2015年6月29日月曜日

暁の会in 京都外大、盛会のうちに終了しました^^

先日、「暁の会in 京都外大」を無事に終えることができました。初めてのジョイント開催でしたが、素晴らしい会になりました。参加してくださった先生方、本当に有り難うございました。


会の概要は、京都のリーダーである西山君が書いてくれていますので、そちらを参照して下さい。
https://www.facebook.com/Akatsuki.English4/posts/1489635274630356
僕は、自分が会に出席して思ったことなどを書いてみたいと思っています。


会は以下の内容で行いました。
【内容】

「発音矯正講座」
第2部「スティーブ:ジョブズのスピーチとフリートークの授業実践例」


第1部「自身の英語学習の変化と中2生対象のマララのスピーチを用いた授業展開とフリートーク授業実践例」   


発音矯正講座では、先生方と一つ一つの子音について、丁寧に発音練習していきました。今回は母音まで練習する時間を十分に取ることが出来ませんでしたが、ご要望があれば、継続して発音矯正講座を実施したいと思っていますので、気軽にメールでお知らせくださいね。


第一部では、「発表者が一人で発表をする」という形態ではなく、僕と西山くんのteam teachingの形を取って実践発表を行いました。音の仕込みと意味の仕込みが一体となって初めて英語のトレーニングの骨子ができる、という話、繰り返しさせる際に、生徒のつまづきが起きやすいポイントはどこかを細かく丁寧に解説し、先生方にも実際に発音をしながら体験していただき、現場で指導をする際にどのようなポイントに気をつけるべきかを微細に突っ込んでお話させていただきました。

トレーニングをする際に重要なのは、「できるようになった」という実感で、授業の初めと終わりを通して、生徒のパフォーマンスが上がっていることを生徒自身に体験してもらうことがとても重要になってきます。また、教員の想いが強すぎると上手くいきませんで、生徒達に行わせるトレーニングの内容も、量を限定し、重要である箇所を厳選して、focused coachingすると良いことなどをお伝えしました。


また、多くの先生方が抱えておられる悩みの一つである「和訳を配ってはいけない、という環境の中で、どのように生徒達に英語のトレーニングをさせていくか」という点についてもお話させていただきました。和訳が配れない状況の場合、既に終了している教材を用いてトレーニングをさせることが代替となります。今行っているレッスンなどの課題で和訳を配ってトレーニングをすることが難しい場合は、既習の内容をトレーニング教材に持ってきて、トレーニングをさせつつ、今やっているレッスンを進めていくという方法が可能です。

「和訳を配らないとトレーニングが出来ない」という考えに頭がジャックされてしまうと、思考がそこでストップしてしまい、先に進めなくなってしまいます。このピットフォールには、僕も若い頃何度も陥り、上手く行かなかった事を思い出します。

ですが、トレーニングをなぜ授業に取り入れようと思ったのか、という原点に立ち戻って考えると、この問題は意外にもすぐに解決出来る様になります。

たとえば、試験範囲がLesson 2,3,4の3つだとして、今Lesson4Part1あたりを授業でやっているとすると、Lesson4の和訳を配らないで欲しい、と同僚に求められた場合、できることが2つあります。

1つは、Lesson 2,3の和訳は既に配れる訳ですから、この2つのレッスンについて徹底的にトレーニングを強化し、「発音→音の仕込み→音読→和訳読み合わせ→英文を見ながら教師と練習→自主トレ→ペアでアイコンタクトしながら練習(これは暁で紹介した方法です)→英文を見ながら音声とともに音読→シャドーイング→ジェスチャーのシャドーイング→大和言葉和訳を見ながらシャドーイング→大和言葉和訳を見ながら英語戻し」の流れで生徒に「できる、わかる」を実感してもらうことが可能です。

2つめは、Lesson4の内容は、簡単な英語でsummarizationさせたり、穴埋めによって聞き取りを強化したり、教材の内容をQuestioningすることにより、簡単な英語で理解させることも可能です。


すなわち、既習内容では徹底的に「英語体得」に重きを置き、現在進行中のレッスンでは、「理解・把握・スピーキング・ライティング」に重きを置く、といった方法をとることが出来るのです。


また、レッスン全体の英文で教材を用意する時間が取れない、労力が心配だ、と言った場合には、全ての英文を教材化する必要はなく、指導者が「ここを重点的に取り組ませたい」と思っている一パラグラフや、1 partのみをこの方法で取り組ませると言った解決法もあります。




この点は多くの先生方も悩んでおられるところでしたので、次回の暁の会でも実践をご紹介し、同僚とのすりあわせをスムーズに行えるような活動紹介をしたいと思っております。今回の暁の会では、授業実践をその場で作って頂き、どんな風に授業を進めて行くか、という話し合いをペアで持つ活動を先生方にして頂き、その内容を全体発表して頂きました。この時間は佐賀でALT300名を前に講演をしたときの経験が活きました。全体で考えをシェアする、という方法は、参加者に働きかける活動としてはとても良い効果がありました。改めてそれを実感できる時間を持てたと事を感謝しています。



 
第二部の自分の実践発表では、西山先生が既に発表してくださったトレーニング授業の実践を大幅に端折り、ジョブズのスピーチそのものをトレーニングせず、教材の作り方、授業の計画(新しい英文教材を先生方に提示し、その場で授業の指導案を作っていただき,ペアで内容を吟味していただき、アイディアをシェアする、という活動)、絵本を使った実践、summarizationをトークの形でする実践、更にフリートークを使って意見を述べる実践の発表をさせていただきました。


指導実践を発表する際には、自分の普段の授業が色濃く反映されます。ですから、授業で実際にやっていないことを発表することはできませんし、発表の端々に、普段どんな授業をしているかが、どうやっても隠しきれずに出てきてしまいます。その意味で、通常の授業で何をとり組んでいるか、ということがとても大切な意味を持ってきます。今回の発表を通して、自分の授業をもう一度見つめ直し、丁寧に調整を行っていきながら、更に良いものを作り上げていこうと強く自覚致しました。

さて、懇親会では1つの個室に10名の先生方がひしめき合い、膝付き合わせて、肌の温もりを感じる距離感で、それぞれが現場で悩んでいること、一人一人の先生方が抱える悩みや課題について有意義に話し合う機会を与えられました。こじんまりとした勉強会の良さはまさにここにありでして、一人一人の意見や思っていることをお互いに共有出来るフットワークの軽さです。懇親会が充実するかどうかは、一人一人の方が自分の気持ちや意見を言って、それを聞き入れて貰える空間になっているかどうか、なんだな、と改めて考えさせられました。


次回の暁の会で僕が考えていることは、教材のネタに依らず、教師のアイディアや想いによって授業を作り上げていく活動です。良い素材を持って行けば、教師の力量がなくても、教材の魅力によって子ども達に豊かな時間を持つことが許されます。


ですが、自分も含め、多くの先生方が頭を抱えるのは寧ろ、教材の内容がちっとも面白くも何ともないのに、カリキュラムやシラバスの都合上、その素材を使って授業をしなければならないジレンマだと考えています。


次回の勉強会では、一見なんのおもしろみもなさそうな教材を使って、私たちの想像力や創意工夫により、教材に息を吹き込み、子ども達の心を揺さぶる授業をどのように創っていくか、ブリッジ教材をどのように準備するか、更に英語力を上げるトレーニングや内容理解、内容把握をどのようにきちんと落とし込むか、に焦点を絞って行いたいと思っています。

先生方が現場で置かれている立場を最大限考慮し、その内容にcommitできる実践発表をしていきたいと思っていますし、そのような工夫がなされなければ、僕らが暁の会をやっている意味があまりないのではないか、と僕は考えています。


そういう理由で、暁の会では毎回の実践発表がその都度変わります。第一部では毎回大切にしているトレーニングの実践を懇切丁寧に行い、第二部では、先生方の現場での苦悩に寄り添う形の活動を中心に、発表を行っていきます。



また、参加された先生方にもお伝えしましたが、僕らの「暁の会」は、向こう5年で活動を終了し、解散します。5年間という期限を切って、その間に僕らの群れの成果を出す、という目標を持って取り組んで行きたいと思っています。


ダラダラと長く活動を続けていても、会の意義が薄れて行くばかりで、あまり意味がないと僕と西山君は考えています。5年間で参加される先生方と共に成果を出し、子供達の為に授業を創って行く、教材を見る視点を肥えさせ、授業に息吹を吹き込む指導法を数多くcreateしていきたいと思っています。


次回の暁の会は以下の通りです。多数のご参加、お待ちして居ります。


8月1日(土)暁の会in 京都(多分、京都外大で行なえると思っています)

7月30日(木)暁の会in 博多(場所は市内の学校を予定しています)


ではまた^^

参加者の先生方へ。
会の冒頭でお読みした英文はここからの引用です。参考までに。
http://www.democracynow.org/2010/5/31/noam_chomsky_the_center_cannot_hold


2015年6月14日日曜日

長崎まで英語教育の学会に行ってきました^^

大学の後輩の長さんが、北九州市立大学で教鞭と執って居られるみたいで、長さんのお誘いもあり、この学会に勉強しに行ってきました。テーマは「「授業は英語で」を支える理論とその実践」でした。

今自分が現場でやっていることと、世の中で行なわれている最先端の英語授業の差異は何か、それを探る為でもありました。

http://www.j-let-ko.org/htdocs/index.php?key=jongt8gvh-65#_65

会に参加してみて、とても良かったと思いました。
それは、自分がやっていることと同じ事を、世の中でもなさってある方がたくさんいらっしゃることが分かったからです。

僕は、理論よりも実践、な人なので、現場人間です。基本的に授業を組み立てるときは、何かの本を読んで勉強したり、誰かの手法に新たな道を探る様な事をするのがとても苦手で、系統立てて勉強したりすることがなかなかできません。

なので、過去の経験を踏まえつつ、今教室に座っている子供達の様子とか、彼らの性格とか、彼らの力とかを考えながら、どうやったら力がつくのか、また、どうすれば生徒達が授業を達成感のあるものにできるか、を考えながら毎日を過ごす様にしています。

で、僕は留学経験もないし、そんなに英語ができる訳でもないし、シャレたことを知っている訳でもないので、頼りになるのは、生徒の反応、自分の直感、過去に自分がやって来た経験則、そして、生徒達を「こいつら、マジで、かわいー!」って自然に思える愛情だけを頼りに授業を毎日作っています。

頼れる物のなかで一番強いのは、生徒がかわいいと思える気持ちだけかもしれません笑。

どんな風に説明すれば適切なのかは分からないのですが、生徒達がかわいくて仕方がない。卒業して行った子達も、今教えている子達も本当にかわいい。

自分にはそういう愛情くらいしか、生徒達に誇れる物はないので、それを頼りに授業を作っている気持ちがしています。

さて、学会での発表を聴きながら、今の自分がやっていることとの差異を大きく感じなかったので、先生方の発表を聴きつつ、このような授業形態を標榜しながら、生徒達の英語力をどんな風に高めて行けば良いのか、ということに想いを馳せながら、ノートに書き込みをしていました。

これまでの英語教育はinputに重きを置いて進められて来ていて、inputを大量に行なえば、outputができるようになるだろう、という仮説に基づいた指導が重宝されて来た感があると思います。

それは入試一点のみに集中していたからだと、乱暴に言ってしまいますが、そう思っています。

僕はこの流れを、output活動を繰り返して行くうちに、生徒達が自然とinput活動の重要性に気付き、自学や自習の大切さ、トレーニングの重要性に自ら気付いて動ける様な流れを今後構築していけないか、と考え、暁の会を始めました。

僕が西山君とやろうとしていることは、output活動の重要性を広く世に問うて、多くの先生方とともに、生徒達の英語力を従来の英語教育のメソッドとは逆のベクトルから模索し、再構築していこうと標榜していることになります。

いろいろな勉強会や方法論に出会うこともありますが、内容はともかく、僕が一番、「ん?」と思う所は、どのようなメソッドであっても、極端で一方的な方法論にのみ依拠した理論を濛昧的かつ盲目的に押し進めて行こうとしている部分で、僕はこれはバランスが良くないのではないか、と思っています。

政府が押し進めるガイドラインや指導要領をそのまま信じ込んでひたすらそれを追いかけ続けていたり、またその逆で、それとは真っ向から反する理論を追求し続けていたりする流れに多く出くわすと、混乱してしまうのです。

一体、どうすればいいのよ、と途方に暮れてしまうのです。

そうではなく、いろいろな要素をバランスよく取り入れながら、一元的な物の見方のみで授業が構築されるのではなく、多様な価値観や要素を含みながら、それぞれの現場の実情にあった、その先生の力量や持ち味が最大限活かさせる理論実践が新たにどんどん作られて行くことが、今一番現場で大事なことなのではないか、と僕は強く感じて、会場の長崎大学を後にしました。

暁の会では、いろいろな価値観を参加される先生方とシェアしながら、それぞれの現場や先生方の持ち味の実情に沿って、最大限それぞれの力が、教師も生徒も活かされ、授業が生きたものになるような道筋を探って行きたいと考えています。

多くのお土産を頂いた学会でした。
主催してくださった先生方、本当に有り難う御座いました。
また、参加させてください。
何かお手伝いできることがありましたら、いつでもお声掛けいただければ、と思います。何でもやりますので。

こういう多くの取り組みが、どんどん世に出て、いろいろな人の眼に触れる事を僕は望んでいます。

多くの人の意見や、異なる価値観、多様な視点を共有しながら、昨日よりも若い視点で新たなアイディアを生み出し、そのアイディアを具現化し、検証し、さらに次のphaseへと共に進む人たちが一人でも多く増える事を、僕はいつも祈り、待ち望んでいます。

理論と実践の狭間にあって、僕らが忘れては行けないのは1つだけです。それは生徒への愛情です。

折も折、遠くに住む仲間の先生から、素敵な言葉が送られてきました。今日はそれをclosingにしたいと思っています。

「教師の仕事とは、
生徒全員を心から愛せるようになること。
お前はどこへ行っても大丈夫だ、とすべての生徒に胸を張って言えるように指導すること。
お前は俺の誇りだと、全ての生徒にためらいなく言えるようになること。
そのために何ができるかを考えること。
そのために自分を変える勇気を持つこと。
そのために生徒を信じ、待ち、許すことを学ぶこと。

そして、いつか自分も生徒も多くの笑顔と感動を共有できるようになること。
これがクラスを作るということであり、クラスと共に生きると言うことではないか。
また、そんな純粋な気持ちが感動のあるクラスを創り、心から愛せる生徒を育てていくのではないか。」



下の画像は、親友であり、僕の大切なメンターである石川さんと、ご同僚の林くんと^^ 楽しいひと時を過ごしました。








2015年6月4日木曜日

それでも僕は、そっと彼女にソクラテスを手渡す。

高3の担任をしている。先日、個人面談をようやく終えた。クラスの一人一人と話をすることができ、とても清清しい気持ちになった。
彼らが教室では見せない本音の部分を打つけてくれたり、目標としていることや、考えている所を知ることもできたし、自分なりに彼らに対して思っていることも伝えることができたから。

ある女子生徒が、受験の話に絡めて、「先生、私、受験も大事なのは分かってるんですけど、今、すごくソクラテスの弁明が読みたくって読みたくってたまらないんですよ。いつ図書館に行っても貸し出し中で。本当に倫理にすごく興味があるんです。」と真剣な顔をして話してくれた。

高3の担任として、立場上色々なことを言わなければ行けないんだろうけれど、僕は彼女に、そんなこと言ってないでさ、まずは苦手教科の勉強をしなさいよ、と言う気持ちに、どうしてもなれなかった。間髪入れずに僕は彼女に二の句を告げた。

「俺、家に持ってるよ。明日持って来てやろうか?」
「先生、本当ですか!うれしいです!」と彼女が微笑んだ。
「読みたいと思った本があったら、すぐにでも読むべきだよ。いいよ、俺の貸してあげるから。」

そんなやり取りで面談を終えた。

二日後、朝起きて書棚を見ていると、ソクラテスの弁明は二冊あることが分かった。僕は最近買い直した講談社学術文庫の方を彼女に貸すことにした。ソクラテスの弁明に併せて、内田樹さんの「ためらいの論理学」も添えることにした。きっと彼女は気に入ってくれるだろうと思って。

今彼女の中で、青春時代のときめきが起動して、胸が高鳴りまくっている。彼女の中では青春期にしか起こりえない知性のアンテナの感度の高まりが最高潮に達しているに違いない、僕は自分勝手だとは分かっていたけれど、そう思うことにした。

彼女の中で、今一番リアリティがあるのは、模試の成績でも、コンビニの新作スイーツでもなく、ソクラテスの弁明なのだ、と僕は思った。
彼女の心は今、ソクラテスの弁明を、彼らが語り合うそばで聞いていたい、と熱望している。きっとそうだ、僕はそう心でつぶやいた。

朝、彼女の机にソクラテスの弁明を置いておいた。その後、教室に寄ってみると、彼女の机の上に、何ページか読まれている形跡のあるソクラテスの弁明の本が置いてあった。

僕は訳もなく、何か甘酸っぱい気持ちになった。

担任としてこうした行動が適切だったかどうかはよくわからない。きっと受験生の担任としては、ダメな行為なんだろう。
しなければならないことを放り出してもいいから、好きな本を読みなさい、と彼女に告げたことは間違っていたのかも知れない。

でも、それでも僕はそっと彼女にソクラテスを手渡した。理由も訳もよく分からないが、そうすることがきっと正しいんだと思った。
そして、僕は、自分の心のvoiceに従った。

青春のただ中にいる人が、やっと自分の興味や関心を向けることができる何かに出会ったんだね、と思うと、胸が熱くなった。
僕は、17歳の時にライ麦畑でつかまえての文庫版を貸してくれた1つ年上の女子高校生の事を思い返していた。
友達だった彼女が貸してくれたその本を読んだとき、しばらくの間、自分の時間のリアリティは、すべてホールデンコーンフィールドの
ことで一杯になってしまった。

あれから25年時間が過ぎた。あの時に感じた気持ちと同じではないんだけれど、ソクラテスに会いに行きたいと僕に伝えてくれた彼女に
是非会っておいで、と言えたことがとてもうれしかった。

あの時の僕と今の僕は、何かが変わってしまったのかもしれない。自分では何も変わっていないと思っているけれど、きっとあの頃に感じたこと
思ったことは、二度と取り戻すことのできない甘酸っぱさがある。

ソクラテスに会いたくなった彼女は、あの時の自分と重なって見えたのかもしれない。
過去の自分に出会った気持ちに、僕は無意識のうちにとらわれたのかもしれない。
でも、本当のところはよくわからない。

ソクラテスに出会った彼女のリアリティは、いったいどんな風な色に変わっていくのだろう。
この次に彼女と話す機会がある時に、過去の自分に出会う気持ちで、聞いてみようと思っている。

2015年6月2日火曜日

大人こそ、戦闘モードは「ガンガンいこうぜ」で。


大人こそ日々を淡々と過ごしていると、あっという間に歳を取ってしまうんじゃないか、とおっさんになってから、思ったりしています。あ、別にagingに恐れを為しているとかじゃないんですけど。


いろんな制約とかがあると思いますけれど、一番制約になっているのは、自分が勝手に「これはやっちゃいけないんじゃないか。」と心にブレーキをかけていることなんじゃないか、と僕は思ったりしています。


若い頃を振り返ると、僕はグチが多かった気がします。教科書がこの教材だから、自分の想い通りの授業ができない、とか、生徒がこれこれこういう風だから、授業が活況にならないとか。あるいは、すごい人にであったりすると、あの人は特別だから、とか。同僚が反対するだろうから、自分の思っている事を実現できない、とか。


そういうの、関係ないんだな、って歳を取ってみて理解ができるようになりました。ああ、自分が若い頃、臆病だっただけなんだな、って思える様になれました。


自分も含めて、おじさん、おばさん、ってもっと自由で良いと思ったりします。
自分の想いをそのまま子供にぶつけていくっていうか、そういう流れにならないと、子供も萎縮しちゃうだろうし、良い変化とかは中々起きないんじゃないか、と思ったりしてて。


どんどん色んな事を、いろんな人が面白くやっていけば良いんだと思っています。


ビートたけしさんのインタビューを聞いていて励まされたことがあるんです。

「おいらはコント55号とドリフをすごいと思ってたんだけどさ、あの先輩たちをなんとかして引き摺り下ろして、おいらたちの現場を作って行かないと、先はねぇな、って思ったんだよね。だからひょうきん族の時は徹底して叩かれたけど、世間で品のいい良い人の笑いみたいなのが受けてても、絶対その真逆を行ってやろう、って思ってたのよ。良い人ばっかりになっちゃうと、ダメになっちゃう気がしてさ。」

先輩に敬意を払いつつ、その先の未来を見据えて行動することってとても大事なことだと思っています。


それはケンカをすることとか、腐すこととは違っていて、自分がやりたいと思っている事を、物凄い制約の中で実行して行くことでしか、示せないことだと思っているんです。


示す相手は、未来の大人である子供達に対してだと思っているんです。


大人がチャレンジできなかった、次の世代の大人も必ずチャレンジしないような気がしています。
だから、大人が「ガンガン行こうぜ」モードになっていって、
どんどんアイディアを具現化して、面白い現場がそこら中で生まれたら良いと思っています。
どんな職業でも、関係なく、です。


お金が100円でも発生している以上、社会人としては皆さんプロフェッショナルってことになりますから、そこには責任が生まれます。


その責任に愚直に応える、という意味は、与えられた事を一生懸命にこなすことと同時に、与えられた物を与えられたままで終えない、という新しいエッセンスの付け加えがセットになっているんじゃないかな、と僕はいつも考えています。


自分が恐れているのは、先輩に逆らうことなんじゃなくて、自分が思った通りのことをした時に起きた結果に対して責任をどうとるのか、という自分自身に対してなんじゃないのか、と自分の反省も含めて考えたりしています。


大人が過激にいろんな才能をまき散らして行く社会って、楽しいじゃないですか^^
もっとそんな人が、どんどん増えて行けば子供達の笑顔が増えるんじゃないかな、って僕は考えているんです。



ではまた^^

友達として仲良くしてください。

Facebookのノートの採録です。
これは残しておこうと思って。

↓ココカラ

僕は毎日生きている時に大事にしていることがあります。
それは、人に接する時に、できるだけ相手の人を自分の親しい友達だ、と思って接するようにしよう、ということです。

僕は人が大好きです。いろいろな人と交流をしたり、関わって行くことがとても好きなんだと思います。
自分は本当に自分のことがよくわかっていなくて、人から指摘されたり、おまえってこうだよね、って教えてもらうと、
自分にはそんな側面もあるんだね、と思ってびっくりしてしまうことがあります。

あまり信じてもらえないかもしれませんが、学校にいる時は、生徒に対して、部活の後輩とかと面白い話をしてる感覚で過ごしています。

授業もそんなつもりで臨んでいます。そして、勉強会なども、そんな気持ちで参加しているつもりです。

ですから、時折、僕の事を物凄く尊敬してくれたり、すごい人と接する様に関わられると、正直言って、困惑してしまいます。

僕は友達と仲良く楽しく時間を過ごしたい、と思って生きています。ですから、自分が神格化されたり、祭り上げられたりするのは本当に苦手で、
僕と話すことが特別なことなんだ、と意識されてしまうと、悲しくなってしまいます。

僕は神様でも、化け物でもありません。一緒にいる人を、クスリ、と笑わせてハッピーでいて欲しいだけなんです。
本当にそれだけ。それ以上でも以下でもないんです。つまんないこと、大嫌いだし。

僕は、出会う人と一人でも多く楽しい時間を過ごしたいと思っています。
好きなことを好きな時に好きなだけできる関係、そんな関係性をとても大切にしたいと心から思って生きています。

ですから、僕と接する時は、親しい友人と話をしているつもりで接していただければな、と思っています。

筋肉がすごいとか、着てる服がカッコいいとか、音楽良いのを知ってるね、とか言われるのは素直にうれしいです。

でも、先生はすごい先生です、みたいなことを必要以上に言われたり、そういうことを意識して僕と交わりを持とうとされると、
とてもびっくりしてしまいます。

人と交わって行く時に大事なのは、ステータスや、性別、関係性、間柄なんかではなくて、一人の人としてお互いが尊重されているか、という
ことだと僕は考えていて、そんな風に生きています。

だから、偉い人とか、そういう風に思って人と接することはまずありませんし、必要最低限の礼節は重んじますが、
それ以上のことは不要だと思っていますので、なんにも感じませんし、考えたりもしません。

人が一人の人間としてフラットに意見を言えない世の中、って悲しいじゃないですか?
だから、僕は自分もそんな風に扱って欲しいので、関わる方々にもそんな風に接するようにしています。

権威や上下ができたりすると、必ずそれを笠に着て悪さをする小狡い人が現れます。
そういう人が僕はとても嫌いですし、そんな風に僕にはできないので、お友達にはなれません。

何かにすがっておけば威張れる、みたいなの、ダサいし、違うんじゃないか、と思ってるんです。
僕、ダサいの、嫌いじゃないんです。大嫌いなんで。

ですから、僕と接する時は、自分の親しい友達と話をしているつもりで接して欲しいと思っています^^

友達として、仲良くしてください^^
よろしくお願いします。

2015年5月31日日曜日

暁の会for Teachers@博多、第二回が無事に終了^^


昨日、暁の会for teachersの二回目を博多で開催させて頂きました。当初8名のご参加予定を戴いていましたが、14名の先生方のご参加を戴きました。また、驚いたのは、公立高校で教鞭をとっておられるネイティブスピーカーのカナダ人の先生も参加してくださったことです。これには、参加者全員驚きました。次回は懇親会も含めて参加するわ、と仰ってくださいました^^


初めの一時間は、スティーブジョブズのスピーチについてお話させて頂きました。
ジョブズのスピーチを何故生徒にさせたいと思ったのか、また教材をどのように作ったか、さらに実際の授業のような形をとりながら、生徒達へ声をかけて行く時のポイント、端折るところと、ピンポイントで指導する所、発音指導の仕方、立体構造トランスクリプトの作り方と効用について、大和言葉とは、などの話をしました。


ジョブズの授業に関しては、僕は二ヶ月半という時間を与えられていましたので、十分にも十二分にも指導をすることが許されていました。


色々な制約がおありな先生方もいらっしゃいますので、スピーチ全体を使う時の注意点や、ここだけを取り上げてやってみてはどうか、というお話もさせていただきました。


この発表で一番気をつけたことは、実際に授業を行う先生方が困ってしまう点は何かに気をつけて、自分が指導をしている時に生徒から出て来た疑問点や、指導の際の細かいポイントなどについてできるだけ丁寧にお話をさせて頂いたつもりです。


生徒が「?」となったときにどうするか、音読の指導の際、どのようなポイントに気をつければ生徒はよく読める様になるか、などの話です。


ジョブズの教材、改めて見返してみると、今考えると、中学三年生でも、トレーニングをやり込んだ後に、フリートークのセッションを何度も持っておけば良かったな、と思うほど、とても良い内容でした。

次のこの教材を使うとすれば、僕は必ずフリートークのセッションを入れて、どんどん生徒に話をさせると思います。読んで教師が感想をそれっぽく伝えて、はい、おしまい、としてしまうには余りにも贅沢すぎる教材でした。


休憩を挟み、次の一時間は、今高校三年生の授業で取り上げている内容を実際に授業形式で行ないました。絵本”The Giving Tree”の教材を何故使っているのか、絵本を用いることによって、生徒達にはどのような効果があるのか、というお話から始めました。



絵本の内容は英語を母語とする幼児に向けて書かれていますので、複雑で難しい英語は出てきません。この内容を要約したり、この題材について英語で話をすることはとても簡単なことなので、生徒達も取り組み易く、英語が出てき易いという仮説に基づいて授業を組み立てています。

実際に授業をやってみますと、その仮説は正しく、また教材そのものに教訓や道徳的な観点が含まれていることが多々あり、解釈を如何様にも拡げることが可能なので、生徒が英語で話をする時に、話が伸びやかになっていくからです。


実際に先生方と朗読をし、絵本の和訳の妙についてもお話をしました。それが終わってから、ペアを作って頂いて、パートナーと英語で意見を言い合うセッションをしていただきました。生徒達向けに行なっているセッションの「話の筋を要約して言う」活動は、時間の都合上割愛させて頂いて、いきなり、My point of view is that S+V~. の文から始めて頂くことにしました。


パートナーを変えるごとに英語がどんどん出てくるご経験をして頂いて、月曜日から即ご自身の授業の中でも簡単にセッションができるようになっていただきたかったからです。


さて、二時間半の予定が三時間になってしまい、会場を貸して戴いた若葉高校にご迷惑をおかけしました。申し訳ありませんでした。

会が終わり、懇親会へと場所を移して、次回の暁の会for Teachers@博多の段取りを打ち合わせ、若い先生方二名にお話をして頂くことにし、僕も一つ宿題を頂戴して、一ヶ月その課題に向けて現場で実践を重ね、その内容をシェアしていこう、というお話をしました。


また、次回の暁の会では、参加されてある先生方に、初めの5分程度、ご自身の今の学校でのご苦労や、ご経験、生徒とこんないいことがあった、こんな失敗をした、などのお話を全員の前でして頂いて、思った事をその場でどんどん言い合うというセッションも設けることにしました。
さらに、6月に京都で行なわれる暁の会へ九州からも一緒に行こう、というお話をさせて頂き、家路へと着きました。


会全体を通して僕が反省させられたことがあります。それは、「参加してくださる先生方が普段抱えて居られる問題にもっと注目して、その先生方が現場ですぐに使えたり、すぐに役立つ様なことをもっとシェアする」というものでした。


僕は特別なことをしているつもりもないし、自分みたいな留学もしてなければ、英語もできない教師がこれをやれるから、他の先生方にシェアをすれば、その先生方の現場でもっとすごいことが起きるに違いない、といつも思っています。これは本気でそう思っています。

ですが、僕が意識をしていなかったり、知らなかったりするだけで、実際にそんなことを思ってきみを見ている人はいないよ、と先輩に指摘を受け、びっくりしてしまったのです。


「きみの資料を見たり、発表を聞いたりすると、内容が濃くて凄まじすぎるから、あの人は特別だからこんなことができるんだ、って思っちゃうんだよ。だから、結局会に参加しても、あんな真似は自分にはできない、って参加された先生方が思っちゃうんじゃないか、と思って。だからさ、ああいうのはああいうのでいいからさ、もっとこう、なんていうか、先生方が、ああ、これなら明日からでもすぐやれそうだな、って思う様な内容とかを増やして行くと、参加してくださる先生方も会に来易いんじゃないかな。」と、先輩の先生方が仰って下さったんです。

これは本当に有り難い言葉でした。僕自身、今やっている実践や過去に取り組んだことに大して、本当に特別なことをしているつもりは毛頭なくて、生徒達を見ていて、その場その場で、あ、今生徒にこんなこと伝えたいな、これ生徒にやってみて欲しいな、って思う事を状況に応じてやっているだけなんです。

だから、たいそうなことをしているつもりもないですし、これ、他の現場でもやれそうですよ、と思いながら情報はシェアするようにしています。


でも、僕が思っていることと、他の方が僕を見ていてくださる観点にはズレがあるんだな、ということが昨日の先輩からのアドバイスで分かりました。ジョハリの窓の「盲点」について思い返していました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%8F%E3%83%AA%E3%81%AE%E7%AA%93





長くなりましたが、昨日ご参加頂いた先生方、本当に有り難う御座いました。来月は京都であります。京都ではお二人のゲストスピーカーをお招きして、それぞれ一時間ずつ実践発表をして頂きます。また、昼の12:30から夕方18:30までの長丁場ですので、色々なコンテンツを持って、様々な先生方に発表をしていただき、シェアを拡げて行こうと思っています。参加される先生方、どうぞお楽しみに。


暁の会でこういうことをやって欲しい、とか、こういう実践について聞きたい、というリクエストがありましたら、ご遠慮なく暁の会のFacebook ページにお書きいただければ幸いです。ぜひご意見、ご感想、お待ち致しております。よろしくお願い致します。


https://www.facebook.com/Akatsuki.English4?ref=aymt_homepage_panel






昨日の暁の会のレジュメはDropboxに入れて置きますので、詳細はそちらをご覧下さい。


https://www.dropbox.com/s/tm015bhxwolyw9j/%E6%9A%81%E3%81%AE%E4%BC%9Afor%20Teachers%202%E5%9B%9E%E7%9B%AE%E3%80%80%E8%B3%87%E6%96%99%E3%80%805%E6%9C%8830%E6%97%A5%EF%BC%A0%E5%8D%9A%E5%A4%9A.docx?dl=0




また、今回の勉強会はビデオを撮っていますので、撮影した内容について編集をし、暁の会のFacebookページで公開します。参加してくださった先生がビデオを編集してくださるそうなので、近日公開となります。そちらをご覧下さい。



ではまた^^

2015年5月29日金曜日

生徒達がフリートークでどんどん英語で意見を言う流れを授業で作る。


生徒に英語で自分の考えや意見を言うトレーニングを繰り返していますが、ここに来て新境地へと突入し、いよいよ生徒達がフリートークをできるようになってきています。

この流れを作るまで、本当にそんなことができるんだろうか、と不安で一杯で、僕は内心、びびりまくっていました。だから、一昨年にall in Englishで授業をしたときも、失敗したらどうしよう、と怯え、この流れを作るところまでは行ったけれど、ついに発展させることはできずに挫折していたことを記憶しています。

今年受け持っている学年は高三、僕は飛び込みで入った学年ですから、彼らの過去はほぼ知りませんし、全く関わってもいません。彼らがどれくらい、英語で意見を言えるか、またその前に、そもそも英語力がどれくらいあるかも、細かく分析していませんでした。

授業の中で生徒達の様子を見ながら、ここまでできる、これから先は少し勉強がいる、という部分は肌で感じないと授業に活かせないことが分かっているからです。

さて、前回のブログで、”Design for whom?”というレッスンを授業で扱っていたお話はしていました。私たちが使うものは、世界の人口の10%に当たる富裕層向けに設計されている。では、残りの90%の貧困層の人たちも使えるようにするために、どのように品物を設計することが良いことなのか、という問いかけが行われるお話でした。

このお話から膨らませて、”the Giving Tree”という絵本を用いた活動へと発展し、生徒達に英語で意見を言わせる授業を行っているところまでが前回の授業までの内容でした。

昨日行った授業、この内容の発展で、会話の中で自分の意見を、ある話し方のフォームに則って行い、34名パートナーを変えて練習して、その後、何も見ないでフリーで会話をする、という流れに持って行くことにしました。

つまり、プリントを見たり、黒板に板書してあるモデル会話例を見ながらのトークは、会話をするためのトレーニングとして位置づけ、その後、何も見ないでパートナーと会話をすることで、初めて生徒は自分の意見を英語で話す、という形に持って行くように仕向けたのです。

生徒達、フリーのトークで活発に話をし始めました。教室の中で日本語を使っている生徒は誰もいなくなりました。英語で積極的に話をしました。正直申し上げて、ここまでこの活動が盛り上がると予測できていませんでした。というのも、生徒達にそんな英語を話せる力なんてあるのだろうか、という僅かながらの猜疑心が僕の中にあったからだと思います。生徒達に謝りたい気持ちで一杯になりました。

従来の英語の授業では、英語の情報を頭に入れる、というインプット活動が主でした。生徒に英語の知識を教え、生徒はそれを習得することにより、それが生徒の英語力アップに繋がるだろう、という教育的な仮説を持って授業が展開されていく形です。

今求められている英語力、生徒達が卒業後に期待される英語力は、学校で教わる英語の知識を駆使して、「英語で意見を言う・書く=アウトプット活動」というところまで、自分の英語力を昇華させること、だと言われています。

「英語で意見を書く」能力を生徒に身につけさせるには、「英語で意見を書かせる」ことをトレーニングさせないと駄目なのですが、僕は自分が英語のトレーニングを13年続けていて、この結びつきの中に独自の観点を見いだすようになりました。

すなわち、「英語で意見を書く」ことがしたければ、書く練習も確かに大事なのですが、より「書くこと」という行為そのものをスムーズにするために、まずは「英語を書くフォーム(英語のロジック)で、英語を話すこと」をトレーニングした方が良いのではないか、ということです。

たとえば、第二外国語を勉強されてある方はご経験がおありだと思いますが、大学で単位修得の為に二外を履修する場合、「ペーパーではできるけれども、からっきしその言語を話せない」という体験をなさった方は少なからずいらっしゃると思うんです。それって、「言語知識を習得するのは簡単なんだけれど、言語の運用力を上げることは難しい」、ということなのではないか、と僕は考えたからなんです。

僕はここに、生徒のアウトプット力を伸ばすヒントがあるのではないか、とここ5年くらい睨んでいました。それは自分が高校で、英作文を教えていてずっと感じていたこととも繋がっています。英作文の指導を何度やっても生徒は上手く書けるようになるのが困難ですし、なんどインプットのトレーニングを徹底させても、言葉が出てこない。これは何故なんだろう、とずっと考えていました。その時に自分の中に問いが立ったのですが、それは「トレーニングだけをやらせていても、生徒はいつまで経っても英語の運用能力を上げることはできないのではないか」というものでした。自分の言葉や自分の思いがあって、初めてそれが言葉に乗っていく、というのが、人が言葉を話すときに生ずる自然な流れであり、その流れを授業の中で擬似的に何度も繰り返し作り出すことによって、生徒は教材の中により深くテーマや意義を見いだし、言外に伏流する筆者の意図をくみ取る力をつけることができるのではないか、と仮説を立てることができるようになったのです。

前置きが長くなりました。

さて、今回の授業では、擬似的に何度も自分の意見を言う練習をし、最終的にはモデル会話例を離れ、自分の言葉で英語を話すことをやってもらいました。

モデル会話例は毎回板書し、生徒とコーラスリーディングで練習を繰り返し、ある程度しっかりと言えるようにしておきます。次にS+Vと書いてあるところには、自分で文を作って入れてみてね、と言います。

しかし、これだけでは英語が苦手な子ができない可能性がありますので、予めお話に出てくる登場人物の主語を与えて置いて、こちらが文章を作っておき、穴埋め的に、空所に単語やフレーズを入れることによって生徒が英文を言えるようにしておきました。

パートナーを3回替えて、モデル会話例を練習させ、最後にフリーで2名の人と会話をしてもらう様にしました。フリーとは、原稿やモデル会話を見ずに、間違えても良いから、自分の言葉で英語をどんどん話なさい、という指示を与えてのものでした。

このときに一工夫あります。このままでは発信者が詰まったときに英語が出てこない。

そこで聞き手は、発信者が詰まったときに、”You mean (日本語でもOK)?”と言って、「あなたの言いたいことって、こういうことなのかな?」と促してあげてね、と指示を付け加えました。

また、ちょっと意地悪な仕掛けもしておきます。発信者の意見が短すぎて、良く意味が分からないときは、こう言ってもう一回会話を続けてね、と指示します。

“So?  So what? “ これを聞いて、生徒達は笑っていました。

さらに、聞き手は” More information, please.”と言ってあげたり、”English please.”のようにできるだけ頑張って英語で言えるように励ましてあげてね,と指示を付け加えました。

聞き手とのキャッチボールの形でなければ、発信者も聞き手も育たないと僕は考えていて、一方的な意見の垂れ流しに終わるのではなく、聞き手は上手な聞き手として、発話者からできるだけ多くの情報を引き出すことも大事だよ、と話をしました。

ここで、聞き手の態度が問われることになります。発話者の英語がたとえ拙くても、絶対に馬鹿にしてはいけないし、上から目線したり、笑ったりしてはいけないよ、と真剣に生徒に話をしました。

日本人は人の話を聴くときに、上から目線なところがあります。だから誰かが話をしようとすると、薄ら笑いを浮かべたり、小馬鹿にしたような態度で聞こうとする姿勢がある。これはよくない。これでは発話者はミスを恐れ、誹謗中傷から身を守ろうとし、保身的な意見しか言わなくなります。

また、発話者の姿勢も然りです。日本には「てへぺろ」文化があります。発話者がはなからミスをすることを織り込み済みで、薄ら笑いを浮かべながら「もし自分がミスをしても多めに見てね」と甘えの姿勢を示すことが許容されている嫌いがあると僕は思ったのです。これは良くありません。

ここから日本人が持つ悪しき習慣が浮き彫りになるのですが、聞き手も発話者もそれぞれに上記のような構造を持って「意見を言う」という形が身体化されていますので、英語で意見を言おうとするときにも同じ現象が起きます。これではいつまで経っても英語で活発に話をしたり、議論をしたりする流れは組織的に生まれてこない。

ここにその例が書いてありますので、興味のある方は併せてお読み下さい。これは良い記事です。何故日本人が英語が話せないのか、鋭い視点で書いてあります。秀逸なブログだと思います。

さて、生徒に上記の話を短くして、セッションを再開しましたが、生徒達のフリートークは、こちらの想像を遙かに超えた、素晴らしい会話になりました。聞いている僕がビックリするような英語をどんどん使っていたり、豊かなボディランゲージや顔の表情を使って、パートナーに一生懸命英語で意見を言おうとしている生徒の姿を見るのは本当に幸せでした。

そこにあるのは、成績の善し悪しではなく、伝えたいという気持ちと思い、英語を使って会話を楽しみたい、という生徒達の心意気でした。

英語で意見を言うセッションは今月始まったばかりです。こんなに早い段階でフリートークが成立するとは考えていませんでしたので、僕の方がビックリしています。生徒の力って、本当に素晴らしいですね。こちらはペーパーでしか生徒の力を見ようとしませんが、生徒達の今日の活動の様子を見ていると、こちらが引き出していない生徒の潜在能力はとんでもなく高いんだな、と改めて反省しました。

来月、校内でも研究授業をやりたいと思っていますが、これは早い段階でプレゼンやグループセッションに持ち込む可能性が見えてきました。また、生徒達に教材を深く読ませるためのヒントももらった気がしています。

明日5/30(土)に、福大附属若葉高校(福岡市中央区)にて、16時~1830分まで、暁の会for teachersという先生方向けの実践発表勉強会を行います。

前半はSteve Jobsのスピーチを使ったトレーニング授業実践をお話しし、後半は、all in English授業の実践発表、授業の運び方指南、指導案の共有、計画の立て方などのお話をさせていただこうと思っております。

どうなるか心配しておりましたが、おかげさまを持ちまして10名の先生方のご参加をいただいております。先生方と良い学びの時間となるよう、全力投球したいと思っております。

また、暁の会は毎月、博多と京都で定例勉強会を行っていますので、興味がおありの方は暁の会のフェイスブックページをご覧いただき、是非ご参加下さい。心より先生方のご参加、お待ちしております。

更に、暁の会では、これとは別に、英語学習を頑張っている方の為の学習支援の会、暁の会for English Learnersという勉強会も開催しています。第1回目は919日(土)に東京の新宿で予定しています。ご期待下さい。多数の方のご来場、スタッフ一同、心よりお待ち致しております。

尚、暁の会の勉強会の様子は、随時、動画や共有ファイルにて、公開していく予定です。フェイスブックのページをご覧下さい。

ではまた^^

もっとも大いなるもの

単語の綴りを一生懸命練習するけれど、何度も、何度も間違える子がいる。 でも、授業中、何度もうなづきながら説明を聞き、話に耳を傾け、大きな声で歌を歌う。フォニックスの発音を、口を縦横いっぱいに開けて発音する。 oshienと単語テストに書いてきた。oc...