2017年9月22日金曜日

追憶の脱線グリッシュrevisited


 そして、またブログを再開するのです。より自由でいる為に。

Facebookもある程度にして、告知とか、写真で近況とかはいいと思う。生きてるよー!的な。でも、毎日毎日更新してた自分を振り返ると、やっぱり滑稽だし、馬鹿げた生活スタイルだよね、と思い直して、思い切って、一日に1回くらいちらっと見て閉じるスタイルに変えてみようと思ってそれを継続してやってます。

あ、ブログあるじゃん、ってそこで思い直して。それでブログ書くことにして。

ブログを久しぶりに再開してみようと思ったのは、SNS依存を治すために、とりあえずインタラクションを避けてみようと思ったからで、SNSをこれ以上続けていても、自分にとって時間の浪費ばかりでいかん、と思い立ったから。

また、文章を自由に書きたい、もっと自由に表現したい、と思ったから。

なぜ色々なことに気を遣って文章を書いたり、いろんな方々とやり取りをしなければ行けないんだろう、と思い立ったのは、SNSは他者との関わりが主たる目的なので(ソーシャルにネットワークを構築するわけですからね)、他者を慮ることが前提で、自分の自由な発想や意見を表現することは許されない。やってもいいけど、それだと怒ったり傷ついたりする人が出てきたり、ってことになっちゃう。だから、500名くらいと繋がると、どうしても当たり障りのないコミュニケーションになってしまう。

それでは自分が自由に意見を言ったり、思ったことを書いたりできないじゃん、って思うのと同時に、そんなやり取りだったら、飲み会とかご飯とか行った時に、ああ、そうですね、あれ面白かったですよ、って言えば、それで十分じゃんね、と思い直して。

ブロゴスフィアの良いところは、ユニラテラルな表現がある一定程度許される所にあり、また、誰が読んでて、どう言う反応をしてくるか、なんて一切気にしなくても良いので(本人が平常心を保っていられるのなら、だけど)「取り扱い不注意」で良い。そこが魅力。読み手もコラムを選ぶ権利があるわけだから、好きな文章だったら購読すれば良いし、気に入らなければ読まなければ良いだけの話だしね。

「いいね」ボタンをデザインしたザッカーバーグはここが強かで、誰でも簡単に評論家気分になったり、一丁前に意見を述べたりしてそれなりにスノッブに振舞っていても誰からも叩かれないし、自分のプライドも満たされるし、その意見にいいねがつけばママに褒められたような気持ちになって承認欲求もそれなりに満たされるから、誰でもやりたくなる。特にリアルな生活で鬱屈気味になっていたりすると、余計ネット依存が強まったりする。僕がそうだったから、これは本当にそうだと思う。

また、表向き、面と向かって人に言えないような過激できな臭い意見でも、ネットは文章化することにより、それなりの正当性を持ちうるからこれまた厄介。うーむ、そんなこと言ったり書いたりしちゃって大丈夫なの、と思うことを、一般的にそれなりの地位や名誉にあったりするような人が臆面もなくどんどん書いたり言ったりするような世の中になってしまった。

それはfreedomではないのだけれど、自由ではあるわけです。それが曲者ね。

競争で勝つ為には常に一番になり続けることが大事なんだけれど、競争に勝つ為の一番の早道は、ルールを作る側に回り続けることなので、こう言うめんど臭さとか、厄介さに打ち勝つ方法は一つ、関わらないことか、自分が胴元に治ることしかない。そうでないと、ルールを作った人に隷属し続けなければいけなくなる。

あー、だから、SNSはROM(読むだけ)が一番健康的だよねー、と僕は思うし、意見を言いたい時は、いいねもコメントもできないブログが一番だな、と思う。めんどくさいことを言ってくる人にいちいち苛立たないし、反応もしなくていいし。どうしても反論なり、感激なりをした人は、メールを送ってきてくださる。それでいいんだと思う。12年前もそうやってたし、また昔に戻ればいいんだな、と思う。僕はそうやって西山哲郎と親友にまでなれたし。何一つ不自由は感じない。

もっと気楽に、気軽にSNSも使えたらそれでいいんだと思う。それこそインスタみたいに、写真だけ載せといて、今こんなですー、って感じで、お互いにコメントもしない、いいねも押さない、それでいいんだと思う。いいね、と思ったら、今度それ、自分とやらないか、って連絡して、リアルでやればいいと思う。

自分が輝いている様子を人に見せることと、他人が輝いている様子を見ることは、同じ行為なんじゃないか、と僕は思っていて、自分はこんなにいけてる人生歩んでますよ、と人に喧伝してくことで、充実してる自分、と言う像を満たしてるだけだし、また、人のリア充にいいねをしたところで、いいなー、羨ましいなー、って羨望するだけで、それは妬みに変わりますもんね、いつか。だから、やっぱりスッキリ、さっぱりがいいような気がするなぁ、と思います。

あー、IECCの大会に出て、東京で過ごして、嵯峨さんと原田くんと飲んで、長いこと関東で過ごしてることが多いですね。大阪も好きなので大阪に帰りたい。明日はゴリラが泊まりにきます。鱧鍋作る予定。
和泉先生の授業受けてから、自分で指導案を毎回作ることにして、授業デザインの醍醐味を楽しむ日々。生徒に読ませる&聞かせる生素材の選定も楽しい。
★近況報告的なアレ★

授業:ジグソーで読解&3ステップリーディング。その後、動画見て内容把握しつつ、自分のアイディア作り、グループディスカッション、発表、一番良いアイディアを選ぶ、それをグループでプレゼンづくり、全体発表みたいな流れで授業してます。クリティカルシンキングまで含めたタスクを模索しつつ、行きつ戻りつ、で。GTECと模試の成績は伸びてたので、宿題出さない、小テストを頻繁にしない、一斉型指導をしない、で相当生徒が変わりました。生徒すごいよなぁ、と思う。こんな風になるんだな、と驚嘆。胸キュン。あるクラスではプレゼンの前に、追い込み、揺さぶりの入れ方がわかってきたので、生徒を揺さぶりながら、より良いプレゼンになるように促していって一定の成功。月曜日の発表が楽しみ。

英語TR:松本道弘先生主催のICEE大会に参加してきた。午前中突破して、午後の六角ディベートで負けちゃいました。その後、松本先生に声をかけていただき、英語を鍛えていただくことになりそう。CNNのアンダーソンクーパーの番組をとにかく毎日欠かさず聴いてるのと、生徒の教科書CROWN2のレッスンを同時通訳してるくらい。英語戻しの教材を探してます。幼ちい日本語からやらないとね。あ、そうか、日本昔ばなしやってみようかな。

本:フォトリーディングでサクサク本をリーディング。読む速度、10年前に比べるとすごく早くて、2、3日に1冊くらいのペースで読む日々。上智大学出版のCLIL三部作とアルクから出てるCLIL本はすごい良かった。英語授業改善を考えてる方、おすすめ。新書は「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか」っていう山口周さんの本が秀逸。良書。図解モチベーション大百科はトイレの暇つぶしと行動再確認のために。Q思考はまだ読み終わってないけど、酔っ払いそうな翻訳と共に。でも中身はとても良いね。松香洋子先生の本をいただいたのでそれも。松香フォニックスの創始者の方。素晴らしい良書。良い本をいただいた。古典は日本永代蔵をぺらぺらと。つか、高橋一也さんとか、石川一郎先生の本とか、読んでないとダメだからね。そんなもん、雑誌のインタビューくらいでしか知らないなんて、ダメよ。

まとめたら色々書いてしまいましたが、12年前にやってた脱線はこんな感じだったので、これからできる限りこっちに書くことにする。
銀座の歩行者天国にて。高級寿司を食べ放題した後に、陽の当たる大通りを散歩してた。楽しく最高の休日。

七月からこっち、心が小気味いい。すごく愉快な人生。

2017年7月20日木曜日

若い英語の先生たちへ:生徒の為に英語を勉強しよう




とある勉強会で、発表を頼まれた時のこと。5年くらい前の話。

「英語の授業で生徒に同時通訳トレーニングをさせることになんの意味があるのか。入試に関係ないことをさせて、生徒を不幸にしているのではないか。」と別の学校の英語の先生に言われ、そういう下らないことをして、自分の趣味に生徒を付き合わせるのはダメなことだ。受験指導をもっと勉強して、趣味に逃げるような仕事の姿勢を早急に変えろ、とアドバイス(だったのかな、どうなんだろう。)を受けたことがあるんです。

この言葉を聞いて、表現を失うほどのショックを受けたと同時に、もうこの勉強会にいても、生徒の為にならないな、という思いが強まったことを思い出します。その後、ほどなくして、その勉強会には二度と行かなくなりました。

英語力を高めて生徒たちの前に立ち続けること。
英語教師として、一番大事なこと。
専門家として、守るべき学びの姿勢。
毎日の英語の勉強、トレーニングを絶対に疎かにしないこと、
教材研究は業務であり、授業の予習は仕事なので、英語の勉強にカウントせず、自ら、英語の勉強に毎日コミットし続けること、この1点こそが、まず生徒の知性に対して敬意を払う最重要事項なのではないか、と僕は思っています。

若い頃の自分は、「生徒にこれを教えても、できないし、わからないから、これはやめておこう。代わりに、簡単にできて、わかりやすいこれにしておこう。」と思って授業を作っていた時代があります。

でも、ある日、他県の先生の素晴らしい授業実践に触れ、僕も自分の生徒たちに素敵な英語体験をさせたい、英語に触れる喜び、外国語を学ぶ喜び、外国語学習を通してみる祖国の文化、祖国の様子を見せたい、そんな風に強く思い立ち、生徒たちに本当の英語力をつけさせる為にどうすれば良いのか、英語教材ではなく、ネイティブが日常触れている英語に生徒も触れさせ、その上で、英語の力をつけて行きながら、英語を通して世界をみる視野を培わせたい、そう信じ始め、「生徒は、これはまだ難しすぎるのでは。」と思う発想を全て捨てました。

代わりに、「できないかもしれない。でもきっと喜んでくれると思う。ただしこの活動だけでは生徒の英語力が全て上がるわけではないから、補完、補強できるように責任を持って鍛えよう、よし、こういう授業をやってみよう。」と勇気を奮い立たせて、生徒に少しでも良いと思う活動や実践を全て授業にぶつけていくことに決めて、毎日実行し続けました。

人の目なんて、評価なんて、評判なんて、全く気になりませんでした。そんなの、後回し、とにかく生徒が身を乗り出してやり続ける活動、継続して力をつけていける方法論を模索し続けました。

同時通訳トレーニング、和訳先渡し、スピーキング活動、グループワーク、ライティング活動、多読、歌の活動、どれもやり始めた当時、全く理解を得られないばかりか、冷ややかな視線を向けられたり、冷笑され、こんなことをしても無意味だ、絶対に失敗する、考え方が甘い、現実を見ていない、生徒は受験さえ突破できればいいんだ、なぜ自分の評価が下がるような授業実践をするんだ、ともう四方八方から総攻撃を受け続けました。

でも、泣きませんでした。
でも、転びませんでした。
でも、後ろを見ませんでした。

代わりに、英語が苦手だったり、コミュニケーションが苦手だったり、悪さをして目をつけられたりする子供達の顔、表情、授業中の様子、学年でどんな風に過ごしていくか、自分の英語の授業が子供達に何かコミットできないか、そこに目を向け続けて教壇に立ち続けることにしました。

文法の説明が不味かったり、問題演習が下手だったり。
生徒が居眠りしたり、授業中に授業がうまくいかなくて崩壊したり。

ありとあらゆることも経験しましたが、その度に、
俺の英語力が低いから、生徒たちに満足のいく授業ができないんだ、と思い、勉強に打ち込みました。

僕には留学経験がありません。ですから、留学をしている人にはとても負い目を感じています。

僕も願わくば、留学したかった。米国で大学の学位を取り、流暢な英語を話して帰国し、立派な先生として歩みたかった。

でも、それはできない。どうしよう。

本屋さんで必死になって解決策を見出そうと本を探した。
出会った本が、KHシステム。そしてアルクのEnglish Journalでした。貪るようにトレーニングに打ち込みました。
食い入るように、EJに書いてあることを全て馬鹿正直に実行しました。

今思えば、29歳の時から本格的に燃えて始めた英語のトレーニング、この14年がなければ、今の自分はありません。

その前に、英語の先生は英語を勉強しなければいけない、と教えてくれた、英語教師達人セミナーで出会った、谷口先生、千田先生、中嶋洋一先生の言葉が今でも忘れられません。

日曜日、月曜日、と、福島県いわき市、宮城県仙台市で、英語の先生方向けのセミナーを行いました。各会場ともに25名ずつのご参加を頂きました。去年に比べ、若い先生方が増えていました。

会は充実の内容で、2日間とも、とても良いセミナーになりました。また来てください、先生、勉強させてください、若い人、困っている先生方からかけていただいた言葉が忘れられない。

セミナーから帰って来て2日目に、なお持って熱い思いでいることは、自分の中でかなり異例のことで、驚いています。

この胸の情熱に火を灯してくれた若い人たち、そして東北のみなさんの為に、今日はブログを書こうと決心して、このタイトルにしました。

どうか英語の勉強を必死にやってください。それが生徒の知性に
敬意を表することです。

自分が教えている生徒が、自分の英語力の高さ低さを見抜けないとしても、英語の勉強を続けてください。

生徒に自分の英語力の無さがバレなくてもいいや、と思えば、仕事は楽になります。

でも、それは生徒の「英語を勉強したい。」という気持ちに対する侮辱を含んでいます。お前はそんな高みほどには英語を勉強する必要もない、だからここら辺でいいんだよ、と言うに等しいことだと思います。

生徒に不要か必要かは無関係です。生徒たちの学び姿勢に敬意を表する時、私たち英語教師は、英語を勉強し続けることを決してやめてはいけない、僕はそう頑なに信じています。

若い先生方、困っている先生方、生徒たちを愛する全ての先生方に対して、これからもますます、多角的に協力ができないかを模索しつつ、勉強会、オンラインディスカッション、セミナーをやり続けていきたいと思っています。

子供を愛する人たち、未来を創る人たちのお手伝いがしたい。
そう強く、ますます思うようになりました。

多くの人がなかなか集まらないですが、この頃肌で感じることは、去年に比べ、少人数だけれども、半数以上がリピーターであり、また毎回、モチベーションを最大限に高めて来られてあるな、ということです。

鉄は熱いうちに打て。

今、この機の高まりを決して逃さぬよう、今後も教育活動を熱烈かつ、情熱的に行っていくつもりです。

日本にいる全ての子供達に、学びの夜明けを。
心から願っています。

では、また( ´ ▽ ` )

2017年7月18日火曜日

英作文ってなんの力を測ってるのか、辛子味噌つき紫キャベツを頬張りながら不思議に思いました。


日本の英語教育の中で、「英作文」と言うと、大抵は、和文英訳のことを指し、ライティングと言うと、自由にエッセイを書いたり、描写をしたり、大意要約をしたりすること、と言うイメージを前提に話が進むように感じます。
入試問題演習のような文法ドリルみたいなもので、英作文の問題、と言うと、大抵は、和文英訳、で、これを徹底的に練習させられて、自由英作文は、直前にちょろっと書かされるか、コミュの授業でグループワークをやったりした時にだけ、ちょろっと書かされるのが精一杯、あとは、日本語1文(多くても4、5文)を英語に翻訳する問題が課せられます。すなわち、日本語を英語に通訳する問題、と言い換えても良いと思います。 問題の趣旨は、日本語で考えていること、思っていること、読んだもの、聞き知った知識を外国語で表現できるかどうか、その精緻なレベルはいかほどか、を問うているのだと思いますが、「うーむ。」と疑問に思うこともあります。 それは、和文英訳、の、和文、はコンテクスト(文脈)を持ったコンテンツ(内容)であり、流れの解釈の仕様によっては、書き用は複数存在することになるからです。その文章をどう捉えたかによって、言い方が違ってくる、当然ですよね。読んだ人によって解釈が変わって当然なんですよね。 A:「洗濯物取っておいて、って頼んだでしょ?」B:「すぐに、って意味だったの。君が帰ってくるまででいいや、と思ってたんだ。」A:「台無しじゃないの。もう。」B:「言ってくれればよかったのに。」A:「普通、それくらいわかってくれてもいいじゃない。」 と言う夫婦の会話があるとしますね。これを英作文にしなさい、と言う問題が、仮にあるとします。(こんなこじれためんどくさい夫婦の会話、出すとか、ありえないけれど、その昔、冷え切った夫婦の静かな沈黙の冬のテーブルごし描写を読解で出した某有名私大の例があるので、もしかしたらあるかもしれないと言うことで、ここはご了解頂いて、と。) この場合、AさんとBさんの関係が、男女なのか、男性同士なのか、女性同士なのか、家族なのか、共同生活をしている友達なのか、共同生活はしているけれど友達ではなく他人なのか、そこもはっきりしないので、いかようにも解釈が可能ですね。 すなわち、喜怒哀楽の設定も、気持ちの忖度も受け手側によってどうとでも解釈ができるので、これ一つが正解、って言えないんじゃないか、って状況になってしまう。 次に時制ですね。頼んだ、のは過去、意味だった、と解釈したのは、いつ?台無し、なのはAが今洗濯物の様子を見てそう思ったのか、それともそうなってしまった、と言う完了状態を憂えているのか、さらに、普通、と言う言葉、とかね。つっこみどころはいくらでもありますよね。もう少し性格悪く細かく見ていくと、Bの「すぐに、って意味だったの。、、、」はマル、で文章が終わっているので、これは疑問文なのか、肯定文なのか、厳密に言えば、わからないですよね。相手の声の抑揚や、表情、会話の間にある間合いが、この字面からは一切伝わってこないので、このコンテンツを英訳しなさい、と言われれば、とりあえず多面的に捉えることが可能なコンテクストを、自分が持ち合わせている英語のコマンドを使って、採点者に伝える努力をするしかない。それしかないですよね。 これって、もはや、英語力を問う問題なんじゃなくて、場の空気をいかに高度に読み取ることができるか、って言う能力がどれくらい長けているかによって、解答に差は出やしないのかしら、と僕はふと思ったんです。 会話の状況を英語に直して、文法の能力を見るんだったら、わざわざこんな問題にしなくても良いだろうし、じゃあ、一体この問題形式って何のためにあるのか、もはや「入試問題の入試問題による入試問題のため」にだけ存在しうる、稀有な脆くも儚いゆらぎの存在なのではないか、何という存在の悲しさ。嗚呼、和文英訳さん、、、。
上記のことを踏まえてると、無数に解答が可能な問題の精度を高めていくんだったら、むしろ、エッセイライティングを大量にやっていきながら、エッセイの条件設定、文章の幅が出てくるような付帯条件を細かく設定する、などの工夫をして、どんどん書いていきながら、ミスが出てきた場合に、効果的にそれを拾いつつ、ミスのalternativeになりうるsubstitutesを都度学んでいく方が、言語のアウトプット能力の育成だけを考えた時には、効果が高いのではないだろうか、と考えたんです。話す技術もこれと同じプロセスを経る方が確実に上手くなります。お題について英語で話す、ヒントを学ぶ、練習する、再度お題について英語で話す、の流れですね。 これまで高校生の受験指導をしていて、幾度となく疑問に思いながら、実感を伴わないまま、頭の中での結論で疑問を封印していたのですが、日、月、と福島県いわき市、宮城県仙台市でセミナーをやらせていただき、授業実践法、教科教授法をシェアしている時に、自分で整理できたことがこれでした。なるほどね、ウンウン、と心で何度も頷きながら、話をさせていただきました。僕の方が得した気分ですね。得してすみません、ごめんなさい。 詳しいお話はまたセミナーで実際に体験して頂きながら、お伝えしますね。 西山哲郎くんと一緒に追求しているオーガニックアプローチ、毎日の積み重ねによって、生徒たちの力を伸ばしていく手筈がどんどん精度を高めていっています。 考え方や理論体系、パラダイムシフトを経験しまくると、めまぐるしく展開や状況が変わってしまいますね。また新境地にきてしまった気分です。 ではまた(´ω`)

2017年6月1日木曜日

"Sparkling"体験、してきましたよ( ◠‿◠ )


素晴らしい2日間でした。平田オリザさんのご著書「下り坂をそろそろと下る」を読んでから、演劇に参加したいとずっと思っていました。劇そのもののパフォーマンスに関しては、ずっとやりたかったことの一つです。 僕の子供の頃の夢は、コメディアンでした。今でもコメディアンに憧れている気持ちはとても強く、コメディアンとしてステージに立ちたい、と思うことは強いです。ですから、スタンダップコメディ、シチュエーションコメディ、スキットコメディ、コメディに関してはとても大好きで、参加して自分でやりたいと思いながら、モンティパイソンとフォールティタワーズの台本を買って、20代の頃、空で言えるまで何度もセリフを読んだ思い出があります。 また、落語家に憧れていた時期もあり、30代中期には、古今亭志ん生師匠のCDを100枚くらい買って、とにかく片っ端から落語をシャドーイングしました。その頃、並行してKHシステムのトレーニングと、フォールティタワーズのDVDを見ることに没頭している毎日でしたので、志ん生師匠の落語と、ジョンクリーズのセリフと、KHシステムのシャドーイングを行ったり来たり。物凄く充実した濃いトレーニングライフが送れていた記憶があります。 今回のワークショップ参加の目筋は、すでにこの頃、いや、子供の頃から、培われてきたもの、僕の内なるヴォイスだという確信が強まりました。すなわち、今回のマーブルズへの参加は、僕の人生の中で、必然であり、起こるべくして迎えた運命の道すがらだったと言えると思っています。 大仰に言い過ぎなのかしら、これ。 今回の英語DEドラマ、本当に素晴らしいエクスペリエンスでした。 真澄先生から"Why do you feel that way, why?"を問われ続ける時間、gleeのレイチェルが、ウーピーゴールドバーグから問われる時間を追体験できた気持ちでした。どうしよう、どう答えればいいんだろう、そういうドキドキが突きつけられる、そんなsparklingな時間の連続で、気がつけば夜の21時半、あっという間の1日目終了。 僕も西山君も純ジャパで、留学経験も全くないし、"Wicked"なんて純アメなドラマ、演じたり歌ったり、それはもう、想像を絶するタフネスだろうと思っていたんですけれど、、、。 僕は今回、改めて思ったことがありまして。 哲郎君と僕は、キャラがもう生まれつき、感動体質、喜び体質、トキメキ体質なんですね。だから、体が火照るやら、胸が熱くなるやら、歌の時のパートナーの女性と見つめ合う時に、ワォ!な気持ちになるやらで、心がテンヤワンヤだったわけです。 そんな生まれながらの天性の感動体質を持った二人が、こんな素敵なグループのワークショップに来てしまったもんですから、マァ、朝から晩まで、お腹のそこから笑い転げ、喜び、楽しみ、心をみなさんと重ね合わせて、夜を迎えた、というわけです。 長い一日が終わり、お互いに普段から語り足りていないのか(というか、毎日LINEのやりとりを恋人か!ってくらいしてるから、あまり疎遠感がないのですけれど)、近くの焼肉屋さんで語り合いました。その時間もとても大事な時間だった。 「俺ら、こんなにオイシイ思いさせてもらって、いいんだろうか。なんか、罪悪感がやばいよね。すごい体験させてもらってるんだよね。すごい立場に置いていただいてるよね。」という話に終始していて、改めて、この2年間でお世話になって来た先生方、諸先輩方に、頭を垂れる夜となりました。 二日目はあっという間にゲネプロ(ランスルー)、そして本番、修了式になり、皆さんの想いを聴きながら会場を後にしました。
今朝は珍しく寝坊をしてしまいました。そして疲労感に襲われた一日でした。夕方帰って来てテニスに行くと、テニスは絶好調でした。真澄エフェクト恐るべし、生活に異変を起こす!マーブルズ恐るべしです! 真澄先生、出会いに感謝いたします。マーブルズの皆さん、本当にお世話になりました。参加者の皆さん、愛をいっぱいもらいました。皆さん、ありがとうございました。2日間、幸せでいっぱいでした。また来ます。今度は仲間も連れて来ます。 暁の会でも、ドラマをやるワークショップを来年以降に開設しようと思っています。勉強しないとね。一生懸命勉強します。 英英辞典、スピーキング、多読、ライティング指導、4技能。
わかる、わかる。大事だよね、うんうん。 でも、それが授業でできるようになって、物足りなくなった。 なんか違う。生徒たちの顔、まだこんなじゃない。 もっと生き生きする。もっと生徒は自分を表現できる。 そう思いを募らせている時に、ヘレンから言われた。真澄先生に会わせる、二人を真澄先生に会わせたい。そうして今回、うちら二人は初めて真澄先生の愛を全身で受けた。素晴らしい体験だった。 日本でいちばん幸せな中高英語教師の二人だと、僕らは勝手に思っています。本当に幸せだった。 こんな現場を作りたい。子供達の心を解放したい。子供達の心の声を、胸の震えと体の鼓動を。 退職まで、後20年しか時間がないです。ますます急がなければ、と思っています。 最後に、時間を伴った皆さま、本当にお世話になりました。僕も西山も、またマーブルズに帰って来ます。今度は友達も連れて来ます。ありがとうございました。 生きてると、良いことがたくさんありますね。
素晴らしい。 生きる、って、いいですね( ◠‿◠ ) お詫び:
ブログの更新がなかなかなされなくて寂しい、と言っていただくことがこの頃あり、とても嬉しく思っています。いつも読んでくださり、ありがとうございます。諸事情があり、どうしてもブログに掲載できない情報やご報告もあり、フェイスブックの方に掲載させていただいております。

また、近日中に、暁の会のHPが立ち上がります。そちらの方から、いろんなコンテンツにアクセスできるようになりますので、ご期待くださいね。 土曜日、日曜日と、2日間、マーブルズ英語芸術学校主催の「大人向け英語DEドラマ in 大阪」に参加させていただきました。僕と哲郎君が敬愛し、師と仰ぐヘレン先生のご紹介を受けて、小口真澄先生のご指導を直接受ける恩恵に浴することができたのです。



2017年4月27日木曜日

CLIL授業実践のDVDが出ます。


5月1日に、ジャパンライム、と言う会社さんから、授業のDVDが出ます。

これは去年の10月に、英語教育達人セミナーを名古屋で行いまして、その時の様子を収録した動画に加え、どのような意図を持って授業をしたか、などの解説ビデオを加えてセットでまとめたものです。谷口先生のお計らいで実現した企画です。谷口先生、本当に感謝しています。ありがとうございます。

これは自分のDVDでは2本目です。

前回のビデオは、恥ずかしかったのと、完成度の点から、あまりおすすめしたり、ブログに書いたりはしませんでしたが、今回のDVDはよろしければぜひ見ていただければ、と思っています。

CLIL授業に関する情報に関しては、こちらのHPをご参照いただければ、と思います。

教師が生徒に英語を語りかけながら授業をする際の新たなアプローチ、教科を超えた統合的なアプローチ、それがCLIL授業です。

http://primary.cliljapan.org/what-is-clil/

今年は、暁の会で、また新しいことができないか、と共同代表の西山くんと忙しく毎日詰めて話をしていまして、12月までに、いろんな動きとコラボがあると思います。計画のテーブルに色々載ってて、実現に向けて、色々詰めているところです。

とりあえずは、本DVD、そして、6月18日(日)のハーバード大学ケーススタディ@京都、さらに、7月29日京都暁ジョイント、ゲストは、アクティブラーニングのアントレプレナーです。
お楽しみに。

暁の会は、ウェブでの英語ディスカッションの番組運営もしています。毎週水曜日、夜21時30分からです。

今年は活動の幅がますます広がっていく予感がしています。楽しみですね。休む暇がないです。こまったー(^◇^;)
嬉しい悲鳴の連続です。

DVD、どうぞよろしくお願いいたします。今年はこう言うコンテンツ関連で、皆様に見ていただけるもの、読んでいただけるものを西山くんと色々できないか、考えています。

お役に立てるかわかりませんが、どうぞよろしくお願いいたします。

授業のご報告もしたいです。素敵な感じになってきています。
こちらの方は、後日、脱線でご報告いたしますね。
今、英文法の授業と読解の授業で新しいことを始めましたので。

お楽しみに😉


2017年3月23日木曜日

僕の通知表

今年1年教えてきたある女子生徒から手紙をもらいました。とても心が温まりました。

それと同時に、子供達のこういう言葉が、僕の成績表みたいなものなんだな、と改めて思いました。


私は中学3年間、英語が全く出来ないし、苦手だし、嫌いでした。

英語の本読むなんて、絶対出来ないし、したくないと思ってました。でも今年、ORT読んだりOED引いたり、英文考えたりするようになって、自分でも全く出来ないことは無いって事に気づきました。一年前の自分では想像もつかないぐらい英語に触れることが出来てます。今じゃBruno Mars好きでよく歌ってます笑スピーキングもまだまだ皆には追い付けないけど、自分の中では出来るようになったと思えます。この一年で英語が「嫌い」から「好き」になれたのは、自分にとって本当に大きな事で、進路とかの見方も変わりました。十督先生のお陰です。本当にありがとうございました。 」

自分の英語教師としての仕事は、点数や進学率にコミットすることではなく、生徒の心と気持ちと習慣にコミットすることなんだな、と決意を新たにしています。


英語が嫌い、英語が苦手、英語はちょっと、という生徒を笑顔にし、元気になってもらい、英語に対するハードルを下げ、英語を授業で使い、たくさんの英語に触れて、もっと英語が知りたい!もっと英語に触れたい!と自然に思ってもらえることが僕の授業のテーマであり、目的なので、こういうメールをいただくと、今年一年は実りある一年だったな、とホット胸を撫で下ろします。

そして何よりも、この子が英語をこんなに好きになって、英語に対してワクワクドキドキな気持ちになってくれたこと、これが一番の慶びであり、誉れです。


過去にもこれと同じようなメールをもらったことがあります。こちらは男の子です。


「6年間本当にありがとうございました(´つヮ⊂)
突然なんですけど、俺、英語自体は好きなんです
たしかに勉強は全然できないし、嫌いだけど笑
でも英語で喋ったり、英語で映画見たり、音楽聞いたりってのはすごい好きで
そういうのって、この学校に来てなかったら絶対なってなかったし、先生に出会ってなかったら絶対なってなかったと思ったんです。
実際グラマーよりリーダーの方が好きで、黙々と問題解くより、音読したり、皆で英語の音楽歌ったり、そういう方が僕には楽しくって、記憶に残ってるんです。
先生は以前、僕たちに俺のせいで英語を嫌いにさせたかもしれないって言ってくださったことありましたよね?
でも俺、先生に出会ってなかったら英語の楽しさなんて1ミリも知らなかったと思うし、嫌いだったと思うんです。
きっと、こう思ってるのは自分だけじゃないと思います!
それに、先生は僕たちに本気でぶつかってくれて、俺は本当に先生の事が好きです!笑
結局何が言いたいんだよみたいになっちゃいましたけど、
偉そうになっちゃいますけど、先生の英語の教え方に間違いはないと思います!
そして、俺は英語が好きです!笑

これからも英語の楽しさを教えて下さい。

自分の英語教師としての仕事って、なんなんだろうな、と改めて考え直しました。

生徒の点数を伸ばしてあげたい、志望校に合格させたい、という気持ちは、どんな先生にも負けないくらい、強く抱いています。

その前提として、生徒が英語に大量に触れていくこと、生徒が英語を大好きでい続けること、この2つがどうしても前提条件になります。

同時通訳トレーニング、英英辞典の活用、多読、スピーキング活動、アクティブラーニング、ライティングエッセイ、全てにおいて、子供達に有効な手立てであったと思っています。

ベネッセの模試の成績も良かった。子供達の満足度もある一定のレベルにおいて、広く支持を得られることができた。

次年度はさらなるディープな英語の世界へと突入していきたいと思っています。

4技能を効果的に用いたCLIL型授業、アクティブラーニングはもはや当たり前すぎて、その言葉を使うのも耳タコなくらい定着浸透してきていると思います。

親しくさせていただいている姫路の国語の先生が先鋭的なことをしておられます。
4月に京都で勉強会があるので、そちらに参加させていただき、しっかりと勉強してきたいと思っています。

メールをくれた人、本当にどうもありがとう。
心から嬉しかった。また頑張ります。
共に次の 'giant step'を踏み出そうね。

2017年3月20日月曜日

小学生から学んだこと

息子たちと旅行に行き、有意義な2日間を過ごすことができました。

色々な会話をする中で、興味深いことを次男が言って、びっくりしました。

「お父さん、勉強の中で一番学べる行為は何と思う?」

僕は、うーん、考える、かな、話す、かな、と色々答えましたが、息子が、全部違う、と言いました。

どんな答えが返ってくるか、と静かにしていたら、こんな風に言いました。

「お父さん、それはね、教える、っていうことよ。人に教えるのはね、自分で知っとかないかんし、勉強しとかないかんやろ?

そしてね、また、それだけじゃダメで、友達に説明する時に、わかりやすく言わないかんやろ。やけん、色んな工夫がいるとよ。

やけんね、人に教える、っていう行為がね、勉強の中で、一番学べる行為とよ。知っとった?」

僕は、この言葉を聞いて、これが小学校4年生がいう言葉か、と驚嘆してしまいました。

その後続けて、
「へぇ、じゃあ、授業の中で学び合いとか、話し合いとか、富士くん(次男の名前)が先生役になったりすることがあると?」

と聞くと、理科の専科の先生がとても素敵な先生らしく、次男はその先生が授業中にしていることを全て話してくれて、さらにその先生が語ってくださるお話の内容も教えてくれました。

その先生、めっちゃ良い先生でね、でもちょっと変わっとうっちゃけど、好きっちゃん。めっちゃ勉強になるとよ、と付け添えて話してくれました。

自分が授業でアクティブラーニングをしていることを息子たちは全く知らないはずです。でも、このお話を聞くと、とても嬉しい気持ちになりました。

小学校の現場では、どんどん子供達の知性にコミットする教育実践が行われている、ということ、さらにそれを受けた生徒が、自分が感じた教育効果を実感して深く内在化できているということ、さらに、仲間と一緒に勉強したり工夫したりしている授業の形態は、全国的に広がりを見せ、各現場でかなりの部分で浸透してきている、という事実を知ることができたからです。

年度末に息子たちと旅行に行き、今年の総括を子供の口から聞かされる、ワーズワースの詩を思い出して、胸が熱くなりました。

今年一年、本当に充実していました。
たくさんの成長と、たくさんの素敵な時間と、たくさんの発見と。また一つ、良い歳の取り方ができました。

息子たちに感謝したいと思います。

My Heart Leaps Up- William Wordsworth 訳:壺齋散人


My heart leaps up when I behold
A rainbow in the sky
So was it when my life began;
So is it now I am a man;
So be it when I grow old,
Or let me die!
The Child is father of the Man;
And I could wish my days to be
Bound each to each by natural piety.

空にかかった虹を見ると
私の心は高鳴るのだ
少年の頃もそうだった
大人となったいまもそうだ
年老いてもそうありたい
でなければ死をたまえ!
少年が長じて大人となる
だから私は少年の頃の
敬虔な気持を持ち続けたい



もっとも大いなるもの

単語の綴りを一生懸命練習するけれど、何度も、何度も間違える子がいる。 でも、授業中、何度もうなづきながら説明を聞き、話に耳を傾け、大きな声で歌を歌う。フォニックスの発音を、口を縦横いっぱいに開けて発音する。 oshienと単語テストに書いてきた。oc...