや考えは人の心には届かないのだ、と僕は考えているんです。


だから、難しい話をわざとしている、というのは相手の心や知性に対する僕なりの敬意ですし、配慮でもあるわけなんです。そんなの、なんの配慮だよ、って話だと思うんですけど、僕は自分の話を聞いてくれる人をバカ扱いするようなマネをしたくありませんし、そんな生き方はごめんだと思っています。


僕は関わる人にできるだけ愛情や愛着を持って人生を終わりたい。自分に対して愛着を抱いてくれる人を愛して死にたい。そう思っているんです。自分の揚げ足を取ったり、自分とは合わなかったり、嫌いだと思っている方に対して、時間を割くのは、残りの人生時間をソロバンで弾いても、割に合わないな、と思っているんです。


長くなって申し訳ないんですけど、僕が昨日ブログで書いたこととか、今まで書いて来たこととか、これから書こうとすることは、こういう気持ちに基礎付けられているんです。


りえちゃん、ごめんね^^;


では、また^^





2015年3月13日金曜日

「おまえさ、もっと分かり難い話をしてくれよ。」

「もっと分かり難く話をしてくれ」と、ふと思うことがある。

砂糖を塗したような読み易い文章が跋扈して久しい。分かり易いもの、読み易いものを読者が求めているとでも思っているのだろうか。

傲慢である。

分かり易い話が良く出てくるのは、発信側が受け手側に配慮した、と言えば聞こえが良いが、どうもそうではないのではないか、と10年来違和感を拭えないでいる。

私の知性の在処は、尊重され得ないのか、と。

私の言っていることが分からないと、私の本意が伝わらないでしょうから、あなたに分かり易いように噛み砕きますね、という含意を含んでいるのが読みやすい文章の体ではなかろうか。それは裏を返せば、お前には私の話は分からないだろうから、私が敢えて労を執って、お前に分かり易く話をしてやっているのだ、と云うことになりはしまいか。

これほど受け手側にとっての愚弄はないのではなかろうか。読む傍から、発信側に、お前はバカなんだからさ、と烙印を押されているようなものではないか。面白くない。

「短く、分かり易く、納得のいくように」というのは商売をするときに買い手に対して売り手が使う言葉遣いなのであって、決して読者の知性に刺激を与える話形ではない、と僕は思っている。
(この場合、専門家や研究者が素人の我々に対して話をする際の言語の話をしているのではないことを断っておく。)

僕は商売人ではないので、そんな文章の書き方をしたくないな、といつも思っているし、これからもそのようにしていくと思う。

僕は子ども達や仲間に向けて文章を書きたい。思っていることや考えていることをシェアし、知恵や知見を共有し合い、何かを高めたり、膨らませたりしながら、共に生きる共同体をより居心地良くしたい。僕らの住む社会が炬燵のような場所になればいいな、と思っているだけなのである。

分かり易く、短く、と話をする時には、大事だな、と思うことをかなり端折ったりしなければ行けないことも屡々で、もどかしい。俺が言いたいことはそういうことじゃ一寸足りないんだけどなぁ、まぁ紙面もあるから仕方がないんだけど、と思いながら頼まれ原稿などは書くが、SNSで自由に発信するのに、態々話を分かり易く短くする必要など、毛頭ないと僕は考えている。馬鹿馬鹿しい。そんなことしても、なんの意味もない。

長くて難しい話を人はなかなか読まないよ、と助言を賜ることも過去に有ったが、それが嫌ならば読まなければ宜しいのであって、こんな長い話に付き合ってられないという人に向けて文章を書いたりしたくない、と僕は考えている。

短く、分かり易く話をまとめようとすると、まとめる人の力量や伝えたい情報の質に依って、情理を尽くす努力を発信側が怠ることになりはしまいか、と僕は危惧しているのである。それはいけない。

自分の伝えたいこと、お前に言いたいことがあるんだ、と思うことは、相手が納得してくれるまで、情理の限りを尽くして、受け手に愛情と敬意を最大限払って発せられるべきであって、決して端折ったり、短くして出したりすべきではない、と僕は思っているのだ。それでは愛情不足である。愛の出し惜しみはいけない。愛は無条件かつ無報酬で相手に差し出されなければ、愛ではないからである。

愛スルは動詞である。名詞ではない。言葉ではなく行為行動を指す。端折る行為は、思いを目減りさせ、情念の速度や畜力を削ぐ。目の前に差し出された言葉は初めの勢いを失い、受け手側の脳を揺さぶる火の玉には成り得ないのだ。

この人は一体全体、私に何を問いかけようとしているのであろうか、と受け手側が思うとき、受け手の知性の感度は最高値に達し、臨界まで極限する。

僕は今目の前にいる人に眠る知性に語りかけたい。そう思っている。だから、授業でも、教室でも、普段共にいる人と話をする時、分かり難く、長く、納得がいくまで情理を尽くして語りたい、そんな風に考えているのです。

分かり易い話がいい人は分かり易い話を聴いたら良いと思う。もし心がカチッとクリックされて、長い話が読みたい、と思えばその時にまたお出かけ戴ければ、これ身に余る光栄なのです。

伝わる人にだけ伝わればいい。曲解を招くような、ともすれば広義に曖昧に受け取られてしまうような分かり易い話をするくらいなら、あなたにだけ語りかけるからね、確り聴いてね、と相手の眼を見据えながら話がしたい。僕はそう思う。

それが受け手側に対しての最大の敬意だと僕は考えている。

受け手に対して敬意を払わない文章は愛がない。愛のない文章は力と説得力を持たない。
僕は愛のある文章を紡ぎたい。

受け手の知性に最大限働きかけるように、文章を編みたい。そう思っている。

分かり難い話で申し訳ないが、分かり難いブログにするつもりなので、これからもこの調子は終ぞ変わることはないと思う次第であります。


ではまた^^

2015年3月12日木曜日

「贈り物」を受け取り、次の人へ「贈る」ということ。

昨晩、財布を紛失した。中身は大して入っていなかったが、身分証、免許証、カードの類いの再発行や機能停止が面倒だな、と思っていた程度で、大して気にも留めていた訳では無かった。


普段、取り立てるまでもなく、自分は金に無頓着なのだけれど、友達や知り合いの方が、自分以上に慌てて心配して呉れる様子を見ていると、少しは貴重品に附いて、考えを改めなければ行けないね、と思った。


財布が戻って来たことは良いことだが、この経験を通して感じたことは、日本という国に住む人々の心根の清さと、これを無くすと困るかもしれない某の為に、態々一苦労を担いで交番まで届けて下さった方が居られた事実だ。


この国に生まれて本当に良かった、と今日思った。


普段の行いがいいから、とか、運が良かったね、とか、色々と結果論的に縦横に思いを巡らせることも自由だが、物がなくなると困る人が居る、と案じる人が同じ国に住んでいることの感慨へ想いを馳せることの方が、今日という一日に味気を加うるに十分ではないか。


人の物を盗ってはいけない、と子どもの頃に教わるのは、洋の東西を問わず、当たり前のことかもしれない。英語では、”Finders, keepers, losers, weepers.”という盗ったもん勝ちみたいな言葉もある。だが、これは「無くした物にくよくよしたって、始まらないじゃないのさ。」という諌言であって、盗人猛々しさに感けた言葉ではない。


お財布を拾ってくださった方は恐らく、ご自身がお財布をなくされて困ったご経験をなさったか、周囲に斯様な方が居られたか、或は、「困った思いをされた方を助けなければいけない」という正義感が身体化され得るような教育乃至は躾を施されて育ったか、の何れかであろう。


その何れかの思いに至り、財布を手付けずに届けてくださったのだ。この方は他者へ良き思いをpassされたのである。贈り物をしたのである。則ち「無くなった物が見つかると、あなたはきっと助かるでしょ?」という思いを届けてくださったことに他ならない。この方の行ないは、物理的物質移動に寄与したことではない。物質移動の所為を行なう前に、誰かに「贈り物」を届けなければ、という贈与の念がまず発起し、その後、間髪入れずに財布を届け出る行動に奔ったのだ。というか、僕はそう勝手に解釈した。


僕は今、市井の顔の分からぬ何方かから、「贈り物」を受けた。今度はそれを、また別の誰かにpassしなければいけない。贈り物を貰いっぱなしにするのはいけない。贈り物は返すことによって初めて、次の贈り物が届く準備が整う。


これは物理的なモノだけの話ではなく、何方かから受けた厚意なり、厚遇に対して、直接的に反応して行くこともさることながら、間接的に自己の環境に於いて、様々な方へ善意の贈り物を返し続けることを意味している。


自分の私利私欲を深めようとして、最後には自滅したり、村八分となる御伽草子には枚挙に遑がないが、あれらの昔話は、私たち「子ども」に対して、欲張りはいけないよ、ということを教えることが本意として編まれた訳ではないのではないか。そんな狭義な意味の噺なら、態々多くの口頭伝承に依って現代まで語り継がれる歴史的価値は、人の口伝てになるに連れ、色あせて溶けてしまう。


誰かから受けた良い行いやモノは、みんなでシェアしましょう、というuniversalな広義を、先祖先達が、何としても後世に語り継がねばならぬ、という人類的命題を無意識に掬い取ったからこそ、その感度が高かったからこそ、今でも語り継がれ続けているのではないか。


財布を紛失した経験を通して、そんな風なことに思いが至った。


とても良い気分だ。晩の葡萄酒の味はまた、格別であろう。



ではまた^^

2015年3月11日水曜日

再び「草枕」

「草枕」の読みかけを読み進めるが、なかなか先へと進ませてくれない。紅葉漱石は意地が悪い。刺激的な語彙や言い回しが目を捕らえて放さない。日本語をこんなに深く味わいながら読むのは何年ぶりだろうか。大学に通っていた頃、赤鉛筆で至る所に線を引きながら、三島由紀夫の小説を読み耽っていた頃を思い出す。

草枕。矢も盾も堪らなくなり、ノートを購入して、気になる語彙を書き綴ることにしてみる。現在の口語乃至は常用漢字、常用口語表現が失って久しい美しい日本語、仮名遣いが如何なく随所に鏤められ捲っている。

確と、という表現は「しかと」と読む。確実で間違いのないことを表す言葉だが、我々が現在使っている「しっかりしなさい」とも同語源を持つ。「確と見届ける」などの表現は今でも用いるが、口語で日常的にこの語をverbal commandとして頻用する例には中々お目に掛かれない。

一例には枚挙に遑がない。唸るばかり。ノートにどんどん書き綴って、一々嘆息する。紅葉漱石の恐るべき秀才振りに圧倒される。打ちのめされる、という語彙はこういう心持ちを表現するに相応しい。

芸術家が日常の一場面を切り取って、それを美の極みにまで高める様はどのような事なのか、漱石は以下のような表現で表す。

「この故に天然であれ、人事にあれ、衆俗の辟易し近づき難しとなす所に於て、芸術家は無数の琳琅(りんろう)を見、無情の宝璐(ほうろ)を知る。俗にこれを名けて美化という。その実は美化でも何でもない。燦爛(さんらん)たる光は炳乎(へいこ)として昔から現象世界に実在している。只(いち)(えい)眼に在って(くう)()乱墜(らんつい)するが故に、俗界の覊絏(きせつ)(ろう)として絶ち難きが故に、栄辱(えいじょく)(とく)(そう)のわれに(せま)ること、念々切なるが故に、ターナーが汽車を写すまでは汽車の美を解せず、応挙が幽霊を描くまでは幽霊の美を知らずに打ち過ぎるのである。」

日常の凡庸なる一原風景を、芸術家が見る世界。見た物を捕らえてtraceし、表現する。その美しさにため息を漏らす私たちは、芸術家のフィルターを通して初めて、私たちの周囲に無造作に置かれたobjectsの美の真髄に近づくことができる。芸術家の面目如実さ足や、ここに有り。

化学の先生と先日話していて伺ったが、今現在高校生が学んでいる物理や化学などの理科科目は自然科学の学問の世界では古典なのだそうである。今現在のテクノロジーに対してこれらの学識や知見が必ずしも即効性を持ち得るものではない、と先生は仰っていたが、間髪を入れずに、でも、古典の知識がないと、今現在のテクノロジーも全く理解ができないようにできてるんだよね、だからさ、古典ができないと、どこの世界でもやはり駄目だ、って事なんだよね、と二の句を続けられた。

温故知新。全くその通りである。再び漱石に戻り、暫し日本語の美の世界に包まれていたい。

第6章の美しい散文詩のような一節で今日は終わりたい。
「空しき家を空しく抜ける春風の、抜けて行くは迎える人への義理でもない。拒むものへの面当でもない。自から来りて、自から去る、公平なる宇宙への意(こころ)である。掌(たなごころ)に顎を支えたる余の心も、わが住む部屋の如く空しければ、春風は招かぬに、遠慮もなく生き抜けるであろう。」

では、また^^

2015年3月10日火曜日

「箸休め」な極上の一品

「読んでいる本がすごい!」と親友が興奮してメールを送ってくる。
あ、これ、家にもある、と思い、今読んでいるものを中断して、箸休め的に手に取ってみる。

「評価と贈与の経済学」(内田樹・岡田斗司夫 著)


内田先生の本には、どの本にも同じ事が書かれている。先生ご自身も何度もそう仰っているから、読まれたことのない方は手に取ってみられると良いと思う。

繰り返し述べて居られるのは「教育とは何か」「学ぶとはなにか」「はたらくとははたらくとは何か」「贈るとはなにか」「与えるとは何か」「日本はどこへ向かおうとしているのか」「これから私たちが生きる指針はどのような方向へか」という様々な命題に対する先生の示唆だ。

件の本は、岡田斗司夫さんとの対談で、自信のなさを体現して生きる現代日本人を鰯の群れに喩えたり、努力と報酬に対する人々の姿勢、生身の身体の身体感度復興への啓蒙、評価経済と贈与経済に関する観点、日本の潜在能力、恋愛と結婚について、刺激的な二人が縦横無尽に会話を楽しむ内容。

僕は教鞭を執らせていただいていて現場で感じることが沢山ある。若者を相手に生業を営んでいるが、生徒達のことを「分かった」と思うことが全然ない。かといって、彼らに対する相関的な相互理解欲求みたいなものがあるわけでもなく、淡々としているので、生徒達のことは分からなくていい、理解できるわけがない、お互いに違って良いんだ、という姿勢を敬虔に一貫して死守しているけれども、一方で彼らがいったいどのような在りようで生きているのか、情報があるのであれば、知っていた方が、知らないよりも、相手に対して理解が深まり、余裕が違う。

例えば内田先生の「下流志向」という本がある。これなぞは、今の子ども達が何故学ぼうとしないのか、何故働く意欲を失ったように見えるのか、なぜ学級崩壊や教育崩壊が現場で頻発しているのか、を一つ一つの事例を引きながら、刈谷先生の文章を引用しつつ、仔細に分析した内容で、読了後の生徒達に対する理解の厚みや深みは、同書を読む前とでは雲泥の差があるな、と少ない現場経験の中でも、淡く実感された記憶がある。


その意味でも、親友が興奮している本を読むことは、中々価値のあることではないか、と思った。何度も同じ主張が異なる本の中で繰り返されるのは、詐欺なのではないか、と思う人があるかも知れないが、それは短見というものだ。何度も同じ事を繰り返し書くということは、その論なりに相応の確信がなければできないし、その論がきちんと立つからこそ、著書が変わっても異なる切り口で書けるのである。

明治文学を読む傍ら、暫し教育に対する思索を温める時間を与えられたことを感謝したいと思う。親友と内田先生に謝意を表したい。有り難うございました。

さて、読んでいる間、養老孟司先生との「逆立ち日本論」という本を読んで、なるほど、なるほど、と膝を打ちながら読んだ記憶が甦った。


この本も面白かったので、併せてお薦めしておく。トイレに置くと、長くなって、家族から苦情が寄せられるので、トイレには置かないこと。

ではまた^^


2015年3月8日日曜日

成長する群れとは何かを考える。

群れについて、考える事がある。人が集まり、何かを活動する場にあって、何が大事なのか、ということだ。


リーダーシップを持った人が率先して人を引っ張って行く図は理想的に見えるのだろうが、それは群れが良い形に成長する事にはならないのではないか、と僕は自分の経験から考えたりする。


部活動を持ち始めてしばらくは、生徒たちに舐められまい、と一生懸命に自分を強くみせようとしていた気がする。生徒たちを喧しく叱責し、厳しいルールを課し、がんじがらめに管理をしていた事が思い出され、胸が痛い。何が目的であんなことをしていたんだろうと思う。世阿弥が、初舞台での惨めさを憂い、あんなみっともない真似をするくらいなら、もっと稽古に励んでおけば良かった、あの初めて抱いた恥ずかしさを二度と忘れずに一層稽古に精進するぞ、と「初心忘れすべからず」という言葉を風姿花伝に書き綴った想いと重なる。


自分に自信がなかったり、相手の事を信頼出来ずに不安で居る時、人は相手を縛り、相手の心をコントロールしようとする。でも、そんなことをすると、人はますます離れて行くし、自分の目の前では面従腹背を演じるばかりで、陰では全く違う事をしていたり、悪口を言われたりするのが関の山なのだ。


僕はその事にある日気づき、コントロールの権限を手放す事にしてみた。一切相手に求めない。期待もしない。相手に対しても自分に対しても自由で居る。自分が居なくても部活動が生徒たちだけできちんと運営出来るようにすることができれば、部はもっと成長し、子どもたちは自分たちの力で強くなるのではないか、と仮説を立て、それを実行したのである。


部活動につけないとき、生徒が真面目に練習をしているか、と会議室から生徒を監視する様な真似を一切止めた。生徒たちから受ける報告を全て鵜呑みにして、信じる事にした。生徒たちが考えている事、思っている事をありのままに受け入れる事にした。自分が思っている事も、上からでも下からでもなく、そのまま生徒に素直に伝えるようにした。


俺は練習を監視したりしない、もうそういうのは止める、君らを信じる、君らの言うことに騙されたりするかもしれない、でも、俺は君らの言うことを信じる、君らは絶対に嘘をついたりする訳がないと思っているから、騙されても良い、君らが言うんだったら、それでいい、俺はそう思う事にした、とミーティングで話した。


生徒たちに檄を飛ばすのは気を引き締める時だけに留め、決して叱責や罵りに使う事はしなくなった。初めは半信半疑だったようだが、そのうち僕のそんな在り方に少しずつ慣れて行ってくれたことを憶えている。


ある年の最後の大会前の出来事。その代は僕の短い部活キャリアの中で最も強かった代だ。キャプテンがとても良く出来た子で、その代の生徒たちはとても真面目で立派な人たちだった(それ以外の代の子達も、みな真面目で立派でした。彼らの名誉の為に、一応。)。その日は雨が降っており、荒れ模様だった。僕はいつものように生徒たちにメニューを配って説明をして、練習を頑張るように伝えていた。生徒には、「俺はサッカー素人だし、よくわかんないところもあるから、キャプテンがその場で判断して、今自分たちに足りない事をやっていいから。いつでも変更してやりなさい。いいね?」と伝えた。生徒は「分かりました、頑張ります。」と応えた。「先生、今日、部活来れますか?」「会議が終われば行けるけど、何時に終わるか分からん。でも、終わったら会おう。多目的ホール前に集合しておいてくれ。必ず降りて行くから。」


会議中、雨が窓を打つ音が止まない。あいつら、練習をやめて帰ってくれてると良いがな、風邪でも引きはしまいか、と僕は心配になり、自分の禁を破って窓から生徒たちの姿を覗いた。


彼らは僕が渡したメニューを寸分違わず、土砂降りの中、夢中でボールを追いかけ、激しくプレーを続けていた。僕は彼らの信頼に対して、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。彼らは僕のことを信じ、忠実に僕の作ったメニューに従ったのに、僕は何故彼らのことを信じて、練習を見ずにいることが出来なかったのか。自分の事がとても恥ずかしくなった。僕は子どもの事を全く信頼仕切れていない、と情けない気持ちでいっぱいになった。


会議がほどなく終わり、僕は彼らに会った。「練習頑張ったか?」「はい、盛り上がりました。」「メニュー、変えたか?(僕は上から覗いた事を黙っている)」「いえ、変えてません。」「なんで、変えなかったんだ?自分たちに最適な練習で良かったんだ。僕の作ったメニューをそのままするな、って言ったろう。」「先生のメニューで良いです。試合の分析通りのメニューだったし。先生は僕らにウソついてるんですか?」「いや、そんなことないけど。こないだ出来てなかったとこをメニューにしとったんよ。」「じゃあ良いじゃないですか。なに言ってんすか。明日も頑張りましょう。おつかれさまでした。」


僕はそのときに彼らを抱きしめて泣きたかった。そして、生徒との信頼関係を作るというのはこういうことなのだな、と彼らに教わった気持ちでいっぱいだった。彼らは僕の事を心から信頼してくれている。だから僕の伝えた事を信頼し、忠実にそれを実行したのだ。そうか、生徒が先生を信頼するってこう言う事なのか、なるほど、先生が生徒を信頼するというのは、こう言う事なんだな、と言うことが分かった。本当の意味での人と人との信頼関係はこう言う事なんだな、と分かった。


自分が居なくても、群れが立派に燃え立ち、活動を頑張る事ができること、それこそが群れの成長なのではないか。


強いリーダーは要らないと思った。群れを育てるときには互いに燃え立ち、互いに信頼し合い、互いに自由に成長を促し合うことを認め合う事が必要だ、と思った。無用な謙遜や鼓舞なんか要らない。余計な上下関係も不要。要るのは相手へのリスペクトと愛情のみ。


誰かが居ないと成長できない群れには未来はないし、限界がある。群れに属する全ての人がコミット出来る関係作りに、僕らは注視すべきなのではないか。僕はそう考えている。


森田、密山、お前らのことを思い出して書いたよ^^


元気かな。酒飲みに行こうな^^



では、また^^

2015年3月7日土曜日

亀山社中を戴く。

朝から長崎へ。亀山社中をどうしても訪問したくなったのである。


亀山社中については、以下のWikipediaを参照してくださいね^^


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E6%8F%B4%E9%9A%8A


先日から、夏目漱石、谷崎潤一郎と平行して読んでいて、幕末の事、明治の事がどうしても気になり出したからかもしれない。何故それが坂本龍馬と結びつくのかは自分でもよくわからなかったのだが、明治が始まった時の様子や、幕末のこと、さらには異国からの文化や技術、政治的な思想などの名残を戴く場所で、手近なところは長崎だったから、という自分の直感に従った由なのだろうか。分からない。


神戸や横浜に行きたい。行けば何かが摑めるかもしれない。神戸や横浜へは数度足を運んでは居るが、史跡をゆっくりと巡る時間はいつもないままになっていた。


先ずは近場で、という浅はかな直感が導くまま、長崎の地へ向かった。


亀山社中を訪ねるにあたり、どうしても気になっていたのは原爆の影響だ。原爆の被害を免れ得ることがあるのだろうか。それが気に掛かって仕方がなかった。


記念館の方にその事を尋ねる。爆心地より山を隔てた所にある亀山の地は、風速40mほどの被害は受けたが、万事無事だったそうである。しかし、当の亀山社中そのものが現存していた訳ではなく、ここに亀山社中が恐らく在ったであろう、という地に復元されたものらしい。


それが贋物か本物かの真偽はどうでもよろしい。その地のその付近で、幕末の士が世の中を変える、日本を動かす、という気鋭で立ち働いた場所に身を置く、という心持ちが、精神を鼓舞し、心根を暖めるのだ。


亀山社中記念館に這入る。中は龍馬や妻お龍の遺品、亀山社中設立時の文章の複製、海援隊結成時決起文の複製、龍馬の書簡の複製などが残されていた。


日本はこのままではダメになってしまうかもしれない、日本は世界の中で遅れている、このままではダメだ、と憶っていた人は、何も今に始まった訳ではなく、およそ200年も前から居た訳である。(こういうと、「日本はこのままではダメだ」論は幕末に起こった、という誤解を招くかもしれない。件の論は、何も今に始まった訳ではなく、律令政治その時代から既に多くの日本知識人に危惧されていた事である。日本人は、基本的に「このままではダメだ」という気持ちを持ちながら毎日仕事をしたり、生きることが身体化されているのかもしれない。島国に生きる民のDNA内の、生命維持装置としてのサバイバルテクニックか?よう知らんけど。)

龍馬のどのへんに何かを抱くかは個人それぞれの趣向や思想に依って様々であろう。大事なのは、これらの偉業を成し遂げたその人を戴き、自分の中にある同じ様な熱く燻る何かを結実化せしめんと希求する精神なのではないか。そう、ふと憶ったりした。

「日本を今一度せんたくいたし申し候(龍馬書簡)」

元気の出る言葉ではないか。吉田松陰に端を発した日本立国の指針は、勝海舟らに依るその後の奔走、龍馬らによる諸活動により、明治の立国に結実し、その後の我が国の繁栄を齎した事は記憶に留めて猶有り余る偉業である。

日本の為に働いた人を憶えば、自分の日々の何がしかの生きようも又、同じベクトルを向いているはずなのかもしれない、と淡い期待を抱いた。

来年、いっぱい頑張ろ^^

ではまた^^




もっとも大いなるもの

単語の綴りを一生懸命練習するけれど、何度も、何度も間違える子がいる。 でも、授業中、何度もうなづきながら説明を聞き、話に耳を傾け、大きな声で歌を歌う。フォニックスの発音を、口を縦横いっぱいに開けて発音する。 oshienと単語テストに書いてきた。oc...