昨晩、財布を紛失した。中身は大して入っていなかったが、身分証、免許証、カードの類いの再発行や機能停止が面倒だな、と思っていた程度で、大して気にも留めていた訳では無かった。
普段、取り立てるまでもなく、自分は金に無頓着なのだけれど、友達や知り合いの方が、自分以上に慌てて心配して呉れる様子を見ていると、少しは貴重品に附いて、考えを改めなければ行けないね、と思った。
財布が戻って来たことは良いことだが、この経験を通して感じたことは、日本という国に住む人々の心根の清さと、これを無くすと困るかもしれない某の為に、態々一苦労を担いで交番まで届けて下さった方が居られた事実だ。
この国に生まれて本当に良かった、と今日思った。
普段の行いがいいから、とか、運が良かったね、とか、色々と結果論的に縦横に思いを巡らせることも自由だが、物がなくなると困る人が居る、と案じる人が同じ国に住んでいることの感慨へ想いを馳せることの方が、今日という一日に味気を加うるに十分ではないか。
人の物を盗ってはいけない、と子どもの頃に教わるのは、洋の東西を問わず、当たり前のことかもしれない。英語では、”Finders,
keepers, losers,
weepers.”という盗ったもん勝ちみたいな言葉もある。だが、これは「無くした物にくよくよしたって、始まらないじゃないのさ。」という諌言であって、盗人猛々しさに感けた言葉ではない。
お財布を拾ってくださった方は恐らく、ご自身がお財布をなくされて困ったご経験をなさったか、周囲に斯様な方が居られたか、或は、「困った思いをされた方を助けなければいけない」という正義感が身体化され得るような教育乃至は躾を施されて育ったか、の何れかであろう。
その何れかの思いに至り、財布を手付けずに届けてくださったのだ。この方は他者へ良き思いをpassされたのである。贈り物をしたのである。則ち「無くなった物が見つかると、あなたはきっと助かるでしょ?」という思いを届けてくださったことに他ならない。この方の行ないは、物理的物質移動に寄与したことではない。物質移動の所為を行なう前に、誰かに「贈り物」を届けなければ、という贈与の念がまず発起し、その後、間髪入れずに財布を届け出る行動に奔ったのだ。というか、僕はそう勝手に解釈した。
僕は今、市井の顔の分からぬ何方かから、「贈り物」を受けた。今度はそれを、また別の誰かにpassしなければいけない。贈り物を貰いっぱなしにするのはいけない。贈り物は返すことによって初めて、次の贈り物が届く準備が整う。
これは物理的なモノだけの話ではなく、何方かから受けた厚意なり、厚遇に対して、直接的に反応して行くこともさることながら、間接的に自己の環境に於いて、様々な方へ善意の贈り物を返し続けることを意味している。
自分の私利私欲を深めようとして、最後には自滅したり、村八分となる御伽草子には枚挙に遑がないが、あれらの昔話は、私たち「子ども」に対して、欲張りはいけないよ、ということを教えることが本意として編まれた訳ではないのではないか。そんな狭義な意味の噺なら、態々多くの口頭伝承に依って現代まで語り継がれる歴史的価値は、人の口伝てになるに連れ、色あせて溶けてしまう。
誰かから受けた良い行いやモノは、みんなでシェアしましょう、というuniversalな広義を、先祖先達が、何としても後世に語り継がねばならぬ、という人類的命題を無意識に掬い取ったからこそ、その感度が高かったからこそ、今でも語り継がれ続けているのではないか。
財布を紛失した経験を通して、そんな風なことに思いが至った。
とても良い気分だ。晩の葡萄酒の味はまた、格別であろう。
ではまた^^
2015年3月12日木曜日
2015年3月11日水曜日
再び「草枕」
「草枕」の読みかけを読み進めるが、なかなか先へと進ませてくれない。紅葉漱石は意地が悪い。刺激的な語彙や言い回しが目を捕らえて放さない。日本語をこんなに深く味わいながら読むのは何年ぶりだろうか。大学に通っていた頃、赤鉛筆で至る所に線を引きながら、三島由紀夫の小説を読み耽っていた頃を思い出す。
草枕。矢も盾も堪らなくなり、ノートを購入して、気になる語彙を書き綴ることにしてみる。現在の口語乃至は常用漢字、常用口語表現が失って久しい美しい日本語、仮名遣いが如何なく随所に鏤められ捲っている。
確と、という表現は「しかと」と読む。確実で間違いのないことを表す言葉だが、我々が現在使っている「しっかりしなさい」とも同語源を持つ。「確と見届ける」などの表現は今でも用いるが、口語で日常的にこの語をverbal commandとして頻用する例には中々お目に掛かれない。
一例には枚挙に遑がない。唸るばかり。ノートにどんどん書き綴って、一々嘆息する。紅葉漱石の恐るべき秀才振りに圧倒される。打ちのめされる、という語彙はこういう心持ちを表現するに相応しい。
芸術家が日常の一場面を切り取って、それを美の極みにまで高める様はどのような事なのか、漱石は以下のような表現で表す。
「この故に天然であれ、人事にあれ、衆俗の辟易し近づき難しとなす所に於て、芸術家は無数の琳琅を見、無情の宝璐を知る。俗にこれを名けて美化という。その実は美化でも何でもない。燦爛たる彩光は炳乎として昔から現象世界に実在している。只一翳眼に在って空花乱墜するが故に、俗界の覊絏牢として絶ち難きが故に、栄辱得喪のわれに逼ること、念々切なるが故に、ターナーが汽車を写すまでは汽車の美を解せず、応挙が幽霊を描くまでは幽霊の美を知らずに打ち過ぎるのである。」
日常の凡庸なる一原風景を、芸術家が見る世界。見た物を捕らえてtraceし、表現する。その美しさにため息を漏らす私たちは、芸術家のフィルターを通して初めて、私たちの周囲に無造作に置かれたobjectsの美の真髄に近づくことができる。芸術家の面目如実さ足や、ここに有り。
化学の先生と先日話していて伺ったが、今現在高校生が学んでいる物理や化学などの理科科目は自然科学の学問の世界では古典なのだそうである。今現在のテクノロジーに対してこれらの学識や知見が必ずしも即効性を持ち得るものではない、と先生は仰っていたが、間髪を入れずに、でも、古典の知識がないと、今現在のテクノロジーも全く理解ができないようにできてるんだよね、だからさ、古典ができないと、どこの世界でもやはり駄目だ、って事なんだよね、と二の句を続けられた。
温故知新。全くその通りである。再び漱石に戻り、暫し日本語の美の世界に包まれていたい。
第6章の美しい散文詩のような一節で今日は終わりたい。
「空しき家を空しく抜ける春風の、抜けて行くは迎える人への義理でもない。拒むものへの面当でもない。自から来りて、自から去る、公平なる宇宙への意(こころ)である。掌(たなごころ)に顎を支えたる余の心も、わが住む部屋の如く空しければ、春風は招かぬに、遠慮もなく生き抜けるであろう。」
では、また^^
2015年3月10日火曜日
「箸休め」な極上の一品
「読んでいる本がすごい!」と親友が興奮してメールを送ってくる。
あ、これ、家にもある、と思い、今読んでいるものを中断して、箸休め的に手に取ってみる。
「評価と贈与の経済学」(内田樹・岡田斗司夫 著)
内田先生の本には、どの本にも同じ事が書かれている。先生ご自身も何度もそう仰っているから、読まれたことのない方は手に取ってみられると良いと思う。
繰り返し述べて居られるのは「教育とは何か」「学ぶとはなにか」「はたらくとははたらくとは何か」「贈るとはなにか」「与えるとは何か」「日本はどこへ向かおうとしているのか」「これから私たちが生きる指針はどのような方向へか」という様々な命題に対する先生の示唆だ。
件の本は、岡田斗司夫さんとの対談で、自信のなさを体現して生きる現代日本人を鰯の群れに喩えたり、努力と報酬に対する人々の姿勢、生身の身体の身体感度復興への啓蒙、評価経済と贈与経済に関する観点、日本の潜在能力、恋愛と結婚について、刺激的な二人が縦横無尽に会話を楽しむ内容。
僕は教鞭を執らせていただいていて現場で感じることが沢山ある。若者を相手に生業を営んでいるが、生徒達のことを「分かった」と思うことが全然ない。かといって、彼らに対する相関的な相互理解欲求みたいなものがあるわけでもなく、淡々としているので、生徒達のことは分からなくていい、理解できるわけがない、お互いに違って良いんだ、という姿勢を敬虔に一貫して死守しているけれども、一方で彼らがいったいどのような在りようで生きているのか、情報があるのであれば、知っていた方が、知らないよりも、相手に対して理解が深まり、余裕が違う。
例えば内田先生の「下流志向」という本がある。これなぞは、今の子ども達が何故学ぼうとしないのか、何故働く意欲を失ったように見えるのか、なぜ学級崩壊や教育崩壊が現場で頻発しているのか、を一つ一つの事例を引きながら、刈谷先生の文章を引用しつつ、仔細に分析した内容で、読了後の生徒達に対する理解の厚みや深みは、同書を読む前とでは雲泥の差があるな、と少ない現場経験の中でも、淡く実感された記憶がある。
その意味でも、親友が興奮している本を読むことは、中々価値のあることではないか、と思った。何度も同じ主張が異なる本の中で繰り返されるのは、詐欺なのではないか、と思う人があるかも知れないが、それは短見というものだ。何度も同じ事を繰り返し書くということは、その論なりに相応の確信がなければできないし、その論がきちんと立つからこそ、著書が変わっても異なる切り口で書けるのである。
明治文学を読む傍ら、暫し教育に対する思索を温める時間を与えられたことを感謝したいと思う。親友と内田先生に謝意を表したい。有り難うございました。
さて、読んでいる間、養老孟司先生との「逆立ち日本論」という本を読んで、なるほど、なるほど、と膝を打ちながら読んだ記憶が甦った。
この本も面白かったので、併せてお薦めしておく。トイレに置くと、長くなって、家族から苦情が寄せられるので、トイレには置かないこと。
ではまた^^
2015年3月8日日曜日
成長する群れとは何かを考える。
群れについて、考える事がある。人が集まり、何かを活動する場にあって、何が大事なのか、ということだ。
リーダーシップを持った人が率先して人を引っ張って行く図は理想的に見えるのだろうが、それは群れが良い形に成長する事にはならないのではないか、と僕は自分の経験から考えたりする。
部活動を持ち始めてしばらくは、生徒たちに舐められまい、と一生懸命に自分を強くみせようとしていた気がする。生徒たちを喧しく叱責し、厳しいルールを課し、がんじがらめに管理をしていた事が思い出され、胸が痛い。何が目的であんなことをしていたんだろうと思う。世阿弥が、初舞台での惨めさを憂い、あんなみっともない真似をするくらいなら、もっと稽古に励んでおけば良かった、あの初めて抱いた恥ずかしさを二度と忘れずに一層稽古に精進するぞ、と「初心忘れすべからず」という言葉を風姿花伝に書き綴った想いと重なる。
自分に自信がなかったり、相手の事を信頼出来ずに不安で居る時、人は相手を縛り、相手の心をコントロールしようとする。でも、そんなことをすると、人はますます離れて行くし、自分の目の前では面従腹背を演じるばかりで、陰では全く違う事をしていたり、悪口を言われたりするのが関の山なのだ。
僕はその事にある日気づき、コントロールの権限を手放す事にしてみた。一切相手に求めない。期待もしない。相手に対しても自分に対しても自由で居る。自分が居なくても部活動が生徒たちだけできちんと運営出来るようにすることができれば、部はもっと成長し、子どもたちは自分たちの力で強くなるのではないか、と仮説を立て、それを実行したのである。
部活動につけないとき、生徒が真面目に練習をしているか、と会議室から生徒を監視する様な真似を一切止めた。生徒たちから受ける報告を全て鵜呑みにして、信じる事にした。生徒たちが考えている事、思っている事をありのままに受け入れる事にした。自分が思っている事も、上からでも下からでもなく、そのまま生徒に素直に伝えるようにした。
俺は練習を監視したりしない、もうそういうのは止める、君らを信じる、君らの言うことに騙されたりするかもしれない、でも、俺は君らの言うことを信じる、君らは絶対に嘘をついたりする訳がないと思っているから、騙されても良い、君らが言うんだったら、それでいい、俺はそう思う事にした、とミーティングで話した。
生徒たちに檄を飛ばすのは気を引き締める時だけに留め、決して叱責や罵りに使う事はしなくなった。初めは半信半疑だったようだが、そのうち僕のそんな在り方に少しずつ慣れて行ってくれたことを憶えている。
ある年の最後の大会前の出来事。その代は僕の短い部活キャリアの中で最も強かった代だ。キャプテンがとても良く出来た子で、その代の生徒たちはとても真面目で立派な人たちだった(それ以外の代の子達も、みな真面目で立派でした。彼らの名誉の為に、一応。)。その日は雨が降っており、荒れ模様だった。僕はいつものように生徒たちにメニューを配って説明をして、練習を頑張るように伝えていた。生徒には、「俺はサッカー素人だし、よくわかんないところもあるから、キャプテンがその場で判断して、今自分たちに足りない事をやっていいから。いつでも変更してやりなさい。いいね?」と伝えた。生徒は「分かりました、頑張ります。」と応えた。「先生、今日、部活来れますか?」「会議が終われば行けるけど、何時に終わるか分からん。でも、終わったら会おう。多目的ホール前に集合しておいてくれ。必ず降りて行くから。」
会議中、雨が窓を打つ音が止まない。あいつら、練習をやめて帰ってくれてると良いがな、風邪でも引きはしまいか、と僕は心配になり、自分の禁を破って窓から生徒たちの姿を覗いた。
彼らは僕が渡したメニューを寸分違わず、土砂降りの中、夢中でボールを追いかけ、激しくプレーを続けていた。僕は彼らの信頼に対して、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。彼らは僕のことを信じ、忠実に僕の作ったメニューに従ったのに、僕は何故彼らのことを信じて、練習を見ずにいることが出来なかったのか。自分の事がとても恥ずかしくなった。僕は子どもの事を全く信頼仕切れていない、と情けない気持ちでいっぱいになった。
会議がほどなく終わり、僕は彼らに会った。「練習頑張ったか?」「はい、盛り上がりました。」「メニュー、変えたか?(僕は上から覗いた事を黙っている)」「いえ、変えてません。」「なんで、変えなかったんだ?自分たちに最適な練習で良かったんだ。僕の作ったメニューをそのままするな、って言ったろう。」「先生のメニューで良いです。試合の分析通りのメニューだったし。先生は僕らにウソついてるんですか?」「いや、そんなことないけど。こないだ出来てなかったとこをメニューにしとったんよ。」「じゃあ良いじゃないですか。なに言ってんすか。明日も頑張りましょう。おつかれさまでした。」
僕はそのときに彼らを抱きしめて泣きたかった。そして、生徒との信頼関係を作るというのはこういうことなのだな、と彼らに教わった気持ちでいっぱいだった。彼らは僕の事を心から信頼してくれている。だから僕の伝えた事を信頼し、忠実にそれを実行したのだ。そうか、生徒が先生を信頼するってこう言う事なのか、なるほど、先生が生徒を信頼するというのは、こう言う事なんだな、と言うことが分かった。本当の意味での人と人との信頼関係はこう言う事なんだな、と分かった。
自分が居なくても、群れが立派に燃え立ち、活動を頑張る事ができること、それこそが群れの成長なのではないか。
強いリーダーは要らないと思った。群れを育てるときには互いに燃え立ち、互いに信頼し合い、互いに自由に成長を促し合うことを認め合う事が必要だ、と思った。無用な謙遜や鼓舞なんか要らない。余計な上下関係も不要。要るのは相手へのリスペクトと愛情のみ。
誰かが居ないと成長できない群れには未来はないし、限界がある。群れに属する全ての人がコミット出来る関係作りに、僕らは注視すべきなのではないか。僕はそう考えている。
森田、密山、お前らのことを思い出して書いたよ^^
元気かな。酒飲みに行こうな^^
では、また^^
リーダーシップを持った人が率先して人を引っ張って行く図は理想的に見えるのだろうが、それは群れが良い形に成長する事にはならないのではないか、と僕は自分の経験から考えたりする。
部活動を持ち始めてしばらくは、生徒たちに舐められまい、と一生懸命に自分を強くみせようとしていた気がする。生徒たちを喧しく叱責し、厳しいルールを課し、がんじがらめに管理をしていた事が思い出され、胸が痛い。何が目的であんなことをしていたんだろうと思う。世阿弥が、初舞台での惨めさを憂い、あんなみっともない真似をするくらいなら、もっと稽古に励んでおけば良かった、あの初めて抱いた恥ずかしさを二度と忘れずに一層稽古に精進するぞ、と「初心忘れすべからず」という言葉を風姿花伝に書き綴った想いと重なる。
自分に自信がなかったり、相手の事を信頼出来ずに不安で居る時、人は相手を縛り、相手の心をコントロールしようとする。でも、そんなことをすると、人はますます離れて行くし、自分の目の前では面従腹背を演じるばかりで、陰では全く違う事をしていたり、悪口を言われたりするのが関の山なのだ。
僕はその事にある日気づき、コントロールの権限を手放す事にしてみた。一切相手に求めない。期待もしない。相手に対しても自分に対しても自由で居る。自分が居なくても部活動が生徒たちだけできちんと運営出来るようにすることができれば、部はもっと成長し、子どもたちは自分たちの力で強くなるのではないか、と仮説を立て、それを実行したのである。
部活動につけないとき、生徒が真面目に練習をしているか、と会議室から生徒を監視する様な真似を一切止めた。生徒たちから受ける報告を全て鵜呑みにして、信じる事にした。生徒たちが考えている事、思っている事をありのままに受け入れる事にした。自分が思っている事も、上からでも下からでもなく、そのまま生徒に素直に伝えるようにした。
俺は練習を監視したりしない、もうそういうのは止める、君らを信じる、君らの言うことに騙されたりするかもしれない、でも、俺は君らの言うことを信じる、君らは絶対に嘘をついたりする訳がないと思っているから、騙されても良い、君らが言うんだったら、それでいい、俺はそう思う事にした、とミーティングで話した。
生徒たちに檄を飛ばすのは気を引き締める時だけに留め、決して叱責や罵りに使う事はしなくなった。初めは半信半疑だったようだが、そのうち僕のそんな在り方に少しずつ慣れて行ってくれたことを憶えている。
ある年の最後の大会前の出来事。その代は僕の短い部活キャリアの中で最も強かった代だ。キャプテンがとても良く出来た子で、その代の生徒たちはとても真面目で立派な人たちだった(それ以外の代の子達も、みな真面目で立派でした。彼らの名誉の為に、一応。)。その日は雨が降っており、荒れ模様だった。僕はいつものように生徒たちにメニューを配って説明をして、練習を頑張るように伝えていた。生徒には、「俺はサッカー素人だし、よくわかんないところもあるから、キャプテンがその場で判断して、今自分たちに足りない事をやっていいから。いつでも変更してやりなさい。いいね?」と伝えた。生徒は「分かりました、頑張ります。」と応えた。「先生、今日、部活来れますか?」「会議が終われば行けるけど、何時に終わるか分からん。でも、終わったら会おう。多目的ホール前に集合しておいてくれ。必ず降りて行くから。」
会議中、雨が窓を打つ音が止まない。あいつら、練習をやめて帰ってくれてると良いがな、風邪でも引きはしまいか、と僕は心配になり、自分の禁を破って窓から生徒たちの姿を覗いた。
彼らは僕が渡したメニューを寸分違わず、土砂降りの中、夢中でボールを追いかけ、激しくプレーを続けていた。僕は彼らの信頼に対して、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。彼らは僕のことを信じ、忠実に僕の作ったメニューに従ったのに、僕は何故彼らのことを信じて、練習を見ずにいることが出来なかったのか。自分の事がとても恥ずかしくなった。僕は子どもの事を全く信頼仕切れていない、と情けない気持ちでいっぱいになった。
会議がほどなく終わり、僕は彼らに会った。「練習頑張ったか?」「はい、盛り上がりました。」「メニュー、変えたか?(僕は上から覗いた事を黙っている)」「いえ、変えてません。」「なんで、変えなかったんだ?自分たちに最適な練習で良かったんだ。僕の作ったメニューをそのままするな、って言ったろう。」「先生のメニューで良いです。試合の分析通りのメニューだったし。先生は僕らにウソついてるんですか?」「いや、そんなことないけど。こないだ出来てなかったとこをメニューにしとったんよ。」「じゃあ良いじゃないですか。なに言ってんすか。明日も頑張りましょう。おつかれさまでした。」
僕はそのときに彼らを抱きしめて泣きたかった。そして、生徒との信頼関係を作るというのはこういうことなのだな、と彼らに教わった気持ちでいっぱいだった。彼らは僕の事を心から信頼してくれている。だから僕の伝えた事を信頼し、忠実にそれを実行したのだ。そうか、生徒が先生を信頼するってこう言う事なのか、なるほど、先生が生徒を信頼するというのは、こう言う事なんだな、と言うことが分かった。本当の意味での人と人との信頼関係はこう言う事なんだな、と分かった。
自分が居なくても、群れが立派に燃え立ち、活動を頑張る事ができること、それこそが群れの成長なのではないか。
強いリーダーは要らないと思った。群れを育てるときには互いに燃え立ち、互いに信頼し合い、互いに自由に成長を促し合うことを認め合う事が必要だ、と思った。無用な謙遜や鼓舞なんか要らない。余計な上下関係も不要。要るのは相手へのリスペクトと愛情のみ。
誰かが居ないと成長できない群れには未来はないし、限界がある。群れに属する全ての人がコミット出来る関係作りに、僕らは注視すべきなのではないか。僕はそう考えている。
森田、密山、お前らのことを思い出して書いたよ^^
元気かな。酒飲みに行こうな^^
では、また^^
2015年3月7日土曜日
亀山社中を戴く。
朝から長崎へ。亀山社中をどうしても訪問したくなったのである。
亀山社中については、以下のWikipediaを参照してくださいね^^
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E6%8F%B4%E9%9A%8A
先日から、夏目漱石、谷崎潤一郎と平行して読んでいて、幕末の事、明治の事がどうしても気になり出したからかもしれない。何故それが坂本龍馬と結びつくのかは自分でもよくわからなかったのだが、明治が始まった時の様子や、幕末のこと、さらには異国からの文化や技術、政治的な思想などの名残を戴く場所で、手近なところは長崎だったから、という自分の直感に従った由なのだろうか。分からない。
神戸や横浜に行きたい。行けば何かが摑めるかもしれない。神戸や横浜へは数度足を運んでは居るが、史跡をゆっくりと巡る時間はいつもないままになっていた。
先ずは近場で、という浅はかな直感が導くまま、長崎の地へ向かった。
亀山社中を訪ねるにあたり、どうしても気になっていたのは原爆の影響だ。原爆の被害を免れ得ることがあるのだろうか。それが気に掛かって仕方がなかった。
記念館の方にその事を尋ねる。爆心地より山を隔てた所にある亀山の地は、風速40mほどの被害は受けたが、万事無事だったそうである。しかし、当の亀山社中そのものが現存していた訳ではなく、ここに亀山社中が恐らく在ったであろう、という地に復元されたものらしい。
それが贋物か本物かの真偽はどうでもよろしい。その地のその付近で、幕末の士が世の中を変える、日本を動かす、という気鋭で立ち働いた場所に身を置く、という心持ちが、精神を鼓舞し、心根を暖めるのだ。
亀山社中記念館に這入る。中は龍馬や妻お龍の遺品、亀山社中設立時の文章の複製、海援隊結成時決起文の複製、龍馬の書簡の複製などが残されていた。
日本はこのままではダメになってしまうかもしれない、日本は世界の中で遅れている、このままではダメだ、と憶っていた人は、何も今に始まった訳ではなく、およそ200年も前から居た訳である。(こういうと、「日本はこのままではダメだ」論は幕末に起こった、という誤解を招くかもしれない。件の論は、何も今に始まった訳ではなく、律令政治その時代から既に多くの日本知識人に危惧されていた事である。日本人は、基本的に「このままではダメだ」という気持ちを持ちながら毎日仕事をしたり、生きることが身体化されているのかもしれない。島国に生きる民のDNA内の、生命維持装置としてのサバイバルテクニックか?よう知らんけど。)
龍馬のどのへんに何かを抱くかは個人それぞれの趣向や思想に依って様々であろう。大事なのは、これらの偉業を成し遂げたその人を戴き、自分の中にある同じ様な熱く燻る何かを結実化せしめんと希求する精神なのではないか。そう、ふと憶ったりした。
「日本を今一度せんたくいたし申し候(龍馬書簡)」
元気の出る言葉ではないか。吉田松陰に端を発した日本立国の指針は、勝海舟らに依るその後の奔走、龍馬らによる諸活動により、明治の立国に結実し、その後の我が国の繁栄を齎した事は記憶に留めて猶有り余る偉業である。
日本の為に働いた人を憶えば、自分の日々の何がしかの生きようも又、同じベクトルを向いているはずなのかもしれない、と淡い期待を抱いた。
来年、いっぱい頑張ろ^^
ではまた^^
亀山社中については、以下のWikipediaを参照してくださいね^^
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E6%8F%B4%E9%9A%8A
先日から、夏目漱石、谷崎潤一郎と平行して読んでいて、幕末の事、明治の事がどうしても気になり出したからかもしれない。何故それが坂本龍馬と結びつくのかは自分でもよくわからなかったのだが、明治が始まった時の様子や、幕末のこと、さらには異国からの文化や技術、政治的な思想などの名残を戴く場所で、手近なところは長崎だったから、という自分の直感に従った由なのだろうか。分からない。
神戸や横浜に行きたい。行けば何かが摑めるかもしれない。神戸や横浜へは数度足を運んでは居るが、史跡をゆっくりと巡る時間はいつもないままになっていた。
先ずは近場で、という浅はかな直感が導くまま、長崎の地へ向かった。
亀山社中を訪ねるにあたり、どうしても気になっていたのは原爆の影響だ。原爆の被害を免れ得ることがあるのだろうか。それが気に掛かって仕方がなかった。
記念館の方にその事を尋ねる。爆心地より山を隔てた所にある亀山の地は、風速40mほどの被害は受けたが、万事無事だったそうである。しかし、当の亀山社中そのものが現存していた訳ではなく、ここに亀山社中が恐らく在ったであろう、という地に復元されたものらしい。
それが贋物か本物かの真偽はどうでもよろしい。その地のその付近で、幕末の士が世の中を変える、日本を動かす、という気鋭で立ち働いた場所に身を置く、という心持ちが、精神を鼓舞し、心根を暖めるのだ。
亀山社中記念館に這入る。中は龍馬や妻お龍の遺品、亀山社中設立時の文章の複製、海援隊結成時決起文の複製、龍馬の書簡の複製などが残されていた。
日本はこのままではダメになってしまうかもしれない、日本は世界の中で遅れている、このままではダメだ、と憶っていた人は、何も今に始まった訳ではなく、およそ200年も前から居た訳である。(こういうと、「日本はこのままではダメだ」論は幕末に起こった、という誤解を招くかもしれない。件の論は、何も今に始まった訳ではなく、律令政治その時代から既に多くの日本知識人に危惧されていた事である。日本人は、基本的に「このままではダメだ」という気持ちを持ちながら毎日仕事をしたり、生きることが身体化されているのかもしれない。島国に生きる民のDNA内の、生命維持装置としてのサバイバルテクニックか?よう知らんけど。)
龍馬のどのへんに何かを抱くかは個人それぞれの趣向や思想に依って様々であろう。大事なのは、これらの偉業を成し遂げたその人を戴き、自分の中にある同じ様な熱く燻る何かを結実化せしめんと希求する精神なのではないか。そう、ふと憶ったりした。
「日本を今一度せんたくいたし申し候(龍馬書簡)」
元気の出る言葉ではないか。吉田松陰に端を発した日本立国の指針は、勝海舟らに依るその後の奔走、龍馬らによる諸活動により、明治の立国に結実し、その後の我が国の繁栄を齎した事は記憶に留めて猶有り余る偉業である。
日本の為に働いた人を憶えば、自分の日々の何がしかの生きようも又、同じベクトルを向いているはずなのかもしれない、と淡い期待を抱いた。
来年、いっぱい頑張ろ^^
ではまた^^
2015年3月6日金曜日
ブルームバーグの記事について
内田樹先生のブログが更新されていて、久方ぶりに拝読させていただいた。
bloombergに寄稿している米国人大学准教授の記事が面白い。日本についての記事をいくつか書いており、勉強になる。
しばらくこの読み物を基軸にし、米国メディアの記事を閲読していきたい。
http://www.bloombergview.com/contributors/noah-smith
内田センセが書いて居られた記事はこちら。
http://www.bloombergview.com/articles/2015-02-20/japan-s-constitutional-change-is-move-toward-autocracy
中身の日本語が知りたい方は内田センセのブログにあるのでこちら。
http://blog.tatsuru.com/2015/02/25_1234.php
今日は送別会等があるので、長い記事は書けない。今読んでいる物と新たに読みたくなる物がこれでもかと溢流し、翻弄されている笑。整理せねば、ね^^;
では、また。みなさん、良い週末を。
bloombergに寄稿している米国人大学准教授の記事が面白い。日本についての記事をいくつか書いており、勉強になる。
しばらくこの読み物を基軸にし、米国メディアの記事を閲読していきたい。
http://www.bloombergview.com/contributors/noah-smith
内田センセが書いて居られた記事はこちら。
http://www.bloombergview.com/articles/2015-02-20/japan-s-constitutional-change-is-move-toward-autocracy
中身の日本語が知りたい方は内田センセのブログにあるのでこちら。
http://blog.tatsuru.com/2015/02/25_1234.php
今日は送別会等があるので、長い記事は書けない。今読んでいる物と新たに読みたくなる物がこれでもかと溢流し、翻弄されている笑。整理せねば、ね^^;
では、また。みなさん、良い週末を。
「ありませんことはありませんのであります」という日本語について、読む
谷崎潤一郎の「陰影礼賛」中に収録されていた「現代口語文の欠点について」という章を読む。谷崎さんの分析が的確過ぎて、唸るばかり。古典や現代小説(といっても明治〜昭和期だけど)の一節を引き、時には漢文の一節を例解しながら、現代口語の虚をつく文章。筆致は読み易く、現代の私たちにも十分に理解しうる内容。とても良い。
話は縦横無尽に行交うが、谷崎さんご自身が率直に思っておられたことを、どんどん気の衒いもなく、ある時はコミカルに、またある時は真面目に書いている。
谷崎さんは東京の人なので、文章の底流には江戸っ児のべらんめぇ魂が炸裂しまくっていて、読む物を軽快な気持ちにさせて小気味良い。
立川談志師匠が真面目に日本語表現についての話をなさってあるような趣、と言えば分かり易いでしょうか。
日本語について、平安時代から江戸、明治にかけての文体の変遷、貴族の持つエクリチュールによる尊敬語と謙譲語の使い分け、動詞そのものによって主語を落とし、文末によってその文章が話される人称を使い分ける日本語の妙について、また西洋語(主に英語)との違いについて、実に明確かつ単純に分かり易く解説が施されている。
「のである」という語尾がいつ頃から使われるようになったかに端を発し、この語尾が地方から上京した人々が、遡上を出さぬよう丁寧表現を用いるようになってから使われるようになった、ということが書かれている。これは江戸の言葉ではない、と。江戸っ児である谷崎さんはこの語尾に違和感を憶えていたらしく、少年期に麻布中学校長の江原素六の講演を聴き、幕末の臣でありながら、話される言葉がべらんめぇ調に基調されていたことに安堵を憶えたらしい。うーむ、この辺からどんどん面白くなってくる。
日本語はもっと自由な表現で、もっと便利な言葉だったはずなのだから、漢文調や、コロキアル一辺倒、語尾の統一感などに捕われず、もっと伸びやか且つしなやかに表現されるべきなのではないか、と谷崎さんは舌鋒鋭い。
平安末期の和漢混交体とともに、明治維新以来の文人の口語体による創作を谷崎さんは賞賛している。その上で、文芸復古に置ける旧套脱皮運動の伝統を経て若々しい文体が生まれ育つ事を勘定に入れて猶、立ち止まって今一度温故に知を新たにすべきではないか、と問題提起を行なっているのである。ひとり言のように。
谷崎さんは幸田露伴を師と仰ぎ見て取れる節を書いているが、幸田露伴の文章の1センテンスが長いこと、明治期から大正期に掛けての作家の文体が短く”S+V+O”に紋切り型化していること、前者が西洋化せずに文体筆致が日本語の盤石な基盤から起こされていることを、「日本語に関係代名詞のような便利な表現がない為だ」と指摘する。深い。
中盤は外国語の文学に関して、日本語との主語の使い方の違いについて書かれている。この辺は、日本がlow contextな文化であるのに対し、西洋がhigh contextな文化に依拠して文体が編まれ、その差異がもどかしい事を丁寧に詳らかにし、日本人小説家と西洋人の某の文編の困難さを著している。
語の乱れ、文体の錯乱に、当時の文人は身悶えしたに違いない。性急な西洋化が齎した日本語の変化に対する危機感、とりわけ、美しい日本語文化の喪失に対する危惧を憂う文人が確かに存在していた事をここに垣間みることができる。
この文章の本質を著した一節。長いけれど、核心が胸を突き、谷崎の核心が燦然とする。
「前にもちょっと触れておいたように、日本語の表現の美しさは、十のものを七しか言わないところ、言葉が陰影に富んでいるところ、半分だけ物をいって後は想像に任せようとするところにあって、真に日本的なる風雅の精神というものはそこから発しているのである。もっともこういうと、それだから日本語は不完全な国語だ、十のものを七つしかいわないでは舌足らずがしゃべるようで、とうてい欧州語のように、説いて委曲を尽くすことは出来ない、という人があるかも知れない。それは人々の考えようだから、一概には片附けられないけれども、私にいわせると、全体人間の言葉なんてそう思い通りのことを細大洩らさず表現出来るものではないのだ。手近な例が料理法の本だとか、手品の説明書なぞを読んでも、それが日本文であろうと英文であろうと、図解でも這入っていなかったらなかなか分かるように書けてはいないではないか。言葉というものはそれほど不完全な、微細な叙述になって来ると、一切実用にならないものなのだ。試みに鰻をたべたことのない人に鰻の味を分からせるように説明してみろといったって、どこの国の言葉でもそんな場合の役には立つまい。しかるに西洋人というものは、なまじ彼らのヴォキャブラリーが豊富なために、そういう説明の出来得べくもないことを、なんとか彼とかあらん限りの言葉を費やしていい尽くそうとして、そのくせ核心を摑むことは出来ずに、愚かしい努力をしているように私には見える。独逸語は哲学の理論を述べるのに最も適しているのだそうだが、それにしても作者自らがこれで十分と思うほどには決していい尽くせはしないであろう。現にショウペンハウエルが「意識と現識の世界」の序文で、「自分の本は一字一句が全体に関連しているから、正しくは二度読んでくれないと理解されない」といっているように、言葉を費やせば費やすほど、全面を同時に具象的にいい著す事が至難になる。そういう点を考えると、少なくとも文学においては、日本語のように言葉のいい表わし得る限界を守って、それ以上は暗示するだけに止めた方が、賢いやり方なのではないであろうか。」
谷崎潤一郎の本を読んでみて、自分は日本史のことを全然知らないな、ということが分かった。通史だけでは理解が間々ならない。日本近代史、特に明治期の歴史について、学びを深めなければ、と啓示を得た。
同時に、この本を読んだ事を機に、文豪の「文章読本」を攫っておくことも、外国語を教える教師として畢竟なることなのではないか、と僕は考えた。
日本語の美しさを知らない人が、英語だけを教えても、生徒には伝わらないと思う。日本語の持つ美しさ、日本語が表現出来得る可能性をきちんと理解しようと努める事は、英語教師であれば、誰もが持つべき命題なのではないか。日本語が拙い人の翻訳は拙い。これは翻訳を読めば分かる。何が書いてるのか、さっぱり分からないものがたくさんあるからだ。
誤訳、と断じるレベルなのではなく、正訳でも、意味がまったく分からないものがある。何を言おうとしているのか、さっぱり分からない、といった事態は外来文章の翻訳版を読む際の最大の難点なのではないか、とさえ感じる。
視点を広げれば、米国産の映画やホームドラマの翻訳は、コロキアルな文体に則して、ものすごく分かりやすく訳し分けられている。視聴者の耳障り、目障りに慮った翻訳は脳にやさしい。
さて、自分が教える事を考えたときにどうか。
まだまだ日本語がわかっていないですね^^;
ではまた。
話は縦横無尽に行交うが、谷崎さんご自身が率直に思っておられたことを、どんどん気の衒いもなく、ある時はコミカルに、またある時は真面目に書いている。
谷崎さんは東京の人なので、文章の底流には江戸っ児のべらんめぇ魂が炸裂しまくっていて、読む物を軽快な気持ちにさせて小気味良い。
立川談志師匠が真面目に日本語表現についての話をなさってあるような趣、と言えば分かり易いでしょうか。
日本語について、平安時代から江戸、明治にかけての文体の変遷、貴族の持つエクリチュールによる尊敬語と謙譲語の使い分け、動詞そのものによって主語を落とし、文末によってその文章が話される人称を使い分ける日本語の妙について、また西洋語(主に英語)との違いについて、実に明確かつ単純に分かり易く解説が施されている。
「のである」という語尾がいつ頃から使われるようになったかに端を発し、この語尾が地方から上京した人々が、遡上を出さぬよう丁寧表現を用いるようになってから使われるようになった、ということが書かれている。これは江戸の言葉ではない、と。江戸っ児である谷崎さんはこの語尾に違和感を憶えていたらしく、少年期に麻布中学校長の江原素六の講演を聴き、幕末の臣でありながら、話される言葉がべらんめぇ調に基調されていたことに安堵を憶えたらしい。うーむ、この辺からどんどん面白くなってくる。
日本語はもっと自由な表現で、もっと便利な言葉だったはずなのだから、漢文調や、コロキアル一辺倒、語尾の統一感などに捕われず、もっと伸びやか且つしなやかに表現されるべきなのではないか、と谷崎さんは舌鋒鋭い。
平安末期の和漢混交体とともに、明治維新以来の文人の口語体による創作を谷崎さんは賞賛している。その上で、文芸復古に置ける旧套脱皮運動の伝統を経て若々しい文体が生まれ育つ事を勘定に入れて猶、立ち止まって今一度温故に知を新たにすべきではないか、と問題提起を行なっているのである。ひとり言のように。
谷崎さんは幸田露伴を師と仰ぎ見て取れる節を書いているが、幸田露伴の文章の1センテンスが長いこと、明治期から大正期に掛けての作家の文体が短く”S+V+O”に紋切り型化していること、前者が西洋化せずに文体筆致が日本語の盤石な基盤から起こされていることを、「日本語に関係代名詞のような便利な表現がない為だ」と指摘する。深い。
中盤は外国語の文学に関して、日本語との主語の使い方の違いについて書かれている。この辺は、日本がlow contextな文化であるのに対し、西洋がhigh contextな文化に依拠して文体が編まれ、その差異がもどかしい事を丁寧に詳らかにし、日本人小説家と西洋人の某の文編の困難さを著している。
語の乱れ、文体の錯乱に、当時の文人は身悶えしたに違いない。性急な西洋化が齎した日本語の変化に対する危機感、とりわけ、美しい日本語文化の喪失に対する危惧を憂う文人が確かに存在していた事をここに垣間みることができる。
この文章の本質を著した一節。長いけれど、核心が胸を突き、谷崎の核心が燦然とする。
「前にもちょっと触れておいたように、日本語の表現の美しさは、十のものを七しか言わないところ、言葉が陰影に富んでいるところ、半分だけ物をいって後は想像に任せようとするところにあって、真に日本的なる風雅の精神というものはそこから発しているのである。もっともこういうと、それだから日本語は不完全な国語だ、十のものを七つしかいわないでは舌足らずがしゃべるようで、とうてい欧州語のように、説いて委曲を尽くすことは出来ない、という人があるかも知れない。それは人々の考えようだから、一概には片附けられないけれども、私にいわせると、全体人間の言葉なんてそう思い通りのことを細大洩らさず表現出来るものではないのだ。手近な例が料理法の本だとか、手品の説明書なぞを読んでも、それが日本文であろうと英文であろうと、図解でも這入っていなかったらなかなか分かるように書けてはいないではないか。言葉というものはそれほど不完全な、微細な叙述になって来ると、一切実用にならないものなのだ。試みに鰻をたべたことのない人に鰻の味を分からせるように説明してみろといったって、どこの国の言葉でもそんな場合の役には立つまい。しかるに西洋人というものは、なまじ彼らのヴォキャブラリーが豊富なために、そういう説明の出来得べくもないことを、なんとか彼とかあらん限りの言葉を費やしていい尽くそうとして、そのくせ核心を摑むことは出来ずに、愚かしい努力をしているように私には見える。独逸語は哲学の理論を述べるのに最も適しているのだそうだが、それにしても作者自らがこれで十分と思うほどには決していい尽くせはしないであろう。現にショウペンハウエルが「意識と現識の世界」の序文で、「自分の本は一字一句が全体に関連しているから、正しくは二度読んでくれないと理解されない」といっているように、言葉を費やせば費やすほど、全面を同時に具象的にいい著す事が至難になる。そういう点を考えると、少なくとも文学においては、日本語のように言葉のいい表わし得る限界を守って、それ以上は暗示するだけに止めた方が、賢いやり方なのではないであろうか。」
谷崎潤一郎の本を読んでみて、自分は日本史のことを全然知らないな、ということが分かった。通史だけでは理解が間々ならない。日本近代史、特に明治期の歴史について、学びを深めなければ、と啓示を得た。
同時に、この本を読んだ事を機に、文豪の「文章読本」を攫っておくことも、外国語を教える教師として畢竟なることなのではないか、と僕は考えた。
日本語の美しさを知らない人が、英語だけを教えても、生徒には伝わらないと思う。日本語の持つ美しさ、日本語が表現出来得る可能性をきちんと理解しようと努める事は、英語教師であれば、誰もが持つべき命題なのではないか。日本語が拙い人の翻訳は拙い。これは翻訳を読めば分かる。何が書いてるのか、さっぱり分からないものがたくさんあるからだ。
誤訳、と断じるレベルなのではなく、正訳でも、意味がまったく分からないものがある。何を言おうとしているのか、さっぱり分からない、といった事態は外来文章の翻訳版を読む際の最大の難点なのではないか、とさえ感じる。
視点を広げれば、米国産の映画やホームドラマの翻訳は、コロキアルな文体に則して、ものすごく分かりやすく訳し分けられている。視聴者の耳障り、目障りに慮った翻訳は脳にやさしい。
さて、自分が教える事を考えたときにどうか。
まだまだ日本語がわかっていないですね^^;
ではまた。
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