2016年11月1日火曜日

子供に勝る天才なし。

8月、9月、10月と怒涛の日々が過ぎ去りました。北は仙台、福島、茨城、東京、名古屋、京都、大阪、博多、と様々な場所で多くの先生方と出会い、多くの示唆とご教授をいただきました。

生徒たちの頑張りを毎日毎日、ノートでの対話を通して見つめています。

同時通訳トレーニングを始めた時、これを中高現場に卸すのは、狂気の沙汰だ、絶対に無理だ、と多くの人から言われました。何度も何度も言われました。

でも、今、自分が教えている生徒たちの活動の姿を見たり、音読トレーニングノートのコメントを読んでいたりすると、限界を決めているのは、大人の方なんだな、ということがわかりました。

子供達はどんなことにも柔軟に対応できる力を持っている。学力と言われる偏差値のような輪切りに誤魔化されて、いつしか僕ら大人は、子供達の可能性を信じる自信を失っているのではないか、と僕は強く思いました。

子供に全部英語で授業をしたら、苦手な子や英語が嫌いな子が、ますます英語を嫌いになると、昔管理職に言われました。

でも、英語で授業をしていても、読み聞かせや、歌や、ORTや、スピーキングのリクエストは、音読トレーニングノートのコメント欄には何度も上るのに、英語で授業をしないで欲しいと書かれたことは一度もありません。

僕の英語をわかっていない子供たちもたくさんいると思います。でも、子供達が寝ないんです。子供達が伸び伸びと授業を楽しんでくれているんです。

課題のノートである、OEDノート(英英辞典ノート)や、音読トレーニングノート(音読を記録するノート)に、溢れんばかりの情熱的なコメントが毎週毎週、毎日、毎日、これでもか、これでもか、と並ぶんです。

子供達の頑張りを見ていると、大人である自分が、子供達の限界を決めてしまっているのではないか、と恥ずかしくなります。

今、放課後補習の時間に多読を行っていますが、それでは足りないのではないか、と思い、正課の授業中に、20分間以上(生徒が熱中しているときは30分くらい)、ORTの多読をやっています。週に四回授業があるから、生徒たちは週に80分くらい英語の本を読んでいる計算になりましょうか。

生徒たちは夢中になってORTを読んでいます。こんな姿を僕は20年前に想像もしていませんでした。受験のドリルと問題演習をすれば生徒は伸びると思っていました。でも、それは違うんだ、と今は本当に、強く心から思います。

生徒たちに協働学習をさせることを戸惑っていた時期がかなり長かった。でも今は、協働学習が、生徒の集中力、協調性、自己発信力、聴く力、英語へのアプローチ法、全てを変えていくんだと現場で目の当たりにしています。

先生が一方的に何かを教授するよりも、子供達に時間をあげて、考えさせて、ヒントをあげて、自分たちで勉強に向かわせることで、子供達が英語の学力のみならず、生きる力を、他者を思いやる心を、人の話を集中して愛情を持って聴く力を養っていけるんだ、と子供達の姿を見て学ばされました。

子供達の姿を見ていると、子供達はなんでもやります。なんでもできます。子供達はどんなことでも乗り越えていけます。

不安や心配を持っているのは大人の方なんです。子供達ではない。大人が現状や、子供達の成長や、子供達の伸びを縮めている。狭めている。決め付けている。

僕はそう思っています。

毎朝、子供達からノートが上がってきます。それを僕は毎朝心待ちにしています。子供と対話ができる時間、子供が、先生、あのね、こんなことあったんだよ、と書いてくる時間を楽しみにしています。

今教えている生徒たちの先生で僕は本当に幸せです。
この子たちを立派な大人に育てたい。
この子たちが弱者を切り捨てない素敵な人になって欲しい。

だから僕は誰も見捨てないし、見捨ててはいけない。
どんな子供も大切にしないといけない。

どんな生徒も、人として、一人の人間として、尊重し、寄り添い、良きサマリア人として寄り添い続けたい。どんな子供も見捨てたくない。どんな子供とも仲良くしたい。どんな子供も尊重したい。

さらには、どんな学校の先生とも、生徒とも関わりたい。どんな先生でも、子供達の前では良い先生であって欲しい。

どんな子供達でも、どんな先生に習っていても、幸せで嬉しい時間を一瞬でもいいから、過ごして欲しい。そう、心から願っている。

僕は20年前とはほとんど変わっていません。20年前に子供のことを心からかわいい、と思えた自分を神様に心から感謝しています。こんな仕事を与えられたことを、神様に心から感謝しています。本当に素晴らしい仕事に巡り会えました。僕は死ぬまで子供に教えて死にたい。そう心から思っています。

マジックジョンソンが残した言葉が素晴らしくて、20年前に出会ったのですが、未だに忘れられなくて、今日掲載します。胸が震えます。あの時の気持ちは今だに失われずに地続きです。

子供達、いつもありがとう。本当にありがとう。

Don't let anyone tell you what you can't do.

If you don't succeed, let it be because of you.

Don't blame it on other people.

A lot of people doubted me, too.

Some people don't want you to make it, because they're not going to make it.

They're give up, so they want you to give up, too.

As the saying goes, misery loves company.

Don't give up!

Surround yourself with people who are energetic and disciplined.

Surround yourselves with ambitious, positive people.

If there are adults you admire, don't be afraid to ask them for help and advice.

You're the only one who can make the difference.

Whatever your dream is, go for it.

2016年10月3日月曜日

なに、もっと自由になったらいいじゃない?😀


北陸に住む大学院生とメールのやり取りをしていて、彼の悩みを聞いていました。

いろんなことをやり取りしていましたが、「自分がどういうことについて悩んでいて、それをどんな方に、どんな風に聞いて欲しいのか、自分でもわからないのです。」という一節に深い興味を覚えました。

自分でもわからない、という反応は、とても正しいんだと僕は思っています。人はしばしば、物事の事の起こりと成り行きに決着をつけたがる。そうじゃないと、心が疲れてしまうからです。

白黒はっきりつけやがれ!というのは、心の揺らぎを回避するために、どちらか一方の解釈を採択することにより、安寧を得るために人がする、生きる術なのだと僕は考えています。

人って心に浮かんでくることが変わるだけで、目の前にある出来事は変わらないんですよね。

目の前に起こることを、problemと取るか、what happenedと取るかで、全く解釈が異なる。ただそれだけ。それだけなんです。英語で解釈すると、分かり易くなりますね。日本語で解釈してしまうと、言葉とともに感情とか、心象とかも同期してるから、めんどくさいんですね、感情的に。だから、日本語で考えることを回避しちゃう。いやになっちゃうんです、もろに心が見えてしまうから。向き合うのはしんどい、と解釈してますからね、通常は。

目の前に起こることを、困ったことだと思うと、心はそれを「悩み」と認識するから、悩む。

目の前に起こることを、迷うと、心はそれを「揺らぎ」と思って、気持ちがブレてしまう。

目の前に起こることを、経験したことがない、と取ると、それに対して適応しようとするか、それを拒絶してしまうか(見なかったことにする、っていう手も採用してしまうけど)、になってしまう。

人間は事象に対して、心の解釈によって、ああでもない、こうでもない、と悩んでしまうんですよね。

でも、実際に起こっている事実は、誰の目にとっても正しく起こっているというだけの話で。

例えば、他人の葬式を見て悲しくならないのは、それが自分に関係がないからであり、自分の身内の葬式を他人が見て、他人はそういうつもりはないのに笑顔だったりすると、なんだかばかにされているような心持ちがして腹が立つのは、それが自分の目の前に起こる出来事に対して、自分がきちんとcommitしてるからなんです。

日常に起こることは、事実として変わらない。でも、それをどう解釈するかによって、心は揺らぐ。その揺らぎに耐えうる設計が脳と心に施してあるところに、神の業の心憎さがあります。どうしろって言うんだよぉ、本当によぉ、と身悶えが日常に日々瞬間瞬間で準備されているんです。

一喜一憂は止めること、他人に気に入られることを止めること、自分が本当にやりたいこと、なりたい自分、自分の心のヴォイスに従うこと、評判や批評や、他人の冷たい目や、中傷や冷笑、陰口を無視すること、大事なことですね。人からどう思われているか、なんて気にしていたらいけません。人は人、何を言われようが、どのように見られようが、命まで取られるわけではありません。意外と何とか飄々と生きていけるもんです。ですから、人の目を気にして、傷ついたり、悲しくなったりする自分は、自分自身に酔っているのだと思いましょう。自分に酔うのはよくありません。自分大好きなら良いと思います。酔うと吐きますし、二日酔いします。長引くわけです。やめましょう。誰も幸せになりません。

他人に気に入られることをやめるのは、コミュニケーションのコントロールの権限を手放すことです。人は変えられない。自分が何を思っても、人の気持ちや心を変えることはできないのです。それは受信者が決めることだからです。(受信者の感度の精度については、ここでは言及しません。これ一本でブログがあふれてしまいますので。受信者がツッコミを入れる社会態勢なのが今の日本社会なのだと思います。ただし、誰も受信者の感度やセンシティビティについては何も言及しません。受け手がバカな場合はどうなるのか、という問いを立てません。お客さんを怒らせるようなバカな真似、誰もできないからです、いや、本当に。)

自分の内なるヴォイスに素直になりましょう。自分のやりたいこと、なりたい自分は、今の自分には理解できていない、ということが人生には往々にしてあります。人の目を気にしてると、自分が不幸になるばかりで、何もいいことは自分の人生に起きません。悲しい気持ちや閉塞感ばかりに苛まれて、いいことは一つもありません。そういう不毛な生き方を捨てましょう。

自分がやりたいこと、やりたかったこと、これからやろうと思うことを、心の情念の赴くまま、今すぐやりましょう。自分が幸せになると、周囲にいる人にも同じ思いを伝えたくなる、笑顔をお裾分けしたくなる、そうやって幸せや笑顔の連鎖は生まれます。

バカげた自己陶酔はやめましょう。
寂しがりやの人はペットかぬいぐるみを買いましょう。
悩みの多い人は、ジムで体を動かしてみましょう。
マンネリに陥っている人は、いつもやらないことをやりましょう。違うルートの帰り道で帰るとか、家では薄着で過ごすとか、辛いものを食べるとか、本棚の本を全部捨てるとか、なんでもいいんです。自分が「え?マジで?それやっていいの?」と思うことを大胆に断行しましょう。

歳をとってジムに行く人を「若作り」とバカにする人を無視しましょう。体を動かしましょう。下らない本を読むくらいなら、筋トレを1時間した方が、よほど人生は豊かになります。頭でっかちになっていると人生によいことは起きないばかりか、お腹ばかり出て、筋肉は衰えるので、普段の生活に支障を来します。筋トレしましょう。体を動かすと、連動して、脳の働きも活発になります。

体の働きと頭の働きを整理すると、脳も心もスッキリ。
見えてくる世界もシーンも違えます。

くよくよしている人に元気になっていただきたいと心から願っています。

43歳になりました。僕ももっともっと過激にパンクな生き方を選択し続けます😀

久しぶりに脱線グリッシュを更新して、なんだか、嬉しい気持ちです笑。

10月〜12月まで、勉強会が目白押しなので、ぜひ遊びに来られてください。こちらから、チェックできます😀
https://www.facebook.com/Akatsuki.English4/


2016年9月19日月曜日

新しい勉強のカタチを考える

仙台にて暁の会ロング勉強会を無事終了。勉強会6時間+懇親会3時間の計9時間、参加者の皆さんと一緒に、すべて英語で時間を過ごしました。合計9時間のうち、皆さんと日本語でやりとりしたのは正味飲み会の90分くらい。簡単なガイダンスが30分くらいあって、その後少し日本語でやりとりする時間があった程度。

素晴らしい体験を皆と共に過ごすことができました。
参加者の皆さん、また是非お会いしましょうね😀
次回は、皆さんお一人お一人にリーダーをお任せすることになると思います。

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英語教育の改革がなかなか進まないと議論が囂しいのですが、僕ら暁の会は1年半活動をしてきて、次のビジョンがうっすらと見えたような実感が得られました。

英語教育改革に関する議論は何も今に始まったことではなく、僕が新任の頃からずっとなされていますし、メディアにも常に取り上げられてきた経緯があります。

その度に、現場が変わらない→入試が変わらないから→大学が悪い→行政は現場がわかってない→現場が受験指導にしがみついている、と、形を無尽蔵に変えつつ、このループから話が抜け出さないまま、新しい指導法や流れが提示され、やる人2割、絶対やらない人2割、寄らば大樹の陰派が4割、無関心が2割、といった風景で大体推移してきているように僕には思えるんです。

暁の会で勉強会を企画し、1年半、様々な勉強会を繰り返してきました。勉強会の変遷は以下のような様相だったと思います。

1自分たちだけで実践発表
2数名の先生方にお願いして実践発表
3英語でワークショップ型
4参加型ワークショップ
5英語で参加者全員が楽しむ型

3、4は同じように見えますが、違います。3はファシリテーターのキャラクターが強く、その人1人がワークショップ全体を引っ張っていく感じになってしまうので、1、2の形態の勉強会を英語でやっているにすぎないのです。

4は今年の夏のジョイント勉強会の形態です。参加者が体験をし、それを実体験として持ち帰っていただく形態。

そして、そこからさらに発展した形が5になります。これが8月に京都と博多でシンクロでやった勉強会、そして先日の仙台の勉強会までの流れで5に変化し、西山くんと新たな境地に至っています。

自分たちが実践発表をして、その後の参加者の皆さんの変化をFBや次回の勉強会で見てきました。それぞれの方がご自身のご実践へ昇華し、それぞれの場所で新たな授業形態や新しい指導の形が問われたのはとても興奮を覚えました。

一方で、それぞれの先生方の独自性や自由さ、その場にある子供達の空気は、実践発表を繰り返しても、無視されてしまうのではないか、ある実践を聞いてそれをそのまま真似するようなことを促すことを繰り返しても、現場に変化はもたらされないのではないか、という淡い気持ちを抱いたのです。

授業は、その先生が自分が目の前にする子供達に向けて愛情を込めてデザインするものであり、また、子供達と共に作り、子供達が授業を作り上げていくのだと思っています。それこそが本質なのではないか、と僕は思います。

実践発表や教授法を学ぶ勉強会では、それぞれの先生方が受け持つ現場へコミットすることはできません。あくまでもそれは伝達の場であり、そこに参加した人がそれぞれ工夫をする日常がもたらさなければ、先生方の授業は永遠に変化しないからです。

そういう観点に立ってみて、初めて、先生方の授業へ、現場へコミットするには、一人のすごい先生なり、いろんな取り組みをしてる先生が何かを教授するだけでは不十分ではないか、と思いました。

先生方お一人お一人が英語を使って、英語でコミュニケーションをする場をクリエイトし、その体験を実際にしてみなければ、ご自身の授業や生徒達へ英語でアプローチをしようとは思わないのではないか、あるいは、アクティブラーニングの勉強会が一斉授業の形態で行われる、なんていうことはそれこそジョークでしかないわけで、まさに参加される方お一人お一人が、勉強会やワークショップの中で実際に体験をし、実感をし、心を揺さぶられるLife Time Experienceを通じて、何かやれないか、何かやってみたい、自分もこうしたい、という気持ちを新たにされるのではないか、そんな風に考えを深めたのです。

授業をどうするか、という勉強会の形態は、授業はどうなるか、といった英語教育議論の延長線上にしかなく、そこには変化の一石となりうる要素は皆無である、ということに僕らは気付いたのです。

授業をどうするかを決めるのは先生方ご自身である、という客観的な事実を度外視して勉強会を設計することを繰り返しても、先生方に変化は起き得ない。なぜなら、万が一同じような授業を構築できない場合、「あれは、あの先生が力があるからできるんだ」とか、「現実は理想に程遠く」と言った言い訳を自分に許してしまうからです。

先生方が、自分も授業でやってみたい!自分も生徒に何かしてみたい!という気持ちにならなければ、授業でやってみよう、新しいことを試してみよう、という思いには至り得ず、土日にせっかく良いことを習ってきたのに、月曜日にはまるで何事もなかったかのように、また日常が戻ってきてしまう、と言った絵が繰り返されるだけなのではないか、と僕らは考えたのです。

そのような観点に立って、今後、暁の会の勉強会は、すべて英語で行う、その際、参加者の方にファシリテーターになっていただき、参加されるみんなが、自分がやりたいこと、自分がシェアしたいことを英語で体験しあえる場をご提供する、そんな活動へとシフトしていこうと、今気持ちを新たにしているところです。

情報伝達型の勉強会では、変化は起こせない。本を読んだり、ネットで調べればわかることを「知る」機会は得られます。でも、それを「する」コミットメントは、残念ながら情報伝達型の勉強会では得られません。

鍵は個人個人の皆さんが持っておられる、その尊い事実を忘れて勉強会をデザインしても、歴史が繰り返されるだけで、新たな変化は起き得ない、僕と西山くんはそのことを暁の会を通して学びました。

これから行う勉強会は、先ほど示した1から5の形態からさらに進化していくと思います。5の形態はもはや勉強会と呼ぶのも相応しくないと考えています。

学び=座学、自己消化、と捉える考え方を、体験=自己昇華=自己変革=地殻変動、の流れへと変えていく必要がある、それが急務だと僕らは強く気持ちを新たにさせられています。

参加する人が英語を話し、英語を使い、様々な活動を行う、英語を使うことを通して心の変化を個人で起こす、参加者同士で刺激と潤いを得る、そして、日常と向き合う日々に帰る、という流れを暁の会で創れないか、もっと言えば、参加者の皆さんとともに新しい形の場を創れないか、今そんな視座を頂き、静かに冬を見つめているところです。




2016年9月11日日曜日

DJ的センスの涵養:次世代への愛のバトンタッチ

今の時代、DJ的なセンスがないと、良い仕事を創れないんじゃないか、と西山くんと話していました。DJ的センスとは何か。

DJというのは、Disc Jockeyのことですね。古くはラジオでかっこいい曲やらオシャレな曲をかけてオーディエンスを喜ばせる人のことをDJと言いました。ラジオ局のDJですね。

クラブやハウスでは、DJはお客さんに踊ってもらえるような盛り上げ役でした。お客さんのリクエストに応えるのではなく、自ら選んだ曲や、他人の曲のリミックス、新しく音をかぶせたり、ちぎったり、フレーズを他の曲と混ぜ合わせて、場を盛り上げていた、そんなお仕事をなさっていたわけです。

今の世の中、借り物文化なんて上のジェネレーションから揶揄されたりすることもあります。一生懸命に脳に汗をかいて頑張っているクリエイターに対してこれほど失礼な侮蔑の言葉はないわけですけれども、copycat generationなんてことを言い出したら、そんなもの、文化の本質を分かっていないのではないか、と僕は思ったりします。借り物文化、と若い世代を揶揄したのは、spirited awayをリリースしたばかりに、御大宮崎駿さんが海外メディアに対して言い放った言葉で、それは少し違うのではないか、と思って強い違和感を憶えたのを今でも記憶しています。
確か、CNNニュースの記事だったと思いますが。

これは古い世代の人には理解されえない感覚なのだと思います。人のパクリで作品を作って、そんなもの、何がオリジナリティだ、というのでしょうが、それは少し了見が狭いのではないか、と僕は思っています。模倣とは、そんな断罪がなされて、切り捨てられるほど浅い層を持って文化を注いできた継承形態ではない、と僕は理解しているからです。

借り物文化、というのは世界中の文化に言えることです。例えば乱暴に聞こえるかもしれませんが、音楽が借り物でなければ、今世の中に溢れる素晴らしい楽曲文化はここまで進化発展を遂げなかったのではないか、と僕は思っています。誰がいったい、石器時代の原始人たちが食べた後の動物の骨を石や壁で叩いて鳴らした音楽に特許権やオリジナリティを言い立てたでしょうか。そんなことはバカげています。誰が始めたかわからないけれど、spontaneousに音楽は人々の繋がりの中で生まれていき、少しずつ新しい世代がそこにエッセンスを加えて行って、広く文化として発展を遂げていったはずです。それが文化の出発点であり、継承の唯一の方法だったと僕は思っています。

何人も先達の影響は免れえませんし、その形態がどんなにオリジナルなものであると賞賛されようとも、有形無形の影響を先達から様々に受けて今の形として臨在している、それが文化なのだと僕は思います。

そういう視点に立って改めて世の仕事を見つめ直してみると、私たちの仕事は、何一つ、どれを取ってもオリジナルなものなどありえませんし、必ずどこかしら、先達からの影響を受けて受け継がれてきた新しいものなのです。

では、古いものと新しいものを分ける境界線は何なのか。

それは新しい世代がもたらす古い世代への批判精神や疑念です。猜疑心です。このままで良いのだろうか、これは同じことのルーピングではないか、ルーティーンを繰り返しているだけではないか、と。これこそが生物のDNAに埋め込まれた進化発展への衝動だと思いますし、変化し、生き延びたいと体の奥底から希求する人類の叫びなのだと僕は思っています。

風呂敷を大きく広げすぎたので整理します。

私たちが日々仕事をするときに、先達の影響、先輩の技術やスキル、思想や哲学に対し、あまりにも素直に影響を受けすぎたために、自分はパクリをしているのではないか、自分は継接ぎをしているだけではないか、と自己欺瞞の感情に苛まれることがあると思います。これは誰でもある。自分は何一つ、オリジナルなことをしていないのではないか、という内発的動機付けを与えら得ることがあると思うんです。

でも、これは「生みの苦しみ」であって、盗人が盗んできたものを目の前に良心の呵責に苛まれているのとは訳が違います。そこを分けて考えてあげる必要があると僕は思うんです。

前の世代から受け継いだ大切な文化は、今を生きる自分が次世代へ受け継いでいく責任を負っています。ですから、受け継いだ文化に対して、受身の姿勢ではいけません。必ず自分で葛藤し、いろいろと試行錯誤と工夫をそこに注入して、新しい文化の形として、次世代に提示していかなければいけない。そういう責任を負っているからこそ、前の世代の文化を受け継ぐ恩沢に浴する権利を享受できる得るのだと僕は思っています。

例えば、いろんなところへ出かけて行って勉強してきたこととか、知り得たことにしていて、それを自分の仕事や日々の生活に活かすときに、そのままやればすごくうまくいったり、はたまた不具合が起こったりしますね。そのときに、どうすべきか、日々、瞬間、瞬間、問われているのだと思います。虎の威を借る狐で終わっていると、次世代が台頭してきたときに、見捨てられます。先達としてのリスペクトの枠から外れる。必ずそうなる。新しい世代にとってそれは不幸です。なぜなら、新しい文化は自分たちがオリジナルで起こしたものだ、と勘違いしてしまい、世代交代のバトンタッチの中で歪な諍いを生じかねないからです。

人から見聞きして良いと思ったこと、特に上の世代や素晴らしい働きをしている人たちから受けた恩恵は、自分で工夫し、アレンジし、試行錯誤して、新しいものに置き換えて、世に贈り返す作業を繰り返さないといけないと僕は思っています。それが、人の「贈与のサイクル」に寄与することだと思うからです。

パクリで終わってはいけないですね。人から聞いたり感動したりしたことは、自分の考えや自分なりの試行錯誤のフィルターを、たとえ苦しくても通して、次の世代に渡す、という気持ちを持つことが、仕事をする上でとても大切だと僕は思っています。

今日は若い人たちや、自分の授業、自分の仕事に対して悩み向き合っている人たちへ向けて、エールの気持ちで書きました。

次世代の幸せを願う時、私たちに与えられた仕事の責任は放棄できないものになります。子供達のためを願うならば、私たち大人が脳に汗をかき、自分で試行錯誤しつつ、日々悩み、苦しむべきなのです。

それこそが次世代へのバトンタッチ行為そのものだからです。

9月の勉強会と、12月3日のガチンコ英語トレーニング勉強会のお知らせ

勉強会のお知らせを致します。二つとも博多です。

今月は17日(土)に仙台でロング勉強会(all in Englishで)、そして、こちらの勉強会が第二弾です。仙台は英語力アップの勉強会、月末の博多は、月例の授業教授法勉強会です。

⭐️月末の金曜夜に、授業教授法の勉強会を行います。部活動が終わったあたり19時から21時までの2時間。尚、懇親会はありません。
来る9月30日(金)に、西南学院大学合宿研修所にて、
月例英語授業勉強会を開催したいと思います。金曜日の夕方からになりますが、どうぞ宜しくお願い致します。

実践発表者は随時ご報告させていただきます。
日時:9月30日(金)19時〜21時
場所:西南学院大学合宿研修所、研修室
内容:英語授業に関する実践発表
   スピーキング活動最前線
   ORTの実践に関する発表
   授業のクロージング活動の実践発表
この日は、公立中学校の先生方からのご要望をお聞きして、開催しようと思い立ち、企画立案したものです。公立の先生方、お忙しいとは存じますが、是非、お出かけください。
駐車場もあります。尚、21時終了ですので、懇親会などはありません。

先の話になりますが、一応告知をば。12月3日(土)に英語のトレーニングに関する勉強会を行います(全て日本語で講義し、英語の教材を使ってトレーニングをしていただく形式)。
英語トレーニングに悩んでらっしゃる方々対象です。僕がトレーナーとなって、皆様に寄り添い、厳しく鍛える形式をとります。手荒な真似をする、という意味ではなく、できるまで何度もやる、という意味で厳しい、という言葉になっています。

⭐️12月3日(土)の午後に、英語トレーニングのガチンコ勉強会を行います。
→英語力をガンガンにアップしてもらう勉強会です。
英語の日常トレーニングのみに力点を置いた勉強会を開催したいと思います。講義は全て日本語で行います。尚、CDや付属の資料の材料費は実費が掛かりますので、あらかじめご了承ください(500円程度)。受講料は無料です。
日時:12月3日(土)13時〜18時
場所:西南学院大学合宿研修所、研修室
内容:英語のトレーニングhow-to/know-how
   ・音と意味の仕込み
   ・自主トレの方法
   ・シャドーイングの仕方(段階別)
   ・インパーソネイション法
   ・日本語の口語表現トレーニング
   ・レイヤーと接続表現について
   ・話す・書くの自在化と高度化を可能にする構文TR
   ・構文の演習
   ・聞き取りのフォーム作りとロジック
   ・語彙の増やし方
   ・コアの概念
皆様のご来場、お待ちいたしております。

2016年9月7日水曜日

英語の話し方について

【スカイプ講座:"you know,"を止めてみる。】
今日は参加者の方がお一人だったので、マンツーにて、My TED talkをやっていただきました。
10分で自分の人生でシェアしたい経験をスピーチメイキングしてもらい、それを話してもらう活動です。(9月17日の仙台でもやります。)
基本的には英語で話してもらっている間は、僕は聞くことに徹し、相手の方に終わった後で質問をする、相手から質問があった時はそれに自分の話を交えて英語で答える、というやり取りを70分行いました。
マンツーマンで英語で話をするのはとても楽しいですね。また、メモを取らない、と決めて聞くと、相手の話の構造や、固有名詞もきちんと覚えているもので、聞く姿勢の大切さを改めて学ばされました。
Just one thingということで。
you knowという表現を話の間に挟みすぎないほうがいい、ということを申し上げました。日本語で話をしている時に、「〜ね」と連発すると、相手にとって話を聞きにくいことが多いです。これは僕も授業でできるだけ言わないように気をつけています。「え〜」と「〜ですね」って、先生だとつい言ってしまう。英語でこれに相当するのが、you knowなんじゃないか、と思います。
ジミヘンドリクスのガールフレンドだった人が、ジミが亡くなった後のインタビューで生前のジミを語る、っていう動画があって、それを見ていた時に、8秒に1回くらいyou knowを言っていて、すごく英語が聞きづらいな、と23歳の時に思いました。
you knowって、日常会話で何気なく使う分には、癖で済むと思うんですけれど、オーディエンスがいる場合には、話がスーッと耳に入ってきた方がpersuasiveでassertiveだと思うんですね。そういう言葉が途中でノイズになってしまうので。
もし考えが止まってしまったり、英語が止まってしまったら、無理に話そうとせずに、3秒くらいポーズを置いてから、整理してまた話し始める、というスタイルでいいと思います。これはラリーキングライブや、デヴィッドレターマンショーを見ていれば、彼ら2人のintervieweeがよくやっていることなので、とても勉強になると思います。

日本人が英語のスピーチや、スピーキングの勉強手本として紹介しているものを見ると、TEDやCNNニュースなどが取り上げられることが多いのですが、僕はまず、日常会話の中で使われている話し方、また聞き方をじっくりと見る、感じる、っていうことがとても大事なのではないか、と思っています。

生の教材で、英語圏のドラマやアニメ、トーク番組などは実はそういう話し方の勉強をするのにうってつけだったりするのです。
TEDでのスピーカーやCNNのアンカーはその道のプロ、お話をするときには十分なお膳立てや、魅力的なパーソナリティがあった上でお話をしてあるので、僕らが目にするものは高度に完成された話し方だったりします。
それもお手本として不味くはないし、むしろ素晴らしいのですが、いきなりそれを目指せと言われても、ハードルが高すぎるのです。
まずは優しいもの、より生活に身近な英語から触れて行って、少しずつ英語の話し方や聞き方を見ていくことが大事だな、と今日のスカイプ講座で学びました。
9月17日(土)に暁の会@仙台ロング勉強会を行いますが、この辺のことも踏まえて、参加者の皆さんに、すっと易しい英語で始めて、柔らかい表現もたくさん使っていただくよう、アクティビティを工夫しています。参加される皆さん、ご期待ください。
こちらからお申し込みいただけます。 https://akatsukienglish4.doorkeeper.jp/events/51241
とても良い夜でした。

2016年8月31日水曜日

先生は子供達の太陽☀️

北風と太陽のお話があります。私たち教師は、子供達にとって、どちらを目指すべきなのか、深く考えを致す日々です。

私たち教師は、子供達にとって、寒い風を吹かせる北風ではなく、温かい太陽のような存在であるべきだ、と僕は思っています。

横浜マリノスの少年指導者の方の指導書に、「指導者は子供達にとって、厳しく鍛えたり、罵声を浴びせたり、意地悪をしたりするのではなく、子供達にとっていつも、太陽のような人でいるべきだと僕は思います。」と書かれてあり、新任教師時代の僕は、その言葉に感化され、今でも大切に胸に刻んでいます。

親友、西山哲郎くんと今後の暁の会のあり方について、夏に随分と議論をしました。

夏に二人で主催したり、出かけて行った勉強会、ワークショップは、「参加された先生方に体験をしていただき、英語を楽しんでいただき、皆で知恵や情報をシェアしあう温かい現場にしようね。」と誓い合って臨みました。

参加された先生方が、勉強会に出ている時間だけ気持ちよくなり、精神のカタルシスを味わって、しばしの間日常の辛さを忘れるような、そんな鎮痛剤のような勉強会であってはいけない、と西山くんと何度も話しました。

参加された先生方が、子供の頃のように英語に親しみ、英語を楽しんで、その経験を、そのスキルを、そのメソッドや心持ちを、教室に持って帰ってもらい、先生方の目の前の生徒さん200名の前で生徒さんとともに味わってもらい、子供達とともに英語をもっともっと好きになっていただく、そして、子供達とともに英語を楽しんで学ぶ気持ち、きっかけを作っていただけるようなワークショップにしないと、僕ら二人が皆さんとともに過ごす意味はないよね、と何度も何度も西山くんと話をしました。

勉強会は内輪が集まって、内輪ノリで、内輪ネタで盛り上がることではない、と僕らは強く思っています。

また、勉強会はお祭りでも、選ばれた人しかいけないような会でもない。さらに言うと勉強会は同窓会やお友達会でもないのです。

勉強会は、参加された先生方が教えておられる子供達のためにあります。

子供達が、それぞれの先生方とともに、英語の授業を通じて元気になり、笑顔になり、英語を学ぶ喜びを、第二外国語学習を通して見る自国文化を、さらには博い見識と視野を身につけること、これこそが暁の会が参加者の皆さんと標榜する世界だ、と僕らは思っています。

子供達とともに、英語の先生方に元気になってほしい、英語の先生方に語学を学ぶ喜びを、嬉しさを、取り戻してほしいと願ってやみません。

2学期にたくさんの勉強会とワークショップを企画しています。
ぜひお出かけください。お待ちしております。

■2学期、毎月必ず暁の会がどこかで開催されます。

来月と言いますか、明日からの9月、僕らが主宰する暁の会は多くの勉強会を企画しています。

これまで、夏のジョイント勉強会、またオックスフォード大学出版でのワークショップ、英語教育達人セミナーとのコラボを通じ、暁の会京都リーダーの西山くんと議論と検証を重ね、9月、10月、11月、12月と、数多くの勉強会を企画運営する決意を固めました。

また、福岡女学院中高の坂本彰男くんと長い議論とディスカッション、そしてスピリチュアルなインスピレーションを共に得て、今、福岡で毎月一回、金曜日に、多読、多聴、多話、多書の時間を先生方と持つ企画を計画中です。

これから毎月、どこかで暁の会が開催されています。


来月のシルバーウィーク中、宮城県仙台にて、
今年二回目の東北勉強会を開催致します。


■参加者全てが子供達にとってのカリスマであり、リーダーである共同体を目指して。

暁の会は今、出会った先生方にどんどん声を掛け、どんどん実践発表をしていただくことを計画していて、すでに夏後半の勉強会でも4名の先生方に実践発表をしていただきました。

今後は、英語教室で教えておられる先生方、小学校の先生方、中学校の先生方、高校の先生方、そして、短大や大学、大学院の先生方、ネイティブの先生方にどんどん実践発表をお願いしていきます。

また、その場その場で常にディスカッション&シェアの時間を持ち、良い実践が報告されれば、その場で即興ですぐに皆さんに体験していただき、その場で学びを拓いていく機会を持ち続けます。

多くの先生方にアイディアや実践をシェアしていただき、知恵を共有し、皆で協働学習を学び、力をつけていきたいと思っています。

カリスマはいらない、リーダーもいらない。

参加者みんながリーダー、参加者は現場にあって子供達のカリスマであり、リーダーであり、先輩であり、家族であり、兄弟姉妹であることを鑑みて、先生方皆さんに真の意味で参加型の勉強会を経験していただきたい、という思いを強くしております。


■9月17日(土)初の仙台での暁の会勉強会。

これは仙台の大野先生との対話から生まれた企画で、東北の先生方と共に英語を楽しむ時間を持ち、授業づくりや普段の英語学習へのモチベーションアップに生かしていただく機会を作ろうという想いから生まれた企画です。


英語シャワーを体験して、元気になりませんか?
午後13時から21時まで、すべて英語でセッションを行います。
英語シャワーを体験して、元気になりませんか?
多くの皆さんのご参加、お待ちいたしております。
日時:9月17日(土)13時〜21時
8時間ありますので、夕方ご予定のある方は切りがよろしいところでご退席いただけます。 
場所:仙台市民会館 会議室2
内容:暁の会ロング〜All in Englishを体験するワークショップ
discussion 1: current news topic
discussion 2: analysing
lecture 1: PREP talk & Layer Making
story telling1: pair & trio
group work : presentation making
speech making : My 'TED' talk


暁の会ロング勉強会、東北開催は初です!
午後13時から21時まで、すべて英語でセッションを行います。
多くの皆さんのご参加、お待ちいたしております。
8時間ありますので、夕方ご予定のある方は切りがよろしいところでご退席いただけます。 
https://akatsukienglish4.doorkeeper.jp/events/51241

■9月17日(土)は大阪でも暁の会があります!
【暁の会京都】9月の勉強会のお知らせ
日時:9月17日(土)
15時から19時まで
小会議室

場所:下京青少年活動センター
テーマ:アカデミックディベートの全て

イギリスの大学でディベートを専門に学ばれた久留宮一浩先生を愛知県からお招きします。

久留宮先生は9月から学校現場に復帰されます。今後、暁京都を落語小屋ならぬ英語小屋にしていきたいのと、3学期に授業でディベートを実施するので、一からディベート理論と技術を体得したくて、久留宮先生に勉強会の講師をお願いしました。

西山くんとのマンツーマンの予定でしたが、良いこと、楽しいことは共有したいので、9月の暁京都開催の運びとなりました。楽しいことは自分で創るのだ!

参加ご希望の方はメッセンジャーやLINEでお申し込みください。よろしくお願いします。

■9月24日(土)大阪で暁の会&中之島英語研究会ジョイント勉強会

さて、9月24日(土)は大阪で、中之島英語研究会と暁の会京都のジョイント勉強会が行われます。
現場の違うそれぞれ4つの実践発表と体験の4部構成となっています。

【なか英研&暁の会京都ジョイント勉強会、講師変更のお知らせ】
暁の会京都リーダーの西山です。昨日は京都で単独勉強会を行いました。中村憲幸先生(東山中高)と3時間ワークショップを行い、大盛況のうちに終了しました。ご参加くださった皆様、ありがとうございました。

さて、本日は、先日告知させていただきました、なか英研&暁の会ジョイント勉強会第1弾の再告知、ならびに講師変更のお知らせです。第2部に大注目です。今回のコンセプトは「小中高大の英語教育の垣根を取り払う!」にしました。僕がいま興味を持っていることのひとつに、教育機関の間にある壁を壊し、教員間の真の連携を図るというものがあります。このことを念頭に置いて、コンセプト設定しました。(全ての活動をAll in Englishで行います。)

お申込みは以下のリンクからお願いいたします。たくさんの先生方とお会いできることを楽しみにしております。
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日時:9月24日(土)15時~19時

場所:私立英真学園高等学校 普通教室
阪急十三駅東口から徒歩5分の距離です。アクセスは以下のURLをご覧ください。
http://eishingakuen.ac.jp/access/

テーマ:小中高大の教員連携祭り。50分×4コマのセッションを通じて、Almost in Englishの活動を参加者の先生方と共に楽しみながら、作り上げる。

第1部:小学生にできるだけ英語を話させ、聞かせる工夫
Hi Friendsの各レッスンのゴールのタスクを、実際に先生方にも体験していただいた後に、教室での実際の映像を紹介します。

発表者:堀込美恵子先生(箕面市立第三中学校)

●第2部:「ハーバードの修士取得の現地報告」

滋賀県の公立高校の教員をされていた頃、一念発起され、1年間休職し、北米のトップ大学院で学びたいと決意され、見事ハーバード教育大学院に合格され、修士を取得された方にご登壇いただきます。

事前準備から現地での生活、ハーバードの様子、留学生に求められる資質、そして1年間ハーバードで学んだことで訪れた変化とは何か?包み隠さず、お話しいただきます。

発表者:武田浄先生(滋賀県大津市教育政策アドバイザー、追手門学院大学グローバライゼーションストラテジスト)

●第3部:TEDスピーチを使ったスピーキング&ライティング活動

中学3年生の1学期に行った「食の安全」をテーマにしたTEDスピーチを用い、ただ内容を理解するだけでなく、発問に焦点を当てたグループディスカッション、発信を意識したクリエイティブな活動をいくつかご紹介します。

発表者:西山哲郎(東大寺学園中・高等学校)

●第4部:中高生のfluencyを徹底的に伸ばす多話・多書実践

中高生を対象としたfruency firstでのアウトプットアクティビティ実践をお見せします。abcトークという活動の紹介です。
発表者:湯谷賢男先生(京都産業大学付属中学・高等学校)
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もっとも大いなるもの

単語の綴りを一生懸命練習するけれど、何度も、何度も間違える子がいる。 でも、授業中、何度もうなづきながら説明を聞き、話に耳を傾け、大きな声で歌を歌う。フォニックスの発音を、口を縦横いっぱいに開けて発音する。 oshienと単語テストに書いてきた。oc...