2018年7月30日月曜日

和訳に向き合い日本語と出会う


クリントン大統領のスピーチとノームチョムスキーの講演を、自分のトレーニング(以下、TR)用に使っていて、その翻訳を自分でやったり、細部まで発音に拘ったり、意味を丁寧に取って行ったりする勉強を繰り返しています。

翻訳をしていると、自分の言葉が詰まってしまう。良い言葉が出てこない。どうすればこの日本語がすっきりするだろうか、といつも考えてシャーペンが止まってしまう。

和訳をする際に、人の翻訳の仕事や人が翻訳をする日本語を聞いたり見たりすることにしばし思いを馳せてみました。言葉の柔らかさとか、全体で見ていくときの流れみたいなものをバッサリと切ってしまう行為は、日本語の柔らかなる細やかさを無視しているんだな、とと思ったりします。

また、訳出の時に、漢語や漢字を多用する人は、読み手のことよりも、その訳の本意を伝えることのみに意識が集中されていて、訳出された日本語が読み手へ届けられることにまで思いが至っていないのだと僕は思っています。やっぱり、訳ってのは、出た瞬間から、ただの変換語なのではなくて、読む人に届ける贈り物であるべきだし、そのために明治時代の巨人たちはとてつもない叡智を我々に残してくれていると思うんです。

だから、訳出はやっぱり丁寧にやりたいし、時間がかかるんですけれども、もうあの訳出に悩む時間そのものこそが、明治の先達たちの真似事みたいなことだけれども、翻って、あそこにこそ、我々の知性の拓きが約束されていることを体が強く感知してるんですね。だから時間がかかっても唸るわけです。

だからやるし、ねー、ねー、こんなの無駄な時間だからさー、ぱっぱとグーグル翻訳でやって、早くシャドーしようよー、なんてことに思考がなっていかないんだと思います。
言葉の柔らかさに向き合っていく時、人は古典、詩歌、文学、愛、人生、死、別離、生命、偽善、裏切り、神、などの概念に必ず行き着く。そう思います。その意味で、英語を追求し続けて、同時に教養を高めていくことがとても大事なのではないか、と僕は思います。同時通訳者であり、我々の師である松本道弘先生と話をさせていただくと、先生の知見の弘さ、物事を深く見据える洞察力が凄まじく、その上で、先生が話される英語があの英語になっているんだな、と深い畏敬を憶えます。そのことを見ないと、彼の偉大さはわからないと僕は思っています。
ここ最近、自分で勉強をしているときに、原点から全くぶれていないことを強く感じます。

3年4ヶ月前に親友の西山哲郎と暁の会を発足させた時に二人で話していたことをそのまま実直に実践してるだけ、な自分たちに気づきます。

私たちの英語力の低さ、教養の軽さは本当にまずいです。それくらい危機感を持って取り組まないといけないことだと思っています。
議論や目新しい視点だけでは人は動かない。力がついていかないので、痩せ細って、また新たなアイディアはないか、と探すことを繰り返すノマドのような姿勢が助長されていくばかりです。それは本当によくない事だと思いますし、未来の子供達への知性への敬意が払われていないと僕は思います。それはよくない事です。

まず僕らは自分たちの稽古や勉学を怠ってはいけないし、私たちの中心概念として、自彊未だ止まず、という気持ちを常に持っていなければいけないんだ、と強く確信しています。

問いがあって、

「海の深さと青さについて説明しなさい。」


と言われたら、どうしますか。

「わかりません。」
「できるわけないじゃないか。」「まずお前がやってみろ。」
というのが、残念ながら現代日本思想の中核をなす意見だと思います。物凄く悲しいことだけれど、それが真実ではないでしょうか。

ネットの社会にはそういう我々の下品さや下賤な愚劣さが表出します。普段、リアルの世界では面と向かって言えない分、私たちの心の汚いところが全部出てる。本当に悲しい事です。

私たちは、この小さな群の中からでも、海の深さと青さについて、知ろうとし続ける、考え続ける、調べ続ける、そして思考を深めあう(いつもみんなでディスカッションしてることがそれに当たります)をやっていく集団でありたい。そう思っています。


暁の会は、これからも松下村塾のような心持ちで学び続けていくつもりですし、今一度、再び暁の会の発会の原点に立ち返る為、この夏、福翁自伝を読み返すつもりでいます。

今こそ、学問、勉学に立ち返る時です。



2018年6月22日金曜日

ハミングが聴こえるよ。

同僚たちと積極的に授業のことについて話をする機会を意識的に増やしていこうと思い立って二年が過ぎました。

4技能型の英語授業、CLIL を通しての授業展開、そして、アクティブラーニングの研修会との出会い、色々な交流を通して、感じたり、考えたりすることが増えました。

この頃、深く身体実感を伴って噛み締めている感慨は、同僚との関係性、同僚への関心、同僚との連携、と言うことです。

何か難しく複雑なことをするわけではなく、同僚と他愛もない話をし続けることを継続して行く、と言う感じです。

他愛もない話を続けると、同僚は何に興味関心を持っていて、どんな考え方や思考をし、どのような行動パターンがあるのか、などがわかります。

逆に同僚が話してくれる僕自身のことについても、全く予想も検討もつかないようなことを鋭いキラーパス的角度で突いてきます。アラア、俺ってそんな風に見られてたんだ、と思うと、ジョハリの窓のことを思い出させられます。

お互い、一緒に働いていても、全然理解し合えているか、と言うと、必ずしもそうではないし、相手の好きなことを10個挙げてみる、と思って考えて見ても、3個くらいで詰まってしまう同僚と、17個も、22個も浮かんでくる同僚もいて、理解のバロメーターとしてコミュニケーションがどれくらい不足しているかを知るために、そう言うことを語り合うことはとても良いことだ、と僕は今強く思っています。

学校を子供達の為に、素晴らしい学び舎にしたい、その為に同僚とチームで協力して、新しいことをどんどん取り入れたり、今までやってきたことを研磨してより洗練された形で提供して行くことがとても大事だと僕は思っています。

その為に一番大事なのは、同僚といかに普段から密にコミュニケーションを取っているか、と言うことだと思います。

同僚と良いコミュニケーションが取れている状態にあるとき、どんなことをやろうとしても、良いアイディアがたくさん出され、良いものが子供達に提供されて行くことになります。

同僚と楽しいひと時を過ごす事をまめにしたい、と思います。食事や会話、学外でも交流を深めることはとても大事だと思わされます。

同僚の話に耳を傾けると、意見を普段聞くことがない同僚が、以外にもとても熱い想いを学校に対して抱いていたり、あるいは、授業について、情熱を燃やしていたりします。

同僚と語り合う時、僕は授業を変えよう、子供達に考える時間をあげよう、子供達に協力しながら学ぶ機会を与えてあげよう、と言う話を、繰り返し、繰り返し、伝えるようにしています。

そんな事を毎日繰り返しながら、学校に行っていますが、今教員生活21年目にして、もっとも達成感があり、もっともチームワークがよく、もっとも充実した学校生活を送れているのではないか、と強く感じます。

学校をこんな学校に改革したい、という気持ちは若い頃から浮かんでは消え、を繰り返していますが、自分の思い描いた通りに結果がついてこないときは、酷く落胆し、落ち込んだりしたことも過去にはありました。

今、20年の仕事生活を振り返って見て強く思うのは、
・自分が思い描いた通りの結果にならないのが教育。
・自分が思っていた通りにはならないけれど、自分が「こうあって欲しいな、こうなると良いな」と言う理想に限りなく近い形の結果は、動き続け、人を愛し続けて接している時にのみ、実現する。
と言うことです。

若い頃の僕は、結果を自分の思い通りにしたくて、心のどこかで同僚や生徒を欺いていたのかも知れません。

今の自分は、自分の思い通りの結果を求める事をやめ、人をコントロールしようとする権限を一切手放し、神様にお委ねし、結果を甘受しながらも、出てきた結果を受けて、新たな創造を行う、と言う形を取り続けるようにしています。

10年くらい前から上記のような哲学を心のセンターに置くようになり、生徒、同僚、保護者の方との関係が劇的に変わったように感じています。

今は特に同僚との関係性がこの上なく良く、互いに深い話もできるようになり、また、授業をどうしようか、今度こんな事をやって見たいんだけど、どうだろうか、と言う話を気軽にできるようになりました。

英語の授業を考える、と言う問いを自分達に向けて、暁の会と言う勉強会を立ち上げ4年目を迎えています。今、職場で僕が感じることは、英語授業の充実もさることながら、ここで書いてきた、同僚と共に作る良い教育環境のことです。

同僚と一緒にだったら、もっとより良い学校になるんじゃないか、もっと良いものが生まれるんじゃないか、今、そんな思いを深く胸に抱いています。

そんな事を感じて、ここ3週間くらいの学校生活を振り返りながら、信号待ちをしていると、何か新しく良きものがハミングをしながらこちらへやってくるのが聞こえてきた、、、、、、、、、、

ような、気がしました😊

素敵な職場で良かった。
毎日、とても気分が良いです😊

2018年6月12日火曜日

たくさんの「君」へ、"From me to you"

僕が君に最初に言いたいこと。

このテクストはイロジカルです。

君は頭がいいから、多分、苛々すると思う。
でも、同時に、多分、苛々しないと思う。

聖書に、愛が一番大事、って書いてあるし、頭がいい君はそのことが分かっているし、この場面でロジカルなことを求めていないだろうし、ただ何となく、文章を読んで、解釈なんて求めないで、文章の流れに身をまかせる、って体験も素敵じゃないですか。そんな気持ちになってくれたらいいです。

役に立つとか、将来のこととか、そんなことどうでもいいから、って。今日はそんな話。気分が乗らなかったら、この先は読まなくてもいいから。

君に、結論だけ先に書くね。

・君のことを僕も、そして僕の周りの人も、君に関わる全ての人も愛して止まず、大好きである、と言うこと。そしてそのことで、君が申し訳なさを感じたり、すまなさを感じる必要はない、と言うこと。

・愛は寛容で情深い、と聖書に書いてある通り、掛け値がない。受け取っても、取らなくてもいい。思うひと、受け取るひと、それぞれ思いも考えも違っていい。

・どんな未来や将来でも構わない。君が君でいてくれたら、僕らはそれでいい。どうだっていい。君と出会えたことが僕らの人生に与えた幸せを、君に感謝したい。ありがと😊

・君に会いたい、という気持ちと、君に会えない、という現実は種類が異なる概念なので、その狭間で、人は胸が苦しくなります。それを、悶える、と表現した人はすごいね。門の前で、会いたい、会いたい、と思っているのに、会いたい心は門前払い。
切ない思いが、悶える、と言うこと。

はい、こんなもんで、一つ。

さてさて。

人間が生きている時間ってのは、新陳代謝の速度、熱消費の速度、それぞれ関係してるんじゃないか、と僕は思っていて。例えば、朝一番に音楽を聞くと、夜聴いてる時と、ビートの速度が違って聞こえるんです。

朝はことさらゆっくりに聴こえる音楽が、夜にはひたすら速い。あれってなぜだろうと思って、34歳くらいの時に悩んだことがありました。早い英語とゆっくりな英語、って何だろう、って悩んだ時期だったと思います。とにかく、音と発話の速度について、ずっと考えてた。

人って、音に対して、速度を意識する時って、つまり、発信されてることを受け取れてないからじゃないですか。だから、え、は、何言ってんの、ってことで。

夜は、体が乗ってきて、一日過ごしてきて、ウェイウェイ、ってなってる状態で音を受け止めるから、速度が±0みたいな状態で聞こえてくるんですよ。だから音がスーッと入ってくるのね。音本来の速度で聞こえてくるの。

君が悩んでる時間って、君が生きてる人生の時間の流れの中で、誰もが経験するはずなんだけれど、たまたま「人生」って言う時間の流れを実感として体感してるか、否かで、人は時間の体感が変わるのね。だから、そう言うこと何も感じないまま大人になる人が世の中、大半なんだよね。

君はさ、今人生を生きてて、
え、なんでこんな時間の流れなの、え、どうして、そんなに時間がすっ飛んで流れていくわけ、え、どう言うこと?
え、どうして誰も質問しないの、って状態なんじゃないか、って僕は思ってるんだよ。

その時間は誰にでも訪れるんだ。誰にでも。
sooner or later, それは訪れるの。必ず。
考える葦は、必ず悩むんです。
無駄に死ぬ人生なんてない、って言った人がなぜ偉大か。
それはね、時間の概念を身体化した人は必ず精神を病むので、
それは特別なことだと思うじゃん?
でもね、それはね、実は、
人として生きてる人、必ずどこかで体験することなんだよ。
だから、人生って、ドラマなんだ。
哲学なんだよ。

うおーーーーーー!!!!
何で、自分は、生きてるんだーーーーーー!!!って。

それは全人類的な問いでしょ?

だからね、君も僕もね、生きてるんです。
え、何で?って思ってること自体、
生きてるんです。

だからね、今の君、とっても素敵なんです😊
すげー、かっこいいんです。
いいなー、って思う。

考えてみ?

悩もうが、悩まなかろうが、毎日、時間は過ぎて行くわけですよ。犬は吠えるがキャラバンは進む、わけですね。
アラビアのことわざらしい。オザケンが言ってたよ。

今、自分自身が生きる意味、それを問うているわけでしょ?
かっこいい、しかないじゃん、そんなの。

何も考えなくても、人は生きていけるの。support system がすでに出来上がってるわけ。

人はさ、考えなくても毎日をやっていけるシステムの中に生きてる。これは真実じゃなくて、事実なの。

でもさ、君はさ、考えたわけよ。
つまりね、このままでいいの、このままで、どうなるわけ、って。

問いを立てちゃったわけさ。それはさ、素晴らしいことなんだよ。

画一化された社会で生きて行く術として、人は無思考を選択せざるを得ない場面に直面するんだ。何度もあるよ。うんざりするほどね。

誰も疑問に思わないし、抗うと、ポジションが危うくなる、って思ってしまうから、成人後は、なかなか、人生に問いを立てることが難しくなるんだよ。

でもね、もう一度。

人は生きて死ぬ。

この哲学に抗える人生は何一つない。

これをもう一度、お互いに確認し合いたい。
そしてさ、ハグしよう。大事に思って、生きていこう。
そうしたいよ。
どんなカタチになるか、わからない。
でも、君のことをずっと考えてる。

君がどう言う人生を歩もうが、君のことを、考えることをやめないよ。

2017年11月28日火曜日

3つの驚いたこと


今授業で取り組んでいるのは、生徒が英語をロジカル思考を持って話すことです。これを西山くんととにかく一生懸命に取り組んでいます。

日本語PREPと言う活動を通じて、生徒たちに、母語で論理的に話をする訓練を楽しんでやってもらっています。お題に関しては全英連新潟大会でヒントを頂いたので、それを受けて毎日変えています。

さらに、構文と表現を効果的に混ぜていき、定着を図っていく活動を編み出し、それを毎回の授業で実行できるようになりました。有機的に文法・構文・表現を訓練しながら、speakingを軸に据え、自然な形で英語が身についていくJorden Methodです。これは、敬愛する米原先生のご著書で知った素晴らしい語学習得メソッドです。学校英文法とか入試対策みたいなことが頭を過ぎると、どうしても悩ましく感じるのが、オーガニックアプローチの中に、どのようにしてdrillのような要素を混ぜていくかということ。youtubeにあるJorden Methodの動画を何度も見ながら、米国人がいかにして日本語を身につけていくか、と言う過程の中に大きなヒントを見いだしつつ、今のスタイルに落ち着いている、と言ったところです。
授業で初めてやったのは、aufheben, アウフヘーベン系ロジックのスピーキングドリルです。これまでは、PREPで、point, reason, evidence/example, point の流れで生徒にロジカルに話をするように、と活動を行なっていました。

このaufheben, アウフヘーベンは、Aだ、という主張、そして、それと真っ向から対立する、Bだ、と言う主張の両者の善悪両面を鑑みて、良い面、悪い面をそれぞれ取捨選択しながら、より良い最良の第3案、Cだ、Dだ、Jだ、を編み出していくロジックの1つです。

これを、最初はプライマリーディベートのような手法でスピーキング活動を行なったのちに、構文や単語、表現などのframesを生徒に与えながら、ロジカル面を引き上げていくのです。

持論を展開していくだけではなく、相手の意見を傾聴しながら、自分のそれを融合し、より良き新たなアイディアへと昇華していくコミュニケーションを目指していく、と言う形を授業の活動の中で行うことができました。これは今まで20年の自分のキャリアの中で、初めて生徒に教えたことです。素晴らしい活動になったと思っています。明日も同じクラスで別のトピックで練習していこうと思っています。

最後はびっくりしたこと。
進研総合学力記述模試の結果が返ってきて、データを見ると、過年度比較で、今教えている生徒たちが平均偏差で5ポイント以上も上回っていました。4技能型授業、同時通訳トレーニング、音読トレーニングノートの記録活動、多読、アクティブラーニングを授業の軸に据え、詰め込み教育を一切廃し、授業を楽しく、脳みそをフル回転させ、authenticな教材をフル活用して1年半授業を行ってきた結果が、きちんとした数値として現れたこと、全国の同志や仲間に勇気を届けることができる、と胸が熱くなったのと同時に、若い人たちに、このやり方で結果が確実に出るから、大丈夫だ、と背中を押してやれるな、と嬉しく思いました。


暁の会で、さらにオーガニックアプローチを追求し続けて、authenticな語学学習を子供達のために模索し続けていきたいと思っています。

2017年11月20日月曜日

大収穫の秋、時代は益々変わりつつある今日この頃。

オックスフォード多読セミナー@東京の様子。100名近くの参加があったそうです。
⭐️土日にかけて東京でセミナーを行ってきました。
土曜日は東京の駒込学園中高の視聴覚室をお借りし、暁の会@東京セミナーを行いました。4時間半の長丁場でしたが、普段僕が行っている授業を体験していただき、一つ一つ理論の説明などをしながら、丁寧に細かく理解を深めていただく会の進行を心がけました。今回は、カラー刷りの資料もお配りし、細かくメモをするポイント、特に、SNSなどの投稿や、本を読んだだけではわからない点、例えば生徒は何秒くらいスピーキングに耐えて次の段階に進めるか、などの指導の留意点も都度細かくお伝えできたと思います。

参加者の先生方、みなさん熱い方ばかりで、熱心に真摯に参加され、細かくメモを取りながら、熱心に活動にご参加いただきました。

活動では、段階的にスピーキングのレベルを引き上げていき、最終的には3分間のスピーチを原稿なしで行い、さらにその内容をパッションを込めて行えるようになるまでの指導法を体験していただくこと、教科書の使い方、CLILでの教材提示の仕方、方向性、指導案の作り方(実際に僕が毎回作っている指導案の一部を印刷して資料添付)、プレゼンの作り方、字幕なしでリスニングする法など、多方面に及びました。

英英辞典の活動、同時通訳トレーニング、音読TRノートに関するご質問やご所望が相次ぎましたので、3月のいずれかの土日に、駒込付近に会場をお借りして、またセミナーを開催する予定です。ぜひお運びいただければ、と思っております。

🌟日曜日はオックスフォード多読セミナー@文京学院中高
今日はオックスフォード大学出版局主催の多読セミナーが東京の文京学院中高さんで開催されました。100名近くのご参加があったそうで、しかもご参加された先生方の学校は、雑誌やメディアに載るような名だたる有名私学の先生方も多数、東北や関西からのご参加もあったそうで、会場は熱気ムンムンでした。思えば、2年前は35名の参加からスタートしたこのセミナーも、今では100名超えが当たり前になってきて、しかも、毎回毎回、中高の先生方のご参加が増え続けている状況、日本の学校でも、多読をすることが当たり前の状況になることが僕らの目標の一つでもありますが、これはもはや実現が射程内に入ってきた、と見なしても良いのではなかろうか、と思えてきました。素晴らしいことです。

⭐️ついに!あのグッズデビュー!
ずっと欲しいと思っていたあのグッズ、ついにボーナス一括で購入し、今回の東京行きから使い始めました。

キャリーバッグです。キャスター付きがあれば、たくさんの教材や教具を持って、全国どこにでも行けるのに、と思っていましたが、めんどくさくて買いに行ってませんでした。

今回の東京いき、土日両日ともセミナーをする、ということで、これはもう、一念発起してバッグを買って、普段使ってるものから何から、全部持って行って現物を使って授業をしよう、生徒たちの作品や様子も見てもらおう、ということで、これに詰めていきました。おそらく40kg近くは重さがあったと思います。普段筋トレをしていることが、こんな時に役立つとは思いませんで、階段を持ち運びするのも楽に感じました。

これは便利です。全部持っていけます。実際に使っている道具や教材は、口で説明したり、スライドを見せたりするのも一つですが、百聞は一見に如かずでして、見ていただくのが一番説得力があったりするものです。ですから、今回からバッグに全て詰めていくことにして本当によかったと思います。

これからは多読用の本も大量に詰めて行けるので、多読体験もどんどんしていただけます。

これからも益々精力的に、暁の会の活動を継続して、有機的な活動やつながりを大切にした授業展開のご紹介や伝道活動を行っていきたいと思っています。お楽しみに。

次回は、3月の土日に、東京の駒込駅付近に会場をお借りして、同時通訳トレーニング&音読TRノート、そして、CLIL授業体験型、さらに多読体験型の3本立てでワークショップを開催させていただきます。

おそらく、土曜日の午後、そして、日曜日、という流れになろうかと思います。会場は2会場で行う予定です。ぜひご参加くださいね。

⭐️僕たち暁の会の思い

暁の会立ち上げは、本当に子供達の未来のために自分たちが頑張らないと、子供達に申し訳がない、という済まなさから興っています。僕らは子供達の未来への責任を担う義務がある、と西山くんと思っています。

自分のキャリアのことだけを考えて、逃げ切ろうという気持ちはありません。事なかれ主義でやり過ごそうという気も更々ありません。

子供達が英語を身につけ、高い教養を身につけ、広く寛容な心を持ち、社会の弱者の隣人たる人格形成をし、日本国の明日を担うべく世界で活躍して行けるよう、備えてあげるのが僕らの使命です。

子供達の未来への思いを抱く時、僕らは教育の力を信じたい、そのためにまずは自分ができることからやろう、自分がやれることからどんどんやろう、そんな風に思って、毎日行動しています。

誰のどんな目も気にしていません。子供達の未来のことを考えるばかりです。

このまま何もしないで、行動も起こさず日々をやり過ごせば、日本は諸外国に立ち遅れ、世界の舞台から後退し、大きく遅れを取ってしまい、未来が暗くなります。

諸外国の発展発達は目覚ましい、それは日本のメディア上にはほとんど上がってこない情報です。日本はもう駄目です。このままいけば確実に崖を転げ落ちていきます。

今、教育に熱く燃えたって行動していかなければ、人口減少が続き、経済も縮小しづけ、国の借金は増え続けて、日本は斜陽な国家に成ります。すでにそうなっている、という指摘もありますが。

だから、今、私たち大人が行動しなければいけない、そういう強い危機感を持って、毎日行動しています。

ためらう気持ちや、悩み恐る時間が無駄だと僕は思っていて、焦りばかりが募ります。時間がない、もう残された時間が少なすぎる、そんな風に思って危機感を募らせています。

今教えている子供達が老後を迎えた時、彼らが明るい未来を迎えていられるよう、私たちが今、子供達の未来にコミットし続けなければいけない、と考えています。

子供っぽい、熱い、青臭い文章に読めるかもしれません。
でも、僕らは本気です。

また色々仕掛けて、色々展開していきます。
ぜひ、ご参加ください。ぜひ、共に歩みましょう。

喧嘩や議論や、足の引っ張り合いなど、している暇はありません。分断は協働にとって、邪魔であり、非生産的で無意味です。
集結し、団結して、子供の未来に共にコミットしていこうではありませんか。


2017年10月26日木曜日

子供の潜在能力について

今日の5時間目、西南学院大学法学部の教授の先生方5名がお見えになり、授業見学をしてくださいました。大学の英語の授業デザインについて、模索してあるとのことでした。授業は、グループワーク形式で、読解、要約、スピーキングで発表、ジグソーでスピーチ、までを行い、with a script, on the desk, without a script, natural speechまでの流れをみていただくことができました。

生徒が原稿なしで、表情豊かに教科書の内容をグループで語りかけていく様子を見て、驚嘆してくださり、生徒たちを褒めてくださいました。

とても良い授業になったと思っています。

明日以降の授業では、CLILのタスクで、テクノロジーをデザインする活動を行い、ブレストを繰り返し、ノートPCでググりながら、自分のプレゼンを作り上げていき、英語での発表に磨きをかけ、さらに質問でエッセンスを掘り下げていく活動へと移行していきます。

レッスン終了の仕上げの〆は、TEDの視聴、ブレスト、英語でディスカッションとQ&A、のちにライティング、再度のスピーチ発表、の流れを組みます。

大学の先生方へ説明をしながら生徒の活動を引いた目で見ていると、こんなにスラスラと表情豊かに英語が話せるようになっていて、なおかつ筋道を見失わずに、適切に相手に伝える技能が育っていることに嬉しくなりました。

生徒たちがとても成長していました。こんなに立派になったのか、と思うと、彼らの過去を振り返って、過去に高次元思考型の活動や、協同学習、アクティブラーニング、4技能型の英語授業の実施を恐れていた自分のことがとても恥ずかしくなりました。

できなかったのは生徒ではなく、勇気を出して一歩を踏み出せなかった過去の自分だったんだ、と思い、生徒の潜在能力の高さをますます驚嘆すると共に、どんなことも、やってみれば、生徒はきっとできるんだ、と確信を深めました。

生徒の能力は無限だと思います。
いつでも、何度でも、どこまでも、生徒は伸びていける。

そんなことを思った1日でした。

2017年10月15日日曜日

勝つための条件:ボール競技で試合に勝つってどういうことなのかをぐずぐずと雨模様的に考えてみる。

良い選手が集まり、指揮官の優れた戦術があればチームが勝つほど、ボール競技というのは甘くはない。

ボール競技の試合で勝つには、化学反応が起こらなければいけない。人はそれを、気合いや根性、と言ったり、科学的な分析や微細な相手の情報分析と呼んだり。選手のスカウトが大事だったり、とか。

あるいは、勝つための条件を羅列して、特に優れて突出している要素が際立って見えるから、それを勝つための方程式と言って人が語ることがある。

その良い話に引き摺られて、それを聞いた人がそのメソドロジーを擬えても、同じ結果が得られないという悲しい結果を喰う羽目になることも枚挙に暇がない。

勝敗は白黒がはっきりとしているが、その原因や理由については、これはもう、全てがその原因や理由になりうると言っても過言ではないくらい、複数項目に及んでしまう。

勝つための準備は、考え付く限り、全てやらなければいけないけれど、勝算が期待通りに当たるというのは、素人が行うスポーツ競技においては、なかなか言い当てるのが難しい。

例えば、長時間練習をしたとしても、勝てる保証はどこにもない。けれども一方で、ある程度の練習量をこなさなければ、体力やプレーの感覚や技術が身につかないから、一定の練習量が確保されなければ確実に負けてしまう。(この一文目の「長時間練習」を、技術力の高い選手、とか、監督のカリスマ性、とか、考え付く限り色々なキーワードに当てはめることができる。)

全てにおいて共通する条件としては、「選手はできるだけその競技が上手であることに越したことはない」ということ、「チームの内部にいる人ができるだけそのスポーツに精通しておいた方が良い」ということ、さらに、「チームが、監督、選手、関わるスタッフ全てにおいて、ファミリー化していて、意思疎通の妨げがない人間関係が保たれていることが望ましい」ということ、この3つで、その他の勝算の勘定に入れなければいけない条件は、それこそ選択肢の数だけいくらでも無数に存在しうることになるのだ。

先輩たちは自分たちよりもものすごく上手でうまかったのに勝てなかったけど、自分たちの代は、それほど際立ったエースのような選手もいないし、特にこれと言った特別感がチームにあるわけではないのに、結果がで続けている、ということは、これはもう、本当によくあることなのである。

チームが高校サッカー選手権大会の1回戦を突破し、福岡県でベスト16に勝ち進んだ。とても誇らしい気持ちがする。

勝った勝因は何か。それは勝ったから勝ったのだ、としか言えない。勝つために何をしたか、と言えば、うちのチームが勝ったという事実を裏付けそうな全ての努力や計算を、チーム全体がしていた、、、かもしれない、としか答えようがない。

今日1日を振り返って一つだけはっきりと分かっていることがある。

それは、このチームの勝利によって、僕は今とても興奮して気分が良い、ということである。

もっとも大いなるもの

単語の綴りを一生懸命練習するけれど、何度も、何度も間違える子がいる。 でも、授業中、何度もうなづきながら説明を聞き、話に耳を傾け、大きな声で歌を歌う。フォニックスの発音を、口を縦横いっぱいに開けて発音する。 oshienと単語テストに書いてきた。oc...