2017年7月18日火曜日

英作文ってなんの力を測ってるのか、辛子味噌つき紫キャベツを頬張りながら不思議に思いました。


日本の英語教育の中で、「英作文」と言うと、大抵は、和文英訳のことを指し、ライティングと言うと、自由にエッセイを書いたり、描写をしたり、大意要約をしたりすること、と言うイメージを前提に話が進むように感じます。
入試問題演習のような文法ドリルみたいなもので、英作文の問題、と言うと、大抵は、和文英訳、で、これを徹底的に練習させられて、自由英作文は、直前にちょろっと書かされるか、コミュの授業でグループワークをやったりした時にだけ、ちょろっと書かされるのが精一杯、あとは、日本語1文(多くても4、5文)を英語に翻訳する問題が課せられます。すなわち、日本語を英語に通訳する問題、と言い換えても良いと思います。 問題の趣旨は、日本語で考えていること、思っていること、読んだもの、聞き知った知識を外国語で表現できるかどうか、その精緻なレベルはいかほどか、を問うているのだと思いますが、「うーむ。」と疑問に思うこともあります。 それは、和文英訳、の、和文、はコンテクスト(文脈)を持ったコンテンツ(内容)であり、流れの解釈の仕様によっては、書き用は複数存在することになるからです。その文章をどう捉えたかによって、言い方が違ってくる、当然ですよね。読んだ人によって解釈が変わって当然なんですよね。 A:「洗濯物取っておいて、って頼んだでしょ?」B:「すぐに、って意味だったの。君が帰ってくるまででいいや、と思ってたんだ。」A:「台無しじゃないの。もう。」B:「言ってくれればよかったのに。」A:「普通、それくらいわかってくれてもいいじゃない。」 と言う夫婦の会話があるとしますね。これを英作文にしなさい、と言う問題が、仮にあるとします。(こんなこじれためんどくさい夫婦の会話、出すとか、ありえないけれど、その昔、冷え切った夫婦の静かな沈黙の冬のテーブルごし描写を読解で出した某有名私大の例があるので、もしかしたらあるかもしれないと言うことで、ここはご了解頂いて、と。) この場合、AさんとBさんの関係が、男女なのか、男性同士なのか、女性同士なのか、家族なのか、共同生活をしている友達なのか、共同生活はしているけれど友達ではなく他人なのか、そこもはっきりしないので、いかようにも解釈が可能ですね。 すなわち、喜怒哀楽の設定も、気持ちの忖度も受け手側によってどうとでも解釈ができるので、これ一つが正解、って言えないんじゃないか、って状況になってしまう。 次に時制ですね。頼んだ、のは過去、意味だった、と解釈したのは、いつ?台無し、なのはAが今洗濯物の様子を見てそう思ったのか、それともそうなってしまった、と言う完了状態を憂えているのか、さらに、普通、と言う言葉、とかね。つっこみどころはいくらでもありますよね。もう少し性格悪く細かく見ていくと、Bの「すぐに、って意味だったの。、、、」はマル、で文章が終わっているので、これは疑問文なのか、肯定文なのか、厳密に言えば、わからないですよね。相手の声の抑揚や、表情、会話の間にある間合いが、この字面からは一切伝わってこないので、このコンテンツを英訳しなさい、と言われれば、とりあえず多面的に捉えることが可能なコンテクストを、自分が持ち合わせている英語のコマンドを使って、採点者に伝える努力をするしかない。それしかないですよね。 これって、もはや、英語力を問う問題なんじゃなくて、場の空気をいかに高度に読み取ることができるか、って言う能力がどれくらい長けているかによって、解答に差は出やしないのかしら、と僕はふと思ったんです。 会話の状況を英語に直して、文法の能力を見るんだったら、わざわざこんな問題にしなくても良いだろうし、じゃあ、一体この問題形式って何のためにあるのか、もはや「入試問題の入試問題による入試問題のため」にだけ存在しうる、稀有な脆くも儚いゆらぎの存在なのではないか、何という存在の悲しさ。嗚呼、和文英訳さん、、、。
上記のことを踏まえてると、無数に解答が可能な問題の精度を高めていくんだったら、むしろ、エッセイライティングを大量にやっていきながら、エッセイの条件設定、文章の幅が出てくるような付帯条件を細かく設定する、などの工夫をして、どんどん書いていきながら、ミスが出てきた場合に、効果的にそれを拾いつつ、ミスのalternativeになりうるsubstitutesを都度学んでいく方が、言語のアウトプット能力の育成だけを考えた時には、効果が高いのではないだろうか、と考えたんです。話す技術もこれと同じプロセスを経る方が確実に上手くなります。お題について英語で話す、ヒントを学ぶ、練習する、再度お題について英語で話す、の流れですね。 これまで高校生の受験指導をしていて、幾度となく疑問に思いながら、実感を伴わないまま、頭の中での結論で疑問を封印していたのですが、日、月、と福島県いわき市、宮城県仙台市でセミナーをやらせていただき、授業実践法、教科教授法をシェアしている時に、自分で整理できたことがこれでした。なるほどね、ウンウン、と心で何度も頷きながら、話をさせていただきました。僕の方が得した気分ですね。得してすみません、ごめんなさい。 詳しいお話はまたセミナーで実際に体験して頂きながら、お伝えしますね。 西山哲郎くんと一緒に追求しているオーガニックアプローチ、毎日の積み重ねによって、生徒たちの力を伸ばしていく手筈がどんどん精度を高めていっています。 考え方や理論体系、パラダイムシフトを経験しまくると、めまぐるしく展開や状況が変わってしまいますね。また新境地にきてしまった気分です。 ではまた(´ω`)

2017年6月1日木曜日

"Sparkling"体験、してきましたよ( ◠‿◠ )


素晴らしい2日間でした。平田オリザさんのご著書「下り坂をそろそろと下る」を読んでから、演劇に参加したいとずっと思っていました。劇そのもののパフォーマンスに関しては、ずっとやりたかったことの一つです。 僕の子供の頃の夢は、コメディアンでした。今でもコメディアンに憧れている気持ちはとても強く、コメディアンとしてステージに立ちたい、と思うことは強いです。ですから、スタンダップコメディ、シチュエーションコメディ、スキットコメディ、コメディに関してはとても大好きで、参加して自分でやりたいと思いながら、モンティパイソンとフォールティタワーズの台本を買って、20代の頃、空で言えるまで何度もセリフを読んだ思い出があります。 また、落語家に憧れていた時期もあり、30代中期には、古今亭志ん生師匠のCDを100枚くらい買って、とにかく片っ端から落語をシャドーイングしました。その頃、並行してKHシステムのトレーニングと、フォールティタワーズのDVDを見ることに没頭している毎日でしたので、志ん生師匠の落語と、ジョンクリーズのセリフと、KHシステムのシャドーイングを行ったり来たり。物凄く充実した濃いトレーニングライフが送れていた記憶があります。 今回のワークショップ参加の目筋は、すでにこの頃、いや、子供の頃から、培われてきたもの、僕の内なるヴォイスだという確信が強まりました。すなわち、今回のマーブルズへの参加は、僕の人生の中で、必然であり、起こるべくして迎えた運命の道すがらだったと言えると思っています。 大仰に言い過ぎなのかしら、これ。 今回の英語DEドラマ、本当に素晴らしいエクスペリエンスでした。 真澄先生から"Why do you feel that way, why?"を問われ続ける時間、gleeのレイチェルが、ウーピーゴールドバーグから問われる時間を追体験できた気持ちでした。どうしよう、どう答えればいいんだろう、そういうドキドキが突きつけられる、そんなsparklingな時間の連続で、気がつけば夜の21時半、あっという間の1日目終了。 僕も西山君も純ジャパで、留学経験も全くないし、"Wicked"なんて純アメなドラマ、演じたり歌ったり、それはもう、想像を絶するタフネスだろうと思っていたんですけれど、、、。 僕は今回、改めて思ったことがありまして。 哲郎君と僕は、キャラがもう生まれつき、感動体質、喜び体質、トキメキ体質なんですね。だから、体が火照るやら、胸が熱くなるやら、歌の時のパートナーの女性と見つめ合う時に、ワォ!な気持ちになるやらで、心がテンヤワンヤだったわけです。 そんな生まれながらの天性の感動体質を持った二人が、こんな素敵なグループのワークショップに来てしまったもんですから、マァ、朝から晩まで、お腹のそこから笑い転げ、喜び、楽しみ、心をみなさんと重ね合わせて、夜を迎えた、というわけです。 長い一日が終わり、お互いに普段から語り足りていないのか(というか、毎日LINEのやりとりを恋人か!ってくらいしてるから、あまり疎遠感がないのですけれど)、近くの焼肉屋さんで語り合いました。その時間もとても大事な時間だった。 「俺ら、こんなにオイシイ思いさせてもらって、いいんだろうか。なんか、罪悪感がやばいよね。すごい体験させてもらってるんだよね。すごい立場に置いていただいてるよね。」という話に終始していて、改めて、この2年間でお世話になって来た先生方、諸先輩方に、頭を垂れる夜となりました。 二日目はあっという間にゲネプロ(ランスルー)、そして本番、修了式になり、皆さんの想いを聴きながら会場を後にしました。
今朝は珍しく寝坊をしてしまいました。そして疲労感に襲われた一日でした。夕方帰って来てテニスに行くと、テニスは絶好調でした。真澄エフェクト恐るべし、生活に異変を起こす!マーブルズ恐るべしです! 真澄先生、出会いに感謝いたします。マーブルズの皆さん、本当にお世話になりました。参加者の皆さん、愛をいっぱいもらいました。皆さん、ありがとうございました。2日間、幸せでいっぱいでした。また来ます。今度は仲間も連れて来ます。 暁の会でも、ドラマをやるワークショップを来年以降に開設しようと思っています。勉強しないとね。一生懸命勉強します。 英英辞典、スピーキング、多読、ライティング指導、4技能。
わかる、わかる。大事だよね、うんうん。 でも、それが授業でできるようになって、物足りなくなった。 なんか違う。生徒たちの顔、まだこんなじゃない。 もっと生き生きする。もっと生徒は自分を表現できる。 そう思いを募らせている時に、ヘレンから言われた。真澄先生に会わせる、二人を真澄先生に会わせたい。そうして今回、うちら二人は初めて真澄先生の愛を全身で受けた。素晴らしい体験だった。 日本でいちばん幸せな中高英語教師の二人だと、僕らは勝手に思っています。本当に幸せだった。 こんな現場を作りたい。子供達の心を解放したい。子供達の心の声を、胸の震えと体の鼓動を。 退職まで、後20年しか時間がないです。ますます急がなければ、と思っています。 最後に、時間を伴った皆さま、本当にお世話になりました。僕も西山も、またマーブルズに帰って来ます。今度は友達も連れて来ます。ありがとうございました。 生きてると、良いことがたくさんありますね。
素晴らしい。 生きる、って、いいですね( ◠‿◠ ) お詫び:
ブログの更新がなかなかなされなくて寂しい、と言っていただくことがこの頃あり、とても嬉しく思っています。いつも読んでくださり、ありがとうございます。諸事情があり、どうしてもブログに掲載できない情報やご報告もあり、フェイスブックの方に掲載させていただいております。

また、近日中に、暁の会のHPが立ち上がります。そちらの方から、いろんなコンテンツにアクセスできるようになりますので、ご期待くださいね。 土曜日、日曜日と、2日間、マーブルズ英語芸術学校主催の「大人向け英語DEドラマ in 大阪」に参加させていただきました。僕と哲郎君が敬愛し、師と仰ぐヘレン先生のご紹介を受けて、小口真澄先生のご指導を直接受ける恩恵に浴することができたのです。



2017年4月27日木曜日

CLIL授業実践のDVDが出ます。


5月1日に、ジャパンライム、と言う会社さんから、授業のDVDが出ます。

これは去年の10月に、英語教育達人セミナーを名古屋で行いまして、その時の様子を収録した動画に加え、どのような意図を持って授業をしたか、などの解説ビデオを加えてセットでまとめたものです。谷口先生のお計らいで実現した企画です。谷口先生、本当に感謝しています。ありがとうございます。

これは自分のDVDでは2本目です。

前回のビデオは、恥ずかしかったのと、完成度の点から、あまりおすすめしたり、ブログに書いたりはしませんでしたが、今回のDVDはよろしければぜひ見ていただければ、と思っています。

CLIL授業に関する情報に関しては、こちらのHPをご参照いただければ、と思います。

教師が生徒に英語を語りかけながら授業をする際の新たなアプローチ、教科を超えた統合的なアプローチ、それがCLIL授業です。

http://primary.cliljapan.org/what-is-clil/

今年は、暁の会で、また新しいことができないか、と共同代表の西山くんと忙しく毎日詰めて話をしていまして、12月までに、いろんな動きとコラボがあると思います。計画のテーブルに色々載ってて、実現に向けて、色々詰めているところです。

とりあえずは、本DVD、そして、6月18日(日)のハーバード大学ケーススタディ@京都、さらに、7月29日京都暁ジョイント、ゲストは、アクティブラーニングのアントレプレナーです。
お楽しみに。

暁の会は、ウェブでの英語ディスカッションの番組運営もしています。毎週水曜日、夜21時30分からです。

今年は活動の幅がますます広がっていく予感がしています。楽しみですね。休む暇がないです。こまったー(^◇^;)
嬉しい悲鳴の連続です。

DVD、どうぞよろしくお願いいたします。今年はこう言うコンテンツ関連で、皆様に見ていただけるもの、読んでいただけるものを西山くんと色々できないか、考えています。

お役に立てるかわかりませんが、どうぞよろしくお願いいたします。

授業のご報告もしたいです。素敵な感じになってきています。
こちらの方は、後日、脱線でご報告いたしますね。
今、英文法の授業と読解の授業で新しいことを始めましたので。

お楽しみに😉


2017年3月23日木曜日

僕の通知表

今年1年教えてきたある女子生徒から手紙をもらいました。とても心が温まりました。

それと同時に、子供達のこういう言葉が、僕の成績表みたいなものなんだな、と改めて思いました。


私は中学3年間、英語が全く出来ないし、苦手だし、嫌いでした。

英語の本読むなんて、絶対出来ないし、したくないと思ってました。でも今年、ORT読んだりOED引いたり、英文考えたりするようになって、自分でも全く出来ないことは無いって事に気づきました。一年前の自分では想像もつかないぐらい英語に触れることが出来てます。今じゃBruno Mars好きでよく歌ってます笑スピーキングもまだまだ皆には追い付けないけど、自分の中では出来るようになったと思えます。この一年で英語が「嫌い」から「好き」になれたのは、自分にとって本当に大きな事で、進路とかの見方も変わりました。十督先生のお陰です。本当にありがとうございました。 」

自分の英語教師としての仕事は、点数や進学率にコミットすることではなく、生徒の心と気持ちと習慣にコミットすることなんだな、と決意を新たにしています。


英語が嫌い、英語が苦手、英語はちょっと、という生徒を笑顔にし、元気になってもらい、英語に対するハードルを下げ、英語を授業で使い、たくさんの英語に触れて、もっと英語が知りたい!もっと英語に触れたい!と自然に思ってもらえることが僕の授業のテーマであり、目的なので、こういうメールをいただくと、今年一年は実りある一年だったな、とホット胸を撫で下ろします。

そして何よりも、この子が英語をこんなに好きになって、英語に対してワクワクドキドキな気持ちになってくれたこと、これが一番の慶びであり、誉れです。


過去にもこれと同じようなメールをもらったことがあります。こちらは男の子です。


「6年間本当にありがとうございました(´つヮ⊂)
突然なんですけど、俺、英語自体は好きなんです
たしかに勉強は全然できないし、嫌いだけど笑
でも英語で喋ったり、英語で映画見たり、音楽聞いたりってのはすごい好きで
そういうのって、この学校に来てなかったら絶対なってなかったし、先生に出会ってなかったら絶対なってなかったと思ったんです。
実際グラマーよりリーダーの方が好きで、黙々と問題解くより、音読したり、皆で英語の音楽歌ったり、そういう方が僕には楽しくって、記憶に残ってるんです。
先生は以前、僕たちに俺のせいで英語を嫌いにさせたかもしれないって言ってくださったことありましたよね?
でも俺、先生に出会ってなかったら英語の楽しさなんて1ミリも知らなかったと思うし、嫌いだったと思うんです。
きっと、こう思ってるのは自分だけじゃないと思います!
それに、先生は僕たちに本気でぶつかってくれて、俺は本当に先生の事が好きです!笑
結局何が言いたいんだよみたいになっちゃいましたけど、
偉そうになっちゃいますけど、先生の英語の教え方に間違いはないと思います!
そして、俺は英語が好きです!笑

これからも英語の楽しさを教えて下さい。

自分の英語教師としての仕事って、なんなんだろうな、と改めて考え直しました。

生徒の点数を伸ばしてあげたい、志望校に合格させたい、という気持ちは、どんな先生にも負けないくらい、強く抱いています。

その前提として、生徒が英語に大量に触れていくこと、生徒が英語を大好きでい続けること、この2つがどうしても前提条件になります。

同時通訳トレーニング、英英辞典の活用、多読、スピーキング活動、アクティブラーニング、ライティングエッセイ、全てにおいて、子供達に有効な手立てであったと思っています。

ベネッセの模試の成績も良かった。子供達の満足度もある一定のレベルにおいて、広く支持を得られることができた。

次年度はさらなるディープな英語の世界へと突入していきたいと思っています。

4技能を効果的に用いたCLIL型授業、アクティブラーニングはもはや当たり前すぎて、その言葉を使うのも耳タコなくらい定着浸透してきていると思います。

親しくさせていただいている姫路の国語の先生が先鋭的なことをしておられます。
4月に京都で勉強会があるので、そちらに参加させていただき、しっかりと勉強してきたいと思っています。

メールをくれた人、本当にどうもありがとう。
心から嬉しかった。また頑張ります。
共に次の 'giant step'を踏み出そうね。

2017年3月20日月曜日

小学生から学んだこと

息子たちと旅行に行き、有意義な2日間を過ごすことができました。

色々な会話をする中で、興味深いことを次男が言って、びっくりしました。

「お父さん、勉強の中で一番学べる行為は何と思う?」

僕は、うーん、考える、かな、話す、かな、と色々答えましたが、息子が、全部違う、と言いました。

どんな答えが返ってくるか、と静かにしていたら、こんな風に言いました。

「お父さん、それはね、教える、っていうことよ。人に教えるのはね、自分で知っとかないかんし、勉強しとかないかんやろ?

そしてね、また、それだけじゃダメで、友達に説明する時に、わかりやすく言わないかんやろ。やけん、色んな工夫がいるとよ。

やけんね、人に教える、っていう行為がね、勉強の中で、一番学べる行為とよ。知っとった?」

僕は、この言葉を聞いて、これが小学校4年生がいう言葉か、と驚嘆してしまいました。

その後続けて、
「へぇ、じゃあ、授業の中で学び合いとか、話し合いとか、富士くん(次男の名前)が先生役になったりすることがあると?」

と聞くと、理科の専科の先生がとても素敵な先生らしく、次男はその先生が授業中にしていることを全て話してくれて、さらにその先生が語ってくださるお話の内容も教えてくれました。

その先生、めっちゃ良い先生でね、でもちょっと変わっとうっちゃけど、好きっちゃん。めっちゃ勉強になるとよ、と付け添えて話してくれました。

自分が授業でアクティブラーニングをしていることを息子たちは全く知らないはずです。でも、このお話を聞くと、とても嬉しい気持ちになりました。

小学校の現場では、どんどん子供達の知性にコミットする教育実践が行われている、ということ、さらにそれを受けた生徒が、自分が感じた教育効果を実感して深く内在化できているということ、さらに、仲間と一緒に勉強したり工夫したりしている授業の形態は、全国的に広がりを見せ、各現場でかなりの部分で浸透してきている、という事実を知ることができたからです。

年度末に息子たちと旅行に行き、今年の総括を子供の口から聞かされる、ワーズワースの詩を思い出して、胸が熱くなりました。

今年一年、本当に充実していました。
たくさんの成長と、たくさんの素敵な時間と、たくさんの発見と。また一つ、良い歳の取り方ができました。

息子たちに感謝したいと思います。

My Heart Leaps Up- William Wordsworth 訳:壺齋散人


My heart leaps up when I behold
A rainbow in the sky
So was it when my life began;
So is it now I am a man;
So be it when I grow old,
Or let me die!
The Child is father of the Man;
And I could wish my days to be
Bound each to each by natural piety.

空にかかった虹を見ると
私の心は高鳴るのだ
少年の頃もそうだった
大人となったいまもそうだ
年老いてもそうありたい
でなければ死をたまえ!
少年が長じて大人となる
だから私は少年の頃の
敬虔な気持を持ち続けたい



2017年3月19日日曜日

ぼくもういかなきゃなんない〜高校三年生へ贈る言葉


卒業していく高校三年生のサッカー部壮行会にお招きいただき、参加してきました。素晴らしい会でした。

スピーチを頼まれましたので、いつも卒業生に話すことを話しました。記憶している限り再録すると、こんなスピーチだったと思います。記憶が曖昧なところは脚色で誤魔化してるので、そこは行間を各自で埋めていただくとよろしいかと思われます。

「大学や予備校へ旅立つ前に、畳の部屋に両親に来てもらい、そこで正座をして、深々と頭を垂れ、今までお世話になりました、ありがとうございました、これからもう少し迷惑をかけますが、どうぞよろしくお願いします、と言いなさい。必ず言いなさい。

卒業は君らのためだけのものではなく、親も教師も成長させる大切な節目の行事なんです。君らが小さい幼子だったイメージで君らのご両親は君たちを大切に可愛い子供として育ててこられた。

君らが大人に成長するのは嬉しくもあり、その可愛い子供が、自分の前からいなくなる寂しさがある。

そして何より、自分は親ではなく、老年を迎える、という覚悟の始まりでもあるんだよね。

だからその節目に、君らがご両親に挨拶をすることはとても大事な意味を持つんです。

親として、そして一人の男として、女として、ご両親は君らの卒業に際して、成長を、老いを、寂しさを、嬉しさを、そんな想いを全て受け止めながら、君らにバトンを継ぐ、そんな大切な節目が卒業なんです。

前の世代の人からしっかりとバトンを受け継いだよ、という意味で、必ずご両親に感謝をしなさい。

卒業おめでとう。」

谷川俊太郎さんの、さようなら、という詩を添えて贈ります。

僕からも卒業おめでとう。立派になったね。本当に立派になった。成長した。嬉しいよ。

さようなら   谷川俊太郎

ぼくもういかなきゃなんない
すぐいかなきゃなんない
どこへいくのかわからないけど
さくらなみきのしたをとおって
おおどおりをしんごうでわたって
いつもながめてるやまをめじるしに
ひとりでいかなきゃなんない
どうしてなのかしらないけど
おかあさんごめんなさい
おとうさんにやさしくしてあげて
ぼくすききらいいわずになんでもたべる
ほんもいまよりたくさんよむとおもう
よるになったらほしをみる
ひるはいろんなひととはなしをする
そしてきっといちばんすきなものをみつける
みつけたらたいせつにしてしぬまでいきる
だからとおくにいてもさびしくないよ
ぼくもういかなきゃなんない

http://www.nicovideo.jp/watch/sm211195

2017年3月17日金曜日

一年最後の授業にて


今日、今年度最後の授業が3コマありました。
最後の授業だったので、久しぶりに歌を2曲歌い、子供達に読み聞かせをして、進級へのメッセージを伝えて終わりました。

お時間がある方は、動画を見ていただければ、と思います。
https://www.youtube.com/watch?v=uSTbLZqGGSc

この本はハッピーエンドで終わる本ではないのですが、敢えてこの本を選んで読みました。

この本は、ある学校に転入生の女の子が来るのですが、その子に辛く当たったり、仲間外しをしたりして、何一つ優しく接してあげられなかった主人公の女の子が、後悔の念を深く胸に抱く、というお話です。

これから子供達はクラスを解散し、色々なコースに分かれてしまいます。バラバラになっていきます。

また新たな出会いと新しいクラスで、新しい人間関係が始まると思います。

そんな局面にあって、今敢えてこの本を一緒に味わいながら、これからの自分の進路について、またその先にある生活について、しばし考えてもらう時間にして欲しい、僕はそう思っていました。

今年一年、子供達と一緒に学んだことは、グループ活動を通じて、グループの人たちと協力し、協働を通じて、他者と交わることを通じて、自分を見つめ直し、人格を深めていく、と言うことでした。

色々な人格がぶつかり合う中で、決してうまくいくことばかりではありませんでした。

自分とは合わない人、接していてイライラしてしまう人がどうしても出てきてしまう。

でも、決してグループをばらしたり、特別な対策を講じたりしませんでした。

それは、「人は一人では生きられないんだ」ということを教えるために、どうしても必要なことだと僕が思ったからです。

「電車の中で小さな子供を連れたお母さんたちに対して、悲しいんだけど、冷たい言葉を投げかけるような話を、耳にするようになって、悲しい気持ちがするんだよね。」と僕はあるクラスで語りかけました。

「そんな赤ん坊やお母さんに対して、迷惑だ、という人だって、幼い頃があったはずなんだよね。また、おじいさんやおばあさんに対して冷たく接したりするのを見聞きしたりすると、とても胸が苦しくなるんだよね。自分だって、おじいさん、おばあさんにいずれなるのにね。

障害を持っている人をバカにする人がいるけれど、自分だって、事故や病気などの不可抗力で、障害を持ってしまったり、あるいは家族が将来、障害を持って生活をすることを強いられるような可能性が僕ら一人一人にはあるんだよね。

子供は過去の自分、老人は未来の自分の姿、障害や不都合を強いられている人は、将来自分がそうなる可能性を先に生きてくれている人なんだよね。

どの人を否定しても、それは自分を否定することに繋がってしまうよね。

僕はみんなに、どんな人も決して粗末にせずに、まるで自分のことのように大切に愛おしく思って接して欲しいと思って、一年間授業をしてきたよ。

英語を通じて、みんなが頑張ったことによって、みんながそんなことを考えるきっかけになってくれたら、嬉しいと思っています。

一年間ありがとう。Thank you so much. 」

と言って、授業を閉じました。

人は一人では生きられない、そんなことを、様々な教材を使い、英語を話し、読み、聞き、書くことによって、体全体で考えた一年だったと思います。

英語の力が伸びたことはとても喜ばしいことです。

ですが、もっと嬉しいこと、それは、この授業の時に、子供達が真剣な眼差しで、読み聞かせを聞きながら、最後に僕の話にしっかりと耳を傾けてくれたことでした。

これこそが、子供達の人格の成長を物語っている瞬間だ、と僕は感じました。

実りの多い一年間でした。

子供達、一年間どうもありがとう。


もっとも大いなるもの

単語の綴りを一生懸命練習するけれど、何度も、何度も間違える子がいる。 でも、授業中、何度もうなづきながら説明を聞き、話に耳を傾け、大きな声で歌を歌う。フォニックスの発音を、口を縦横いっぱいに開けて発音する。 oshienと単語テストに書いてきた。oc...