2018年10月8日月曜日

みんなと共に愛するあなたへ〜曽原義太朗くんへ

※写真と本名掲載は、ご両親の許可を得て、改めて追加し、文章も加筆訂正させて頂きました。
曽原義太朗くん。僕の右に居る男子です。
スポフェスで3Hが優勝した時の記念撮影写真。
今でも昨日のことのように覚えています。
最愛の友であり、仲間である一人の青年が天に召されていった。
今でも信じられないし、悲しいやら、悔しいやら、寂しいやらで、遣る瀬無い気持ちでいる。

彼に言えなかったこと、彼に直接話したかったことを文章にしようと思ったのは、お母様やお父様と彼との思い出を共有したかったこと、そして、彼と同い年の仲間たちと、彼と伴った時間を忘れることなく、彼の魂や思いを各々にインストールして、彼を纏って生きていきたいと仲間同胞全体に願うからだ。

彼にもう会えない、彼はもうこの世にいない、と思いながら、金沢駅から福井県を抜ける列車の車窓で涙が止まらなかった。

以下、彼と僕との関係の中での文章である。人と共感できる部分はないかも知れないが、その時は、これは彼の生きた一つの証と思って、彼を振り返る縁として欲しい。

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義太朗。

義太朗が天に召されたこと、本当に信じられないし、お前のことを思い出すと涙が止まらなくなってしまう。悲しいし、さみしい。

酒を飲もう、飲もう、と約束したっきり、ついに約束を果たせないまま、この世では会えなくなってしまった。
去年成人式の時、義太朗と撮ったショット。
出会って8年しか経っていない。お前が東京から帰ってきてるときは、どうせまた会えるしね、とまた今度ね、と言いながら、食事に行くのを先延ばしにしてしまったことを悔やんでいるよ。

ツイッターにも、東京きてるんですか???とリプをくれたこともあったよね?会っておけば良かった。どうせまた会えるし、というなんの根拠もない思い切りで、いつも帰って来たどんな生徒にもそうしているように、義太朗と会うチャンスを先送りにしていたんだよ。

会える・会えない、という範疇で捉えると、もうお前と俺らは会えないわけでさ。でも、いつか会えるし、と思いながら、生きてると今日みたいな日が来てしまう。

俺はお前にまた会えるから、と根拠のない思い切りで、お前に会わずにいた。

馬鹿か、お前は、と自分を叱り飛ばしたいよ。馬鹿だよ、俺は。

義太朗が俺に将来のことを聞くことがあったよね?
先生から見て、僕はどんな大人になると思いますか、って。

お前は本当に優しい人で、たくさんの人から慕われていたから、人と人をつなぐ仕事をして欲しい、ってお願いしたと思っています。ご両親の前で4者面談をした時のことです。

また、面談の時、お前は俺から叱られたり、貶されるとばかり思っていたでしょう?俺は、みんなと同じく、お前のこと大好きだから、貶すどころか、お前に自分の思いやら願いを、仲間を代表して伝えたの。お前は本当にたくさんの人から愛され、たくさんの人に慕われていました。

みんなも俺も、お前のこと大好きなんだよ。
どうしてなのかはわからない。
でも、それは、お前がお前だからだ、としか言いようがないんだよ。

高校最後の年に担任を持てたことはとても嬉しかった。また、サッカー部で一緒だったことも幸せな思い出でした。高三最後のスポフェスで優勝した時、お前、泣いてたよね?みんなで、カワイイよねー、って笑ったの、覚えてる?

一瞬、一瞬を一生懸命に、まっすぐに生きてたからこそ、あの時、お前は泣いてたんだよね。卒業式のあと、春日公園でテニスをしたことも忘れられない思い出です。

もう会えないと思うと本当にさみしいけれど、俺はみんなと一緒に、お前が生きたかった未来を、お前を纏ってみんなで精一杯生きます。

お前が成し遂げたかったこと、やりたかったこと、
いっぱい話をしたかった。
東京のうまい焼き鳥屋にも連れて行ってやりたかった。
悲しくてたまらないです。

卒業してから、また今度な、なんて言ってごめんな。
もっとちょっとでもいいから、ご飯行くべきでした。
お前の熱い思い、聞かせて欲しかった。

俺は一人暮らしなので、いつでも枕元に立って声かけてください。会えるなら、待ってます。ぜひ出て来て欲しい。
会いたいです。さよならくらい、言わせて欲しい。

叶わぬことだとは思っていますが、今はそんな気持ちでやり切れません。

悲しいけれど、絶対落ち込まない。
お前の果たせなかった時間の為に、
俺らは俺らの精一杯を生きるよ。

お前に出会えて本当に良かった。

教え子が亡くなるのはこれが初めてです。
自分の教え子が亡くなることが、これほどまでに胸が苦しくなることなのか、初めての苦しみを味わっています。

本当に、本当に悲しいです。

お前のこと、絶対に忘れません。
写真、じゅんから貰います。
お母さんにはたまに会いにいきます。

またお前に会いたいよ。
本当に悲しいです。
みんなも同じ気持ちです。

2018年8月7日火曜日

松本道弘先生のこと

道弘先生との出会いは、去年の9月、ICEEの大会に、西山哲郎が出ようよと誘ってくれたことが切っ掛けです。道弘先生のことはそれまで、正直存じ上げませんでした。

しかし、お会いしたら、どうも初めて会った気が全くしなかった。

あ!思い出した!
父の本棚の中に、道弘先生の本があった!

そんな遡りの出会いでした。

それ以来、道弘先生とは密に連絡を取り合い、先生からの薫陶を受け、友達たちと道弘先生に師事し、教えを乞うて学び深めている最中です。

道弘先生は同時通訳者であり、日本にディベートを紹介された方であり、僕らの guru であり、英語道のマスターであり、私たちの世代が知らないことを知っている生き証人でもあります。

道弘先生と共に過ごす時間こそが、僕らの学びを深め、師の一挙手一投足の中に、先生の歩んでこられた道程、巨人の歩みを垣間見、畏敬に震え、慄くのです。

道弘先生のお話は、その宇宙観(コスモロジー)が途方もなく広く深く大きい為に、聞いている人によっては、何の話をしているのか、訳がわからない気持ちになることがあります。初めて道弘先生と喫茶店で二人でお茶した時に、先生の話を聞いていると、そんな気持ちになりました。

「この人は一体、何の話をしているんだ。」と。

この気持ちは、"Seven Blind Mice"のお話に出てくる目の見えないネズミのそれにとてもよく似ていて、segmentalに道弘先生の話を聞いていても、全体の大きな図画の中の1つとしてそのトピックや話のアイテムを掴んで行かないと、話の筋目が見えてこない。だから先生の話を聞けば聞くほど、深い森に迷い込み、帰れなくなってしまうヘンゼルとグレーテルのような気持ちになり、途方に暮れてしまう。

道弘先生のコスモロジーはどんな風に展開されているのか、ということを常に傍にいて感じておくこと、その上で先生の話を読み解くことがとても大事だと思います。

先生の話は、宗教、哲学、人類学、経済、政治的力学、英語学、比較文化論、武道、スポーツ、様々な分野に及びます。それらを行き交う先生のお話が縦横無尽に目の前に広がり、聞く人の反応を刺激し続ける。

それが英語、日本語の両方を介して拓いていくのです。

道弘先生のこの本を読み、自分の英語力の不味さを再確認しています。
自分が生まれて間もない時分に、道弘先生はすでにこの境地で英語を操っておられた。畏敬以外の感情が湧く訳がありません。
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道弘先生は、日本にディベートを広めた方ですが、深い研究と研鑽の果てに、六角ディベートという、日本人に合った形のディベートフォーミュラを提唱され、普及にご尽力しておられます。
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英語教師として、授業メソッドの研究、カリキュラム研究に加え、英語学習全般について、仲間と共に議論やディスカッションを深めながら学びを深めてきました。

英語教師としていろんなことを考えながら指導改善や授業研究を続けて行くと、どうしても行き詰まってしまうポイントにぶち当たってしまう。

それは、自分の英語力が低すぎることと、自分の教養がなさすぎること、です。

この2点が退職のその日まで、もっと言えば、死に至るその日まで、止まず弛まず、続いて行くことでしか、教師としての完成はありえない、と僕は強く感じています。

道弘先生が、御歳78歳にして、未だ理解に完成を許さず、言葉を楽しんでおられる姿を真横で見、私の教師としての学びの究極の姿を先人がこのように生きている、未来の自分の収まるべき姿を先生の姿にtraceし、益々学びの姿勢が研ぎ澄まされて行くのを身いっぱいに感じています。

これからの日本とは、など。

東京日和。4泊5日の東京旅行。4日間はミュージカルのワークショップに出て、残り2日は1日は卒業生と共に早稲田でお茶をして、その後早稲田大学構内を散策、夕方は、仲間の塾で発音指導、その後、松本道弘先生と会食、という愉快な毎日。夜は3日間オンラインでの講座やディスカッションが入っていましたので、とても毎日が充実していました☺️

さて。卒業生とお茶をした話を書きます。

外資系企業に勤める卒業生と一緒に、スタバでお茶しながらいろんな話をしました。笑えない話がいっぱいあるんだけれど、ウェブで出てくる話というのは、本当に本当に実際に起こっている事で、それを実感できずに、対岸の摩天楼の話だ、くらいな認識しかなかなか湧かないのが現状なんじゃないかな、と思ったりしています。でも、マジな話、笑えない状況があります。

例えばの話。

とある優秀な卒業生が、某有名私学トップ大学を卒業し、中東に留学して、結構面白い視野や視点を身につけ、スキルもそれなりにあり、アイディアも持っているにも関わらず、その才能がかけらも活用されないのが日本の商社、トップ企業なんだ、という話を聞いて、お互いにため息をつく早稲田での午後。

上司は50代60代の人で、上が言うことを忠実に守って行うのが仕事内容。主な仕事内容は、資料のコピー、上司のお祝い事の飲み会の設定、上司の出張の帯同、帯同の主な仕事内容はそばにいて上司がスムーズに仕事が行えるように雑用を全てカバーする事、だそうです。

本気で悩んだ彼は転職を考えて色々と調べていくけれど、勝者でもらっている年収が高すぎて、転職後は給与が半分から3分の2にまで落ち込んでしまう、という現実を突きつけられ、愕然としてしまう。

会社に戻れば、また、ひたすら上のいうことを聞き、忠実に上からの指示を実行する生活が待っている。どうすることもできない、というマインドセットに捉えらえて、動けないまま、悶々としている、という話でした。

日本の有名私学を卒業し、外国に留学し、高収入が得られるトップ商社に入社した挙句、与えられている仕事が、自分の才能や能力を一切使うことを許されず、ひたすら上意下達の姿勢を強要され続けることにより、その会社で出世できるまで我慢を続け、その先に、ほんのごくわずかな決定権を許され、自分の上司が自分にし続けてきたことを繰り返して退職を迎えてしまう、という最後を辿るのだ、という絵が見えた時、そんな将来に対して、彼はどんなことを考えるんだろうか、という話になりました。

教育の結果は罪深い。一人の人間の生き方をこんな風に決定づけてしまう。しかし、私たちは、学校を予備校化を止めようとしない。トップ競争を勝ち抜いた人のその後の人生に、誰も興味を抱かない。どうなっていったのか。

大学を出て、仕事をして、そのまま、仕事に喜びもやりがいも感じないまま退職を迎えてしまう人生を量産している日本の教育システムそのものに無力感を覚えるし、大人が大学で学び直すこと、大人が再就職や、キャリアアップをしやすい社会になっていかないと、このままだとますます希望が持ちにくい社会にアンル

こういうご指摘があります。
https://www.mof.go.jp/pri/research/conference/fy2017/inv2017_04_02.pdf

日本はどうなっていくんだろう、と思いながら本当に心が痛い毎日なのですが、それでも、動いていかないと、このまま日本は沈没してしまう、と思い、その場その場で動き続けることと、気づいた人が結束していくことでしか、問題の解決の糸口はいつまで経ってもほぐれていかない、と思っています。

2018年7月30日月曜日

和訳に向き合い日本語と出会う


クリントン大統領のスピーチとノームチョムスキーの講演を、自分のトレーニング(以下、TR)用に使っていて、その翻訳を自分でやったり、細部まで発音に拘ったり、意味を丁寧に取って行ったりする勉強を繰り返しています。

翻訳をしていると、自分の言葉が詰まってしまう。良い言葉が出てこない。どうすればこの日本語がすっきりするだろうか、といつも考えてシャーペンが止まってしまう。

和訳をする際に、人の翻訳の仕事や人が翻訳をする日本語を聞いたり見たりすることにしばし思いを馳せてみました。言葉の柔らかさとか、全体で見ていくときの流れみたいなものをバッサリと切ってしまう行為は、日本語の柔らかなる細やかさを無視しているんだな、とと思ったりします。

また、訳出の時に、漢語や漢字を多用する人は、読み手のことよりも、その訳の本意を伝えることのみに意識が集中されていて、訳出された日本語が読み手へ届けられることにまで思いが至っていないのだと僕は思っています。やっぱり、訳ってのは、出た瞬間から、ただの変換語なのではなくて、読む人に届ける贈り物であるべきだし、そのために明治時代の巨人たちはとてつもない叡智を我々に残してくれていると思うんです。

だから、訳出はやっぱり丁寧にやりたいし、時間がかかるんですけれども、もうあの訳出に悩む時間そのものこそが、明治の先達たちの真似事みたいなことだけれども、翻って、あそこにこそ、我々の知性の拓きが約束されていることを体が強く感知してるんですね。だから時間がかかっても唸るわけです。

だからやるし、ねー、ねー、こんなの無駄な時間だからさー、ぱっぱとグーグル翻訳でやって、早くシャドーしようよー、なんてことに思考がなっていかないんだと思います。
言葉の柔らかさに向き合っていく時、人は古典、詩歌、文学、愛、人生、死、別離、生命、偽善、裏切り、神、などの概念に必ず行き着く。そう思います。その意味で、英語を追求し続けて、同時に教養を高めていくことがとても大事なのではないか、と僕は思います。同時通訳者であり、我々の師である松本道弘先生と話をさせていただくと、先生の知見の弘さ、物事を深く見据える洞察力が凄まじく、その上で、先生が話される英語があの英語になっているんだな、と深い畏敬を憶えます。そのことを見ないと、彼の偉大さはわからないと僕は思っています。
ここ最近、自分で勉強をしているときに、原点から全くぶれていないことを強く感じます。

3年4ヶ月前に親友の西山哲郎と暁の会を発足させた時に二人で話していたことをそのまま実直に実践してるだけ、な自分たちに気づきます。

私たちの英語力の低さ、教養の軽さは本当にまずいです。それくらい危機感を持って取り組まないといけないことだと思っています。
議論や目新しい視点だけでは人は動かない。力がついていかないので、痩せ細って、また新たなアイディアはないか、と探すことを繰り返すノマドのような姿勢が助長されていくばかりです。それは本当によくない事だと思いますし、未来の子供達への知性への敬意が払われていないと僕は思います。それはよくない事です。

まず僕らは自分たちの稽古や勉学を怠ってはいけないし、私たちの中心概念として、自彊未だ止まず、という気持ちを常に持っていなければいけないんだ、と強く確信しています。

問いがあって、

「海の深さと青さについて説明しなさい。」


と言われたら、どうしますか。

「わかりません。」
「できるわけないじゃないか。」「まずお前がやってみろ。」
というのが、残念ながら現代日本思想の中核をなす意見だと思います。物凄く悲しいことだけれど、それが真実ではないでしょうか。

ネットの社会にはそういう我々の下品さや下賤な愚劣さが表出します。普段、リアルの世界では面と向かって言えない分、私たちの心の汚いところが全部出てる。本当に悲しい事です。

私たちは、この小さな群の中からでも、海の深さと青さについて、知ろうとし続ける、考え続ける、調べ続ける、そして思考を深めあう(いつもみんなでディスカッションしてることがそれに当たります)をやっていく集団でありたい。そう思っています。


暁の会は、これからも松下村塾のような心持ちで学び続けていくつもりですし、今一度、再び暁の会の発会の原点に立ち返る為、この夏、福翁自伝を読み返すつもりでいます。

今こそ、学問、勉学に立ち返る時です。



2018年6月22日金曜日

ハミングが聴こえるよ。

同僚たちと積極的に授業のことについて話をする機会を意識的に増やしていこうと思い立って二年が過ぎました。

4技能型の英語授業、CLIL を通しての授業展開、そして、アクティブラーニングの研修会との出会い、色々な交流を通して、感じたり、考えたりすることが増えました。

この頃、深く身体実感を伴って噛み締めている感慨は、同僚との関係性、同僚への関心、同僚との連携、と言うことです。

何か難しく複雑なことをするわけではなく、同僚と他愛もない話をし続けることを継続して行く、と言う感じです。

他愛もない話を続けると、同僚は何に興味関心を持っていて、どんな考え方や思考をし、どのような行動パターンがあるのか、などがわかります。

逆に同僚が話してくれる僕自身のことについても、全く予想も検討もつかないようなことを鋭いキラーパス的角度で突いてきます。アラア、俺ってそんな風に見られてたんだ、と思うと、ジョハリの窓のことを思い出させられます。

お互い、一緒に働いていても、全然理解し合えているか、と言うと、必ずしもそうではないし、相手の好きなことを10個挙げてみる、と思って考えて見ても、3個くらいで詰まってしまう同僚と、17個も、22個も浮かんでくる同僚もいて、理解のバロメーターとしてコミュニケーションがどれくらい不足しているかを知るために、そう言うことを語り合うことはとても良いことだ、と僕は今強く思っています。

学校を子供達の為に、素晴らしい学び舎にしたい、その為に同僚とチームで協力して、新しいことをどんどん取り入れたり、今までやってきたことを研磨してより洗練された形で提供して行くことがとても大事だと僕は思っています。

その為に一番大事なのは、同僚といかに普段から密にコミュニケーションを取っているか、と言うことだと思います。

同僚と良いコミュニケーションが取れている状態にあるとき、どんなことをやろうとしても、良いアイディアがたくさん出され、良いものが子供達に提供されて行くことになります。

同僚と楽しいひと時を過ごす事をまめにしたい、と思います。食事や会話、学外でも交流を深めることはとても大事だと思わされます。

同僚の話に耳を傾けると、意見を普段聞くことがない同僚が、以外にもとても熱い想いを学校に対して抱いていたり、あるいは、授業について、情熱を燃やしていたりします。

同僚と語り合う時、僕は授業を変えよう、子供達に考える時間をあげよう、子供達に協力しながら学ぶ機会を与えてあげよう、と言う話を、繰り返し、繰り返し、伝えるようにしています。

そんな事を毎日繰り返しながら、学校に行っていますが、今教員生活21年目にして、もっとも達成感があり、もっともチームワークがよく、もっとも充実した学校生活を送れているのではないか、と強く感じます。

学校をこんな学校に改革したい、という気持ちは若い頃から浮かんでは消え、を繰り返していますが、自分の思い描いた通りに結果がついてこないときは、酷く落胆し、落ち込んだりしたことも過去にはありました。

今、20年の仕事生活を振り返って見て強く思うのは、
・自分が思い描いた通りの結果にならないのが教育。
・自分が思っていた通りにはならないけれど、自分が「こうあって欲しいな、こうなると良いな」と言う理想に限りなく近い形の結果は、動き続け、人を愛し続けて接している時にのみ、実現する。
と言うことです。

若い頃の僕は、結果を自分の思い通りにしたくて、心のどこかで同僚や生徒を欺いていたのかも知れません。

今の自分は、自分の思い通りの結果を求める事をやめ、人をコントロールしようとする権限を一切手放し、神様にお委ねし、結果を甘受しながらも、出てきた結果を受けて、新たな創造を行う、と言う形を取り続けるようにしています。

10年くらい前から上記のような哲学を心のセンターに置くようになり、生徒、同僚、保護者の方との関係が劇的に変わったように感じています。

今は特に同僚との関係性がこの上なく良く、互いに深い話もできるようになり、また、授業をどうしようか、今度こんな事をやって見たいんだけど、どうだろうか、と言う話を気軽にできるようになりました。

英語の授業を考える、と言う問いを自分達に向けて、暁の会と言う勉強会を立ち上げ4年目を迎えています。今、職場で僕が感じることは、英語授業の充実もさることながら、ここで書いてきた、同僚と共に作る良い教育環境のことです。

同僚と一緒にだったら、もっとより良い学校になるんじゃないか、もっと良いものが生まれるんじゃないか、今、そんな思いを深く胸に抱いています。

そんな事を感じて、ここ3週間くらいの学校生活を振り返りながら、信号待ちをしていると、何か新しく良きものがハミングをしながらこちらへやってくるのが聞こえてきた、、、、、、、、、、

ような、気がしました😊

素敵な職場で良かった。
毎日、とても気分が良いです😊

2018年6月12日火曜日

たくさんの「君」へ、"From me to you"

僕が君に最初に言いたいこと。

このテクストはイロジカルです。

君は頭がいいから、多分、苛々すると思う。
でも、同時に、多分、苛々しないと思う。

聖書に、愛が一番大事、って書いてあるし、頭がいい君はそのことが分かっているし、この場面でロジカルなことを求めていないだろうし、ただ何となく、文章を読んで、解釈なんて求めないで、文章の流れに身をまかせる、って体験も素敵じゃないですか。そんな気持ちになってくれたらいいです。

役に立つとか、将来のこととか、そんなことどうでもいいから、って。今日はそんな話。気分が乗らなかったら、この先は読まなくてもいいから。

君に、結論だけ先に書くね。

・君のことを僕も、そして僕の周りの人も、君に関わる全ての人も愛して止まず、大好きである、と言うこと。そしてそのことで、君が申し訳なさを感じたり、すまなさを感じる必要はない、と言うこと。

・愛は寛容で情深い、と聖書に書いてある通り、掛け値がない。受け取っても、取らなくてもいい。思うひと、受け取るひと、それぞれ思いも考えも違っていい。

・どんな未来や将来でも構わない。君が君でいてくれたら、僕らはそれでいい。どうだっていい。君と出会えたことが僕らの人生に与えた幸せを、君に感謝したい。ありがと😊

・君に会いたい、という気持ちと、君に会えない、という現実は種類が異なる概念なので、その狭間で、人は胸が苦しくなります。それを、悶える、と表現した人はすごいね。門の前で、会いたい、会いたい、と思っているのに、会いたい心は門前払い。
切ない思いが、悶える、と言うこと。

はい、こんなもんで、一つ。

さてさて。

人間が生きている時間ってのは、新陳代謝の速度、熱消費の速度、それぞれ関係してるんじゃないか、と僕は思っていて。例えば、朝一番に音楽を聞くと、夜聴いてる時と、ビートの速度が違って聞こえるんです。

朝はことさらゆっくりに聴こえる音楽が、夜にはひたすら速い。あれってなぜだろうと思って、34歳くらいの時に悩んだことがありました。早い英語とゆっくりな英語、って何だろう、って悩んだ時期だったと思います。とにかく、音と発話の速度について、ずっと考えてた。

人って、音に対して、速度を意識する時って、つまり、発信されてることを受け取れてないからじゃないですか。だから、え、は、何言ってんの、ってことで。

夜は、体が乗ってきて、一日過ごしてきて、ウェイウェイ、ってなってる状態で音を受け止めるから、速度が±0みたいな状態で聞こえてくるんですよ。だから音がスーッと入ってくるのね。音本来の速度で聞こえてくるの。

君が悩んでる時間って、君が生きてる人生の時間の流れの中で、誰もが経験するはずなんだけれど、たまたま「人生」って言う時間の流れを実感として体感してるか、否かで、人は時間の体感が変わるのね。だから、そう言うこと何も感じないまま大人になる人が世の中、大半なんだよね。

君はさ、今人生を生きてて、
え、なんでこんな時間の流れなの、え、どうして、そんなに時間がすっ飛んで流れていくわけ、え、どう言うこと?
え、どうして誰も質問しないの、って状態なんじゃないか、って僕は思ってるんだよ。

その時間は誰にでも訪れるんだ。誰にでも。
sooner or later, それは訪れるの。必ず。
考える葦は、必ず悩むんです。
無駄に死ぬ人生なんてない、って言った人がなぜ偉大か。
それはね、時間の概念を身体化した人は必ず精神を病むので、
それは特別なことだと思うじゃん?
でもね、それはね、実は、
人として生きてる人、必ずどこかで体験することなんだよ。
だから、人生って、ドラマなんだ。
哲学なんだよ。

うおーーーーーー!!!!
何で、自分は、生きてるんだーーーーーー!!!って。

それは全人類的な問いでしょ?

だからね、君も僕もね、生きてるんです。
え、何で?って思ってること自体、
生きてるんです。

だからね、今の君、とっても素敵なんです😊
すげー、かっこいいんです。
いいなー、って思う。

考えてみ?

悩もうが、悩まなかろうが、毎日、時間は過ぎて行くわけですよ。犬は吠えるがキャラバンは進む、わけですね。
アラビアのことわざらしい。オザケンが言ってたよ。

今、自分自身が生きる意味、それを問うているわけでしょ?
かっこいい、しかないじゃん、そんなの。

何も考えなくても、人は生きていけるの。support system がすでに出来上がってるわけ。

人はさ、考えなくても毎日をやっていけるシステムの中に生きてる。これは真実じゃなくて、事実なの。

でもさ、君はさ、考えたわけよ。
つまりね、このままでいいの、このままで、どうなるわけ、って。

問いを立てちゃったわけさ。それはさ、素晴らしいことなんだよ。

画一化された社会で生きて行く術として、人は無思考を選択せざるを得ない場面に直面するんだ。何度もあるよ。うんざりするほどね。

誰も疑問に思わないし、抗うと、ポジションが危うくなる、って思ってしまうから、成人後は、なかなか、人生に問いを立てることが難しくなるんだよ。

でもね、もう一度。

人は生きて死ぬ。

この哲学に抗える人生は何一つない。

これをもう一度、お互いに確認し合いたい。
そしてさ、ハグしよう。大事に思って、生きていこう。
そうしたいよ。
どんなカタチになるか、わからない。
でも、君のことをずっと考えてる。

君がどう言う人生を歩もうが、君のことを、考えることをやめないよ。

2017年11月28日火曜日

3つの驚いたこと


今授業で取り組んでいるのは、生徒が英語をロジカル思考を持って話すことです。これを西山くんととにかく一生懸命に取り組んでいます。

日本語PREPと言う活動を通じて、生徒たちに、母語で論理的に話をする訓練を楽しんでやってもらっています。お題に関しては全英連新潟大会でヒントを頂いたので、それを受けて毎日変えています。

さらに、構文と表現を効果的に混ぜていき、定着を図っていく活動を編み出し、それを毎回の授業で実行できるようになりました。有機的に文法・構文・表現を訓練しながら、speakingを軸に据え、自然な形で英語が身についていくJorden Methodです。これは、敬愛する米原先生のご著書で知った素晴らしい語学習得メソッドです。学校英文法とか入試対策みたいなことが頭を過ぎると、どうしても悩ましく感じるのが、オーガニックアプローチの中に、どのようにしてdrillのような要素を混ぜていくかということ。youtubeにあるJorden Methodの動画を何度も見ながら、米国人がいかにして日本語を身につけていくか、と言う過程の中に大きなヒントを見いだしつつ、今のスタイルに落ち着いている、と言ったところです。
授業で初めてやったのは、aufheben, アウフヘーベン系ロジックのスピーキングドリルです。これまでは、PREPで、point, reason, evidence/example, point の流れで生徒にロジカルに話をするように、と活動を行なっていました。

このaufheben, アウフヘーベンは、Aだ、という主張、そして、それと真っ向から対立する、Bだ、と言う主張の両者の善悪両面を鑑みて、良い面、悪い面をそれぞれ取捨選択しながら、より良い最良の第3案、Cだ、Dだ、Jだ、を編み出していくロジックの1つです。

これを、最初はプライマリーディベートのような手法でスピーキング活動を行なったのちに、構文や単語、表現などのframesを生徒に与えながら、ロジカル面を引き上げていくのです。

持論を展開していくだけではなく、相手の意見を傾聴しながら、自分のそれを融合し、より良き新たなアイディアへと昇華していくコミュニケーションを目指していく、と言う形を授業の活動の中で行うことができました。これは今まで20年の自分のキャリアの中で、初めて生徒に教えたことです。素晴らしい活動になったと思っています。明日も同じクラスで別のトピックで練習していこうと思っています。

最後はびっくりしたこと。
進研総合学力記述模試の結果が返ってきて、データを見ると、過年度比較で、今教えている生徒たちが平均偏差で5ポイント以上も上回っていました。4技能型授業、同時通訳トレーニング、音読トレーニングノートの記録活動、多読、アクティブラーニングを授業の軸に据え、詰め込み教育を一切廃し、授業を楽しく、脳みそをフル回転させ、authenticな教材をフル活用して1年半授業を行ってきた結果が、きちんとした数値として現れたこと、全国の同志や仲間に勇気を届けることができる、と胸が熱くなったのと同時に、若い人たちに、このやり方で結果が確実に出るから、大丈夫だ、と背中を押してやれるな、と嬉しく思いました。


暁の会で、さらにオーガニックアプローチを追求し続けて、authenticな語学学習を子供達のために模索し続けていきたいと思っています。

もっとも大いなるもの

単語の綴りを一生懸命練習するけれど、何度も、何度も間違える子がいる。 でも、授業中、何度もうなづきながら説明を聞き、話に耳を傾け、大きな声で歌を歌う。フォニックスの発音を、口を縦横いっぱいに開けて発音する。 oshienと単語テストに書いてきた。oc...